ジェノスさんと話して、ジェノスさんが自分も約束する、お兄ちゃんの代わりの支えに、杖になってくれるって言ってくれて、ようやく私の不安は治まって、お兄ちゃんを許せなかった意地は氷解した。
だから、私はお兄ちゃんを探しに行った。たぶん私は家で待ってたら、お兄ちゃんに酷いことをしたって自己嫌悪で今度はドツボにはまって謝れなくなる。我ながらに面倒くさい性格してるな本当に。
謝ろうって思ったら即座に行動で探しに行くと伝えたら、まだ町が危ないから自分も一緒に行くって、ジェノスさんは言い出した。
大丈夫って遠慮しても、ジェノスさんは強引に、頑なに一緒に行くと言って譲らなかった。
私はその時、ジェノスさんが言った「町はまだ危ない」を言葉通りに捉えていた。
隕石の打撃で崩壊しかけの建物、瓦礫の山だらけで危ないって意味だと信じて疑わなかった。
お兄ちゃんを非難する、集団の声が聞こえるまで。
* * *
その声が聞こえた瞬間、ジェノスさんが「エヒメさん!?」と呼んだのを無視して私は跳んだ。
完全にとっさで、もはや反射や本能に近い。
でも私はこの時、完全に飛ぶ場所を意識していた。
お兄ちゃんの元に行くのは当然だけど、それ以上に狙っていた場所があった。
お兄ちゃんを否定する、お兄ちゃんを馬鹿にする、お兄ちゃんを侮辱する奴を、許せなかった。
その背中が、あの忌々しいヒーローはもちろん正義すらも名乗る資格のない虎柄タンクトップが見えたから。
私はその背中、っていうか延髄に膝をめり込ませてやった。
そこから後は、もうほとんど何も考えていない。
ただ思いつくままにわめきたてた。
そして一度言葉が途切れたら、もう何も考えられなくなった。
自分を取り囲む集団。
大きな罵倒の声。
人の顔が、形が、認識できない。
黒い影のような、汚泥のようなものが、血走った眼球で私を憎らしそうに睨み付け、楽しそうに嘲笑っているようにしか見えない。
一番近くで影が、汚泥が、眼球が、硝子を引っ掻くような不協和音で何かをがなり立てている。
言葉を言葉として、理解できない。単語が聞き取れない。ただの耳障りで頭がおかしくなりそうな雑音にしか聞こえない。
なのに、何故か内容だけはわかる。理解してしまう。
お兄ちゃんをさらに貶める言葉だってことだけは、わかってしまう。
だからもう一度、私は何かを言おうとするけど、鉄の塊でも飲んだみたいに息が苦しくて何も言えない。声が出ない。出ない。出ない。
でも、言わなくちゃいけない。言いたいのに、言ってやりたい言葉あるのに、私は叫ばなくっちゃいけないのに!
お兄ちゃんは悪くないって、叫ばなくっちゃいけないのに!!
「エヒメ。……ありがとな」
声が、聞こえた。
お兄ちゃんの声が聞こえて、お兄ちゃんの手が私の頭を一度撫でて、通り過ぎた。
気が付くと、不協和音は止んでいる。むしろ、耳が痛いくらいに静かになってる。
もう影も、汚泥も、血走った眼球もない。
周りにいるのは、誰かに八つ当たりしたかっただけの嫌になるくらい弱くて愚かな普通の人間たちだ。
そして目の前にいるのは、ただの黒いタンクトップを着た、声がでかいだけの男。
その男は、両手で何かを掴むみたいに構えたまま、脂汗を流して固まっていた。
歯の根は噛み合わずガチガチと歯が割れそうなほど強く鳴らして、足だって今にも崩れ落ちそうなほどに震わせている。
不快な匂い、アンモニアの匂いさえしていることに気付いてしまった。
そんな男に、お兄ちゃんは無言でゆっくり近づいて行く。
ゆっくり、ゆっくり、まるで甚振るような速度で近づいて、お兄ちゃんは奴の構えた手に、自分の手を重ねる。
そしてそのまま、指を曲げて力込め……
* * *
「お兄ちゃん!!」
何をしようとしているのかに気付いて、私は叫んだ。
何かが私の息を、声を、叫びを阻害していたのに、あまりにもあっさり声は出てきた。
私の声でお兄ちゃんの背中がかすかに揺れて、それからお兄ちゃんは振り返る。
「……大丈夫だっつーの」
気まずげに笑って、そう言った。
……嘘つき。
絶対に今、「マジシリーズ」やらかしそうになってたくせに。
お兄ちゃんが「マジシリーズ」をやらかすのはやめてくれたけど、さすがにその黒タンクを許す気はなかったようで、私に気まずげに笑いながらも黒タンクの手を握る。
お兄ちゃんからしたら、ものすごく優しくもう撫でるくらいの力加減で握ってるだけなのに、黒タンクは絶叫。
「ままままいった!! やめてええ! 手が潰れるううううう!!」
「え? いや……、冗談だろ?」
私の想像通りかそれ以上に手加減したうえでこの反応らしく、お兄ちゃんも若干引いてた。
黒タンクトップは情けなく絶叫して、お兄ちゃんがこの町を破壊したって言うのは嘘だったと認めて叫ぶ。
お兄ちゃんの汚名は雪がれた……はずなのに。
「いや。嘘じゃねぇ。
隕石をぶっ壊したのは俺だ! 文句がありゃ言ってみろ! 聞いてやる!」
お兄ちゃんは自分から、汚名を頭から被りに行った。
「お兄ちゃん!?」
私が呼んで止めようとしても、バカでかい声で圧倒させて聞いてはくれない。
お兄ちゃんは周りの人たちに、開き直りとも八つ当たりとも取れる言葉を吐き散らした。
吐き散らしつつも、「文句があるなら言ってみろ!」と、他人の言葉も聞いた。
なのに、誰も返せなかった。
