私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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今回も視点なし、三人称形式です。


十人目、「今はまだ会えない」

 その日、エヒメとジェノスはS市に来ていた。

 とは言っても二人一緒に行動を共にしていたわけではなく、エヒメは私事で買い物に、ジェノスは見回りをしていた。

 ただ、ジェノスの見回りはヒーローとしての責務ではなく、個人的な理由がほぼ100%だったりするが。

 

 深海王の件といい自殺未遂の少女の件といい、エヒメを一人にしておくと彼女は自分に科した「逃げない」という誓いで暴走することをジェノスははっきりと学習し、「この人はもう一人で外に出してはいけない」と一歩間違えたら犯罪者一直線な結論を出して、最近では完全に自立起動型セコム状態だった。

 本日ももはやエヒメ専用ヒーローとなったジェノスが、「買い物に行く」と言ったエヒメについて行こうとしたのだが……今回はさすがに一緒にはいけなかったからこその現在、せめて同じ地区で何かあったらすぐに駆けつけれるように待機を兼ねての見回りである。

 

 本人と保護者であるサイタマの許しがなければ完全にストーカー案件なことをやらかすほどの過保護っぷりを見せていながら、本日の買い物について行かなかった理由はエヒメが真っ赤になって、「……深海王とかの所為で、結局買えなかったから……」と言ったからだ。

 あの日、そもそも自分がついて行かなかった理由を思い出し、また察することが出来なかったことを土下座で謝ったのは言うまでもない。

 

 そんな訳で自分の察しの悪さを後悔しつつジェノスは見回りを続けていたら、ケータイが鳴る。

 開いて表示されている番号を見てみると、そこに表記されていたのは「バング」と登録した番号だった。

 

 隕石の時に事態がほぼ終わった後、割と強引に連絡先を交換され、会えばおちゃらけて腹が立つが基本は常識人な為、無意味な連絡はよこさないことを良く知っているのでジェノスは「珍しい」と思いながら通話ボタンを押す。

 この時はまた夕飯か何かの誘いか、それともヒーローとしての緊急要請かと思っていたが、バンクは開口一番、挨拶も抜きに尋ねた。

 

『ジェノス君! エヒメ嬢は今、一緒におるか!?』

「いきなり何の話だ、バング。説明しろ」

 

 良くも悪くもどのような状況でも飄々とした調子を崩さず、余裕を常に携えた老人の切迫した様子に、ジェノスは低い声で短く答えた。

 それだけでバングの方も自分の質問の答えは「No」であること、そしてその説明内容次第では今すぐに彼はどんな行動にでも移す意志を読み取り、ジェノスが初めて聞くような真剣な声音で彼も端的に説明した。

 

 * * *

 

「……くそっ! やはり、あの場で焼き払うべきだった!!」

 バングからの説明を聞き、通話を切ってジェノスはすぐに探知機能を作動させながら、今更どうしようもない後悔をする。

 

「エヒメ嬢を襲ったストーカーが、拘置所で怪人化して脱走した」

 バングからの説明は、要約すればこれで終わった。

 エヒメのしたことをジェノスは否定などしたくないが、彼女のジェノスに対する心配と気遣いは最悪の方向に向かってしまった。

 

 エヒメを襲ったストーカーは、似たような妄想を過去に何度もこじらせては同じようなトラブルを起こして執行猶予中だった為、エヒメが被害届を出した時点で奴が実刑を喰らうことは確定していた。

 身柄はすでに捕らえられ数年は出てこないことが確実だったので、ある意味ジェノスもサイタマもエヒメも安心していたのだが、奴は自分自身のコンプレックスとエヒメに対して逆恨みを募らせた結果、その醜悪な精神が身体を変容させて人外に成り果て、自分を拘束していた施設を破壊して脱走した。

 

 それだけでも最悪この上ない事態だというのに、ジェノスにとっても最も許しがたいのは……その怪人と化したストーカーが脱走したのは既に三日前。

 そしてそのストーカーによる被害がもうすでに出ている事を、ヒーロー協会は自分たちに全く何も知らせていなかったという事。

 

 協会が、制約は多いがそれでもほぼ完全に能力を使いこなせているテレポーターのエヒメを欲しがっていることは知っていた。その理由がヒーローや市民の為ではなく、上層部や協会に寄付金を贈る富裕層の為であることも。

 

 奴らは怪人化したのがエヒメに執着している犯罪者であること、怪人となってもその執着は薄れるどころが増幅して、彼女に似た少女を手あたり次第に暴力を振るって重傷を負わせていることを知ったうえで、エヒメを手に入れるためにその怪人と変わらない最低最悪な計画を立てた。

