むせ返る血臭。
壊れた人形のように散らばる、人だったものの残骸。
その中心に悠然と立つ、返り血を一滴たりとも浴びていないのに死体よりも濃い死の匂いをまとった男。
その腕の中に彼女はいた。
全身が血で汚れ、青白い顔は目を伏せて、ピクリとも動かずに。
生きてなど、いないかのように。
* * *
怪鳥は強さだけで言うなら、俺一人でも倒すことができた。
というより、あの怪鳥が災害レベル“鬼”認定されているのは、強さそのものよりも嘴に強力な毒を持つ特性上からの認定らしく、生身ではない俺にとってそれは何ら脅威にならない敵だったが、俺の戦闘手段と場所、そして相手が「鳥」だということが最悪だった。
的としてでかいので焼却砲で焼き尽くすのは容易かったが、先生と初めて出会った時の蚊とは違って市民の避難が完全には出来ていない市街地で空を飛びまわる鳥を燃やしたら、火だるまのままどこに墜落するのかはわからない。
最悪は俺の所為で街一つが壊滅する可能性もあったので、俺は先生が来るまでの時間稼ぎに集中するしかなかった。
先生が俺の元に援護に来てくれたのは、俺が戦いだして5分もかからなかっただろう。
先生の傍らにエヒメさんがいないのは、先生が危ないから避難していろと彼女に指示を出したからだと信じて疑わなかった。
……怪鳥をいつも通り一撃で体に大穴を開けて倒した先生に、「エヒメはどうしたんだ?」と訊かれるまでは。
先生は、エヒメさんと会っていなかった。
ただ俺が言った通り駅の方に向かって怪人を探して倒した後、ついでにと思って怪鳥の方にやってきただけだった。
エヒメさんがテレポートで先生を呼び、援護に来てもらうはずだった、そのつもりであのスーパーの近く、人波に流されてしまわないように建物と建物の間の裏路地まで連れてゆき別れたことを説明しながら、その裏路地に先生と戻ったことは言うまでもない。
……そこで見た光景は、あまりに凄惨な地獄絵図。
その中央で俺にとっての何よりも忌々しい怨敵の一人が、彼女を抱きかかえていた。
今すぐにでもその両腕をもぎ取ってエヒメさんを奪い返し、骨も残さずに焼却してしまいたかった。
しかし奴は、俺や先生が何かを言う前に、こちらを嘲笑しながらほざいた。
「感謝しろよ。貴様らがくだらない『ヒーロー活動』をしている間に、貴様らにとって『ヒーロー活動』より大事じゃないこいつの命をまた、守ってやったんだからな」
「意味の分からない戯言をほざくな! 貴様、エヒメさんに何をした!? 今すぐにその人を離せ!!」
焼却砲を構えながら叫んだ俺の言葉も奴は鼻で笑って、エヒメさんを抱きかかえたまま代わりに足元に転がっていた腕をこちらに向かって蹴り飛ばした。
抜身の出刃包丁を握りしめた女の腕が、俺と先生の足元に転がる。
「……ソニック、何があったんだ? エヒメに怪我はないのか?」
俺がその腕の意味を、この死体はいったい何をしていたのかが理解できずに情けなく困惑するしかなかった中、先生は冷静に淡々と目の前の男に、ソニックに問う。
いつも以上の無表情に感情が見当たらない声音だからこそ、この人の胸の内に怒りが満ちて荒れ狂い、それを必死で押さえつけていることはわかった。
ソニックの方もそれが分からぬほど愚かではなかったらしく、怯えるように身をわずかに引くが、それでも奴の唇は嘲りに歪めたまま動く。
「少なくとも、俺はこいつに何もしていない。今も寝てるだけだ。
というか、なんなんだこいつは? 誇張なく言葉通りいきなりぶっ倒れて寝たぞ。ナルコレプシーか何かかなのか?」
寝ているという言葉でようやく彼女の胸は上下している、確かに呼吸をしていることに気付いてわずかながらに心に余裕が生まれたが、彼女にそんな睡眠障害などないことは今までの付き合いで断言できる。
奴の言葉を信じても信じなくても、彼女が急に気絶した原因はどう考えてもソニックであることに疑いを持たなかった。
「ふざけるな! 貴様の言葉を信じたとしても、どう考えても貴様のしたことが原因だろうが! この惨状をエヒメさんの目の前で引き起こしたのは、貴様だろうが!!」
一生肉が食べれなくなってもおかしくないこの殺戮を、エヒメさんの目の前で犯したことが許せなかった。
