私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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ジェノス視点です。


今、ここにあるもの

 後悔が消えない。

 

 何度も何度も、俺は思い出して後悔をし続ける。

 何もかもが終わった後も、先生に「お前の所為じゃない」と言われても。

 俺だってそれをやったのが別の誰かだったのなら、責める気は起きない。

 未来予知も人の心も読めないのなら、仕方がない出来事だったと相手を慰める。

 

 なのに、俺は俺自身を許せずに後悔をし続ける。

 ……どうして俺はあの時、彼女の名を呼んでしまったのだろう? と。

 

 * * *

 

 初めは「誰だ?」と思った。

 つい数分前に倒した怪人、以前にエヒメさんを狙ったストーカーが成り果てたのと同じブサモンらしき怪人に目をつけられていた4人組であること、俺がエヒメさんの元にすぐに戻ろうとした時に騒いで引き留めた奴らであることに気付いたのは、そのうちの一人だけが少し印象に残っていたからだ。

 

 目を引く豪奢な銀髪に、赤というやたらと目立つ色なのに下品な派手さはなく、上品なドレスじみたワンピース。

 そしてそれらを引き立て役として完璧に調和させている、完成されつつもまだどこか幼さを残した怜悧な美貌。

 

 少なくとも10代であることは間違いないというのに、その女を言い表すなら「姫」ではなく「女王」もしくは「女帝」が相応しい貫録の持ち主で、丁寧に頭を下げて「助けていただいてありがとうございます」と言ってはいたが、俺を見上げているはずなのに見下ろされているように感じる眼差しと、感謝よりも「褒めて遣わす」とでも思っていそうな言い草が嫌でも印象に残った。

 

 正直言って礼を言われる前から、一目見た瞬間からあのプライドの高さだけはそっくりなサイキック姉妹を、特にフブキを連想させる高慢さが全開で良い印象がなかった。

 だからそいつも含めて話はほとんど聞かずに、何とか「急いでいる」と言い捨ててエヒメさんの元まで戻ってきた。

 

 あの後も俺を探していたのか、それとも偶然か。

 どちらにしてもこの時の俺にとっては面倒で迷惑なのは確かだったが、小さくてささやかな街中を見回りなどで歩くたびに起こる出来事でしかなかった。

 それにエヒメさんを巻き込んだことを申し訳なく思い、こいつらがエヒメさんに対して失礼なことを言わないか、無視されているエヒメさんは不快に思っていないかだけが心配だった。

 

 だから、万が一にもあのストーカーのように物を投げつけられるなどの暴力行為から守れるように、エヒメさんを自分の傍らに引き寄せた。

 その時、ようやく気が付いた。

 

 異様に強張った身体。深い呼吸と浅い呼吸がめちゃくちゃに入り乱れた息。

 真っ白な顔色で、目を見開いてその場で固まるエヒメさんに動揺して、俺は最悪の反応をしてしまった。

 

「!? エヒメさん! 大丈夫ですか!?」

 

 奴らの前で、名前を出してしまった。

 

 ヒヨドリの囀りのように一方的に話しかけていた連中が、静かになる。

 数秒も満たない沈黙が、やけに長く感じた。

 その沈黙を破ったのは4人組の中心、10代にして女王の貫録を持つ女が、年相応よりやや幼く見える呆けた顔で呟いた。

 

「エヒメ?」

 

 その声にぎこちなく、自分の意思で動かしているとは思えない動きで、震えながらエヒメさんは振り返り、かすれた声でそれは言ったのか、溢れ出たのか。

 

「――ヘラ……」

 

 深海王に追い詰められていた時の方が億倍マシなくらい、畏縮して、絶望に染まった顔をしていた。

 

 相手の名前がエヒメさんの口から出てきた時点で、どういう関係なのかは察することが出来たのに、彼女をイジメて、絶望に叩き落とした奴らだという事はわかっていたのに、エヒメさんのあまりの怯えようにパニックを起こした俺は、何もできなかった。

 あの時点で、抱き上げてでもその場から無理やり離れたらよかったのに、俺はエヒメさんの肩を掴み、「エヒメさん!?」と呼びかけることしかしなかった。

 

 そんな俺の行動が気に入らなかったのか、ヘラと呼ばれた女は一度鼻を鳴らしてから高慢に言う。

「……久しぶり。3年ぶりかしら? 元気そうで何よりだわ」

 

