銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第90話 「草の根妖怪ネットワーク・抜け首編 ①」

 

 

 

 

 

 一年のうちでどの季節が好きかと問われれば、月見はやはり秋と答える。

 なんといっても、過ごしやすい。これに勝るものはない。夏ほど暑すぎず冬ほど寒すぎず、秋晴れ空の爽快さといったら訳もなく散歩に出掛けたくなるほどだ。おまけに紅葉は美しいし、食べ物は美味しいし、完全無欠とはまさにこのことではないか。

 

「……本当に、いい季節だよなあ」

 

 水月苑に架かる反橋の上からぐるりと見回してみると、改めて月見はそう思わざるをえない。水月苑を囲む山の木々はもちろんのこと、もともと美しかった庭の景観が、紅葉によってまさに息を呑むほどまで深まっている。空は申し分のない快晴で、耳を澄ませば秋風とともにささやく木々の声、池に流れ込む川のせせらぎ、ぴちょんとどこかで魚が跳ねた音。ついついため息が出てしまう。

 水月苑を見る。

 もちろん、はじめはいろいろと悩むことも多かった。一人暮らしの家としては明らかに大きすぎるし、温泉なんかがついているせいで温泉宿をやる羽目になるし、普通の家でいいと再三念を押したにもかかわらずこんなものを造りあげてしまった藤千代たちの身勝手さには、何度ため息をついたかも覚えていない。

 けれど、なんだかんだで。

 広すぎる屋敷は咲夜や藍をはじめとする少女たちのお手伝いで綺麗に保たれているし、温泉の利用客はみんな常識的に楽しんでいってくれるし、庭は妖夢と幽香の徹底的な管理で美しく輝いているし。

 そして、知人友人があちこちから気軽に集まり、笑ったりなんだり気ままに騒いで、月見を退屈させてくれない場所。

 こんな素晴らしい屋敷を持てた月見は、感謝するべきなのだろう。

 今日も佳き一日になりそうだと、そう思う。

 

「さて、そろそろ行こうかな」

 

 つい秋の絶景を前にして考え込んでしまったが、月見はもともと散歩に行こうとしていたのだ。せっかくこんなにも清々しい天気なのだから、紅葉で染まった森の中を行くのもよいと思って、空は飛ばず、月見はのんびりと歩き出す。

 

「……ん?」

 

 その間際、視界の端をなにかが掠めた。

 それは、水月苑の池をぷかぷか浮かんで漂っていた。サッカーボール程度の大きさで、大きなリボンのようなものをつけている。今はもう夏の話だが、川で涼を取っていた河童が、惰眠を貪っているうちにここまで流されてくるなんてことがあった。

 それと似たような手合いかと月見が目を凝らしてみると、

 

 後頭部であった。

 より詳しくいえば、生首であった。

 

「……、」

 

 月見は絶句した。目の前の光景が意味している事実を、察しつつもすぐには呑み込むことができなかった。

 しばらくの間、小鳥だけが鳴いていた。

 ようやく細いため息をつき、月見はゆっくりと天を振り仰いだ。澄み渡る秋の青空が、なにかの皮肉のように思えてきた。妖怪に襲われた人間の成れの果てか、もしくは妖怪同士の縄張り争いの成れの果てか――どの道あれでは生きてはいまい。

 まぶたを下ろし、呟く。

 

「……墓を作らないとな」

 

 わかってはいたはずだ、皆が皆争うことをやめた平和思考な妖怪ばかりではないと。無縁塚だけに限らず、それは妖怪の山でも同じであると。むしろ、今までこうした光景と出くわさない方が不思議なくらいだったのかもしれない。

 生来獣故か勘は悪くない方なのだが、やはり当たらないときは当たらないようだ。

 今日は辛抱の一日になるかもしれない――そう唇を噛み締めながら月見は顔を上げ、

 

『ガボガボ』

「……は?」

 

 再び絶句した。

 生首が、あぶくを上げている。まるで生きているかのように。いや、生きていないのだったら起こるはずのないことだが、しかしいくら妖怪でも生首だけになってまで生きているとは考えづらい。すわ物の怪の類かと――他でもない自分自身が物の怪なのに――思いかけたところで、はっと気づいた。

