晴れた日の朝は自室の窓を開け放ち、さんさんと降り注ぐ陽射しと、心地よい海風を感じるのが好きだ。
姫屋の跡取りとしての自分、灯里や後輩ちゃんの友人としての自分、そして晃さんやアリシアさんと相対する時の後輩としての自分。それらの「相手がいて初めて存在する自分」というしがらみに煩わされることのない朝のこの時間は、一日のはじめに何者にも惑わされることなく自分自身を見つめ直し、「私という人間」について考えるのにうってつけなのである。
この厄介な疑念は、私の胸の内においてその存在を日増しに大きくしていき、ついに晃さんとの会話を発端に一気に膨張、爆発した。その時たしかに私の心はかつてない程の劣等感に揺さぶられることになったが、しかしながらその大きな心の揺れも、晃さんとの会話を終えた後には「他人を物差しとして測る自分」ではなく「自分自身を物差しとして測る自分を大事に磨き上げていく」という結論を得るに至り、やがて沈静化していった。
以降、私にとって朝のひと時は、心地よい陽射しと風を浴びながら、誰にも邪魔をされることなく自分と向き合うことのできる、とても大事な時間となったのである。
しかしながらそんな朝の時間も、今日ばかりは少し億劫で、閉じた窓の隙間から差し込む陽の光が私を憂鬱にさせる。
先日、
憂鬱な気持ちを何とか押さえ込みながら開けた窓から吹き込む、いつもならば心地よく感じるであろう海風を煩わしく思ってしまうことに、私は自分の心が想像以上に不安で大きく揺れていることに気付く。
結局この胸のうちの不安の正体に対する答えを見出すことが出来ずに、今日という日を迎えてしまった私は、空を漂う浮き島を睨みながら、何故今日の天気が雨ではなかったのかと理不尽な怒りの念を視線に込めてしまう。
この晴れ渡った空の下、間もなく幾許かもしない内に私を迎えに来るであろう灯里を、私はいつものように出迎えることが出来るのだろうか。悶々とした思いに決着をつけることが出来ないままに、時間だけが過ぎていくのであった。
「灯里に自分がプリマへと昇格したことを告げる」
よもやこれだけのことに、私自身ここまで不安を覚えるとは思いもしなかった。
ウンディーネになると決意して以降私は、絶対にプリマになるのだという思いを、一日たりとも曇らせたことはない。その思いの強さだけは、灯里や後輩ちゃんにも勝るものであったという自負もある。
もちろんプリマとなった後にもそこを終着点とすることなく、ひたすら前へ前へと歩を進め、いつの日か晃さんたち水の三大妖精にも比肩し得る存在へとなるという心意気で己を高め続けていく、そのはずだったのだ。
にも関わらず、いざ自分がプリマへの昇格を果たしてみると、思いがけず足止めを食うことになってしまったのである。
プリマ昇格の達成感や合同練習への寂しさはまだしも、灯里を一人残して先へ進むことへの罪悪感など、本来ならば私の独りよがりな感情でしかなく、また灯里に対してもとても失礼な話なのである。
そも灯里の人となりを鑑みるに、私のプリマへの昇格を祝福しこそすれ、そこに劣等感を覚えるなどということは考えられない。むしろ我が事であるかのように喜んでくれるはずである。
そんな確信染みた思いがあるにも関わらず私がどうしても不安になってしまうのは、ひとえに現在の灯里の状況が、以前に聞いた晃さんの過去とダブって見えてしまうからに他ならない。
自分のウンディーネとしての素質に対する疑念を、見事に払拭してくれた晃さんのその経験談が、今は逆に現在の灯里が置かれた状況に対する不安として、私に牙を剥いたのであった。
もし万が一、一人
とは言え友人作りの名人である灯里のこと、もしそのような状況に陥ったのだとしても、「クローバーの少女」候補には事欠かないであろう。時を経ることにより、どこかのタイミングできっと、あの子なりの「よつばのクローバー」を見つけるのではないかと思う。
だがその「よつばのクローバー」を見つけるまでの短い時間であっても、灯里の、その名が示す通りの笑顔が曇ってしまうことを、そしてその要因の一端を自分が担ってしまうのではないかということを思うと、目に見えないはずの心を直接鷲掴みにされたかのように、胸を締め付けられるような痛みを感じてしまうのであった。
一刻も早く灯里に自身のプリマ昇格を伝え、共に喜びを分かち合いたいという気持ちと、自身のその言動により、万が一少しでも灯里を傷つけてしまったらという不安による葛藤は、ついに答えを見つけられぬままタイムリミットを迎えてしまう。
開け放した窓から眼前の海を臨む私の視界の端に、見慣れた黒塗りのゴンドラがこちらへと徐々に近づいてくる様子が映る。
窓際に立つ私の姿に気付いたのか、いつもの笑顔でこちらに手を振る親友に、私も小さく手を振り返す。出来る限りの笑顔で応えたつもりだが、この時の私を間近で見ていれば、きっと苦い笑みを浮かべていたに違いない。
私が先にプリマへと昇格したという事実は灯里を傷つけるかもしれない。だが、どんな些細な事にでも幸せを見出す達人であるあの子ならばきっと、後輩ちゃんが水先案内業界初の偉業を達成したことが私に発破をかけたように、私のプリマへの昇格という出来事を自らの幸せであるかのように感じ取ってくれるはずだと信じている。
そしてその幸せを原動力とし、近い将来お互いに一人前のウンディーネとして、また三人一緒に高めあっていけるはずであると、そう信じている。
そうして半ば強引に自らに言い聞かせた私は、今度は自らのプリマ昇格をどのタイミングで伝えようかと、また別の問題に頭を抱えながら、灯里の待つ扉の外へと足を一歩踏み出したのであった。
このラストから、原作のゴンドラ上での二人のやりとりのシーンへと繋がるイメージで書きました。