意外に思われるかもしれないが、藍は普段からあまり妖怪の山へは立ち入らない。麓の水月苑には足繁く通っているものの、ここまで登ってきたのはもう随分と久し振りの話で、途中すれ違った哨戒天狗からもだいぶ珍しそうな顔をされた。
なぜと問われても答えに悩むが、強いて言えば「登る理由がないから」なのだと思う。昔は日本中を旅したりもしていた藍だけれど、紫の式となってからは行動範囲がめっきり狭くなってしまって、幻想郷でも日頃から足を運ぶ場所といえば、月見のいる水月苑、霊夢のいる博麗神社、橙のいるマヨヒガ、買い物をする人里の四ヶ所くらいしかない。それ以外の場所は仕事にでもならない限り近づくことすらないのだから、自分も随分とインドアな妖怪になってしまったものだと思う。
白状する。霊夢の前では年上風を吹かせて「私が案内するよ」なんて威張ったが、実はちょっと自信がなかったのだ。
道を間違えたり迷ったりすることなく辿り着けて、本当によかった。
「……? ねえ、藍。ここの看板、なんかボロボロに焼けちゃってるけど火事でもあったんじゃないの?」
「え? ……さ、さあ、どうだったんだろうね」
言えない。紫様が何回も『あなたのゆかりん』と書き直したせいで、月見様に丸々消し炭にされたなんて。
そんなことはともかく。妖怪の山を登るのがいつ以来なのかは曖昧だけれど、その洞穴は藍の記憶となんら変わりなく、巨大な魔物が大口を開けて餌を待ち構えるように佇んでいた。分厚い雪化粧のお陰で不気味な雰囲気はいくらか中和されているが、奥の闇は呑み込まれそうになるほど深く暗い。橙なら怖がって入れないだろうな、なんてことを藍はふっと考える。
「ふーん。こんなトコにこんなもんがあったんだな」
ほうきに跨ったままの魔理沙が、不気味がる素振りもなく撫でるような目で洞穴を観察した。
「これが、ずーっと下の地の底まで続いてるってわけか」
「ああ、そうだよ」
今回の異変に当たって、暫定指揮官の藍は二つのチームを作った。すなわち直接地底に向かって異変を解決する組と、それを地上からサポートする組。前者が霊夢と魔理沙で、後者が天子とアリスである。……なぜアリスの名前があるかといえば、「霊夢のサポートが天子なら私はアリスだな?」と魔理沙に笑顔で振られ、NOと言えない性格のアリスがやはりNOと言えなかったからである。
して、この場にいない天子とアリスがどうやって霊夢たちをサポートするのかといえば、
『――あーあー、てすてすー。霊夢ー、聞こえるー?』
藪から棒に、聞こえるはずのない天子の声が響いた。
「はいはい、聞こえるわよ。準備できたの?」
『うん。準備っていっても、月見に炬燵入れてもらったり飲み物用意したりしたくらいだけど』
「あ、ズルい」
声の出処は、霊夢の傍をふよふよと飛んでいるひとつの球体だった。博麗神社に代々伝わる由緒正しいアイテムのひとつで、『陰陽玉』という。遠隔で術を発動させる触媒としたり、そのまま相手にぶつけて攻撃したりと、主に霊夢の攻撃面をサポートするものだが、このたび冬眠前の紫によって通信機能が実装されたのだ。藍も詳しくは知らないが、他にもいろいろと機能が追加されているらしい。
『魔理沙、聞こえる?』
「聞こえないぜ」
『ちょっと、真面目にやってよ』
更に、今度はアリスの声。こちらは、魔理沙の右肩にひっついている人形から発せられた。アリス特製の人形で、陰陽玉と同じく通信機能を実装している他、内蔵された数々の魔法をアリスの命令ひとつで発動することができるという。本人は大したものじゃないと言って謙遜したが、藍は正直舌を巻いた。これほどの代物、式神を操る力を持つ藍にだってそう簡単には作れやしない。あの人形遣いは性格が災いして地味で目立たない少女だけれど、魔法使いとしての実力はかなりのハイスペックなのだ。
天子とアリスは、それぞれ陰陽玉と人形を使い、水月苑から霊夢たちをサポートする。近くには地底の住人と交流のある月見もいるから、困ったときにはなにかと融通が利くだろう。
陰陽玉が言う。
『すごいねこれー、集中するとそっちの景色もぼんやりとだけど見えるよ』
「なに、そんな機能まで付けてたのあいつ? ……他にもいじったりしてないでしょうね」
霊夢にジロリと睨まれて、藍は「あ、あー、大丈夫だと思うぞ? うん」と愛想笑いで誤魔化した。言えない。まだ冬が始まって間もなかった頃、紫が陰陽玉をいじくり回しながら「さっすが私! よーしついでに他にもいっぱい付けちゃお!」と一人ではしゃいでいたなんて。
藍のあからさまな反応から霊夢はおよそを察したはずだが、特に追及はしなかった。ため息をついて、
「……まあいいわ、今回は割と役に立ちそうだし」
『頑張る!』
「……なあアリス、お前もこっちの景色とか見えてるのか?」
『? ええ、じゃなきゃサポートにならないでしょ?』
「マジか……すごいなお前、紫と同じことやってるぞ」
『えっ……い、いえ、こんなのぜんぜん、完全自律の人形を作るのに比べれば、大したこと……』
