転生したら始祖で第一位とかどういうことですか 作:Cadenza
あと、感想でエリアスの容姿についてあったので改めて。髪が純白の乳上、もしくは乳王様です。イメージとしては人間だった頃が乳王様で、吸血鬼になった今が乳上ですね。
日本某所。海岸沿いにある名もない村。村とは言っても世界滅亡を経て無人となった集落に生き残った人々が住み着いているだけだ。
そんな小さな村に彼等はいた。
あの名古屋空港で行われた禁忌の術式《終わりのセラフ》から辛くも逃れたシノア隊と鳴海真琴、そしてミカエラの七人。今や脱走兵となった彼等は日本帝鬼軍から見つからないようにこの村に身を隠し、食料と寝場所を提供してもらう代わりに、時折襲撃してくるヨハネの四騎士の対処をしている。
生き残った人々にヨハネの四騎士に対抗することなどできる筈もなく、これまで仲間が殺されるのを黙って見ているしかなかったところにシノア達が来たのだ。何もできなかった人々からすれば食料など安いもの。死を怖れ安心して眠ることすらままならなかったのだから。
こうした理由からシノアたちと村の人々の関係は極めて良好だ。
「空が青いな……」
世界が滅亡しても変わりなく広がる大空を何処となく茫然と見上げ、建物の外壁に背を預けた優一郎が呟く。
「な〜に黄昏てるんですか優さん」
「……シノアか」
そんな優を見つけたシノアが声をかけてきた。
「いや、俺たちこれからどうするんだろうなって考えてた」
あの名古屋空港での一件から既に一ヶ月。こうして隠れ、帝鬼軍から逃れているものの、この状況が長く続くとは思えない。帝鬼軍だって無能ではないのだ。いずれここも見つかると考えた方がいいだろう。
「いつまでもここに留まるのはマズいですよね。ですが動けば帝鬼軍に察知される可能性大ですし、もっと問題なのは……」
更に問題なのは吸血鬼なのだ。
ミカによると人間が《終わりのセラフ》を行ってしまった以上、確実に上位始祖会が動くと言う。そうなればかつて戦ったアークライトと同じ上位始祖が日本に集結し、本腰を入れて日本帝鬼軍の殲滅が開始される。優の事も上位始祖会に報告されているのは確実で、ほぼ間違いなく狙われる。下手をしたら単体で帝鬼軍を殲滅可能な上位始祖から、複数同時に、である。
いくら強気が常な優でも、そんなバケモノを相手にするのは避けたい。勝率など皆無だ。
「帝鬼軍もダメ、吸血鬼もダメ。ほんとどうすりゃいいんだ」
「逃げ続ける……という訳にもいきませんよね。君月さんの妹さんも取り返さないといけませんし」
「グレンの奴もだ。あいつには聞かなきゃならないことが山ほどある」
道は険しく、備えも乏しい。しかし止まるという選択肢はない。
優に背を向け、果てしない青空を見上げ、肩越しにシノアは言う。
「これからを決める為にもまずは話し合いです。来てください優さん。みんなで今後についての会議です」
「ああ、わかった」
二人で広場に向かう。到着すると既にシノア、優以下の全員が集まっていた。
「遅いぞお前ら」
そう言ってきたのは帝鬼軍の軍服を着崩した鳴海真琴。今のように辛辣で厳しいことを口にするが、その奥には仲間を失いたくないという想いが隠れている。
これ以上犠牲を出さないがため現実的に物事を考え、結局は彼も仲間思いな何かと頼りになる最年長だ。それでも成人を迎えてはいないのだが。
「すみません。――さて皆さん、もう何回目か分かりませんが、これからのことを話し合いましょう」
「もう何度話しただろうな。それで結局、結論は出ていない」
「まぁまぁ鳴海さん。議論を重ねればいずれいい案が思いつくかもしれません。――ではみっちゃん」
「うん?」
「話し合う前に前提条件をお願いします」
なんであたしが……とぼやき渋々だが、正確に今の状況を提示していく。
「あ〜、そうだな。ええと――」
一つ。日本帝鬼軍は優や与一、君月の妹の未来を使って、《終わりのセラフ》なる怪しい実験をしていた。
二つ。帝鬼軍の元締めである柊家は目的と大義の為なら、平気で仲間や同じ人間を殺す。優たちが実験対象である以上、近づくのも捕まるのも論外。
三つ。だがこのまま逃げ続けるのも難しい。帝鬼軍は脱走者である自分たちを、特に優を血眼になって探している。ここもいずれ見つかる。自分たちがここにいる限り、村人たちも巻き込まれるだろう。
そこまで聞いて君月が優に流し目を送る。
「じゃあ出て行こう。村の人達を巻き込めない」
「だが何処へ逃げる? 日本にいる限り追手は来る。海外にでも出るか?