ただでさえ傷だらけの心に新たな傷を刻み付けておきながら、いけしゃあしゃあと「守った」などとほざく奴を、許すことなどできなかった。
……それは、奴の方も同じだとは俺には気付けなかった。
「……貴様が、それを言うか? 大口だけ叩いて結局は何も見えていない、何も守れない無力で無能なクソガキの分際で、それを言うか?」
嘲りが消える。
代わりに浮かび上がったのは、青い焔のような冷たい印象を持ちながらも何もかも焼き尽くすほどに高めた灼熱の憤怒。
その侮辱の言葉に当然こちらもさらに怒りの熱が高まるが、同時に奴の唐突な変化に若干困惑する。
「どういう意味だ? ソニック、マジで何があったんだ? こいつらはエヒメに何をしたんだ?」
先生が一触即発状態の俺とソニックの間に入り、再び問う。
先生の方も、奴の様子の変化に少し困惑しているのが隠しきれていなかった。
ソニックは先生の問いに答えず、エヒメさんが気を失いながらも握っていた彼女のケータイを手から抜き取って、それを先生の方に投げつけた。
「それを見れば、『誰』が『元凶』なのかわかるんじゃないか?」と、こちらを見下しながらも憐れむように、奴は言う。
意味が何も分からなかったが、先生は困惑しつつもケータイの中を見て、そして目を見開いた。
「!?」
後ろから覗き込んだ俺も、そこにあるもの、書き込まれている言葉に、絶句する。
画質は荒く今よりかなり幼いが、エヒメさん自身の写真が顔に何の加工もせず公開されて、彼女の過去が最悪かつ醜悪な方向に誇張されて、書き込まれているネット掲示板。
本名は晒されていないが、それはエヒメさんに関する事柄を中心に調べても検索に引っかからないようにするための小細工でしかない。
「見つけるのは簡単だったぞ。彗星のごとく現れた、期待の新人S級ヒーローには熱狂的なファンが多いからな。
愛されてるな、『鬼サイボーグ』」
厭味ったらしく奴は俺をヒーローネームで呼ぶが、何も反論は出来なかった。
警戒した。できる限り情報収集をして、対策も取った。考えうる限りの可能性を考えて、行動に移していたつもりだった。
……俺はあまりも愚かだ。
俺が原因で、俺に話しかけてきたことがきっかけで再会してしまったというのに、どうして俺に関連するものを調べなかった?
俺に彼女はもったいない、俺ではエヒメさんには釣り合わないという意識が、盲点となって最悪の裏目に出た。
実際はどうであれ、客観的に見て年の近い男女が一緒にいれば、まず思い浮かぶ関係は恋人だ。
そして俺は、俺にとってどうでもいい他人から見て、俺自身はどう思われるかなど気にしたことがない。俺の外見だけが好きなら勝手に好きでいればいいし、幻滅したのなら勝手にしておけばいいとしか思わない。
自分に人気があるかないかなど、気にしたことなどなかった。ストーカーじみた手紙をもらっても、「読まなければ良かった」以上の感情を抱いたことがない。
……ファンとはもはや言えない、ストーカーじみた存在を認知していながら、俺はその存在に危機感を抱いていなかった。
エヒメさんと「恋人」になりたいと強く望んでいたが、それは今の自分ではありえないことをよくわかっていたからこその願望だ。他人から見て自分たちが、俺の望み通りの関係に見えるのが自然だとは思えなかった。
何度か俺のファンだと名乗る連中がエヒメさんに対して失礼な対応をしたことがあったのに、それでも無意識に自分がそこまで執着されるほどではないと思い込み、有り得ないと可能性から外していた。
俺の所為でエヒメさんが嫉妬されるなんてありえないと、俺は愚かに思い込んでいた。
「自分のストーカーの存在に気づきもせず、こいつ一人をわざわざ人目につかない、襲いやすい場所に置きざって赤の他人を助ける。ずいぶんと楽しそうな『正義ごっこ』だな。ヒーロー」
ソニックの皮肉に、嘲弄に、蔑みに、何も反論できない。
どうして俺は、こんな逃げ場のない場所に彼女を置き去りにした?
包丁などを持ち歩いていたということは、ある程度は計画したうえでの行動だ。どこかでつけられていると気づけても、よかったはずなのに。
怪人が出て周囲がパニックを起こしていたが、何の言い訳になる?
