私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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今回も引き続き、ジェノス視点です。


涙さえも、流せなかった

 残されていた左腕が、落ちる。

 外装だけではなく内部のパーツもほとんどが溶かされ、かろうじて脊椎部のみで体の上下が繋がっている有様だ。

 

 それでも、良かった。

 彼女が守れたのなら。

 エヒメさんをこの溶解液から守れたのなら、それで良かった。

 

 ……たとえ彼女の顔が絶望に染まっていても、一番近くで彼女が一番見たくなかったものを見せてしまったとしても、身勝手な俺は思う。

 

 貴女が無事で、良かったと。

 

「……にげっ……!」

 

 幸いながら損傷しなかった声帯で逃げることを、離れることを懇願するが、最後まで言い切れず俺は、怪人に頭を鷲掴みされ、壁に叩き付けられ、さらに追い打ちで殴りつけられて壁を破ってそのまま外に放り出される。

 

 そこまでされても、俺は安堵していた。

 怪人の怒りや関心が完全に俺に集中していたこと、俺以外の人間は眼中になかったこと。

 エヒメさんが襲われなかったことに、ただ安堵していた。

 

 安堵しながら、破損し、損傷し、ショートしているパーツの悲鳴を無視して、体を動かそうとする。

 立ち上がろうと、足掻いた。

 

 約束をしたから。

 必ず帰ると約束をしたから。杖になると、俺は言ったんだ。

 甘えていいですか? と彼女は泣きながら笑ったんだ。

 

 だから俺は、どれだけ傷ついても帰らなくてはならないんだ!

 

「あなた一人ならあんな溶解液かわすくらい、簡単だったでしょうね。

 まさか、ガキをかばって自滅するなんて私も考えつかなかったわ」

 

 怪人が嘲笑う言葉に、俺自身も笑えてきた。

 庇ったのは、俺を応援してくれた少女じゃない。俺はその子を守れなかった。

 

 その子を守ろうとした、尊い人をただ守りたかっただけだ。

 

 そして……今も……。

 

「あなたはバカだけど、私に軽傷を負わせたことは高く評価するわ。

 もう治ったけどね」

 

 怪人の言葉などもう聞こえていない。

 ただ俺は、内部が焼ける熱を吐き出しながら、立ち上がる。足掻く。

 

 俺が無理をすればするほど、露出したパーツが火花を散らせてさらに痛む。

 もう俺は動くことすらままならない身体であることくらい、わかってる。

 けど、まだだ。

 まだ死ねない。まだ終われない。まだ、諦められない。

 

 自爆だってできない。

 それは、彼女との約束を先ほど以上の最悪で破る行為だ。

 

「死ね」

 

 それだけは、出来ない。

 

 なのに、俺が出来た足掻きはただ俺を見下ろす怪人を睨み付けることだけだった。

 

 ――彼女を、エヒメさんのすることを、ただ見ているだけしか出来なかった。

 

 * * *

 

「死ね」と俺に宣言した直後、怪人は自分の真上が陰った事を不審に思い、いや、不審に思うことよりも早くただの反射で見上げたのかもしれない。

 

 見上げた瞬間、貫かれた。

 

 俺を見下ろし、嘲笑っていた眼が、左目が、シェルターの壁を補強するのに使われていたであろう鉄棒で、深々と。

 

 小柄とは言え、女性とはいえ、全体重と重力が鉄棒一点に集中して、眼球に深々と一気に突き刺さったのを、見た。

 

 エヒメさんが、怪人の眼球を貫いた。

 

「ああああああっっっっ!!」

 

 絶叫を上げ、怪人は腕を振り回して暴れる。

 その振り回した腕が重力に従って落ちるしかないエヒメさんに当たり、彼女はアスファルトの地面に叩き付けられた。

 

「エヒメさんっ!!」

 

 俺の叫びよりも、早かった。彼女が立ち上がり、そして駆け出すのは。

 立ち上がって、雨と泥ともはや怪人のものか自分のものかもわからない血にまみれて、何度も転びながら、それでも一瞬たりとも立ち止まらず、まっすぐに俺に向って来た。

 

