私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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ジェノス視点です。


雨が止まない

 自分の力量を理解したうえで、どれだけ絶望的な状況かを理解したうえで、命を懸けて怪人に立ち向かったヒーローに先生は称賛を送る。

 

「お、おいジェノス! おま……、生きてんのか、それ!?」

 先生は自分と同じ信念を持つ、エヒメさんの定義に正しいヒーローをその場に寝かせ、俺の無様さを嘆くでも叱るでもなく、まずは心配をしてくれた。

 どこまでも優しい人だが、今は俺なんか無視してくれたらいい。

 

 貴方の妹を、大事な人を、俺にとってもはや命そのものである人を守れなかった俺なんか、案じてもらえる価値なんてない。

 

「先……生……、俺、より……エ……ヒメ……さんを……」

 

 雨のせいで露出したパーツの損傷がさらに激しくなり、もう人口声帯すらもろくに働かない。

 それでも、俺は言った。

 俺に出来ることなんて、それしかなかった。

 

「まぁ、ちょっと待ってろ」

 

 先生は俺の言葉が聞こえているのか、そもそもエヒメさんが今どういう状況なのかわかっているかも怪しい、いつも通りの覇気のない声で答える。

 

「いま海珍族とやらをぶっ飛ばすからな」

「聞こえてるのよ!」

 

 先生の言い間違いか覚え間違いかそれともわざとか判別がつかない言葉に、怪人は怒りの拳をぶつける。

 しかし、先生の体は倒れるどころか揺れもせず、巨大な岩石……いや岩山のごとくただそこに立っていた。

 立って、そのまま首をわずかに動かして、怪人を睨み付ける。

 

 ……あぁ。

 俺たちをいくら苦しめ、苦戦させても、この怪人は所詮魚類でしかないと思い知った。

 あまりに、愚かだ。

 

 この場に満ちるこの威圧感、絶対的な圧迫感、諦めるしかない絶望に気付いていないなんて。

 

 先生の殺気に、気付いていないなんて。

 

 * * *

 

 振り返った先生は、怪人が未だに人形のように掴んでいる、ぐったりとして先ほどから全く何の反応を見せないエヒメさんに視線を向け、ただ一言だけ呟いた。

 

「バカか」

 

 怒っているようにも、悔やんでいるようにも、苛立っているようにも聞こえる声。

 そのどれであっても、それは些細な一時の感情でしかないと思わせるほど、表に出てきた先生の感情の揺らぎはわずかなものだった。

 

 だが、殺気はあきらかに、さらに膨れ上がる。

 

 その殺気に俺は怯み、慄く。

 つい今さっきまで、先生がC級であることで自分たちの助けになるのかどうか怪しんでいた人々も、わからないなりに何かを感じたのか、急に静かになった。

 

 わかっていないのは、怪人だけだった。

 後になって思えば、もしかしたら怪人はわかっていたからこそ、目を背けてわからないフリをしていたのかもしれない。

 生命として警報で、わずかでも死の恐怖から回避しようと足掻いていただけかもしれない。

 

 この絶対的絶望である殺気が全て自分に向けられているという恐怖から逃げて、逃げていることすら気付かないまま、怪人は語る。

 

 自分は深海王。万物の源である海の王。

 自分こそが全生態系ピラミッドの頂点に立つ存在だという戯言を、語った。

 

 もはや茶番以外の何物でもないことを語る怪人に、先生は面倒くさそうに答える。

 

「うんうん、わかったわかった。雨降ってるから、早くかかって来い。

 ……っていうか、お前が持ってるそれ、アホで鈍感で怖がりのくせに意地っ張りで面倒くさいバカだけど、俺の妹なんだよ。さっさと離せ」

 