だが人間に海は渡れないぞ」
具体的な部分がない優に鳴海が物申し、真っ先に思いついた案を言うものの、それは鳴海本人に否定された。
この村は海岸線に近い所にあるので、開けた場所にいけば海が見える。いま優たちがいるここもそうだ。
鳴海の言葉に自然と皆が海を見るも、そこには世界滅亡前と一変した姿があった。
「世界滅亡と同時に毒に染まり、おまけにヨハネの四騎士を超えるバケモノが闊歩してる」
ふと視線を向ければ何処までも続く蒼く美しい水平線が見えただろう海は、今になっては見る影もない。
赤、赤、赤。元の色から反転したように、蒼い海は真っ赤に染まっていた。まるで血の池地獄。この世が世界滅亡後の世紀末と言うなら、ある意味これ程如実に表した光景はない。
「……海が血みたいだ……。僕……世界崩壊してから海みたことなかったんだけど、こんなに変わっちゃったんだね……」
そう呟いた与一からはどことなく寂しさが感じられた。
都会の老朽化したビル群はまだよかった。だがこうも世界が変わってしまったのをまざまざと見せられると、何か思うことがあるのかもしれない。
「海外には出られない。逃げ場なく、追手は際限なくやってくる。数回なら対処できるが……」
懐から錠薬が入ったケースを取り出し、鳴海は続ける。
「それも鬼呪促進薬があるうちだけだ」
薬が切れてしまえば戦えない。ヨハネの四騎士は少数なら何とかなるが、もし一騎当千の吸血鬼や数と連携の帝鬼軍が相手では瞬殺も有り得る。
薬によって鬼の力を多く引き出している分、薬がなくなってしまえば戦力が大幅に低下する。鬼の力を追求せず、力の引き出し方を内ではなく外に求めてしまった弊害だろう。
「帝鬼軍は優を狙っている。絶対に諦めはしない。それに私たちは脱走兵だ。捕まれば良くて二度と日の光は拝めず、悪ければ処刑だ。戦力が少ない帝鬼軍がむざむざ黒鬼という手駒を捨てるとは思えないが、それにしたって五体満足ではいられない。更にここには吸血鬼もいる」
チラリとミカエラを見る。
「帝鬼軍が吸血鬼を生かしておく筈がない。お前だけなら逃げるくらいはできるだろうが……」
「…………」
言うまでもない、と鳴海を睨むミカエラ。
「と、まぁこんな状態だ。少なくとも投降という選択肢はない。ここまでは前と同じ結論だ。で――」
結局、そこに行き着く。これまで何度か議論を重ねているが、その度にここで行き詰まってしまうのだ。
だから今回は別の要素を取り入れる。
「おい吸血鬼」
人とは違う、吸血鬼側の存在だったミカエラだ。
「君には何か案はないのか?」
「…………あるにはある」
一度優と視線を合わせ、暫く何かを考えるように逡巡した後、ミカエラは口を開いた。
「……《終わりのセラフ》の実験をしている吸血鬼がいた。僕を飼っていた女王だ。彼女はたぶん……信用できる」
もしくは、と言葉を区切り、
「アークライト=カイン・マクダウェル」
その名に全員がビクリと肩を跳ねさせた。
「確かその吸血鬼は……」
「ああ。始祖の頂点、最強の吸血鬼、吸血鬼の王。第一位始祖だ」
「な……! あのバケモノのことか!?」
そう声を荒げる鳴海。
何度か接触し、優にいたっては直接戦いもしたシノアたちと違い、鳴海はアークライトが何者なのかを知らなかった。
第一位始祖という最強の始祖が日本に来ていたなど、驚いて当然だろう。空港での神話とも言っていい戦いを見ていれば尚更だ。
「これは女王から聞いた話だけど、第一位始祖が統治するアメリカの地下都市では、吸血鬼と人間が共存しているらしい」
己の耳を疑った。
共存? 吸血鬼と人間が?
