私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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ジェノス視点です。


強くなりたいと願うのはやめた

 

 エヒメさんはかなり長い間、思い悩むように頭を抱えて沈黙を続け、そして絞り出すような声音で言ってくれた。

 

「……………………本当」

 

「…………そう、ですか」

 その答えに、俺も右手で項垂れた頭を支えて声を絞り出す。

 声は絞り出さないと出なかったくせに、する資格はないとわかっていながらも失望は隠しきれずにあふれ出た。

 

「……えっと、一応言っておきますけど、私もあの筋トレでお兄ちゃんがあんな超人的な強さを得たとは思ってませんから。

 でも、お兄ちゃんがやってること自体は本当にあれだけなんです。筋トレだけで、改造手術とかそういうのは全く何もやってません」

 

 エヒメさんは何とか俺をフォローしようとしてくれたが、正直それは何の意味もない。

 先生が気付いていないだけで他に何かきっかけや秘密があるのなら、俺も同じくらいの強さを得る可能性があるが、もしも仮に、本当に筋トレだけであの強さを得たのなら、それは俺にとっては絶望だ。

 

 生身の体を失った俺にとって、筋トレは無意味どころか下手したら無駄にパーツを摩耗させて、損傷させる行為に過ぎない。

 つまり俺は、サイボーグになった時点で先生のように強くなるという可能性を永遠に失ったということだ。

 

 まだ可能性はある。そちらの方が高いとは分かっているが、それでも強くなる可能性や方法は全くの手探りなくせに、絶望の可能性ははっきりと具体性を持って俺の心をへし折りにかかった。

 ……クセーノ博士がくれたものを否定などしたくないのに、サイボーグになったことを後悔などしたことなかったのに、「どうして?」という考えが俺の頭から消えない。

 

 あぁ、いっそサイボーグではなくロボットであったのなら、全てが作りものならば、この絶望をただの低い可能性として切り捨てることが出来たのに。

 ついにそんなことを思い始めた時、俺の左手が温かくて柔らかいものに包まれた。

 

 エヒメさんの手、だった。

 

 いつの間にかエヒメさんが俺の向かいから隣に移動して座り、俺が膝の上で握りしめていた左手を自分の両手で包み込んで、彼女は困ったように笑って言う。

 

「あの、ジェノスさん。

 私の考えを聞いてもらえますか」

 

 生身ならきっと力を込めて握りしめすぎて血が出てるであろう俺の拳を、両手でも包みきれないのにエヒメさんは、それをほぐすように柔らかく握って、そしてまっすぐに俺を見て語る。

 

「お兄ちゃんは、逃げないんです。

 怪人からも、苦難からも、自分からも」

 

 困ったように、照れくさそうに、けれど誇らしげに先生を、自分の兄について語る。

 

「お兄ちゃんがやってることは、本当にさっき言った運動部の筋トレメニューでしかないけど、でもお兄ちゃんは本当に毎日欠かさず行うんです。

 ……たとえ、怪人に大怪我を負わされた次の日でも」

「!?」

 

 先生の言っていた筋トレは、彼女の言う通り運動部がこなすレベルのもので、さほどハードでもない。

 だから俺は初め先生がそう言った時、ふざけているのかと思った。

 ……バカにしているのかと、憤った。

 

 けど、そうだ。

 先生だって3年前まで普通の、ごく一般人レベルの強さしか持たない人間だったんだ。

 きっと災害レベル狼にも苦戦するような、そんな人が始まりだった。

 

「お兄ちゃんは怪人との戦いで腕が骨折しても、腕立て伏せをやめたり、数を減らしたりしませんでした。

 車に轢かれそうな子供を庇って自分が車にはねられても、ランニングを中断なんかしませんでした。

 私が泣いて止めてやっと、怪我の手当てだけはさせてくれたんですよ。もちろん、手当てをしたらまた、残りの距離を走りに行っちゃったし」

 

 エヒメさんは少しだけ唇を尖らせた。自分に心配ばかりをかけた、昔の兄に対して怒っているんだろう。

 それでも、柔らかく微笑んでいる。

 兄を、誇りに思っている。

 

 ……俺は、生身の体でないと意味がないと絶望した。

 だが、俺がサイボーグではなく生身の体のままだったとしても、先生と同じことが出来ただろうか?

 

 筋トレの内容や回数は、問題じゃない。

 たとえ自分がどんなに傷ついても、どれだけ辛くても、やろうと決めたものを貫き通して行動する。

 それが、生身だからといって出来るのか?

 

 俺の場合は明確に、サイタマ先生という見本がある。具体的にこうなりたいというゴールがあるのに対して、先生はどうだ?

 先生は俺以上に手探りのまま、ゴールなんて見えていないしあるのかどうかもわからないまま、それでも貫き通した。

 

「それとお兄ちゃんは多分、災害レベルの意味を未だに分かってないですよ。今も昔も狼だから俺が行こう、鬼だから行かないなんてこと、言ったこともしたこともないです。

 ニュースで警報が出たら、それがどんなに遠くても、目の前で怪人やテロリストが暴れていたら、それがどんなレベルでも、真っ先に飛び出して戦います」

 

 一切の妥協をせず、どんなに傷ついても挫けず、いかなる強敵でも怯まず、自分に課したことやものから逃げない。

 

 それを、俺は実行する覚悟があったか?

 

「……それが、私が思うお兄ちゃんの強さの秘密……、強さの理由です。

 私は、お兄ちゃんがヒーローになると言ってからたぶん一番近くで見てきました。そこでそう思って……、だから私も、お兄ちゃんみたいに強くなろうって決めたんです」

 

 儚げで華奢で、誰かに守られるのが一番自然な彼女が、そう言った。

 強くなる、と。

 

「私はお兄ちゃんみたいなヒーローにはなれない、そもそもなりたいとは思えないけど、でも、弱くて逃げて守られて誰かに頼って縋って甘えるだけの自分が嫌だから……、だから、そんな自分から逃げないって決めたんです。

 せっかくテレポートなんて特殊な力を得たのだから、これは逃げるためだけじゃなくて他に生かそう。誰かを助けるため、時間を稼ぐため、怪人を倒すため、とにかく思いついた可能性を『きっと無理だ』なんて決めつけないで実行して、貫き通そうって決めました。

 ……それこそが、お兄ちゃんみたいになるための一歩だと、私は思っています」

 

 エヒメさんが包み込んでくれていた俺の手は、いつしか力が抜けていた。

 八つ当たりの憤りは、エヒメさんの言葉で綺麗に霧散して、もう俺のどこにもそれはない。

 

「……私の考え、参考になりました?」

 

 微笑んでいたエヒメさんの瞳が、不安でかわずかに揺れる。

 俺はその目を見つめ返し、俺の手を包む彼女の手に、自分の右手を重ねた。

 この、何もかもを破壊して焼き尽くす武骨で無機質な手でも、彼女が俺にしてくれたのと同じ役割を果たしてくれるだろうか?

 

 ……温かいと、思ってくれるだろうか?

 

「――はい」

 

 俺はただ一言、答える。

 言い尽くせないほどの感謝を込めて。

 

 ……あぁ。

 エヒメさんが決めているのなら、俺だって覚悟を決めよう。

 子供のように、ただ願うのはもうやめだ。

 

 強くなりたいと願うのではなく、強くなると誓おう。

 


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