 怪人は気だるげな先生の対応にまた顔を引き攣らせたが、「妹」という単語に反応して、醜悪に笑う。

「あら、今なんて言ったのかしら? このゴミを握り潰して捨てろって言ったのかしら?」

 自分の立場をわかっていない、恐怖への逃避で現状に気付いていない怪人は、顔を愉悦に歪めながらエヒメさんを掴む手の力を込める。

 その前に、赤い手袋に包まれた手がその拳に触れる。

 

 

 

「――離せよ」

 

 

 

 怪人は、その手の内にある人が目の前の人間の「弱点」ではなく、「逆鱗」であることに気付けなかった。

 

 ぷつんと、茎から葉を毟る程度の軽い音だった。

 エヒメさんごと、怪人の剛腕を先生がもぎ取った音は。

 

「あ?」

 自分の腕が消失してるという事態も、怪人は認識できなかった。

 先生は怪人の反応なんか無視してもぎ取った腕をエヒメさんから引き離し、自分の腕の中にしっかりと抱え込む。

 

「あ……あああぁぁぁぁ!!

 よ、よくも私の腕をぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 そこらじゅうの建物のガラスを割るほどの絶叫を、腕をもぎ取られて数秒の間をあけて放ちながら、雨によって膨張して真の姿を現した怪人は、残された腕を振りかぶって全力で先生とエヒメさんに殴り掛かる。

 

 しかし、その拳が振り落とされる前に、先生はエヒメさんを抱きかかえたまま軽く怪人の足にローキックを入れる。

 ローキックと言うより、足を当てたと言った方が正しいくらいの小さな軽い動きだったにも拘らず、怪人の足はもぎ取られた腕と同じくらい簡単に切断され、跳ね上げられた。

 

「え?」

 

 やはり怪人は、腕と同じく現状に気付かない。

 片足を失い、バランスが崩れて宙に浮き、無様に転倒するしかない現状に。

 

 けれど、それも先生が許さない。

 もう奴が生きる猶予は数秒たりとも、許さない。

 

 片手でしっかり、決して落とさないように、傷つかないように、エヒメさんを、妹を抱きしめて、守って、先生は宙に浮かんで自分たちの方に倒れこむ怪人の腹めがけて拳を振り上げた。

 

 ズパンっ! と、軽いような、重いような音が響くと同時に、怪人の腹が抉られる。

 先生は、怪人の真下にいたというのに返り血を浴びていない。

 円状に怪人の抉られた臓物が飛び散るが、どう見ても怪人の体積には足りない。あらかたが先生の一撃の衝撃で、吹き飛ぶどころか消滅したらしい。

 

 空には厚い雲が一部、綺麗に丸い穴が開き、晴れ間を見せる。

 ……空に向けての一撃で良かった。あれを地上で放っていたら、その直線距離上にある建物の大半が消し飛んでいただろう。

 

 きっと奴は知らない。

 こんな死を迎えても、こんな一撃を喰らっても、これは先生にとって本気でなかったことなど知らないまま、死んだ。

 

 先生が怪人に拳を振るった瞬間、確かに殺気が薄まったことに気付いた。

 それは怪人に対する慈悲でも何でもなく、ただ先生の本気の余波が抱きかかえているエヒメさんに及ばない為に過ぎないことを、俺は知っている。

 

 腕や足をもぎ取ったのは拷問でも甚振る為でもなく、エヒメさんを傷つけられた怒りで周りの被害を考えない一撃を与えないようにするための手加減が上手くできず、いつもよりむしろ加減をしすぎてしまった結果だろう。

 

 どんなに怒りが胸の内が満ちていても、先生は守るべきものを、救うべき人を見失わない。

 この人こそ、本物の「ヒーロー」であることを、改めて思い知る。

 

 * * *

 

「先生……エヒメ……さんは……」

「大丈夫だ。気絶してるだけだ」

 

 俺の問いに、先生は困ったような曖昧な笑みを浮かべて答えてくれた。

 ……俺は責められるべきなのに、先生は何も言わない。

 エヒメさんを守るどころか、その両腕に痛々しい火傷を負わせて、無免ライダーや先生が一秒でも遅れたら、無残という言葉すら優しい殺され方をされても、見ているだけしか出来なかった無様な俺は責められるべきなのに、先生は何も言わず腕の中のエヒメさんに呟く。

 

「お前な、俺に80年は生きろって言っておいて、自分はさっさと死ぬ気か?

