「エヒメさんは、ホラーが平気なんですね。……正直、意外でした」
「……というより、推理物が結構好きなんです。そういう要素がある作品だと、何故か探偵役と張り合ってひたすら謎解きに集中してしまうんです」
今すぐに穴を掘ってそのまま化石になるまで埋まりたい、パート2。
……私の脳の容量は何なの? 8ビットしかないの? ところてん式なの?
あんだけ緊張してたくせに、映画が凄く自分好みで面白かったら何で終わった直後にここ数日間の気まずさ忘れて、「面白かったですね! でも私、主人公より先に事件の真相わかりました!」ってジェノスさんに言ってんの?
しかも映画、ミステリ要素が強いとはいえホラーだよ!! 女としてこの反応や感想は盛大に間違えてる!
ここは映画の最中にキャーキャー悲鳴あげるのが、可愛げのある女の子の反応だよ! 悲鳴あげた覚えないよ! ジェノスさんも「終始、真顔でした」って言ってたよ!!
……もう本当に死にたい。
今更になって羞恥心が舞い戻って来て、私は映画が終わった後にとりあえず入ったカフェのメニューで顔を隠して言い訳する。
「そういえば、推理物をよく読んでましたね」
私の言い訳にジェノスさんは素直に納得したような声で答え、そして映画の感想を続けた。
「俺は幽霊とかそういう非科学的なものは信じていないので、ホラーものには興味がなくて今まで見たことがないジャンルでしたけど、確かにあれはいい作品ですね。
推理や恋愛、サスペンスの要素をうまく取り入れて、ラストも後味の良いハッピーエンドでしたし」
「……そうですね。私、終盤の告白のシーンがすごく好きです」
……本当、ジェノスさんはいい人だし優しいなぁ。
私はまだここ数日の挙動不審を謝れていないし、今だってまた挙動不審が再発してるのに、そのことを触れずにいつも通りに接してくれる。
映画館に到着した時も、フブキさんがちょっと本気を出して色々と気合いを入れすぎて……本当にデートみたいにしちゃったこの格好に一瞬唖然としてたのに、引かれて当然だったけどやっぱり恥ずかしさで耐えきれなくて「やっぱり着替えに帰ります!」ってもう一回テレポートしそうになった私を捕まえて、「……可愛すぎて見惚れました」ってフォローしてくれたし。
でもジェノスさん。フォローは嬉しかったけど、嬉しすぎて死ぬかと思いました。
私の心臓がジェノスさんのエネルギーコアみたいに自爆機能があったら、間違いなく爆発してました。
そんな恥ずかしいやり取りを映画前はしてたのに、何で映画を見た後に私はすっかり忘れてんの!? あぁもう、そこが一番恥ずかしい!!
……でも、「映画の話題」という共通の話題の種があるおかげで、ジェノスさんの顔をまだまともには見れないけれど会話は出来るようになったから、もう結果オーライってことにしよう。
そう思わないと、マジで私は死ぬ。
「あぁ、あのシーンは良かったですね。序盤の授業のシーンでわずかに出てきたシメイとソーセキの雑学が、あそこに繋がるとは思いませんでした」
「ですね。私、この二人の『I LOVE YOU』の訳が好きですから、それをうまく使ってくれたのは嬉しかったです」
失礼だから言わないけど、恋愛のシーンにジェノスさんが食いつくのは意外だなぁと思いながら、私はさらに感想を伝える。
あのシーンは本当に良かったなぁ。主人公をずっと見守って助けてくれていた幽霊のヒロインに主人公が告白して、「死んでもいい」って言ったのに対して、ヒロインが返した答えは、「私もあなたと月見がしたかった」だった。
序盤の日常シーンで出てきた雑学を上手く使って、自分も愛してるけど告白に応えられないというのを言い表した、切ないシーンだった。
まぁ、ラストで実は幽霊じゃなくて幽体離脱、本体は植物人間状態だったけど魂が戻って来て意識が復活したという若干ご都合主義な真実が発覚したけど、それでもやっぱり物語はハッピーエンドが良いよね。
「……ああいう、ひねった言い回しの告白がお好みですか?」
またもやところてん式に映画の内容を思い出して忘れていた緊張が、意外すぎる質問で舞い戻ってきて、私はティーカップを口元まで持ってきたところで一時停止。
飲んでなくて良かった。飲んでたら一時停止じゃなくて、絶対にむせて咳こんでた。
っていうか、ジェノスさん何その質問!? なんでそんなところに食いついてるの!?
