“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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焔光の夜伯 Ⅲ

 それは三年前のこと。イタリア半島の自治領ローマで起きた列車の爆破テロに巻き込まれたという体で、重傷の暁凪沙は絃神島に運び込まれた。意識を喪失していた暁古城も同様だ。

 

 凪沙はMARの医療棟にて専門家の治療を受けることになった。古城は比較的早い段階で意識を取り戻し、母親である深森が私物化しているゲストハウスで諸々の手続きが済むまで過ごすことになる。

 

 意識を取り戻した古城は──“まがいもの”は全てを知っていた。凪沙と古城が巻き込まれたのは爆破テロではなく、十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”を巡って勃発した黒死皇派との抗争だ。

 

 抗争の最中、暁古城は凶弾から身を挺して凪沙を庇って死亡。優れた霊能力を持つ凪沙が眠りから目覚めた第四真祖と交信し、大切な兄である古城の復活を願った。

 

 十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”──アヴローラ・フロレスティーナ。氷の柩にて眠っていた彼女の肋骨を二本与えられ、暁古城は現世へと舞い戻る──はずだった。

 

 第四真祖が蓄える莫大な“血の記憶”を前に暁古城は呑まれて消えた。代わりに全てを受け止めたのは“まがいもの”の前世(だれ)か。幼き少女の願いは虚しく叶わず、物語は本来の筋書きから大きく逸れ始める。

 

 意識を回復した“まがいもの”は自身を取り巻く状況をある程度把握すると、感傷に浸るのもそこそこに行動に移った。なんの偶然(バグ)か、“まがいもの”には原作知識なるものがあった。上手く活用すれば、この先の未来を変えることも不可能ではないはずだろう。

 

 だが、起こり得る未来を知っていたところで“まがいもの”は非力な中学生に過ぎない。第四真祖の肋骨を与えられて“血の従者”になったとはいえ、アヴローラは未だ完全な覚醒には至っておらず、現時点ではただの人間と大差ないのだ。

 

 そうでなくとも、人一人にできることなど限られている。必然的に“まがいもの”は協力者を求めた。

 

 手始めにアプローチを掛けたのは凪沙と古城の父親である暁牙城。脆弱な人間の身で第四真祖の魂を宿すことになってしまった娘を救うため、牙城は世界各地を巡り調査を継続している。

 

 原作知識という反則技で凪沙を取り巻く複雑な状況を“まがいもの”は理解している。上手く知識を利用すれば、娘想いの牙城と、順当にいけば母親である深森とは協力関係を結べるはずだ。

 

 両親から買い与えられていた暁古城の携帯電話を取り出して牙城に連絡を試みる。案の定、留守電に繋がったので必要最低限の情報だけ残して折り返しを待つ。

 

 ソファに腰を下ろして待つこと数十分、暁古城の携帯電話が着信音を鳴らす。“まがいもの”は深呼吸を一つ挟み、僅かな緊張を滲ませながら通話を始めた。

 

『──おい、バカ息子。冗談を取り消すなら今のうちだぞ』

 

 開口一番に聞こえてきたのは怒気混じりの男の声だった。何の身構えもなく受ければ身が竦みかねないほどの怒りだ。それも仕方ない、と“まがいもの”は苦笑いする。

 

 今の牙城は己のミスで娘と息子を失いかけたばかりなのだ。言葉選びを間違えようものなら協力関係どころか敵対してもおかしくない状況だ。

 

「冗談じゃないさ。俺は、凪沙ちゃんを救う術を知っている」

 

 “まがいもの”が残したメッセージは一つ──暁凪沙を救う術を知っている、これだけだ。文字通り一度死んで蘇生したばかりの息子からそんな伝言を残されて、冷静でいられる父親もそうはいないだろう。

 

『なんだおまえ、急に他人行儀な喋り方しやがって。反抗期か?』

 

「それは偽りなく他人だからだよ、牙城さん。俺はあなたの知る暁古城じゃない」

 

『……冗談にしちゃ性質(タチ)が悪いぞ、古城』

 

