ただいま、日常
昨日のうちに、覚悟はしてた。
お兄ちゃんに、「ジェノスの身体がやっと治ったらしいから、明日来るって」と言われた時から、明日の朝起きたらその直後にジェノスさんが土下座で私に謝ることを。
でも、起きた時すでにオブジェのように土下座で待ち構えてるのは、予測も覚悟もしてなかったな!
「ジェノスさん、とりあえず土下座を今すぐやめて!!」
ジェノスさんの謝罪の言葉を聞く前に、病室のベッドの上でまず叫んだ。
「だから言っただろ、逆効果だって。エヒメも良かったな。ここが個室で」
横でお兄ちゃんが椅子に座って、朝食らしいバナナを食べながら言う。
あぁ、お兄ちゃんは止めてくれてたんだね。止めてよ! と思って睨んじゃってごめん。
そして本当にその通りだよ。
個室じゃなくて大部屋で、他の人にもこの土下座オブジェを見られてたら、私は悪いけど間違いなく普段の言葉使いをかなぐり捨てて、「帰れよお前!!」ぐらい反射で言ってたわ。
「……エヒメさん。このたびは本当に……本当に申し訳ありません!!」
私とお兄ちゃんの言葉でとりあえず土下座はやめてくれたけど、ジェノスさんは今すぐ切腹でもしそうな顔で、堅苦しく謝る。
こっちは予想も覚悟もしていた反応なので、ここ2日ほどかけて行ったイメトレ通りに私は返す。
「ジェノスさん、気にしないでください。元々、私が全部自分で勝手にやった事ですし。
それに、ヒーロー協会の厚意でこうやって入院して治療も受けてますから、大丈夫ですよ。火傷も、後遺症は残らないとお墨付きをもらいましたし」
言いながらあの長い1日、J市の海人族という怪人たちの襲撃からもう3日経つんだと、ちょっとだけ感慨深く思えた。
あの1日はすごく長かったのに、日常が戻るのは早いなぁ。
あの日、テレポートのキャパオーバーに加えてジェノスさんに抱き着いた際に負った火傷やら深海王って怪人に折られたあばらやらの治療で、私は入院。そしてそのまま、丸1日意識が戻らなかった。
意識が戻らなかったのはキャパオーバーの副作用であることをお兄ちゃんは知ってるし、同時に丸1日寝てたら回復するものだと学習してくれているのでそこは良かったんだけど、他の怪我でかなりの心配をかけたから、起きてすぐにかなり叱られた。
本当にごめんね、お兄ちゃん。
幸いながら折れたあばらは内臓に刺さるとかもなく、折れ方も綺麗だったらしくて手術の必要もなくコルセット巻いて安静にしてればいいだけだし、火傷も雨が降ってたおかげで冷やされていたからか、リハビリさえしっかりやれば後遺症の心配もないって断言してもらえた。
私の仕事と趣味が雑貨作り。手に後遺症は本気で死活問題だから、この断言はすごく嬉しかったなぁ。
あと、私の怪我は私が怪人相手に時間稼ぎをしたり怪人に立ち向かったことが原因であること、そして私がテレポートで一般市民やヒーローを保護していたことはヒーロー協会に知られているので、治療費とかは協会が負担してくれることにもなった。
だから私は、うちの経済状況じゃとても無理な個室に入院させてもらってる。
他人が苦手だから個室は嬉しいけど、ちょっと広くて豪華すぎて落ち着かないのはぜいたくな悩みかな?
お兄ちゃんは、自分がここに住みたいとか言い出すし。
そんな感じで私としては特に問題なく、むしろ得してると言える状況なんだけど、ジェノスさんはものすごく私の怪我に責任を感じてる。
それは、火傷の痕は残るだろうって言われちゃったことだろうなぁ。
私としてはそれは別にどうでもいい部類の問題だったんだけど、ジェノスさんにとっては相当な大問題らしい。
たぶん「嫁入り前の女の子を傷ものにしてしまった」と、えらく古風なことを考えてるんだろうな。重いわ。
ジェノスさんは私の言葉に「しかし……」とか言って自分を責めるけど、お兄ちゃんが「このアホが勝手にやった事なんだから、気にすんな。むしろ、もう2度とすんなって叱れ」と言われて、とりあえずこれ以上謝るのはやめてくれた。
「そういや、エヒメ。今日、俺、協会に呼ばれてるんだけど、返事は『ねーよ』でいいんだな?」
「お兄ちゃん? わかってると思うけど、その『ねーよ』はせめて敬語のオブラートに包んでね」
お兄ちゃんがふと思い出して尋ねる確認に、私は釘を刺しておく。この人は言っておかないと、本当に「ねーよ」と伝言する。私本人もそんな言い方してないんですけど!
