私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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願いが叶ったことを私はまだ知らない

 

 ……何かお兄ちゃんが死んだ目でサボテンに水をやってるんだけど、どうしたらいいんだろう?

 

 今朝、妙に呆けた顔で起きたけど、家の前で怪人が現れた瞬間に久しぶりに見るくらい生き生きとした表情で着替えて戦いに行ったかと思ったら、いつも以上に生気をなくして帰ってきたし。

 テンションの高低差が激しすぎるよ、お兄ちゃん。

 

「お兄ちゃん。今日はどうしたの?」

 訊いちゃ悪いかもしれないけど、魂が抜けてるんじゃないかというぐらい、覇気も生気もないから、我慢できずに訊いてみた。

 

「……エヒメ。今朝、夢を見たんだ」

 お兄ちゃんは死んだ目のまま、今朝見た夢の内容とその夢の所為で生まれたギャップ、それによってさらに顕著に感じる虚しさを語りだした。

 

 お兄ちゃんが強くなりすぎたことに対して虚しさを感じていることは知っていたけど、本人から話を聞くのは初めて。

 その内容はだいたい私が予想してた通りだけど、私は何も言えないでいる。

 言えることなんてない。私が何を言ったって、お兄ちゃんの虚しさの解消にはならないのだから。

 私はただ、話すことで少しは気持ちが楽になるんじゃないかってことだけに期待して、黙って話を聞き続けた。

 

「怪人やモンスターと戦っている時、そこに魂のぶつかり合いなんてないんだ。

 まるで虫を……蚊を潰すときのように、感情が伴わねぇんだよ。

 こんな風に!」

 

 お兄ちゃんが話してる最中、丁度お兄ちゃんの拳に蚊が止まって、たとえ話のように潰す。

「そう、この感覚だ。

 何も感じなくて当たり前だ」

 うん。話は良くわかったよ、お兄ちゃん。

 

 でもね、お兄ちゃん。

「お兄ちゃん。蚊、潰せてないよ」

 

 お兄ちゃんが自分の拳を叩く直前に逃げ出して、プーンと耳障りな音を立てて逃げる蚊を指さしてみる。

 お兄ちゃんは、生気のない目のままその蚊を握りつぶそうとするけど、また逃げられる。

 何度かパンパンと手を叩くけどどれもこれも不発で、自分の頭に止まった瞬間叩いたけど、それでも逃げられた時は、無表情ながらにちょっと本気を出してた。

 

 なのに、捕まらない。

 何、この蚊。すごい。

 

「くそ! 逃がした! 蚊めぇ~(怒)」

 

 ……何か私が全然意図してない方向でだけど、とりあえず虚しさを忘れたみたいだからもう別に良いやと思って、私はベランダから部屋の中に戻った。

 何ていうか、昔から思ってたけど本当に単純な人だな、お兄ちゃんは。

 

 結局蚊は潰せず逃がしたのか、お兄ちゃんは頭を掻きながら部屋に戻って来てTVをつける。

 すると、TVも蚊の話題だった。

 何でも新種の蚊が大量発生してるらしい。

 新種か。それならお兄ちゃんも潰せなかったのは納得かもしれない。

 

「大量発生って勘弁してくれよ」

「でもこの蚊が怪人とかの一種なら、強敵かもね」

 私がそんな軽口を叩いてみたら、お兄ちゃんは一瞬悩んだけど「地味すぎる……」って呟いた。そりゃそうだ。

 

 ところが、軽口や地味という一言で片づけられない事態であることを、次の瞬間入ってきた警報で私たちは知る。

 蚊の大群がZ市を襲撃していると、ニュースが伝える。

 空を真っ黒に埋め尽くすほどの群体と、血を吸いつくされてミイラ化した動物の映像で、血の気が引く。

 お兄ちゃんも青ざめた顔で呟く。

 

「Z市ってここじゃん。窓、閉めなきゃ」

 

 ……うん。そうなんだけど、それが一番正しい判断なんだけど、もうちょっと他に反応はないのかな?

 そう思いつつも本当にあの蚊の大群は洒落にならないので、慌てて部屋中の戸締りを確認する。

 うん、大丈夫。どこも全部閉まってるし、隙間風が吹く古いアパートだけど蚊が侵入できるほどの隙間はない。

 

 玄関で安心してたら、部屋でお兄ちゃんがなんか騒がしい。

 何やってんだろうと戻ってみたら、どうも一匹すでに部屋の中に入り込んでいたらしく、お兄ちゃんと蚊の格闘が再び始まっていた。

 

 まぁ、一匹だけならさすがに痒い、ムカつく以上の被害はないかと思って私は放っておくことにしたけど、何故か蚊はお兄ちゃんだけを集中攻撃するので、お兄ちゃんのストレスがどんどん溜まっていく。

 

「あーもう!! 何で俺ばっか刺されるんだよ!」

「お兄ちゃんの血が美味しいんじゃない? もしくは、お兄ちゃんが好みのタイプなんだよ。

 やったねお兄ちゃん! モテ期だよ!」

 そういえば吸血する蚊は基本的にメスであるという無駄知識を思い出して軽口を叩いてみたけど、「モテ期ならせめて人間型が寄って来いよ!!」と若干キレながら返された。

 

 ……「人間」じゃなくて、「人間型」でいいんだ。お兄ちゃん。

 出来れば私、お義姉さんは人間がいいなぁ。

 

「ああぁ!! 逃げんなクソっ! エヒメ! ちょっとあれと決着つけてくる!!」

「お兄ちゃん!?」

 

 いくら叩いても捕まえられない蚊はいつの間にか、部屋から消えた。

 部屋のどこかに隠れているのか、実は出入りできる隙間がどこかにあったのかはわからないけど、どっか行ったと思えればそれで良かったのに、私には理解できない闘争本能に火がついたお兄ちゃんは、外を飛んでいた蚊の一匹を何故か追いかけて出て行った。

 

 まぁ、お兄ちゃんなら大丈夫だろうと一瞬思ったけど、……よくよく考えたらお兄ちゃん、蚊に刺されて痒がってたよね?

 え? 怪人に殴られても怪我しないお兄ちゃんの皮膚を貫通したの? あの新種の蚊は?

 ちょっと本当に怪人の一種なんじゃない!?

 っていうか、それならお兄ちゃんが蚊の大群にやられてミイラ化もあり得る!!

 

 洒落にならない可能性に気付いて、慌てて私は自分のヘアスプレーとライターを持って、お兄ちゃんのもとに跳んだ。

 

「お兄ちゃん!」

「うおぅ!? 何だエヒメ! 俺は忙しい!!」

 蚊との闘いで忙しいとか言わないで!

 怪人かもしれないけどなんか私が悲しい!!

 

 私のそんな心の叫びは置いておくとして、お兄ちゃんにスプレーとライターを渡して、大群に襲われそうになったらこれ使って、即席火炎放射器にでもしてと言って戻った。

 これもこれでどうなんだろうって思うけど、意地になったお兄ちゃんが止められないのは良く知ってるから、もうこれでいいや。

 

 * * *

 

 そんな風に思って、家でお兄ちゃんの帰りを待っていたら、なんか真っ黒に染まった空の方向で、その黒をすべて焼き尽くすほどの爆発が起こった。

 

 ……あれ?

 もしかして、私のスプレーの所為じゃないよね?

 

 その後しばらくして、お兄ちゃんが全裸で帰ってきたのは心底びっくりしたけど、とりあえずあの爆発とお兄ちゃんが抱えていた下半身と片腕がもげたサイボーグさんは、私が渡した即席火炎放射器の所為じゃないことを知って、ホッとした。

 


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