血まみれの服を脱がせて拭いて着替えさせても、エヒメは全く目を覚まさなかった。
苦しそうだとか魘されてなんかはいないが、別に気持ちよさそうでもなく、マジで「寝てる」としか言いようのない爆睡をしてる。
これ自体には、別に心配や焦りはない。こいつがテレポートのキャパオーバーした時がこんな感じで最低丸一日は寝続けて、起きたらケロッとしてる。
慣れる程の経験はしてねーけど、慌てる程でもない。
……ただ、聞いてねーけど状況からしてこいつがキャパオーバーするほど、テレポートを使ったとは思えないんだよな。
そんでもう一つ、妙に気になることがある。
気のせいだと思う。けど、妙に違和感を覚える。
だから俺はエヒメを布団に寝かせて、電話する。
「フブキ組に入りたくなったら、いつでも連絡しなさい」と言って渡された連絡先、エヒメが「捨てたら失礼でしょ!」とか言って、とりあえず冷蔵庫に張り付けてて良かったわ。
「あら、サイタマどうしたの? ついにフブキ組に入る気になった?」
「いや、ちげーけどちょっと聞きたいことがあるんだ」
開口一番、挨拶もなしにフブキは相変わらずなことを言うから、俺も挨拶抜きで本題に入った。
「お前、自分の超能力以外にも詳しいか? っていうか、テレポートについて何か詳しいか?」
「……エヒメに何かあったの?」
俺の質問に答えず、逆にフブキは訊き返す。当たり前か。そういやこいつにはまだ、ジェノスがエヒメを抱きかかえて帰って来た日の説明をしてなかったな。
「まぁ、色々あったし何か知らん間に解決したと思ったら、またややこしいことになってるんだ。
その説明はあとでするから、とりあえず俺の質問に答えてくれないか?」
長い説明は苦手だからとりあえず後回しにしてくれと頼んだら、フブキも「いいわ」と答える。
「でも私は正直言って、超能力者じゃない普通の人間よりは詳しいかもしれないってレベルよ。
能力がそもそも私とエヒメじゃ別物だし、テレポーターも少しは知り合いがいるけど、エヒメと違って物を数メートル先に跳ばすのが限度だったり、コントロールできず危機的状況とかに陥らない限り発動しなかったりとかで、エヒメの能力に似てるようでたぶん原理が違ってそうだから、参考になるとは思わないわね」
フブキの前置きに、そりゃそうだろうなと納得する。けどそれでもやっぱり、今まで調べもしなかった俺よりは詳しいだろうと思い、フブキに訊く。
「なんかさ、能力の使い過ぎで体重が軽くなるとか、逆に重くなるとか、そういう副作用ってあったりするか?」
「はぁ?」
もうたったの一言で、「訳わからん」という心境をよく表していた。
いや、気持ちはわかるし俺が言った本人だけどさ、そこまで「こいつは何を言ってるんだ?」でいいたげな声を出すなよ。
「……軽くなるのは、まだあり得るかもね。超能力ってたいがいが、脳から精神エネルギーを出して、それをコントロールすることだから。
だから大体の超能力者は、頭というか脳にダメージを負った場合、それが脳震盪とか一時的なものでも回復するまで使用不可か、コントロールが大いに乱れるわ。逆に、一般人が脳にダメージを得て精神エネルギーを放出・コントロールすることが出来るようになった事例も多いわね。
まぁ、そんなんで基本的に集中力がどの能力でも必要だし、脳もたぶん普通の人間が使わない部分まで使用してるでしょうから、使いすぎたらその分カロリーを盛大に消費して痩せるってことは、……あってもおかしくはないんじゃない?