 静かな声音に殺気が滲む。これ以上、世迷いごとを吐くならばその場に駆け付けてぶん殴ってやると言わんばかりの圧力が、電話越しにも伝わってくる。

 

 しかし“まがいもの”は怯むことなく言葉を続ける。

 

「あの日、あの遺跡で暁古城は死に絶えた。凪沙ちゃんが第四真祖に働き掛けたことで一時は復活するかと思われたけど、暁古城は第四真祖が保有する“血の記憶”を受け容れきれずに呑み込まれてしまった」

 

『だったら、今そこにいるおまえはなんだ?』

 

「陳腐な表現だけど、暁古城の前世みたいなものと思ってくれればいい。空っぽになってしまった器に入り込んだ、ただの“まがいもの”だ」

 

『…………』

 

 ぱたりと電話口からの声が途切れてしまう。気付かないうちに息子を失ってしまっていた衝撃の事実を、どうにか受け止めようとしているのかもしれない。“まがいもの”も無理に話を続けることなく、牙城の反応を待った。

 

 数分近く黙祷の如き沈黙が続き、電話口から深々とした溜め息が洩れ聞こえた。

 

『あんたの言葉を全て鵜呑みにしたわけじゃないが、一応納得しておく。それで、前世さんは何を知っていて、何をしようとしてんだ?』

 

「知っていることは話すと長くなるから、またにしよう。何がしたいかは決まってる──」

 

 徐に“まがいもの”はソファから立ち上がり、リビングの入り口を見やる。そこにはしわくちゃの白衣を身に纏った童顔の女が立っていた。凪沙と古城の母親である深森だ。

 

 恐らくは牙城から何かしらの連絡を受け、古城の様子を見るために凪沙の病棟を抜け出してきたのだろう。“まがいもの”は途中から気配に気付いていたが、敢えて指摘せず通話の内容を聞かせた。

 

 通話の内容から息子が還らぬ人となってしまったことを知った深森は、痛ましげに唇を噛んで“まがいもの”を見ている。電話越しの牙城と違い、面と向かって顔を合わせたからこそ、深森は目の前の少年が大切な息子ではない誰かだと確信してしまったのだ。

 

 息子を失い悲嘆に暮れる母親に、“まがいもの”は気遣うように微笑みを浮かべて告げた。

 

「──凪沙ちゃんを救う。それが、“まがいもの(おれ)”にできる唯一の贖罪だ」

 

 

 ▼

 

 

 古城が自宅に帰ったのは日もすっかり落ちた時間帯。午後七時を回った頃合いだった。

 

 ここまで帰りが遅くなったのは目一杯に祭りを楽しんだから、ではない。途中から古城は祭りをそっちのけで、MARのとある研究施設付近の警戒を行っていた。もしも先の少女が古城の知る彼女であった場合、襲撃が起きるはずだと推測したからである。

 

 しかし待てど暮らせど襲撃は起こらず、古城たちは無駄に研究施設周辺を彷徨く不審人物となってしまった。付き合わせてしまった雪菜と浅葱には悪いことをしてしまったと思う。

 

 結局、起きるかも分からない襲撃をいつまでも待つわけにもいかず、古城たちは解散することになったのだ。

 

 後ろ手に玄関の鍵を掛けて靴を脱いでいると、ぱたぱたと忙しない足音がリビングから響いてくる。顔を上げればエプロンを着こなした凪沙がお玉を片手に目の前に立っていた。

 

「おかえりー、古城くん。遅かったね? 浅葱ちゃんとのデートは楽しかった?」

 

「デートじゃないからな。姫柊もいたし」

 

「ええ!? ダブルデートだったってこと!? ダメだよ、古城くん。どっち付かずの態度は浅葱ちゃんと雪菜ちゃんが可哀想だよ! ちゃんと誠実に向き合わないと、“彩海学園の紳士”の名が泣いちゃうよ!」

 

「ダブルデートって、意味違うからな。少し落ち着け」

 

 呆れ混じりに騒々しい凪沙の額に軽くデコピンし、古城はリビングへ向かう。うぅ、と小さく呻いて額を摩りながら凪沙も少し辿々しい足取りで背中を追った。

 