アリスは、もっと自分に自信を持ってもいいと思う。藍から見たってすごいことをやっているのだから。
しかし結局、シャイなアリスは最後まで謙遜もできぬままもじもじとフェードアウトしてしまった。肩を竦めた霊夢が藍を見て、
「……で? 普通に入っちゃっていいのよね?」
「ああ。天魔様の許可はもらえたからね」
ここまで登ってくる途中で偶然操と出会い、洞穴への立ち入りを正式に許可してもらえたのは運がよかった。……もっともより正確を期すなら、デカいたんこぶを作って椛に引きずられていく操と、だけれど。
藍は焦点の遠い目をしながら思う。今まではまだかわいい方だったはずなのに、ここ最近になって突如として、椛の中で眠る『犬走』の血が覚醒の時を迎えつつある。幻想郷トップクラスの大妖怪をニコニコ笑顔で引きずっていく椛の姿は、先代譲りで鳥肌が立つほど恐ろしかった。椛の将来を割と本気で心配する藍である。
霊夢が、洞穴の中を覗き込んで顔をしかめている。
「うわー暗っ。こりゃ明かりがないとダメねー」
『あ……あの、明かりならこの子が』
アリスがなんとも自信なさげにそう言うと、魔理沙の肩にひっついている人形の両目が、ぺかーっと懐中電灯みたいに光りだした。
魔理沙がびくっとした。
「うわっ。なんだお前、そんな機能まで付いてんのか」
『な、なにかの役に立つかと思って……』
人形が魔理沙の肩から離れ、ゆっくりと洞穴の目の前まで飛んでいく。小さい人形ながら光はなかなか頼もしく、洞穴が奥の方まで見えるようになる。
へー、と霊夢が面白そうに、
「いいじゃない、せっかくだし照らしてもらいましょ。……ってかなによさっきから眩しいわね、」
霊夢が鬱陶しそうに横を見ると、陰陽玉までぺかーっと光っている。
霊夢もびくっとして、
「……ちょ、ちょっと待ちなさい! なんで私の陰陽玉まで光ってるのよ!」
天子が、
『……え、本当に光ってるの? 光ればいいなあって思って念じてたんだけど』
「……あのバカ、さては相当改造してるわね!? 『ちょっと便利にしておいたから☆』なんて次元じゃないわね!? 人の道具になにしてくれてるのよあのバカ賢者――――――――ッ!!」
藍は仏像のような顔をしながら心の中で詫びる。ごめん霊夢。でも悪く思わないでやってくれ、紫様にも悪気があったわけじゃないんだ。ただ、ちょっとおバカなだけだったんだ。
魔理沙がからからと笑っている。
「いいじゃないか、今回は役に立つだろ」
「むう……春になったらとっちめて、洗いざらい吐かせてやる」
ぶつくさ言いながら、霊夢が陰陽玉を洞穴の中に飛ばした。人形の光が狭い範囲でも遠くまで届く懐中電灯なら、こちらは広い範囲で周囲を照らす白熱電球といったところか。人形と陰陽玉、二つの異なる光の組み合わせで、洞穴の中は充分すぎるくらいに明るくなった。
魔理沙が短く口笛を吹いた。
「おー、こりゃあいいや。楽に進めそうだぜ」
「……まあ、今回だけは感謝しといてやるか。……じゃあ藍、私たちは行くわよ?」
「ああ」
そのとき、
『――霊夢、魔理沙。聞こえるかな』
陰陽玉から、月見の声が響いた。
「あら、月見さんじゃない。どうかした?」
『うん。お前たち、これから洞穴を下りていくんだろう? その前にちょっと助言をと思って』
霊夢が苦笑した。
「もう。今回は関わらないとか言ってたのに、なんだかんだで世話焼いてくれるのね」
呆れつつも、それをどことなく好ましく思っているような笑みだった。月見さんらしい――きっと、彼女はそう思っていただろう。
陰陽玉の向こうで、月見も息だけで笑った。
『異変絡みじゃないから、ノーカウントってことにしてくれ。……洞穴を通って地底に下りるとき、もしかすると変な釣瓶落としに出会うかもしれない』
「変な釣瓶落とし?」
「なんだそりゃ」
霊夢と魔理沙が首を傾げ、藍も内心疑問符を浮かべた。『危険な釣瓶落とし』ならまだしも、『変な釣瓶落とし』という言い回しは少し奇妙な感じがした。
『疑問はもっともだけど、アレは「変な釣瓶落とし」としか表現の仕様がなくてね。悪い妖怪じゃあないんだ。ただ、ちょっとめんどくさいタイプというか』
紫様みたいな感じかな、と藍は思う。そうかもしれないなあ。月見様はよく変な妖怪に好かれるみたいだしなあ。
『めんどくさいタイプ』と聞いてまっさきに主人が浮かぶ思考回路を疑問に思うだけの常識と良心は、今の藍にはもう存在しないのだ。
『いろいろ、お前たちに変なことを言ってくると思う。でも気にしなくていい。相手にしても疲れるだけだから、無視して先に進んでくれ』
「……月見さんにそこまで言われるって、一体何者なのよそいつ」
『本人曰く、地底世界のアイド――いや、なんでもない。ともかく変な釣瓶落としだよ』
「アイド……なに?」
『なんでもない。忘れてくれ』
「そ、そう」
月見には珍しく、有無を言わさぬ一方的な口調だった。彼自身、余計なことを口走りかけた自分を悔いているようにも感じられた。アイド――なんだったのだろう。アイドル、とかだろうか。地底世界のアイドル。
……いや、そんなまさかな。
