私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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引き続き、ジェノス視点です。


ミラージュの話

「こ、こんにちは! 遅れてごめんなさい!」

 指定した公園のベンチで座っていたら、指定時間から30分ほど遅れてやってきた女は、3日前に出会った時の記憶通り、「ミラ」と呼ばれていた女だった。

 

 ……俺は最初、あのヘラという女の集団は3人組だと思っていた。

 たぶん怪人に襲われかけていた時も傍にいただろうが、こいつのみあの3人とは雰囲気が違いすぎてよく覚えていない。

 友人同士ではなく、たまたま傍にいた他人としておそらく認識していた。

 

 それぐらいに、地味で特徴がない。

 服装はあの3人と似たような落ち着いて上品な格好だが、全身に相当な手間隙をかけて磨き上げて美貌を維持してるであろうあの3人とは違い、この女は「自分自身」という素材に何の手入れもしていない。

 

 ややふくよかな体型に分厚い眼鏡、化粧っ気がない顔、伸ばしっぱなしの髪という、清潔感はあるが身なりにさほど気を使っているようには見えない。言葉が悪いのは百も承知だが、表面だけを取り繕った田舎者が、一番このミラージュという女の印象を表しているだろう。

 

 まぁ、それはどうでもいい話だ。とりあえず、記憶通りの本人がやってきたことに俺は少し安堵する。

 エヒメさんの幼馴染と名乗るこいつのフリをして、あのヘラという女かその腰巾着が手紙を送ってきたのかと警戒していたが、それは杞憂だったようだ。

 そうだとしても、ここにやってきたのなら俺に手加減できる自信がないことを除けば好都合だったが。

 

「ごめんなさい! バスがなかなか来なくて……この辺もよくわからなくて道に……」

「かまわん。急にこちらから指定して決めた時間と場所だ。気にしていない」

 

 分厚いメガネをずり落としそうなぐらいオロオロとうろたえて、言い訳を口にするミラージュに遅刻の件は気にしていないと伝えれば、言い訳をするのはやめたがまだどこか怯えているような、卑屈な目で媚びるような愛想笑いを顔に貼りつけた。

 正直、初めに見た時に感じた第一印象通り、会話どころか見ているだけでも苛立つ苦手なタイプだとこの対応で確信する。

 

 あのヘラという女は忌々しい怨敵でしかなく、奴の第一印象もさほどいいものではなかったが、それでもあの一挙一動が計算されつくした優雅で上品な所作の印象は悪くなく、女性らしさを強調しながら弱々しさも幼さもを全く感じさせない、誰よりも何よりも堂々とした貫禄には、素直に感服した。

 そんな気に入らなくとも認めざる得ない部分があるやつとは違い、目の前のこの女に関してははっきり言って、エヒメさんを非難していなかったという点以外に、俺には評価できる部分がない。

 というか、評価も実はしていない。あの中ではまだマシだと思っているだけだ。

 

 容姿そのものはごく平凡で決して悪い訳ではなく、下着同然の格好と仮面のように厚塗りした化粧の女よりはよほど俺にとって好印象なくらいなので、そこを奴らやエヒメさんと比べて非難する気はない。

 ただ、清楚だとか落ち着いているなどと好意的に表しても、陰陽で答えるのなら間違いなく陰側の容姿に性格も陰側なせいか、悪い意味でそれらが相乗効果をもたらして、言葉の一言一言、動作の一つ一つがどうしても良い印象を与えない。

 

 どこまでも卑屈で弱く、エヒメさんのように諦めているなりに何とかしよう、何かを成そうという気概もなく、何もしないけど助けてほしいと言ってるようで、庇護欲よりもただ苛立ちだけが湧き上がる。

 完全に偏見であることは理解しているが、そんな印象がどうしても離れず、俺は未だにまだ謝った方がいいのか、ベンチに座った方がいいのかを迷ってオロオロしている女に、座るように促した。

 話をするのだから、喫茶店かどこかに入った方が良かったのかもしれないが、こいつと長話をする気はどうしても起きず、少しでも手っ取り早く終わらせるために場所移動はしない。

 

 ミラージュが隣に座ってすぐに、話を切り出した。

 

「……3年前、エヒメさんに何があったんだ?」

 俺がこの女に聞きたいことは、この一つだけだ。

 

 * * *

 

 ミラージュは自分の手を握ったり離したりを繰り返しながら、告解室で懺悔でもするように弱々しく話し始める。

「……何が、始まりなんでしょうね?

