その声に気が付いたのはいつだったか。
はじめは学校帰りの散歩道で。
その人に気が付いたのはいつだったか。
水先案内業界では新興のオレンジぷらねっとにスカウトされた時に。
その謳声とその姿が初めて合わさった際に、とても神秘的で、どこか浮世離れしたような印象を受けたことを覚えている。そして同時に、そのような印象を人々に抱かせることこそが、水の三大妖精たる所以なのだと実感させられたことも、また覚えている。
だからこそ、そんな人が私の指導員として、そして会社の寮におけるルームメイトとして共に過ごす間柄になるのだと知った際には、スカウトされた直後から胸の内を占めていた、より高いレベルの中でゴンドラを漕ぐことができるのだという期待に取って代わり、現役ウンディーネの頂点に位置する人が今後の自分にとって最も身近な存在となるということに対する緊張や不安、そしてほんの少しの優越感が、その地位を占めることになったのだった。
当代きってのウンディーネたる水の三大妖精の名は、それほどまでにネオ・ヴェネツィアの民にとって、とりわけ同じウンディーネを志す者にとっては、畏敬の念を抱かせるものなのである。
だけどもそんな畏敬の念は、日常生活におけるあまりにもマイペースな、そして度々ドジなまねをする彼女の姿に、入社後間もなく打ち崩されることとなる。神秘的な妖精であったはずの存在は、瞬く間に親しみやすく、でもちょっぴり世話の焼ける先輩へと、私の中でその姿を変えていったのだった。
思うにこの時初めて私は、「
彼女が舟上以外の場所でも歌うことがあるのだと気付いたのは、彼女のことを「アテナ先輩」と呼ぶのにも慣れてきた頃のことだった。
一時は萎みつつあった「より高いレベルで楽しくゴンドラを漕ぐ」という私の入社前の期待は、水の三大妖精に対する畏敬の念が日を追うごとに薄れつつある中においても、また別の要素に阻害され、なかなか復調の兆しを見せることはなかった。
元来人付き合いをあまり得意としない私にとって、学校のゴンドラ部という組織から会社という組織へと身を移したところで、その煩わしさからは逃れられるわけではない。むしろ新たに一から関係を構築しなければならない環境は、その環境を構成する人々の自分に対する言動を含め、一種の雑音として「ただゴンドラを楽しみたいだけ」という私の思いを阻む。
同年代のみで構成される学校の部とは違い、皆自分よりも年上の会社の中であれば、あるいは私の願いを周りの大人達が汲み取ってくれるかもしれないという思いはあったものの、結局のところ、私の願いを十全に満たし得る環境なんてものは、そう易々と手に入れられるものではなかったのだ。
そんな雑音に惑わされる日々を送る中、アテナ先輩の謳声が耳へと入ってきたのは、ある日の夜のことだった。私の人付き合いの悪さの最も大きな要因である人見知りな性格は、まだまだ慣れない新たな環境の中で、私に緊張という名の足枷を嵌め、積極的に自室の外へと踏み出そうとする気持ちを阻害していた。彼女の謳声が二人の部屋を満たした時も、私はベッドの上で膝を抱えていたのを覚えている。
その二つ名の表す通り、天上のものの如く澄みきった声でありながら、しかし無慈悲な天上のそれとは対照的な人間のぬくもりを含んだその謳声は、自室という殻を被り、さらに自身の内へ内へと篭ることによって周囲の雑音を遮断しようとしていた私の耳からするりと入り込み、胸の内の不安や緊張を和らげていく。
雑音だらけの会社の中において、自室だけは心休まる空間なのだと語りかけてくるかのような、その謳声に身を預けながら私は、オレンジぷらねっとへ入社して以降ゴンドラの上以外では初めて感じるぬくもりを胸に抱くと同時に、彼女が水の三大妖精の中でも「
その日から、私は度々寮の自室においてアテナ先輩の謳声を耳にしている。
ウンディーネとしての実力における
そして、相も変わらず私の周りを飛び交う雑音は消えてはくれないけれど、この謳声が聴けるのであれば、これからもこの会社でウンディーネとしての日々を過ごしていけるだとうと感じているのも、また事実である。
今後、私の願いが満たされることがあるのかどうかは分らない。でもとりあえず今は、この謳声を励みにもう少し頑張ってみようと思う。
そうしてその柔らかなぬくもりに包まれながら、私は今日もまた眠りに落ちていくのだった。
この後に灯里&藍華と出会い、そしてアテナが自室で歌うのは自分の為だったのだと気付く原作の話へと繋がっていくイメージで書きました。
二人に出会う前のアリスは、非常に淡白な日々を送っていたのではないかという妄想から生まれた話です。