『とにかく、ああいうやつの相手は私みたいなのがやればいいんだ。お前たちが巻き込まれることはない』
「そいつ、名前は?」
『キスメ』
「キスメ……ね。わかったわ。もし出会っちゃったら無視する」
『ああ、そうしてくれ』
そのとき、陰陽玉からほんのかすかに、「ふぎゃああああああ」と情けない女の子の悲鳴が聞こえてきた。聞き慣れない声だったので断言はできないけれど、確か水月苑で妖精の遊び相手をしていた、幽谷響子という山彦がちょうどあんな声だった気がする。一体向こうでなにが起こったのか、あー、と月見が小さくため息をついている。
『……引き留めてすまなかったね。それじゃあ二人とも、頑張って』
「はいはい。月見さんも子守り、頑張ってねー」
「宴会の準備でもして待っててくれー」
魔理沙が言い終えた頃には月見は速くも立ち上がっていたようで、「こらこらお前たち、なにやってるんだ」と呆れた声が遠ざかっていき、ほどなくして静かになった。
魔理沙が肩を竦めた。
「……ま、向こうは月見がいりゃあ大丈夫だろ。ああいうの慣れてそうだし」
「実際、あそこは幼稚園でもやってけそうな気がするわ……」
藍も心底そう思う。
ともあれ話を切り上げ、霊夢と魔理沙が洞穴に踏み込む。入口は決して大きくないが、二人とも背が低い女の子なので、飛びながらでも簡単に入っていけた。
「気をつけてね。確か地底へは一本道だったはずだけど、途中に急斜面や崖があるから、ちゃんと飛んでいくんだよ」
「はいはい。んじゃまあ、行ってくるわ」
「健闘を祈ってるよ」
魔物の顎門のような洞穴を、明かりがあるとはいえ二人はなんの物怖じもなく進んでいった。その肝っ玉の太さを頼もしく思いながら、藍は明かりが消えてなくなるまで二人の背中を見送った。
吐息。
正直、断じて不安がないわけではなかった。地底は、地上から姿を消した妖怪たちが築いた都。なぜ彼らが地上から姿を消したかといえば、他の種族と上手く折り合いをつけられなかったからであり、なぜ折り合いをつけられなかったかといえば、彼らが特殊な性格をしていたり、特殊な能力を持ったりしていたからである。
有り体を言ってしまえば、地底には地上よりも面倒な妖怪というのが多い。月見が言っていたキスメとやらも、きっとその類であろう。
二人とも、面倒が起こった場合にはなにかと喧嘩っ早くなる嫌いがある。何事もなく解決できればよいが。
そのとき、
「らんさまぁ――――――――っ!!」
ああこの、聞いた瞬間すべての不安が根こそぎ浄化される天使の声は。
「藍様、ここにいたんですねっ」
所謂親バカというやつなのだろうが、やっぱり橙は世界で一番かわいいよなーと藍は思うのだ。なんといってもとんでもないくらいのいい子である。呼べば嫌な顔ひとつせずマヨヒガから駆けつけてくれるし、藍を見つければこうして眩しい笑顔で駆け寄ってきてくれる。いい子すぎて涙が出てくる。こんなにいい子な式神を持てた藍は、きっと幸せ者に違いない。
「橙、来てくれたんだね」
「私は藍様の式ですからっ」
天使。
「それで、今日はどのような御用でしょうか?」
「ああ、実はね……」
橙の天使っぷりにトロけてしまわないよう気をつけつつ、藍はいま幻想郷で起こっている騒動のことを説明する。橙はちゃんと藍の目をまっすぐ見て、ふんふん頷きながらとても真面目に耳を傾けてくれた。やはり天使。
「なるほど……間欠泉と地底の妖精ですか。そういえば、神社の方角に白い煙がいくつか見えたんですけど、もしかして」
「きっと間欠泉だね。というわけで橙には、間欠泉から変なやつが出てこないか見張るのを手伝ってほしいんだ。それと、もしまだ妖精が出てくるようなら捕まえてほしい」
「わかりました!」
橙がびしっと敬礼をした。紛うことなき天使。
「地底の妖精って、どんな感じなんですか?」
「そうだね……私が見た限りだと、みんな灰色っぽい服を着ていたな」
「あんな感じですか?」
橙が指差した方に目を向けると、人の頭くらいの大きさをした灰色の物体が、ふよふよと森の奥へ入り込んでいくのが見える。
「そうそう、ちょうどあんな感じで――」
いや待て、
「――っていうかあれだ! あれが地底の妖精だ!」
「あれですか!」
「あれを捕まえるんだ!」
「わかりました! ……ふか――――――――っ!!」
(あっかわいい)
ふよふよと宙を飛び回る動きが猫じゃらしに似ていなくもないからか、目の色を変えた橙が元気いっぱいにすっ飛んでいく。
橙はやっぱり天使だなーと、改めて思い知りながら。
緩みそうになる頬にぺちぺちと活を入れ、藍は狩猟本能全開な愛娘の背中を追いかけた。
○
そのころ水月苑茶の間の天子とアリスは、こたつでぬくまりながら手に汗握る激しい心理戦を繰り広げていた。具体的には、なんとか話しかけたいけどあと一歩勇気が出ない天子と、話しかけてくるの!? 話しかけてこないの!? どっちのなの!? と戦々恐々するアリスの、なんとももどかしい沈黙の空間だった。先ほどからずっと、愛想笑いばかりを顔面に張りつけている。
「……」
「……」
