私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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ジェノス視点です。



折れるしかなかった

「…………あの、ジェノスさん。どうぞ……」

「……すみません。ありがとうございます」

 

 エヒメさんがぎこちなく、俺が頼んだ通りのボルトやナットといった細かいパーツを仕分けて俺に渡してくれる。

 それを俺も、この上なくぎこちなく受け取って礼を言う。

 

 ……先生が出て行ってから、再び俺はエヒメさんに手伝ってもらいながら自分の身体の応急処置をしているのだが、ものすごく気まずい。というか、申し訳なさすぎる。

 

 ああああっっ! 俺は何してるんだ!? 何をしようとしてた!?

 ガロウが怪人協会に攫われた所為でエヒメさんが不安で仕方ない状況で、何を俺は浮かれてる!! 俺に寄り添うようにもたれかかってくれたのは、俺だからじゃなくて不安で不安で仕方がないからに決まってるだろ!

 良い雰囲気だったなんて俺の勘違いだ!

 

 というか、良い雰囲気になんかなるか! 俺は今、パンイチだ!!

 エヒメさんの前でパンツ一枚だけなんて、正気か俺は!?

 

 何故、俺は部屋に戻ってきてパンツを履いた!? パンツを履くならズボンも履けばいいのに、「応急処置をするから、ズボンは邪魔だな」と何故思った!?

 それなら俺の身体には猥褻物陳列罪になるようなものはついてないのだから、いっそのこと全裸のままの方がマシだろうが! パンツを履いた所為でパンツという見られたくないものが全開ってどういうことだ!?

 

 恋人でも家族でもない女性を抱き寄せるなんてただの痴漢行為でしかないのに、それ以前に自宅内とはいえそんな関係の女性の前で着用衣服がパンツのみって俺はただの変質者だろうが!! しかも俺の場合、「全裸よりはマシ」という言い訳すら出来ん!!

 エヒメさんに訳が分からず困惑されるのが一番俺にとって幸せな反応で、良くてもドン引き、最悪は俺という存在がトラウマになるようなことを俺はやらかしかけていたのか!?

 

 先生、俺が浮かれて暴走して思い上がったことをやらかす前に来てくださってありがとうございます!

 けれどインターホンを鳴らすかノックは正直、して欲しかったです!!

 

「……あの、ジェノスさん。他に何か……することありますか?」

 

 俺が今すぐ床にのたうちまわりたいほどの羞恥を堪えてもくもくとパーツの処置をしていた所為で、エヒメさんが蚊帳の外となってしまっていた。

 申し訳なさそうに俺に尋ねるエヒメさんの声でそのことに気付き、ひとまず謝ってから俺は先ほどのやらかしかけた事とか、今からズボンを履くのはまたさらに気まずいからパンイチ続行のままであることを無理やり頭の端に押しのけて考える。

 

 エヒメさんに手伝って欲しい部分や、機械工学等の知識や経験のないこの人でもわかるであろう手伝いはもう既に済んでいるのだが、もちろんそう言って隣の自宅に帰るように言うのはただの恩知らずだ。

 そもそも、俺がエヒメさんの「何が手伝えることはありますか?」という言葉に甘えた理由の本命は、パーツの処置ではない。その手伝いはむしろ、時間稼ぎと建前でしかない。

 

 エヒメさんにパーツの処置の手伝いをしてもらいながら、何とかエヒメさんが傷つかない言い方や訊き方はないかと思案したのだが、元からそういう気遣いが苦手かつ、この人と出会うまで他人に嫌われることなどなんとも思わなかった所為で何も思い浮かばなかった。

 だから結局、俺はストレートに訊くしかない。

 

「あの……、エヒメさん。手伝って欲しいことはもうないのですが、教えて欲しいことがあるのですが……」

「? はい、私に答えられることなら何なりと」

 

 俺の問いにエヒメさんはきょとんと目を丸くして、栗鼠のように首を傾げつつもそう答えてくれたので、自分の言葉がエヒメさんを傷つけないこと、エヒメさんの傷を抉らない事を祈りながら問う。

 

「ガロウと何があったのかを、もう少し詳しく教えてもらえませんか?」

 

 * * *

 

 数少ない些細な情報から虚実を見極めて繋ぎ合わせて真実にたどり着く、そんなミステリー小説のような探偵の役割が俺には全く向かない事はつい最近のやらかしで理解している。

