当の巨人化した怪人はキングよって倒されたが、それでも被害は防ぎきれず半年以上経った今でさえ被害の爪痕が痛々しく残る地区に、似つかわしくない高級車が一つの建物前で乱暴に止まる。
建築物としての外観は残っているが、巨人による被害の余波か、通う人間も手入れする人間がいなくなったからか、それとも元々が古い所為か、妙にわびしくて不気味な廃校。
赤煉瓦造りで外観も学校よりも洋館を思わせ、元は素晴らしく豪奢な学校であったことを想像させるが、日が落ちZ市のゴーストタウンとさほど変わらない崩壊した街の中に佇み、外壁には生命力旺盛な蔓のツタで覆い尽くされて、もはや豪華や優雅という形容は完全に風化し、不気味さしかここには残っていない。
そんな廃校は、周囲が壊滅してるためか門や扉を施錠していない。必要なものは全て運びだし、壊すのを待つだけの建物にわざわざ施錠を施す必要性を感じなかったのだろう。
仮に施錠してあっても、この女には無意味。鍵くらい、用意してるからここを指定したはずだ。
今の季節にはやや早いロングコートのフードを目深にかぶり、それで顔を隠したつもりかどうかは知らないが、場違いな高級車から女が、ヘラが降り立った。
校舎の屋上で俺が立っていることなど、気づきもしない。
……今、奴の前に俺が降り立ち、フルパワーの焼却砲を放てばどうなるだろうか、考えた。
復興が進んでいないため、このあたりはZ市のゴーストタウンと同じく人がいない。
いるのはヘラと、奴より先に正門ではなく裏門側に車を止めて俺よりも先に来ていたらしい、あのバカげたSNSの誘いに乗ったらしき奴らが校舎内にいるだけだ。
ヘラを骨も残さず焼き払い、この校舎も奴らの車も全て跡形残さずに焼却しつくしてしまえば、あとは「センサーで怪人らしき反応を発見し、交戦した」と言い張れば、誰にも疑われないのではないか?
仮に奴らがこちらに向かったという証言も、俺が見つけた時には既に怪人に襲われて亡くなっていたと言えば……
……そんな悪魔の囁きを振り払う。
殺してやりたい。今は暴走サイボーグより、ソニックよりも奴を、ヘラを殺したくて仕方がないのは事実だ。
けれど、それはダメだと自分に言い聞かせる。
あの人は、先生だけではなく俺の事も同じくらい頼りになると言ってくれた。
「私のヒーロー」と言ってくれた。
だから、ダメだ。
先生の手が奴の血で汚れてしまったら、それこそエヒメさんが今度こそ本当に何もかも失うように、俺の手を汚してもあの人は喜びはしない。
先生よりは傷が浅くとも、必ずあの人は自分を責めるのが自惚れではなく目に見える。
自分の所為で俺が罪を犯したと自分を責め立てるのが分かっているから、俺は憎悪に燃える自分自身に言い聞かせる。
自分は「ヒーロー」なのだと。たとえ何にも勝てなくとも、何かを守り誰かを救う存在なのだと、言い聞かせる。
「大口だけ叩いて、結局何も見えてない、何も守れない無力で無能なクソガキ」と脳裏に蘇ったソニックの言葉を振り払う。
……俺は、ヒーローだ。あの人がそう言ってくれたんだ。
何度も傷つけて泣かせても、それでも意味を見出して、価値を与えてくれたんだ。
だから、貫かなくてはならないんだ……。
* * *
荒れ狂うコアの熱を、憎悪を押さえつけ、俺はセンサーで連中の動きに集中する。
SNSの誘いに乗った連中はともかくヘラは立場上、物理的な制裁ならばあとでこちらに社会的な報復をしてくることが、童帝に言われるまでもなく予測できる。
それが俺に向かうのならいいが、エヒメさんに向えば最悪だ。
だからこそ、同じく社会的な制裁でまずは奴から「権力」や「後ろ盾」という力をそぎ落とさなければならない。
所詮は俺やエヒメさんと同じ、まだ20にも手が届いていない未成年だ。
奴の取り巻きは奴自身のカリスマに盲信してる輩よりも、その後ろ盾を恐れてか、おこぼれが欲しいだけの寄生虫どもが大半だろう。
奴の犯罪教唆の証拠さえつかめたら奴の家は、家族は良識的だろうが娘がああ育つも納得な外道だろうが、どちらにしろ結末はそう変わらん。
良識的なら、娘に相応の罰を正しく与えるだけだ。外道なら娘を切り捨てるか、もしくはその証拠を捨てさせるためにこちらの要求の大半を飲むだろう。