今の自分の姿を、昔の自分に見せてやりたいと天子は思う。きっと、バカみたいに大口を開けて唖然としてくれるに違いない。もしくは、こんなのが私なわけないでしょと怒り狂うかもしれない。「なんと言えばいいかわからず話しかけられない」なんて、当時の自分にとっては天地がひっくり返ってもありえないことだった。
こういうときに実感する。月見と出会ってからの自分は、本当に弱くなってしまった。夏の異変を通して、幻想郷での生活を通して、天子は本を読むだけではわからなかったたくさんのことを学んだ。その結果、今まで見えていなかったたくさんのことがわかるようになって、だからたくさんのことが怖くなってしまったのだ。
例えば今のように、「変なこと言ったらドン引きされちゃうかも……!」とか。
「…………、」
「…………、」
しかしまさか、このままなにも話さないでいるわけにもゆくまい。もちろん、自己紹介くらいはちゃんとした。逆を言えば、自己紹介以外は特になにもできていない。異変を無事解決して帰ってきた魔理沙に、「お前らちゃんと仲良くしてたかー?」なんて茶々を入れられてみろ。自己紹介しかできませんでしたと答えたら最後、白い目で見られるだけじゃあ済まない。
魔理沙はいいなあと、つくづく羨ましくなってくる。少し自分勝手で無遠慮なところもあるけれど、それが不思議と愛嬌に思えてしまう魅力が彼女にはある。霊夢だってそうだ。基本的に他人より自分を優先する性格なのに、やっぱり、それが霊夢らしい個性なのだと思わされてしまう。ズルい。羨ましい。天子にもそういう個性が欲しかった。
『ちょっと天子ー、さっきから光がぴかぴかして進みづらいんだけどー?』
「ご、ごめん!」
手元に置いた陰陽玉が霊夢の声で不平をもらしたので、天子は慌てて雑念を振り払った。どうやらこの陰陽玉、平常心を失った状態でも扱えるほど簡単な代物ではないらしい。アリスのことは一旦頭の片隅に置いて、霊夢のサポートに意識を集中する。
「……ど、どう?」
『はいはい、いい感じよ。その調子でよろしくね』
ほっとため息。
このまま霊夢のサポートにだけ集中できれば楽ではあるが、やはりそれではダメだ。アリスが、人形の操作に集中するふりをしながらチラチラと天子を窺っている。天子にあと一歩の勇気が出せないでいるせいで、変に意識させてしまっているのだ。このまま逃げるわけにはいかない。ここで逃げたら、「結局なんだったのよこの人……」とそれはそれで引かれてしまう。
平常心を乱さぬよう気をつけながら、月見ならどうするのだろう、と天子は考えた。天子の憧れであり目標でもある彼なら、アリスとどんな言葉で打ち解けていくのか――。
月見。
稲妻が閃いた。
「あ、あのっ」
「は、はいっ」
遂に来たか、という顔をアリスはした。大丈夫だ、これならきっと彼女も気軽に話すことができるはず。所謂『共通の話題』というやつだ。
言った。
「アリスって、月見とすごく仲良さそうだったけど」
「……へっ!?」
予想外の一言だったらしく、アリスは強烈に面食らった。
「月見とはどこで出会ったのかなー、なんて」
「い、いやあの、仲良いとかぜんぜんそんなんじゃなくて!?」
本人はまったく意識していないし、気づいてもいないはずだ。そうやって慌てて否定すると、反って怪しく見えてしまうのだということに。恥ずかしがり屋で上がり症。とても難儀な性格をしていると思う。
……そうだよね? まさかね?
アリスが三回ほど深呼吸してから、
「あ、あの人とは、香霖堂で出会って」
香霖堂――魔法の森の近くにある古道具屋の名だ。店主の名前は森近霖之助で、月見とは気の合う男友達だと聞いている。
「私、昔から男の人が苦手で……普通に話せるのなんて、霖之助さんくらいで。だから、さすがにちょっと、なんとかしなきゃって思って……」
「それで月見と?」
「月見、さんは、話してても怖くないから……。はじめのうちは、緊張して逃げちゃってたんだけどね」
月見が余計なことを言って、上海人形に耳を引っ張られていた光景が甦る。あれは羨ましかった。私も引っ張ってみたいなあ。怒られるかなあ。お願いしたらやらせてくれないかなあ。
「そ、それに……」
天子が頭の中で盛大に脱線しているとは露も知らず、アリスははにかむように唇を動かして、手元の人形をそっと優しく撫でた。
「私の人形のこと、すごいって、言ってくれたから……」
「……そっか」
天子はちょっぴり誇らしくなった。アリスの人形を褒めている月見の姿が、とても自然に想像できた。自分の目標としている人が自分以外からも認められているというのは、やはり何度見ても嬉しいものだ。
「だから、なんていうか……こう言っちゃうのもどうかと思うんだけど、男の人と話をする練習相手というか。そ、それだけだから、変に勘繰ったりしないようにっ」
「……」
天子は一拍空けて、
「えっと、別に勘繰ったわけじゃないんだけど……ほ、ほら、アリスとなにかお話してみたいなあって思って。月見のことだったら私たち、共通してるし……」
「……、」
