空の船をただ見つめる彼女は、あの隕石に飛び込んだ先生を見ていた時と同じ顔をしていた。
押しつぶされそうな不安と、拠り所にしていた、信じていた約束を破られた怒りと悲しみを胸の内から溢れ出さないように、必死に耐えているのが今ならわかる。
ただ、どうして今そんな顔をしているのかはわからなかった。
先生が同じ失態を犯すはずがなく、そして実際に約束は破られていない。
ちゃんと守って先生はあの船に向かって行ったことは、本人から聞かされた。
なのに、エヒメさんは泣き出しそうな顔でただ船を見上げていた。
先生にビンタをした直後と同じ顔で、睨み付けていた。
俺があの船を許せないと思った理由は、それで十分だろう。
しかし、許せないからといってどうこう出来るものではない。
童帝やキングの言う通り、あんな上空に構えられていたらこちらからの攻撃手段はほとんどなく、乗り物を用意しても撃ち落とされる。
今の静観しているこの隙に、気は進まないがロボットと兵器を駆使するメタルナイトを呼び出して応戦してもらうというキングの提案がベストだ。
しかしタツマキはそれらの意見に癇癪を起し、もう自分一人で何とかすると言い出す。
その様子は子供そのものだが、矜持はヒーローとしてふさわしいものだった。
だからこそ俺も応戦しようとしたのだが、奴は一瞬間を置いて何故かキレながら断った。
……くそガキめ。
「ジェノスさん、落ち着いて」
タツマキの言い分に内心でキレていたら、それを察したのかエヒメさんに宥められた。
先ほどまで痛みに耐えるような顔をしていた彼女に気を遣われるのはこの上なく情けないが、けれどエヒメさんの表情は少しだけ和らいでいた。
「大丈夫ですよ。お兄ちゃんが向かいましたから。
むしろ、お兄ちゃんが船を落としたら下で戦っている人たちが危ないですよね。
……4人、運べるかな?」
別の話題を持ち出したことで気が紛れたのか、エヒメさんは泣き出しそうだった顔を心配そうな表情に変化させて、視線も船から地上で戦う4人に向ける。
こんな顔もさせたくないが先ほどよりはずいぶんとマシなので、俺は先ほどまでの様子には触れず、彼女のこの不安を軽くさせることに専念する。
「あの大きさなら、さすがに先生でも壊すまで時間がかかりそうですし、下の奴らもS級です。逃げるなり、瓦礫を使って上手く防御するなりくらいできるでしょう。
というより、他の3人はともかくプリズナーは放っておいていいです。誰も奴を貴女に運べとは言いませんし、文句も言いません。本人にも言わせません」
見たくもないがクセーノ博士が与えてくれた目が、奴の戦闘スタイルをこの距離からでも鮮明に映し出す。
聞いてはいたが、本当に全裸に変態するのか。
やはり会った瞬間、焼却すべきだった。
「……正直、その言葉が一番うれしいです」
エヒメさんもやっぱり奴は運びたくなかったのか、苦笑しながら俺の発言を咎めることなく同意してくれた。
苦笑とはいえ笑ってくれたことに、安堵した。
* * *
けれど、エヒメさんの笑みも俺の安堵も、長くは続かなかった。
船から地上に向けて、地上で戦う4人に向けて巨大な砲弾が雨のように投下された。
その量に協会本部屋上でただ見ているしかなかった俺たちは絶句したが、タツマキはすました顔で屋上から飛び降り、そのまま超能力で飛行しながら地上に向かう。
地上に降り立った奴は、淡く緑色に発光しながら手を前に伸ばすと同時に、地面に着弾寸前だった砲弾がピタリと静止した。
そしてそのまま、奴は砲弾を船に撃ち返した。
先生程ではないがその規格外のパワーが、今は頼もしい。
俺は再び安堵してエヒメさんの方に視線を戻すが、予想に反してエヒメさんはまた顔色を白くさせて、泣き出しそうな顔で船を見上げていた。
今度は、怒っているというより悲しんでいた。
信じられない、信じたくないと言いたげに、何かに縋るように彼女はただ、船を見上げる。
「……ジェノスさん」
彼女が何を想い、何を信じたが故にそんな顔をしているのかがわからなくて、何も言えなくて、杖の役目なんて一切果たせず途方に暮れる俺に、エヒメさんは船を見上げたまま、尋ねる。
「……もしも、この船が攻撃を全くしなかったら、どうなっていたんでしょうね?」
「え?」
それはこの壊滅した地上を見れば、先ほどの集中砲火を見ていれば、まずは出てこない、あまりに今更過ぎる仮定。
それでも彼女は、泣き出しそうな顔で船を見上げて、呟く。
もはや、俺の答えを期待しているのかどうかもわからない。
「もし、この船が攻撃なんかせずにただ現れただけなら、……私たちは歓迎したのでしょうか?