「? 返事? 先生や俺じゃなくて、エヒメさんがヒーロー協会に何か言われたんですか?」
ジェノスさんが表情から申し訳なさを少しだけ消して、首を傾げる。
お兄ちゃん、言ってなかったんか。
「あー、なんかこいつ、あの海珍族の件と、そのちょっと前にうちの近所で怪人に襲われたA級ヒーローを、病院に連れて行ったのがあっただろ?
その2つでなんか、協会がぜひともヒーローにってスカウトされてるらしいんだ。特例、試験なしでS級にならないかってな」
素なのかわざとなのかナチュラルに怪人の種族名を間違えながらお兄ちゃんが説明すると、ジェノスさんが無表情になった。
なんか、キュインキュインって音が聞こえるし、怖いんですけどどうしたのジェノスさん?
「……それは、エヒメさんの治療費を出す交換条件ですか?」
「いや、これは今回の功績ってことで、スカウトを受けても受けなくともぜひって言われたから、素直に甘えてるだけだ」
ジェノスさんの質問にお兄ちゃんが返した答えで、ジェノスさんから聞こえてた不穏な音は止んで、表情も無表情のままだけど若干緩んだことにホッとする。
……そっか。私の怪我を盾に、無理やりヒーローにさせられるんじゃないかって、心配してくれてたんだ。
「大丈夫ですよ、ジェノスさん。そのあたりの事はちゃんと話を聞いて考えて、厚意に甘えさせてもらってますけど、ヒーローになる件はお断りさせてもらいましたから。
お兄ちゃんに伝えてもらうのは、その最終確認です」
私も補足で答えると、やっとジェノスさんは少しだけ笑ってくれた。
「そうですか。……安心しました」
* * *
お兄ちゃんが、「じゃ、俺は協会に行ってくるわ」と言って出て行ってしまい、私とジェノスさんが病室に取り残された。
ジェノスさんが隣に越してから、ううん、その前からほぼ毎日会ってたのに、いきなり3日開いたのは初めてなので、ちょっと気まずい。
とりあえず、立ちっぱなしのジェノスさんに座ってもらい、私はさっきの話の続きをする。
「実は、ちょっとだけヒーローもいいかもって思っちゃったんですけどね。
能力の特性上、戦闘じゃなくてサポート要員としてのスカウトでしたし、それに……ジェノスさんと同じ階級なら、他力本願ですけど心細くないかなって思っちゃいました」
これは本当。少しだけ、考えたこと。
お兄ちゃんより上の階級っていうのは、お兄ちゃんが気にしないだろうから気まずくはないけど、私自身がそんな階級に評価されるほどだとは思ってないから嫌だった。
でも、ジェノスさんがいるのなら……って、少し思った。学校のクラス替えとかじゃないんだからって、すぐに思ったけど。
「……俺は、貴女が思ってくれるほど頼りになどなりませんよ」
「ジェノスさん、それ以上あなた自身を悪く言ったら私、怒りますよ?」
ジェノスさんは薄まっていた罪悪感を再び深めて、自嘲と自責の言葉を吐くのを、私はやめるように釘を刺す。
「この火傷は、そもそもあなたが私とあの女の子を庇ってくれたから負ったものです。本来なら、私がジェノスさんみたいな状態になるはずだったんです。だから本当に気にしないでください。この程度で済んで良かったんです。
それに……、私はテレポートも出来ずに追い詰められた時、あなたが現れた時は本当に……嬉しかった。
だからあんまりジェノスさんを、私の大切で大好きな人を貶める発言は、たとえ本人でも許しませんよ」
ベッドから身を乗り出して、ジェノスさんの手を掴んで私は訴える。
この手は本当に大丈夫だって。
あなたは、頼りにならない訳がないと伝える。
「…………は……い。……肝に……銘じます……」
「ジェノスさん、なんか煙出てますよ!!」
私の言いたいことが伝わったのはいいけど、またジェノスさんの頭からなんか煙出てきた!
