タツマキの訳が分からない言論に振り回された俺とエヒメさんの二人が、廊下に取り残される。
先生やバングもタツマキがエヒメさんに謝ってすぐ部屋に入っており、他のS級もほとんど既に集まっているだろう。
だから、俺も速やかに入室すべきだが、それよりも先に行わねばならないことは、隣で立ち尽くすエヒメさんの緊張を解すことだ。
先ほどタツマキに自分で言ったように、彼女は基本的に人間不信で人嫌いだ。
警戒心を一度解けば、少し困るくらいに無防備に信頼をしてくれるが、どうも色んな意味で警戒をしてる余裕もなかった俺との出会いのような例外を除き、知らない人と会うだけでもこの人は、顔色を悪くさせるほどに緊張してしまうのが、さっきの二人でよくわかった。
協会までヒーローではない彼女を連れてきたのは、まだ両手の火傷も、肋骨の骨折も全く万全ではないから、やっと退院したばかりだから、レベル竜の災害に巻き込まれないように、巻き込まれてもすぐに守れるように、俺たちを心配しすぎて、テレポートで駆けつけてしまわないように。
それらの理由に、嘘はない。
だけど、心からの俺の本音は、ただ一時も離れたくない。傍にいたいし、いて欲しいから。
そんな愚かなわがままで俺は、彼女が嫌うであろう知らない人間が集まるこの場に連れてきてしまった。
ただでさえ一般人が何故ここに? と思われて当然なのに、もしかしたら18人目のS級になってたかもしれないエヒメさんは、ミーハーで無責任な一般人だけではなく、S級ヒーローにとっても好奇の的だ。
そのことをわかっていながら、俺は連れてきた。
だから、俺は彼女を守らなければならない。
もう二度と、失態は犯さない。
彼女の両腕の火傷はもちろん、あんな絶望に染まった顔なんて、もう二度とさせない。
「エヒメさん」
誓いを新たに、俺は顔色を白くさせて扉の前で固まるエヒメさんに話しかける。
「俺は、短気ですぐに武力行使で物事を治めようとする、力どころか人としても先生の足下に及ばない未熟者です」
唐突な俺の自虐に、エヒメさんは当然困惑する。
あぁ、こっちの方がいい。
あんな恐怖に慄きながら、怯える自分を嫌って自責する顔よりも、こちらの方がずっとマシだ。
でも、本当に見たい顔は、こんな顔じゃない。
「それでも、俺は貴女の杖でありたい。
貴女が傷つかず、貴女が行きたい道を歩む手助けをさせてください」
敵を、悪を、何もかも焼き尽くす、そのための手を、そのためだけだったはずの手を差し出す。
今は、違う。
この手に別の意味を、価値を与えてくれた人に、その意味と価値を与えたくて、そしてやはり自分本位にただ触れたくて、手を伸ばす。
エヒメさんはしばし俺の手を見つめ、そして口元を綻ばせて、まだ包帯に包まれた自分の手を重ねてくれた。
「もう十分に、手伝ってもらいっぱなしですよ。
ダメになっちゃいそうだから、あまり甘やかさないでくださいね」
そう言いながら、俺に甘えて、俺に頼って、俺の手を取ってくれた。
柔らかく笑ってくれた。
あぁ。
この顔が、見たかった。
* * *
エヒメさんの手を取って、彼女を少しでも好奇の視線から守るように前に出て、部屋に入ると予想通り、中の連中が一斉に俺たちを見る。
ほぼ最後に入ったのだからそれは当たり前なのだが、その中の一人、机に脚を乗せて座っていた男がこちらを見た瞬間、目を見開いてそのままバランスを崩し、椅子から転げ落ちた。
いきなりの事故に思わず俺もエヒメさん、先生や他のS級も驚き、注目が俺たちからその男、俺のすぐ上のランク、S級15位の金属バットに向けられるが、奴は即座に起き上がって自分が注目を浴びてることに気付きもせずに叫んだ。
「!? エ、エヒメさんっ!? な、何でここに?」
「「は?」」
俺と先生が思わず呆けた声を上げ、同時にエヒメさんを見た。
振り返って見たエヒメさんは目を丸くしていたが、その驚愕はどう見ても知らない人間に自分の名前を知られていた恐怖混じりのものではなく、金属バットと同じ種類の驚きだった。
「……バッドさん?」
バッド? バットではなくて?