 

「――そうか、抜け首か」

『ガボガボガボ!』

 

 抜け首――中国の妖怪『飛頭蛮』の流れを汲む、首が胴体から分離し飛び回ると伝えられる妖怪だ。その性質から『ろくろ首』と同一視されることが多いが、元は別々の妖怪で、それどころか抜け首が原型となってろくろ首が生まれたとさえいわれている。月見が狐の祖、そして藤千代が鬼の祖であるなら、抜け首はまさにろくろ首の祖。天狗や河童と比べれば地味な知名度とは裏腹に、幻想界隈ではさりげなく大きな役割を果たした妖怪なのである。

 

「……なるほど、そういうことか」

『ガボガボゴボガボ!?』

 

 月見は胸を撫で下ろした。なにゆえ首だけが池で浮かんでいるのかは不明だが、ともかくあれが抜け首であれば、月見の心配はまったくの杞憂だったことになる。どうやら、今日はつくづく勘の当たらない日であるようだ。まったく、こんな朝っぱらから随分と人騒がせな妖怪で

 

『ガボガボガボゴボガボガボゴボガボッ!!』

 

 月見は慌てて生首を救出した。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……いやはや、お陰様で命拾いをしました。ありがとうございます」

「いや、むしろすまなかったね。もっと早く助けるべきだったろうに、つい驚いてしまって」

 

 生首は案の定抜け首であり、嘘みたいに真っ赤な髪に大きなリボンの女の子であり、名を赤蛮奇といった。体がないので想像だが、見た目は霊夢や魔理沙と同い年くらいの少女で、実際の身長もそれくらいだと思われる。人に紛れて生きるろくろ首の始祖らしく、人里の外れに居を構え、里人のふりをしてこっそりと暮らしている妖怪だという。

 赤蛮奇の頭がかすかに動いた。どうやら首を振ろうとしたらしい。

 

「庭の池に生首が浮いていれば仕方のないことと思います。あまりお気になさらずに」

「そういってもらえると助かるよ」

 

 溺れたショックで喜怒哀楽を忘れてしまったかのように、顔の筋肉は無表情からぴくりとも動かない。その静かな見た目に背かずとても落ち着いた話し方をする少女で、月見は真っ当に感心した。先日に多々良小傘という強烈すぎる付喪神と知り合い、そして今朝の池を漂う生首と来たものだから、また変な妖怪が出たんじゃないかと不安に思っていたのだ。久し振りに、常識的でまともな妖怪と出会えた気がした。

 そんな赤蛮奇の首を、タオルを敷いたテーブルの上に置き、月見は妖術で風を送って、彼女のびしょ濡れの髪を乾かしてやっていた。そういう妖怪とはいえまさか生首の髪を乾かす日がやってこようとは、夢にも思っていなかった月見である。人目を避けるため茶の間の襖をすべて閉じ切っているが、誰かに見られでもしたらとんでもない誤解をされそうだ。

 赤蛮奇が、「むむむ」とふかふかのタオルの上で唸った。

 

「とてもお上手ですね。やはり温泉宿の旦那様となれば、お客の髪を乾かすことも多いのでしょうか」

「まあ、一部の知り合いなんかはね」

 

 名前を挙げれば、輝夜とフランが特に。お陰様で、腕前には多少自信がある。

 

「赤蛮奇は、人里で暮らしてる妖怪らしいけど」

「ああ、そんなご丁寧にお呼びくださらなくても結構ですよ。長くて呼びづらいですからね、親しみを込めてばんきっきとお呼びください」

「……」

「冗談です」

 

 おかしい。確か月見の勘によれば、久し振りにまともで常識的な妖怪と出会えたはずではなかったか。まさかまたそっち系の少女なのか。小傘に続いて二回連続なのか。幻想郷の妖怪はそんなばっかか。

 

「話を戻しますと、確かに私は人里で生活しておりますが」

「ああ、ええと」

 

 月見はひとまず判断を先送りにし、

 

