人気がない久留間運転免許試験場の屋上で二人の男女が交わす言葉は、さほど大きく響いてくるわけではない。
だから給水タンクの後ろに隠れた特状課の面々は、会話の詳細まで把握することはできずにいた。しかしそれでも進ノ介と未来が時折笑い合い、肩が触れるほど近い距離にいることはわかる。彼らが本当に古くからの友人であることは、その様子からも明らかであった。
「……まさか、あの二人が知り合い同士だったとはなぁ」
「幼馴染みの二人が、十数年の時を経て再会。嘗ての少年は刑事となり、嘗ての少女はFBI特別捜査官。恋愛フラグキタコレな展開で、これって何てラノベの世界なんですか?ぐぬぬ、泊くん……何てうらやまけしからん!」
感心したように呟く現八郎の横で、究がこちらは何故か悔しそうに歯噛みしている。
「でも彼女、泊くんに久し振りに会ったのに、自然と馴染んでるわねぇ。流石にアメリカ仕込みね」
大きな給水タンクに張りついて進ノ介たちの挙動を観察している男二人の後ろから、りんなもまた興味津々で覗き込んでいた。
「いやぁ、だからですかねぇ?あんなに気軽にボディタッチしてるのは」
「お互いに軽口叩いて、笑い合って、昔を懐かしんで……ぐぬぬ、やっぱり何てうらやまけしからん事態なんだ!」
現八郎と究が身を乗り出させようとする側から、未来が笑顔で進ノ介の肩を軽く叩いている。実は先からその度に進ノ介が前のめりになって咳き込んでいるのだが、やや過剰な反応とも言えるだろう。
「泊さんの、幼馴染み……」
出歯亀の三人の更に後ろに佇んでいる霧子は、複雑な面持ちを隠せない。
霧子は未来の背中が子どもを守り、「どんより」発生中に平然と戦っていたことを知っている。
あの女捜査官が、ロイミュードである可能性を知っている。
しかし、十年以上の空白を持ちながらも友人と再開した喜びに、水を差すような真似はしたくない。それに、未来のロイミュードとしての姿を確認したわけではないのだから、今は黙っているべきなのであろう。
霧子はすぐにでも進ノ介の下へ走り、警告したい衝動をぐっと飲み込んだ。
「って……あ、きっ、きききききき霧子ちゃん!その、ごめん!」
「え?何で私が、西城さんに謝られなきゃならないんです?」
背後にいきなり現れた透明な塊の圧力のようなものを感じたのであろう。振り返った究が、あたふたとしてどもる。
対する霧子は、怪訝そうに首をかしげるばかりだった。
「いや……まったく、気が利かなかったって言うか……」
頭を掻きつつ、究が再会を喜ぶ一組の男女と制服姿の婦人警官とを見比べる。明らかに目を泳がせて言い淀んでいる同僚に、霧子は鋭く突っ込んだ。
「いえ、ですから何のことなんです?」
ストレート過ぎる霧子の踏み込みに、追田とりんなも気がついて注意を向けてくる。困ったように視線を逸らしている究と彼に詰め寄らんばかりでいる霧子が纏う雰囲気は、どう見ても穏やかなものではない。
両者の間に生まれた不穏さ拭うべく、追田が割って入ってきた。
「おう、そうだ!この後で捜査会議があるから、もう戻らねえと。なっ!」
「ちょ……ちょっと追田さん!」
捜査会議が控えているというのは本当のことで、メンバーとなっている追田と霧子はその準備に取りかからざるを得ない。
しかしそれは進ノ介と未来も同じなのに、どうして彼らにも声をかけないのか。
霧子が背中をぐいぐい押してくる追田に抗議しようとしたが、彼女が声を上げる前に、四人の男女は屋内へと通ずる階段へと吸い込まれていくこととなった。
