「……なんか、ごめんなさいジェノスさん。お兄ちゃんがバカなことばっかして」
「いえ。どんなことでもお役にたてるのでしたら光栄です」
ジェノスさんはいつもの無表情でそう言ってくれるけど、私は顔から火が出そうだった。
お兄ちゃん……いくら特売のセール品が取られそうだったからって、「イケメンで評判の鬼サイボーグがここにいるぞー!」って叫んで、同じくセール品狙いの主婦にジェノスさんを囮にすんな!
ジェノスさん、めっちゃポカンとしてたよ!!
そんなことまでしてセール品の白菜をゲットしたお兄ちゃんはというと、今日で最終日の3000円以上で1回くじが引ける福引で、買うものはもう全部買ったけどあと数百円が足りなくて、何か他に買い忘れてるものはないか、ストックしておいた方がいいものはないかを探しに行って、もう恥ずかしいから私はジェノスさんを連れてスーパーの外で待つことにした。
たかが福引の為に血眼になってスーパーをうろつかないでよ、お兄ちゃん……。
またヒーローなのに不審者として通報されても、もう知らん。
そうやってお兄ちゃんに八つ当たりなんだか正当な怒りなんだか、自分でもよくわからない事を考えて、ジェノスさんと二人きりだという事に意識を向けないようにしてみるけど、無理だった。
前よりはだいぶマシになったけど、やっぱり緊張する! 何を話したらいいかわかんない!
私はこういう時、自覚する前ならどんな会話をこの人としてたのかを思い返そうとしていたら、ジェノスさんの方が声をかけてきた。
「……あの、エヒメさん。大丈夫ですか?」
「へ? な、何がですか?」
そんなに私はまた緊張のあまりにキョドっていたのかな? と不安になったけど、ジェノスさんは心配そうに、でも言いにくそうに迷いながら言葉を続ける。
「いえ……あの……最近、外に出たがらなかったので……。あの、もう帰りたいのでしたら俺から先生に伝えておきますので、……気を遣わないでください」
ジェノスさんの言葉に申し訳ないやら、でも心配してくれたことが嬉しいやらで、ちょっとどういう顔をしたらわからなくなる。
気を遣ってるのはこの人の方だ。3日前のことを口には出さずに、それでも私がまた彼女たちと再会してしまうことを恐れて、怯えていたことを知っているから、だから「先に帰ってもいい」なんて言ってくれた。
「……ジェノスさん、ありがとうございます」
その気遣いも心配も、すごく嬉しい。だから、まず初めに私は感謝を伝える。
そして、再び逃げないと誓ったあの日から決めていたことを、しなくちゃいけないことを口にする。
この人にこの事を伝える事も、私があの日に決めた「しなくちゃいけないこと」の一つだから。
「でも、私は少し……期待をしているんです。また彼女に………………ヘラに会うことを」
私の言葉に、ジェノスさんは信じられないと言わんばかりに目を剥く。
「!? エヒメさんっ……」
「……私、近い内に彼女に会いに行こうと思うんです。彼女に会わなければ、それこそ私は3年前から、これからもずっと変われないことを実感しましたから。
……向き合わなくちゃいけない、逃げちゃいけない事なんです。これだけは、どうしても」
何かを言いかけたジェノスさんの言葉を遮って、私は決意を口にする。
買い物袋を握る自分の手が震えているのはわかってる。こんなことを口にしていても、まだ覚悟は全然決められていない、怯えているのが丸わかりだ。
それでも、そんな情けない私を見てもジェノスさんは、「やめろ」とも「無理だ」とも言わなかった。
今にも泣きそうな目で、歯を食いしばって出かかった言葉を堪えて、「……そう、ですか」とこの人は言った。
私を思って、私が傷つくのを嫌って、止めようとしてくれた。
けれど、このままではいけないことをこの人もわかってくれているからこそ、私の決意が鈍らないように、言わないでいてくれたんだろう。
……本当に、優しい人。