 

 その怪人にエヒメを襲わせて、間一髪のところでヒーローに助けさせて恩を着せ、怪人に襲われる恐怖を煽って、もうすぐ完成予定のA級以上のヒーローなら無料で住めるヒーローズマンションに移住を勧め、家賃無料とヒーローが警護してくれる安全性を盾に自分たちの安全確保のために働けと要求する、お粗末極まりないことを考えた協会をジェノスは、今すぐ焼き払って更地にしてしまいたい衝動を何とか抑えて、エヒメの反応、もしくは怪人らしき高エネルギー反応をサーチし続ける。

 

 しかし何故バングがこんな最低で愚劣な計画を知ったかというと、この計画でエヒメが怪人に襲われて助ける役、ヒーローのありがたさを骨の髄まで知らしめるためにギリギリまで助けるなと命令されたのは、S級最下位の獄中ヒーローぷりぷりプリズナーだからだ。

 

 協会上層部はヒーローとはいえ万年服役中でなおかつ男色家のプリズナーなら、少女が怪人に襲われて泣き叫んでもギリギリまで助けず、最悪の事態一歩手前で助けろという命令もポイントや恩赦という条件を与えたら喜んで従うと思っていたのだが、残念ながら彼は善良な人間を傷つけることが出来ないからこそ獄中ヒーローなんて矛盾したものになった男だった。

 

 命令を受けて表向きは喜んでその条件を飲んだが、それは自分が受けないと先日の会議にて割と本気で「妹にしたい」と言って騒いだ、心配になるほど無垢な少女を助けられないからであって、臭蓋獄を出てすぐに彼は条件を反故して他のS級達に連絡を取り、協会の思惑をぶちまけて助力を求めた。

 

 その助力の一人がバングであり、S級で唯一エヒメとジェノスの直接的な連絡先を知っていた為こうして電話をかけてきたわけだが、事態は本当に最悪極まりない。

 

 まず、童帝が怪人の目撃情報や被害者がどこで襲撃されたかのデータを分析し、怪人が潜伏してそうな地域を特定したが、そこは選りにもよって今現在ジェノスがいて、そしてエヒメがどこかで買い物をしているこのS市であるということ。

 

 ジェノスがこの場にいたのが幸運かもしれないが、エヒメもいるのはわかっているのに、具体的にどこにいるのかがわからなければ意味がない。

 今まさにまたあの汚らわしい存在に、人を辞めた汚物に襲われている可能性が過り、ジェノスは自分のコアが凍る錯覚に陥る。

 

 そしてバングは、当たり前だがジェノスよりも先に狙われている張本人に連絡を取ったが、……そのケータイに出たのは、エヒメではなく兄のサイタマだった。

 エヒメは、ケータイを家に忘れて出て来てしまっていた。

 

 バングは同じ説明をサイタマにもして、彼もこちらに向かっているとジェノスは聞いたが、それは安心できる情報ではない。

 サイタマは戦闘では無類の強さを誇るが、それ以外は基本的に普通の人間だ。

 怪人を見つけるにせよ、妹を見つけるにせよ、彼は自分の足で走り回って探すしかないので、怪人がエヒメを見つけてしまっては何もかもが遅すぎる。

 

 エヒメの性格からしてその怪人と出会ってしまったら、そして怪人が先日のストーカーで、自分が原因で変貌したと知ってしまえば、確実に責任を感じて自分で何とかしようとする。

 逃げることなど選んではくれないことを、痛いくらいにジェノスは知っている。

 

(! 高エネルギー反応! これか!?)

 ジェノスは感知した反応の元に走り出した。

 そこに彼女がいないことだけを、まったく別の場所で何も知らないまま笑っていることだけを願って。

 

 * * *

 

「はぁ!? こいつじゃねーのかよ!!」

「最初に特徴言っておきなさいよ! 役立たず!!」

『言う前に二人とも電話を切ったんでしょうが!! とにかく、おねえさんを狙ってる怪人は、腕の筋肉だけが肥大しすぎてバランス悪くムッキムキなブサモンだから! 芋虫みたいな怪人じゃないから!!』

 

 ジェノスが感知した高エネルギー反応の場所にたどり着いた時には、そのエネルギー反応の元と思われる某金曜ロードショー常連アニメに出てくる蟲を連想させる巨大芋虫が、グチャグチャに潰れた挙句にねじれてミンチになっていた。

 そしてその死体の前で、金属バットとタツマキがケータイに向って二人で怒鳴り、通話相手の童帝も周りに聞こえる程の声で怒鳴り返していた。

 

 S級二人の出動に今更驚くほどの意外性もなければ余裕もなく、ジェノスは躊躇なくその言い争いに割り込んで訊いた。

「童帝! それ以外に何か特徴はあるか!? 顔は人間の頃と変わっていないのか!?」

 

 金属バットとタツマキが「新入り!?」「ポンコツ!」と驚き、呼びかけ、そして責めるように睨み付けるのを無視して、ただジェノスは怪人と化したストーカーの情報を求めた。

 

『サイボーグさん!? ……うん、協会が隠匿した情報をハッキングして見てみたけど、人間の頃と顔は変わっていない。特徴はさっき言った通り、不健康な肥満体にクロビカリさんみたいな腕っていうバランスの悪い身体だ!

