岩のような力強さと、水の流れのような流麗さを併せ持つその動きは、武道なんてほとんど興味がない私でも綺麗だと思った。
一通りの型を見せてから、バングさんは私たちにもう何度目かわからない勧誘をするけど、お兄ちゃんとジェノスさんはいつものようにあっさり断り、私も申し訳ないけどお断りする。
バングさんの流水岩砕拳は護身術の側面が強いけど、それでも私は怖いと思ってしまったから。
……お兄ちゃんに怒ってぶつ時とは全然違う、生き物を傷つける感覚に私は多分一生慣れない。
今も、火傷の痛みよりあの深海王の目を貫いた感触が残ってる。
だから、もうお断りするのも心苦しいから諦めて欲しいんだけど、バンクさんは何故かお兄ちゃんやジェノスさんより私に一番教えたいらしく、勧誘を諦めてくれない。
今も、お兄ちゃんに「女の子じゃからこそ、護身術の一つや二つ知っておいた方が、サイタマ君も安心じゃろ?」と言って、外堀を固めようとしている。
「やめてくれよ、じーさん。こいつが武術覚えたら、俺がケンカで勝てなくなる。ただでさえ、今でも勝ち目がねーのに」
「余裕で勝てるでしょ! その言い方、誤解を招くからやめて!!」
お兄ちゃんの断り文句に、抗議の声をあげる。
やめてよ、そういう言い方するの! ジェノスさんが実は私がお兄ちゃんより強いって思ったらどうするんだ!?
現に今一瞬、ものすごい驚愕の表情浮かべて私を見たよ!
「そうだ、バング。そんなものは必要ない。エヒメさんに対する危機は、俺が全て排除する。
……もう二度と、深海王の時のような失態は犯さない」
「貴様ら! 流水岩砕拳を愚弄するか! バング先生の一番弟子、チャランコ参る!」
私とお兄ちゃんが言い争ってる横で、ジェノスさんの言葉に怒って、バングさんのお弟子さんとジェノスさんの戦いが始まっちゃった。
一秒もかからず、ジェノスさん勝利で終わったけど。
弱っ! 一番弟子さん弱いよ! っていうか、よく見たら白帯だ!
ジェノスさんもバングさんの弟子には、言っては何だけどそぐわない実力を不思議に思って尋ねたら、バングさんが少しだけ間をあけて答えた。
「ん……まぁ、弟子の一人が暴れおって……、実力派の弟子たちを全て再起不能にしてしまったせいで、他の門下生も恐れてやめてしもうたわ」
あぁ、何でお弟子さんが一人しか今日はいないのかなって思っていたら、本当に今、一人だけなんだ。
そりゃ、私やお兄ちゃんたちの勧誘を諦めないよね。
お兄ちゃんはその暴れたお弟子さんに興味を持って、名前を尋ねる。
もう怪人だってワンパン終了なのに、それでもお兄ちゃんは諦めずに求めてる。
自分と互角に、戦える相手を。
闘争の飢餓を満たす存在を。
……そのことはもうすでにわかり切ってることなのに、なぜか今、すごく不安になった。
お兄ちゃんが、自分と対等に戦える相手を求めて、私がどれだけテレポートしても届かない所まで行ってしまう気がした。
「ガロウ……」
「え?」
けどその急に浮かんだ不安は、バングさんの口から出た名前で霧散した。
「? エヒメさん、どうかしましたか?」
思わず出た声に反応したジェノスさんが尋ね、私は「何でもないです」とだけ答える。
実際、何でもないし。
ただ、同じ名前の人を知っているだけ。
もう10年以上前、小学生の頃の友達と同じ名前が出て、思わずビックリしただけだったから。
私は、同じ名前としか思っていなかった。
私の記憶の中の「彼」と、バングさんの破門したお弟子さんは重ならなかったから。
あの優しい子が、そんなことするわけない。
そう、思ったから。
* * *
厳重堅牢な扉が開き、私たちは先に進む。
……ジェノスさんやバングさんはもちろんいいとして、お兄ちゃんは気にしないからいいだろうけど、私は何でここにいるのかわからなくって妙に緊張してしまう。
あの後すぐ、ヒーロー協会の使いの人が来てS級ヒーローの緊急招集を伝えられた。
もちろん私もお兄ちゃんも関係ないんだけど、S級ヒーローを複数人呼ぶってことは、災害レベル竜が来たという可能性が高い。
それならお兄ちゃんの力が必要だと、ジェノスさんが言ったのはわかる。
だから私は一人で帰って待ってろと言われると思っていたら、お兄ちゃんもジェノスさんも、バングさんまでも一緒に来ていいと言ってくれた。