俺は何から訊けばいいのもわからずただ困惑していると、先生とバングがそれぞれに「知り合いか?」と尋ね、エヒメさんと金属バットは困惑しつつその問いに答えた。
「えっと……ゼンコちゃんのお兄さんです」
「俺の妹のダチつーか、懐いて世話になってる人つーか……」
エヒメさんが答えた名前には、聞き覚えがあった。
確か俺がメンテナンスで見舞いに行けなかった日に知り合った10歳くらいの女の子で、エヒメさんの友人。
俺は会った事がないが、その子と知り合った翌日にとても嬉しそうにはにかみながら、「お友達が出来たんです」という報告をされたことをよく覚えている。
さすがに子供かつエヒメさんと同性に嫉妬はしなかったが、あそこまで幸せそうに、嬉しそうに彼女を笑わせた少女に悔しさを感じた。けれど、それさえも上回る感謝が芽生えるほどに、あの時の彼女の笑顔は綺麗だった。
そんな彼女の心を癒した恩人の兄ならば俺は敬意を払うべきなのかもしれないが、……エヒメさんには悪いがどうしてもその気にはなれない。
それはどう見ても奴の反応が、知り合いがこんな意外すぎる所に現れただけではないことは、体温サーモや心拍数を測定・分析しなくても、赤らんだ顔でわかったからだ。
先生の方はエヒメさんの返答で全てを納得したらしく、「へー。よろしく。俺はサイタマ。あいつの兄貴だ」と挨拶して、手を差し出している。
金属バットの方はまだ困惑してるのかこちらを見たまま、「あ? おおう? よ、よろしく」と珍妙な挨拶を返して握手に応じていた。
その様子を苦笑しながらエヒメさんは眺め、「……バッドさん、S級だったんだ。見覚えがあったわけだ」と呟いていた。
知り合い、それも信頼している友人の兄がいたことで彼女の緊張が解けたことは、喜ばしいことのはずなのに、無性に気に入らない。
自分の器の矮小さが本当にイヤになるが、自分が担いたかった役目を他人に奪われたこと、エヒメさんがヒーローネームではなく本名らしき名前で呼んでいることが、俺は気に入らなくて仕方ない。
口を開けばそんな醜くて幼稚な嫉妬が溢れ出そうだったから、俺は固く閉ざしたまま、エヒメさんの手を引いて椅子に向かう。
その途中で、ようやく困惑と混乱から少しは平静を取り戻した金属バットが言う。
「エ、エヒメさん!? あの、どうしてここに!? そしてそいつ……新人とはどういう……」
後半の質問は最後まで言わず、ただチラチラと俺とエヒメさんの繋いだ手を見る。
……その反応で、つい先ほどまで胸の内で渦巻いていた嫉妬が薄れる自分に嫌悪する。どこまで幼稚で、そして醜いんだ俺は。
そんな俺に対する罰なのか、エヒメさんが苦笑しながら「ジェノスさんは私の兄の……」と説明するのに被せて、高い子供の声が俺にとっての爆弾を投下する。
「何? サイボーグさん彼女連れてきちゃったの?」
「「!? なっ!?」」
不本意ながら、俺と金属バットの声が完全に重なり、そしてその後の反応も同じだった。
俺たちは同時に爆弾を投下した子供、S級5位の童帝に目を向けると奴は実に子供らしい無邪気な笑顔で、飴を食べながらにさらに言葉を続ける。
「僕たちの緊急集会なんて、レベル竜が来るかもしれないってことですもんねー。そりゃ、近くにいてもらった方が安心するし合理的かも。
でも、こんなところでも手を繋ぐラブラブっぷりは、さすがにどうかと思いますよ」
「違います! ジェノスさんは私の兄のお弟子さんで私とは友人です! っていうか、何かジェノスさんからヤバそうな音と煙が出てるからもう何も言わないであげて!!」
完全にエヒメさんが俺の……こ、恋人であることを前提に語る童帝に、エヒメさんは慌てて否定と訂正を入れる。
即答の「違います!」に傷つく余裕もなく、最近メンテをしてもらったばかりのエネルギーコアが暴走しかかっていたので、その言葉には感謝しかない。
しかしそのエヒメさんの心配とフォローを無駄にするバカがいた。
「何!? まだ二人は付き合っておらんかったのか!?」
「黙れバング! お前は知ってるだろうが!!」
俺たちが交際などしてないこと、俺の一人相撲であることを理解したうえで、バングは声だけ真剣さを装ってわざわざ立ち上がってまでしてふざけた。
座ってろ、くそジジィ!!
バングがふざけたことで、エヒメさんの否定と修正で収まりそうだった話題が続行した。
童帝はこんなところで天才少年の頭脳を発揮し、完全に俺たちの関係を察したのかニヤニヤこちらを眺めて「サイボーグさん、頑張ってくださいね」と言い出すわ、アトミック侍も同じように笑い「若いってのはいいもんだな、おい」と年より臭いことを言い出すわ、タンクトップマスターは隣で固まってる金属バットに、「違うって否定してたぞ」と俺が何度も聞きたくない言葉を連呼して、奴の石化を何とかしようとしているわという完全に収拾がつかない状況と化した。
エヒメさんの方はタツマキの時とは違う意味でパニックを起こしてただアワアワと周りを見て、「ご、ご、ごめんなさいジェノスさん!」と何故か責任を感じて謝られ、俺も慌てる。
あぁ、何が杖になるだ! この程度の混乱も収められないのか俺は!!
自分の無能さが情けないまま俺は助けを求めて先生の視線を向けるが、先生はぷりぷりプリズナーから「実際の所はどうなんだ?」と訊かれて、「見ての通りうちの妹がアホ」と答えていた。
先生! どんな状況でも自分のペースを崩さずに貫けるのは貴方の強さの一部ですが、こんな時に冷静にそんなことを言うくらいなら、いっそ貴方もパニックに陥ってください!!
「あんたたち、いい加減に黙りなさいよ!!
こんな男9割の集団で恋バナなんて気持ち悪いだけってわからないの!?」
タツマキの甲高い声の正論でこの茶番が収まるのは、それから数分かかった。