一歩間違えたら、一瞬でも奴が、ソニックがエヒメさんを見つけるのが遅ければ、こいつが気まぐれを起こさず助けようと思わなければ、ここに散らばり転がる肉片はエヒメさんだったかもしれないというのに!!
「…………だいたい、何があったかはわかった。まぁ、ありがとなソニック。そんで、とりあえずエヒメを返せ」
一通り目を通した先生が、また感情が見当たらない淡白で平坦な口調で言った。
エヒメさんのケータイを握りつぶすことで何とか怒りを押さえつけ、ソニックに妹を返すように要求する。
先生の要求に一度ソニックは鼻を鳴らしてから、物のようにエヒメさんを投げ渡す。
乱暴に放り投げられても、エヒメさんは起きる様子もなく、声も上げず、ただ静かに眠り続けて先生の腕の中に納まった。
先生は血にまみれたエヒメさんの体を抱きかかえ、抱きしめる。
ソニックは何もしていないと言っていたが、よく見れば頬は殴られたのか赤くはれており、髪や服も大きく乱れている。
今更、奴がエヒメさんに危害を加えたとはさすがに思わない。今、この場に散らばる残骸どもが行った、暴行の跡であることは明白だ。
「先生、エヒメさんは……」
「ジェノス」
俺の言葉をさえぎって、先生は言った。
何よりも大切な妹を、この世のすべてから守るように、誰にも触れさせないと誓うように抱きしめ、抱きかかえて、振り向きもせずに語る。
「……悪い。お前の所為じゃない、お前は悪くないってのはわかってるんだ。お前に責任なんかねーよ。お前だって被害者だ。お前は、悪くない。わかってるんだ。それはわかってるんだ!
……けど、今は、今だけは何も言うな。……お前は悪くないってわかっていても、八つ当たりだってことはわかっていても、それでもぶつけてしまいそうなんだ」
……いっそその怒りのままに、ありとあらゆる罵詈雑言でも、世界の滅亡さえも危惧する拳でもぶつけて欲しかった。
しかし先生の尊い人間性がそれを許さず、俺を悪くないと語り、憎悪も何もかも自分一人で抱え込んで、俺には何も渡してなどくれなかった。
それこそが俺にとって一番つらく、残酷で過酷な罰であることなどきっと先生は知る由もないだろう。
エヒメさんを先生に投げ渡したソニックは、ご自慢のスピードを強調して去りはせず、むしろ異様に緩慢に歩いて、先生と俺の横を通り過ぎる。
すれ違いざまに奴は言った。
「『6月』に心当たりはあるか?」
「はぁ?」
あまりに唐突な問いかけに素で声をあげると、奴は振り返りもせず、やはり緩慢に歩きながら言葉を続ける。
「エヒメの『敵』の名だ」
……何のつもりで奴が俺と先生に尋ね、同時に教えたのか、その意図はわからない。
ただ、あまりに愚かでうかつな自分と、卑劣な手段に頭が沸騰して見逃しかけていた情報……、エヒメさんの個人情報を掲示板でばらまいていた奴の固定ハンドルネームが「6月」であったことを思い出し、頭の中に刻み付ける。
奴を許す日など訪れず、いつか必ず俺の手で殺すと決めていることに変わりはないが、偶然でも気まぐれでも今日、奴がエヒメさんを見つけてその命を救ったこと、そして見逃しかけていた情報を提供したことに関しては素直に感謝しよう。
ソニックがその場から完全に立ち去った後、目覚めないエヒメさんを抱きかかえる先生に、俺は声をかける。
「……先生。この場は俺がなんとしますから、エヒメさんを連れて帰ってください。その返り血でこの場にいれば、彼女が疑われてしまいます」
「……あぁ。……頼む」
先生の返答はソニックの歩みと同じく緩慢だったが、エヒメさんを抱きかかえ、建物の屋上まで駆け上がってそのままビルとビルの屋上を飛び交って、彼女が人目にさらされないように去ってゆくのはあまりに俊敏だった。
俺だけが、肉片とともに残された。
早く行動に移らなければと思いながらも、俺のケータイを取り出す動きも先生やソニックのことを言えないくらい緩慢だった。
全員、その理由は同じだろう。
胸の内の滾る憎悪を押さえつけることに精一杯で、どうしても動きが緩慢になった。
まだ、この憎悪を爆発させてはいけない。
これをぶつける相手は、決まっているのだから。
* * *
「……削除依頼は出して即刻削除もしてもらいましたけど、やっぱり痛いですね。3日間も執着して情報を出されていたのは」