「私も人里にはよく行ってるけど、今が初対面だよなと思って」

 

 もちろん月見とて、人里を隅から隅まで知っているわけではないし、住人を一から十まで記憶しているわけでもないが、その点赤蛮奇はとても特徴的な容姿をしている。抜け首だし、髪は綺麗な赤色だし、霊夢にも負けない大きなリボンを――今は髪を乾かしているので外しているが――身につけている。たとえ直接会わずとも、姿を見かけさえすればそれだけで記憶に焼きつくだろう。

 首だけで赤蛮奇は器用に頷いた。

 

「ええ、旦那様とお会いするのははじめてになります。もっとも、そのお噂は幾度となく音に聞いておりますが」

「……そうか」

「こんなナリの妖怪ですからね、あまりおおっぴらに里を歩くわけにもいかないのです。首が取れて子どもに泣かれること数知れず、ご老人の中には卒倒し仏になりかける者もおりました。……もちろんカモフラージュはしているのですが、何分私、取れやすい体質でして」

「それはまた、難儀だね」

 

 曰く、ちょっと肩がぶつかっただけでも危ういとのこと。そこまで行くと、首を胴体から切り離すことのできる抜け首というよりかは、元々切り離されているデュラハンあたりが近いような気もする。里でふとした拍子に首が落ちてしまい、近くの老人が泡を吹いて成仏しかけたという事件を経て、彼女は必要以上の外出を控えるようになったのだそうだ。

 

「驚かれること自体は、私も妖怪なので喜ぶべきことなのですが。ただ、それで里に居づらくなってしまっては困りますので」

「なるほどね」

 

 月見は納得した。そうであれば、不意の事故で首が池に落ちてしまったとしても不思議では――いや、やはり不思議だ。近くに赤蛮奇の体はなかったし、だから彼女は今、首だけの姿で月見に髪を乾かされているのだ。ふと立ち寄った際に落としたわけではなく、それなりに離れたところから首だけが飛んできた、もしくは流れてきたということになる。この子に一体なにがあったのだろうか。

 

「それで、あまり外を出歩かないお前がなぜここの池に?」

「……」

 

 沈黙、

 

「……赤蛮奇?」

「あ……申し訳ありません。実は、そのあたりの経緯はよく覚えていなくて」

「覚えていない?」

 

 ええ……と赤蛮奇は首だけで俯く。

 

「今日は大変いいお天気でしたので、友人に会いに行こうと思い颯爽と家を出たところは覚えています。それがどうしてあのようになってしまったのか……ひょっとするとこれが、事故による一時的な記憶の混乱というものでしょうか。本で読んだことがあります」

「……そうかもね」

 

 顔はあいかわらずの無表情なのに、今は少しだけ楽しそうに見えた。

 

「貴重な体験ができたのは喜ばしいのですが、少し困りました」

「体がどこに行ったかだろう?」

「はい」

 

 抜け首は首と胴体が完全に分離する妖怪と思われがちだが、実はそうではない。一見するとそう見えるというだけの話で、本当はしっかりと糸でつながっている。それは精神、或いは魂といった類のもので形作られた目には見えない糸であり、だから世の抜け首たちは、頭が胴体から落ちてしまっても自分で拾ってつけ直すことができる。首が伸びる妖怪ことろくろ首も、本当に首が伸びているわけではなく、頭と胴体をつなぐ魂の糸が彼らの場合は目に見え、かつそれが首のように見えてしまっているというのが真実なのだ。

 そんな抜け首諸氏にとって生命線ともいえる魂の糸だが、もちろん伸びる範囲には限界があり、胴体から離れすぎるとプツンと切れてしまう。そうなるといよいよ脳の命令が胴体まで届かなくなってしまい、結果、動き回る生首と動かなくなった胴体の二つができあがる。

 つまりは今、幻想郷のどこかで、司令塔を失った赤蛮奇の胴体が首なし死体のように転がっているのだ。

 

「それほど離れていなければ、なんとなくどこにあるかを感じ取ることはできるのですが……少し離れすぎてしまっているようです。何事もなければいいのですが」

 