だから、私は甘えてしまう。この人の、「杖になる」と言ってくれた言葉に。
「…………だから……あの……ごめんなさい、ジェノスさん。……無理にとは言いません。できればでいいんです。本当に、ジェノスさんの都合が合えばでいいんです。っていうか、嫌なら遠慮せずに断ってください!」
「え? は、はい! ……え? な、何をでしょうか?」
自分で自分に断られても凹まないように言い聞かせるための念押ししていたら、肝心の頼みごとを言わないまま話を終わらせてしまい、ジェノスさんを困惑させてしまった。アホだ、私は。
羞恥で顔が熱くなり、何かジェノスさんの心配とは別の意味で消えてしまいたくなるけど、何とか気を取り直して私はジェノスさんに頼む。
「え、えっと……へ、ヘラに会いに行く時……、出来ればジェノスさんも一緒に来てほしいんです。
……また、前みたいに情けない姿を見せると思いますし、迷惑をかけると思いますけど……それでも……」
「はい」
最後まで言い切る前に、はっきりと言われた。
顔を上げるとジェノスさんの表情に困惑はすでになくなって、真っ直ぐに金の瞳が私を見据えて大真面目に、彼は答える。
「はい。ぜひとも、ご一緒させてください。……今度こそ貴女を守り抜きますから、どうか俺も連れて行ってください」
これも羞恥と言えば羞恥だけど、またさっきとは別の感情が大きく混ざって、私の顔を真っ赤に染め上げる。
あぁ、思い出すな! 3日前の夢なんて! 私の事を自分の大切な人と言ってくれたのも、結婚をぜひしたいとか死んでもいいけど死ねないって言ったのは、私の夢! 願望なんだから、現実のジェノスさんには何にも関係ないんだから、期待するな!!
「? エヒメさん?」
「!? あ、ありがとうございます……」
真っ赤になって固まる私を、不思議そうかつ心配そうに見られて呼ばれて、何とか金縛りが解除される。
私が声を絞り出してお礼を伝えると、まだ不思議そうだけどとりあえず心配する必要はないと思ってくれたのか、顔を覗き込むのはやめてくれた。
「いえ、礼を言われるようなことでは……、というより、エヒメさんが俺を頼ってくれるのは嬉しいですし光栄ですが、先生には頼られないのでしょうか?」
ジェノスさんは謙遜の途中でお兄ちゃんに私が頼らないことを疑問に持ち、尋ねてきた。
「……お兄ちゃんでも確かに頼りになるんですけど、頼りになりすぎて甘えて、たぶん3日前以上に情けない醜態を見せてしまいそうだから……。
あ、ジェノスさんが頼りにならないとか思ってるわけじゃないですよ! 私にとってお兄ちゃんと同じくらい、ジェノスさんは頼りになるすごい人ですから! ただ、ジェノスさんの前なら私、少しでもカッコよくなろうと意地を張れると言うか、頑張ろうって思えるからジェノスさんが良いんです!
ジェノスさんじゃないと、ダメなんです!!」
その問いにあまり深く考えず正直に答えたけど、ジェノスさんの事を頼りにならないと言ってるように聞こえる言い方だと気付き、慌ててフォローを入れていたら、「何言ってんだ、お前?」と後ろからお兄ちゃんが声をかける。
「お兄ちゃん、おかえり。福引はどうだった?」
「……外れた」
振り返って訊いてみたら、若干遠い目をしたお兄ちゃんが、福引をするためにまだストック有るのに買ったであろうトイレットペーパーと、残念賞の同じくトイレットペーパーを掲げて見せた。
……うん、まぁ、……ど、ドンマイ?
「えーと……か、かさばって買うのが面倒だから、3人で買い物の時で良かったね。腐るものでもないし!」
「無理にフォローせんでいいわ。……っていうか、お前マジでジェノスに何言った? さっきからフリーズしてんぞこいつ」
「え? !? ジェノスさん!? 何か久しぶりに煙出てますよ!!」
言われてさっきからジェノスさんからの反応がないことに気付いて見てみたら、なんか出たらいけなさそうなところから煙を出しながら固まってた。
懐かしい反応だなこれ!
