アマイマスクの意識が私からバッドさんに移った瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
あー、よく立ってられたなぁ私。
もう自分でなんて言ったかも覚えてないや。
……私、お前誰だよ? って口走ってないよね?
もう完全にあの人からぶつけられる殺気に怖気づかないようあえて、こいつ誰? とか、お前イケメン仮面かよ! とか、髪形変えんなただでさえ特徴なくて覚えにくいのにとか、っていうか前はショートだったよね? え、もう伸びたの? それともカツラ? お兄ちゃんの仲間なの? とか、かなりどうでもいいことばっか考えてた気がする。
いや、名前がわかんなかったのはどうでも良くないけど。ものすごく困ったけど。
「エヒメさん!」
今更自分がやった事の危なっかしさに腰を抜かした私を、ジェノスさんは呼ぶ。
ジェノスさんは私が深海王に追い詰められた時、駆けつけてくれた時と同じ顔をしてた。
自分を責めるような、危ない事をした私に怒っているような、けれど無事であることを喜ぶような今にも泣き出しそうな顔をして、ジェノスさんは私に駆け寄ってくれた。
「ジェノスさっ!?」
まずは謝るつもりだった私の言葉は、出てこなかった。物理的に。
「嬢ちゃん! おっ?」
「ちょっとアンタ、腰を抜かすくらいなら……ってちょっと!?」
「んなっ!」
「おぉ! ジェノスちゃん大胆だな」
「あーぁ。金属バットさん終了のお知らせだ」
「……童帝、言ってやるな。最初からわかっていただろう?」
「……あの、師匠。今更ですが彼女は誰ですか? というか、何がどういう関係でどういう状況でしょうか?」
「ふむ……では後は若い二人に任せるとしようか」
「シルバーファングさん、お見合いじゃないんですから」
「……金属バット、ショックを受けてるようなら僕は帰るぞ」
何か色々言ってる後ろの皆さんにツッコミたいけど、それもできない。
……私は今、それはもうしっかりとジェノスさんに抱きしめられて、私の頭はジェノスさんが自分の胸に抱え込むような状態。
えっと、……ジェノスさん?
しばらく無言で、後ろでタツマキさんが「ちょっと何してんのよサイボーグ!!」と怒鳴っても何の反応もしなかったジェノスさんが、まったく私を抱擁する腕を緩めないまま呟くように言った。
「エヒメさん……俺は今、結構怒ってます」
ですよねー。
「貴女にも怒っていますし、自分の事も許せない。
……でも……今は……」
何とかジェノスさんにせめて謝ろうとして身をよじるけど、その動きを封じるように、痛くはないんだけどさらに強く抱きしめて、ジェノスさんは言う。
「無事で……良かった……」
私が生きていることを確かめるように、実感するために、そして離れていかないように、ジェノスさんは私を腕の中に閉じ込める。
……きっと、あの隕石の時の私と同じ心境なんだろう。
無事だとわかっていても、その腕でその存在を確かめたくて、手を伸ばさずにはいられない。
だから私は身をよじったり、離れようとしてジェノスさんの体を押し返すのをやめた。
ごめんなさい、ジェノスさん。心配ばかりかけて、自責なんてする必要ないのにそんな思いをさせて。
……私はちゃんとここにいますから、安心してください。
そう伝えるために、私は大人しく身を任せた。
心音とは全く違うけどこの人の生きている証の音を、私もただ聞き入る。
* * *
「ちょっと!! 無視するんじゃないわよ!!」
「……くそガキめ。童帝の方が腹は立つがマシだな」
けど無視され続けたタツマキさんがキレて叫んで、ジェノスさんがさすがに無視できなくなって少しだけ腕の力を緩めた。
緩めただけで、離してはくれないんだけどね。
けどようやくジェノスさんの胸に抱え込まれていた頭をジェノスさんの肩から出すことが出来たので、とりあえず私はタツマキさんに謝っておいた。
「ご、ごめんなさい、タツマキさん! 何かその、色々迷惑と心配をかけて……」
「し、心配なんかしてないわよ! 何で私があんたの心配しなきゃなんないのよ!
それにあれくらい、迷惑でも何でもないわよ! イケメン仮面をひねりつぶすくらい、息するより簡単よ!
っていうか、あんたは危機感とかそういうものを持ちなさいよ! 何盛大にセクハラされてんのに、呑気に私に謝ってるのよ! サイボーグもいい加減にしなさいよ! 私にスクラップされたいの!?」
……実に面倒くさいけど、実にテンプレートなツンデレだな、この人。心配してないと言った端から、ジェノスさんに抱きしめられてることをセクハラだと思って心配してくれてるし。
気持ちはありがたいし、確かの他のS級さんが面白がられたり気まずそうにされるのは恥ずかしいけど、でも私は答える。
「セ、セクハラじゃないです! 大丈夫です! 心配をかけた私が悪いんですから!