特状課に籍を置く皆がこっそりとオフィスに戻ってからほどなくして、進ノ介と未来も屋内へ引き返していた。
この後の捜査会議に参加するための資料をタブレット端末に揃えてきた未来を、進ノ介が案内がてら試験場の中を連れ歩いている。彼が霧子やりんな以外の若い女性を従えていることは滅多にないため、行く先々で職員たちに珍しがられることとなっていた。
「で、進ちゃんとこは……」
一通りの施設案内を終えてオフィスに戻る途中も、進ノ介に対する未来の口調は親しげだ。
しかしそれでは、何とも緊張感に欠ける。遊んでいたときの愛称は、なるべく控えて欲しいところである。
「昔のあだ名で呼ぶのはやめてくれよ。しまりがないだろ」
進ノ介が率直な意見を述べると、ダークスーツ姿の幼馴染みは一瞬きょとんとしてからすぐに頷き返した。
「それもそうだね。じゃあMr.Tomari」
ならばと未来が口にした呼び名は、アクセントと日本人が苦手とするrの巻き舌発音までもが見事に自然な、英語のそれであった。これでは彼女の周囲だけが「何か間違ったアメリカ圏」で、自分までそこに巻き込まれたかのような錯覚が引き起こされてしまう。
考えてみればベルトも似たような印象なのに、肉声で呼ばれるとこうも羞恥心が煽られるのは何故だろう。
たまらず、進ノ介は一瞬の間を置かずに突っ込んだ。
「そのネイティブ丸出しの発音もやめてくれ。恥ずかしいから!」
「じゃあ、どう呼べっての?」
むっとした未来が、歩きながら口を尖らせる。
子どもの頃よりも遥かに豊かな表情を見せるようになった幼馴染みに、進ノ介はやれやれと言いたげに返す。
「普通に泊刑事でいいじゃんか」
「あ、そっか。忘れてたわ、あはは」
「お前なぁ……しまいにゃ俺も、お前のことミッキーって呼び続けるぞ」
久留間試験場の白い廊下を並んで歩く二人の間に流れる空気は和やかだが、先に言葉に詰まったのは未来であった。
「そ、それはちょっとやだな。子どもの頃は気にならなかったけど、それって世界中で有名な某ネズミじゃん……」
「だろ?お互い様だって」
「センスのなさは、私が負けてるけどねー」
未来が軽く込めた皮肉が進ノ介の胸に刺さり、今度は彼が詰まる。
ネーミングセンスの悪さは日頃からベルトにも指摘されているものの、まさかそれを旧友までが言ってくるとは思っていなかった。確かに未来を「ミッキー」と呼んでいたのは自分だけだが、彼女が気に入ってくれていると信じて疑っていなかったのだ。
痛いところを突かれた若き刑事は、話の矛先を変えることにした。
「そ……そう言や、お前はアメリカのロイミュード犯罪対策のために来たって話だったよな。これまではどうやって対応してたんだ」
「それは捜査会議で、私からみんなに話すから。プレゼン用の資料もちゃんと作ってきてるしね。あーあ、アメリカでも日本みたいな専門家がいればいいのに」
指先で軽くタブレット端末をつついた未来が、廊下の先を見つめながら小さな溜め息を漏らす。
「専門家?」
「仮面ライダー」
進ノ介の言葉を意外すぎる単語で遮り、未来がちらりと視線をよこしてきた。
彼女の黒い瞳は探るようで、それでいて真意を奥に隠したまま、本心を決して晒そうとはしてくれない。むしろ目を合わせると逆に問いかけられるような、相手の言葉を誘い出す雰囲気がある。
何故、警察の人間に仮面ライダーのことなど話そうとするのか?