もし、あの船から出てくる人たちが怪人のような姿で、私たちなんか一瞬で殺せそうな力を持っていても、私たちは対話で分かり合おうとするのでしょうか?
……それとも、私たちは船を災害として、他の星からやって来た『人間』を『怪人』として、話も聞かずに排除するんでしょうか?」
悲し気に彼女は、船を、その中にいるであろう乗組員、きっと他の星では俺たち「人間」に当たる種族を見つめて、呟いた。
……俺にとって船も、その乗組員も等しく、排除すべき敵だった。
それ以外なんて、考えつかなかった。
それはもちろんA市を壊滅させたという前提条件があったからだが、……俺はA市が壊滅されていなかったら、もしもただあの船が浮遊しているだけだったのなら、そしてそこから「怪人」のような異形の「人間」が現れていたら、どうしていただろうか?
……まずは対話を試みるのか、それとも先手必勝とばかりに焼却砲の砲門を開くのか。
「……ごめんなさい。変なことを訊いて」
エヒメさんは船から視線を外し、俯いた。
自分でもこの過程はあまりに今更で、あり得ないものだという事はわかっているのだろう。
それでも、彼女は信じていた。
あの船の誰かと、分かり合えることをきっと信じていたんだろう。
どうして、そんなことを思ったかはわからない。
けれどそんなことは、知る必要もない。
時を戻せない、もうあの仮定が成立しないのだから、それは知っても何の意味もなさず、きっとこの人をさらに傷つけるだけ。
「……俺は、排他的で思い込みも激しいとよく言われますから、……きっと向こうが何もしてなくても、……排除対象にしてしまうと思います」
何もできない俺は、ただ隣に寄り添うだけだった。
彼女の隣で、彼女の仮定に、彼女が望まないとわかっている答えを返す。
「……だから、隣にいてください。
俺が、何もしておらず敵か味方もわかっていない、俺の出方次第で敵にも味方にもなりえる者を傷つけてしまわないように、俺が間違えないように、エヒメさんが隣で、俺の愚行を止めてください」
貴女がいないと、何もできない。
貴女がいないと、俺は間違ってばかりだから。
だから、隣にいて欲しいと望む。
貴女がいれば、貴女の望む答えをきっと出せるから。
出してみせるから。
ただ俺は、隣でそう誓うことしか出来なかった。
「サイボーグさーん、おねえさーん! 僕たちも下に降りましょう!
ここだと船の砲弾から逃げ場ありませんし、全部をタツマキちゃんに任せて守ってもらったら、後でうるさいですし」
「はい」と応えた声は、俺の言葉の直後の童帝の指示に対してだと思っていた。
彼女の不安も悲しみも、何も軽くさせることも理解することも出来ず、ただ隣にいるだけの俺のさらに負担をかけるような言葉に応える声なんてあるはずないことくらい、わかってる。
俺はまた俺のわがままを彼女に押し付けたことだけだったことは、わかってた。
「ジェノスさん」
なのに彼女は、俺の手を取る。
「行きましょう」
何も出来なかった俺の隣に、いてくれた。
悲しみを押し殺して、痛みに耐えるような顔で、それでも彼女はどこか嬉し気に笑ってくれていた。
ボロス編はまだしばらく続きますが、ボロス戦は次回で決着です。