銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第153話 「才華爛発のホラーテラー ②」

 

 一見、矛盾しているようにも思える。

 人をおどかすとは、普通に考えれば、こちらからなんらかの行動を起こして相手を怖がらせたり、びっくりさせたりすることだ。明確な危害を加えるにせよ、いたずら程度で済ますにせよ、相手からしてみれば好ましくない真似をされる点は同じだろう。極めて乱暴な言い方をしてしまえば、『おどかす』とはすなわち相手を襲う行為である、とも考えられるわけで。

 命蓮寺の縁側で春の陽気に浸りながら、しかし、月見の顔には晴れ空にそぐわない懊悩(おうのう)の色があった。

 

「――とまあ、こんな具合でね。どうしたものかと困っているわけさ」

「人を襲わずにおどかす方法、ですか……」

 

 あれから少し時は進んで、月見の隣には白蓮ひとりが座っている。あの場ですぐさま答えを閃くものではなかったので、とりあえず小傘には帰ってもらった。タイムリミットは今日一日。明日小傘がやってくるまでに答えを用意できなければ、月見が完璧な解答を導き出してくれるとなにひとつ疑っていない、彼女のはちきれんばかりの期待と信頼を裏切ることになってしまう。

 マミゾウもとうの昔に出掛けている。あるいは知恵を貸してくれるのではないかと思ったがまあそんなはずもなく、彼女は終始、これが儂の実力じゃーと言わんばかりのほくほく顔だった。すべては小傘を今日まで放置し続けた月見の身から出た錆ゆえ、甘んじて白旗をあげる他ない。

 矛盾とも取れる小傘の難題に、白蓮も首をひねっていた。

 

「ただびっくりさせるだけじゃなくて、ちゃんと怖がってもらわないといけないんですよね……」

「そうだね」

 

 そこが輪を掛けて難しい。妖怪である小傘のお腹を満たすためには、未知の存在、人ならざるもの、妖怪に対する恐怖の感情が伴わなければならない。単にあっと言わせるだけではダメなのだ。

 しかし恐怖という感情は、得てして我が身の危険を感じたときに湧き起こるもの。するとやはりなんらかの形では人間を襲う必要がある気がして、ううむと月見は腕を組んで唸る。

 本当に、マミゾウにはしてやられてしまった――そう昨日の記憶を反芻させる中で、ふと思い出す。

 

「そういえば昨日、私の屋敷に来ようとしてたってマミゾウから聞いたけど。なにか用があったかい?」

「ああ……いえ、その、用というほどの用ではなかったんですけど……」

 

 白蓮は首を振り、少しだけ上目遣いをするようにはにかんで、

 

「お父様と命蓮に、会いに行こうかなあと……」

「……そうか」

 

 月見も微笑み、

 

「なら、今日は夕方あたりにしてくれるかい。その頃には戻ってると思うから」

「はい。わかりました」

 

 立ち上がり、体の中にある余計な雑念もろとも大きく息を吐く。こういうときは一度気分を入れ替えて散歩でもすると、思わぬ解決の糸口が舞い込んできたりするものである。そうでなくとも、座ったままうんうん頭を悩ますばかりは性に合わなかったので。

 

「里でも歩きながら考えるかね。白蓮も、もしいい案が浮かんだら教えてくれ」

「が、がんばりますっ」

 

 今日も天気がいい。古来より、笑うところに福が来るというのは有名な話だ。春という季節を楽しみながら歩いていれば、きっと自ずと閃くものもあるだろう。

 

 

 

 そんなわけで、月見は今日も今日とて活気あふれる里の通りをそぞろ歩く。すれ違う里人と世間話をしたり、子どもたちに尻尾で遊ばれたり、客引きの声に引っかかって少し買い食いしてみたり。お陰で通りを端から端までざっと歩いた頃には、悩ましい心のもやが綺麗さっぱり吹き飛んで、今にもいい感じの閃きが舞い降りそうな気分になっていた。

 まあ、あくまで気分だけだが。遊び歩いているだけで悩みが解決するのなら誰も苦労はしない。気分転換もできたので、そろそろ落ち着ける場所で本腰を入れる頃合いだろう。

 と。

 

「おきつねさまこんにちはー!」

「こんにちはー!」

 

