エヒメさんが『奴ら』と再会して2日経つが、今のところエヒメさんは拍子抜けするほどに問題はない。
また『奴ら』と鉢合わせをするのが怖いのか、以前なら「一人で大丈夫です!」と言ってきかなかった買い物も、俺や先生が行くと言えば素直に任せてくれるくらいで、それもこちらが提案しなければやはりいつも通り一人で行こうとする。
強がりで無理をしているのではなく本当に平気らしいと先生も不思議そうながら断言しており、俺から見てもエヒメさんは2日前どころかフブキの家に泊まる以前と同じように穏やかで、俺が知るいつも通りのエヒメさんだった。
……何故かまだ多少俺に対してぎこちない部分があるが、それでも2日前よりずいぶんマシになっている。
何があってエヒメさんが一晩であそこまで立ち直ったのかは、俺にとっても先生にとっても謎でしかないが、強がりではなく本当に平気なら喜びこそすれ文句はない。
不思議で気になるのは事実だが、問い詰めてむしろトラウマをえぐり返したら最悪なので、俺は先生と同じようにあの日のことを話題にあげず、ただいつも通りの日常を送る。
……送りながらも、もう後悔などしないように俺は行動する。
意味があるのか、何になるのかはわからない。
それでも、もう無知を言い訳にしたくない、悔やみたくないの一心で今できることを探して行動する。
「……が、さすがにこれはきついな」
独り言をつぶやいて俺は、目頭を押さえた。
眼精疲労とは無縁だが、精神的に疲れてつい生身だった頃と同じ動作をしてしまう。
それほどまでに、これは見ているだけで辛い。
PCモニタに羅列された不平不満に嫉妬、他人の不幸に対する黒い喜悦なんてやはり人間が見るものではないな。
ここ最近というか2日前から以前のような日常を送る傍ら、俺が自宅に帰ってからの日課としてPCで情報収集を始めてみた。
エヒメさんを絶望に追い詰めた、「奴ら」に関して、そして3年前に「何が」起こったのかを調べ続けている。
しかし、俺はこんな身体だから機械系ならそこらの素人より詳しいが、ネット関連、特にハッキングなどは専門外だ。
ネットに関しては普通か少し詳しい程度の俺にできることは、奴らがツイッターやフェイスブックなどのSNSで情報を公開していないかを期待して本名で検索してみたり、先生から聞いたエヒメさんが中退した、奴らの母校である女学校の関係者だとプロフィールなどで公開している者を総当たりで閲覧するしかない。
まず、本名で検索は完全な空振りだった。
まぁ、これはよほどの馬鹿ではない限り、今時個人情報をそんなに簡単に公開する奴はいないので、そこまで馬鹿ではないと言う可能性の排除の為に一応やってみただけなので、初めから期待などしていない。
問題は、いくら漁っても3年前、正確に言うとエヒメさんが学園に在籍していた頃、リアルタイムで近況を記した人物のSNSやブログ等が存在しないことだ。
これはエヒメさんが在籍していた学園自体を調べてみたら、理由は簡単にわかった。
今時珍しい幼稚舎から短大まで付属の名門女学校は、よく言えば純粋培養のお嬢様を育てて悪い虫がつかないようにするため、俺の感想を率直に言えば、男にとって都合のいい女に洗脳して閉じ込める檻でしかない。
そんな学校だからか、好奇心旺盛で影響を受けやすい思春期に、良くも悪くも情報が溢れかえっているネットを生徒に近づけないことに徹底しているようだ。
全寮制というのもあって特に必要性もないのでケータイの所持は完全禁止、今なら小学校で始めるPC関連の授業も高等部に上がるまで一切なし、高等部での授業もワード・エクセルなど事務・会計系ソフトの使い方くらいしか教えないと、学園のHPで堂々と記されていた。
だから、別にエヒメさんが在籍していた時期に限らず、この学園の生徒でネット環境に触れられるのは短大生、もしくは寮制ではない初等部くらいであり、中等部・高等部の生徒のSNSやブログ・サイトはそもそも存在しないようだ。
コネか何かを使ってケータイを持ち込んでいる者はおそらく存在はするだろうが、プロフに学校名をご丁寧に記載すれば即座に見つかって没収されるので、結局存在しない。
「お嬢様学校」くらいに濁されたら絞り込みようがなく、当時をリアルタイムで記した情報を探すのは諦めた。