 死体と間違われて埋められてしまうかもしれないし、発見者次第では喰われてしまう可能性もありうる。嘘か真か、抜け首はしばらく胴体に戻らないでいると死んでしまうという。

 

「助けていただいたお礼もできていませんが、申し訳ありません、このあとすぐ捜しに行こうと思います」

「そうだね。そうした方がいい」

 

 月見は妖術で生み出す風を強めながら、

 

「……捜すの手伝おうか? その状態で一人で捜すのも大変だろう」

 

 飛び回れるから移動には困らないとはいえ、手足もないとなればかなり不自由のはずだ。胴体を捜す上でもそうだし、もし途中で誰かに襲われでもしたらなぶり殺しにされてしまう。

 赤蛮奇の頭がもぞもぞと動いた。多分、月見の方を振り返ろうとしたのだと思う。

 

「……よろしいのですか?」

「もちろん。このままだと気になって散歩もできそうにないしね。用心棒程度の役には立つよ」

「なるほど、一理ありますね。確かにこのままでは、誰かに襲われたとしてもほとんど抵抗すらできません」

 

 水月苑から見送ったのが彼女の最期の姿だった、などとなってしまっては月見としても大変目覚めが悪い。そうでなくとも、ちゃんと体を見つけられたのか気になって気になって夜も眠れなくなりそうだ。明日の朝を清々しい心で迎えるため、彼女に力を貸すのは吝かでないのである。

 

「では、厚かましくもご協力いただいてよろしいでしょうか」

「ああ。それじゃあ、ちゃっちゃと乾かしちゃうよ」

「はい」

 

 妖術の風を更に強め、月見は急いで、しかし決して乱暴にはせぬよう細心の注意で手を動かす。

 その後リボンを付け直すところまでやったところ、「本当にお上手ですね……プロの犯行です」とよくわからない方向で感心された。

 フランの髪を乾かすとき、ついででサイドテールを作るところまでやっている成果だと思う。たぶん。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 まず月見と赤蛮奇は、池に流れ込む川の流れを上流へ辿ってみることにした。意外と川幅のある小川のため、夏の間はよく、上流で昼寝をしていた河童がそのまま流されてくることもあった。それを考えれば今回の赤蛮奇もやはり、川上でひょんなことから転落してしまい、首だけが水月苑まで流されてきたのではないか。この川のどこかで、赤蛮奇の体がひっかかっていたとしてもおかしくはない。

 川の真上を飛びながら目を凝らす月見の横で、生首少女もふよふよ浮遊しながら目を光らせている。生首と一緒に空を飛んでいる自分の姿は、傍目から見るとどのように映るのだろう。幸いにも、いつも山を哨戒している下っ端天狗とはまだ出くわしていない。

 赤蛮奇が細いため息をついた。

 

「むう、しばらく登ってみましたがなにもありませんね。やはりそう簡単には行きませんか」

「そうだね」

 

 強いて言えば、頭にデカいたんこぶをつけた河童が一匹ぷかぷかと流されていったが、幻想郷ではよくある光景である。

 

「なにか思い出したことは?」

「いえ……ですが、なぜでしょう、先ほどから頭が少し痛みます。記憶が失われても、体が覚えているのでしょうか。このあたりでなにかがあったのだと」

 

 月見はいま一度眼下を見下ろす。このあたりは森が開けていて見晴らしと風通しがよく、川縁の勾配もなだらかである。足を滑らせて川に落ちる、なんてことはなさそうだが。

 

「そちらの式神はどうですか?」

「いや、こっちもまだ特には。……捜し物をするには範囲が広すぎるからね」

 

 赤蛮奇の記憶喪失がとにかく痛い。どこで胴体と離ればなれになったのかがわからない以上、捜索範囲はこの山と、人里からここへ至るまでの土地全体にまで及ぶ。言葉にするだけなら簡単だが、それだけで幻想郷の総面積の三割ほどにはなるはずだ。飛ばした式神もとりあえず手元にあった数十程度でしかなく、捜索範囲を隈なくカバーするのは不可能に近い。