 俺は自分の怒りで振り上げた拳をぶつけたいという一心で、後になって思えば違和感だらけだったというのにエヒメさんの親友をエヒメさんの敵だと勘違いしていたのだから。

 

 だが、そんな俺でもこれだけはわかる。

 

『今更なんだよ!! どうして!? お前がヒーローだって言うんなら!! あの人と、ひぃちゃんと同じ「本物」ならどうして……』

 

 唐突だったが油断していた訳ではないのに、俺が反応できぬ勢いで距離を詰めて俺を殴ったガロウは、俺の胸ぐらを掴んで叫んだ。

 今更で手遅れだと言いながら、本人だってどうしようもなかったとわかっているはずのことを諦めきれず、「どうして」と問うた言葉。

 

『どうして、あの時に来てくれなかった!?』

 

 一番助けて欲しかった時に来てくれなかったことを責める言葉。

 もうヒーローなんて存在を信じられないという意思を表記した憎悪の言葉。

 だけど、何かに期待しているような、諦めきれない悪あがきのような言葉。

 

 その言葉が指す「あの時」は……、ガロウがいじめられていた時ではないことくらい、俺でもわかる。

 

 奴が言った「あの時」とは、ヒーローが現れて助けて欲しかったのはガロウ自身ではなく、エヒメさんのことであることくらいわかった。

 

 ……それがわかったからこそ、俺は嫌な想像をしてしまう。

 ただでさえガロウの凶行に酷く傷ついているエヒメさんが更に傷つく、けれど決してガロウを責めることは出来ない動機を想像してしまった。

 

「詳しく……ですか?」

「えぇ。もちろん、貴女が以前話してくれたことに嘘があるとは思ってません。

 ただ……ガロウと話してみて俺は奴のことを知らなすぎると痛感したので、もう少しでも情報が欲しくて……」

 

 傾げた首の角度を少し深めて問い返すエヒメさんに、嘘ではないが本当の事は1割程度の理由を語る。

 いや、以前話してくれた内容、ガロウがいじめられっ子でエヒメさんが奴を庇ったという話を疑っている訳ではないというのは少し嘘だ。

 

 エヒメさんの自己評価はミラージュの所為で最低どころか未だにマイナスだから、この人が語った情報は普通とは逆の意味で実はあまり信用ならない。

 この人の話だけを信用したら、いじめられて泣いていたガロウにハンカチを貸して、何があったのかを聴いてやっただけになるが、これだけでも十分に尊い行いだが絶対にそれだけじゃないと俺は確信している。

 

 なので詳しく、思い出せるだけ具体的に何があったかを話してもらったら……予想通りエヒメさんは完全な無自覚で自分のしたことのほとんどを「大したことじゃない」と思って省略していた。

 エヒメさん、話を聴いてあげただけではなく「ヒーローごっこ」と称したリンチを直接止めて、いじめっ子からガロウを庇ったのならその事を話してください。あと、後ろから石を投げつけられたことも。

 

 昔の話で怪我も少し大きめのこぶで済んだから大したことないとエヒメさんは言うが、俺からしたら今からでもそのクソガキだった奴を探し出して焼却したいぐらいだが、それはひとまず横に置こう。

 とりあえず、その話でガロウのヒーローに対する不信感や憎悪は理解できた。

 

 だが、それで終わったのなら今現在の状況が理解できない。

 

 エヒメさんが怪我をしたから……そのおかげなどと言いたくないが、しかしそうとしか言いようがない。

 ガロウへの暴力は同級生かつ男という性別もあって、それこそ入院レベルの大怪我でもしない限りは「子供故に手加減が出来なかったが遊びの範疇」と思われていただろう。下手したら、入院レベルの大怪我でもそれはあくまで「不幸な事故」扱いで、厳重注意に留まったかもしれない。

 

 が、奴らの所為で怪我したエヒメさんは年上だが一つしか違わない小柄な少女であり、しかも彼女といじめっ子たちに接点はなかった。

 そんな接点のない少女に後ろからの投石は、決して「遊び」と言い繕うことは出来ない。だからこそ問題になり、そのまま芋づる式にガロウに対してのイジメも明るみに出て、いじめっ子たちは処分を受けた。

 処分と言っても小学生だから、教師からの説教とガロウ本人に謝った程度だが。

 

 しかしそのような自分が責任を負いたくない教師が行った、クレームを付けられぬポーズとしての説教よりも奴らにとっては、自分たちのスクールカーストでの立ち位置が地に落ちこそはしなくても最上位からかなりの下位まで落ちた事こそが屈辱的で効果的な罰になったはず。

