私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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今回も引き続きジェノス視点です。


柱と杖

 Z市に墜ちるはずだった隕石を先生が砕いて、3日たった。

 町には当然まだ砕かれて落下してきた隕石群の爪痕が痛々しく残っているが、死者は出なかったからか人々が落ち着きを取り戻すのは早く、平穏と言ってもいいだろう。

 

 もちろん、死者が出なかっただけであって怪我人は重軽傷問わず数えきれないほど出てしまい、住居や職場を失った人間も多数存在する。

 そしてそんな人々が、振り上げて落としどころのない拳を先生に向けていることを俺は知っている。

 理屈としては理解できなくもないが、無事に生きているからこその今現在の苦労を、Z市消滅の危機から救った先生に向ける民衆の愚かさと、集団心理の恐ろしさには言葉もない。

 

 だが、先生を責める者の大半は感情の問題で、やはりこれが最善、災害レベル竜がこの程度の被害で収まったのは幸運だと頭では理解してるのか、先生を直接責めるような輩は今のところ出ていない。

 せいぜい、ネットで喚きたてられているだけだ。

 

 顔も名前も隠していないと吠えられない輩など、視界に入れるのも無駄だ。

 先生はネットに興味がないので、俺から言わないと何も知らないだろう。現に、自分がC級5位に昇格したことすら、つい今さっき俺に言われるまで知らなかったのだから。

 

 だから、この誹謗中傷は先生の耳に入れる必要はない。

 こんな些末な問題よりも、先生には解決せねばならない重大な問題があるのだから。

 

 そう。さっきから、正確に言うと隕石破壊の3日前から、先生とまったく口を利かないエヒメさんと仲直りをしなければならないのだから。

 

「……エヒメ。なんか甘いものでも食いに行くか?」

「……………………」

 

 先生が3日前、エヒメさんがテレポートのし過ぎで倒れてからずっと、彼女の看病をしていた。

 靴を履かずに出てきたので、靴下のみで歩き回って怪我した足はもちろん、俺の所為で負った火傷も先生は丁寧に手当てし、そしてずっとエヒメさんが目覚めるまで、手を握って待っていた。

 

 そしてエヒメさんが目覚めた直後に先生は土下座で謝ったのだが、エヒメさんはやけに据わった眼で先生を睨み付けただけだった。

 ……あの威圧感は、今まで俺が遭遇してきた怪人や敵以上だった。先生も、同じことを言っていた。

 

 そしてそれから、彼女は誇張なしで一言も先生とは会話していない。

 何を話しかけても無視して、彼女はひたすらにぬいぐるみやら、飾り棚やら、ランプシェードやら、アクセサリーやらを自分の周りにバリケードのように積み立てるほどに作り続けた。

 先生曰く、「キレた時はひたすらああやって、何かを作りまくる」らしい。

 

 ……この無言の威圧感も気まずいが、俺にとって何より気まずいのはこれじゃない。

「……エヒメさん」

「はい。ジェノスさん、どうかしました?

 あ、お茶のおかわり入れましょうか?」

 

 ……俺には普通に、いつもの笑顔で対応してくれるのが一番きつい。

 ……これ、俺に対応してくれるからといって、俺から先生を無視しないでやってほしい、許してほしいという説得が利く訳ではない。

 一度言ってみたら穏やかな笑顔のまま、「何を言っているのか意味が分かりません」と返されて、もう俺は何も言えなくなった。

 

「…………いえ。……何でもありません。すみません」

 だから俺はそう言って、すごすご引き下がることしか出来なかった。

 

 

 ……すみません、先生!

 俺にはあの笑顔で圧倒する空気に対抗する手段が、何一つ思い浮かびません!