……それに、嫌なんかじゃないですから」
ジェノスさんから離れず、抱きしめられたまま答えると、タツマキさんの怒気が呆れに変わった。
「……あんたら、もう本当に爆発しろ」
タツマキさん、それはリア充的な意味? それともリアル爆発をご所望されてる?
とりあえず何を言われても離れる気がないジェノスさんと、引き離す気もない私にもう何か言うのは諦め、タツマキさんは浮かび上がったまま私の後ろの宇宙人に目を向けた。
「で、あんたたちは結局何のために地球にやってきて、何でA市を滅ぼしたのよ?」
まさかタツマキさんがそんな質問をわざわざするなんて思っていなかったから、思わず目を丸くして彼女を見たら、タツマキさんは一瞬だけ私を見て、すぐに鼻を鳴らして目をそらして言い訳のように言葉を続ける。
「ふん! 何よ! 私だって町一つ壊された理由もわからないままは気持ち悪くて嫌なのよ!!
っていうか、私が訊いたんだからさっさと答えなさいよ雑魚ども!!」
ツンデレなのかツンギレなのかよくわからないことを言い出して、またタツマキさんがその辺の瓦礫を超能力で持ち上げたら、アマイマスクの殺気で気絶しっぱなしのを除いて、宇宙人が口々に語りだした。
「お、俺たちはボスの命令を聞いてただけだ!」
「この星にボスと対等に戦える奴がいるって聞いて、俺らは20年も無理やりあの船で働かされていたんだ!」
「俺たちは船の掃除とかしか任されてない雑用係で、砲撃とかそういうのには全く関係ありません!」
……私が庇った宇宙人たちは、私が望んだ通りの言葉をくれる。
なのに、私は何も満たされない。虚しいと感じている。
それは、こいつらの言葉を信じてないから。こういえば助かると思ってるのは丸わかりな嘘だと確信してるから。
……アマイマスクの前に立ったこと、彼のしようとしたことを止めて、否定したことに後悔は何もないけど、彼の言う通りこいつらは排除した方がいい奴らである可能性の方がはるかに高かったことくらいわかったうえでの行動だったけど、……それでも、悲しいとか腹が立つとかじゃなくて、虚しい。
私のしたことは何の意味もなしていなかったという事を思い知らされたのが、どうしようもなく虚しい。
「……エヒメさん」
その虚しさをジェノスさんに気付かれたのか、彼はまた少しだけ強く抱きしめる。
まだ口々に自分たちが生き残るために、自分たちのボスがどれだけ悪逆非道だったかを語る宇宙人たちを、タツマキさんは汚物を見るような目で見下ろして言う。
「もういいわ。っていうか、不愉快。黙れ」
彼女の言葉で宇宙人たちは押し黙り、耳が痛い沈黙が続く。
ジェノスさんもタツマキさんも何も言わない。
他の人たちはもう私たちから離れて、まだ宇宙人の残党がいない探してる。
……いっそ、アマイマスクのように私のしたことを責めて欲しかった。
私の主張はアマイマスクの言う通り、頭が花畑の子供の理想に過ぎないのは事実なんだから。
「………………違うんだ」
けど、私は結局アマイマスク以外に責められず、沈黙を破ったのは宇宙人の一人だった。
他の宇宙人が自己弁護をしている時はずっと黙っていたので、気絶をしているのかと思ってた一人が、絞り出すような声で語った。
「違うんだ……。俺らは確かにほとんど何もしてないけど、まだ何もしてなかっただけなんだ!
俺たちは皆、ボスの命令があろうがなかろうが、やってきた星を問答無用でぶっ潰してきたんだ!」
「おい、バカ! 何言ってんだ!」
唐突に、自分たちが不利になる告白を始め、私もタツマキさんも、ジェノスさんも顔を上げて目を丸くさせる。
彼は仲間に黙るように言われても、告白をやめなかった。
「俺は宇宙の中でもクズだと思うけど、でも……やっぱ出来ねぇよ!
あんな俺らも何もできずにチビるしかなかった殺気を放つ奴から俺たちを庇ってくれた子に嘘をつくのも、一人で十分なのに俺らを拾ってくれたボロス様に責任全部押し付けんのも!
そもそも今回はボロス様、砲撃命令出してなかったじゃねぇか!!