 

 俺としてはエヒメさんの怪我が軽症であってもこの上なく許しがたくて不満だが、ハッピーエンドと言っていいはずの結末だ。

 本当に、これで終わっていたのならな。

 

「エヒメさん。……ガロウへのいじめは解決したんですか?」

 

 訊きたくないが、訊くならもっとこの人が傷つかないように上手く訊きたかったが、俺にそんな器用な言い回しは何も思い浮かばない。だからやはり直接的に尋ねることしか出来なかった。

 

 ここで終わっているのなら、ガロウはヒーロー嫌いではあるかもしれないがヒーロー狩りなんてしなかっただろう。

 むしろあいつはエヒメさんを、エヒメさんだけを「本物のヒーロー」だと認識して崇拝している節が強い。なら、エヒメさんに憧れて怪人ではなくヒーローを目指すのが自然ではないか?

 

 そんな俺の憶測を肯定するように、エヒメさんは少し悲しげに目を伏せてから答えてくれた。

 

「……いいえ。むしろ、私が余計なことをした所為で事態がより陰険な方向に向かってしまったんです」

 

 俺の嫌な予測は当たってしまった。

 エヒメさんは自分が具体的にガロウに対して何をしたかは最初の話ではほとんど語らなかったが、それでもこの人は解決していたのならそれは話したはず。

 自分のおかげだと自慢する訳ではなく、そもそもそんな認識などなく、ただガロウが救われたことを自分の事のように喜んでいるからこそ語ったはずだ。

 

 それを語らなかったということは、解決などしていなかった。だからこそエヒメさんはなおさら、自分の行いを無意味だと思ったからわざわざ語らなかったんだ。

 

 正直言って聞きたくなかった。この人がこんなにも悲しげな顔をして語る、クソガキの陰険極まりない嫌がらせの話などさせたくなかった。

 しかもこれが、自分がされて嫌だったから悲しげな顔をしているのならまだマシだ。

 

 この人は自分のされたことなんてまったく気にしていない。

 エヒメさんが悲しんでいるのは、ガロウが傷ついたからだ。

 

「……ガロウ君は『俺の所為だ』って言って私に泣いて謝って……、それからあの子は私と関わらないように、学校で会っても逃げ出してしまうようになったんです」

 

 寂しげな目で俯いて、エヒメさんはそう締めくくった。

 

 誕生日の祝いとして、学校が終わったら近場の遊園地に出かけて少し良いレストランで食事をする予定だった。そしてその日は、お気に入りの白いワンピースを着ていたらしい。

 その事を校内の廊下で出会ったガロウと雑談で話していたら突然後ろから墨汁を、そして追い打ちのように水を被せられた。

 お気に入りだったワンピースは墨汁で無残に汚され、挙句に季節が冬だったのもあってエヒメさんは追い打ちで被せられたバケツの水の所為で酷い風邪をひき、放課後の誕生日の祝いだったはずの予定はキャンセル。

 

 そしてその嫌がらせの犯人は、もちろんガロウをいじめていたクソガキ共だ。

 しかも今度はわざとではない、事故だったという言い訳が成り立ってしまい、注意程度で終わってしまった。

 おそらく教師も追及するのが面倒くさく、わざとだと認めさせてもそれは以前のことを反省どころか逆恨みしていた証拠となり、ひいて自分の指導不足が明らかになるとでも思ったからこそクソガキの言い分を真実ということにして、わざとだと証明できない被害者側を折らせたと思うのは、俺の偏見や被害妄想ではないだろう。

 

 まさしく陰険としか言いようがない胸糞が悪くなる話だというのに、その当事者であり被害者のエヒメさん自身は全く自分のされたこと自体を嫌な思い出だとは思っていない。

 けれどそれは本心から気にしていない訳でも、我慢して耐えているのではなく、自分自身の事など気にかける余裕もなくガロウのことをエヒメさんが気にしているのは、あの締めくくりで明らかだ。

 

 そして、この顛末はやはり俺の一番当たって欲しくない予想の通りだった。

 いや、下手したら俺の想像よりもなお酷く惨いかもしれない。

 

 おそらく……ガロウの怪人願望は本心ではない。あれは自責による贖罪とヒーロー願望の挫折、そして自己嫌悪による自嘲あたりが正確だ。

 自分を庇って守ってくれた、奴にとって憧れで理想そのものの「ヒーロー」だったエヒメさんを守れなかったどころか、その原因……エヒメさんがクソガキに逆恨みをされ、その嫌がらせが最高に効果的なタイミングで行えるお膳立てをしてしまったのが自分であることに責任を感じ、背負わなくていい罪悪感を背負って拗らせた結果がアレなのだろう。