奴から後ろ盾と取り巻きさえ奪えば、後はおそらくこちらから行動を移す必要などないはずだ。
一人では何もできない、周囲を利用して自分の手を汚さないのは、臆病な本質の現れだろう。自分の手で自分の憎む相手を排除する勇気など、奴にはありはしない。
周囲が誰も助けてくれなくなったのなら、箱入りで世間など何も知らない近視眼的な奴など、簡単に淘汰される。
仮に何もかも失った捨て鉢で直接的にエヒメさんに被害を与えようものなら、それは俺にとって都合がいい。
それは今度こそ彼女の傍にさえいれば、防げることだ。
そして何より、奴を焼き尽くすいい「大義名分」になるのだから。
……エヒメさんを悲しませないために、これ以上傷つかないように抑えつけていた欲望が、全く抑えられていないことに苦笑する。
あぁ、俺はヒーロー失格だ。
相手の更生など期待していない。破滅と俺自身の手で排除できる機会ばかりを望んでいる。
上っ面しか取り繕えていない、本質は奴らとそう変わらない、どこまでも身勝手で醜い自分を嫌悪しながら、それでもこの上っ面だけを最後の砦にして、俺は行動する。
そろそろ場所を移動しなくては。センサーで現在地や動きは掴めているが、何を話しているかは屋上からでは集音機能を最大にしようがさすがに拾えない。
SNSで指定されていた場所は、職員室。
廃校になって日が浅いためか、昔のHPは未だに残っていたので見取り図は簡単に拾えて、しっかり記録した。
その見取り図を思い返しながら、俺はヘラや他の連中と鉢合わせしないルートを検索したところで、センサーが二つの気配を捉える。
スピードからしてどちらも車。
まだ、あんな畜生にも劣る誘いに乗る輩がいたのかという忌々しさと憎悪を、歯を食いしばって堪えながら、俺のすべきことは変わらないと言い聞かせ、センサーを後から来た奴ではなく校舎内の連中に集中させる。
そのタイミングで、妙なことが起きる。
ヘラは3階の職員室に一直線に向かっていたのだが、階段を駆け上がって3階に辿りついたあたりで一度、足を止める。
そして、そのまま階段を駆け下りた。
俺の存在に気付かれたのかとも一瞬思ったが、屋上にいる俺を校舎に入る前ならともかく校舎内なら俺と同等の高感度センサーでも内蔵されていない限り無理だ。
センサーはヘラ以外の動きも伝える。
職員室の中いた奴らが階段を駆け上がり、そして駆け下りる足音でヘラの存在に気付いたのか、職員室から出て来て何人かがヘラを追った。
それだけでも状況がわからないというのに、同時に耳障りな音が鳴り響いた。
ガラスの割れる音だ。
窓ガラスが割れたことで屋上にも集音機能を最大にしてなくても、硝子の破砕音以上に耳障りな声が聞こえてきた。
「ちくしょう! 逃げやがった!」
「追え!!」
酒やけしたようなかすれたがなり声と、おそらく逃げたヘラを脅すのと逃げられたことに関しての八つ当たりで、さらにガラスを破壊する音が聞こえる。
それは、センサーの動きと連動していた。
事態がまったくつかめない。
だが、体は勝手に動いた。
階段を降りるという無駄な時間は駆けず、俺は屋上からそのまま飛び降りた。
右手は屋上の縁を掴んでそのままワイヤーで落下し、3階の職員室の窓を蹴破って中に入る。
まだ数人、髪は元の色がわからないほどに抜いて、顔面や体のそこらかしこにピアスを開けた、似たり寄ったりな連中が酒を飲んで、俺が現れたいきなり現れた現状を理解できず、一瞬間を開けてから叫んだ。
「な、何だお前は!?」
「ちょっ、お、鬼サイボーグ!? な、何でS級ヒーローがこんなところに!?」
もちろん俺はそんな叫びを無視して、手首を回収しながら左手で一番近くにあった机を奴らに投げつけた。
スチール製の机は近くの棚や他の机を巻き込み、派手な破壊音を上げて落下して奴らは沈黙する。
センサーの生体反応に減少はないので、生きてはいるだろうからそのまま奴らは放っておき、俺はセンサーを起動させたまま位置情報を確認しながら職員室を出る。
出る前に、ざっとだが見渡した職員室内、連中が持ち込んだもので何故、奴らがヘラを追う理由を察して、再び奴らを殺そうと誓う。