ゲリュガンシュプ様が俺らにそれを伝えたら、グロリバース様とメルザルガルド様が反対して、俺たちも20年もこんなへき地まで旅させられた鬱憤を晴らしたくて、ボロス様と対等な奴ならあんな砲撃くらいで死なないってゲリュガンシュプ様を説得して、ボロス様の命令を無視して俺たちが勝手にいつも通り、砲撃したんじゃねぇか!!」
罪悪感に耐えきれず、彼は全てを叫んで吐き出した。
私にとって別に何の救いにもならないことを、彼はただきっと罪悪感で潰れそうだから、自分が楽になりたくて、そのためだけに吐き出した。
なのに、私は……
「――そう」
「エヒメさん!?」
「! ちょっ、ショックだったのはわかるけど、泣くんじゃないわよ!」
ジェノスさんとタツマキさんが何の前触れもなく溢れて流れた私の涙に驚き、心配してくれた。
「大丈夫です。……大丈夫」
私はただ、そう答えて涙を拭う。
どうして涙が出たのかは、わからない。
悲しいような、ショックなような気もするけど、どこか嬉しい気がした。
A市が壊滅してからずっと、私の中で渦巻いていた理由の分からない怒りと悲しみが溶けていくのを感じる。
それは涙となって溢れ出たとしか思えなかった。
* * *
折り紙を手に持って、私は何も折らずにただそれを眺める。
何も折る気にはなれず、今日一日の記憶を反復する。
……今日はなんだか、私自身が全く説明のできない感情に振り回された。
A市が壊滅した時、信じられない、信じたくないと思ったのを筆頭に、あの船を墜として欲しくないと思ったり、宇宙人の言葉で泣いたり。
……お兄ちゃんが船から出てきた時も、そうだった。
お兄ちゃんが無事帰ってきてくれたことが確かに嬉しかったのに、お兄ちゃんのヒーロースーツを汚しているのは、自分のじゃなくて敵の返り血だってことはわかっていたのに、……無性に悲しかった。
その悲しみを誤魔化すように、私はまだ腰が抜けていたくせにテレポートで跳んで、お兄ちゃんに抱き着いた。
お兄ちゃんは私の様子がおかしいことには気づいていたのかもしれないけど、何も訊かないでただ黙って私を受け止めて、抱きかかえてくれた。
それが嬉しいのと同時に、私の中の悲しさが大きくなったのは何故か、わからない。
……まぁ、その後またタツマキさんが無視されたことにキレるわ、ジェノスさんがタツマキさんに現代アートにされるわ、タツマキさんが私やジェノスさんどころかお兄ちゃんより年上だって言うわで、なんかグダグダの内に吹っ飛んだけど。
タツマキさん、いったいいくつなんだろう?
そんな感じで忘れていたのに、何故か折り紙を見てまた思い出す。
説明ができない、むしろ私が教えてほしい胸の痛みが蘇る。
……どうしても何も折る気が湧かず、大好きなはずの鶴を折ろうとは思えず、私は折り紙をテレビ台に置いて、布団を敷く。
「折らないのか?」
マンガを読んでたと思ってたお兄ちゃんが、訊いた。
「……折っても邪魔になるだけだから、もうやめようかなって思って」
訊かれても本当に折らない、折れない理由は私自身にもわからないから、私は適当に答えた。
「ふーん」
お兄ちゃんは私の答えに納得したような、同じように適当な相槌なのかよくわからない返答で読み終わった漫画を本棚に戻して、それから私が置いた折り紙を手に取った。
「お兄ちゃん?」
私が何をしてるんだろう? と思って呼びかけたら、お兄ちゃんはいつものやる気のない顔で覇気なく何気なく、意外なことを言い出した。
「エヒメ。折り紙を教えてくれよ」
「え?」
お兄ちゃんは私の趣味関して文句とかバカにする類いは一切言ったことがなくて、すごいなといつも褒めてくれたけど、興味を持ったことはなかった。
私自身も、お兄ちゃんがどうのこうのじゃなくて男の人が興味を持つようなものじゃないことはわかっていたので、一緒にやろうよと誘ったことは一度もない。
私のポカンとした顔をお兄ちゃんは一度睨んで、気恥ずかしそうに言った。
「何だよ。別にいいだろ?
……他になんか、闘い以外に興味が湧くものを、『ヒーロー』以外の趣味を見つけたいって思っても」
……お兄ちゃんを否定するみたいで、私は一度も言えなかった。
闘い以外の何かに目を向けてって、ヒーロー以外の趣味を、生きがいを見つけてほしいって、私はずっと思っていたくせに言えなかった。
また、説明できない感情が沸き上がる。
その沸き上がった感情を押し殺さず、私は言う。
「いいよ。教えてあげる」
誰かに「ありがとう」と胸の内で伝えて、私は笑った。
ボロス編終了です。
次回からは、エヒメと10人の「ヒーロー」の話と小話二つの全12話の日常編予定です。
そして、以前にも後書きでお知らせしたように、仕事の都合で更新頻度は昼・晩の2回から、昼の1回に変更します。
多分毎日更新はまだ続けていけると思うので、これからもお付き合いをお願いします。