 それに、赤蛮奇の体が必ずしも見える範囲に隠れているとは限らないのだ。死体と間違われて持ち去られてしまった、埋められてしまった、あらゆる可能性が否定できない。目の数だけに頼った戦法では危険である。

 

「……よし、じゃあやり方を変えてみようか」

「と、言いますと?」

「この先に河童の里があるから、そこで聞き込みをしてみよう。もしかしたらなにか知ってるやつがいるかも」

「なるほど。妙案です」

 

 変な噂が立ちそうなのであまり人と会いたくはないのだが、四の五の言ってはいられまい。躊躇している間に手遅れになる可能性だってあるのだ。このあたりの捜索を式神に任せ、月見は生首とともに飛んでいく。

 (つつが)なく聞き込みができればベストだが、まあ無理だろう。

 なのでどうか、聞き込みの目的だけは最低限果たせられますように。

 

 

 

 

 

 

「――つ、月見っ……! そうだよね、月見も妖怪だから生首飛ばして散歩したくなるようなバイオレンスな気分のときだってあるよね!? 大丈夫っ、私は月見の味方だよ!」

「いや、これは」

「ばあ~っ」

「ひょおおおおおおおおいっ!?」

 

 そしてにとりは池に落ちた。

 にとりに体当たりをしておどかした赤蛮奇が、首だけではあるがえへんと胸を張るような仕草をした。

 

「やりました」

「なにやってんのお前」

 

 にとりは浮かんでこない。

 

「人間をおどかすと里にいづらくなってしまう可能性がありますが、妖怪はその限りではありません。せっかくなのでおどかしてみました」

 

 余計なことを。

 ようやく浮かんできたにとりが、

 

「ぶはっ!? びっ、びびびびびっびっくりしたあっ!? さてはあんた抜け首だな!?」

「ふふん、気づくのが一歩遅かったですね」

「くうっ、生首連れて歩くバイオレンス月見に気を取られてそこまで頭回んなかった……!」

 

 バイオレンス月見とは一体なにか。

 さておき、河童の里である。技術者集団の里だから近代化が進んでいるのかと思いがちだが、実際は山の恵みを存分に享受し、豊かな緑と清らかな小川にそっと寄り添う長閑な原風景である。しかし耳を澄ませば、川のせせらぎや小鳥のさえずりに混じって、どこからか金槌で金属を打つ音が聞こえてくる。にとり曰く、技術と自然は共存できるんだよ! という。

 今日もたくさんの河童が水浴びして遊んでいる里一番の池から、にとりはようやくのろのろと這いあがった。河童の技術で撥水加工を施しているのか、服が見事に水を弾いている。

 

「うー、してやられたー。どうせおどかすならみんなまとめてやってよ、なんで私だけ……」

「ナイスリアクションでした」

「ふーんだ」

 

 空飛ぶ生首に尻込みしていた周りの河童たちが、ただの抜け首というオチにほっと胸を撫で下ろしている。見事におどかされて悔しいにとりは、ちょっぴり不機嫌な目で赤蛮奇を見返す。

 

「で、抜け首が私らの里になんの用? おどかすんならよそでやってよ」

「実は、ちょっと困り事でね」

 

 この生首少女に喋らせると話がこじれそうな気がしたので、すかさず月見が事の経緯を説明した。今朝、水月苑の池に赤蛮奇がいきなり生首で浮かんでいたこと。どうやら胴体と離ればなれになってしまったらしいが、彼女は記憶が混乱しておりなにがあったのか思い出せないでいること。なので胴体捜しをする一環で、ここまで聞き込みにきてみたこと。

 

「抜け首の体ねえ……首がここにあるってことは、その体はいま首なしなわけだよね。私はそんなの見てないなあ」

「そうか……」

 

 にとりは池周辺の仲間たちに向けて、

 

「みんなーっ、今日このあたりで首なし死体見た人いるー?」

「首なし死体ではありません、新鮮ぴちぴちのまいぼでぃです」

 

 にとりは笑顔で無視した。

 周りの河童たちもみんな揃って首を傾げるばかりで、それらしい返事は返ってこない。にとりが肩を竦め、

 