元々、自分たちの言葉よりお兄ちゃんの行動が正しくて、自分たちこそ八つ当たりをしていたことくらいわかっていたんでしょうね。
唯一、言い返せたのは「ハゲはお前だろ」ぐらい。そしてそれは紛れもない事実だったので、お兄ちゃんも「るせーーーーーーッ!!」としか返せなかった。
「先生! エヒメさん!」
集団の気まずい沈黙はジェノスさんが来たことがきっかけで終わり、集団もタンクトップも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
たぶん、むき出しの機械の腕とすでに隕石の事で今まで以上に有名になったジェノスさんが怖かったんだろう。
弱いと思った相手にしか拳を振り上げれないし、それを振り下ろす覚悟だって一人ではできないなんて……
人は、なんてバカなんだろうとつくづく呆れる。
そのバカに、自分も含めながら。
「先生! エヒメさん! すみません! やはりお二人が今は外に出ない方がいいと俺は教えておくべきでした!!」
ジェノスさんは私たちに駆け寄ってすぐに、直角に腰を曲げて謝りだした。
どうもジェノスさんはお兄ちゃんが隕石に関しての戦犯扱いされていることを知ってたみたいだけど、私もお兄ちゃんも責める気はない。
ジェノスさんが、私たちを思って黙っていたことくらいわかってるから。
だから、私たち二人で謝罪が今にも土下座に移行しそうなジェノスさんに、頭を上げるようむしろ説得する。
その説得ついでにお兄ちゃんが、「お前、近くにいたならよくあの火のやつ撃たないように我慢したな」と言った。
……そういえばそうだね。
私も人の事が言えない無茶苦茶やったけど、ジェノスさんならお兄ちゃんに「ヒーローやめろ」コールをしてた集団を、あの隕石にぶっ放してた焼却砲で焼き尽くしてもおかしくないよね。
私がジェノスさん、我慢強くなったなぁと思っていたら、「いえ、そうしようと体内チャージをしていたんですが……」とか言い出した。
寸前だった!?
でも何でチャージしといて撃つのはやめたのかと思ったら、ジェノスさんはお兄ちゃんを見て少し恐れているような、慄いているような、でもどこか安堵しているような何とも表現しづらい表情で答えてくれた。
「……すさまじい殺気を感じたので、俺の出る幕はない。むしろ、邪魔をしたらこの殺気の餌食は俺になると感じて、俺は撃つことが出来ませんでした」
「……えっと、なんか、ごめんなさい」
タンクトップや非難してた集団はもちろん、ジェノスさんまで慄かせるほどの殺気を放ってたんだ。何ていうか、巻き添えにしてごめんなさいジェノスさん。
とりあえずそう謝ると、ジェノスさんは穏やかに笑いながら「俺はいいんです。……それより、エヒメさん」と言って、お兄ちゃんの方をこっそり指さした。
それでやっと、私は言わなくちゃいけないことをやっと思い出す。
あぁもう、私、ジェノスさんに本当、迷惑ばっかりかけてる。今度、しっかりお詫びとお礼をしなくちゃ。
でも今は、こちらが先。
何のために、私はお兄ちゃんを探していたのかを思い出した私は、顔を上げて口を開く。
言わなくちゃ。
お兄ちゃんに、わがまま言って、無視して、拗ねてごめんなさいって。
守ってくれて、ありがとうって。
「……エヒメ。……約束しようぜ」
「え?」
けど、私が口を開く前にお兄ちゃんが言い出した。
「何でもいいから、お前が好きなのでいいから、約束しようぜ。
お前が安心して、家で俺を待てるように。お前が信じていられるような約束を、何でもいいから言ってみろ。
それは絶対、今度こそ一度も破らずに守ってやるからさ」
……あぁ。
やっぱり、お兄ちゃんには適わない。
「……お兄ちゃんは、……ヒーローだから。……だから、死んじゃうかもしれない危険が伴うことは絶対にやめることが出来ないんでしょう?」
私のまず初めの問いにお兄ちゃんは、いつも通りやる気のない顔でいつもの覇気のない声で、「あぁ」と返事する。
その目は、いつも私の話を聞いてくれてる時と同じ、真剣そのもので。
「……なら、死なないでなんて約束できないでしょう?
だから、しない」
私が一番して欲しい約束は、ただこれだけ。
でも、それは保証なんかできないものだってわかってる。
「お前が望むなら、してやるよ」
「しなくていいよ。私が信じられないんだから」
なのにお兄ちゃんは即答で、これを約束にしてもいいって言ってくれた。
でも、その答えも私は即答で返す。
「そんな約束しないでいい。そんな無理をしなくてもいい。
……死んじゃっても、仕方ないからいいよ。
――だから、せめて一つだけ約束」
私は右手を、小指を立てた手をお兄ちゃんの前に出して言う。
たった一つだけ、交わしてほしい約束。
「せめて死ぬのは、80年後くらいにして」
それが、私が出来るぎりぎりの妥協点。
お兄ちゃんは私の答えに目を丸くさせてから、笑った。
「そんなんでいいのかよ」
軽く、当たり前のように言いきって、そんなの出来て当然とばかりにためらいなく、お兄ちゃんは私の指に自分の小指を絡めた。
約束を、してくれた。
危うくボロス戦より先に、「マジシリーズ」が炸裂するところでした。
次回から深海王編。
深海王編は、いままで原作の別側面か後日談に関わることがメインだったエヒメが、がっつりと本編で出張ります。