久々すぎてどうやったらこれ解凍できたんだっけ? ってパニくってたら、まったく私が関係ないことでフリーズは解凍された。
《緊急避難警報、緊急避難警報。Z市にて怪人が発生しました。災害レベル“虎”》
怪人発生の警報が流れ、お兄ちゃんとジェノスさんの顔が真剣になる。
煙は止まって代わりにキュイィィィンと高い音がした後、ジェノスさんが生体反応センサーで怪人がどのあたりにいるのかを特定して、お兄ちゃんに報告する。
「先生! 怪人の現在地はここから南西……おそらく駅周辺です!!」
「わかった。エヒメ、ちょっと行ってくるわ。ジェノス、エヒメを頼む」
お兄ちゃんの買ったものをその場に置いて、駅の方に走って行く背中に、「いってらっしゃい」と私は声をかける。
私もジェノスさんも、災害レベルが虎なら万が一にもお兄ちゃんが危ないっていうのはないと信じ切っていたので、周囲の人たちが逃げ惑う中、普通にお兄ちゃんがいつも通りすぐにワンパンで片づけて帰ってくるのを待っていた。
私がその時に考えていたのは、「お兄ちゃん、あんまり怪人の返り血を浴びないで終わらせたら良いな」ぐらいだった。
「駅の方ならそんなに遠くないのに、怪人の姿は見えませんし、何かを壊す音とかも聞こえませんね」
「そうですね。それでも災害レベルが虎なら、小型ながらに厄介なタイプなのでしょう。まぁ、先生なら問題は……!?」
お兄ちゃんが向かって言った方向に目を凝らしながらとジェノスさんが話していたら、急にジェノスさんの顔が険しくなる。
またキュィィンと高い音がして、金の瞳が小さなレーダーのように変化する。
どうかしました? と私が訪ねる前に、ジェノスさんは信じられないと言いたげに目を見開いて呟いた。
「……もう一体、怪人が発生してます」
「!?」
ジェノスさんの言葉に数秒遅れて、警報がもう一回鳴り響く。今度は録音されたテンプレートな音声じゃなくて、焦りが目に見える肉声。
《緊急避難警報! 緊急避難警報! Z市上空にて、巨大怪鳥出現!! 建物から絶対に出ないように!
災害レベルは“鬼”!!》
今度は、ジェノスさんのセンサーに頼らずとも「災害」はどこにいるのかわかった。
烏のように真っ黒な羽毛に覆われた、遠目から鷹や鷲を思わせる猛禽系の飛行機くらいはある鳥が、よりにもよって駅とは、お兄ちゃんが向かった方向とは真逆の方向から現れ、降り立ち、地面の虫でもついばむように街を、建物を破壊している。
怪人と怪鳥が同時出現、しかも怪鳥のレベルが怪人より高く、巨体なので脅威が良くも悪くもわかりやすい所為で、周囲の人たちのパニックがさらにひどくなる。
最初の警報で駅からこちらに逃げていた人たちが、怪鳥出現でこちらに舞い戻り、たったの数十秒であたりが人で埋め尽くされる。
「ジェノスさん! 私、お兄ちゃんを呼んできましょうか!?」
溢れかえった人波に流されないように、はぐれないように私をしっかり抱き寄せてくれているジェノスさんに提案した。
ジェノスさんはお兄ちゃんに言われた私を頼むという言葉と、怪鳥を倒さなくてはいけないという使命感で板ばさみになっていることは分かっていたから、とりあえず思いついたことを口にした。
私の提案にジェノスさんは一瞬迷ったけど、辺りの逃げ惑う人たちやジェノスさんに気づいて「あの鳥を何とかして!」と助けを求める声で、今すべきことは、現状でベストな手段はジェノスさんが怪鳥の方に今すぐ向かい、私はお兄ちゃんをテレポートで怪鳥の元まで連れてくることだと判断してくれた。
ただ、この人がごっだ返しの状態では私がちゃんとテレポートできるかどうかを心配してくれたのか、人をかき分けて人がいない建物と建物の間、裏路地的な所まで私を連れてきて、彼は私に言い聞かせる。
「エヒメさん、無理は絶対にしないでください。先生と怪人が戦闘中という可能性もありますので、出現場所は先生のすぐそばではなく、出来れば近場の屋内で、細心の注意を払ってください」
「はい、大丈夫です。約束します」
ジェノスさんからの忠告に頷くと、少しだけ安心したようにジェノスさんは表情を和らげてくれた。