アリスはしばらくの間黙り、やがて自分の恥ずかしい誤解だったと理解するなり真っ赤になって、
「そ、そういう天子こそどうなの!? つ、月見さんと仲良さそうだったのはそっちの方じゃない!」
「にゃい!?」
いきなりの切り返しに天子は狼狽した。
「わたし!? わ、私はその、異変のときにすごく助けてもらって、恩人というか目標というか、とにかくそんなで!」
「なんで赤くなってるのかしら!」
「真っ赤なアリスに言われたくないです!?」
『あんたら真面目にやりなさいよ』『お前ら真面目にやれよ』
「「ごめんなさいっ!!」」
怒られた。
これが誰も幸せになれない無益な争いだと気づいた天子とアリスは、揃ってお口にチャックをして、逃げるように自分たちの役目に没頭した。
少し打ち解けられた気がするけれど、なんで話しかける前より一層気まずくなっているのだろう。
アリスを見た。目が合った。お互いすごい勢いで目を逸らした。
ああもう、なにやってるんだろう私。
ぜんぜん月見みたいになれない自分がもどかしくて、天子はさめざめと涙を流した。
○
「ひっさぁつ! わかさぎばすたーっ!!」
「グエーッ!」
ぴちゅーん。
わかさぎ姫渾身のストレートで消し飛ばされた妖精を不憫に思いつつ、月見はだんだん痛くなってきた頭をそっと抱えた。
もちろん、月見は元気に遊ぶ子どもを見守るのが嫌いではない。それは例えば、寺子屋帰りに遊び回る里の子どもたちであったり、きゃっきゃと歓声を上げてじゃれ合うフランと妖精たちであったり、仲よく談笑しながら釣りを楽しむ橙とルーミアであったりする。満点の笑顔で跳ね回る子どもたちの姿は、大人の疲れた心をいつも優しく癒やしてくれる。
しかしやはり、何事にも限度というものはあるらしい。
「てやーっ!」
「「「うりゃりゃりゃりゃりゃ!」」」
池の畔で、わかさぎ姫とオバケ妖精たちが手に汗握る雪合戦を繰り広げている。みんな熱中しすぎるあまりコントロールがお留守になっていて、決して途切れることのない白の弾幕がめちゃくちゃに飛び交っている。とにかく流れ弾がひどく、こっちの方までぽんぽん吹っ飛んでくる。中には水月苑の壁に直撃し、ボルダリングみたいなデコレーションをつけていくものまである。はじめのうちは頑張って尻尾で弾いていたのだが、途中からなんだかどうでもよくなって、月見は遠い目をしながらぼーっと縁側に腰掛けている。
「いい!? あんたたち、絶対崩したりしないでよ! 絶対だからね!」
「「「はーいっ」」」
にとりがかまくらに頭を突っ込み、シャベルを振るって中の空間を作っている。かまくらの上では、オバケ妖精たちがよしきたとばかりにぴょんぴょん飛び跳ねている。
崩れた。
「ぎょあーっ!?」
「「「きゃーっ!」」」
にとりの腰から上をゴツゴツした雪崩が襲う。雪の瓦礫の下に埋もれ、「おのれー謀ったなーっぬおおお」と両脚をバタバタさせるにとりを見て、妖精たちは仲良くハイタッチをしていた。
「ちょ、ちょっと待って! そりってのはもっとなだらかなところで遊ぶやつで、こんな急斜面を滑ったりしちゃダメなの! わかる!?」
反橋の上では、その起伏を活かした高さ三メートルほどの雪山が出現している。そして傾斜角六十度近い急斜面の上では、無理やりそりに乗せられた響子が必死の命乞いをしていて、
「お、押さないでよ!? 絶対押さないでよ!?」
「「「はーいっ」」」
「み゛いいいいいいいい!?」
妖精たちが満面の笑顔でそりを押し、響子は滑走――いや滑落した。勢いよく滑り落ちたそりは先端から地面に突き刺さり、投げ出された響子は雪のカーペットに顔面からふぐうっと突撃した。雪まみれになった響子を見下ろし、妖精たちがやはり仲良くハイタッチをしていた。
さっきから、もうずっとこんな感じだった。お陰様で、雪化粧が美しかった水月苑の庭はすっかりめちゃめちゃであり、あちこちの雪が無残に掘り返され、もしくはあちこちに土の混じった雪の塊がぶちまけられている。妖夢と幽香が見たら貧血で卒倒するのではないか。
現実を直視するのに疲れた月見は、現実逃避も兼ねて背後を振り返ってみた。襖で閉ざされてはいるが、奥の茶の間では天子とアリスが、異変解決に向かった霊夢と魔理沙を一生懸命サポートしているはずだ。
「……」
――異変、か。
この言葉を聞くと、どうも顔つきが生真面目になっていけない。それはきっと月見の中で、あの夏の異変を完全には吹っ切れていないからなのだろう。
もう無闇には関わるまいと心に決めたはずなのに、気がつけば深刻なことばかりを考えてしまっている。
なんだか、霊夢と魔理沙の実力を信用していないみたいで嫌な感じだ。二人とも異変解決のスペシャリストで、スペルカードルールの闘いでは月見なんかよりずっとずっと強いのに。天子とアリスが一生懸命手伝っているのに。
考えすぎだ。
少し、体を動かそう。そう思った。
「づ、づぐみざぁぁぁん……」
ゾンビみたいな声が聞こえたので見てみると、先ほど顔面から雪に突っ込んだ響子が、妖精たちから袋叩きにされて――わいわいと雪をかけられて――雪まみれになっていた。