シノアたちにとって吸血鬼とは頂点捕食者。紛うことなき上位存在であり、それ故に人間を見下し、家畜として扱う。いつ気紛れで殺されるかもわからない。吸血鬼に囚われた人間を解放するという目的もあって戦ってきたのだ。
なのに共存とはなんだ。もしそれが本当なら、これまで吸血鬼と戦ってきた意味とは……。
「……とても信じられないな。私は帝鬼軍で吸血鬼は不倶戴天の敵だと教わってきた。吸血鬼の殲滅なくして人類の未来はない、とな。お前のソレは、我々の常識を根底から覆すものだ」
「……俺も鳴海と同意見だ。正直、言葉だけじゃ到底信じられない」
鳴海、君月と否定の意思が続く。ミカエラはそれに憤ることも皮肉を返すこともせず、まるで予想通りと言わんばかりの苦笑を浮かべていた。
二人の意見は尤もだ。ミカエラの言葉はこれまで信じて進んできた道を最初まで引き返すのに等しい。
事実、他の皆も戸惑いや困惑を浮かべていたり、複雑な表情で黙り込む、腕を組んで考え込むなどして、一様に受け入れ難いようだった。
ただ一人、顎に手をやり静かに思索するシノアを除いて。
「…………」
「ん? おい、シノア。どうしたんだ?」
「……みっちゃん。私はミカエラさんの話を信じるに値するものだと思います」
ミカエラも含め、全員がシノアを注視した。
「な……ッ! 本気かシノア!? いくらなんでも荒唐無稽すぎる――――」
「そうでもないと説明できない事が多すぎるんですよ。みっちゃんだって心当たりはあるでしょう?」
まくし立てていた三葉がうっ、と言葉を詰まらせる。
優たちも思うところがあるようで、やはり反論できないでいた。鳴海だけは何が何だかわからず、首を傾げているが。
「彼らは日本の吸血鬼ではありません。種族が同じだからといって同一に捉えてしまうのは視野を狭めてしまいます。確かに戦いはしましたが、私たちは生きています。第一位始祖である点や空港の一件も含めて考えれば――わかりますよね?」
そう、アークライト然りキスショット然り。彼らは並ぶもの無き絶対強者。その気になれば自分たちなど、認識する暇もなく刹那のうちに殺せるだろう。
そんな存在と何度も相対している。それも死なずに。多少の負傷はしていても、致命傷はない。
「それは私たちを舐めていたから……」
「だからと言ってそう何度もですか? 何より彼らに侮りなんて無いのはみっちゃんだって実感しているでしょう」
「ぐぬぬ……」
尚も三葉は反論するもシノアの正論にぐうの音も出なくなる。
「それに、彼らは私たちや優さん、ミカエラさんを助けてくれました」
彼らは彼らなりに目的はあるのだろう。だが、助けられた事実はなくならない。
もし殺す気があるなら今ごろ命はないし、策に嵌るにしてもあまりに回りくどい。そもそもそんな面倒な手段をとらなくても正面からやれば済む話。絶対強者であるアークライトとキスショットが小細工を弄する必要などないのだ。
極めつけは名古屋市役所でのアレ。自分が最も望んだ理想の世界にして、過去の後悔を強く刺激し、己の心を試す夢。誰も自分が見た夢の内容を語ろうとしないし、互いに聞くこともない。
シノア隊のメンバーは過去への後悔と葛藤を何かしら抱えていた。優は家族、君月は妹、与一は姉、三葉は仲間、シノアは己。奥底に刻み込まれた自身を構成する根本。後悔、自責、自己嫌悪、空虚、それら全てを以って今の自分がいる。身を削る程のトラウマでありながら、決して忘れ去ることのできない
だが、ソレが無意識にすら影響を及ぼし、結果、いらぬ結果を生み出してしまうことがある。事実、優は独断専行上等の問題児で、君月は優秀であるも協調性がなく孤立し、与一は自己主張ができない引っ込み思案のパシリ扱い。シノアは感情が薄く今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気を纏い、三葉は頑固で融通の利かない堅物だった。シノア隊となったことで緩和してはいるものの、時々ソレは姿を現している。