「……すまない。完全に俺のミスだ」
ソニックの起こした惨劇を何とか警察に誤魔化して伝えて、事情聴取から解放されてすぐに俺は童帝と連絡を取った。
ソニックの為ではなくエヒメさんの為に、自分は死体をただ見つけただけと言い張り、先生が初めに退治した怪人がちょうど似たような殺し方をするタイプだったので、それに襲われたのだろうと判断されて、俺の証言はあっさりと信じられてすぐに解放された。
真犯人を知っていながらそれを庇う真似をしたことに良心は痛むが、ネットの情報に踊らされて人を傷つけ、殺すことも厭わなかった奴に同情するのはバカバカしいと同時に思う。
遺族もそんな逆恨みの返り討ちにあって死んだよりも怪人による殺人、自然災害のような防ぎようのない出来事で死んだと思った方がマシだろうと自分に言い聞かせ、俺はこの出来事を頭の隅にまで追いやった。
……決して忘れられない俺の罪であることはわかってる。
けれど今は、それに目を向けている余裕などない。
電話で童帝に、奴らのSNSを探してくれと頼んでいたがそれは見当違いだったことを伝え、そしてエヒメさんの晒された情報を出来る限り消してくれと頼めば、さっそく手を打ってくれたが、わかっていたがネットで一度公開された情報を完全に消すことはできない。
「……別にサイボーグさんが罪悪感を背負う必要はないと思いますよ。僕だって『そっちか!』って思ったし、やっぱり晒されてる情報は古くて名前や住所とかは晒されていないから、少し時間をおけば風化しますよ」
童帝の慰めの言葉を、「そうだな」と実に適当に返す。
確かに理屈ではそうだ。ネットの情報量はあまりに膨大だからこそ、長くても数カ月もすれば埋もれて風化して、誰もが忘れ去る。
が、決して本当に消え去りはしないのが、ネットの特性だ。
掲示板のレスを削除しても、それを見た人間の記憶を消し去ることは出来ず、写真はデータフォルダに、内容はコピーしてメモ帳にでも保存してしまえば、また新しくどこかで面白おかしく晒されて、利用される可能性は低くないし防ぐこともできない。
俺たちは相手に先手を許した時点で、完全敗北していた。
「……すまない。迷惑と面倒だけをかけたな」
「それは別にいいんですけど……サイボーグさん、お願いですから先走らないで下さいね」
俺の謝罪に、童帝の方が年上のように落ち着いた様子で俺をなだめた。
「……何の話だ?」
「おねえさんをいじめた人だからって、そのヘラって人のところに殴り込みに行かないで下さいよって言ってるんですよ。
気持ちはわかりますけど、僕だってできるんなら今すぐに最強装備一通りそろえていきたいくらいですけど、相手は社会的にだいぶ力がありますし、ヒーロー協会のスポンサーもやってますから上層部に顔も効くはずです。
なので、何の証拠もなく相手を痛めつけたら、鬼サイボーグさんや僕自身に社会的制裁を落とされるならまだマシですよ。それこそ、またエヒメおねえさんが狙い撃ちで、今度こそ社会的に抹消されかねませんから、……行動に移すなら慎重にお願いします」
俺を止めるのではなく、ばれないように、もしくは大義名分を作ってからやれという発言に、わずかだが強張っていた顔が緩む。
「……あぁ。肝に銘じておく」
俺は改めて礼と詫びを入れて電話を切り、目の前のモニタを睨み付ける。
童帝の発言でわずかに緩んだ顔が、再び憤怒に歪むのを感じる。
短い事情聴取を終えてすぐ、俺は近くのネカフェに入りPCを操作しながら童帝と会話していた。
ソニックから告げられた「敵」。エヒメさんの情報をばらまき、俺のストーカーを煽って彼女を傷つけ、殺すことも厭わなかった「6月」という名。
「6月」と言われただけではさすがに意味不明だったが、それがあの掲示板に写真と情報をばらまいていた奴の固定ハンドルネームなら、心当たりは簡単に浮上した。
まぁ元々、全寮制の学校で中学生の頃のエヒメさんの写真を持っている奴という時点で容疑者など限られている。
どう考えてもあの女の……ヘラの仕業としか思えなかった。
……けれど同時に、もう一つの心当たりを、可能性を俺はその名前に見出した。
その心当たりを探るため、俺は電話をしながらまたSNSをひたすら探していた。