職員室内に散らばっていたものは、行きがけにでも購入したと思われる酒類、つまみだけではなかった。
デジカメにガムテープ、手錠、そして後は言いたくもない、記憶から抹消してしまいたいもの。
……SNSで堂々と犯罪に誘う女の誘いに乗るほど、こいつらはバカではなかった。
それ以上に、最低な汚物だった。
あぁ、そうだな。エヒメさんを襲えば、彼女自身に非はないのだから勇気さえあれば、戦う意志さえあれば簡単に訴えられる。
そんなリスクのある相手を襲うより、犯罪の共犯を募った奴を襲った方が、向こうにそもそも弱みがあるのだから、泣き寝入る可能性が格段に高い。
SNSに載せていた写真も、顔の大部分を隠していたがそれでも美人だとわかるぐらいの容姿だった。
多少の損得勘定が出来るのなら、エヒメさんよりもヘラを選ぶだろう。
……ただ、わからないのがヘラは何故、職員室に入る前に逃げたかだ。
まぁ、俺には会話がさすがに拾えなかっただけで、外からでもわかるほどに下劣な会話をしていたせいで、自分が募った相手は自分の権力が通用しない鬼畜であった事に気付いただけだろうと、勝手に結論を出す。
そして、その結論が出ると同時に、ヘラと奴を追った鬼畜どもを追う足が急に重くなる。
パーツの不備ではないことは明白。
俺の心に忠実に、俺の全身のパーツが機能を低下させる。
何をしているんだ? と俺が自分に尋ねる。
あの女を助けるのか? という問いに、俺は答えられない。
あいつがエヒメさんにしようとしていたことがそのまま、自分に返ってくるだけ、ただの因果応報だろうと語る自分の声に何も言い返せない。
憎しみの連鎖を断ち切ることなどできない、許すことのできない俺が俺自身に囁き、誘う。
見捨ててしまえと。
それが奴にとって一番ふさわしい罰だと、俺は自分の手を汚さずに、最も憎い女に復讐が出来ると甘言を語り掛ける。
俺は、何も答えられない。
足は粘土質の沼でも歩くように重く、走ることなどできない。
…………なのに、進む。
ヘラは逃げ回っている。そのまま下に、とりあえず1階に降りてしまえばいいものの、パニックを起こしているのか、2階で逃げ回っている。
その方向へ、ヘラの元へ、緩慢だが、あまりに重くて本心ではそちらに向かいたくなどないことなど誰の目からでも丸わかりだ。
それでも、亀やナメクジの方がまだ早いくらいの歩みでも、俺は向かった。
……何故、あの女を助けようとするんだ?
ヒーローだからか?
一番大切な人を今もなお殺し続ける女を助けて、彼女は助けてやらないのか?
彼女を守れも救えもしない「ヒーロー」に、何の価値と意味がある?
自分自身のその問いに、俺は答えられない。
それでも、進んだ。
わからないけれど、心の大部分は自分自身の悪魔に屈しているくせに、屈することなくどうしようもなく残ったたったの一欠片が、俺を動かす。
それは、良心なんかではない事だけはわかってる。
もっともっと単純でバカで、それでも失えない、屈してしまえばもう俺は戻れないほどに大切な理由であることだけはわかっていた。
けれど、俺の歩みでは間に合わないことは明白だった。
向こうから、パニックに陥りながらもここの生徒だっただけあって、地の利があったヘラ自身が、四人の男から逃げて、逃げて、牛歩で階段を降りていた俺の前に現れなければ、間に合わなかった。
同時に、俺がいなければ奴は階段からそのまま一階に降りて、自分の車まで逃げ切ることが出来たかもしれない。
階段の踊り場で、三階から降りてくる俺を見つけ、目が合う。
三日前の、俺より背が低いのにこちらが見下されているような高慢さは面影もなく、見も知らずの男に追い掛け回された恐怖でぐしゃぐしゃの泣き顔で、俺を見上げる。
俺を見てまずは、信じられないと言わんばかりに目を見開き、そして口を開く。
「エヒメは……」
何を言いたかったのかは、わからない。
空気圧縮で撃ち出す音にしてはかなり派手な音と共に、ヘラは「あぐっ!」と短い悲鳴を上げてその場に倒れた。
同時に周囲のガラスも割れ、地面には雪のように白い小さなものが散らばる。