「狭い里だしさ、そんなの見かけたやつがいたらすぐ話題になるよ。というわけで、ウチらへの聞き込みは空振りじゃないかなー」

「むむう……一体どこへ行ってしまったのでしょう、まいぼでぃ……」

「聞き込みだったら、私らより天狗にした方がいいんじゃないの? 山中飛び回ってるんだし」

「……天狗かあ」

 

 月見は渋い顔をした。にとりの意見はもっともなのだが、

 

「新聞に変なこと書かれそうだなあ」

 

 中には文をはじめ、記者としてのプライドを持って新聞作りに打ち込んでいる者もいるが、そんなのは圧倒的少数派で、ほとんどにとっては所詮趣味の域を出ていない。故に天狗の新聞というものは、如何に正しい情報を正しく伝えるかよりも、語るに易く聞いて楽しいようしばしば脚色される傾向にあることを、月見は春の新聞選びで実感していた。生首を従えて出歩く妖怪、なんていかにもあいつらが好きそうな話ではないか。向こうから見られてしまうのは仕方ないとしても、こちらから見られに行くのは少し気が引ける。

 

「にゃはは、それは月見の人徳次第だよ。月見ならありえるかも……! なーんて思われちゃったら、明日の一面はきっとバイオレンス月見だね」

 

 人徳関係なく、あいつらなら面白半分であることないことをでっちあげそうだが。

 しかし、生首少女の方はすでにやる気満々になっていて、

 

「なるほど、素晴らしいご意見です。旦那様、早速向かってみましょう」

「……了解」

 

 月見は心の中で首を振り、悪い考えをそっと奥の方へ押しやった。かっけらかんとした赤蛮奇を見ているとつい失念してしまうが、今が彼女の命にも関わりかねない緊急事態だということを忘れてはならない。それが赤蛮奇を助けることにつながるのなら、月見は私情を押して最善を尽くすべきだ。なにかあったときに後悔するのは、どうせ自分自身なのだから。

 出発しようとした月見たちの後ろ姿を、にとりがふと呼び止めた。

 

「あ。そこの生首、ちょっと待った」

「生首ではありません、私は赤蛮奇で――むむ?」

 

 彼女は藪から棒に赤蛮奇の頭を抱え込み、にいっと大胆不敵に笑って、

 

「――よくもさっきはおどかしてくれたなあああああっくらえええええええええ!!」

「おうっ!?」

 

 そのままトライを決めるラグビー選手よろしく、どっぱーんと池に飛び込んだのだった。

 ……ああ、また髪を乾かす手間が。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……いやはや、一日に二度も池へ落下し、その両方で殿方に髪を乾かしていただけるとは。貴重な体験です。人生経験がみるみる豊かになっています」

「……よかったね」

 

 さらさらヘアーを取り戻したプラス思考な生首を連れて、月見は再び山の空を飛んでいる。ただしあまり人に見られたい状態でないのは変わりないので、飛んでいるのは木々の上ではなく森の中である。もちろん、転がっている赤蛮奇の体を偶然見つけられるのではというほのかな期待も込めている。

 できれば誰にも出会うことなく天狗のところまで行きたかったのだが、たくさんの人外が暮らす山でまさかそんな都合のいい話があるはずもなく、行く手の木の枝に一人の少女が腰掛けていた。服を見ただけで一発で誰だかわかった。

 

「おや、雛だ」

 

 月見は少し安心した。厄神の鍵山雛は、月見が知る人外の中では指折り常識的で話のわかる少女だった。紫と違ってはっちゃけていないし、萃香と違って飲んだくれではないし、レミリアと違ってプライドが高くもなく、キスメと違って変な性格でもなく、小傘と違って思い込みが激しくもない。また椛のように、一見まともに見えながらも最近怪しい趣味を――主に操によって――開発されつつあるわけでもない。個性あふれる幻想郷の住人の中では地味かもしれないが、それ故に月見にとっては、数少ない清涼剤的な友人なのだ。