そして……候補は少なくはなかったが、ここ最近頻繁に書き込み、投稿をしているせいか検索上位に上がっていた為、思った以上に早く見つけることが出来た。
……「ヘラ」はミラージュが語ったように、ある神話に登場する女神の名だ。
そしてその神話は、近接する他の地域の神話とあまりに似た系統の話や性格、見た目なので同一視されている神が多い。
例えば、最高神「ゼウス」と「ユピテル」。月の女神「アルテミス」と「ディアナ」。
そして……、「ヘラ」と「ユノ」。
「ユノ」のスペルは、「Juno」であり、これは英語で「6月」を意味する「June」の語源。
最高神の妻、結婚と家庭を司る女神を表す月だからこそ、「6月の花嫁」「ジューンブライド」なんて風習が存在する。
……本名で登録するほど馬鹿ではなくても、自分の本名にちなんだアカウントや登録名にする奴は多い。
もしもという可能性に縋っただけだったが、自分自身が好きなのが、自分だけを愛しているというのが「June」というアカウントといい、顔はスタンプで隠しているが取り巻きにでも取らせたのかやたらと多い自分の写真でよくわかる。
写真といい、内容といい、いつ頃始めたのかも見てみれば今年の3月の終わり頃、高等部を卒業した時期と一致する。
間違いなく、ヘラのSNSだと断言していいだろう。
……この掲示板に晒した写真と同じ……さすがにこちらは自分の保身のために目線だけは入れたものを載せて、「ムカつくこの女をめちゃくちゃにする方法募集中」などと書き込んだ、今すぐにでも八つ当たりでモニタを壊したくて仕方がないものだが、同時にこれこそいい「大義名分」になる。
……童帝にこのSNSの存在を教えれば、奴ならこの登録者の個人情報をハッキングしてさらに確固たる証拠に出来たかもしれないが、俺は伝えなかった。
電話口で、わざとSNSは見当違いだったからもう探さなくていいとまで言った。
その理由は、あまりに幼稚な自己満足だ。
上手くいけば、童帝に頼らずとも俺自身の手で「確固たる証拠」を手に入れることが出来るかもしれないという期待から、俺は言わなかった。
『協力してくれるって言ってくれた人たち、皆ありがとう!
ほんと、この女ってマジムカつくでしょ! わかってくれて嬉しい!!
じゃあ、早速なんだけど今日、作戦会議しない? もしよかったら今日のAM0時にB市に来てほしいな!』
つい数時間前に投稿された文面。
エヒメさんをまた……いや、今度は直接的に、そして最も最低な方法で何もかもを壊して奪って殺し尽くす仲間をまったく悪びれずに募集して、そして実行しようとしていた。
一般公開の設定なので募集した側も立候補した側も本気ではない可能性が高いが……どちらもやってこない可能性の方がはるかに高いのはわかっていたが、俺はPCの電源を落として向かう。
奴のSNSで指定されていたB市に、指定されていた場所まで。
……「確固たる証拠を自分で掴めるかもしれない」こそ、俺にとっての大義名分であることは自覚していた。
あぁ、そうだ。俺は証拠など、大義名分など本当はどうでもいい。
ヒーローとして、人として終わってしまってもいい。
ただ、奴をこの手で殺したかっただけだ。
* * *
豊かで柔らかそうな、絹糸のような銀の髪が目の前で揺れていた。
ヘラの髪だ。
「……準備、しなくちゃ」
唇を噛みしめて、彼女はケータイを折りたたむと同時に振り返る。
私の方に一直線に向かってくるけど、私に気付くこともなく彼女はそのまま突き進んで通り抜けて、私の後ろのクローゼットを乱暴に開けて、服をめちゃくちゃに取り出して、自分の着ていた服も脱ぎ捨てる。
しばらく悩んだ末に、結局着替えたのは何故かまだ取って置いてたらしい、高等部のジャージ……。
たぶん、動きやすくてあんまり目立たない服がそれしかなかったんだろう。
それに今の季節にはまだ早いフード付きのコートを着て、後は財布とケータイ、車の鍵という最低限のものだけを持って出る。
屋敷の中でメイドさんや執事さんがヘラに「お嬢様! どうしたんですか!?」と尋ねるけど、彼女は「うるさい! 邪魔!!」とヒステリックに叫んで、車に乗る。
そして乱暴にエンジンをかけて、発車させた。
私は黙って、彼女の後をついてゆく。
それしか、出来なかった。
……今はまだ、何もしなかった。