BB弾だ。しかしいくらサバゲー用でも至近距離で撃ったのならともかく、それなりの距離で厚手のコートを着てる人間一人を悶絶させる程の威力は普通はあり得ない。
十中八九、違法改造した物だろう。
廊下から、「やーっと捕まえたよ」「鬼ごっこはもう終わりだぜ、おじょー様?」という下卑た声が聞こえる。
位置からして、俺にまだ奴らは気付いていないらしい。
ヘラは倒れ伏し、泣きながら悶絶し、それでも奴らから逃げよう腕を伸ばす。
這いずってでも逃げようと足掻くその姿を、俺は見下ろして見ていた。
見捨ててしまえと、俺自身が囁く。
俺の心の大部分が、その声に同意する。俺は本心から、それを望んでいた。
奴がどんな目に遭おうが、自業自得、因果応報だとしか思えなかった。
それでも――
階段を飛び降りる。
甚振るために、近寄ってくる絶望を味合わせるためにゆっくりとヘラに近づいて来ていた暴漢どもは、俺が現れたことで職員室に残っていた奴らと同じ反応をする。
「な、何だお前は!?」
「ちょっ、お、鬼サイボーグ!? な、何でS級ヒーローがこんなところに!?」
少し笑えるくらいに同じことしか言わない前列二人を、俺はまず同時に回し蹴りで壁に叩き付ける。
そして悲鳴を上げてモデルガンを掃射する後列の一人は、そのまま真っ直ぐに向かってゆく。
やはり思った通り、違法改造している事は自分の身に受けてよくわかる。至近距離なら体に穴が開いてもおかしくないレベルまで威力を上げて、下手したら本物よりも威力が中途半端な分、拷問に適している悪趣味なものだ。
だが、俺には何の意味もない。
俺は自分に向けられたモデルガンを一閃してブチ折り、紙細工のように壊れたそれを茫然と見ていた男の腹を一発殴りつければ、奴は白目を向いて倒れ伏す。
最後に残った男の持つ武器は小さなナイフが一本。そんなもの、何の訳にも立たないとさすがに察して逃げ出すが、俺はその場から動かず、手首から先だけを飛ばす。
ブーストで勢いをつけた俺の拳を逃げる暴漢の背中に叩き付け、奴はそのままT字の廊下突き当りの壁にめり込んだ。
ワイヤーが手首を回収する。
同時に俺が自分に訊く。
何故、この女を助けた? と。
助けたわけじゃない。助けたかったわけじゃない。と、今度はやけにあっさり答えることが出来た。
そうだ。別に俺はこいつを、ヘラを助けたつもりはない。
……ただ、見えたから。
ただの幻視。俺が「あの人ならこうするだろう」と勝手に懐いているイメージ。
そんな人だからこそ、この女が許せない理由であると同時に、どうしても「見捨てる」という選択を選べない理由。
見えたからだ。
あの深海王の時のように、俺に声援を送ってくれた少女を抱きしめて庇った時のように、あのA市壊滅の時のように、宇宙人をアマイマスクから庇った時のように、倒れ伏すヘラを暴漢から庇うエヒメさんが見えたから。
幻覚でも、幻視でも、そのエヒメさんと俺は確かに目が合った。
声は聞こえなかった。けれど、確かに聞こえた。
彼女は泣き出しそうな顔で、自分の無力さを何よりも悔やみながら、それでも俺に言ったんだ。
「助けて」と。
俺は、ヘラを守ったわけじゃない。守りたかったわけじゃない。
例え幻覚でも、彼女を守りたかった。
彼女に対して胸を張れない自分になんてなりたくなかった。
ただ、それだけだ。
俺は、「エヒメさんのヒーロー」でありたかっただけだ。
* * *
ひとまず、先に校舎内にいた下種どもはこれで全部のはずだ。
そういえば、ヘラが来た後にあと二人こちらに向って来ていたことを思い出し、そいつらは今どのあたりなのかを確認しようと戦闘とも言えないものだったが、一応切っていたセンサーを再び起動させようとした時、俺の手が掴まれた。
掴むと言うよりかろうじて引っかけると言った方が正確な力加減だったが、俺には不快で今すぐに掌のパーツ交換をしたい衝動に駆られる。
俺がその手を振り払おうとする前に、モデルガンのダメージから多少は回復して起き上がり、俺の手を掴んだヘラが言った。
「エヒメは、どこにいるの?」
「はぁ?」
ヘラは、三日前に出会った時の女王然とした容姿も雰囲気もかなぐり捨てて、涙目で、鼻声で叫んだ。
「エヒメはどこなの!? こいつらは何なの!? エヒメにも何かしたの!?