 そう元気に挨拶しながら、数人の子どもたちが月見の脇を走り抜けていった。月見の返事を聞いているのかいないのか、すばしっこい動きで器用に大人たちをかいくぐり、あっという間に角を曲がって見えなくなってしまう。

 確か、あの先にあるのは――。

 少し気になったので、月見も足を向けてみることにした。角を曲がってしばらく進むと、とある家の前で賑やかに集まる子どもたちが見えてくる。その家屋は一見するとなんの変哲もない平屋だが、普通と違うのは店先に提げられた菫色の暖簾と、軒下から客を見下ろす三枚組の看板。

 新装開店を間近に控えた、活版印刷屋の鈴奈庵だった。店先には年少の子どもたちに交じって、ここの一人娘である本居小鈴の姿もあった。

 

「やあ、小鈴」

「あ、月見さん! こんにちはー」

 

 小鈴は看板娘として培った、花が開くような笑顔で月見を迎えて、

 

「いらっしゃいませ。なにか御用ですか?」

「いや、子どもたちが走っていくのが見えたものだから。みんな集まってどうしたんだい?」

 

 子どもたちが歓声をあげ、月見の尻尾でわーわーきゃーきゃー好き勝手に遊び始める。右へ左へ振って適当に相手をしておく。

 

「今から、本の読み聞かせをしようとしてまして」

「ああ、なるほど」

 

 人里において、本とは誰もが気軽に楽しめる娯楽というわけではない。里で一般向けに流通している本というのはかなり希少で、大部分は鈴奈庵や稗田家などの富裕層が私的に所有しているものだ。出版自体は鈴奈庵に依頼すれば可能なものの、値が張るので実際に依頼できるのはやはり一部の富裕層のみ。一般向けの大量印刷は、小鈴も数えられる程度しか経験がないという。

 そういった次第なので、里には昔話や御伽話に興味があっても本を買えない、もしくは買えたとしても学力面で読めない子どもというのがちらほらといる。

 そこで里一番の本の蒐集家である鈴奈庵が、子どもたちにたびたび読み聞かせを行っているのだった。

 小鈴はぱんぱんと両手を叩き、

 

「ほらみんな、月見さんを困らせないの。読んでほしい本を選んできて」

「「「はーいっ」」」

 

 半開きだった戸を大きく開け放つと、みんな一斉に鈴奈庵の新しい店内へ散らばっていく。

 一歩足を踏み入れた感想をいえば、街角の小さくひなびた古本屋さんだろうか。改装といってもなにか特別な工事をしたわけではなく、活版印刷に関わる道具をすべて奥へしまい込み、棚のスペースを拡張して、店と呼ぶには散らかりすぎていた本の山をきちんと整理したのがほとんどだ。しかしそれだけでも印象は大きく変わるもので、どこか鬱然と薄暗かった本の溜まり場が、紙の呼吸する音を聞くような心地よさのある空間に様変わりしていた。

 

「いい雰囲気になったじゃないか」

「やっぱり月見さんもそう思いますっ? 散らかった本の山に囲まれるのもいいですけど、こういう整理整頓された本棚を並べるのもステキですよねえ……」

 

 小鈴が両頬を押さえてうっとりしている。そういう意味で言ったわけではない。

 前もって目星をつけていたのか、すぐに一人の少年が本を抱えて戻ってきた。

 

「小鈴おねーちゃん、これがいい!」

「……あー、」

 

 現実に戻ってきた小鈴は表紙をひと目見て、少し困ったように頬を人差し指で掻いた。

 

「ごめんね。私、怪談の朗読って苦手で……」

「えーっ!」

 

 少年が掲げて見せたのは、子どもが朗読をせがむには少々ませた怪談本だった。表紙の筆跡が阿求の字に似ている。ひょっとすると妖怪の怖さを人々に教えるため、御阿礼の子が代々編纂(へんさん)してきた一冊なのかもしれない。

 

「おねーちゃん、こわいのー?」

 

 月見も最初はそう思った。小鈴は妖怪やお化けといった存在をごくごく普通に怖がる普通の少女であり、以前ここに忍び込んだ子狐が大入道に化けたときは、恐ろしさのあまり目を回してひっくり返ってしまったという。しからばいくら本の虫(ビブロフィリア)の彼女といえど、怪談も大の苦手なのではないか。