私はそこまで行く前に、脳が自動でブレーキをかけるから経験ないけど。あと、重くなるはちょっとどう考えても理屈が出てこないわね」
思ったより真面目に答えてくれたのはありがたいが、俺の説明が悪くてなんか微妙に今のエヒメの状態にフブキの説明は合わない。
「んー、なんかそういうのじゃねぇっつーか、軽い重いって言うのも何かマジで体重が重くなってる、減ってるとかじゃないんだよ」
「はぁ? 余計に意味わからないわよ」
だよな。
「俺も意味わかんねーよ。何て言えばいいのか……エヒメ、テレポートするとどんどん疲れがたまっていって、それが限界を迎えたらそのままぶっ倒れて丸一日くらい目が覚めないんだ」
「あぁ、前に本人から聞いたわ。けど別にそれは珍しくないわよ。体力の代わりに精神力を使うから、限度を超えたら電池が切れたみたいに倒れて泥みたいに寝るはよくある副作用で、それ自体は別に心配するようなものじゃないわよ」
「あー、俺もそこは心配してねぇ。よくあることだってことは知らんかったけど、もう何度か経験してるからな。
……でもな、今もそんな感じで寝てるんだけど、何かいつもと違うんだよ」
電話で説明をしながら、横で眠るエヒメに目を向ける。
息はしてる。顔色も悪くない。寝返りも寝言も言わないけど、これはいつもこんなもんだ。
手首を持ち上げてみたら、脈も普通にある。
いつもの、キャパオーバーした時と変わらない寝方だ。今までの経験上、心配する必要はないはずだ。
……だけど、違和感がまとわりついて離れない。
「なんかさ、いつもならキャパオーバーでぶっ倒れた時、別にこいつが太った訳じゃないのにやたらと体が重く感じてたんだ。意識を失った瞬間、ずんって一気に重くなるような気がするんだ」
「それも別に、超能力者とか関係なく普通じゃない?
人間に限らず生き物なら、抱きかかえられる時とかは相手や自分の負担にならないよう、重心とかを無意識に考えて体を任せるから、意識を失って全身が弛緩してる状態だと、相手からしがみついてくれるとかしてくれないから、同じ体重でも体感的に重くなるはずよ」
それも原理はよくわかってなかったけど、そういうもんだとくらいに理解はしてた。
別にエヒメに限らず、気絶してる人間と意識が多少でもある人間とじゃなんとなく重さが違うなーと思ってたし。
だから、なんとなく重く感じる程度なら何も気にしなかった。いつも通りだと思った。
「……じゃあ、軽く感じるって場合はあるのか?」
俺の問いに、フブキは何も答えなかった。「はぁ?」という声すら上げず、何かを電話の向こうで考え込むような息遣いだけが聞こえる。
「なんか今日のエヒメは、いつもと違って『軽く』感じたんだ。きっちり体重測ったわけじゃねーし、そもそもこいつの正確な重さなんか知らねーけど、体重がガチで減ったとかじゃないというか……あー、もうなんていえばいいんだろうな」
ただでさえ長ぇ話も分かりやすい説明も苦手だっつうのに、俺がそもそも訊きたいことをどう説明したらいいかわからなくて、頭をぼりぼり掻き毟る。
「なんかいつもが水を吸ったスポンジなら、今はカラカラに乾いたスポンジというか……中身がないような気がするというか……」
「意味わからないわよ、サイタマ。中身って何よ中身って、まさか魂が抜けたとか……」
俺が何とかわかりやすく例えようと頭をひねらせて選んだ言葉を一刀両断したかと思ったら、フブキがまた黙った。
「フブキ?」
声をかけると少し間をおいて、フブキは答えた。
「……サイタマ。かなり突拍子がないけど、ちょっと説明がつく仮説が浮かんだわ。
エヒメ、本当に魂が抜けてるのかもしれないわね」
「はぁ?」
今度は俺が、「意味わからん」と「何言ってんだこいつ?」を代弁した声を上げた。
「もちろん、本当に幽体離脱してるとは思ってないわよ。私、幽霊とかそういうのは信じてないし。
でも超能力は脳から精神エネルギーを放出して、それをコントロールするのが基本って、初めに言ったじゃない?」
「あぁ。そうだな」
俺の反応にフブキが少しムキになったような声をあげて補足する。
とりあえず俺の方も、余計な口は挟まずにフブキが思いついた「突拍子のない話」をまずは聞いてみることにする。どんなに突拍子がなくても、そもそも体重変わってないはずなのに妙に軽いって突拍子のない事態が起こってるんだから、結論もそりゃ突拍子がねーだろう。
「この『精神エネルギー』は、正確には何なのかはわかっていないわ。これをそれこそ『魂』と仮定したら、私たち超能力者は体から自分の魂の一部を引きずり出して、私やお姉ちゃんみたいな念動力ならそれを手足として自由に操ってる、千里眼とかなら目の機能だけ遠くに飛ばしてるってことになるわ。
ここまではOK?」
「まぁ、なんとなくはわかる」
フブキの確認に頷く。というか、初めの超能力の説明より、こっちの方がイメージしやすくて納得も出来た。
「そう。で、エヒメの能力って基本的に『自分が逃げる』事が主体だから、自分が触れてる物や相手も一緒に跳ぶはついでなんだっけ?