 

 先生へのフォローも、彼女の怒りを少しでも和らげることも出来なかった不甲斐ない俺に、先生は俺の肩に手を置き、悟った表情で答えたのは記憶に新しい。

 

「……うん。俺も手を尽くしたけど、無駄だった」

 

 先生が、どんな強敵にも立ち向かい、打ち勝ってきたあのサイタマ先生が諦めの境地に立つほどに、エヒメさんの約束を破られた怒りは深刻だった。

 

 ……ただ、エヒメさんは怒ってこそいるが、先生の事を嫌いになったのではないことは確かだ。

 そもそも怒っている理由が理由なのだし、エヒメさんは先生の言葉は無視して答えないが、先生が「あれどこだっけ?」と言えば無言で探して差し出し、食事はきちんと人数分作り、それも先生を労わっているのか先生の好物を作ってくれている。

 

 そのことから考えて、エヒメさん自身も折れ所を見失っているのではないかと俺は思っている。

 だからこそ、ここは上手いこと俺が間に入って緩衝剤にでもなれば、お二人は仲直りできると思うのだが、……そういうのはサイボーグになる以前から俺にとって一番苦手な分野だ。

 どこまでも役に立たない自分に嫌悪する。

 

 先生は気まずい空気に耐えきれなくなって、俺に謝りつつ「その辺、見回りに行ってくる」と言って出て行った。

 出て行く際に、エヒメさんに何かいるものはあるかを尋ねていたが、エヒメさんはひたすら手縫いで丸いペンギンを縫い続けていた。

 エヒメさん、そろそろあなたの姿がぬいぐるみで埋まって見えなくなりそうです。

 

 ……先生がいなくなり、数分沈黙が続く。

 悲しいことに俺とエヒメさんの繋がりは、先生だけだ。

 だから、先生の話題がNGとなると一気に何を話せばいいのかわからなくなる。

 

 いや、今作っている物の事でも何でも、会話しようと思えばできる。

 だけど、それは逃げだ。もちろん、黙っていることも。

 

 自分でもエヒメさんは折れ所を見失っているだけだと思っているのなら、俺が緩衝剤になるべきだと思っているのなら、俺が行動すべきなんだ。

 あの笑顔で俺のエネルギーコアをわし掴むような威圧感に臆すな。強くなると誓ったのだろう!

 

 そう言い聞かせて、俺は再びエヒメさんに話しかけた。

 

「エヒメさん!」

「あの、ジェノスさん」

 

 しかしその意気込みは本人によって、いきなり削がれた。

 そしてそれはエヒメさん自身も同じだったようで、俺たちは顔を見合わせて気まずげに笑うしかなかった。

 

 * * *

 

 同時に話しかけてしまい、今までとは違う居心地の悪さが漂う。

 しかも、お互いに「お先にどうぞ」と譲ってしまったため、もうどう話しかけていいかがわからない。

 結局、俺はエヒメさんと向き合ってただ正座していた。

 ヤバい。勢いに任せて一気に言ってしまおうと思っていたから、何を言おうとしていたかが、完全に飛んだ。

 

「……ごめんなさい。ジェノスさん。空気悪かったでしょ? 兄妹喧嘩に巻き込んで、本当にごめんなさい」

 

 俺が必死で何を言おうとしてたかを思い出そうとしてる間に、エヒメさんの方が先に言葉をまとめて俺に謝った。

 

「い、いえ! 気にしないでください! そもそも先生は、Z市はもちろん俺を助けようとしてくれた結果、エヒメさんとの約束を破ってしまった訳ですから、俺にこそ責任があります!」

「……ありがとう。ジェノスさん。でも、それだって私がお兄ちゃんに頼んだことだもの。

 私、お兄ちゃんにわがまま言って、その挙句についうっかり忘れただけのことを根に持ってるの。だから、悪いのは私。ジェノスさんはそんな私を庇っちゃダメですよ」

 

 俯いていてもエヒメさんが罪悪感で悲しげな顔をしているのが分かったので、俺は慌てて貴女に非はないと庇いたてるが、彼女は困ったようにわずかに微笑み、潔く自分の非を受け入れて俺に渡してはくれなかった。

 

 だから俺はそれ以上は何も言えず、ただ尋ねるしかなかった。

「……まだ、先生の事は許せませんか?」

 

 俺の問いが、またエヒメさんの顔を曇らせる。

 あぁ、俺は本当に無能だ。どうして、この人を悲しませてばかりいる?