 けれど小鈴は首を振って、

 

「んーん、そういうわけじゃないんだけど……私の怪談の朗読って、なんだかぜんぜん怖くなくて面白くないらしいのよねえ」

 

 近くの本棚を眺めていた少女が、そうそうと横から相槌を打つ。

 

「前に一度読んでもらったことあるけど、なんていうかなあ。こっちを怖がらせようとしてるのが丸わかりで、かえって怖くなくなっちゃうんだよー。わざとらしいっていうか」

「い、一応私なりに頑張ってるのよ?」

 

 なるほど、と月見は納得した。確かに、普通の朗読と怪談の朗読では勝手が違ってくるように思う。相応の読み方をしなければ怪談のおどろおどろしさは演出できないだろうし、中途半端な芝居ではかえって滑稽に見えてしまうかもしれない。それに、この中では年長組とはいえ小鈴もまだまだ子ども。幼い可憐な少女の声では、怪談のドロドロした雰囲気とも相性が悪いのだろう。

 

「てっきり怪談も苦手なのかと」

「むー月見さん、私もそこまで怖がりじゃないですよぉ。本の中の話ってわかってるので平気です」

 

 むくれる小鈴に、ごめんごめんと謝りながら。

 

「……、」

 

 ここでふと、月見は。

 もしかしてこれが使えるのではないか、と唐突に閃いた。

 

「えっと、それでもよければ読んだげるけど。どうする?」

「こっちの方がいいよー。小鈴おねーちゃん、怪談以外は上手だから」

「えー。あーあ、ぼくにもこういう本が読めたらなー」

「小鈴」

 

 子どもたちが揉めている隙に、脇から小鈴へ耳打ちして、

 

「ひとつ、相談させてもらっていいかな」

 

 

 ○

 

 一見するとそうは見えないのに、意外なところで目覚ましい才覚を発揮する手合いというのは時たまにいる。

 月見のもっとも身近な人物でいえば、八雲紫がまさにそうだ。普段の彼女はいかんせんお転婆すぎて賢者の名に恥じるような言動ばかりだが、実際は月見など足元にも及ばぬ英知を持った賢人である。深遠なまでの思考力と、他の追随を許さぬ決断力と、いかな困難にも決して折れることのないしたたかさを兼ね備えている。火のないところに煙は立たないのであり、伊達や酔狂で賢者の二つ名を背負っているわけではないのだ。

 なんの話か。

 要するに、多々良小傘もそういう手合いだったのである。

 

「……そこで部屋は行き止まり。目の前の壁には、赤い文字でこう書かれていたのです。――『うしろから わたしの くびがきてるよ』」

 

 戸をすべて閉じ切り薄暗さを演出した鈴奈庵に、小傘の語りが低く、冷たく、這う蛇がごとく通る。それ以外は呼吸の音すら聞こえない。全員が呻き声ひとつ漏らすことも許されず、まばたきすら忘れて小傘の語りに聞き入っている。

 抜け首の怪談。

 たった十人程度の子どもが相手といってしまえばそれまで――しかしどうあれ、多々良小傘という少女がこの空間を完全に掌握しているのは事実だった。

 

「そしてすぐ真後ろの、耳元から。こう、声が、聞こえました」

 

 年頃の少女が喉から出しているとは俄かに信じがたい、一切の生気を伴わぬ得体の知れない声音。

 絶妙な間だったと言わざるを得ない。

 

「 うしろ み ないでね ―― 」

 

 子どもたち全員が、声のない悲鳴をあげたのだとわかった。

 無音、

 

「……私は屋敷を飛び出し、無我夢中で逃げました。以来、あの場所には一度も近づいていません――」

 

 語りが終わる。けれど、物陰でじっと息を殺すかのような緊張は緩まない。緩められない。子どもたちはもはや、底冷えしたこの空気を自分の意思で打開することもできないでいた。結局そこから更に何秒もの沈黙があり、

 

「――はい、このお話はこれで終わりです。ご清聴ありがとうございました」

 

 小傘がそう笑顔で頭を下げてようやく、どっと崩壊するように空気が弛緩した。

 