トラウマとは、単に乗り越えればいいものではない。行動に影響する程のトラウマなど、早々に克服できるものか。
何に対しても越えられないのは別段怖くはない。最も恐ろしいのは、退くことなのだ。
立ち止まってもいい。怯えてもよい。挫けても構わない。だが、逃げることだけは――退くことだけは、絶対にしてはならない。
――――そして彼らは、誰一人として”
乗り越えた訳ではないのだろう。納得した訳ではないのだろう。忘れた訳ではないのだろう。それでも、確かに前へ進んでいた。
「ここまで助けられておきながら、吸血鬼だからという理由で疑うのは色々どうかと。少なくとも一考する価値はあると私は思います」
優とミカエラがそれを言われると弱いのか顔を見合わせている。直接な形で救われ、そして話もしたのが二人なのだ。その時に感じた印象からして、これまで感情がないと決めつけていた吸血鬼とはとても思えない。正直なところ、実は人間なのではと感じてしまう程に。
と、ここで蚊帳の外だった鳴海が待ったをかけた。
「おい。私を除け者にして話を進めないでくれないか?
いったい何のことなのか説明してくれ」
あっ、忘れてた、と言わんばかりの表情となるシノア隊メンバー+ミカエラ。さすがにカチンときた鳴海だが、「自分は年上だ、余裕を持て」と己に言い聞かせるように呟き、怒りを抑えていた。
代表してシノアが掻い摘んでこれまでのことを伝える。聞き終わった鳴海は腕を組んだ。
「なるほど。吸血鬼がそこまでしたとなると、確かに一考の余地はあるな。だが、それには問題がある。その第一位始祖はアメリカの吸血鬼なんだろう? なら今も日本にいるとは限らない。そもそも接触するにしてもどうやるつもりだ?」
「それについては問題ないと思う」
鳴海が出した尤もな懸念を、真っ先に否定したのはミカエラだった。
「……問題ないとは?」
「僕らが助けられた時、彼女は《終わりのセラフ》の依代の確保が目的の一つだと言っていた。そしてその依代だと思われる優ちゃんはここにいる。ならいずれ、あっちから接触してくる筈だ」
「え? なんですかそれ聞いてないですよ」
「は? え、優ちゃん、言ってなかったの?」
「…………」
初耳だったのかシノアが面食らい、ミカエラが優を見るが、その優は気まずそうに視線を逸らした。
「優ちゃん……まさか」
「……悪い、言うの忘れてた」
基本的に優以外にはあまり心を開いていないミカエラが他のメンバーと自分から会話することは殆どない。話しかければちゃんと返すし、真面目に考えもするが、吸血鬼である疎外感からか自ら距離を置いている。
ならばスーパーでのキスショットとの一件に関しては、優が皆に話しておくべきだったのだろう。
しかし連続で起きた衝撃的な出来事や、帝鬼軍からの逃走、食料と水の確保などに奔走しきりで完全に頭からすっぽ抜けていたようだ。
何が悪かったかと言えば、色々だ。忘れてた優もそうだが、この後に及んで未だ皆と距離を置くミカエラも悪い。それにタイミングもだ。
だから優を責めることはせず、取り敢えず感じる筈のない疲れを感じて溜息を吐いた。
「兎に角、接触してくるのは時間の問題、と言うことだ」
「……ふむ、そうなると本当に信用できるかが要点だな。だが、確かにそれが現状で最も安全かもしれない。私はこの吸血鬼の意見に賛同する。君らはどうだ?」
「俺も賛成だ。今の俺たちには何の備えもない。十分に備えるには組織に頼らないと無理だが、帝鬼軍は絶対に信用できない。ああは言ったが、選択の余地はないだろうな。少なくとも今は、人間より吸血鬼の方がマシだ」
「……ま、それしかないか。いつまでもこうしてる訳にはいかないからな」
「日本帝鬼軍よりヤバい組織なんてそうありませんからね〜。その点、皮肉ですけど吸血鬼の方が信用できます」