あの子、能力が目覚めた初めの頃とかって、服もちゃんと一緒にテレポートしてたの? 理屈の上じゃ、裸になってもおかしくないわよね?」
「ん? いや、さすがにマッパになった事はないけど、そういや初めの頃は上着とか靴とかだけが一緒に跳ばないで、その場に縄ぬけした後みたいに残ったってのがよくあったな」
いきなり話が変わったことに首を傾げながら、俺は答える。
そういやあったな、そんなこと。たぶん初めの頃のあれは、あいつの肌に直接触れてるかどうかが一緒に跳ぶ条件だったんだろう。
「そう。……それで話が戻るんだけど、超能力者の基本が本来なら体の内側から出ることがない、もしくは微弱に出続けてるけどコントロールのしようがない精神エネルギー、『魂』を自分の意思で出し入れしてコントロールすることなら、エヒメの能力も基本中の基本である基礎は、『エヒメの体がどこかに跳ぶこと』じゃなくて、『エヒメの魂だけがどこかに跳ぶこと』になるんじゃないかしら?
どういう事情でそうなったかはわからないけど、初めの頃の上着や靴だけ残されて跳ぶのと同じように、コントロールが上手くいかなくてその子、体を持っていき忘れてテレポートをしてるんじゃないか……って言うのが、私の仮定なんだけど」
んなアホな……と切り捨ててやりたい話だったけど、言われてふと思い出した話がある。
たまーにエヒメが話す夢の話だ。
「……そういや、たまにこいつ変な夢見たとか言う時があるわ。幽霊みたいに自分が誰にも見えない声も聞こえない、壁とか自由にすり抜けられる存在になって、知らない場所をフラフラ好きに歩き回るだけなんだけど、妙にその夢の場所とかがリアルだとかなんとか言ってたわ。
……しかもその夢、テレポートが使えるようになる前によく見てたとか」
「……それ、体を持っていける程のパワーやコントロールがなかっただけで、その頃既に能力が目覚めてたんじゃない?」
だよな。
俺が想像した通りの事を、フブキがまとめてくれた。
つーかマジでその説明だと、他のも色々と説明がつくんだよ。
状況的にむしろテレポートを使っていなかったはずなのに、キャパオーバーみたいな状態になってるのも、体を持っていき忘れてどこかをこいつがウロウロしてるんなら、そりゃ突然ぶっ倒れてこうなるわ。
体が重く感じるのは、最初にフブキが言ったように体が完全に弛緩してるからなだけの可能性が高ぇけど、今の軽く感じるのはそれこそ物理的じゃねぇけど、体の中にあるはずのものがないからだ。
……このアホ妹、どこに行きやがったんだ!?