「こ、こわかったー!」

「小傘おねえちゃんすごーい! じょうずーっ!」

「きょ、今日ひとりでおふろに入れないかも……」

「へ、へへんおまえらだらしないなーっ。おれなんてぜぜぜっぜんぜんこわくなかったぜっぜぜ!」

「うしろ み ないでね」

「「「うぎゃあーっ!?」」」

 

 今まで一言も喋れなかった反動か、子どもたちが一斉に大騒ぎを始める。後引く恐怖の余韻に興奮する者、小傘に尊敬の眼差しを向ける者、やたら一生懸命周りに怖くなかったとアピールする者。気の早い者は本棚から新しい本を引っ張り出し、こっちも読んで読んでと小傘を取り囲みにいっている。

 あれから三日ばかり――『人間を襲わずにおどかす』という難題に対する、これが月見の提示した解答だった。

 

「いやー、すごかったですね小傘さん。私よりずっと上手でした。創作だってわかってても背筋が寒くなっちゃいましたもん」

 

 本の中の話なら平気と豪語していた小鈴すら、両腕を抱いて浅く身震いしているほどだ。こうして実際にやらせてみれば、小傘は怪談の読み聞かせが極めて上手かった。

 いや、なにも読み聞かせひとつに限った話ではなく、『子どもの相手をすること』自体が達者だというべきなのかもしれない。やんちゃ盛りな小さい子どもの相手となれば、どう接すればいいのかわからず戸惑う者も珍しくないけれど、彼女にはまったくそれがない。仲がいい友達同士のように自然と意気投合し、また一方では熟練の保育士がごとく、しっかりと手綱を締めてコントロールする。まったくもって意外や意外、小傘は年下に対してちゃんとお姉さんらしく振る舞える一面があったのだ。

 元より彼女は人見知りしない性格だし、はきはきと話すから読み聞かせに向いていると思った。怪談の朗読という形でなら、人間を襲わずにおどかすことも可能かもしれない――そう思って一計案じてみたのだが、月見の予想を遥かに超える成果といっていいだろう。

 どこまで意識してやっているのか、それとも天性の才覚なのか。

 

「小傘おねーちゃん、次! 次のお話読んでっ!」

「な、なー、こっちの本も面白いんじゃないかー……?」

「えー、ひょっとしてこわいのー? 男の子なのにー?」

「べべべっ別にぜんぜんこわくねーけどぉ!?」

 

 子どもたちに囲まれる小傘と、ふと目が合う。ここまで反響がもらえるとは彼女にとっても予想外だったようで、言われるまま続けてよいのか戸惑った様子だった。月見は笑みを返し、

 

「続けてやってくれ。みんな喜んでるしね」

「わ、わかりましたっ」

 

 じゃあ次のお話読むよー!と号令し、小傘が子どもたちをテキパキと元の場所に座らせていく。心底思う、子どもに対してこうもお姉さんらしく振る舞えるなら、普段の彼女はなぜああも明後日な方向に暴走してばかりなのか。ひょっとして月見が今まで見てきた小傘は、瓜二つな双子の姉妹かなにかだったのではないか。そんな突飛な疑問が頭を過ぎらないこともない。

 隣で小鈴が、ささやくように言った。

 

「……ああいう妖怪も、いるんですね」

 

 小鈴には小傘が妖怪であることや、わざわざ怪談の読み聞かせをやらせる目的も前もって教えている。人間をおどかさなければ生きていけないが、それで人間と対立してしまうのも望むところではなく、なんとか平和的にお腹を満たせる方法はないかと模索していた――人並みに妖怪を恐れる小鈴にとって、この出会いは少なからず考えさせられるものがあるようだった。

 

「人間だって、いいやつもいるし悪いやつもいる。それと同じだよ。人それぞれ、妖怪それぞれさ」

「……そうですよね。怖くない妖怪だって、世の中いますよね」

「というか、私もれっきとした妖怪なんだがね」

「え? またまたー、月見さんはお稲荷様でしょう? 隠さなくたってわかってますよー」

 

 徹頭徹尾わかってもらえてないんだよなあ、と月見は心の中で吐息する。この尻尾の色が悪いのだろうか。白い狐は稲荷の遣いと相場が決まっているから、余計に信じてもらえないのだろうか。月見の脳裏で宇迦が、「やっぱうちの神使になれば解決やぁー」とくすくす笑っている。