 元々、ヒメちゃんとヘラちゃんはすごく仲のいい、親友って言っていいくらいの友達だったんですよ」

「親友?」

 

 その言葉のあまりの空々しさに、思わずオウム返ししてしまった。

 ミラージュは俺の言葉に、困ったような苦笑というにはやはりどこか卑屈な笑みを浮かべる。

 

「……この間のを見たら、鬼サイボーグさんが信じられないのは無理ないでしょうけど、ヒメちゃんとヘラちゃんは中等部で同じクラスになってからすぐに仲良くなって、半年もたたないうちに私よりも、ヘラちゃんの幼馴染のルビちゃんやベラちゃんよりも、二人の方が仲良くていつも一緒にいるくらいでした」

 

 ……ヘラとエヒメさんが友人になったきっかけを聞いて、泣きたくなった。

 俺が泣くようなことじゃない、お門違いなのはわかっているが、あまりにも皮肉だ。

 

 エヒメさんがあんなにも綺麗に笑って「お友達が出来ました」と報告してくれた、金属バットの妹との出会いと同じ、折鶴だった。

 きっかけは入学してすぐに担任が事故か何かで入院してしまい、生徒が一人何羽とノルマを決めて、千羽鶴を折った事だった。

 

「ヘラちゃん、名前の通り女神みたいに美人さんで何でも出来る人なんです。……性格も、名前の元ネタの女神みたいにきついけど。

 でも、手先は不器用らしくて折り紙とかお裁縫とか料理とか、そういうのは苦手だったんです。すっごいお金持ちだから、裁縫や料理は自分でやることじゃなかったからかもしれないけど。

 それで、上手く鶴が折れないけどプライドが高いから『教えて』とも言えないし、ヘラちゃんは幼馴染のルビちゃんやベラちゃんもどこか遠慮してるくらい、家柄も資産も雲の上の人だから『教えてあげる』って言うのもあれだし……って皆思ってたんですけど、ヒメちゃんだけが普通に話しかけたんですよ。

 たぶんそれが、二人が仲良くなったきっかけです」

 

 その光景は、目に浮かぶ。

 先生と同じように家柄だの階級だの相手に付属するものに興味がなく、困っている人間がいれば助けることが当然だと思っているあの人なら、教師からも一線を引かれている女王相手でもごく普通に話しかけるだろう。

「どうしたの? 大丈夫?」と。

 

 そして、上手く折れていない、破れていたり皺だらけの折り鶴を見ても笑わず、見下さず、憐れまず、「こうしたら綺麗に折れるよ」と教えて、上手く折れたのを見て「うん、可愛い」と言って微笑む姿が、あまりに鮮明に浮かぶ。

 微笑ましくて穏やかで、だからこそ今となってはどうしようもなく悲しい光景だ。

 

「……けど、今思えばその頃からヘラちゃんはヒメちゃんが気に入らなかったのかもしれません。

 ヒメちゃんがヘラちゃんよりすごい所は、初めのうちはそういう手先の器用さくらいだったんですけど、元々ヒメちゃんはほとんど練習とか勉強もしないで何でもできる子だったから、どんどんヘラちゃんの成績とかに追いついて、ヘラちゃんはしっかりして真面目だけどきつい所があるから嫌ってる人も少なくなくて、ヒメちゃんはよく人に気を遣ってくれる人だから、学級委員とか生徒会長にはヘラちゃんよりヒメちゃんが良いなって言う子がどんどん増えていったんです。

 ……ヘラちゃんは、自分の立場がヒメちゃんに奪われるって思ったのかもしれません」

 

 ミラージュの言葉が事実だとしたら、エヒメさんはどうしようもなく救われない。

 彼女の善意も友情も初めから一方通行だったという事実は、確かに「自分は誰にも愛されない」という絶望に縛られるのも無理はない。

 

「だから、……あんなことをしたのかな?」

「あんなこと?」

 

 俺に語ると言うより独り言のように音量を落として呟いた言葉だったが、俺の耳というより集音機能はしっかりその呟きを鮮明に拾い取り、訊き返す。

 ミラージュは目を逸らして指で毛先をいじりながら、言い訳がましく「証拠はないんです。ただ、今思えばそうかもっていう私の想像なんですけど……」と前置きして答えた。

 

「えっと……中等部の2年の最初の頃だったと思うんですけど、ヘラちゃんのベッドのマットや布団、枕とかに大量の縫い針が刺しこまれてたって嫌がらせがあったんです。幸い、針が何本か表面から飛び出てたから、横になる前にすぐに気付いて怪我はしなかったんですけど。

 

