私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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無免ライダー視点です。


五人目、「ちゃんと叱ってくれる人」

「自殺なんてバカなマネやめるんだ」

「うるさい! カッコつけんじゃないわよ! どうせ手柄が欲しくて止めてるだけで、私が死のうが生きようがどうでもいいんでしょ!?」

 

 僕がどんなに叫んでも10階建てのビルの屋上、フェンスの向こう側で今にも飛び降りようとしている女の子はただ泣きながら怒鳴り返す。

 いいよ、それで。僕の事なんてどれだけバカにしても、罵ってもいい。

 君がそこから飛び降りずに、生きてくれるのなら。

 

 だから僕は、ただ必死で叫び続けた。

 彼女の命を繋ぎ止めるために、ただそれだけの為に叫び続けた。

 

 * * *

 

 いつものように自転車で見回りをしていたら、人がやたらと集まって空を見上げてた。

 だから僕も何事かと思って見あげてみたら、屋上で女の子が今にも飛び降りそうになってた。

 慌てて僕はそれを止める為にそのビルの中に入ろうとしたけど、その瞬間、屋上から女の子が「誰も来ないで! 入った瞬間、飛び降りるから!!」と叫んで、身を大きく乗り出した。

 

 僕がすぐに下がると女の子も身を乗り出すのはやめてくれたけど、やっぱりフェンスの内側に戻ってはくれず、「TV局を呼んで!」と要望を叫んだ。

 どうも彼女はただ死にたいだけじゃなくて何かを訴えたいのか、それとも記録に残したいのか、とにかく今すぐ飛び降りる気はないのを確認してから、僕は隣のビルに入って屋上まで駆け上がった。

 

 隣のビルは女の子がいるビルより二階ほど高いから、そこの屋上から僕は女の子がいるビルに飛び移って今に至る。

 ……今思えば、僕が怪我するとか死ぬとかよりも女の子は僕が来た瞬間、その気がなくてもびっくりして落ちる可能性が高かったな。

 もう少し考えて行動すべきだった。落ちなくて、本当に良かった。

 

 とりあえず僕は女の子の近くに行くことは成功したけど、それでもまだ距離は5メートルはあり、そして僕と彼女の間には高いフェンスの壁がある。

 走ったってあのフェンスを掴む手をあの子が離してしまえば、僕は間に合わない。ただ、彼女が墜落するのを見ているだけしか出来なくなる。

 

 だから僕は、説得するしかない。

 彼女が自分から、この内側に戻ってくるように説得をするしかないけど、僕に上手い交渉術なんかない。

 

 だから、本音で話すしかない。

 この言葉が少しでも死を選んだ彼女に届くことを期待して、叫ぶ以外何もできなかった。

 

「どうでもいいわけないだろ! どうでも良かったら、わざわざ隣のビルから飛び移るもんか!

 俺は君の事は何も知らない! どうして死にたがってるのかはわからない!

 でも、そんな他人でも死んでほしくないと心から思ってる! 他人の俺がそう思ってるのに、君の家族や友達なら俺以上に、君が死んでしまうくらいなら自分が死にたいって思うくらいに嫌がって、悲しむはずだ!

 ……だから、やめよう?」

 

 僕の言葉に、女の子は顔を俯かせて、肩を震わせている。

 泣いていると思った。

 

「…………はは、あははははははは!

 ヒーローって本っ当に、綺麗事ばっかりで現実が見えてないバカばっかりね!!

 私が死にたいのは、TVで私の自殺を全国に放送してほしいのは、その家族や友達とかいう奴らを一生苦しませる為よ!!」

 

 僕の言葉は、届く届かない以前に見当はずれだった。

 

「あんたに想像できる!? 弟は跡取りだからってだけで、どんなわがままも許されるのに、私はテストは満点以外は認められない! 80点以下なら食事抜きで家にも入れてもらえない!

 

 友達!? ねぇ、友達って何!? 万引きを強要して、バレたら私に脅されたって言って泣き真似して全部を私に押し付けて、親にボコボコにされた私の顔を見て指さして笑う奴を、友達っていうの!?

