私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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今回も引き続き、ジェノス視点です。


加害者は誰だ

 ミラージュは俺を見上げる。

 まずは何を言われたかわからないと言いたげな顔をして、そして信じられないという驚愕に変化したかと思ったら、卑屈そうな目で媚びるように笑いながら、聞き間違い、何かの間違いを期待して、こいつは「え?」とだけ言った。

 

「伝えてどうするんだ? それで、貴様は自分の『罪』が消えると思っているのか?」

 その期待を俺は潰す。

 完膚なきまでに、潰さねばならない。

 

 こいつが許されたという勘違いを起こさないように、潰しておかねばならない。

 

「貴様は本気で、エヒメさんに悪いと思ってるわけじゃない。ただ、エヒメさんを見捨てた罪悪感から逃げて、忘れる為だけに、『許された』と思い込むために、俺に伝言を頼んでるんだろう?

 ……ふざけるな。俺からしたら、貴様もヘラやその取り巻きと同罪だ」

「そんな! 私はそんなつもりじゃ……」

「何故、最初にエヒメさんについて何も訊かなかった?」

 

 俺の言葉を否定しようと、言い訳を口にしようとしたのを遮って、尋ねる。

 ミラージュは言葉に詰まり、酸欠の金魚のように口をハクハクと動かすだけで何も答えられなかった。

 

「貴様は、エヒメさんについて話したいことがあると手紙に書いていたくせに、俺が先に質問をすることを許した。そして、何も訊かずに俺の問いに答え、話が終わった後も言いたいことはエヒメさんが今どうしているか、まだ怯えているのか、また自殺未遂なんて真似をしてないかという質問ではなく、代わりに謝ってくれだったな。

 

 ……本気であの人に罪悪感を抱いているのなら、歩くことも出来ず過呼吸手前だったエヒメさんが、今は大丈夫なのかを心配するはずだろうが。

 そもそも貴様は3日前、何故彼女を引き留めた? あんなに怯えていたのが見えていなかったのか? あの人を本気で案じていたのなら、逃がしてやろうとは思わなかったのか? そして、引き留めておいて何故、何も言わなかった? 何か言いたいことがあって引き留めたんじゃなかったのか? 何故、ヘラに叱責されて黙り込み、奴に言わせたい放題で何もしなかった?」

 

 ベンチの前で俺は立ったままミラージュを見下ろし、矢継ぎ早に問い詰める。

 ミラージュは答えない。答えず、引きつった笑みを張り付けて、目を逸らすだけだ。

 

「……そもそも、高等部を卒業して何故、貴様はまだヘラについて回ってるんだ? 在学中はどうしても付き合いが切れないのは仕方がないが、卒業という絶好の縁を切る機会があっただろうが。

 貴様は今、短大生か? 付属の短大に進学したのか? 就職なり他の学校に進学するなり、奴から離れようとは思わなかったのか? それとも、どうしてもその学校で学びたいことがあったのか?

 幼馴染を生きながらに殺し尽くした女の傍で、媚びへつらって腰巾着になってまでして、したいことがあるのか!?」

 

 目の前の女は、何も答えない。

 その沈黙こそが饒舌な返答だった。

 

「……貴様は、エヒメさんに何も言わなかった。誹謗中傷をせず、見下して甚振りはしなかった。……が、彼女を助けようともせず、ただ見ていた。

 ……3年前も、そのずっと前からそうだったんじゃないか?」

「……わ、私の家はあの学校じゃ全然、たいしたことないから、私だってバカにされてたし……私じゃどうしようも……」

 

 やっと言葉を発したかと思ったら、自分が何もしなかった言い訳。

 何もしなかったのではなく、何もできなかったと言い張る保身を俺は鼻で笑う。

 

「……バカにされてた、か。

 貴様がバカにされていた時、エヒメさんは何をしていた? 貴様のように、バカにする連中の後ろで媚びへつらって何も言わず目をそらしていたのか?」

 

 ミラージュは再び、貝のように口を閉ざす。

 するわけないよな。あの人がそうやって長いものに巻かれて、強い者の威を借りて後ろに隠れる生き方ができていたのなら、そもそもこの現在は存在しない。

 

「エヒメさんは貴様を庇ったのだろう? 助けてくれたんだろう?

 ……貴様は、自分を助けてくれた人に何をした?」

 

 俯いて目を合わせようとせず、何も言わない、石像のようにただじっとしている女に、俺は無意味だとわかっていながら問いかける。

 ……そうやって、自分の都合の悪いこと、見たくないこと、聞きたくないこと、言いたくないことは、全部見ないで聞かないふりをして、ただひたすらに黙ってやり過ごしてきたんだろう?

 

 自分は何もしていないから何も悪くないと、保身を言いつくろって、強いもの背に隠れて、おこぼれをもらって、生きてきたんだろう?