次々とミカエラの意見に賛同していく。否定していた鳴海に君月、慎重だった三葉、シノアに至ってはミカエラを援護し、唯一何も言わなかった与一はただ笑顔を見せてくる。
予想外だったのか、最後には自分の意見が通ってしまったミカエラは、呆気にとられぽかーんとしていた。ちなみに優は、「どうだ俺の仲間は!」と言わんばかりのドヤ顔を披露していた。
この日ようやく、停滞していた結論が出たのだ。
「では、結論は出ましたか」
だから、なのだろう。完全に気が抜けていた。
「日本帝鬼軍を抜けた
「お〜――――え?」
拳を突き上げようとした優の声と動作が止まる。今のは誰だ、と。思わず反応してしまったがこの場にいる誰の声でもなく、こんな丁寧口調の者もいない。
全員がバッ、と謎の声の方を向く。
「ようやく気付いてくれましたね。初めまして皆様。エリアス・アラバスターと申します。第一位始祖アークライト=カイン・マクダウェル様の使いとしてやってきました」
実に懇切丁寧で穏やかな声色で、メイド服姿の吸血鬼がそう告げた。
◇ ◇ ◇
「初めまして皆様。エリアス・アラバスターと申します。アークライト=カイン・マクダウェル様の使いとして参りました」
そう言う以上、彼女も吸血鬼なのだろう。吸血鬼特有の白い肌に紅い目。ただ、白いといっても生気の感じられない蒼白さはなく、磨き上げられた陶磁器のように滑らかで綺麗な肌だ。瞳も血のように真っ赤ではなく、宝石のルビーのごとく美しい。どこかあの第一位始祖を彷彿させる。
だが、これまで会った吸血鬼とは悉く180度反転したような懇切丁寧さと、メイド服という場違いにも程がある服装が優たちの思考を遅らせる。端的に言えば唖然としていた。
最も早く再起動を果たしたシノアが辛うじて声を絞り出す。
「き、吸血鬼……?」
「はい。アークライト様付きの筆頭メイド長、エリアス・アラバスター。正真正銘、吸血鬼です」
ふわりと微笑んでみせる。与一、君月、優の三人組が思わず頰を赤らめた。唯一鳴海だけは警戒心の方が強いのか変わらなかった。若干引き締めた表情が崩れそうになっていたが。
吸血鬼は容姿の優れた者が多いが、エリアスは別格だ。かつて世にいた女優らは揃って敗北を認めてしまうだろう。
すらりとした女性としては高めの身体は見事に均衡が保たれ、まさに黄金比。特に胸部装甲など、女性組で特に発育がいい三葉が即白旗を上げる程のものだ。そんな肢体を清楚なメイド服が包んでいる。かつてあったメイド喫茶のなんちゃってではなく、マジなメイド服だ。
「……元日本帝鬼軍軍曹、シノア隊隊長の柊シノアです」
「ええ、話はずっと聞いていたので名前は把握しています」
「ずっと、と言うとどの辺りから……」
「三宮三葉が前提条件を話し始めた辺りから。いえ、正確に言いますとあなたたちがこの集落に辿り着く前から見ていました」
シノアたちは絶句した。つまるところ監視されていた訳だ。この場に都合良く現れたのはタイミングを見計らっていたということか。
ここにはかつてグレンを一時圧倒したミカエラもいるというのに、違和感すら感じさせないとは、それだけでエリアスが圧倒的強者であるのがわかる。
「時々あなたたちが気付かない程度に露払いもしていたのですよ」
「露払い?」
「アークライト様は天使の天敵にして大敵。例外的にヨハネの四騎士から積極的に狙われます。その血を引くイヴ様も私も同様。気配は隠してはいましたが、完全にとはいきません。なので私に引き寄せられてきたヨハネは、あなたたちが感づく前に始末していました」
「あの第一位始祖の眷属!? それはつまり貴女も貴族であると……」
「いえ。確かにアークライト様の眷属ではありますが、貴族ではありません。なにせ空きがなかったので。そこの百夜ミカエラと同じですね」
「…………」
逃げる選択肢はなくなった。アークライトの眷属というならば、少なくとも自分たちでは絶対に勝てない。彼女がその気になれば刹那の間に殺される。