 彼女なら、今の月見を見ても変な誤解をすることはあるまい。せっかくなので赤蛮奇の体を知らないか訊いてみようと思い、

 

「おーい、雛、」

 

 声が届くくらいの距離になったところで、ようやく気づいた。あの少女、木の枝に腰掛けたままうつらうつらと舟を漕いでいる。

 胸の空くような秋晴れの昼日中である。日差しはぽかぽかと暖かく、風は涼しく爽やかで、葉擦れの音は子守歌のように優しく心地よい。なるほど確かに、この大自然に抱かれればまどろんでしまうのも仕方ないかもしれない。

 

「お昼寝してるみたいだね。邪魔しちゃ悪いかな」

「そうですね」

 

 そう言って月見は足を止めた。赤蛮奇は軌道を斜め上に修正し、雛めがけてふよふよと飛んでいった。

 ……ん?

 

「どうした? なにか見つけたか?」

 

 赤蛮奇は平然と、

 

「せっかくなのでおどかします」

 

 おいコラ。

 月見が止める間もなく、赤蛮奇はまどろむ雛のお腹にぽすんとアタックをした。目を覚ました雛が、「ひゃっ」と小さな悲鳴をあげてソレを受け止める。お腹のところを見下ろせば、そこにあるのは当然少女の生首である。

 三秒、

 

「――ばあ~っ」

「ぅきゃああああああああああっ!?」

「ぉぼふっ!?」

 

 雛が赤蛮奇を木の幹に叩きつけた。そしてその拍子にバランスを崩してしまい、

 

「あっ、」

 

 後ろにひっくり返って真っ逆さま。月見はすぐに尻尾を伸ばし、雛の体にくるりと巻きつけて受け止めた。

 

「つ、月見……っ!」

 

 地面に下ろされるなり、彼女は月見の腕を掴んで涙目で、

 

「お、おばっ、おおおっおばっおばばっおっおばけっ」

 

 そりゃあ、目を覚ましたらお腹のところに生首があったとなれば、誰だって死ぬほど驚く。月見は雛の肩を叩いて、

 

「大丈夫だよ雛、あれは抜け首だ」

「ぬ、ぬけくび」

「ああ。……おい赤蛮奇、いたずらも大概にしてくれ」

「うぐぐ……人を呪わば穴二つ。なかなかの一撃でした……」

 

 赤蛮奇が、墜落寸前のUFOみたいになりながらふらふらと下りてくる。おでこが見事なくらい真っ赤になっている。それ即ちこの生首が肉体を持っているということであり、決してオバケの類ではないことの証明である。

 ようやく事態を飲み込んだ雛は、

 

「……び、びっくりしたあああああ……」

 

 へなへなと脱力し、その場にがっくり座り込んでしまうのだった。

 

「大丈夫か?」

「しぬかとおもったあああああ……」

「ナイスリアクションでした」

「……ぐすっ」

 

 赤蛮奇に謝罪をさせつつ、先ほどのにとり同様、月見が事のあらましを説明する。そしてこのあたりで首のない体を見かけていないか尋ねるのだが、雛からの返事は芳しくなかった。すっかりご機嫌ナナメな彼女はぷいとそっぽを向いて、

 

「知らないわよ、そんなの。首なし死体なんて見かけたら絶対覚えてるはずだし」

「いえ、首なし死体ではなく新鮮ぴちぴちのまいぼでぃで」

 

 雛は無視した。

 

「まったく……あいかわらずあなたのところには、変な妖怪ばっかり集まるんだから」

「……ははは」

 

 多々良小傘の姿が脳裏を過り、咄嗟に否定できない月見である。

 

「……ともかくそういうわけだから、もしそれらしい首なし死体を見かけたら、埋められたり食べられたりしないよう計らってくれると助かるよ」

「ですから首なし死体ではなく」

 

 月見は無視した。

 

「ほら、行くよ」

「む、そうですね。事態は一刻を争います」

「もぉ~、せっかく気持ちよくお昼寝してたのに……」

「すまなかったね」

 