 

 ガロウはクソガキ共に謝罪された後、エヒメさんに今度は自分がエヒメさんのヒーローになると告げたらしい。

 けれど、自分の所為で嫌がらせをされて、お気に入りのワンピースも、楽しみにしていたイベントも全部台無しにされた事で「自分がヒーローになれる訳がない」とでも思ってしまったというところか。

 

 初めはミラージュの悪意や狂気に気付いたが何もできなかった後悔と自責かと思っていたが、ガロウは何も悪くない、非や責任は間違いなくないのだが、エヒメさんが嫌がらせを受けた原因は奴自身であるのは間違いないという事実が惨すぎる。

 

 俺もつい最近……俺さえいなければ起こらなかったこと、俺のかなり拗らせたファンというかもはやストーカーという言葉さえも生ぬるい犯罪者に、この上なく忌々しいがあの音速の残念忍者がいなければエヒメさんは怪我どころか殺されていたかもしれないということがあったから、「自分さえいなければ」という自責や自己嫌悪は嫌になるほどわかる。

 

 だが、これでも俺の方がマシだ。

 あのストーカーどもにエヒメさんが狙われたのは間違いなく俺の所為だが、あいつらがエヒメさんの情報を知ったのも、あいつらの狂気を煽ったのもミラージュという、誰も擁護しようのない元凶がいる。

 

 あいつとエヒメさんが再会してしまった原因もまた俺だが、同時にエヒメさんの親友であるヘラとも再会するきっかけになれたからこそ、結果としてはあの再会のきっかけになれて良かったと思える。

 ストーカーによるリンチと殺人未遂も、ミラージュとの決着のきっかけになった。

 

 ただ単にエヒメさんが頑張ったからこそ良い結果になったのであって、俺のおかげだとは絶対に思わない。思えない。だからこそ、自責や自己嫌悪は消えない。

 だが、俺がいなければ一生ミラージュと再会せずに済んだとしても、エヒメさんはヘラの事で気を病み続けただろう。

 そして俺がいなくてもミラージュがいる限り、似たような悲劇はいつどこで起こったとしてもおかしくなかったという事実が、卑怯な責任転嫁であるのはわかっているが俺の罪悪感を少しは軽くする。

 

 少なくとも、自分の所為だと責めて折れて何もしなくなってはそれこそあの人が無駄に、無意味に傷ついただけになると自分を奮い立たせることができる。

 それは俺が自分の歩みを止めない理由になり得ても、俺が折れる理由にはならない。

 

 だが、ガロウの場合は違う。

 奴は本当に何も悪くないのだが、クソガキとエヒメさんの接点、エヒメさんがクソガキに逆恨みされるきっかけはガロウで間違いなく…………ガロウさえいなければ起こらなかった。

 

 クソガキにいじめられ続ける不幸な子供はいただろうが、学年が違うんだ。エヒメさんはその不幸な子供の存在に気付けなければ、どんなにエヒメさんが善良でも庇う事など出来ない。そのクソガキとの接点などなく、当然逆恨みだってされる訳がない。

 酷い嫌がらせを受けたエヒメさんを目の当たりにしたことで、ガロウは自分の存在そのものがこの結果を招いたと気付いてしまった。

 そして善良だから、原因であっても非や責任は何もなかったというのに背負わなくてもいい罪悪感を背負い込み、だからこそ折れてしまったのだろう。

 

「ヒーロー」という夢を、挫折してしまった。

 

「……ガロウ君は私を『ヒーロー』だって言ってくれてたのに、あんなに情けない姿を見せた挙句に私の所為で嫌がらせが陰険になったんだから……ヒーローじゃなくて怪人に憧れるの当然の成り行きかもしれませんね」

「! 違います! そんなことは絶対にありません!! そもそも、ガロウはもちろんエヒメさんは何も悪くないのですから、自分の所為だなんて言わないでください!!」

 

 自分の当たって欲しくない想像のほとんどが当たっている、しかも外れている部分はより悪い方向が真実だったことで言葉を失い、話してくれたエヒメさんに何のフォローもしていなかった所為でこの人は元々懐いていたであろう自責をより深めた呟きを零し、俺は慌てて否定する。