 目撃情報からして、S市にいる可能性は95%以上! 他の周辺の街には、シルバーファング、ぷりぷりプリズナー、タンクトップマスターが見回っていてくれてるから、三人はS市を徹底的に探して!」

 童帝の方も一瞬驚いたが、いちいち何故この場に居るのかを尋ねる余裕もなければ、その質問の意味もないことを理解して、彼はジェノスの要求に応え、指示を飛ばす。

 

「わかった。また何か情報があれば連絡しろ」

「勝手に通話切んな! っていうか、新入り! いつの間に来たんだよ!?」

「ちょっとポンコツ! エヒメは一緒じゃないの!? どこにいるの!?」

 

 金属バットのケータイの通話を勝手に切って再びジェノスがサーチを始めたが、バングや童帝ほど冷静さを保っていない二人に怒鳴られて、探索に集中できずに怒鳴り返す。

「うるさい! エヒメさんはこの街に……S市にいるが、ケータイを忘れていて連絡が取れない! だから頼むからあの人を見つけることに集中させてくれ!」

 

 ジェノスの悲痛な訴えに二人は一瞬言葉を失って、顔から血の気も一気に失われた。

 自分たちが思った以上に最悪の状況だと知り、金属バットは怒りと自分の無力さへの嘆きが入り混じった顔、タツマキは唇を噛みしめて今にも泣き出しそうな顔で、二人がジェノスにぶつけどころのない叫びをぶつけかけた時、状況を何一つ知らない者から奇跡のような言葉を掛けられた。

 

「あれ? ジェノス君? もしかして、エヒメちゃんと一緒に来てたの?」

 

 乱暴にブレーキをかける音の後、不思議そうな声で問いかけられ、思わずジェノスだけではなく金属バットとタツマキも勢いよく振り返って、怪人出現と聞いて駆け付けた無免ライダーを盛大にビビらせた。

 

「無免ライダーさん、エヒメさんを見かけたんですか!?」

「あのバカ、今どこにいんのよ、さっさと教えなさい!」

「おっしゃよくやった! さっさと教えやがれお願いします!!」

 

 いきなりS級3人に取り囲まれた挙句にエヒメの居場所を食い気味で訊かれて、無免ライダーはまず困惑する。

「え? っていうか何でS級が3人も?」

「はぁ? 今はそんなことどうでもいいでしょ!」

「お前は黙ってろ!」

 

 その反応にタツマキが苛立って怒鳴りつけ、ジェノスはそれを咎めてから現状を要約して伝えようとした時。

 

「……無免。……エヒメを見たのか?」

 

 ジェノスがバンクの電話を切ったのは、今から5分ほど前。バングがエヒメのケータイに電話をしたのは、そのさらに10分ほど前。

 Z市のゴーストタウンからこのS市には、車やバイクを飛ばしても1時間以上は余裕でかかる距離を、15分ほどで駆けつけた。

 部屋着の草臥れたTシャツと短パンに、朝のゴミ出しなどに履くサンダルという格好のまま、サイタマは珍しく息を切らして額の汗を拭い、そしてS級二人や無免はもちろん、ジェノスさえも初めて見るような悲痛な顔で叫んだ。

 

「どこだ? あいつはどこにいたんだ!? 教えてくれ、無免!! エヒメはどこにいたんだ!?」

 

 それだけで、十分だった。

 無免は現状を全く理解できていなかったが、大切な友人が着の身着のまま汗だくになって妹を探しているのに、それに協力しない訳がない。協力する理由に、言葉はいらなかった。

 彼は愛車のペダルに足をかけ、声を上げる。

「こっちだ! 僕もさっきチラッと見ただけだけど、間違いなくエヒメちゃんだった!!」

 

 理由を問わず協力を率先して実行したそのヒーローに、サイタマとジェノスはもちろん、金属バットとタツマキも文句や疑う言葉を吐かずについてきた。

 彼のその行動に、背中に二人が何を見て、何を思ったかは知らない。

 けれど確かに二人は信じて、その背をただ追った。

 