 リビングに入るとキッチンから香ばしい香りが漂ってくる。見ればコンロにフライパンが掛けられており、調理の途中であったことが伺えた。

 

「珍しいな、まだ途中だったのか」

 

 いつもならばもう晩御飯の用意は終わって食卓についているであろう時間帯だった。しかし今日はまだ準備も終わっていないらしい。

 

 えへへ、と凪沙は誤魔化すように頭を掻いた。

 

「昨日、お祭りではしゃぎ過ぎて疲れちゃって、お昼過ぎまで寝ちゃってたんだよね。その後もうとうとしてて、晩御飯の支度が遅くなっちゃった」

 

 凪沙は古城たちと違って昨日は友人たちと祭りに繰り出していた。そこで思う存分祭りを堪能したのだろう。反動で疲れ果ててしまい、今日に響いてしまったようだ。

 

 そうか、と一つ頷いて古城は服の袖を捲る。

 

「なら、俺も手伝うよ。いつも任せてばっかで悪いからな」

 

「いいの? じゃあ、手伝ってもらおっかな」

 

 上機嫌に微笑んで凪沙はキッチンに立つ。流しで手を洗った古城がその隣に並ぶ。

 

 本日のお品書きは凪沙特製のオムレツだったようだ。丁度中身の具材を炒めているタイミングで古城が帰宅したらしく、炒め途中の具材がフライパンの中に残っていた。

 

「俺は卵の用意をすればいいか」

 

「うん、いつもの感じでマヨネーズと塩胡椒も混ぜてね」

 

「はいはい、分かってるよ」

 

 じゅう、とフライパンの中身を炒め始めた凪沙の隣で、古城はボウルに卵を割り落として掻き混ぜる。ご要望の通りにマヨネーズと塩胡椒で調味し、少しバターも加えてアレンジした。

 

 ボウルを片手に菜箸で卵生地を掻き混ぜていると、凪沙が妙にご機嫌な様子で話し始める。

 

「なんだか、こうやって古城くんと一緒にキッチンに立つの、久しぶりな気がするなぁ」

 

「そうか? そうだな、そうかもな」

 

 言われてみれば、確かにと古城は頷く。二人並んでキッチンに立って夕飯の支度をするのはあまりない。家事の分担の都合上、肩を並べて食事の用意をすること自体がなかったからだ。

 

 何が嬉しいのか鼻唄混じりに具材を炒めつつ凪沙は言葉を続ける。

 

「そうだよ。だから、ちょっと嬉しいんだ。こうやって普通の兄妹みたいにお夕飯の用意して、一緒にご飯を食べて。当たり前のことだけど、古城くんがいるから、凪沙は寂しい思いをせずにいられるんだよ」

 

「改まって、どうしたんだよ?」

 

「だって、深森ちゃんも牙城くんも滅多に家には帰ってこないし。古城くんがいなかったら、凪沙は一人ぼっちだったかもしれないから。だから、古城くんにはいっつも感謝してるんだ……」

 

「凪沙……?」

 

 妙な話の流れに古城は不穏な空気を感じ取り、隣に立つ凪沙の顔色を伺う。普段と変わらないように見える横顔だが、唇が若干青褪めている。耳を澄ませば掠れるような呼吸音が聞こえてきた。

 

 古城の脳裏を、つい先ほどの凪沙との会話が過ぎる。

 

 いつもよりも遅れた夕飯の支度。昼過ぎまで寝ていたという発言。その後もうとうとしていたと言っていたが、果たしてそれは疲労が原因だったのか。

 

 古城の中で複数の情報が結び付く。凪沙の体調不良を看破した古城は、掻き混ぜていたボウルを置いて即座に凪沙の背後に回る。直後、ふらりと力なく凪沙の身体が後ろに倒れ込んだ。

 

「凪沙! しっかりしろ、凪沙!?」

 

 倒れる凪沙の身体を優しく抱き留め、ゆっくりと床に座らせる。苦しげな呼吸を繰り返す凪沙の身体はまるで氷のように冷たい。その原因を古城は知っていた。

 