 

 エヒメさんは俺の言葉に、淡く微笑んでくれた。

 だが、俺の否定を受け入れてはくれない。

 

「ありがとうございます、ジェノスさん。……けど、違うんです」

 

 フォローした俺を、フォローすべき俺をエヒメさんの方がフォローするように、悲しげな瞳のまま笑って彼女は静かに告げる。

 

「確かに私は悪いことはしていない。正しいことをした。それは否定しませんし譲りません。

 ガロウ君が暴力を振るわれ続けて、あの子の話を誰も聞かないことが正しいなんて、絶対に認めませんから私はあの時の主張はたとえ世界中の人から否定されたって撤回しません。

 ……だけど、庇い方が……いじめっ子に対してとかの対応を間違ったとは思っているんです」

 

 幸いながら、エヒメさんはガロウを庇ったこととその理由、クソガキどもを「悪」と断じたこと自体に関しては、自分が悪くて間違っていたとは思っていなかった。

 あまりに痛々しい「逃げない」と誓いを貫く強情さをここでも発揮しながら……、そこまで強い意思を持っているこの人でも、もはや意味のないIfを夢想してしまうほどに……、「間違えた」と後悔してしまうほど折れてしまった、クソガキ共に折られたものを語った。

 

「……あれ、私への嫌がらせではなかったんです」

「――――え?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その前提の否定は俺の想像を全て壊すものだったので、俺は思わず呆けた声を上げる。

 そして、エヒメさんが悲しげに酷く悔やみながら語ったあの「嫌がらせ」の真の意図を聞き……知ってしまった俺は、思わず目を見開いて言葉を完全に失ってしまった。

 

「……? ジェノスさん?」

 

 エヒメさんがきょとんとした顔で俺を呼びかけるのは見えていたし、声も聞こえていたが何の反応も取れなかった。

 俺が完全にフリーズしてしまったことにエヒメさんは困惑している。そのことに、俺は内心でわずかに安堵した。

 

 この人は俺がガロウに対してあまりの痛ましさによる同情やクソガキへの憤りでフリーズしているのではないことには気付いているが、俺の具体的な感情にはおそらく気付いていない。

 俺がガロウの絶望を追体験しているような状態であることに気付いていない。

 

 何もわかっていないからこそ困惑しているという事がおそらく唯一の幸いであり、気付いて欲しくないから俺は一刻も早くこのフリーズを解凍して何か誤魔化す言葉を吐くべきなのに、俺は何も言えない。

 それほどまでに、俺の不器用さなど無関係で誤魔化す言葉など浮かばないほどに理解が、ガロウの絶望が俺の生身の脳を叩きつける。

 

 ……そうか。……ガロウ、お前は()()()()()()()()()のか。

 

 エヒメさんは気付いていない。自分が語った、クソガキ共が嘲笑ってガロウとエヒメさんに突き付けた嫌がらせの意図が、あまりにも子供の浅慮でありながら陰湿な残酷さがガロウの何を折らせたのかを。

 けれどそれは、仕方がないこと。気付いていないのはエヒメさんが鈍いからでも、自己評価がマイナスだからであることも無関係で、気付かない方が普通のことだ。

 

 実際俺も、エヒメさん視点でその真意を聞いた時はガロウに対しての同情しかなかった。

 ガロウの視点でその真意を見て、気付けた。俺はガロウよりマシとはいえ、似たような罪悪感を懐いているからこそ、気付けたことだ。

 

 ……俺は、ガロウの怪人になりたがる動機は言ってみれば妥協の産物だと思っていた。

 奴の本質の善良さからしてむしろガロウはヒーローに、それこそヒーロー協会に所属している職業としてのプロヒーローではなく、利など求めず他者を救う先生のような、そしてエヒメさんのようなヒーローになることこそが奴の本当の願望のはずだ。

 

 だが、ヒーローになって一番守りたかった人であるエヒメさんは自分がいなければ起こらなかった嫌がらせを受け、その事に罪悪感や無力感による自己嫌悪が「俺はヒーローになれない」と思わせ、挫折してしまった。

 けれど自分がヒーローになる夢は折れて諦めても、エヒメさんが理不尽な不幸に遭い続けることだけは看過できなかった。だから自分の代わりにエヒメさんを救ってくれる、守り続けるヒーローを探し求めていたのが「ヒーロー狩り」の動機で、そしてこの動機だとエヒメさんが元凶になってしまうからこそエヒメさんを庇う為に、彼女は無関係だと言い張る為に「怪人になりたい」と主張している。