 * * *

 

 そして5人は、たどり着く。

 無免が怪人出現の情報を得て向ってる最中に、エヒメを見かけた商店街に。

 

 ……その途中で金属バットとタツマキが倒した芋虫の親玉らしい、「昆虫王」と名乗るカブト虫、カマキリ、蝶、バッタなどを混ぜ合わせたような巨大な虫と遭遇したのだか、5人全員で「邪魔だ!!」と叫んで倒した。

 無免はジャスティス号に乗ったまま轢き、金属バットはその武器であるバットをフルスイング、タツマキは近くに止めてあったトラックを超能力でぶつけ、ジェノスはゼロ距離焼却砲を放ち、サイタマは軽く薙ぎ払って一蹴したのは余談だろう。

 

 しかしさらにその余談を続けると、その昆虫王は真っ先にかましたサイタマの一撃で頭部が粉々になって死亡して、無免やジェノスはもちろん、金属バットとタツマキの攻撃も無意味であり、普段の二人なら自分たちが一撃を入れた時に相手がすでに死亡していたこと、その一撃を与えたのがサイタマであることに気付けただろうが、二人どころかこの出来事は5人全員が「何か障害物をどけた」くらいにしか認識しておらず、結局二人はサイタマの実力を知ることはなかった。

 

「ごめん、このあたりでチラッと歩いてるのを見ただけなんだ。急いでたから、話しかけることも出来なかった」

「そうか……。十分だ。ありがとうな」

 無免ライダーの悔やむような言葉にサイタマは肩に手を置いて礼を伝えるが、表情はまだ固い。

 

 無免がエヒメを見かけてから10分も経っていないのなら、まだここにいる可能性は高いが、かなり規模が大きい商店街で人通りも多く、探すのは容易ではないくせに人通りのない裏路地に通じる道も多いため、怪人側に都合のいい立地。

 その事実にジェノスは歯噛みしながらまたサーチを始めるが、辺りを見渡していた金属バットが「あっ!」と声を上げる。

 

「あれじゃねぇか!? あの白いワンピースの!!」

 その言葉に、エヒメの今日の服装が金属バットの言う通り白のワンピースだったことを思い出し、サイタマとジェノスは同時にそちらに顔を向けるが、同時に失望した。

「……いや、違う」

 サイタマの言葉に、タツマキが金属バットに「期待させんじゃないわよ役立たず!」と怒鳴りつける。が、金属バットを責めるのは酷だった。

 

 彼が間違えた相手は、髪の長さといい、服装の好みやセンスといい、エヒメにかなり似ており、顔は見えないが後姿ならほとんど見分けがつかなかった。

 即座にサイタマとジェノスが違うと判断したのは、長いスカート丈を好むエヒメと違って、相手は膝上丈だったからに過ぎなかった。

 

「うん、違うね。僕が見たのも、もっとスカートが長くて……!?」

 無免も確認で相手を見ながら語っていた言葉は途中で切れ、彼はいきなり自転車を走らせた。

 無免ライダーの行動に4人は驚き、そのまま彼の行動を目で追うだけしか出来なかったことを、のちに4人はヒーローとして悔やむ。

 

 彼が一番初めに気付き、そして行動に移したのだ。

 エヒメによく似た少女の背後が陽炎のように揺らめき、そして揺らめきがうっすら人の形に色づいたこと、アンバランスな腕が少女に向って殴り掛かろうとしていたことに彼だけが気付き、そして向かった。

 

「ジャスティスアタック!!」

 無免は叫んで自転車に乗ったままの体当たり攻撃を仕掛けるが、その声に反応して怪人は、少女に振り下ろすはずだった腕をそのまま裏拳に変更して、無免ライダーを自転車ごとふっとばした。

 

「無免!」

「無免ライダーさん!!」

 吹き飛ばされた無免ライダーを受け止めようと師弟が駆け出すが、タツマキが念動力で受け止めて、その間に金属バットが駆け出した。

 

「てめぇかっ!! エヒメさんの狙う変態クソヤローは!!」

 童帝の言葉通り、不健康にぶよぶよとして青白い肥満体に筋骨隆々としたアンバランス極まりない両腕を携えた男が、人間の頃と変わらぬ卑屈な笑みで、けれど人間の頃以上に醜悪に笑って、そこにいた。

 何かを勝ち誇るように、金属バットを無視して、ジェノスの方を見て笑った。

 

 同時に、男の体が掻き消えた。

「なっ!?」

 振り下ろされたバットは地面のコンクリを砕いたが、そこに生き物を叩き潰した感触はない。

 