 血の気が引いて真っ白な顔色で、小刻みに体を震わせるエヒメさんに奴はいけしゃあしゃあと言い、リーダー格の言葉に調子に乗ったのか他の二人も口を出す。

「やだ、エヒメったら緊張してるの? お腹でも痛いの? それなら早く帰った方がいいんじゃない? 鬼サイボーグさんの迷惑になっちゃうし」

「そうそう、私たちがイジメてるみたいに見えるし、早く帰りなよ」

 

 リーダー格の下位互換、劣化コピーとしか言いようのない外見と、貫録やカリスマをただ根拠もなく相手を見下してふんぞり返ることと勘違いしている女どもの言葉に、血の代わりに頭に殺意が駆け巡る。

 そうやって、この人を甚振ってきたのか。

 

 そうやってこの人から全てを奪って、今も奪い続けているのか!

 

「ルビナス、ベラドンナ。黙りなさい」

 俺がそう叫びそうになったタイミングで、意外にもリーダー格が止めた。

「え? ヘラ?」

 ニヤニヤと醜悪に笑いながら、怯えるエヒメさんを一方的に言葉で甚振っていた奴らは、中心人物が止めるとは思わず呆けた顔をするが、それを横目で見ながらヘラという女は淡々と続けた。

 

「聞こえなかった? 黙りなさいと私が言ったのよ。私が」

 言ったのは、命じたのは自分であることを強調すると、取り巻き二人が卑屈そうな笑みを張り付けて、目を逸らして黙った。

 人を引きずり落として見下して甚振る奴らとは違い、自分が高みにいることを自覚して、それを当然である自然体の貫録は、素直に見事だと思わず感心してしまった。

 けれど、この女は別にエヒメさんを庇った訳ではないのだろう。

 おそらく、取り巻きではなく自分自身の手で彼女を傷つけたかっただけだ。

 

「……ご、ごめん……なさい……」

 

 息切れをしながら、震えながら、俯いて自分の足元だけを見ながらも、エヒメさんは声を絞り出す。

 そこまでして必死で紡ぎ出した謝罪を、この女は不愉快そうに顔を歪めて舌打ちした。

 

「……それは何に対しての謝罪? 3年たってもまだ、それしか言えないの?」

「黙れ!」

 ヘラという女の言葉で怯えたように体を震わせ、空気漏れをしたポンプのようにヒュウヒュウと苦し気な息になってきたエヒメさんの肩を抱き、自分に引き寄せてそのまま背を向ける。

 

 俺の一喝でさすがに一瞬押し黙った隙に、エヒメさんの背を押して無理やりだが歩かせてその場から立ち去ろうとした時、声をかけられた。

「ま、待って! ヒメちゃん!」

「ミラは黙ってなさい!!」

 

 リーダー格のヘラでも、黙れと言われた取り巻きの者でもない声がエヒメさんを呼び止め、ヘラはヒステリックにその声の主を叱責した。

 そしてエヒメさん自身は、ビクリと体を大きく震わせて、その場にがくりと座り込む。

「エヒメさん!」

 

 真っ白な顔色のまま地面に手を突き、過呼吸一歩手前の呼吸でただ彼女は震え続ける。

 そんな彼女に、女王は言う。

 

「……また、逃げるの?」

 

 今度は、俺が睨み付けても怯まなかった。

 むしろ俺など眼中にもないと言わんばかりに、エヒメさんを睨み付け、そいつは言い捨てた。

 

「3年前から、全然変わってないのね。

 言いたいことがあるのなら、言いなさいよ。ごめんなさいごめんなさいってそれだけ言って、また逃げる気?

 ……卑怯者」

「黙れ!!」

 

 開きかけた砲門を、叫ぶことで何とか押さえつける。

「貴様が……それを言うのか?

 3年前から彼女が変われないのは、お前らが全てを奪ったからだろうが!