 ふざけんなよ。俺が約束したんだから、お前だってせめて同じくらい生きろ」

 

 ぐったりとして何の反応も示さないエヒメさんにそう言って先生は叱りながら、俺に何かを話しかけようとして気付く。

 

 先生が怪人を倒したことで沸き上がっていた歓声が、たった一人の何も知らない口先だけの人間の言葉で、助かった喜びや先生への感謝に満ちていた雰囲気がその人間に対する怒りと、太刀打ちできなかった無様な俺たちに対する非難と同情に変化していることに。

 

 ……俺の事だけなら、良かった。俺は実際に何もできなかった。守りたかった、たった一人すらあんなにも傷つけた。

 俺が無能と言われるのは、当然だ。

 俺が来る前に戦っていた他のヒーローのことは、何も知らないので俺からは何も言えない。

 

 けれど、「命を張るだけなら、誰でも出来る」と、「時間稼ぎなんて工夫すれば誰でも出来る」という言葉は、許せなかった。

 

 それは、エヒメさんと無免ライダーの全てを否定する言葉だ。

 彼女や彼と同じように、命を張って前に出て時間を稼いだ人間が言うのならともかく、ただ安全な場所で守られるのが当然と思って何もしなかった輩が言っていい言葉じゃない!

 

 お前らには、出来るのか!?

 

 逃げ出せる術があっても、その逃げる術を誰かを助けるために使えるのか!?

 その逃げる術さえ怯えて使えなくなるような相手に、覚悟を決めて立ち向かうことも、自分が激痛に苛まれながらも誰かを助けようとすることを、「誰でも出来る」と言うのか!?

 

 自分の弱さを理解して、その弱さに言い訳をせずに真正面から強敵に向き合って、命を懸けて希望の明かりを灯し続け、守り続けることが、お前らにはできるのか!?

 

「あっはっはっはっはっはっは。

 いやー、ラッキーだった。他のヒーローとかこいつが怪人の体力奪っててくれたおかげで、スゲー楽に倒せたぜ~。

 遅れてきてよかった。俺、何もやってないのに手柄独り占めにできたぜ~」

 

 自分の感情のまま、子供の駄々のように怒鳴り散らしたかった言葉は、先生の飄々とした声にかき消された。

 

 ……先生は、あの隕石の件で被った泥を利用して、他のヒーローの名誉を守った。

 むしろこれを機に隕石の件の汚名を今度こそ晴らしても良かったのに、晴らせたはずなのに、先生は何の役にも立っていなかった、それこそ先生が来るまでの時間稼ぎしか出来なかった俺たち全員の名誉を、守った。

 

 自分の意味と価値を貶めてでも、俺たちの意味と価値を守った。

 

 自分が、「妹さえも利用した」という最悪の汚名を被って、俺たちを救いあげた。

 

 ――先生。

 こんなところまで、「ヒーロー」を貫かないでください。

 

 俺は貴方にここまでして守られる価値があるとは、自分では思えない。

 

 俺は、貴方のような「ヒーロー」にはなれない。

 

 俺は、先生はもちろん、エヒメさんや無免ライダーのしたことまで貶めて嘲笑う大衆なんか、守りたいとも救いたいとも思えない。

 

 こんなにも醜いものを守らなくてはならないのかと、嘆きたくなる。

 

 ……それでも、貴方がそれでいいのなら、それが先生の進む道ならば、俺はその尊い生き様を否定などできない。

 けれど、それでも願ってしまうんです。

 

 貴方にも、救いを、と。

 

 

 

「………………お兄ちゃん」

 

 

 

 ピクリと、焼けただれた手が、確かに動いた。

 


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