「ジェノスさん!!」

 

 泣きながら、俺を呼んだ。

 

 約束を守ってくれないで、安全なところで待ってくれないで、俺の元に、一番危険な方法でやって来た。

 

 ……文句など言う資格はない。

 約束しておいて、俺は彼女の目の前で最悪の結果を見せたのだから。

 

 彼女がまた来てくれたことに喜びを感じている俺には、彼女の無謀に何かを言う資格などない。

 

 彼女を誰よりも何よりも守りたかったのに、彼女は来た。

 テレポートも出来ずに追い詰められていたのに、怯えてただ泣いていた彼女が泣きながら、さっき以上にボロボロになって、傷ついて、傷つけて、それでも、俺の元に走り寄ってきてくれた。

 

 俺を守るために、怪人にあんな危ない方法で攻撃してくれた。

 そして今は、俺を救おうとしている。

 

 あの、巨大隕石の時のように。

 俺に、彼女が手を伸ばす。

 

 焼却砲の余熱などとは比べ物にはならない、怪人の溶解液にまみれたこの身体を、その溶解液によって破損して火花が散る、内部の熱が剥き出しのこの身体にためらいなく手を伸ばし……

 

 俺を、抱きしめた。

 

「!? エヒメさん!! ダメだ! 離せ!!」

 

 彼女の手が、体が焼ける最悪の音が聞こえても、俺は彼女のか細い体を引き離す術は失われていた。

 何もできず、ただ俺は歯を食いしばって激痛に耐える彼女に、抱きしめられるしかなかった。

 

 両手が灼けてもその(かいな)は俺を手放そうとはせず、彼女は一瞬だけ目を伏せて、そして見開く。

 

 一瞬の浮遊感。

 そう多く体験はしてないが、これは彼女が行うテレポートが始まる瞬間の感覚であることを知っている。

 この浮遊感に身をゆだねる以外、できなかった。

 

「「!?」」

 

 だが、その浮遊感が途中で邪魔されたかのように、叩き落とされる。

 

 場所は、変わっていない。

 俺が怪人に殴り飛ばされて、放り出された場所から数センチも動いていない。

 

 動かないまま、エヒメさんの腕の力が抜ける。

 酸に、熱に焼かれても俺を抱きしめていた腕が、体が弛緩して、目から光が消える。

 

「……エ……ヒメ……さん?」

 

 俺の呟いた言葉に反応したかどうかも怪しい、譫言のようなかすかな声が聞こえた。

 

「…………こんな……ところで……限、界……?」

「エヒメさん!?」

 

 ぐらりと傾いた身体を、俺は支えてやることさえも叶わない。

 その身体が、怪人の腕に浚われても、俺にできたのはただ叫ぶだけだった。

 

「!? やめろ! やめてくれ!!」

 

 無様にただ縋って懇願する以外、俺は何もできなかった。

 

「やってくれたわねぇぇっ!! 小娘えええっっ!!」

 

 鉄棒を抜き出してもまだ治っていないのか、血涙を流しながら怪人は俺の叫びすらも聞こえていないほどに怒り狂い、エヒメさんの体を人形のように掴み、高々と掲げる。

 

 骨の折れる音が聞こえても、怪人の腕の中の彼女はピクリとも動かない。

 

 もうすでに生きているのかさえもわからない彼女を怪人が怒りのままに、渾身の力を込めて地面に叩き付け、彼女を人の面影すら残さず破壊しつくそうとしているのに、俺はただやめてくれと懇願する以外、何もできやしなかった。

 

 涙さえも、流せなかった。

 

 

 

 やめろ。

 やめてくれ。頼むから、やめてくれ。

 

 その人がいないと、俺はもう自分がどうやって今まで生きていたかどうかも、どうやって自分が立っていたのかもわからないんだ。

 

 彼女がいないと、もう息の仕方さえもわからない。

 

 貴女がいないと、生きていけないんだ!

 

 誰か、助けてくれ!!

 

 

 

 

 

「ジャスティスクラッシュ!」

 


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