「……」
月見は周りを見回してみる。崩れたかまくらに上半身を潰されたにとりが、いつの間にかぴくりとも動かなくなっていて、妖精たちに木の棒で尻をつつかれている。わかさぎ姫はあいかわらず、「わかさぎびーむっ!!」「ギエーッ!!」ぴちゅーん! と渾身の剛速球で妖精を粉砕している。
そのとき風が吹いた。舞い上がった雪が顔に吹きつけてきて、月見は一瞬目を瞑り、
「――はい皆さん着きましたよー。ここなら思う存分遊んで大丈夫ですよー」
「「「わーいっ!」」」
目を開けると、オバケ妖精が十匹くらい増えていた。
雪景色と対照的な真っ黒い羽根と、こんな冬でもあいかわらずな短いスカートは、見紛うことなく射命丸文だった。
「……文」
振り向いた文はよそ行きの顔で、
「言われた通り、連れてきてあげたわよ」
確かに、山でみんなからオバケ妖精を押しつけられているときに出くわしたので、他にもいたら連れてきてくれと頼んではいた。頼んではいたが、
「……これはまた、結構いたね」
新しくやってきたオバケ妖精たちが、歓声をあげながら思い思いの場所に散らばっていく。その場で雪遊びを始める者、他の仲間たちと合流する者。何匹かが雪まみれの響子のところに飛んでいって、「なにしてるのー?」「いぢめてるー」「いじめ!?」「私もいぢめるーっ!」「ひいいいいい」と響子と戦慄させている。
数も合わせて三十匹ほどになり、いよいよ幼稚園じみてきた。
文がぼそりと、
「……幻想郷立水月苑幼稚園」
「……」
「語呂悪いわね」
うん、そうだね。
文は、とてもな生暖かい眼差しだった。
「ま、頑張ってね。また見かけたら連れてきてあげるわ」
「……ちなみに、ここで子守りの手伝いをしてくれたりは」
にっこりと愛嬌たっぷりに笑って、
「いーや♪」
また風が吹いて、舞い上がった粉雪が月見の顔を濡らす。袖で拭って目を開けた頃には、もう文の姿はどこにも見当たらなかった。
ダメ元だったとはいえ、まさかああもはっきりと嫌がられるとは。あれで意外と、子どもと遊ぶのは苦手だったりするのだろうか。
ふと、くいくいと袖を引かれた。見下ろせば一匹のオバケ妖精が、死人同然の顔色とは裏腹につぶらな瞳で月見を見上げていて、
「ねーねー、あの河童動かなくなっちゃった。しんだ?」
「……」
忘れてた。
オバケ妖精が指差した先には、崩壊したかまくらの下敷きとなりぴくりともせず、妖精たちに木の棒で尻やら足の裏やらをつんつんされているにとりの哀れな姿。
この状況では貴重な人手なので、月見は急いで救出に向かった。その途中で、妖精たちの遊び道具と化し涙目な響子が、
「づぐみざんだずげでえええええぇぇぇ」
お前は、ひめを見習ってもうちょっと頑張れ。
「わかさぎぼんばーっ!!」
「グエーッ!」
○
不思議なことに、崖を下りていくにつれて段々と周りが明るくなっていった。こんな洞穴の奥深くでどこから光が入ってくるのか不思議だったが、真っ暗よりかは断然よいので深くは考えないでおいた。
底などないのではないかと思われたその長い崖を下り終えると、突如として空間が広がった。しかし、陰陽玉と人形の光があるとはいえ周囲はなお薄暗く、夜目が利かない人間の霊夢にはどう景色が変わったのかよくわからない。
「……ここが地底?」
「いや、まだじゃないか?」
声が反響している。
「おーいアリス、ちょっと光強くしてくれ」
『わかった』
目のライトが一層強くなった人形をむんずと掴んで、魔理沙が周りをぐるりと照らした。ゴツゴツと無骨な岩肌はあいかわらずだが、天井は高く、氷柱めいた形をした岩が霊夢めがけて伸びてきている。入ってきたときはなんてことのないただの洞穴だったのに、随分と立派になってしまったものだ。
前後左右上下と隈なく調べてみるものの、岩以外のものは見えない。
「んー。確か地底って、鬼とかなんとかが都つくってんだろ? それらしいのは見当たらないし、やっぱまだ先だろ」
ため息が出た。
「……結構遠いのね。もっと簡単に行けるもんだと思ってたわ」
「あんま簡単に行けたら、興味本位で行くやつとか出てくるだろうしな。遠くてかったるいくらいの方がちょうどいいんだろ」
なんかまともに返された。ちょっと悔しい。
空間が広がり飛びやすくなった洞穴を、障害物に注意しつつ進んでいく。人生ではじめて見る景色を楽しんだりはしない。それよりもちゃっちゃと異変を解決して、家に帰って宴会をしたりこたつでぬくぬくしたりしたいのだ。
と。
「……?」
妙な気配を感じて霊夢は飛ぶ速度を緩めた。魔理沙が一拍遅れてからそれに合わせ、
「どうした?」
「いや……」
気のせいだろうか。
「なんか、変な声が聞こえたような……」
「声?」
どちらからともなく通じ合い、霊夢と魔理沙は同時に足を止めて耳を澄ませた。するとやはり、前方の彼方から何者かの声が反響してきているのがわかった。
だが、この声の響き方はまるで、
「なんじゃこりゃ。……歌、か?」
「歌……かしら」