私が一人で待って寂しくないように、不安に押しつぶされないようにと、気を遣ってくれたのが嬉しくてお言葉に甘えちゃったけど……場違い感が半端なくて、緊張で気持ちが悪い。
ヒーローのスカウト、断っておいて良かったと心底思う。
私、絶対にS級としてここに呼ばれてたらプレッシャーで何もできず、むしろ迷惑しか掛けなさそう。
そんなことを考えてたら、前方に人を発見。
時代劇から出てきたような、手本のような侍のおじさんがバングさんに声をかけ、お兄ちゃんと私に鋭い視線を向ける。
思わず怯んで後ずさる私をジェノスさんが前に出て庇ってくれて、バングさんはお兄ちゃんと私の紹介をしてくれた。
……ダメだなぁ、私。何もできないで、人に甘えてばっかりで。
そんな自己嫌悪をしていたら、S級4位のアトミック侍さんが声を上げる。
「ほう! 嬢ちゃんがS級にスカウトされて蹴った、テレポートの嬢ちゃんか!」
「スカウトを蹴った」という言葉に、「人助けをしない」という被害妄想の抱いてしまい、私の身体はさらに強張る。
ジェノスさんがアトミック侍さんに対して、いつでも排除できる態勢になっているのは気付いてるけど、私はそれを止めることさえもできない。
自分の勝手な被害妄想で自縛して自分で追い詰められている私に、アトミック侍さんはそれを吹き飛ばすみたいに笑った。
「おお、どんなに威勢が良くて生意気な女かと思ったら、可愛らしい嬢ちゃんじゃねーか!
仲間にならねーのはちと残念だが、まぁ、こんな子に上層部のお守りなんかそりゃさせられねーな。いい判断だ、嬢ちゃん」
カラッと笑って、私がスカウトを断ったことを肯定してくれた。
単純で現金な私は、それだけで自分で縛っていた不安や罪悪感は解けて、勝手に怖がっていたことを詫びながら、アトミック侍さんに挨拶する。
「……初めまして。……そして、ありがとうございます」
「オッサンもヒーローなんだな。よろしく」
お兄ちゃんも同時にあいさつしたけど、握手しようとして差し出した手を払われちゃった。
その所為か、私がアトミック侍さんに警戒心を解いたのにジェノスさんが迎撃態勢を崩さない。やめてジェノスさん、排除しないで!!
あとどうでもいいけど、37でオッサンを否定するってすごいですねアトミック侍さん! あなたのオッサンっていくつ!?
「ちょっと誰よ!? 一般人とB級の雑魚なんて連れてきたの!」
私が今にも焼却砲を放ちそうなジェノスさんを宥めていると、甲高い声でまくしたてられた。
場違いなのはわかっているから言い返せる部分はなかったけど、あったとしても私は何も言えなかった。
お兄ちゃんだって同じ。
そのマシンガントークで私たちに「不愉快、消えて」と言い放ったのは、ゼンコちゃんよりは年上かなーと思えるくらいの女の子だったから。
「なんだこの生意気な……迷子?」
「それはS級2位のタツマキですね」
同じことを思っていたら、お兄ちゃんが口に出して、ジェノスさんが答える。
あぁ、そういえばHPで見たわ。
HPの顔写真だけだと、若いなー、童顔なのかなーって程度の感想だったけど、全身を見たらかなり小柄だから、子供にしか見えない。
実際はいくつなんだろう?
「何よ?」
ついつい凝視していたら、タツマキさんが不愉快そうに睨んできたので、思わず「ご、ごめんなさい!」と謝って顔を伏せる。
「何謝ってんのよ! 私がイジメたみたいでしょ!」
私のその対応が気に入らず、さらにきつい言い方で怒られてまた謝りそうになったけど、謝った事で怒られたので私はどうしたらいいかわからなくなってパニックを起こす。
「おい、エヒメ落ち着け。子供に泣かされそうになってどうする?」
「え? ちょっ! やめてよ、本当に私がイジメてるみたいじゃない!」
「タツマキ! 一般人を連れてきたのは俺だ! 責めるなら俺にしろ! そもそも一般人を責めたてるのが、ヒーローのすることか!?」
パニックを起こして何も言えないまま泣きそうになってる私をお兄ちゃんが宥め、さすがにこんな反応するとは思っていなかったタツマキさんが戸惑い、そしてジェノスさんがマジキレして怒鳴る。
あぁ、もう本当に迷惑ばっかりかけてごめんなさい!