 ここまで来れば、さすがの月見ももう諦めている。はじめは珍しくまともな子かと思ったが、赤蛮奇もまた間違いなくそっち系(・・・・)の妖怪だ。紫や小傘同様、思うがままやりたいように爆走して人を振り回すタイプ。この生首少女もやはり、個性豊かな幻想郷の妖怪たちの一員なのだ。

 こうして月見がついてきて正解だった。そうでなければ空飛ぶ生首の噂が山中を駆け巡り、博麗の巫女が妖怪退治に派遣されていたかもしれない。

 

「……あ、そうだ。ちょっと待ちなさい、そこの生首」

 

 一足先に次の目的地へ飛んでいこうとした赤蛮奇の背――もとい後頭部を、雛が呼び止めた。「生首ではありません、私は」と反論する生首に構わず、彼女はにっこりと微笑んで、

 

「あなたからとても『厄い』においがするわ。体をなくしただけでも大変だけど、これからもっと災難に遭うかも」

 

 月見はだんだん自信がなくなってきた。このままこの生首少女に付き合い続けて大丈夫なのだろうか。もしかすると、今すぐ屋敷へ引き返しのんびりと一日を過ごすべきではないのか。

 

「それはおどかされた仕返しとか、お前の厄の影響とかではなく?」

「ではなく。月見、あなたにもとばっちりが行くかもね」

「……」

「見捨てないでください、旦那様」

 

 半目で赤蛮奇を見たら、うるうるとした眼差しを返された。あざとい。

 

「しかし、厄ですか。まさかあなたは……」

「ええ、厄神よ」

「なんと、恐ろしい御方から恐ろしい宣告を受けてしまいました。旦那様、もしこのまま体が見つからず私が息絶えてしまったら、灰はここの山頂から大空に向けて撒いてください。そして、霧の湖のわかさぎ姫、迷いの竹林の今泉影狼という妖怪に伝えてください。赤蛮奇は立派に生き、立派に死んでいったと」

「なあ、帰っていいか?」

「見捨てないでください、旦那様」

 

 月見はため息。

 

「……とりあえず、もう誰かをおどかすのはこれっきりにしてくれよ?」

「了解しました。ここからは真面目に捜しましょう」

「ここからは?」

「滅相もございません、もちろん今までも真面目でした」

 

 なんだろう、まるであの釣瓶落としと話をしているかのようなこの感覚は。もちろん、ある程度ちゃんとした会話が成り立つだけこちらの方がずっとマシだが、それでも月見は少し疲れてきてしまった。その上「これからもっと災難に遭う」かもしれず、「月見にもとばっちりが行くかも」しれないのだ。やっぱり、今日は辛抱の一日になるのかもしれない。

 そのときふと、月見の頭の中で、ぷつりと糸が途切れたような感覚。

 

「……む」

「どうされましたか?」

 

 月見は麓の方角を振り返る。また頭の中で糸が切れる。

 この感覚は、

 

「……式神が誰かに潰された」

「……なんと」

 

 麓の方を飛び回らせていた式神が、少なくとも二枚やられた。視覚共有はしていなかったので、誰の仕業なのかはわからない。ただわかるのは、飛燕の如く飛び回る式神を仕留められるほどの手練れということだけ。そんじょそこらの妖怪ではない。

 またぷつり、

 

「……ちょっと様子を見に行こう。結構なペースでやられてる」

「まさか、これは私の体捜しを妨害する刺客の仕業でしょうか。私の体はすでにその者の手中に落ちている……?」

 

 真相は不明だが、不明だからこそ、確かめに行った方がよさそうだ。

 

「……えっと、なにかあったの? 引き留めてごめんなさい、もしそうなら早く行った方が」

「ああ、悪いけどそうするよ」

「あ、旦那様、申し訳ないのですが首だけの状態で速く飛ぶのは難しく」

 

 月見は赤蛮奇の首を小脇に抱え、一息で飛び出した。また、頭の中で式神との回線がひとつ途切れる。そこからおおまかな場所を見当づけて、月見は滑るように山を下っていく。

 ようやく、なにかしら手掛かりを得ることができるかもしれない。

 さっさと赤蛮奇の体を見つけて、月見も昼寝がしたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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