 この人から、尊厳も自信も幸せも逃げ場も、貴様らが全てを壊して奪い尽くしたからだろうが!!」

 

 俺の叫びに、取り巻きどもはそれぞれ目を逸らす。

 だが、女王は一度目を見開いただけで、怯まず、揺るがない。

 自分が加害者であることなど自覚がないと言うより、自分以外の相手は甚振っても構わない、それが自然で当然だと中世の貴族のようなことで思い込んでいるのか、ただ俺の言葉で屈辱そうに唇を噛み、顔を歪めた。

 

 元々、期待などしていなかったがやはり良心に訴えるのも無駄だと思い知らされ、俺は今すぐにあいつらを焼き払いたい衝動に駆られるが、その衝動はあまりにもか弱くて悲痛な手がによって別物に変わる。

 

「……エヒメさん」

 俺の指先に、握ると言うよりは引っかけると言った方が正しいくらいの力加減で、それでも、誓いではなくただ恐怖で畏縮して逃げることが出来なくて座り込んでしまった人は、確かに俺の指先を掴み、言った。

 

「ち……がう……の……。ヘラは……違う……違うん……です……」

 

 俯いたまま、どこを見ているのかわからない虚ろな目で、全身を震わせて、歯をガチガチと鳴らし、息絶え絶えに彼女は自分を「卑怯」と罵った相手を擁護する。

 

 ……ここまで、あいつらはこの人を追い詰めたのか?

 自分がすべて悪いと加害妄想で、相手を庇って謝るしか出来なくなるぐらいに追い詰めておいて、まだこの人を苦しめるのか?

 そして俺は、何もできないのか?

 

「ちが……う……ヘラは……ちが……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「エヒメさん! もういいです! もういいんです!!」

 

 繰り返す言葉を遮って、俺は叫ぶ。

 何をしてるんだ、俺は。

 俺が今すべきなのは、あいつらを焼き払うことでも、自分の無力感を思い知らされることでもないだろうが。

 自分の不甲斐なさに死にたくなるのも後回しにして、俺はエヒメさんに「失礼します」と声をかける。

 

 声をかけても、エヒメさんは顔色悪くただただ壊れたスピーカーのように、「ごめんなさい」を繰り返すだけだったが、悪いが俺は彼女の返事を待たずにそのまま抱き上げる。

 そして、奴らを無視して一刻も早くここから立ち去ることを優先した。

 

 振り返らず、奴らの方を一切見向きもせず、俺はエヒメさんをしっかり抱きかかえてその場から走り去った。

 

 * * *

 

 気が付いたら、ゴーストタウンにいた。

 ただひたすらに、あいつらから離れることを考えて、走った。

 電車やタクシーの存在を忘れて、エヒメさんを抱き上げてただ走り抜けた。

 

 ……エヒメさんは俺の腕の中で、抵抗もせず、遠慮もせず、ただひたすらに謝り続けていた。

「ごめんなさい」と奴らに、……あの忌々しい女王に、しなくてもいい謝罪を繰り返し続ける。

 まるでそう言わなければ、生きていることも許されないと思っているように。

 

「……貴女は、悪くない」

 腕の中で、どんなに離れても畏縮して硬直したままのエヒメさんを抱きしめる力が増す。

 痛いや苦しいと訴えることすらしない。それすら感じているのかどうかも怪しい。

 おそらく、俺の言葉なんて聞こえていないのは、わかってる。

 

 それでも、俺はただただ彼女に訴えかけた。

「貴女は何も悪くない。悪くないんです。謝らなくてもいいんです。

 俺は、貴女の過去を知りません。何があったかはわかりません。

 それでも……それでも、俺は貴女の味方です。たとえ何を知っても、何があったとしても、貴女の味方であり続けます。

 だから……だから、お願いします……」

 

 誰もいない無人街で、俺は立ち止まる。

 腕の中で人形のような顔色で、絶望に染まったままの顔で、泣くことも出来ず謝るしか出来ない彼女に懇願する。

 

「もう、これ以上……自分で自分を傷つけないでください」

 

 この人は謝罪を口にしているが、許しを求めているようには見えなかった。

 ……求めていないことなど、とっくの昔から知っている。

 この人は、「加害者は永遠に加害者」だと言った。

 

 ……その価値観を、被害者であるはずの自分自身に当てはめて、許されないこと、拒絶されることが前提で、それこそが自分の贖罪としてただ謝っていた。

 

 そんな贖罪、しなくていいのに。

 許されないのは、拒絶されるのはあなたが罪深いからではなくて、あいつらがただ貴女を苦しめたいから、何もかもを奪い尽くしたいからでしかないのに。

 

「エヒメさん……。話したくないことなら、何も、誰にも話さなくていいんです。話して、吐き出して楽になりたいことなら、いくらでも吐き出してください。

 でも……貴女が言って辛くなるだけの事は、言わないでください。お願いします。

 俺は……貴女が何も話してくれないより……、貴女から辛い話を聞くよりも……それが一番、……辛い」

 