 

「貴様がどう生きようが、俺には興味がないから別にいいんだがな、あの人に何もしないで見捨てた分際で、これ以上あの人に甘えるな」

 謝りたいから会わせてくれだの、謝罪の手紙を渡して欲しいでも、彼女の傷の深さを考えていない身勝手な自己満足だが、まだ自分で行動に移しているだけマシだ。

 こいつは俺を使って一方的に言い捨てて、自分が背負う罪悪感を今度はエヒメさんに、「謝られたのに許せない」という罪悪感として押し付けようとしただけだ。

 

「貴様が自分自身にどう言い訳してもな、貴様は加害者なんだ。そして、どんなに謝っても償っても、それは変わらない。貴様は永遠に、死んでもエヒメさんを傷つけた、生きながらに殺した、決して許されない、何をしても責任なんか取れない加害者だ。

 過去を話してくれたことには感謝している。が、それくらいで帳消しになるようなことじゃない。貴様のしたこと……いや、しなかったことはな」

 

 エヒメさんがアマイマスクに語った、彼女が自分自身に科した生き方を口にして、責め立て、そして俺は背を向けた。

 俺がこんなことを言う資格がないのはわかってる。自分がただ八つ当たりをしているだけだというのは、理解している。

 

 それでも、たとえ聞いていなくても、どうせ今まで通り目をそらして逃げるとしても、少なくとも今だけは向き合わせておきたかった。

 

 意味があったのかなかったのかわからない、ただ八つ当たりしても何も晴れない消化不良な思いだけを抱えて歩を進めると、公園の出口に差し掛かったあたりで「待って」と、もう一度呼び止められた。

 何も答えず、足のみを止める。まだ何か言い訳をする気か、どこまでも自分のしたこと、しなかったこと、罪から逃げるつもりかと思っていたが、それは間違いだった。

 

「……3日前、ヒメちゃんがいなくなった後にヘラちゃんが言ってたんです。スマホを持って、『お仕置きしなくちゃ』って呟いてたんです」

 それは罪滅ぼしのつもりか、それともやはり自分は悪くない、ヘラの方がもっと悪いと言いたいだけか、それはもはやどうでもいい。

 

「……どういう意味だ、それは?」

 振り返り、灼熱する憎悪を押さえつけて尋ねると、ミラージュはベンチに座ったまま、俯き膝の上で両手を固く握り、全身を震わせている。

 俺に怯えているのか、それともここにはいない女王に、ヘラの幻影に怯えているのかはわからない。

 怯えつつも、奴は答えた。

 

「…………わかりません。ルビちゃんやベラちゃんは、ニヤニヤしてそうよね、そうしましょうとか言ってましたけど、私には何も教えてくれませんでした。

 ……でも、そのあとしばらく3人でスマホをいじってましたから……多分ツイッターか何かを……」

「アカウントは知っているのか?」

 

 もう「スマホ」という単語が出た時点で、想像がついた。

 セリフを遮って尋ねた問いに、ミラージュは無言で横に首を振った。

 わかっていたが、こいつはやはりあいつらの友人ではなく、おそらくは下僕として扱っていたエヒメさんの身代わり、奴らにとって自分たちを引き立て、自分たちが優れていると思い込むための見下し要因でしかないのだろう。

 

 許すつもりは毛頭ないが、この女のコバンザメのようなみじめな生き方には憐みを覚えてしまい、それ以上の追及は出来なかった。

「そうか。……情報提供は、ありがたかった」

 それだけを言って、俺はまた歩き出す。

 

 ヒーローどころか人としてマナー違反なのはわかっていたが、ケータイを歩きながら操作する。

 エヒメさんの本名で、検索する。

 

 * * *

 

 本業は機械工学系だが、俺の知り合いの中でネット関連に一番明るい人物が、朗らかに了承を口にする。

 

「いいですよ。でも、鬼サイボーグさんなら言わなくてもわかってると思いますけど、ダイレクトに顔写真や本名を晒しているのならともかく、ちょっとぼかして書かれていたら、そのいじめっ子たちに社会的制裁は難しいですよ」

「わかってる。むしろ、社会的制裁が可能なほどに情報流出されている方が恐ろしい」

「それもそうですね。まぁ、そこは既にサイボーグさんが検索して調べたんでしょ? その再会しちゃった時に写真を撮られたとかもでもない限り、そいつらがぶちまけられるおねえさんの個人情報って3年以上前のものですし、本名が晒されていないのなら、あまり意味も効果もないと思いますよ」

 

 電話口の童帝が、子供に言い聞かせるような言い草で、俺を落ち着かせようとするのが余計に俺を苛立たせるが、言っていることは正論なので、俺は一息ついて自分を落ち着かせる。

 

 ……誰にも、先生にもこれ以上負担をかけたくなかったので、誰にも頼らないと決めていたのだが、ミラージュの言葉、ヘラがしたであろうことがそんな俺の自己満足では解決できないことを悟らせ、俺は童帝に連絡を取った。