 霊能力の過剰な行使。人の身には余る第四真祖の眷獣を憑依させ続けている尋常ならざる負担。それらの要因が凪沙の心身に過剰な負荷を掛け、入退院を繰り返させるほどの衰弱を齎しているのだ。

 

 原因が分かっていたところで古城にできることはない。今できることは、設備の整った医療施設に運び込み、専門家の治療を受けさせることだけ。

 

「だい、じょうぶだよ、古城くん……いつもの、やつだから。そんなに、心配しなくていいんだよ……」

 

「無理に喋るな。すぐに母さんのところに運んでやるから……!」

 

「えへへ、深森ちゃんに診てもらえるなら、だいじょうぶだね……」

 

 極寒の凍土に放り出されたように冷え切った凪沙の身体を抱き締めながら、古城は慣れた手付きで携帯電話を操り深森に連絡を取る。

 

 凪沙がこうして倒れることは一度や二度ではない。その度に対処してきたため焦りでパニックに陥ることはなかった。

 

「母さんか? 忙しいところごめん、凪沙が倒れた。受け入れの手配と搬送車両を家に寄越してくれ。頼む」

 

 深森を母さん呼びすることに若干の抵抗はあるものの今は緊急事態である。要件を手短に伝え、『任せて』という心強い返事を貰って通話を切った。

 

 搬送車両が駆け付けるまでまだ時間が掛かる。少しでも楽な姿勢を取らせるために古城は凪沙を抱え上げてソファまで運ぶ。凪沙が不安がらないように古城は側に寄り添った。

 

 霊能力の過剰行使によって苦しい思いをしているだろうに、しかし凪沙は寄り添う古城を気遣うように見上げる。

 

「ごめんね、古城くん……いつもいつも、迷惑かけちゃって」

 

「迷惑なわけないさ。今はゆっくり休め」

 

「うん……」

 

 しおらしく頷く凪沙の額を優しく撫で、古城はその場を離れようとする。医療施設に搬送するにあたって家を空ける以上、色々と準備が必要になる。凪沙の着替えの用意や、雪菜への連絡も必要だろう。

 

 立ち上がった古城の袖が引かれる。ソファに横たわる凪沙が、今にも泣き出しそうな表情で手を伸ばしていた。

 

「何処にも行っちゃ、いやだよ。()()()()()……」

 

「────」

 

 気力を使い果たしたように凪沙の手が滑り落ちる。反射的に古城はその手を掴み取り、傍にしゃがみ込んだ。既に凪沙は意識を失っていた。

 

 苦しげな呼吸を繰り返す凪沙の寝顔を、古城は苦虫を噛み潰したような表情で見つめる。不意打ち気味に放たれた凪沙の言葉が、古城の心を激しく掻き乱していた。

 

 熱に浮かされた心細さが凪沙の偽らざる本音を零させた。普段は大切に胸の内に仕舞い込んでいた想いが洩れ出てしまったのだろう。

 

 ただ側にいてほしい、という意味ではないだろう。たった三年とはいえ、兄妹として誰よりも近い場所で過ごしてきたから分かる。

 

 

 凪沙の言葉は“暁古城”ではなく──“まがいもの”に向けられていた。

 

 

 考えてみれば当然のことだ。幼馴染とはいえ長いこと離れ離れになっていた優麻が気付いて、誰よりも近しい場所にいた凪沙が気付かないはずがない。ずっと前から、それこそ最初から凪沙は知っていたのだ。

 

 気付いていて、知っていた上で凪沙は知らない振りをしていた。それは“まがいもの”のため、そして自分たちのために──

 

 “まがいもの”も悟っていた。それでも拙い演技に付き合ってくれる健気な少女を、兄想いな妹のために騙し続けた。偽りの言葉を吐く度に軋む自分自身の心から目を逸らして。

 

 偽り、偽られていたことで維持されていた関係に亀裂が入った。“まがいもの”の向き合うべき罪がまた一つ、浮き彫りになった。

 

「俺は、どうすればいいんだ……」

 

 両手で包み込んだ凪沙の手を額に当てて、“まがいもの”は力なく呟いた。

 


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