偏見かもしれんが、今時の10代少女でSNSに登録していない、ブログやサイトを持っていない人間が少数だろうと思い、他人事の野次馬根性、保身や言い訳で汚されてはいるだろうが、先生も知らずエヒメさんが語らない「真実」の一端が知れると期待した分、この事実はさすがに凹む。
まぁ、まったく何もわからなかったわけじゃない、エヒメさんの同窓生はちょうど今年卒業してネット環境に触れられるようになり、そのことにはしゃいでさっそくSNSを始めているものが多く、多少は情報が入っただけマシだがな。
とりあえず、ヘラという女については少しわかった。
どうもあの女は学園の創立者のひ孫、現理事長の姪にあたり、学園に対して莫大な寄付金を収める、比喩や誇張ではなくまさしくあの学園の女王と呼ぶべき権力者だった。
……もうこれだけで、何故エヒメさんがあそこまで何もかもを奪われて、そこまでされても逃げ出せず、そして誰も、生徒はおろか教師も助けなかった理由に想像がつく。
あの学園はあの女の王国。どんな暴政もまかり通り、そしてあいつに都合よく隠し通される魔境だったのだろう。
ただ少なくとあの女は、表向きは厳格で正義感が強くて真面目で付き合いづらいが、特に自分の出自をひけらかさず、むしろ理不尽なほどに厳しい規則は理事長である叔父に直談判するリベラルな人間だったと同窓生や他の高校や中学に進学していった後輩らしき人間が、SNSなどで語っているのが多い。
中にはひたすらにこきおろしている輩もいるが、あの女を仇である暴走サイボーグと同じくらい憎んでいる俺でも、明らかにただ単に家が金持ちであり、本人がとてつもなく美人であることに嫉妬して、揚げ足取りのあら捜しで捏造でっち上げの誹謗中傷をしていることがわかるものが多かった。
しかし、尾ひれがついているのだろうが事実が元であろう悪い話も少なくなかった。
学費免除の特待生を、退学に追い込んだ。
一般家庭出身の編入生を、自殺に追い込んだ。
これらの話が時々話題に出ており、ヘラを褒め称えていたアカウントもその話題に関しては特待生や編入生の自業自得などと責任転嫁して擁護していたが、「退学」や「自殺に追い込んだ」ということ自体を否定するものは皆無だった。
先生が言うに、エヒメさんがこの学園に進学したのは親の期待に応えたいが家庭の経済事情から私立中学に進学は厳しかったので、特待生制度を利用したらしい。なのでこの「特待生」「編入生」は間違いなく、エヒメさんだろう。
この俺が知りたい過去のキーワードは探せばチラチラと出てくるのだが、昔の話なのと当事者たちではない、そして一般公開のSNSで出す話題ではない為、やはり確信的な部分を語っているものは探しても探しても見つからない。
とりあえず、ヘラ擁護派が語るエヒメさんを自殺や退学に追い込んだ理由は、エヒメさんが学園で何らかの「トラブル」を起こしたからであり、自殺は当てつけの狂言、退学はそのトラブルの責任を取ってであり、ヘラ否定派はその「トラブル」はヘラの自作自演であり、自分より成績優秀だったから、あるいは理由など特になくただ単に気に入らなかったからイジメた挙句に自殺未遂にまで追い詰め、そのまま精神を壊して中退したが定説だということがわかった。
……これは、後者が正しいのだろうな。本人を知っていれば、どう考えても狂言の自殺未遂なんてありえない。
まぁ、テレポートという能力がこのタイミングで覚醒してしまったのなら、そんな噂が流れても仕方がないと客観的に考えれば納得するのだが、ヘラを擁護するために被害者であるエヒメさんをさらに貶める奴らに対する怒りで、昨日俺がパソコンを壊しかけたのは余談だ。
とにかく、真実に近いの情報はヘラを気に入らないと非難している側を探した方が誇張されているものでも見つかるだろうと判断して、今日もひたすらに同窓らしき人物のSNSを探して読み漁っているのだが……だいぶ嫌気が差している。
欲しい情報がまったく手に入らず、ただひたすらに悪意だけを見ていたらそうなるのも当然か。
PCの時計を見て見れば、もう日付はとっくの昔に変わっている。