「ありがとうございます。それでは、いってきます」
彼も私との約束を守って、そのままブーストを起動させてビルとビルの間を三角飛びで屋上まで上がって行き、建物を飛び移りながら怪鳥の方まで向かっていった。
ジェノスさんが屋上まで上がっていったのを見送ってすぐに、私もテレポートで跳ぶつもりだった。
この時、ジェノスさんからの忠告を破って、何も考えずにただ「お兄ちゃんの側」とだけ座標指定をしていた方が、結果論としては良かったのかもしれない。
お兄ちゃんがどのあたりかを探ってから、その近場を座標指定するために集中していなかったら……、逃げ場を塞ぐように、路地の入口に人がいることに気づいていれば良かった。
すぐにテレポートをしていれば、……「彼女達」の存在に気づいていれば少なくとも……、人は死ななかったのに。
* * *
いきなり背中を殴られて、私はそのまま前のめりで転ぶ。
何が起こったのかが全く理解できず、私は地面に膝と手をついた状態のまま固まった。
背中は痛いけど、痛む範囲と痛みそのものの強さで、その攻撃は拳や蹴りでもなければ、バットのような棒状で攻撃力が高そうなものではない事はわかった。殴られた瞬間、殴った武器そのものの重心や形が変化していたから、おそらくショルダーバックをハンマー投げのようにぶん回したんだろうと、パニックゆえのやたらと無意味な冷静さで推理してしまい、結局私は逃げ出す機会を失う。
「何、いい気になってんのよ。このブス!」
聞き覚えが全くない声で罵倒され、さらに状況が分からなくなって困惑していたら、髪をつかみあげられて、無理やり顔を上げさせられる。
……私の背後にいたのは、声と同じくまったく見覚えのない女性が三人。
人の顔と名前を覚えるのが苦手だから、私が忘れているだけかとも思ったけど、おそらく正真正銘、私とは面識がない他人だと断言できた。だって3人とも、私と年齢が結構違うから。
というより、この3人は仲間なの? と思うほど年齢も背格好もバラバラだ。
私の髪をつかみあげているのは、メイクがきつくスカート丈をぎりぎりまで短くした女子高生。
その背後で私を親の仇のような目で、忌々しそうに睨みつけているのは、髪をきっちり結い上げて、服装も上等そうなスーツのいかにもキャリアウーマンって感じの人と、イチゴ柄のワンピースに白いレースフリルたっぷりのリボンでツインテールにして、ウサギのぬいぐるみを抱きかかえたいわゆる甘ロリ姿の……どんなに頑張っても30半ばよりは若く見えない人という謎すぎる組み合わせ。
そのあまりの共通点のなさが、自分が今そんな連中に襲われているという現状や自分のトラウマを想起させる状況に対する恐怖を上回って、私を困惑させる。
いや、もう本気であなたたち誰? むしろ私を誰かと間違ってない?
「……あ、あなたたちは、誰? 誰かと、間違ってないですか? 私は、エヒメっていうものですけど」
髪を掴まれたまま私は訊いてみたけど、女子高生は「名前なんかどうでもいいのよ」と鼻で笑って答える。
その様子からして、向こうも私の名前さえ知らないようだけど、人違いではないらしい。
さらに訳がわかんなくなって、抵抗したらいいのかどうかすらわからなくってじっとしていたら、キャリアウーマンみたいな人が一歩前に出て来て私を見下ろして尋ねる。
「あなた、鬼サイボーグの何なの?」
「は? ジェノスさん?」
いきなりジェノスさんのヒーローネームが出てきて、さらに訳わかんなくなって訊き返したら、平手で私の頬をその女は張り飛ばした。
私が殴られても、髪を掴んでる女子高生は手を離さなかったので、ぶちぶちと勢いで何本か髪が抜けた気配がする。
殴られた私を見て、女子高生はニヤニヤ笑い、甘ロリも同じように笑いながら、デコりすぎて重そうなスマホを操作して、キャリアウーマンはヒステリックに喚く。
「何、本名で呼んでんのよ? あんたたちと違って私は彼と親しいアピール? 浅ましいのよクソガキがっ!!
あんたなんて認めない! 鬼サイボーグのファンはみんな、あんたが恋人だなんて認めてないんだから!!」
はぁっ!?