そう謝りたいのに、私の喉から出るのは苦し気な息だけ。
お兄ちゃんが背中をさすって、バングさんやアトミック侍さんまで私を心配してくれてるけど、私は何も言えないし、自分を落ち着かせることも出来ない。
「――あぁ! もうっ!!」
タツマキさんのしびれを切らしたような声に、思わず私は反射で目を閉じる。
暗く閉ざされた視界の中で感じたのは、頭にポンッと置かれた小さな手の感触。
お兄ちゃんでもジェノスさんでもないその手の感触に驚いて目を開けると、タツマキさんが私に視線を合わせて浮き上がって、私の頭を撫でてた。
そして、私から目をそらしてボソリと呟く。
「……私が悪かったわよ。怖がらせて」
「……いえ。私の方こそ、パニックを起こして困らせて、ごめんなさい」
タツマキさんが謝ってくれたことで、私のパニックも治まってすんなりと言葉が出てきた。
タツマキさんは一度鼻を鳴らして、私の頭から手を離して床に降り立つ。
その様子を見ながら、アトミック侍さんが「……あのタツマキが、謝っただと!?」と驚愕して、思いっきり本人に睨み付けられてた。
そこまで珍しいのか、謝るの。
「エヒメさん、大丈夫ですか」
ジェノスさんがまだ心配してくれて、本当にもう大丈夫だと伝えてながら、S級が集められた部屋に入ろうとした時、アトミック侍さんを睨み付けていたタツマキさんに、「ねぇ」と話しかけられた。
ジェノスさんがまた警戒態勢に入るけど、彼女はその刺々しい空気も、私の前に立つ彼も無視して、私をエメラルドのような目で見上げて尋ねる。
「あなた、J市で活躍したテレポーターでしょう?
何でスカウトを断ったの? 断るくらいなら、何で助けたのよ?」
ジェノスさんが「お前には関係ないだろう」と切って捨てようとしたのを止めて、私はどう答えようか悩む。
さっきパニくって迷惑をかけたから、ちゃんと答えたいけど……まさかソニックさんに言ったことと同じことをいう訳にはいかない。
あれはソニックさんだから引かれなかっただけで、我ながらにドン引きの言い草だったと思う。
だから、あの時ソニックさんに言わなかった方の理由を答える。
言わなかったというより、あの時はだいぶやさぐれていたから忘れてた言い分なんだけどね。
「……私は、本心からよく知らない他人の為に、自分を犠牲にできる人間じゃないから……だから、スカウトはお断りしました。
ヒーローの重責を背負っていけないことは、わかり切っていましたから」
「そりゃ、さっきの有様を見たらわかるわよ」
まずスカウトを断った理由、協会に対しての不信以外で思っていたことを話すと、鼻を鳴らして言いきられた。
私もそう言われるだろうなって思ってたから、別に気にしない。
気にしないから、ジェノスさん戦闘モードに入らないで。
もういつジェノスさんが焼却砲を打ち出さないか心配なので、さっさと言ってしまおう。
「でも、私は身勝手だから、期待してしまうんです。
私は本心で言えば、人の事をあまり信じてないしどちらかといえば嫌いですけど、それでも信じていたい、私が困ってる時は誰かに助けてほしいって思ってしまうんです。
……だから、それを期待して、言わば見返りを求めた行為に過ぎないんです。私の人助けは。
私が助けた人が、私みたいに人を嫌いにならないで、本心から誰かを助けたいって思ってくれたら、未来のヒーローになってくれたら……っていう期待と、そういう人が増えたら私は助けてもらえるんじゃないかなぁって思ってるだけなんですよ。
……私は、ヒーローにはなれません。一番、遠い存在です」
私の答えに、ジェノスさんは何かを言おうとしてくれるけど、それよりタツマキさんの言葉が早かった。
「バッカじゃないの?」
私を辛辣に言い表し、彼女は腕組みをして胸を張って言いきる。
「そんなことしなくても、あんたみたいな弱い一般人は大人しく助けられるのを待ってたらいいのよ! そういう奴らを助けるのが、私たちの仕事なんだから!
むしろあんたがヒーローでもないのに余計なことしたら、こっちの仕事がなくなるし、あんたに甘えてプロ意識をなくすバカだって出てくんのよ!!
だから、あんたはこれからずっと、大人しく待ってなさい。
私が、助けてやるから」
それだけ言って、彼女は部屋に入って行った。
「……何なんだ、あの女は」
ジェノスさんはあまりの剣幕とマシンガントークに押されて、口を挟めずにいたらしく、タツマキさんが去ってから呟いていた。
うん、ジェノスさん。私もわけわかんなかったけど、最後のセリフでわかった。
あの人、ただのツンデレです。
デレタツマキを書くのが楽しかったです。
ONE版の過去の出来事で人を信頼しないとしてるわりには、ヒーローとしての矜持が高いので、人助けは過去の自分を助けるような代償行為なのかなーと想像した結果、エヒメのイジメられっ子なところを妹、人助けをするけど人を信じていない部分を自分に重ねた結果、ツンデレました。