 平和ボケしてんじゃねぇよ! クソヒーロー!!」

 

 彼女の言葉を、何も言えなくなった。

 僕は確かに、平和ボケをしていた。

 家族は無条件で子供を慈しんで、愛して、兄弟が多くても平等に育てるものだと信じて疑わなかった。

 家族にも言えないことを話せる、助け合って尊敬しあえる友達は、必ず誰にでもいるものだと思い込んでいた。

 

 周囲から虐げられるだけで誰一人として信用できる人がいない子が、自分の死で悲しんでほしくないと思える人が誰もいない子がいるなんて、僕は想像できなかった。

 

 僕の言葉は、説得どころか彼女の傷に塩を塗っただけだ。

 

「だから、もう放っておいてよ偽善者!

 私が一番、助けてほしかった時はもう通り過ぎたの! あんたは、ヒーローは助けに来てくれなかったのに、何でやっとあいつらに復讐できると思ったら邪魔すんのよ!

 私は私の死であいつらに一生消えない傷を負わせて、永遠に苦しませてやるんだから、邪魔しないで!!」

 

 あの子の自殺の動機を知ったらなおさら止めなくちゃ、こんなところで不幸と絶望だけしか知らないまま、復讐の為に命を捨てさせるなんてことはやめさせたかったけど、僕は何も言えない。

 彼女の言う通り、僕は彼女が一番「助けてほしかった」時に駆けつけてあげれなかった。

 

 守ることも、救うことも、出来なかった。

 

 生きていればいいことがあるなんて、言えない。今までなかったからこそ彼女は今、復讐と死を選んだのだから、そんな「あるかもしれない」なんて曖昧なもので今更踏みとどまってくれるわけがない。

 

 でも、何か言わなくちゃいけない。

 止めなくちゃいけない。

 君が死んでほしくないのは、事実だから。

 君が不幸のまま復讐の為に死ぬのではなく、幸せになって笑って生きていてほしいのは本当だから。

 

「無駄ですよ、それ」

「「え?」」

 

 思わず、僕と自殺志願の子の声が重なった。

 しれっといつの間にか、初めからここにいましたよ言わんばかりに彼女は、フェンスの向こう側、女の子の隣に腰かけていた。

 

「……エヒメちゃん?」

 

 * * *

 

 僕の呟きに何の反応を見せず、エヒメちゃんは隣の女の子を見上げて言う。

「復讐なんて、生きてるからできるんですよ。自殺じゃ復讐なんかになりませんよ」

「なっ!」

 

 エヒメちゃんは本当にいつからいたのか、彼女の言い分を理解したうえで否定した。

 否定された女の子は怒りで顔を赤らめるけど、エヒメちゃんはそれを興味なさそうな無表情で……見たこともない冷めた目でただ見つめて、彼女が何かを言う前に淡々と言葉を続ける。

 

「今あなたが注目をされているのは、あなたが生きて叫んでるから。

 あなたが死ねば、まぁ確かにニュースにはなるでしょうけど、この怪人が毎日のようにゴロゴロ出てくるご時世ですよ?

 災害レベル『虎』が2,3体も出ればあなたの自殺なんて一気に扱いが小さくなって、『鬼』ならたぶん真っ先に報道する必要なしと消される程度。

 自分の命の価値、思い上がってません?」

 

 あの子の自殺を、エヒメちゃんも止めようとしているのだと思った。

 エヒメちゃんのテレポートなら、彼女の腕でも掴みさえすれば、最悪一緒に落ちても落下途中でテレポートすれば無事着地出来るから、危なくて本当はやって欲しくないけど最悪は任せようと思っていた。

 

 でも、エヒメちゃんは冷めた目で、女の子を突き放す。

 最後の希望であった復讐を、無意味と断じる。

 

「なっ……なっ……」

 エヒメちゃんに何かを言い返そうとするけど、怒りか絶望が邪魔をして女の子は何も言えない。

 ただエヒメちゃんだけが、静かに語る。

 あまりにも残酷な、現実の話を続ける。

 

「人の死が、なぜ生きている人間を傷つけるかわかりますか?