「そんなに警戒しないでください。我々と接触すると決めたのはあなたたちでしょう。私に害意はありません。穏便にと言われていますので」
「……あまりに突然だったので」
「それは申し訳ありません。何事にもタイミングが重要ですね」
シノアは確信した。この吸血鬼はとんだ食わせ者だと。
やはり彼女はあえてこのタイミングに現れたのだ。なにせ自分たちは何の準備もしていない。交渉材料も、打ち合わせも、方法も。出掛かりを完全に潰されている。
更に、それをわざわざシノアに悟らせるように言葉にした。つまり遠回しに交渉をしようと持ちかけているのだ。もしくは彼女なりに試しているのかもしれない。この状況でどれだけ利を引き出せるか、彼女たちが本当にアヴァロンへ招くだけの価値があるのか。
これらをシノアは瞬時に判断した。伊達に魑魅魍魎が闊歩する柊家を出ていない。交渉のノウハウくらいはわかっている。
恐らくここから先はシノアの手にかかっている。他の皆にこんな食わせ者の相手は無理だろう。感情が薄い自分だからこそ、ここはやるしかないのだ。
「ここからは私に任せてください。彼女との交渉は私がやります」
「大丈夫なのかシノア?」
「……正直、自信はありません。でも、やるしかありません」
「……わかった。ここはシノアに任せる。皆もそれでいいな?」
三葉の問い掛けに無言の肯定が返された。シノアは「ありがとう」と言って、エリアスの近くまで歩いていく。
「そんなに近づいてよろしいのですか?」
「穏便に、と言われているのでしょう?」
「……ええ。なるほど。歳に似合わぬ胆力、なかなか見どころがあります。それでは、交渉を始めましょう」
吸血鬼と人間、交渉という名の戦いが始まった。
まずエリアスは、アヴァロンへ来るにしても何の保障もないのは不安と不和の元にしかならないから、幾つか条件をつけていいと提案してきた。
なんとも破格な待遇に見えるが、実際は違う。シノアとエリアスでは立場が違いすぎる。シノアは挑む側で、エリアスは挑まれる側なのだ。相手は高みから椅子に座り見下ろしているのに対し、こちらは策を弄し同じ土俵に下ろさなければならない。
つまるところあまりに不利なシノアに譲歩しているのだ。
完全に舐められているが、そうでもしないとそもそも勝負にならない。遠慮なく頂くことにした。
シノアが提示した条件は三つ。
一つ、アヴァロンに行くにあたって行動の自由を縛らないこと
二つ、強要をしないこと
三つ、自分たちの衣・食・住の保障
出された条件を聞いてエリアスは「ふむ」と考え込む。
「随分と控え目ですね。もっと有利な条件をつけることも可能でしょう。本当に最低限です」
「そこまで贅沢は言いませんし、身の程知らずでもありません。譲歩して貰った恩を考慮しているつもりです」
「正直に言いますね。交渉という面では失格ですよ」
「ええ、その通りです。でも、偽りと欲で塗り固めるよりはマシです」
エリアスは内心で笑んだ。愚かさを嘲笑っているのではない。その愚直ながらも真摯で真っ直ぐな心根を賞賛しているのだ。
交渉としては失格だろう。それでも人としては合格だ。こんな世の中になっても変わらない人の皮を被った魑魅魍魎よりずっといい。
過去の経験からエリアスは、そんな輩を酷く嫌悪している。善人ぶった面で嘘を真実だと息のように吐き、私欲を肥やすことしか頭にない本当の意味で人の道を外れたクズ共。例えるなら日本帝鬼軍を牛耳る柊家。エリアス的に遭遇すれば即殺確定だ。
その点、このシノアという少女はなんと真っ直ぐなことか。名前からして件の柊家の出なのだろうが、よく歪まず育ったものだ。過去はどうかわからないが、重要なのは今。
もうこの時点でエリアスはシノアを認めていた。彼女を信頼して任せた彼女の仲間も同様だ。
「提示された条件の半分は呑みましょう」
「半分とは?」
「三つの条件それぞれに訂正を加えます」
まず一つ目。行動の自由を認める代わりに、こちらの指示もある程度は聞いてもらう。
