「まさか走って現場に向かうとは」
エヒメさんがテレポートを使えるのなら先生は飛行くらいできると思い込んでいたが、意外と先生は戦闘や防御力、運動能力以外は普通らしい。
「他にどうすんだよ? そもそも、エヒメのテレポ使うのも稀だぞ。基本は徒歩だ」
「そうなんですか?」
「あぁ。あいつも言ってたけど、テレポートを使うのも限度があるからな。
あいつは基本的に戦えねーから、俺がいない時に怪人が出たらテレポ頼りだし。俺の都合で使わせて肝心な時にキャパオーバーなんて、洒落にもならねーだろ?」
なるほどと納得すると同時に、俺は数時間前にその説明を本人から受けた時のことを思いだし、またしても思考がフリーズ、いやショートしかけた。
彼女からしたら俺の大体の重さを見繕って、どのくらいの距離を跳べるか、何度テレポートをすれば目的地にたどり着けるかの大雑把な計算をしたかっただけだ。
ただそれだけ、俺がサイボーグだから同程度の体格でも生身の人間よりはるかに重いだろうと思い、重さを確かめるために抱き着いただけなんだ。
それだけだとわかっているのに、流れていないはずの血液が頭部に集まって熱くなる気がした。
これが初めから俺をロボット扱いしていた相手からの行動なら、俺も気にならなかっただろう。
しかしエヒメさんは俺を初めからサイボーグどころか人間として扱い、見ている節が強い。
俺が訪ねてお茶をもらった時、俺の前にお茶を置いてだいぶたってから俺がサイボーグであった事を思い出したのか、「! そういえばお茶で大丈夫なんですか!? ごめんなさい、うちに今あるオイルってサラダ油くらいなんですけど!」と焦っていた。
俺が取り込んだ有機物をバイオ燃料にするため食事もできるし味覚もあることを伝えると、彼女は安心したように表情を和らげて、そして微笑んで言ってくれた。
「ジェノスさんにその身体をくれた博士は、いい人ですね」と。
「機能」ではなく「身体」、「作ってくれた」ではなく「くれた」と、本人は意識してないのかもしれないが、細やかに俺を人間扱いしてくれる。
そんな人だからこそ、意識してしまう。
抱き着かれた時の柔らかな感触。
強く抱きしめたら折れそうな、華奢な全身。
清潔な石鹸の匂いに混じった、有機的な人の、彼女の甘い香り。
……まさかこの身体になってから、自分が男であることを思い知らされるとは。即物的すぎて、罪悪感で死にそうだ。
「……なー、ジェノス」
「!? はい!」
羞恥と罪悪感で走りながら精神的に死にそうになっていた俺を、先生が現実に引き戻す。
先生は、走るスピードを一切緩めないまま言葉を続けた。
「頼みがあるんだ。
これは先生だの師匠だの関係なく俺個人のだから、聞いてくれたからって弟子にはしねーから、嫌なら素直に断れ。
っていうか、俺の頼みだからって無条件でOKされた方が俺は嫌だ」
先生からの頼み事という時点で「はい! 何なりと!」と即答しかけたが、その前に釘を刺されて一瞬言葉に詰まる。
「はい。それで、頼み事とは?」
「エヒメと仲良くっていうか、ダチになってくれないか?」
それのどこが先生からの頼み事なのか、俺にはわからなかった。
そんなの、俺から土下座で頼み込むのも図々しいと思っていたことなのだから。
先生が何故、俺にそんなことを言うのか理解できずに呆けていると、先生は振り向きもせずに淡々と理由を語る。
「あいつちょっと事情があって、基本的に俺以外の他人を信用しないし好きじゃないんだ。警戒心が野良猫並みで、自分から他人に関わろうとしないし笑わないし近寄らないんだよ」
「そうなんですか?」
先生が語るエヒメさんの人物像は、意外そのものだった。
むしろ俺から見た彼女は、心配なくらいに人懐っこくてよく笑う、明るくて好ましい少女だったから。
「うん。そういう奴のはずなんだけど、何かお前には妙に懐いてるみたいだから、お前が嫌じゃなければあいつのダチになってくれ。
あいつ、俺にべったりで仕事も他人にあんまり関わらないでやれる仕事だから、世界が実はすげー狭いんだよ。テレポート使えるくせに。
だからちょっとあの引きこもりを外に引きずり出して、視野を広げる手伝いをしてくれ」
一度、振り返って俺にそう伝えた先生の顔は、いつもと変わらず覇気や生気が乏しい表情だった。
しかしその目は、いつもより感情がわかりやすかった。
言葉では呆れて突き放している節が強いが、先生の瞳は妹に対する愛情や心配で満ちていることが、感情の機微に疎いと昔から言われていた俺にもはっきりとわかる。
だから俺は、まっすぐに先生を見返して答える。
この無機物でできた目でも、俺の心からの答えを、感情を表せていることを願って。
「言われなくても、そうさせていただきます」
俺の答えに、先生はわずかに微笑んだ。
その笑みは、エヒメさんによく似ていた。