「はははははっ! 驚いたか!? これが生まれ変わった俺の力だ!!」

 どこか粘ついた印象のある声が響くと同時に、ジェノスの目の前の風景が歪んだ。

 同時に思いっきり殴りつけられ、思わず膝をつく。

 

「透明化!?」

 タツマキが無免ライダーと周囲の人間を超能力で守りながら、その怪人の能力に驚愕する。

 そう。奴は怪力以外の力も、怪人となることで得ていた。

 怪力は彼のコンプレックスと気に入らない奴を叩きのめしたい、欲望の対象を力づくで支配したいという願望の現れだろうが、こちらは卑屈で臆病で卑怯な奴の性質が全面に現れ出た能力。

 

 とっさに両腕で交差させ、唯一の生体部位である脳を保護する頭部を守りながら、ジェノスは熱源反応センサーを起動させるが、自分の周囲には怪人と思わしき熱源反応は存在しない。

 視覚だけではなくジェノスの高感度センサーにも反応しない隠密性は、怪力よりもはるかに厄介だった。

 

 攻撃をする時、陽炎のように空間が歪んだりちらりと姿が垣間見えることがあるが、変にこざかしい奴はうろちょろとその辺を走り回りながら、ジェノスを殴り、蹴りつけ、その辺の物を投げて攻撃を続けるので、まだ周囲に人がいるこの場では、ジェノスの周囲拡散型の焼却砲や、タツマキの広範囲攻撃も躊躇われ、反撃のしようがないジェノスは完全にサンドバッグ状態となる。

 

「サイボーグ! あんたはそのまま、避難が済むまでそれを引き付けておきなさい!」

 タツマキは一度舌を打ってからジェノスに命じ、ジェノスも「早くしろ!」と乱暴に応じた。

 幸いながら、相手の怪力はおそらく熊と同程度。一般市民にとっては脅威だが、ジェノスにとっては何撃受けようが損傷の心配ないレベルの為、奴の執着が自分に向いている間に何の遠慮もなく焼却砲を放てるよう避難が完了するまで待てば、それで良かった。

 

 なのに、奴は自ら地雷を踏み抜いた。

 

「死ね! 顔がちょっといいからって俺から全てを奪ったお前なんか死ね!!

 お前なんかに渡さない! あれは俺のものなんだよ!!」

「――あれ?」

 

 ジェノスをただサンドバッグにしていれば、市民の避難完了までは確実にあったはずの寿命を、自ら投げ捨てた。

 奴は一番触れてはいけない逆鱗に、触れてしまった。

 

 * * *

 

「……誰の事、言ってるんだ」

 タツマキに言われて、奴を引き付ける囮をジェノスに任せて金属バットと市民を誘導していたサイタマが、静かに言う。

 怪人の姿は見えない。おそらく、テキトーに声がした辺りを見ているだけのはず。

 なのにジェノスは、確信していた。

 

 サイタマの視線の先に、奴がいることを。

 

「……あいつは、物なんかじゃねぇんだよ」

 急にあたりが静かになり、サイタマの声が商店街にやけに響く。

 悲痛な、何かに耐えるような、堪えるような、静かな声で彼は続ける。

 

「あいつは、物なんかじゃない。誰の物にもならないし、誰にももう利用なんかさせない。

 あいつは好きなことして、好きなものに囲まれて、好きなように生きるべきなんだ。やりたくないことなんてもうたったの16年でやりつくしたんだから、あとの人生は全部『好きなこと』で埋め尽くして、笑って生きなくちゃいけねぇんだよ!」

 血管が浮き出るほどに拳を握り、叫んだ。

 周囲の商店のガラスが割れたのはその声量か、それとも彼の怒りに耐えきれなかったのか。

 

「エヒメは、お前なんかの玩具じゃねぇんだよ!!」

 振り上げた拳をジェノスは止めるべきだと判断したが、妹の全てを汚して踏みにじり、奪い尽くして壊そうとした者へのサイタマの怒りに声が出なかった。

 あの日、エヒメが襲われかけたという報告をした日、世界の滅亡を懸念するほどの殺気に怖気づき、何も言えなかった。

 

 ただ心の中で、叫ぶしか出来なかった。

「この世界に、エヒメさんはいるんですよ」

 世界を終わらせる一撃を止める言葉は、声に出なかった。

 

 ジェノスの口からは、出なかった。

 

「! あれ? 近い? え? お兄ちゃん? 何でここにいるの?」

 

 何の前触れもなく、空間を渡って軽やかに降り立った少女は呆けて言う。

 兄の振り上げた拳の直線上に立ち、彼女は、エヒメはただ不思議そうに首を傾げた。

 

 * * *

 