 それは、その人にとってはまだ死んでいないから。心の中であまりにも鮮明に生きて、熱を持って存在しているのに、現実にはもういない、もう新たな思い出を刻んでくれないという矛盾が摩擦を起こして、傷になるんです。

 あなたが今ここで生きていても相手の心の中ですでに死んでいるのなら、現実で死んだって無意味なんですよ」

 

 唇を噛みしめて、女の子は泣き出した。

 泣きながら、嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れに彼女は言葉を絞り出す。

「……じゃあ……どうすれば……いいのよ?」

 

 その問いにも、彼女は冷めた答えしか返さない。

「さぁ? 私はあなたじゃないんだから、私が決めるわけにはいかないでしょう?」

 

 エヒメちゃんは全く、女の子を慰めない。

 どこまでも冷たく、酷薄に突き放す。

 けれど、それが彼女の自殺を思いとどまらせた。

 

「ただ、ここで死んでもあなたの願いは叶わず、尽きるだけってことわかります。

 幸せになるのも、不幸になるのも、幸せにさせるのも、不幸にさせるのも、それらは全部生きているから出来ることで、死んだらそこが終点。

 あなたの不幸はそこで終わるでしょうけど、誰も不幸になんかできませんよ。

 むしろ、『死人に口なし』と言わんばかりに、自分たちが被害者だと言い張って、あなたの死はあなたが憎む相手に、同情という施しを与える材料になりかねないと思いますけど?」

 

 エヒメちゃんの言葉はあまりにも残酷で後ろ向きだけど、希望を語るより彼女に対して説得力があって効果的だった。

 彼女には生きる未来への希望がなく、「死」という復讐こそが最後の希望だった。

 その希望を吹き消して、無意味にさせることでエヒメちゃんはあの子を生かそうとしている。

 

 ……そう思いつつも、僕には気になった。

 エヒメちゃんの冷めた目に、嫌な予感が悪寒となって止まらなかった。

 

「……うぅ……ひっく……」

 女の子はもう何も言い返さない。

 ただ、フェンスにしがみついて、俯いて泣きじゃくるだけ。

 僕が一歩、二歩と近づいても何も言わない。

 

 死ぬ気はなくなったのは、間違いない。

 ……でも、彼女は同時に最後の希望まで失った。

 そんな子を助けてどうなるんだろうと、心のどこかで僕が僕に問う。

 

 その自問に答える前に、エヒメちゃんは立ち上がって言った。

 ついさっきまでの冷めた目が嘘のような、晴れ晴れとした笑顔で彼女は立ちがって女の子に言う。

 

「でもまぁ、辛い現実と現在から逃げる一番の有効手段であることには、間違いないですけどね」

「え?」

 

 泣きじゃくっていた女の子が顔を上げ、エヒメちゃんを見る。

 エヒメちゃんはその顔をまっすぐに見捨て、彼女の手を掴んだ。

 

「生きてても死んでも願いが叶わないんなら、もういっそ終わりにしてしちゃえばいいじゃないですか?

 案外、飛んだ先で良い逃げ場を見つけられるかもしれませんし」

 

 柔らかな笑顔とあまりにも開き直った結論の言葉とともに、彼女は、エヒメちゃんは、落ちた。

 

 女の子の手を掴んだまま、一緒に落ちていった。

 

「エヒメちゃん!?」

 

 叫んで走ったけど僕はフェンスに思いっきりぶつかる。僕が思いっきりぶつかっても、フェンスは破れも外れも壊れもしなかった。

 僕は、フェンスを、金網を掴んでそれを握りつぶさんばかりに握って叫んだ。

 

「ちくしょおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」

 

 何もできなかった! 僕は、俺は、ヒーローなのに結局何も出来なかった!

 ただ、見てるだけしか出来なかった!

 エヒメちゃんと一緒に落ちるあの子の顔を、俺を見て「助けて!」と叫んだあの子を、「生きたい」と言ってくれたあの子を助けることが出来なかった!