 小傘の読み聞かせが再び始まる。月見と小鈴は無駄話をやめ、いっとき彼女が紡ぐ物語に耳を傾ける。

 保護者役をして見守る必要はもはやない。それでも子どもたちに聞かせるだけではもったいないこの語り、今しばらく楽しませてもらうのも乙な気分だった。

 

 

 〇

 

 朗読会は終始好評で、小傘がようやく解放された頃には夕暮れも近くなっていた。

 ただ本を読み聞かせるだけのシンプルな催しとしては、大盛況といえるくらいだったのではないかと思う。途中で子どもたちが友達を呼びに行ったり、通りがかった大人が足を止めて聞き入ったりなどあって、終盤は鈴奈庵にちょっとした人だかりができるほどだった。次の朗読会を楽しみにする声も多く、もし二回目が開催できたときは、会場が鈴奈庵では少々手狭になるのかもしれない。

 なお、小傘の隠れた才能が怪談のみならず御伽噺や民話にも発揮されたため、本職の小鈴が若干ジェラシーを感じていたのは余談である。「私も負けてられません……!」と彼女は燃えていた。

 

「どうだった、今日は」

「はいっ! 最高でした!」

 

 水月苑に戻る途中の空の道で、小傘から弾けんばかりの笑顔が返ってくる。二時間近くいろんな話を読みっぱなしで疲れているだろうに、彼女はむしろ朗読会の前よりも輝く生気に満ちあふれて見えた。

 

「こんな風に人間をおどかす方法があったなんて、びっくりです! 人間を怖がらせるのがダメなら、怖いという感情を楽しんでもらえばいい……なんて素晴らしい発想でしょうか!」

 

 所謂エンターテインメントとしての『恐怖』でも、小傘のお腹は問題なく満たせる――その発見が今回の一番の収穫だろう。また意外にも天性の演技力があり、意外にも子守りの才能まであるともわかった。もし小傘がこのまま里に受け入れられれば、人間を楽しく恐怖させる新しい形の妖怪が誕生する……のかも、しれない。

 

「お師匠、ありがとうございました! こんなの、私一人だけだったら絶対に無理でした……!」

「役に立てたようでなにより」

 

 今まで素っ気なく扱ってしまった罪滅ぼしも、これで少しくらいはできただろうか。

 

「……さて、人間を襲わずにおどかす方法は伝授した」

 

 別に伝授したというほどでもないが、小傘はそう思っているだろうからそういう話にしておく。

 

「これで、もう私につきまとう必要もないだろう。子どもたちも喜んでたし、これからは里で頑張ってごらん」

「はいっ! お師匠が与えてくださったこのチャンス、決して無駄にはしませんとも!」

 

 是非とも無駄にしないでほしい。そしてこれ以上、月見をお師匠お師匠呼びながらつきまとってくるのは終わりにしてほしい。普通に客として遊びにくるのは構わないから。普通にしてくれれば普通にいい子なんだから。悪い子じゃないのはわかっているから。そう願ってやまない。

 

「――お師匠」

「うん?」

 

 月見の前に出た小傘が、立ち止まってこちらを振り向く。後頭部まで見えそうになるくらい、大きく丁寧に頭を下げて。

 

「このたびは、本当にありがとうございました!」

 

 顔を上げ、夕暮れ空も恥じらうほど強く強く笑って、

 

「えへへ、お師匠だいすきですっ!」

「……」

 

 ――そう。一度走り出したら止まらなくて、変な思い込みをしては空回ってばかりで、人の話を聞かなくて、騒々しくて、はちゃめちゃで……でも、決して悪い子じゃあないのだ。

 月見も吐息するように、笑みを返して。

 

「せっかくだ、今日は私の屋敷で夕飯を食べていくといい。少し豪華に作るよ」

「本当ですか!? 食べます食べますご馳走になりますっ! さすがはお師匠です!」

「はいはい」

「あ、置いてかないでくださーい!?」

 

 月見が前を飛び、小傘が追う。

 顔を合わせれば刷り込みされた雛鳥みたいにつきまとわれるこのへんてこな関係、これからも少しばかり続くのかもしれないなと、月見は思った。

 

 

 




 お休みしている間に寄せられておりました数々の誤字報告、ありがとうございました。

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