どこまでも斜め上の行動ばっかとって、全然大人しくしていないこのアホを心の中で怒鳴りつけて、溜息をつく。
「あー、納得したわ。フブキ、たぶんマジでそれ当たってるぜ」
俺に言葉にフブキは少し嬉しそうに、「そう?」と言ってから、一度気を取り直すように咳をして「それで? 何でそんなことを訊くような状況に、エヒメはなったの?」と訊いていた。
いきなり訳わかんねー質問をしたし、エヒメの事をマジで心配してくれてんのはわかってるから、俺としてはちゃんと答えるつもりだった。
「悪い、フブキ。説明はちょっと待ってくれ。また後でかけ直す」
電話口の「え? ちょっと! 待ちなさいよ!」という声を無視して切る。
悪い、フブキ。ちょっとこっちを片付けたら、すぐに連絡するわ。
「で、さっきから何の用だよ、ソニック?」
俺は振り返ってベランダに顔を向けると、確かに鍵をかけて閉めてたガラス戸が開き、私服からいつものやたらぴっちりした服に着替えたソニックが入ってきた。
おい、土足で上がんなよ。
* * *
「安心しろ。今日はお前を殺しに来たわけではない」
土足で人ん家に入ってきても悪びれず、薄ら笑いを浮かべながら別に初めから心配してなかったことをソニックは言い出す。
「逆に今日もいつものように殺しに来たとか言ってきた方が、いっそ尊敬するわ」
もう土足で上がんなとか、いい加減諦めろよというのもバカらしく、素直に思ったことを口にしたら、それが気に入らなかったのかソニックの顔から薄ら笑いが消えて、苛立ったような顔になる。
「……貴様は本当に、面の皮が厚くて実に『ヒーロー』向きだな」
「はぁ?」
一度鼻を鳴らして言ったソニックの言葉が皮肉であることくらいは理解できたが、いきなりなんでそんな皮肉を言われなくちゃなんねーのかわからなくて、フブキの突拍子のない仮説を聞いた時と同じ声が上がる。
それもまたソニックは嘲笑する。
俺が自分のバカさ加減に気づいていないことを嘲って、苛立って、八つ当たりのように叫んだ。
「自分の妹よりも他人を優先して、自己満足の為の『ヒーロー活動』は楽しいか? 肝心な時に傍にいることさえも出来ず、傷つけ、奪われて、その残骸を回収することしか出来ていない分際で、それでも貴様は正義だのヒーローだのよく名乗れるな」
……反論する気はなかったし、出来る部分もなかった。
ソニックの言うとおりだ。
俺はあいつも守りたい、大事にしたいと思いながら、悲しませたくないっていつも思っているくせに、いつだって優先するのはエヒメじゃなくて他人、そして俺自身だ。
守りたいのも、悲しませたくないのも、結局突き詰めて考えればエヒメの為じゃなくて、俺の為だ。
俺が怪我したあいつを、泣くあいつを見たくないだけにすぎない。
そうやって他人や自分を優先して、あいつの側から離れて、あいつを見てやれなくて、あいつは何度だって怪我をして、たくさん嫌な思いをして、あらゆるものを奪われて、俺がしてやれることはかろうじて残ったものをこれ以上奪われないように、壊されないように回収することしかしていない。
守れてなんかいない、ソニックの方がよっぽどエヒメを守ってくれたことなんかわかってる。
だからこそ黙って聞いていたのに、ソニックは相手にされていないとでも思ったのか、こめかみに青筋を浮かべて、一気に距離を詰める。
俺は、動かない。
ただ眼だけでソニックの動きを追う。
ソニックは俺の首に刃物、なんか忍者がよく投げたりして使うクナイってやつを突き付けて、俺に言う。
「いらんのなら、俺によこせ」
何を? と尋ねる必要はない。
俺の後ろでのんきに魂はどっかをうろつき、体は寝てるアホのことを言ってるのはわかりきってる。
「貴様らのような正義ごっこにうつつをぬかし、優先順位を間違えて、結局何も守れない愚か者に奪われ、壊されるのは業腹だ。
貴様らが壊すくらいなら、守る気がないのなら俺によこせ」