 ……その縫い針は、ヒメちゃんのものだったんです。ヒメちゃん、趣味が物作りだし、うちの学校はミッション系で、教会系列の孤児院とかに寄付するためのバザーをよく開催するんです。その商品づくりのエースだったから、いろんな種類の針をいっぱい持ってたし、折れたり曲がったりした針はまとめて捨てるつもりで、使わない貯金箱を専用のゴミ箱にしてて、……その針のストックと捨てる予定だった針が盗まれて使われて、……ヒメちゃんが犯人扱いされちゃったんです」

 

 ミラージュの話を聞いて、あまりのバカバカしさに一瞬言葉を失った。

「なんだそれは? その学校にはバカしかいないのか? エヒメさんのものだからと言って、だから彼女が犯人なんて短絡的にもほどがあるだろうが!」

「も、もちろん、ヒメちゃんのものだったからっていうのは証拠にはならないから、結局犯人は不明で終わってますよ! 本当に犯人扱いなら、ヒメちゃんはこの時点で退学にされてます!!」

 

 俺がつい苛立ちのまま声を荒げると、ミラージュは怯えたように早口で補足を加える。

「……つまり、公的にはエヒメさんは私物を盗まれて嫌がらせに使われた被害者だが、ヘラとその取り巻きにはそう思われなかったという事か?」

「…………はい」

 

 弱々しく頷き、ミラージュは続きを語る。

 その続きは、予想も想像も出来ていた。

 それでも、俺のコアの熱量が荒れ狂うほどに胸糞の悪い話だった。

 

 嫌がらせがあってすぐにヘラはエヒメさんに対して掌を返して、友人どころかクラスメイトとしても扱わなくなった。

 普段はエヒメさんが話しかけても無視して、自分の雑用をやらせる時はエヒメさんが他に何かをしてても呼び出し、押し付ける。

 エヒメさんは自分の私物が嫌がらせに使われたことに必要のない罪悪感を懐いていたのか、ヘラの理不尽な要求に応え続けた。

 その扱いが被害者でも何でもない他の連中にも伝播して、エヒメさんのスクールカーストが最下位に貶められるには一月もいらなかったらしい。

 

「元々、自分の家柄とか家の資産とかで上下関係を作っちゃうような環境でしたから、ヒメちゃんはどんなに成績が良くても『学費免除してもらわないとうちに通えない貧乏人』扱いだったんです。私も、成金ってバカにされました」

 

 初めからエヒメさん本人ではどうしようもないことで判断し、見下していた連中は、女王の庇護をなくした瞬間、彼女が持つ全てを奪い、もぎ取り、毟り取った。

 課題や雑務を押し付け、私物を盗み、壊し、外出許可はもちろん、長期休暇に実家へ帰る届け出も握りつぶされて、彼女の功績は誰かが奪い取り、誰かが犯した罪は彼女に押し付けて、そうやってあの人から自信も尊厳も、誰かに助けを求める意思も、幸せになりたいという気持ちすらも奪い、何を言われてもされても自分が悪いと思い込み、謝る以外できなくした。

 

 ……そして――

 

「……3年前のあの日は、ヘラちゃんの誕生日だったんです」

 

 まるで小公女のように、あの女……ヘラの誕生日はもはや学園の一大イベントだった。

 寮の食堂を飾り付け、奴の親や親戚、学園のOGや後輩、クラスメイトから贈られたプレゼントの山が積み上げられた、夕食時は子供のお遊びではなく本物のパーティが行われるのが毎年恒例だった。

 

 ……その準備をエヒメさん一人に押し付けて、準備した本人は自室に一人閉じ込めるのも、当たり前になっていた。

 

「……パーティの途中で、ヘラちゃんが自分のおばあさんからのプレゼントが届いてないことに気付いたんです。

 ヘラちゃん、ヒメちゃんが嫌がらせで盗んだんだって決めつけて、ヒメちゃんの所に文句を言いに行ったんです。……あの頃から不思議だったんですけど、ヘラちゃんは何故かルビちゃんもベラちゃんも連れず、一人で行く、一人でいいって言い張ったんです。

 それで……しばらくしたら言い争うと言うか、ヘラちゃんがすっごい声でヒメちゃんを責めたてたからビックリして皆で見に行ったら、ヘラちゃんがボロボロに破れて汚されたマフラーを持って、ヒメちゃんを指さして叫んだんです。

 

『おばあさまがくれたプレゼントを、こいつが台無しにした!!』って。

 ……その直後です。ヒメちゃんが、『ごめんなさい』って言って、5階の部屋の窓から飛び降りたのは」

 