 そういえば、兄であるサイタマの所にだけは、どんなに離れていても彼女は感知してそこに辿りつくことが出来ると聞いていたことを、ジェノスは思い出す。

 ただ兄に会いたいの一心で生み出された力を使って、まったく状況も事情も分からないまま、彼女はそこに降り立った。

 

 兄の前に現れて、呆けるサイタマを見て彼女自身も呆ける。

 

 最初にエヒメへ、逃げろ、離れろと言ったのはジェノスか、タツマキか、金属バットか、無免ライダーか、サイタマかはわからない。

 エヒメの目の前が、サイタマの目の前が、兄妹の間に揺らぎが生じる。

 

 二人を隔てていたものが、姿を現す。

 

「お前なんか、俺を裏切ったお前なんか死ねっ!!」

 

 透明化を解除したのと同時に、怪人と化したストーカーの振り上げた右腕が、風船のように膨らみ、筋肉がさらに肥大化して右手だけで成人男性ぐらいの大きさに変容する。

 どうやら透明化を解けば怪力がさらに増す能力だったらしく、攻撃のたびに陽炎のような揺らぎが発生したり、たまに姿が見えたのはそのせいだろう。

 

 怪人は透明化を完全解除してフルパワーで、奴は執着の対象を叩き潰そうとした。

 

 エヒメは突然現れた、一番新しくて生々しいトラウマを前にしてただ目を見開いて固まった。

 誓いなど関係なく、恐怖で頭が真っ白になってテレポートで逃げる発想すらなくなっているのは明白。

 

 ジェノスは焼却砲を、タツマキは超能力、金属バットはバットを持って怪人に飛び込み、無免ライダーも体を起こして立ち向かおうとしていたが、誰よりも何よりも、サイタマが速かった。

 

 妹の体を抱きしめ、包み込み、怪人の一撃から己の体を盾にして守ったのは、誰よりも何よりも早かった。

 サイタマは敵を屠ることではなく、妹を守ることを、選んだ。

 

「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 タツマキに右手をねじられ、ジェノスに焼き払われ、金属バットに殴られた右手はもげ、怪人は絶叫を放ちながらその姿を掻き消す。

 また完全に姿も気配も隠した怪人を、彼らは誰も探さなかった。

 

「エヒメさん!」

「エヒメ!!」

 口々に少女の安否を祈って呼びかけるが、その声を掻き消して、叫んだ。

「何で来たんだこのバカ! 怪我はないか!? どこも痛い所はないな!?

 あるのに我慢して黙ってたら、お前でもぶん殴るぞ!!」

 

 抱きしめてた妹から離れ、けど肩を掴んで揺さぶりながら、サイタマは怒涛の勢いでエヒメに問う。

 相変わらず状況把握が出来ていないエヒメは、「え? お、お兄ちゃんが探してた漫画を見つけて、ケータイを忘れてたから直接買って帰ろうか訊こうと思って跳んだんだけど……」と、まず初めの文句を質問として受け取って、素直に答えた。

 

「それはどうでもいいんだよ! 怪我があるかないか答えろ!!」

「へ? え? あ、うん。ない。ないよ。どこも、ない」

 サイタマに怒鳴られ、混乱をさらに深めながらもエヒメは答える。

 それでようやくサイタマは安心したのか、肩を落として深く息を吐くと同時に、もう一度妹を抱きしめた。

 

「……お兄ちゃん?」

「……なら、良かった。……お前が無事なら……痛い思いを何もしてないなら……もう全部どうでもいい。

 ……お前が無事なら、もうそれだけでいい」

 

 サイタマはただそれだけを呟いて、妹をしっかりと抱きしめ続けた。

 さすがにタツマキでさえも実兄ということでかそのことを咎めず、結果としてまだ事情を知らないエヒメは兄からの抱擁と、周囲の妙に優しい視線という羞恥に襲われるが、それでも兄が取り乱すほどの心配をかけたことだけは理解した。

 

 だから彼女は、兄を押しのけたり「離れて」と叫ぶのではなく、その背中に手を伸ばし、自分も抱き返す。

 そして、サイタマの胸の中で伝える。

 

「お兄ちゃん、心配かけてごめんね。助けてくれて、ありがとう。

 ……それと、お疲れ様」

 

 妹の謝罪と感謝、そしていつもの言葉を聞いて、サイタマは妹をようやく抱擁から解放する。

 優しく、穏やかに笑いながら。

 

 * * *

 

「童帝か? エヒメ嬢を狙っておる怪人らしきのを見つけたんじゃが……。いや、倒したのはわしじゃない。わしは、ボコボコで虫の息になっとるのを今、見つけたところじゃ」

 