キャリアウーマンの発言で、殴られた怒りも恐怖も困惑さえも吹っ飛んだ。
何それどういうこと!? 心当たりないんですけど!? ってとっさに叫びそうになったけど、声に出す前にわずかに残っていた冷静な部分が突っ込んだ。
あるわ、心当たり。っていうか、心当たりしかないわ。
まったく繋がりが見えなかった3人だけど、おそらくは熱狂的なジェノスさんのファンなんだろう。ファンクラブが存在してるらしいから、それのオフ会かなんかでもしてたのかもしれない。
もしかしたら、Z市でよくジェノスさんを見かける、スーパーむなげ屋でよく買い物してるって情報でもつかんで、この辺でジェノスさんを探していたのかもしれない。あぁ、お兄ちゃんがジェノスさんを囮にして騒いでたから、それで見つけたのもあり得る。
とにかく、ジェノスさんのファンであるこの人たちは、私と一緒にいて、親しそうで、しかも警報が流れたら抱き寄せて庇ってくれるジェノスさんを見て、恥ずかしいし全然違って悲しいくらいだけど盛大な勘違いをして、そして自覚してるけどあまりの釣り合わなさにキレてこの状況か。
訳わかんなかった疑問は氷解したけど、だからと言ってこの状況に納得できるわけなかった。
「……離して」
3人がそれぞれ、私のことをブスだの役立たずだのトロくさいだの色々言ってるのを無視して、私は要望を口にする。
このままテレポートをしたら、私の髪を掴んでる女子高生の腕がもげる……なら別にいいか。私は勘違い逆恨みで、リンチしようとしてくる人の腕の心配をするような聖人なんかじゃない。
ただこの状況でテレポートしたら、相手の腕じゃなくて私の髪が頭皮ごとこっちに残りそうだから、離してもらわないと困る。
まぁもちろん、これですんなり離してくれる人だったり、離すように説得してくれる人なら、そもそもこんなことしない訳だ。
全員、私が口答えしたことを気に入らないと言わんばかりに睨み付け、けれど口元はさらに甚振る口実ができたからか、喜悦に歪んでる。
……昔、あの針の事件の後、ヘラから話してもらえなくなって、ご飯を一緒に食べてくれなくなってしまってからの、クラスメイト達の顔と同じ顔。
ただ気に入らないから痛めつけたいだけなのに、自分が正しい、相手が悪いと思い込みたくて、とにかく難癖を探して、気に入らないくせに気に入らないところを見つけるのが楽しくてうれしくて仕方がないと言っている顔。
それは、私のトラウマの一つ。息の仕方さえも忘れそうなぐらいに、怖いもの。
「はぁ? 何言ってんのよ? あんた、自分の立場わかってうぐっ!!」
私の髪をさらに強く引き上げたタイミングで、女子高生のむこうずねを思いっきり蹴りつけた。弁慶の泣き所にかかとが綺麗に入ったから、女子高生は悶絶の声を上げて反射で手を離した。
蹴られた足も反射で上げて片足立ちになったから、軽く手で押しただけであっさり後ろに倒れて、今度は頭を打ったのかまた悶絶する。
パンツ丸出しで痛い痛いと呻いて喚く女子高生と、私の反撃についていけずポカンとしてるキャリアウーマンには、持っていた買い物袋をもったいないけど思いっきり体をねじって投げつけたら、これまた綺麗に弧を描いて顔に直撃した。
鞄の形状からして、最初に背中を殴ったのはこいつだから遠慮や罪悪感はない。
自分でも意外なくらいに、体が動いた。トラウマそのものの理不尽と暴力に襲われても、私の頭に占める感情は恐怖じゃなかった。
逃げない、諦めない、諦めたくないと自覚したら、開き直ったら罪悪感はまったく感じなかった。
……私があの人にふさわしくないのは、わかってるよ!
あんたたちに言われるまでもなく、私が一番よく、泣きたいくらいにわかってるよ!!
でも、それでも一緒にいたいんだ! ふさわしくないんなら、ふさわしくなってやるって決めたんだ!!