 このガキはふざける時は殴りたくなるくらいに年相応かつ盛大にふざけるが、腐っても若干10歳でS級ヒーローに認定された天才児だ。真面目にやるべき時はちゃんと真面目にこなして、暴走もしないので信頼は出来る。

 

 何より腹立つことは抑えられないが、こいつも相当エヒメさんを好いて懐いているので、ほとんどエヒメさんの過去について説明などしなかったにも関わらず、事情を察して協力を即答で応じてくれた。

 

「それも理解はしている。だがネットで一番厄介なのは、火のない所にも煙を容易に立たせることが出来ることだ」

「そうですね。ないことないこと書かれたら、悪魔の証明でどうしようもなくなりますもんね。

 でも、僕だって神様じゃないんですから、ほぼノーヒントのこの状態で、そのヘラっていう人のSNSを見つけるのは至難だってことは理解しておいてくださいよ」

「あぁ。見つからなくても責める気などない。恩に着る」

「別に着なくていいですから、見つけたらおねえさんに僕がどれだけ頑張って、どれだけすごいことをしたのかをきちんと伝えておいてください」

「切るぞ」

 

 調子に乗り始めたので、返事を待たずに通話を切った。

 しかし、実際に童帝に任せたことは砂漠から一粒の砂金を見つけるようなものだ。至難どころか、見つけたら奇跡だろう。

 

 ……とんでもない無茶を頼んだのはわかっている。

 そして童帝が言った通り、俺が検索してもエヒメさんと同名の他人しか引っかからなかったのなら、ここまで心配することではないのはわかっている。

 

 3日前に写真を撮られる隙は与えていない、3年ぶりの再会ならエヒメさんの近況や現住所など知るはずがない。

 少なくとも即座に本人が特定されるような情報は、ぶちまけたくても奴らは持っておらず、本名も写真も晒していないのならの、どんな虚偽を書かれても本人特定がさらに困難になるだけで意味はない。

 

 俺の心配は杞憂であることは、わかっている。

 ……わかっているが、嫌な予感が止まらない。

 ないはずの神経に虫が這うような悪寒が全力疾走し、コアが心臓のように激しい動悸の錯覚を起こす。

 

 頭の中で何かがチリチリとくすぶり続ける。

 何かを見逃しているような、どこか違和感を覚えるが、それが何なのか、俺の感じている違和感はどこなのかがわからず、ただもやもやとした不安としてまとわりつく。

 

 何かをしなければ、行動に移さなければ、見逃しているものに気付かなければ手遅れになりそうな気がして仕方がない。

 

「ジェノスさん?」

「おーい、ジェノス。何してんだ?」

 

 説明不可能な不安に苛まれてひたすら速足で歩いていたら、声をかけられた。

 

「エヒメさん? 先生?」

「お前何、おっかない顔して歩いてんだよ?」

「ジェノスさん、何かあったんですか?」

 

 顔を上げると呆れたような顔で先生と、少し驚き心配そうなエヒメさんが並んで立っており、辺りを見渡してようやくここは、ゴーストタウン付近のスーパー近くだということに気が付いた。

 

「……いえ、何でもありません。それより、お二人は買い物ですか?」

「はい。今日はお一人様一つ限りのものが多いから」

「ついでだ。お前も来いよ」

 

 ミラージュと会って話を聞きに行っていたことは先生にも話していなかったので、俺は何でもないと誤魔化し、先生に言われた通りついてゆく。

 エヒメさんはいつものように、奴らと再会してしまう前と同じように「付き合わせてしまってごめんなさい」と、困ったように微笑む。

 

 そんな変わらぬ光景を、日常を体感しても、まとわりつく不安は変わらない。

「……いえ。先生やエヒメさんのお役に立てるのなら、光栄です」

 だからせめて、出来ることをする。想像できる限りの最悪を想像し、対策を取る。

 

 エヒメさんの個人情報がぶちまけられていないは確かめた。

 俺には手出しできない領域まで精通している人物に、さらに念入りに調べてもらうように頼んだ。

 エヒメさんの隣には先生がいる。

 エヒメさんは、強がりなんかじゃなくて本当に笑えている。

 

 大丈夫だと、俺は自分に言い聞かせる。

 不安が杞憂でなくても、それは必ず打ち破れると信じて、俺も先生と同じくエヒメさんの隣を歩く。

 

 

 

 

 ……理不尽は、希望も対策も覚悟も何もかもを無意味なほど唐突に訪れ、何の予兆も順序も理屈もなく圧倒的に壊し尽くすからこそ「理不尽」であるという事を、俺は知らなかった。

 

 俺は「敵」がエヒメさんに対して懐いているものは、「悪意」だと思い違いをしていた。

 

 それはあまりにも幼稚で身勝手で、誰にも理解などできず、理解すべきではない「狂気」であることを、誰も知らなかった。

 


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