 童帝から、「S市で新たな目撃情報が出た! 奴がS市にいるのは確定です!」と連絡が入り、念のために周辺の地区を探していた3人の内、一番S市に近かったバングがS市に向かったところで発見したものを、ケータイで報告する。

 

「何? 確認するから写メを送れ? わしゃそんな機能は使えんぞ。ドローンを飛ばすから、住所言え? あぁ、その方が助かるのう」

 童帝からの要求に応えるため、バングは電柱か何かでこの辺の住所を探しながら、チラリと怪人をもう一度見た。

 

 童帝が言っていた通り、不健康な体にアンバランスな腕なのは確かだが、その右腕はもぎ取られている。

 それだけではなく奴の体はいっそ殺してやった方が慈悲なくらいに、徹底的に破壊しつくされていた。

 

 関節部は全て砕かれ、鼻と喉は潰され、歯もほぼ全て折られている。

 腕だけならばタツマキあたりがやったのかと思うが、その破壊の痕跡が全て素手で行われたのを、同じ徒手空拳の使い手であるバングは見逃さない。

 

 しかし、ここまで急所を徹底的に破壊し尽くす倒し方をするヒーローは思い当たらない。

 プリズナーもタンクトップマスターも、どんなに怒りに満ちていてもこのような残酷な方法は取らず、サイタマなら相手は爆発四散しているだろう。

 一番近い戦闘スタイルはバング自身だが、さすがに敵を倒したことを忘れるほど耄碌はしていないので、結局見当はつかなかった。

 

 ……しかし、ヒーローに限らずに考えれば心当たりが一人だけあった。

 的確な急所破壊の攻撃をしつつ、命を取らない力加減。

 それは以前までなら相手を痛めつけ、甚振ることを目的とした悪癖と解釈して頭を痛める種だったが、今なら別の解釈ができる。

 いっそトドメを刺してやるのが情けと思っていても、それができない甘さ。

 才能の塊でありながら、力の使い道を間違えているのではなく自分と同じく力の使い方がとてつもなく下手だったのかもしれないバカ弟子を思い出し、バンクは口元を少しだけ緩ませた。

 

「まぁ、どちらにせよやりすぎじゃと説教はするがな」

 しかし、説教の後に個人的にはよくやったと親指を立てる自分を想像しながら、バングは近くにあった自販機から住所を読み取って、童帝に伝えた。

 

 そして、童帝が確認の為にカメラを取り付けたドローンがやってくるまで、他の者へ、特にバングが聞いたこともない底冷えする声で、「……その怪人はどこにいるんだ?」と尋ねて駆けつけたであろうサイタマに、連絡を取る。

 今現在、誰がエヒメを連れて帰って、怪人が捕まる、もしくは倒されるまでの警護をするかの戦争が勃発していることなど、知る由もなく。

 

 ……破門したバカ弟子が、すぐそばの公園のトイレで手を洗っている最中であることにバングは気づきもしなかった。

 

 相手も同じく、目と鼻の先に元とはいえ師がいることなど夢にも思わず、念入りに手を洗っていた。

 自分の拳を汚したのが血だけならさほど気にするような性格をしていないが、さすがに腹を殴ってかかった嘔吐物は不快この上ないからだ。

 

 しかし、いくら手を洗っても不快感が消えないことにさらにイラつく。

 不快感が消えない理由は分かっている。

 その不快感は嘔吐物だけではなく、自分が倒した怪人と、自分の行動そのものから生じているものだから。

 

 あれは怪人ではなく、変な力を身に着けた卑屈で卑怯で最低な犯罪者にすぎないと、彼は自分に言い聞かせる。

 自分の憧れるものではない、自分がなりたい存在ではないと言い聞かせるが、じゃあ自分は何になりたいという疑問が同時に湧き上がる。

 ……万人に平等に理不尽な恐怖を与える存在になるとしたら、今日の自分の行動はそれから一番ほど遠いことを自覚しつつ、そのことを不快に思いながらも後悔はしていないのがまた不快だった。

 

 歩いていたらたまたま、命からがらヒーローから逃げ出したのか、片腕を失った怪人を見つけただけだった。

 その怪人のヒーローに対する恨み言にすら興味がわかないほど、自分の理想とは程遠い怪人を無視してそのまま立ち去るつもりだったが、怪人の恨み言はヒーローではなくまったく別の関係ない存在に矛先が向かった瞬間、無視できなくなった。

 

『絶対に、あの女だけは許さない! あれは俺のものなんだ! だからどうしようが、俺の勝手だろ!!』

 