懐かしいな、このやり取り! 懐かしんでる場合じゃないけど!!
ジェノスさんは大丈夫だと言い張り、実際に少し時間を置けば治まったけど本当に大丈夫かな?
けど本人が言い張るのなら、サイボーグに詳しくない私じゃ追求も出来ないので、ちょっと無理があるけど話を戻す。
「えーと、どこまで話しましたっけ? ジェノスさんがいたら、心細くないってところまで話しましたよね?
そんな風に思って、少し迷ったんですよ。……ランキング制度が凄く嫌いですけど、サポート要員ならランキングはあんまり関係ないですし、苦手を克服するいいチャンスとも思ったんですけど……」
「俺は、エヒメさんがヒーローにならなくて良かったと、心から思います」
珍しくジェノスさんが、話に割り込んで断言した。
彼は金色の瞳を私に真っ直ぐに向けて、語る。
私がヒーローにならなくて良かったと思う訳を、スカウトの話を聞いた時、何であんなにも静かに怒った様子を見せたのかを。
「協会がエヒメさんに望むのは十中八九、一般市民を安全な場所に避難させることや、ヒーローを速やかに災害地区に連れてゆくこと、もしくは今回のように負傷したヒーローの保護ではありません。
協会の上層部が、自分たちが速やかに逃げるための便利な移動手段として、貴女を飼い殺したいだけです。
いきなりS級認定が良い証拠でしょう。自分だけが可愛い上層部や富裕層の輩にとって、戦える者よりエヒメさんのような、安全地帯への移動手段を持つ者をどうしても手元に置きたかった。
だから、S級という名誉やそれによる恩恵をエサにして、貴女を籠の中に閉じ込めるつもりだったとしか、俺には思えません。
……隕石の件で、協会の腐敗は一端ですが見せつけられました。ヒーロー活動をする者はともかく、あの協会そのものにエヒメさんが語る『ヒーロー』はいません。
だから、俺は貴女がそんなスカウトを受けず、断ってくれて何より安心しました」
真っ直ぐに私を見据えて、そしてジェノスさんは穏やかに笑ってくれた。
……私は、同じことを思った。
私は協会を元から信用してないのもあって、スカウトされた時の内容を初めから疑っていた。
たぶん、本当に有事の時は今回みたいな何百、何千人の一般市民じゃなくて、たった数人を守ることを強要されるんだって思った。
それが、スカウトをオブラートに包まず言えば「ねーよ」で一蹴した理由。
……一蹴しておいてこれは「逃避」なのか、それとも間違いなく自分で決めた「行動」なのかがわからなくってまたちょっと自己嫌悪してたけど、それをこの人はお見通しだったみたい。
そっか。安心、してくれるんだ。
ある意味、協会の上層部を守るだけの方が今回みたいなのよりずっと危なっかしくないのに、それでもこの人は、私にヒーローになって欲しくないって思ってくれるんだ。
ジェノスさんのさりげない優しさに、自己嫌悪で刺さっていた棘が抜け、胸の内が安堵で満たされる。
……この人は、私の杖になるって言ったことを守ってくれていることが嬉しくて、自然に笑みがこぼれる。
「……ありがとう、ジェノスさん」
そう言って礼を伝えてから、思い出す。
私はこの人との約束を、果たしてなかったことを。
安全な場所で、待ってなんかいなかった。
ジェノスさんに心配と迷惑をかけて、必要のない罪悪感を背負わせた。
それでも、この人は私の杖になると言った約束を守ってくれたのだから、今更でもこの約束は果たさなくっちゃいけない。
だから私は、脈絡もなく言った。
「あ、えっと、ジェノスさん!
……おかえりなさい」
唐突な私の言葉にジェノスさんは当然困惑して数秒間、きょとんとした顔で私を見つめ続けた。
でも、彼も言ってくれた。
「……はい。ただいま、戻りました」
少し、照れくさそうに彼は笑って、帰ってきてくれた。