普通に喋っているのとは明らかに違う、一定のリズムを刻んで朗々と響く声。遠すぎるためなにを言っているのかまではわからないが、何度考え直しても歌を歌っているとしか思えなかった。
声からして一人。
こんな洞穴の奥深くで。
唐突に思い出した。
「そういえば月見さん……変な釣瓶落としがいるって言ってたわよね」
「……」
こんな薄暗くてじめじめした洞穴で、楽しそうに歌を歌う何者か――『キスメ』の可能性は充分にある。正直嫌な予感がビンビンだったのだが、一本道故に進むしかないので、霊夢たちは諦めて飛行を再開した。
三十秒くらいだったと思う。
「――だーれーかとーめてー♪ だーれーかたすーけてー♪ らんららんららー♪」
「「……」」
霊夢と魔理沙は、聞いたこともない謎の歌を歌いながら右へ左へ振り子運動している桶と出くわした。
見紛うことなく桶である。ボロっちいロープで洞穴の天井とつながれている。歌を歌っているのは微妙に棒読みな少女の声だが、生き物らしい姿はどこにも見当たらないので、ともすれば桶の付喪神のようにも見える。月見から『キスメ』の話を聞かされていなければ、霊夢と魔理沙もそう判断していただろう。
天井から一本の縄で頼りなく吊るされる様は、まさしく井戸の水汲みで使われる『釣瓶』である。
それが「たーすけーてくださーい♪ 見捨てなーいでくださーい♪ るーるるーるるー♪」と歌いながら振り子運動しているのだから、まさしく変な釣瓶である。
すなわちこれは十中八九、『変な釣瓶落とし』のキスメである。
霊夢と魔理沙は一瞬のアイコンタクトで通じ合った。――よし、これは見なかったことにして先に進もう。
が、
「呪ってーやるー♪ しこたまー呪……ん? なんだか明るい……ハッ!? 何奴!」
「「ちぃ……っ!」」
そりゃあ、陰陽玉と人形をペカペカ光らせていれば気づかれる。桶の中からぴょこりと顔を出したのは、緑のおさげを揺らした小さな小さな女の子だった。
うわ中にいたのか、と霊夢は少し驚いた。普通の大きさの桶に頭まですっぽりと入れてしまうくらいなので、少女は本当に小さかった。霊夢でも掌に乗せられるかもしれない。人の姿をしていながらここまで小さい生き物なんて、生まれたての赤子か、妖精くらいしかいないものだと思っていた。
少女がうわっと呻いて、顔を両手で覆った。
「あの、まぶしいのでちょっと暗くしてください」
「あ、ごめん。……天子」
『う、うん……』
薄暗い洞穴で、ひとりぼっちで歌を歌うという少女の奇行に困惑しているのか、天子の返事はやや歯切れが悪かった。
「アリス、こっちは消しちまっていいや。だいぶ明るくなってきたし」
『わかった』
陰陽玉が豆電球くらいの明るさになり、目の光らなくなった人形が魔理沙の肩に戻る。
――いや待て、おかしい。自分たちはこの釣瓶落としを無視して先に進むはずではなかったか。これでは自ら話をしようと言っているようなものではないか。いやいや待て待て、この釣瓶落としが『キスメ』と百パーセント確定したわけではないし、異変について重要な手掛かりを知っている可能性だって否定できない。無視して進むのは、少し話を聞いてみてからでも大丈夫ではないか。
少女が桶もろともぶらぶらしながら言う。
「人間だ。珍しい。食べていい?」
「シバくわよ」
「いきなりの暴力宣言。最近の人間って凶暴なのね」
……大丈夫よね?
魔理沙が顔をしかめて、
「おい、人と話するときくらい揺れんのやめろよ」
「とーめーてくださーい♪ じぶーんーではー、とまれなーいのー♪」
「魔理沙、待って。まだ殴るのは早いわ」
「最近の人間ってほんと凶暴……」
笑顔で青筋を浮かせている魔理沙を宥めつつ、霊夢は手っ取り早く本題に切り込むことにした。
すなわち、この少女は『キスメ』か否か。
「あんた、何者?」
振り子運動のまま少女はおでこにピースサインを添え、バチンと元気なウインクを炸裂させた。
「地底世界のアイドル、キスメちゃんです☆」
「さあ魔理沙、先を急ぐわよ」
「おっけー」
「ちょっと」
そうだよなあ、と霊夢はため息をついた。薄暗い洞穴で独りでぶらぶら揺れて「たーすけーてくださーい♪」とか歌うヤツが、『変な釣瓶落とし』でないわけないじゃないか。どうして自分は、話すだけ話してみようなんて考えてしまったのだろう。三十秒前の自分を猛省する。
桶を素通りして先に進もうとすると、背後でキスメが喚いた。
「こら待ちなさい、説明を要求します。なんでいきなり私のこと視界から抹消してるの」
「そうしろって月見さんが」
「え、月見? ……もう月見ったら、こんな人間にまで私のこと話したのね。これはデレ期の予感。やはり私のかわいさにかかればあのツンデレ狐もイチコロで――待って待って行かないで。無視しないでツッコんでよこのあんぽんたん」
月見さんったら、こんなのとまで知り合いやってるのね――つくづく、あの狐の心の広さには感心を通り越して呆れるばかりだ。何千年もの年月で培われた彼の処世術には、どうやら『関わりたくないタイプ』という線引きが存在しないらしい。もしくは変な妖怪に好かれやすい体質が災いして、問答無用で寄りつかれているのかもしれないが。