頭の中がまたパニックになるけど、人前ということもあってかわずかな理性がそれを表に出すのを防いで、私は口元まで持ってきたカップをそのまま受け皿に戻して、何とか答えた。
「…………そう……かもしれません。……されたことがないですし……考えたこともないですけど……、ただ『好きです』って言われるより、ああいう言い方の方が……好きだと……思います。
……でも、シメイの『死んでもいいわ』は訳としては好きですけど……言われたくはないですね。……好きな人が死んじゃうのが、一番嫌ですから」
私、変なこと言ってないよね? 「ジェノスさんと映画が見たいです!」って叫んだみたいに、自分の欲望丸出しなこと言ってないよね? とひたすらそのことだけを考えて答えを絞り出したら、ジェノスさんは普通に「そうですか」と相槌を打つ。
その返答とごく普通の様子にほっとしたのもつかの間、ジェノスさんはコーヒーを一口飲んでから、言った。
「覚えておきます」
その言葉にカップを持ち上げようとした私の手がまた止まる。
聞き間違いだと予防線を張る自分と、それはどういう意味かと知りたがる、期待する自分で頭がぐちゃぐちゃになる。
どういう意味かと訊いて、私はどうするの?
何を期待しているの?
だって私なんかを、誰が……
『もう、いらない』
私なんかを……誰が――
『だってエヒメ、あんたもう何の価値もないじゃない』
「エヒメさん?」
視界が過去から現実に戻る。
私と向かい合っているのはあの日の「絶望」じゃなくて、心配そうに顔を歪める人。
あの日からお兄ちゃん以外で初めて、一緒にいて楽しいとか、安心できるとか思った人。
たくさんの何かをほしいと求めて、命に代えても貫きたいことを、私に教えてくれた人が、悲しげな眼をして言った。
「……すみません。やはり、俺といるのはまだ苦痛ですよね」
「!? そんなことないです!!」
思わず、声を上げた。
ジェノスさんだけじゃなくて、周りのお客さんや店員さんも一斉に目を丸くして私の方を見たので、血が顔に集まってすごく熱い。
また穴があったら埋まりたくなりながら、またジェノスさんの顔が見れなくなって俯いて、それでも私は言葉を続ける。
これだけは、絶対に言わなくちゃいけないから。
私が誤解されるだけならまだしも、心配をかけた挙句にこの人を悲しませるなんてあってはならないから。
だから、言わなくちゃいけない。
「……ごめんなさい、ジェノスさん。ずっと、理由も言わずに避けてて……。
でも、違うんです。あなたと一緒にいるのが苦痛だからとか、そうなんじゃないんです。本当に、お兄ちゃんに伝言してもらった通り、メールの通りなんです。
……私の都合で、私のただ言いたくないってわがままですけど、理由は言えないけど、本当にあなたが嫌いだとか、あなたが悪いとかじゃないんです。
……今、言えるのはこれだけですけど、私の言ったことは本心です。
本当に、本当に私は……ジェノスさんのこと――」
言おうとした言葉は、臆病な私が堰き止めてしまって言葉に出来なかった。
けれど、言わなくてもいいと言うように、わかってると伝えるように、……お兄ちゃんがいつもしてくれるように、私の頭の優しい重みが加わる。
体温はなくて、硬くて、無機質。
お兄ちゃんの手とは全然違うけど、お兄ちゃんと同じくらい安心できる大好きな手が私の頭を、壊れ物でも扱うみたいに、自分が触れていいのかを迷うように、怖々と、優しく、ゆっくりと撫でたくれた。
「……もう、大丈夫です。……もう、いいんです。
すみません、あなたの言葉を疑ってしまって。でも、もう大丈夫です。ちゃんと、わかりました」
その言葉と優しい手が、私の爆発しそうだった心臓の鼓動を落ち着かせる。
顔を上げると、ジェノスさんが穏やかに笑ってくれていた。
その穏やかな笑顔で、ジェノスさんは言葉を続けた。
「エヒメさん。俺も、貴女のことが――」
「怪人だーっ!!」
「「………………」」
私とジェノスさんの間に、何とも言えない微妙な沈黙が落ちる。
カフェの外が騒がしいけど、警報は鳴っていないし建物とかが倒壊する音も聞こえない。
聞こえてくるのは逃げ惑う人の悲鳴のみということは、つい今さっき発生したか現れたなんだろうな。
災害レベルは、わからない。けど、鬼や竜だと現れてすぐにシャレにならない被害が出るから、虎か狼あたりの可能性が高い。
だから、ジェノスがいなくても大丈夫な可能性の方が高かったけど、お兄ちゃんに憧れて師事するこの人が目の前で起こった出来事を他人任せにする訳がなかった。
「……エヒメさん、少し待っていてください。3分で戻りますから、ここで待っていてください! 行ってきます!」
「お、お気をつけて!!」
訳なかったけど、それでも「空気を読め!」と言いたげに苦虫をかみつぶしたような顔をして、私との約束を守って走って出て行った。
3分って。そんなカップラーメンが出来上がる時間で倒される怪人って……
少し怪人に同情しながら、それでも私も怪人に「空気を読め」と思う。
……ジェノスさんは、なんていうつもりだったのだろう?