 項垂れ、泣けもしないのに涙を隠すように頭に手をやって、それでも確かめるために声を、言葉を絞り出す。

「……自作……自演か。……プレゼントを破損させたのも……針も……」

 ミラージュが呟いた「あんなこと」の推測を口にすると、呟いた本人は両手で髪をいじりながら、同じように俯いて答える。

 

「…………はい。……どっちも証拠はやっぱりないけど……、誰も連れずに一人でヒメちゃんのところに行ったのは怪しいですし、針も……うちの学校、友達同士でも自分達の寮室以外は入っちゃダメなんです。盗難とかのトラブルになるから、一緒に宿題とかお話とかしたければ、自由時間に談話室に行かないとダメなんです。

 で、そういうルール違反を寮母や生活指導の先生に告げ口したら内申が上がるから、皆が見張りあってたりするから、意外とこのルールは守られてるし、誰にも見つからずに他人の部屋を出入りするのはかなり難しいです。

 ……でも、ヘラちゃんなら……」

「どこで何をしようが、告げ口など出来る奴がいない……ということか」

 

 針を盗みに入った時点では、少なくとも表向きの関係は友人なのだから、別に誰も不思議には思わないだろう。

 そして、学園の女王が規則違反をしたと告げ口し、微々たる点数稼ぎをして奴を敵に回すより、見て見ぬフリの方が得なのは明白。

 ……どう考えても不自然な嫌がらせが発生したのなら、なおの事だ。

 

 歯を模した強化セラミックを割らんばかりに噛みしめる。

 その頃は知り合ってないどころか、まだサイボーグにすらなっていないと言うのに、何もしてやれなかった自分が悔しくてたまらない。

 

 彼女は気付いているだろうか?

 おそらく、気付いているだろう。少なくとも、針の件以上にお粗末なプレゼントの濡れ衣の時点で針もヘラの自作自演と気付き、その上であの人は謝って、身を投げた。

 

 そんなことをするほど、友人にそんなことをさせてしまうほど、自分が嫌いで、自分が悪かったと、エヒメさんは自分を責めて、飛び降りた。

 何もかも奪われた彼女に残されたものは、最愛の兄以外に残されたものは、自分がわからないという違和感と、背負う必要のない罪悪感だけだった。

 

 そして今も、その贖罪を続けている。

 あまりに痛々しくて、それこそ無意味な贖罪を。

 

 ……覚悟はできていたつもりだった。知ったからと言って、あの人に何かできることがある訳ではないことも、わかっていたつもりだった。

 だが、想像以上の理不尽と不条理な過去が俺の無力感を苛み、憎悪を過熱させる。

 

 そこまで甚振り、嬲り、傷つけ、奪い、壊して、そして殺し尽くしておいて、再会すればまた殺すのか。

 あの人の心を未だに何度も何度も殺し続けるあの女が、憎くて憎くて仕方がなかった。

 

 ……それでも、この憎しみは何も生まない。

 エヒメさんの幸福には繋がらないと俺は自分に言い聞かせ、ベンチから立ち上がってミラージュに礼を言う。

 

「……礼を言う。時間を取らせて悪かった」

 それだけを伝えて、帰ろうとした。

 エヒメさんの顔が見たかった。理由は全くわからないが、以前と同じように穏やかに楽しそうに笑ってくれる彼女を、どうしても見たかった。

 彼女は生きていることを、壊されても、奪われても、取り戻して新しく手に入れたものもあることを確かめて、安心したかった。

 

「あ、あの、ま、待ってください」

 俺はただその一心で帰路につこうとしたのを、ミラージュは服の裾を掴んで止める。

「あの、私の話も、お願いも聞いてください!!」

 ……あぁ、そうだった。こいつもエヒメさんについて話したいことがあると言って、そもそも俺に手紙を送ってきたことを今更思い出す。

 

 さすがに自分の要求のみを押し通して、相手から何も聞かずに帰るのは図々しく無礼だったと反省し、「すまない」と一言謝罪して俺はミラージュの「話」、「お願い」とやらを聞いた。

 

 ミラージュはもじもじと体をくねらせて、上目遣いで俺に言った。

「……あの、……お願いします! ヒメちゃんに伝えて欲しいんです! ごめんなさいって!」

 

その言葉に、思わず俺は即座に答えてしまった。

「バカか、貴様は」





ちょっと体調不良なので、次の更新は明後日の火曜日予定とさせていただきます。
気になるところで切ってごめんなさい。

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