陰陽玉から天子の声が響いた。
『ね、ねえ霊夢……いいの? なんかすごく騒いでるけど』
呪ってやるうううううとキスメがぶんぶん揺れまくっている。霊夢は素っ気なく答える。
「いいのよいいのよ。あいつは無視して進んだ方がいいって、月見さんが言ってたでしょ」
『……そっか? それもそうだね』
振った霊夢が言うのもなんだか、こいつあっさり納得しやがった。さすが月見依存症。
『明かり、要る?』
「あー……大丈夫よ。もう結構明るいし、目も慣れたし。これならいきなり妖怪が出てきても」
「出てきても?」
すぐ横にいきなり妖怪が出てきたので、霊夢は御幣で五回くらいビシバシぶっ叩いた。
うずくまってぷるぷるしている妖怪を半目で見下ろし、
「――ま、こんな感じでへっちゃらよ」
『なるほど』
「こらああああああああっ!!」
妖怪が飛び跳ねるように勢いよく立ち上がった。魔理沙がすかさず、
「なんだ妖怪か! 喰らえ『マスター」
「揃いも揃ってなに出会い頭に問答無用で叩きのめそうとしてくれちゃってんの!? 通り魔か!」
「失礼ね。いきなり襲いかかってきたあんたが言えたセリフじゃないでしょ」
「襲いかかってないんだけど! ただ横から声掛けただけなんだけどっ!」
「まあそういう見方もあるわね」
「それ以外の見方なんてないよ!?」
「なんだ、またやかましいやつが出てきたな」
「一体誰のせいだと!」
薄暗い中でもはっきりとわかる金色の髪を、元気よくポニーテールにした少女だった。具体的な種族まではわからないが、怒るあまり妖気がダダ漏れになっているので、やはり妖怪であるのだけは間違いない。
後ろからキスメが手を振ってきた。
「ヤマメだー。おーいヤマメー」
「……あんた、あの釣瓶落としの知り合い?」
ヤマメと呼ばれた少女は「あ、あー」と歯切れの悪い愛想笑いをして、しばらく悩んでから、
「う、うん……まあ」
「「……あ、そう」」
「あーっほら出たよ『こいつも頭おかしいやつじゃないだろうな……』って疑り深い目ッ! キスメの友達やってるとほんとこんなんばっかだよ!」
「「友達……」」
「お願い引かないで!?」
「待ってください、全力で抗議します。私は頭おかしくなんかない、ただちょっとお茶目なだけ。てへ」
今ならわかる、なぜ月見が「無視して先に進め」と助言してくれたのか。霊夢もタイムマシンで過去に遡り、二分前の自分にそう警告してやりたい気分だった。月見さん、やっぱりあなたは正しかったわ。ごめんなさい、約束守れなくて。
だがまあ、目をつけられてしまったからには仕方ない。どうせだったら異変について尋ねて、少しでも情報を得ておこうと思う。
「ねえあんたたち、真面目な質問するから真面目に答えてね。いま幻想郷で突然間欠泉が発生して、地底の妖精が湧いて出てきちゃってんのよ。なにか知らない?」
ヤマメはきょとんと首を傾げた。
「なにそれ。知らないよ」
「そう……ならいいわ」
キスメが、
「そんなどうでもいいことより月見のお話しよ」
よしさっさと先に進もう。
と見切りをつけて飛ぼうとするのだが、ヤマメが慌てて前に立ち塞がって、
「っとと、待った待った。せっかくだしもうちょっとゆっくりしてきなよ」
「なに、お茶でもご馳走してくれるの? 言っとくけど私は日本茶ね」
「私は紅茶で頼むぜ」
「息するみたいに図々しいねアンタら!?」
うるさいわねさっさとどきなさいこっちは急いでるのよ叩きのめすわよ。そんな苛立ちを込めて睨みつけてやるのだが、反って悪手だったらしく、ヤマメは上等だと言うように笑みを返してきた。
「お、いい目だね。……ここってこんな場所だしさ、普段から誰も通らなくて結構退屈なんだよ。人間なんて何十年振りかな」
「引っ越せよ」
「ねえ、人が喋ってるトコにいちいち水差さないでくれる?」
魔理沙が渋々と黙る。ヤマメは咳払いをして、
「まあそういうわけで――ちょっと、私の退屈しのぎに付き合ってみない?」
スペルカードを、抜いた。
弾幕ごっこでやり合おうという、意思表示だった。
霊夢は頭を掻き、ため息をついた。
「……まったく。そんなに叩きのめされたいのかしら」
「勇ましいねえ。いいよ、思いっきりかかってきな」
そして、キスメが、
「ふふ、ヤマメ楽しそう。ヤマメったら痛いの結構好きだもんね」
「ごめんやっぱ予定変更。まず三人であいつシメない?」
「妙案ね」「妙案だな」
「えっちょ、」
ふと不安になる。まだ旧都にすら辿り着いていないのにいきなりこんなやつと出会ってしまって、ここから先は大丈夫なのだろうか。ひょっとすると地底の住人とは、どこもかしこもこんな感じの曲者揃いだったりするのではないか。そんな世界に体ひとつで足を踏み入れて、自分は無事異変の黒幕を見つけ出すことができるのだろうか。
なんだか、今までで一番面倒な異変になるような気がしてきた。その予感が、どうか当たってくれるなと神に祈りつつ。
「――ふ、ふふふ、どうやら私はここまでみたいね。でも覚えておいて。この私を倒しても、いつか第二第三の私が必」
絶叫。
静寂。