「俺も」と言ったあの人は、私が言おうとして言えなかった言葉を言おうとしてくれたのか。
……私の「好き」と、あの人の「好き」は違うのか、同じなのか。
期待なんかしたくないのに、そんなことを考えてしまった。
* * *
「エヒメさん、遅れてしまってすみません!」
「十分すぎるくらいに早いですよ!」
ジェノスさんは帰って来てすぐに、ものすごく申し訳なさそうに謝った。
確かに3分では帰ってこれなかったけど、元々そこは本気にしてなかったからいいのに。っていうか、5分足らずで帰ってくるとは思ってなかった。
これは予想通り、災害レベルは狼程度だったんだろうなぁ。
とりあえず私が「お疲れ様です」と労ってから、倒してすぐに帰ってきちゃって良かったのを尋ねると、ジェノスさんが向かった時には既に黒い鎧のB級が一人いたらしく、その人に後始末を任せてきたらしい。
……誰だか知らないB級ヒーローさん、活躍の場を奪って面倒事だけ押し付けてごめんなさいと、私は心の中で謝っておいた。ジェノスさんってたまに横暴だよね。
さすがに怪人が現れる前の話を何事もなかったように続けられる気は、私はもちろんジェノスさんにもなかったらしく、ジェノスさんは少しだけ乱暴にコーヒーを呷って、軽く愚痴る。
「怪人は一撃で倒せたので約束通り3分で戻れるはずでしたが、俺のファンらしき連中に捕まってしまい、遅れてしまいました……。怪人より、悪気はないがこちらの都合を考えない図々しい、ああいう連中が俺にとっては厄介でした。怪人と違って殴ったり、焼却するわけにもいきませんし」
「…………そう、ですね」
あぁ、ダメだ。
やっと本人に謝れたことで、ジェノスさんも「わかった」って言ってくれたことで安心して、少しは前みたいにちゃんと話せるようになったと思ったのに、私はジェノスさんの話で今まで思ったことがない、感じたことのない気持ちで胸がいっぱいになって、おなじみの自己嫌悪に陥る。
……わかってる。ジェノスさんの口ぶりからして、そのファンの事を何とも思っていないことくらい。むしろ私を優先してくれて、そのファンに対して悪感情を懐いてるくらいだってことは、わかってるよ。
今までなら素直に、「イケメンなジェノスさんは大変だなぁ」で終わってた。
それ以外に思うことなんか、何もないと信じて疑っていなかった。
なのに、今は違う。
ジェノスさんに、訊きたかった。
そのファンの子は、可愛かったですか? 美人さんでしたか?