例え私と同じ「好き」じゃなくても、それでもあの人は私のことを「好き」と言ってくれたのだから、その言葉は私にだって否定なんかできない。
お前たちになんか……、「ヒーロー」に恋い慕いながら、多勢に無勢でこちらの言い分を聞かずにリンチすることを、まるで聖戦のように語るお前らなんかに、否定させてたまるものか!!
お前たちこそ、あの人のファンどころかあの人を想うだけでも私は許せない!!
盛大に押されたトラウマスイッチによる恐怖より、私が自覚して開き直った独占欲と怒りが上回り、ただ私はブチ切れて反撃した。
でもこれ以上はやめておこう。良心が傷んだのではなく、私もこいつらと同類になってしまうという保身が訴えたから、私は撮影しながらSNSで実況でもしていたのか、スマホを持ったままポカンと固まってる甘ロリは無視して、お兄ちゃんの元に跳ぼうと思った。
もうお兄ちゃんなら最初の怪人は片付けて、怪鳥の方に向かってる可能性が高かったけど、下手したら怪鳥の方も既に倒してそうだけど、とにかくここに残ってもいいことはあるわけないから、この場から離れようと思った。
「……なんなのよ、あんた。生意気なのよ! ブスのくせに! ガキのくせに! 高校もまともに出れなかったバカのくせに!!」
けど、その言葉がまた私のテレポートの邪魔をした。
集中できない、無視なんかできない言葉が、聞こえた。
ただ偶然、私とジェノスさんが一緒にいるのを見かけただけの奴が、言えるわけのない罵倒を確かにした。
「……なんで……知ってるの?」
叫んだ甘ロリの方に思わず尋ねるけど、彼女は仮面のように厚塗りした真っ白なファンデーションが、ひび割れて崩れ落ちそうなぐらいに顔を歪めて睨み付けるだけで、私の問いに答えてなどくれない。
何故、私が高校を中退していることを知っているかを答えず、彼女はぬいぐるみではなく、ぬいぐるみ型のバッグだったウサギから、取り出した。
抜身の出刃包丁を。
「は!?」
意外すぎるし思い切りもよすぎる凶器を取り出され、私はまた判断を間違える。
凶器を出されてすぐにどこでもいいからテレポートで逃げれば良かったものを、包丁が出てきた瞬間、恐怖や困惑さえも完全にすっ飛んで、頭が真っ白になった。何をすればいいのかわからなくなったというより、何を考えたらいいかもわからなかった。
いきなり包丁なんかを取り出されたら、私だけじゃなくて仲間内でも私と同じ反応はおかしくないはずだけど、私に買い物袋をぶつけられて鼻血を出すキャリアウーマンと、パンツ丸出しでのたうちまわっていた女子高生は、包丁に怯えたり引いたりなんかせず、後ろから私の体にしがみつかれて、思考がやっと回復する。
……計画的だった。見つけたこと自体は偶然かもしれないけど、おそらく彼女たちの目的はジェノスさんじゃなくて、私。
ジェノスさんにまとわりつく「悪い虫」である私を、はじめから排除するつもりで、……最悪本気で殺すつもりで探していたことを悟った。
女子高生も、キャリアウーマンも、ギラギラとした輝きに満ちているけど、どこを見てるのかわからない狂気に染まった目で、私を睨みながら実に楽しそうに笑ってる。
私の死を本気で願って、楽しみにしている。
ウサギを地面に投げ捨てて、甘ロリも同じ笑顔で包丁を片手にゆっくり、嬲るように近づいてくる。
あまりに現実味のない光景に状況。
展開が速すぎて訳がわからなくて頭がついて行かず、ただ私は見ていることしか出来なかった。
むせ返るような錆の匂いと、真っ赤に染まる光景を。
頸動脈を掻っ切ると本当に噴水のように血があふれ出るということを、妙に冷静に私は眺めてしまった。
「貴様は本当に、トラブルを引き寄せる天才だな」
だるま落としのように、体のパーツがバラバラに崩れ落ちてゆく光景は、初めて出会ったあの時の再現。
それを意識したのかどうかは、わからない。
ただまた、私は闇を人の形にしたような、闇そのもののような忍者に助けられたのは事実。
……けれど今回は、素直に感謝は出来ない。
3体のバラバラになった死体と血の匂いに耐えられず、私はその場に座り込み、嘔吐した。