 

「なんだ。答え、ちゃんと決まってるじゃないですか」

 

 背後で、声が聞こえた。

 泣きじゃくる女の子の嗚咽と、わかり切っていたことを確かめるような声が、聞こえた。

 

「ごめんなさい、無免ライダーさん。心配かけて」

 振り返った先には、エヒメちゃんがいつものように少し困ったように笑っていた。

 

 * * *

 

 大股で僕は二人の元に向かい、まずは立っているエヒメちゃんの前に立つ。

 そして、僕はこの日初めて、女の子の顔を打った。

 

 さすがに手加減はしたけど、結構強く打ってエヒメちゃんの頬は赤くなる。

 でも彼女はビックリもしなければ泣きもせず、ただ穏やかに、そしてやっぱり少し困ったような微笑みを浮かべていた。

 その笑顔でわかる。君は全部、ここまで全部覚悟のうえでやっていたんだね。

 それでも、僕は……

 

「エヒメちゃん。俺は君のしたことを絶対に許せないし、許さない。

 俺はもちろん、サイタマ君やジェノス君だって同じはずだ」

 

 落とされるよりいっそ自分の意志で落ちた方が、覚悟をしてるからテレポートの失敗もなくて合理的だったのかもしれないし、なによりこの子から「生きたい」を引き出すには確かに一番有効な手段だ。

 そこは否定しないし、出来ない。

 それでも、僕は絶対にこの子のしたことを許さない。

 

「でしょうね」

 

 けれど、僕に叱られることも覚悟の上で貫いた彼女には、それこそ何を言っても意味がない。

 だからエヒメちゃんへのお説教は僕以上に許せなくて怒るであろう二人に任せて、僕はもう一つのしなくちゃいけないことに専念しよう。

 

 僕は未だに泣きじゃくって、腰が抜けたのか座り込み続ける女の子の前に膝をついて、その子の頭に手を置いた。

 その瞬間、彼女は大きく怯えて肩を震わせた。

 

 僕は、その子の頭を撫でた。

 君に触れる手が全部、君を傷つけるためにあるんじゃないことが、君を安心させたいと思って触れる手もあることを教えたくて、伝わることを願って、頭を撫でる。

 

「……助けてあげれなくて、ごめん」

 

 そして、今更過ぎる謝罪をする。

 ごめん、本当にごめん。

 ヒーローなのに君を救える言葉が思い浮かばなくって、君が一番助けてほしかった時に駆けつけることが出来なくて、

 助けてあげれなくて、ごめん。

 

 女の子は顔を上げない。

 そりゃそうだろ。いくら謝ったって、無意味だ。

 言葉は行動が伴って、初めて重さと説得力が生まれるんだ。

 助けてあげれなかった僕がいくら謝っても、何の意味もない。

 だから――

 

「次は必ず、助けるよ」

 

 そう、約束するしかなかった。

「絶対に、君がどこにいても駆けつける。絶対に君を理不尽に傷つける全てから、守るよ」

 自分の言ってる言葉が、どれだけ無謀なものかはわかってる。それでも、あの日の深海王の時のように、わかっていてもそれはやらなくちゃいけないことなんだ。

 貫かなくちゃいけないことだから。

 

「絶対に君を、守るよ」

 

 僕の約束は、一方的なもののつもりだった。

 ……でも――

 

「……………………本当?」

 消え入りそうな声で、彼女は尋ね返した。

 何もできなかった僕の何を信用してくれたのかはわからない。

 

 だけど、ほんのわずかでも、僕の言葉は彼女の心に届いた。

 

「うん。……約束するよ」

 

 僕は小指を立ててそれを証明しようとしたら、女の子は「子供みたい」と言って、少し笑った。

 本気で破ったら呑む覚悟なんだけどなぁ、針千本。

 

 そんなやり取りをしていたら、いつの間にか警察や屋上まで上がってきてた。

 僕はさっそく、大人に囲まれて「自殺未遂なんて人騒がせなマネを!」と怒られて怯える女の子を庇いながら、ふと思う。

 

 いつの間にか、ここにやってきたようにテレポートで帰ったであろうエヒメちゃん。

 あの子の言葉の重み、説得力はどんな「行動」が伴って、生まれたものだったのかを、少しだけ考えた。

 

 

 

 

 

 ……彼女は一度、「飛んだ」ことで「跳ぶ」ことを覚えたんじゃないんだろうか?





この後エヒメは家で、ジェノスにめちゃくちゃ説教された。

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