……あなたが好きになってしまいそうな人でしたか? とどうしようもないことを訊きそうになった自分が、まったく知らない誰かに嫉妬して、ジェノスさんの言葉を信じ切れていない自分が嫌で嫌で仕方がない。
「……エヒメさん」
声をかけるジェノスさんの顔が見れない。
敏く私の様子の変化を、いきなり落ち込んでいる私を心配してくれるのが申し訳なくて、そんな優しい人が幸せになれるかもしれないきっかけを心の底から嫌がってる自分が嫌で、顔が上げれない。
「今日はもう、帰りましょうか」
ジェノスさんが私に気を遣ってくれているのはわかってる。
でも、私は帰るのなら一人でこのままテレポートして消えてしまいたい。
街中でジェノスさんと一緒に歩く勇気がない。
私なんかが、この人に釣り合う訳がないことがわかっているから。
自覚していなかった時だって、釣り合っていないことはわかってた。だからこそ、恋人だとかデートだとかそういう誤解はされないだろうと開き直っていられたけど、今は違う。
……せめて前みたいに話せたら、それだけでいいなんて嘘だ。
私は、浅ましい。
堂々とこの人の隣に立ってずっと傍に寄り添っていられる肩書が欲しいと、この心は軋むような痛みで訴えている。
その痛みを、私は無視する。我慢には、慣れてる。
「そうですね」と答え、少しお会計でどちらが払うかをもめてから、結局ジェノスさんにご馳走になって店から出る。
デートみたいなことを、しないで欲しい。
期待なんかしたくない。何も望みたくはない。何も欲しくない。
この人と一緒にいることが幸せだからこそ、この「恋」をしたくなかった。
それさえなければ、ただただ「好き」であるだけならば、私はずっとただそれだけでずっと幸せだった。
「エヒメさん」
そんな後ろ向きなことを、もう誰に当たってるのかもわからない八つ当たりをしていたら、ジェノスさんが呼びかける。
「……話したくないのなら、話して貴女が傷つくようなことならば、何も話さなくてもいいです。無理して、話そうとは思わないでください。
……けれど、話して楽になることならば、俺はいつでも、何でも聞きます。……俺が嫌なら、先生でも、バングでも、誰でもいいです。貴女の話を聞いてくれる人は必ずいますから……だから、自分一人で抱え込まないでください」
お兄ちゃんが言ってくれたことと、同じことを言ってくれた。
……その言葉は、とても嬉しい。
だけど、だからこそ泣きたくなる。泣き叫びたくなる。
言いたいよ。言ってしまいたい。
あなたが好きですと、人としてとか、友人としてとかじゃなくて、この世で唯一の特別な人として好きだって。
愛してるって、あなたに恋をしたって言ってしまいたい。
けれど、言えない。
初恋は実らないなんて言葉では、慰めにならない。
この人に拒絶をされたら、もうそれこそ私は生きていけなくなる。
だから私は、本当に言いたいことを胸の中に仕舞いこんで、ジェノスさんの望みを叶えてあげられないで、一人で抱え込んで、それでも言おうとした。
「ありがとうございます」って言いたかった。
その言葉が嬉しかったのは、本当だから。だから、言いたかったのに言えなかった。
「あ、あの、鬼サイボーグさん!」
後ろから呼び止められた声に、ジェノスさんだけではなく私も立ち止まる。
「あの、さっき助けられた者ですけど、もう、お時間は大丈夫ですか?」
「サイン、もらえます? あと握手も!」
ジェノスさんがさっき言っていた、ファンの人たちであることはすぐにわかった。
私が自己嫌悪に陥った、何も知らないのに、ジェノスさんも邪険に言い捨てていたのに、それでも嫉妬した相手だけど、今はそんな気持ちは湧きおこらない。
嫉妬も、疑心も、自己嫌悪も、そんなものが生まれる心の余裕はない。
頭が真っ白になる。手足の動かし方がわからない。呼吸の仕方さえもこれで合ってるのか不安になって、乱れる。
頭の中に埋め尽くす言葉は、「ごめんなさい」の一つだけ。
聞き間違いだと、よく似た声なだけと言い聞かせることも出来ない。
3年たっても、「彼女」の声だと確信してしまった。
何もできない私が出来たことは、ただただ祈ること。
どうかお願いだから、気付かないで。
私が誰かを気付かないで、そのまま無視して。
お願いだから、お願いですから、気付かないで。
今だけは、私の様子がおかしいことなんか気づかないで私の心配なんかしないで私の名前を呼ばないで――
「!? エヒメさん! 大丈夫ですか!?」
………………ジェノスさんの言葉で、彼に一方的に話しかけていた声が止まった。
刹那の沈黙を破ったのは、懐かしい声音。
「エヒメ?」
手足の動かし方さえ思い出せなかった私の身体が、操られたように振り返る。
私と同い年くらいの、4人の女性。
そのうちの一人が、前に出る。
豊かで豪奢なウェーブがかかった銀髪に、元々良かった素材を限界まで磨き上げた美貌。
そしてまだ10代だとは思わせない、女王然としたカリスマと貫録は3年前から向上しつつ、変わらない。
わずかな期待は、打ち砕かれた。
「――ヘラ……」
女神と絶望が、そこに立っていた。
次回からオリキャラが色々出張ってきます。