次に二つ目。強要はしない。ただし協力はしてもらう。
最後に三つ目。保障はする。ただし働け。
「は、働く?」
「都市の修復の手伝い、定期的にやってくるヨハネの討伐参加、地上探索への協力、などなどです。この国に働かざる者食うべからずという諺があるように、相応の対価は支払ってもらいます」
「えっと、まぁ、別に構いませんけど。今までも似たようなことはやって来ましたし……」
まさかの展開に困惑気味のシノア。誰も吸血鬼から働けなどと言われるなど予想できないだろう。
「これで良いなら、必要な情報の提供も条件に追加しましょう」
「え!? いいのですか? そちら側のデメリットになりかねませんが……」
「ふふ、本当に素直ですね。元々、情報の提供というのはイヴ様が百夜優一郎に約束したこと。これを反故にしてはイヴ様、ひいてはアークライト様の沽券に関わります。なによりメリットだけというのも怪しくなってしまいますからね」
つまり、お互いに適度なメリットとデメリットがあった方が信用できるのだ。
シノアたちは衣食住と安全、情報などを得る代わりに、常に複数の最上位クラスの吸血鬼に見張られるというデメリットを。
アヴァロン側はアークライトの思惑通りに複数の《終わりのセラフ》の依代を手元に置ける代わりに、同時に未だ暴走の危険性が少なからずある優を抱え込むというデメリットを。
互いに下手な手段は取れない状態になる。ただ一方的なメリットがあるより、こういった関係の方が意外と安定するのだ。
「なるほど。確かにそれはそれでありかもしれませんね。では、これで……?」
「ええ、契約成立です。アークライト=カイン・マクダウェル様の第二眷属、エリアス・アラバスターの名を以って契約の遵守を誓います」
ここに契約は成った。エリアスがアークライトの名を出してまで誓った以上、これを破ることはない。
その宣誓が本心だと悟ったシノアは、安心したのかその場にへたり込んでしまった。慌てて優たちが駆け寄ってくる。
「おい、大丈夫かシノア」
「き、急に力が抜けてしまいまして……。ちょっと暫く立てそうにないです」
よほど緊張していたのだろう。完全に腰が抜けてしまっている。
その様子を見かねてエリアスが歩み寄り、手を差し伸べた。シノアは暫く迷い、手を取って立ち上がる。
「すみません。ありがとうございます」
「いえ、謝るのはこちらです。試すような真似をして申し訳ありません」
謝罪の末、頭を下げるエリアス。シノアがわたわたと慌てる。
「ちょ、頭を下げなくていいですから! と言うか、人間に謝るなんて本当に貴女は吸血鬼ですか!?」
「アークライト様とアヴァロンの為なので後悔はありませんが、あなたたちを追い詰めたのは事実。今後の為にも謝罪は当然。なにより、たとえ人を外れ吸血鬼になろうと、心まで忘れたつもりは微塵もありません」
「うっ……」
最後のその言葉が、意図なくミカエラに突き刺さった。表情を歪めたのは一瞬で近くいた優と感覚が鋭いエリアスしか気づかなかったが、優は悲しくも決意を固めた目をするだけで何も言わず、エリアスはあえて黙っていた。
「でも、良かったのですか?
穏便にと貴女の主人から言われたのでは」
「ご心配には及びません。沙汰があるなら甘んじて受けるのみ。それに、盲信と忠信は違いますから」
尤も、アークライトなら何のお咎めもないだろう。斬りかかってきたミカエラまで善いの一言で許すくらいなのだから。
「では早速、準備を急いでください。それでは皆様――」
姿勢を正し、赤い海をバックにエリアスが、見惚れる笑みで言う。
「あなたがたを、アヴァロンへご招待いたします」
確実に、世界は変わろうとしていた。
尚、エリアスが条件に追加したことが似通っているのはちゃんと意味があります。
恐らく次回から暫くは幕間、アヴァロンでの日常編です。原作での第二部に入るのはもう少しあとかと。アークライトとキスショットの出会いや大喧嘩も書いていきたいと思います。