……それも、もしかしたらいい選択かもしれないと思った。
「ヒーロー」を選んだ俺やジェノスには出来ない、多くの他人や世界そのものよりたった一人をしがらみなく優先して守れる、怪人ではなく普通の人間を躊躇なく殺せるこいつの方が、今日のようによっぽど俺らなんかよりもエヒメを守れる。
少しだけ、そんなことを考えた。
「やらねぇよ」
考えただけだ。了解することなんか欠片も頭に浮かびもしなかったくせに、ただ無意味に考えて、俺は首に突き付けられたクナイを掴む。
本気で突き刺す気なんかなかったのか、ソニックはクナイを俺に掴れたら素直にそれを離して身も引いた。
「いらん訳ねーだろ。こいつが自分の意志で誰かを選んで、俺から離れるんなら俺は何も言わねぇ。そんな資格も権利もない。こいつが幸せになれるのなら、誰だっていい。
だからこそ、俺が勝手に誰かにやる気もねぇ。
俺はお前の言うとおり、自己満足で、趣味でヒーローやってる。いつも優先順位を間違えて、こいつに限らず守りたいものを守れなくって後悔は山ほどしてきたよ。
……だからこそ、妥協はしない。俺は何度間違えても、何度失敗しても、それでもヒーローを続けるし、こいつが俺の側がいいっていうんなら、絶対に手放さない。そうしないと、それこそ俺はこいつを傷つけて、守れなかった過去の意味がなくなる。
後悔して挫けて立ち止まって、そんなことして傷ついて守れなかったエヒメが救われるか? そんな訳ねぇよ。
俺はエヒメを守れなかったし、傷つけたし、救えなかったからこそ、立ち止まる訳にはいかねぇ。こいつが言った『私のヒーロー』を、俺がもう後悔したくないからなんて理由で諦めてたら、それこそエヒメが傷ついたことも無意味になる。
だからやらねーし、ついでに言うとヒーローだってやめねぇよ」
ソニックの皮肉に、俺はもはや開き直った。
だってしょうがねーだろ?
俺が辞めたくなくて、エヒメも、どんだけ傷ついても、俺がバカやって泣かせても、それでもあいつ自身もやめてほしくないって願ってくれてるんだ。
お前がたとえ、エヒメの為を想って俺に「ヒーロー」を諦めさせようとしてたんだとしても、やめねぇよ。
趣味だからこそ、好きでやってるからこそ、……あいつを守りたいのは義務とかそんなんじゃなくて間違いなく俺の意志だから、好きでやってることだからこそ、絶対に妥協も諦めも出来ねぇんだよ。
しばらく、俺とソニックは狭い部屋の中で睨み合っていたけど、ソニックの方がまたバカにするように鼻を鳴らして、睨み合いは終わる。
「勝手にしてろ。俺には何ら関係ない。
……貴様の意思も、そこで寝てる阿呆の意志もな。俺が欲しいと思ったのなら、勝手に奪うまでだ」
そう言って、ソニックはベランダに出る。帰るのかよ。
……お前、何しに来たんだよ。俺に喧嘩を売りにというより、いっそ「妹さんを俺にください!」って言いに来たも同然だったぞ。殺伐しすぎで、しかも俺どころかエヒメの意志も無視してたけど。
「ソニック、お前さ、エヒメのことが好きなのか?」
思わず、今更なことを尋ねてしまった。ぶっちゃけ気づきたくなかったし、ジェノスとは違って素直に認めるとは思わなかったし、何よりエヒメに執着してるのは間違いないけど、恋だとか愛だとかそういう感情とは限らなかったから訊きたくなかったけど、なんか思わず訊いてしまった。
……執着してるのは知ってたけど、まさか俺にはっきりと「よこせ」というほどだとは、思っていなかったからかもしれない。
ソニックは振り返り、鼻で笑った。
「貴様は実にバカだな」
その返答は予想通りだった。
「貴様は、好きでもないものを欲しがるか?」
続けられた言葉は、予想とは真逆で思わず俺は眼を見開いた。
予想外に素直な言葉、俺の問いを肯定する質問返しに驚いていたら、そんな俺をバカにするように薄ら笑いを浮かべながらソニックはベランダから飛び降りて、そのままどっか行った。
……マジであいつ、何しに来たんだ?