 自分のこの言い分が卑怯なのはわかっている。

 許されるためではなく贖罪で謝罪する彼女なら、「貴女の為」と言うより「俺の為」と言った方が、自分の殻に閉じこもったこの状態でも言葉が届くのではないかと思った。

 自分の為には何もしてくれない、我慢ばかりをして俺に甘えてなどくれないこの人の性格を、利用するしかななかった。

 

 ……杖になどまるでなれていない、いつもいつも彼女を傷つけてばかりな自分を本当に殺してしまいたい。

 そう、思っていた。

 

 俺の卑怯な思惑通り、エヒメさんは謝罪を口にするのをやめた。

「……エヒメさん、かなり飛ばして走ってしまいましたが、どこか痛い所はありませんか?」

 返事を期待せず、ただ少しでもあいつらの事を忘れさせたいの一心で、思いつくままに話をしながら、俺は歩いていく。

 

 今日の映画のこと。昨日、先生からおすそ分けとしてもらった肉じゃがのこと。今日の夕食は何にするかなど、思いつくままに日常を、あいつらに奪われることなどない、先生が築き上げ、守り抜き、……そして俺も守ってゆくと誓った日常をただ話す。

 もう貴女は何も奪われない、貴女は幸せになっていいと、伝え続けた。

 

「………………自分が、わからなくなったんです」

 

 音速のソニックとあまり思い出すべきではない諍いを起こした廃工場前を通ったあたりで、エヒメさんは蚊が鳴くような声で呟いた。

 脈絡は全くない。何の話かはわからない。

 

 けれど俺は、黙ってただ聞いた。

 

「……自分の何が正しいのか、何が悪くて何が良いことなのか、歩き方も、息の仕方もわからなくなったんです。

 私の言う事、やる事、考えも全てが悪い、迷惑、カッコ悪い、つまらない、邪魔って言われて、扱われて、自分がしたはずの事が誰かのものになって、していない事が私がした事になって、自分が今、起きているのか、夢の中なのか、自分が今、動かしている指先は本当に自分の手なのか、自分の意志で本当に動かしているのかさえも、わからなくなったんです」

 

 吐き出して、楽になっているのかは俺にはわからない。

 身体の震えは酷くなり、目に涙が浮かんでいる。

 俺の服に、胸元に縋りついて、彼女は語った。

 

 3年前に、何を奪われたかを。

 絶望を。

 

「何もわからなくなって、怪我をしたのが自分なのか相手なのか、自分が何をしようとしたのか、何をしたのかもわからなくなって、何も、何も私にはなくって、もうなくって、全然、私が私だって証明するものなんか何もなくなってることに気付いて、私は、私は――」

 

 何を言えばいいかわからなかった。

 貴女はここにいる。

 俺は貴女を知っている。

 

 そんな言葉が、どれほどの救いになる?

 

「だから……私はあの日、飛び降りた――」

 

 何もかもが嫌になったんじゃない。

 何もかもを捨てたくなったんじゃない。

 

 何もかもを奪われて、壊されて、なくして、自分の命さえも他人のもののように感じて、その違和感に耐えきれなくなった人に、今もその違和感が付きまとって、生きていることに罪悪感を抱くこの人は、どうやったら救われるんだ?

 

 俺は、俺の胸に顔を埋めてただ泣きじゃくるエヒメさんを抱きかかえたまま、歩く。

 

「エヒメさん」

 

 ただ一つだけ、救いになんかならなくとも、あまりに多くのものをなくした彼女に俺が与えられるものはこれしか思い浮かばなかったから、それだけを伝える。

 

「俺は、貴女に出会えて幸せです」

 

 貴女が自分自身とその命を、たとえどんなに俺や先生が否定しても違和感を拭えず、罪深いと思っていても、……それでも、貴女と出会って貴女が俺にくれたもの全てが、愛おしい。

 

 例え他人のものでも、どんなに罪深くても、それでも俺は貴女が生きていてくれることが嬉しい。

 

 貴女がいるから、俺は生きている。

 

 貴女の生に、価値はある。

 

 

 

 

 

 ……エヒメさんから返事はなかった。

 ただほんの少しだけ、俺の服を掴み、縋る手が強くなった。

 


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