ねぇ! お願いだから教えて! エヒメは、あの子は今どこにいるの!?」
「おい! 何の話をしてるんだ!? SNSでお前がこいつらを誘ったんだろう!?」
俺が言い返すと、ヘラは一瞬だけ目を丸くして答えた。
「……SNS? 何、それ?」
その言葉に、「お前は何を言ってるんだ?」と訊き返すことも出来なかった。
俺の言葉が途切れたら、またヘラは涙ながらに狂乱して叫ぶ。
乱れた髪を振り乱し、逃げ回ったせいでコートもジャージもほこりまみれで、ところどころ破れているところすらある。
手や顔にも小さな傷がいくつかあり、けれどこの女はそれらを一切気にせず、泣きながらやけに古そうな、そして子供っぽいデザインのケータイを握りしめて、訴えかける。
「お願い! 三日前の事は謝るから! 酷いこと言ったのは謝るから、教えて!!
私……止めないと……あの子がまたバカなマネをするのを……止めないといけないの! 今度こそ、あの子を止めないといけないの!! 今度はちゃんと信じるから! 疑わないから! だから……だから!!」
その姿に、連想した。
巨大隕石の時、先生が「いってきます」と言うのを忘れてしまい、そのまますぐには戻らなかったことで、エヒメさんが不安のあまりにテレポートのし過ぎで今にも倒れそうになりながらも、先生を探しに行くと言っていた時を思い出す。
「お願い教えて! 早くしないと、あの子がまた飛び降りちゃう!!」
泣きながらエヒメさんの安否を、彼女の「自殺」を案じて止めようとする女が、今まで俺が抱いていた「ヘラ」という女のイメージを完全に瓦解させる。
そして、弱々しくとも決して俺の手に縋って離さない繊手が、記憶を想起させる。
三日前の、記憶を。
『ち……がう……の……。ヘラは……違う……違うん……です……』
立ち上がれない、過呼吸手前の呼吸で、全身を震わせて俯きながらも、訴えた言葉。
………………まさか!
先生はヘラの名を出した時、「誰だそれ?」と即答した。
先生は、名前を出すなと言った。
町中で同じ名前を聞いただけでも過呼吸になるほどトラウマだからと説明した。
俺はヘラを見て、誰を連想した?
その人物とエヒメさんの仲はどうだ?
寝具に針を埋め込んだ? 誕生部のプレゼントを台無しにした?
そんな自作自演に何の意味がある?
学園の女王がわざわざ、被害者を演じる必要があるか?
ネットに極端に触れさせない学園の方針。その学園におそらく幼稚舎から通っているヘラ。
今、この手に握ってるケータイは何だ?
あいつは、俺になんて語った?
ヘラはなんて答えた?
「何のこと?」ではなく、「何、それ?」だ。
……あの人は、なんて言った?
深海王に立ち向かい、アマイマスクの殺気から戦い抜いたあの人が、トラウマそのものと再会したからと言って、心にもない擁護をすると思っているのか?
そんな訳ないだろ。
どんなに怖くても、それでも、あれだけは言わなくてはならないことだから、彼女は言ったんだ。
エヒメさんは、言ったんだ。
「ヘラは違う」と。
「……バカか、……俺は。……逆、だ」
あまりの自分の馬鹿さ加減に立ちくらみを覚えた。
俺の様子のおかしさに、ヘラの方も少しは冷静さを取り戻したのか、戸惑いながらも狂乱して泣きわめき、すがりつくのはやめて、俺を見上げる。
歳よりもどこか幼い、女王の虚栄が剥がれ落ちた少女に俺は訊く。
「……何が、送られてきた?」
「え?」
訊き返すにヘラに、再度尋ねる。
「お前は……!?」
もうほとんど予測はついている、ただの確認にすぎない問いだったが、最後までは言えなかった。
風切り音もなく、電灯のついていない廃校の闇にまぎれて飛んできた、何の躊躇もなくヘラの首を狙って投擲した刃を俺は掴み取る。
わずかだが刺激臭を放つその苦無なら、ヘラが偶然よけることができてもかすっただけで手遅れだろう。
……それくらい本気で、あいつはこの女を殺しにかかった。
「何のつもりだ? 音速のソニック!!」
ゆらりと、闇の一部が一段と濃くなり、人の形を作る。
「それはこちらのセリフだ。偽善者が」
さて、ヘラをクソ女とか死ねとか思っていた人。
そう思わせるように書いてた私と一緒に土下座しようか。