 

「ヒーローになる」という部分だけ折れて妥協してしまっているが、全てはエヒメさんの為、エヒメさんを守ることこそが奴の行動理念。

 そんな風に思っていた。

 

 ……妥協だと思っていた。折れてしまったからこそ、奴は「ヒーロー」ではなく「怪人」の立場からこの人を守ろうと妥協してしまったと思っていた。

 

 …………違う。むしろ逆だ。

 

 ガロウは妥協できなかった。

 エヒメさんがあまりにガロウを完膚なきまでに救い過ぎたからこそ、エヒメさんをガロウが真の正義だと認識しているからこそ、奴は妥協できなかった。

 だからこそ、折れるしかなかったんだ。

 

 全てが折れて、反転して、奴は「ヒーロー」ではなく「怪人」になるしかなかったんだ。

 

「……エヒメ……さん…………」

 

 何も語らない、けれど明らかに酷いショックを受けているとわかる顔でフリーズしているであろう俺に、エヒメさんは困惑を超えて今にも泣き出しそうな顔でオロオロと狼狽えたので、俺はムカデ長老から吐き出された直後以上に自由の利かない体を無理やり動かし、彼女の両肩を掴む。

 何とか声を、言葉を絞り出す。

 

「貴女は……どうか……自分の所為だと思わないでください」

 

 それしか言えなかった。

 

「貴女は……何も悪くない。だから……ガロウを思うのならば……だからこそ絶対に、自分を責めないでください」

 

 気付かない、気付けないのが普通とはいえ、エヒメさんは必要以上に自罰的な人だからこそガロウの絶望に、折れるしかなかった、折れてしまったものが何であるかに気付ける可能性は高い。

 というか、この人は「自分が悪い」と自責してガロウ視点に立っていない、立ったとしても必要以上に自分を悪くして見ているからこそ気付けていないのであって、おそらくこの人も正しく「ガロウの視点」で嫌がらせの「真意」を知れば間違いなく気付く。

 

 だから、俺のこの懇願はむしろ逆効果だ。俺が気付いてしまったことをこの人が気付かないで欲しいと願うのなら、いっそのこと今の自責したままの方が良いのはわかっている。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 ガロウに同情してと言うより、完全に俺自身とガロウを同一視してしまったからこそ、俺は自分の為に懇願しているだけだ。

 

「貴女が自責すればするほど……、ガロウは貴女に救われたからこそ、救われなくなる……。ガロウの方こそ、『自分の所為で』と思って自分を責めるから……、だからどうか……お願いします。

 ……貴女の所為なんかじゃない。貴女は誰よりも何よりも正しいことをして、間違いなくガロウを救った。……その事だけは、ガロウを思うのならば絶対に否定しないでください」

 

 俺の言葉、縋るような懇願にエヒメさんはまたしても困惑を先ほど以上に大きく懐きながらも頷き、「はい」と返事してくれた。

 しかしその返答を得ても俺は安心することが出来ず、エヒメさんの肩を掴んだまま俯き、祈り続ける。

 

 どうか、俺が気付いたことなんか全部俺の思い込みであり妄想のようなものであってほしい。

 俺の想像が正しいのであれば、どうかこの人はこのまま気付かないでくれ。

 

 ……気付かないでくれ。

 ガロウの現状は、ガロウに何の責任も非もないがエヒメさんがクソガキ共から嫌がらせを受けた原因であるのは間違いないのと同じであることに。

 

 エヒメさんが完全に完璧に理想的なまでにガロウを救ったからこそ、ガロウは自分が懐く「正義」や「ヒーロー像」に一切の妥協が出来なくなった。

 だからこそ、ガロウは「ヒーロー」ではなく「怪人」になるしかなかった。

 

 エヒメさんは何も悪くない。何の非もない。ある訳がない。

 

 だけど、ガロウが妥協できなかったからこそ折れてしまった、怪人になること以外の選択肢を失ってしまった原因が自分であることにどうか気付かないでください。

 

 そして……気付いてしまったのなら、貴女はどうか折れないで欲しい。

 貴女が自分に科した「逃げない」という誓いを妥協してほしい。貫き通すことを諦めて欲しい。けれど、どうか折れることだけは……「自分の所為だ」と自責して、妥協できなかったから、諦めることができなかったからこそ折れて反転してしないでください。

 

 俺はそう、信じてもいない「神」に祈り続けた。


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