 自分を痛めつけたヒーローではなく、自分の欲望の玩具にしたいだけ女に下劣な言葉を吐き散らす怪人を、気が付いたら殴り飛ばしていた。

 透明化という厄介な能力を持っていたが、攻撃の瞬間に陽炎のように揺らぐ空間こそが奴の居場所と気づくのはあまりに簡単で、同時にその揺らぎを見つけてから攻撃を避け、反撃することも天才と謳われた彼には容易いこと。

 

 そうやって思わずぼこぼこにしたが、得たのは不快感だけという事実にため息しか出ない。

 ……それでも、放っておくことなどできなかった。

 女子供が理不尽と不条理の犠牲になることだけは、昔からどうしても嫌だった。相手によってはためらいなく攻撃することも見捨てることもできるが、ただ「女」という情報だけでは、どうしてもあるひとりを連想して、放っておけなかった。

 

 それは自分の夢を阻む、邪魔をするものでしかないことを知っているから、彼は眼をそらす。

 昔の記憶から目をそむけて「彼女」を見ないようにするが、目をそらしてもそれ以外の感覚が、全身が未だに覚えている。

 もう10年はすでに経っているのに、色褪せずに「彼女」は自分の心の中に住み続けていた。

 

『ひぃちゃん』

 年上だったが、そう呼んで勝手に慕っていた。会えばいつも笑って、挨拶を交わしてくれた。

 小学校の行事でたまたま知り合っただけで、関わった機会は全部で10に満たないほどの希薄な関係。

 

 誰もが「たかが」とか「たいしたことない」と言って切り捨てる、日常のささやかな瞬間とやり取り。

 彼にとっては10年、失えずに保ち続けるほどの価値と意味を持つ思い出と存在。

 

「たかが」と「たいしたことない」と言って切り捨てられて、取りこぼされて、踏みにじられた、けれどどうしてもほしかったものを、年上だけど自分より小さな両手で拾い集めて、傷だらけになってもその「たかが」と言われたものを自分にくれた、あまりに弱くて、だからこそ誰よりも尊い人。

 

 蛇口を止めて、水に濡れた両手を見つめて思い出す。

「彼女」が差し出してくれた、小さくて柔らかで温かかった手の感触を。

 

 何もしてやれなかった自分の手を、思い出してしまった。

「……くそっ!」

 

 不快感は別の何かに変化して、彼はその変化した感情に名をつけずにトイレから出てくる。

 無力感や後悔とは名付けない。それはもうすでに、山のように抱えているものだから。

 

 トイレから出てきて、何かいい気分転換出来そうなものはないかと何気なくあたりを見渡すと、一人の不細工な少年がベンチで本を読んでいた。

 その本のタイトルを読み取って、口角を釣り上げる。

 その本のタイトルは彼にとって不快そのものだが、もしもタイトル通りなら、内容が自分の想像通りなら、それは彼の目的に都合がいいものだったからだ。

 

「よう、坊主。何読んでるんだ?」

 上から本を覗きこんで話しかけるとやたらといい体格とガラの悪い顔にまず少年はおびえるが、なるたけ優しく笑って「面白そうじゃねぇか」と言ってやれば、少しだけ警戒心を解いて誕生日に買ってもらったばっかりのヒーロー名鑑だと話し出した。

 

 どんな内容かを尋ねたら少年は相手も同じヒーロー好きなのかと思い込み、買ってもらったばかりの宝物の自慢を兼ねて、得意げに説明を始める。

 古参はもちろん、ここ最近登録された新入りヒーローまで顔写真とプロフィール付きで、特徴的な戦闘スタイルを持つ者はその戦闘スタイルの解説までも載っていることを楽しげに話、彼はベンチの背もたれに行儀悪く座り、楽しげにただ聞いた。

 

「……へぇ、そいつは強そうだな」

 

 怪人に憧れる人間、ガロウは楽しげに獲物をそこから探し出す。 

 もう彼の頭の中には片隅にすら、「彼女」のことは残っていなかった。

 

 

 

 

 

 心の奥底の一番柔い部分に、何があっても忘れえず、失えずにそこにいることを、知っていながら知らないふりを続けた。

 




期待されたら悪いので、最初に言っておきますが、10人目の彼は恋愛感情を持ってません。
ただ、ジェノスやタツマキ以上に、拗らせてる節はある。

今回で10ヒーローズ編は終了です。
次回からはキング・フブキ編ですが、この物語はエヒメが中心なので、どちらかというとジェノスVSソニックがメインの長編になると思います。
二人に出番や見所がないわけじゃないけど、原作より影が薄いのは御容赦ください。

2/7追記:根本的に見逃して間違えていた設定があったため、部分的に修正しました。

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