 

「……許してるといえば、もうずっと前から許してます。

 ……だから今、意地を張ってるのは怖いからなんです」

「怖い?」

 俺がオウム返した単語にエヒメさんは頷き、それからゆっくり語りだした。

 

「……本当にうっかりであることはわかってるんです。悪気がないことは、ちゃんとわかってる。覚えてたって言ってる暇がなかった事態だったってことも。

 ……別にいつもいつも、心配で不安で仕方ないわけでもない。最近なら、心の底から根拠もなく、お兄ちゃんは大丈夫だって思い込んで気にも留めないことの方が多いですよ。……だけど、それでも、やっぱりふとした瞬間に不安でたまらなくなる時だってあるんです。

 そういう時は、お兄ちゃんの約束を思い出して自分にいつも言い聞かせてました。

 

 ……だから、もう本当に私のわがままでしかないけど、こんな意地を張ってたらお兄ちゃんに嫌われちゃうけど、それでも、絶対に二度と忘れないようにして欲しいって思ったら……もういつ謝ればいいのかわからなくなっちゃってて……。

 ……だから、本当にごめんなさい、ジェノスさん」

 

 エヒメさんはじっと俯いて、自分が作ったぬいぐるみを指先で弄りながらそう言葉を締めくくった。

 彼女の話を聞いても、彼女の不安や後悔、兄に対して酷いことをしているという罪悪感を理解しても、……俺には何一つ、それをどうにかできる術も言葉も思い浮かばない。

 

「……エヒメさん」

 

 俺は無力で無能なうえに、最低だ。

 

「俺では、……支えになりませんか?」

 

 俺に浮かんだのは、彼女の為の言葉ではなく、俺自身の為の言葉だった。

 

「俺も……約束します。怪人退治の時は必ず、あなたに行ってくると伝えますから、……どうかあなたは安全なところで待っていてください。

 俺も必ず! 必ず帰ってきますから! どんな敵が相手でも、先生を連れて絶対に帰ってきますから!

 ……だから、その時は俺たちに笑って、『お帰り』と言って欲しいんです。

 それが、先生にはもちろん、……俺にとっての戦いの糧に、……絶対に生き残ろうと思える活力になりますから……だから……どうか……俺とも約束をしてくれませんか?」

 

 俺が言い出した言葉を理解できず、きょとんと呆けるエヒメさんにそのまま俺は身勝手なことを言い続けた。

 何が支えだ。何が約束をして欲しいだ。

 先生の足下にも及ばない俺ではさらに心配をかけて、約束なんかしたってエヒメさんの不安を煽るだけだ。

 

 ……それでも、俺はなりたかった。

 先生のように強くなる以上に、身の程知らずなものを望んでしまった。

 

「……エヒメさん。俺では先生のように、貴女の世界に安心を与えられるような柱にはなれないでしょう。

 でも、貴女が少しでも傷つかずに歩いて行けるための杖くらいにはなりますから! あなたの不安や恐怖を少しでも和らげて、貴女を支える存在に必ずなってみせますから…………どうか、俺とも約束してください」

 

 エヒメさんの為なんかじゃない。ただ俺自身が、彼女の心の中の重要な位置にいたい。ただそれだけの、醜い願い事。

 これはそんなものに過ぎないのに……エヒメさんは……

 

「……いいんですか?」

 

 困ったように眉を少し下げて、その瞳には涙が溜まってる。両手で口元を覆い隠して、今にも泣き出しそうなのを堪えていた。

 ……でも、その目は確かに嬉しそうに笑ってくれていた。

 

「いいんですか? ジェノスさんにも、そんなわがままを言っても。

 ……あなたを、杖にしてしまっていいんですか?」

 俺をその心に置くことを嬉しそうに、けどだからこそ躊躇うように尋ね返す。

 

「杖なら……私、甘えてしまいますよ? 柱はどうやっても動かせないから諦めがつくけど、……杖ならずっと自分の手元にあるのが当たり前って、思っちゃいますよ?」

 

 彼女が俺をその心に置けない理由を、俺を杖にするのを躊躇う理由を語り、確かめる。

 あぁ、それはなんて俺にばかり都合のいい言葉なんだ。

 

「……甘えてください。

 俺がなりたくて、そうでありたくて言ってるんです」

 

 俺は心からの本音を口にすると、エヒメさんは涙を一粒零して、言った。

 

「ありがとう」と、彼女は微笑んだ。

 


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