結局、今日もエヒメさんが濡れ衣を被せられたと思われる「トラブル」が具体的にどんなものだったかもわからない。
ただひたすらに、くだらない嫉妬と不平不満ばかりを目に通したという事実が、さらに俺の精神を疲労させる。
今日はもう情報収集を切り上げるのはいいとして、少しは昔のことがわかった昨日と違って、今日は何の収穫もなく無駄な時間を過ごし、ストレスを溜めただけというのがさすがに虚しい。
このまま眠ると寸前まで読んでいた陰鬱な愚痴がそのまま夢に影響されそうなので、何か気分転換に本でも読むかと思ったが、今日届けられた俺宛てのファンレターが入った段ボールが目に入る。
正直、俺宛てのファンレターは俺の写真を見て勝手にイメージした評価を一方的にぶつけてきて、「誰の事を語っているんだ、こいつは?」と思うものが多く、読んでも嬉しいより困惑して疲弊することが多いのだが、ネガティブな内容ばかりを読んできた今は、何でもいいからポジティブなものを目にしたかったので丁度いい。
そう思いながらも、やはり読むならラブレターどころかストーカー手前なものではなく、直接助けた人間からの「ありがとう」や、子供が純粋に憧れてくれて送ってくれた、どんな時でも活力になるものがいいので、箱の中の手紙を選別する。
中身を見なくても最近はどういう手紙がそういうストーカー手前なのかがわかるようになってしまったのは、良いことなのかどうか微妙だな。
俺は封筒にやたらと立体的なシールを張り付けているもの、手がラメだらけになりそうなペンで住所や宛名、封筒のふちに装飾を書き加えている手紙を見つけては、とりあえず横に分けて置いておく。
少しでも印象に残りたいのか、それともどの手紙よりも先に読んでほしいと工夫を凝らした努力は認めるが、こういう手紙ほどストーカー手前な内容が多い。
もちろん違う場合の方が多いのだが、正直言ってここまでガツガツしてる時点で、少なくとも中身もテンションが高くて読んでて困惑するものが9割だ。
まぁ、判別しやすいだけ便利だと思いながら仕分けを続けていたら、気になる封筒を見つけた。
シールやラメ入りペンで封筒を目立たせるのは基本的に両面、片面なら宛名の方を装飾したものばかりだが、その手紙は何故か宛名の方はそっけなく黒のボールペンで「鬼サイボーグ様」とヒーロー協会の住所だけで、裏面の差出人の方をやたらと装飾していた。
これだけなら「ナルシストなのか?」で終わるが、その差出人の名前は本名ではなかった。
偽名でもなかった。
ただ、自分が何者かをそこに書いており、それだけでどうしてこちら側を目立たせたのかを理解した。
俺が乱暴にその手紙の封を開けると、やはり封筒の派手さとは異なり中身の便せんは一枚きりで内容も短い。
シンプルな要件と、自分の連絡先、そして本名らしき名前だけが書かれていた。
深夜だったが俺は即座にこのに書かれたメアドに、『こちらも訊きたいことがある。近日中に直接会って話せないか?』と送った。
さすがに自分のケータイやPCのメアドを知られるのは危険だと判断し、フリーのメアドを使ったが。
ここに書かれているのが事実だと、本人が送ったものだという保証はないのだから、このくらいの警戒はしておくべきだと判断した。
夜中にも拘らず、5分足らずで返信があった。とにかく目立つように、中身を見てもらえるようにと努力しただけあって、向こうも手紙を送ってから連絡をずっと待っていたのだろう。
そのまま俺と相手は明日の昼前にZ市の適当な場所で会う約束を取り付けて、とりあえずやり取りを終了させる。
俺はベッドに腰掛け、もう一度便箋に目を落として思い出す。
2日前、いや既に3日前になっているか。
あの日に出会ってしまった、エヒメさんのトラウマそのものである連中を思い出す。
『ヒメちゃんについて話したいことがあります。どうか連絡をください』
便せんに書かれていた用件はこれのみ。
封筒に書かれていた差出人の名前は、「ヒメちゃんの幼馴染」
便せんに締めくくりで書かれていた本名らしき名前は、「ミラージュ」
脳裏によぎったのは、「ミラは黙ってなさい」と叱責された、唯一エヒメさんを中傷も罵倒もせず、「待って」と呼び止めた女だった。
しばらく、ジェノス視点の情報収集回が続きます。