まぁ、いいか。
なんだかんだであいつとの問答で、最近頭の中でごちゃついていた考えに整理がついた。
あぁ、そうだ。
3年前のことを後悔するのはバカらしい。どうやってももうその頃には戻れないんだ。もう俺は、ヒーローという道を選んでここまで来たんだ。
あいつをたくさん泣かせてまでして選んで、ここまで来たのに今更になって「やっぱやめる」と言ったら、それこそあいつは何のために泣いたんだ?
例え結果として俺がこのままヒーローを続けていくよりもやめた方が、あいつが泣かなくなって、傷つかなくなって、幸せになれるとしても、あいつが過去に傷ついて泣いて、救われなかったことには変わりない。
その変わりない過去の行きつく先を、「エヒメの所為で夢を諦めた」なんて結末にするわけにはいかない。
たとえどんなに遠回りでも、俺は「エヒメが幸せになった」って結末にしなくちゃいけないんだ。
そもそも俺はその為に「ヒーロー」を目指したんだ。妥協して諦めたらそれこそ、本末転倒だ。
「……だから、悪いな。エヒメ」
眠るエヒメにそれだけ声をかけるけど、相も変わらず何の反応もしない。
……本当にマジでお前は今、どこにいるんだよ?
逃げたかったのか、それともまた変な暴走を起こしたのかしらねーけど、早く帰ってこい。
これからもまだまだ、傷つけて泣かせるダメなヒーローでダメな兄ちゃんだけどさ、絶対にお前が幸せで笑って終わる結末を作るから、そこにたどり着いて見せるからさ。
だから、早く起きろよ。
目が覚めて俺がいなくちゃ、お前は不安がるだろ?
起きるまで傍にいてやるから、だからさっさと起きろ。
さっさと起きてそんで、お前の「敵」を倒しに行こう。
そんなことを考えながら、エヒメの寝顔を俺は眺め続けた。
フブキに連絡するってのは、すっかり忘れていた。マジですまん。
* * *
真面目だから法定速度はきっちり守っていたけど、それでも出していいぎりぎりの最高速度で乱暴に運転を続けて、たどり着く。
お兄ちゃんが半年くらい前に倒した巨人の所為で壊滅して、未だ復興が進んでいないB市。
巨人が倒れこんで、建造物が何もかも倒壊した地域からギリギリ外れてはいるけど、それでも近隣地区だから巨人が倒れた衝撃の地震で、倒壊こそはしなかったというレベルの被害を受けた建物。
……私たちの母校だ。
確か警報が出てたおかげで、生徒や教師の避難は済んでいたから犠牲者は出ていない。
けど、建物そのものの被害が大きく、もともと古い学校だったから、そろそろ改修か建て替えかという話が出てたので、これを機に全然別の場所に学校を建て替えたというのを、最近知った。
ヘラたちと再会してから、前に進もうと決めたから、ようやく勇気を出して調べた結果だ。
知った時、なんだかんだでものすごく寂しく感じた。
この場所は……決して悪い思い出ばかりではなかったから。
楽しかった記憶も、間違いなくあった場所だったから。
ただヘラにとってはそうではないのか、彼女は乱暴に車を止めて、コートのフードを被って車から降り、ほとんど叩きつける勢いでドアを閉める。
カギはかけないで、そのまま廃校になった赤煉瓦造りの豪奢な洋館にも見える校舎内に、早足で向かっていった。
カギはかける必要がないと思ったのか、それともそんなことも思いつかないほどにあせって急いでいるのか。
ただ彼女は、ケータイを握りしめて、唇を噛みながら呟いた。
「……許さない。絶対に、許さないんだからね。エヒメ」
私が傍らに居ることなんか気づかず、彼女は私を「卑怯者」と言った時の顔で呟き続ける。
「またバカな真似するんじゃないわよ。……絶対に、許さないんだから!」