進ノ介には全く読めなかった。
驚きのあまり咄嗟に反応できなくなっている幼馴染みを尻目に、未来は落ち着いた口調で続けてくる。
「そういうヒーローが、日本にはいるじゃない。あんただって、ちょっとは知ってんでしょ?特状課の事件解決件数が半端ないのも、仮面ライダーのお陰だって聞いてるし」
そのロイミュードと戦う仮面ライダー、つまり仮面ライダードライブの正体は、紛れもない泊進ノ介その人だ。
FBI捜査官が何の前触れもなく持ち出してきた話題は動揺を誘うのに十分だったが、それでも我に返った進ノ介は努めて平静を装った。
「そ……んな都市伝説レベルのもん、まさかFBIが当てにしてるのか?」
「上が当てにしてるかどうかは知らないけどさ。本当に、そういう助っ人がいればいいのにとは思ってるよ」
未来の抑えた声が、廊下にコツコツと響く二人分の靴音に低く重なる。
そこに僅かな苦悩の色を見つけ出した進ノ介には、彼女の瞳から相手の情報を引き出そうとする気配が消えていることにも気がついていた。
それ切り、二人はどちらからともなく口を開かなくなってしまう。
ほどなくして特状課オフィスに到着したため、沈黙はさほど続いたわけではない。しかし、ついさっきまで軽口を叩き合っていたのが嘘のような緊張を伴う静けさは、どうにも息苦しいものであった。
続く捜査会議も、普通であればぴりぴりとした空気の中で行われるものであろう。ただしこの特状課においてはメンバーの人柄もあり、胃の痛くなるストレスを感じさせるものではなかった。今回は未来が初めて参加する会議ということもあり、究やりんなも加えた全員が会議用のデスクに揃っている。
会議とは言いつつも、実際はオフィスに据えられた広い机にメンバーが集合するだけであるため、一人増員しただけでもかなり狭苦しかった。
「えと……間、捜査官?会議の前に、ちょっと質問してもいいかな?」
「名前で呼んで頂いていいですよ、Mr.……西城さん」
自席についたばかりの未来に、究がおずおずと話しかけてくる。
タブレットを開きながら未来がにっこり笑うと、その人懐っこさに安心した彼はほっとした顔を見せた。
「え……じ、じゃあ、僕のことも究でいいから。それでその、FBIって……やっぱり、未確認飛行物体とか、謎の生物とか、超常現象のこととかを専門に捜査したりしてるもんなのかな?」
「……はい?」
好奇心が抑えられないと表情で語る究の問いに、微笑み続けていたいた未来の表情とタブレットのディスプレイを滑っていた指先が固まる。
「そうそう!UFOとか、宇宙人とか、UMAについてとか。そういう変わった事件があったら、こちらも詳しくお話を聞かせて頂きたいんですよ。不可解な事件に対して、本場アメリカでは一体どういう捜査をやっているのか、非常に興味がありますからなあ」
究に刺激され、現八郎も身を乗り出して期待に目を輝かせている。彼らがハリウッド映画やテレビドラマの題材となる事件の話を想像していることは、誰の目にも明らかだった。
怒号と銃弾が飛び交う、未知の生物との対決。
炸裂するマズルフラッシュの炎と爆発音。
FBI特殊部隊の活躍は壮大なゴシップとなって全米を駆け巡り、民間人が星条旗を振りながらその成果を讃えるも当局は沈黙を貫き、事件はやがてアメリカ社会の闇の底へと飲み込まれていく--
そんな話を鼻息も荒く、二人の男たちが待ち構えている。
「えと、あの……何か誤解があるようですけど、FBIは司法省の下にある捜査機関ですから……基本的には国家公務員であるわけで、やっていることは警察とあまり変わりませんよ。確かに、地方警察では手に負えない事件が回されてくることも多いのは事実ですが」
「……え」
しかし彼らを両手で制しながら困り顔になっている未来が語ったのは、意外にも地味な現実であった。想像とあまりにも違う話を持ってこられた現八郎と究も、思わず顔を見合わせてしまう。
先を続ける未来が、むしろ申し訳なさそうになっていたほどだ。
「我々の捜査対象となる事件は、連邦法に触れているかどうかがその境界線になるんです。同一犯による事件が州を越え、連続で発生した場合は勿論ですが……例えば単純な銀行強盗などでも、その銀行が連邦保険に加入している場合は、我々FBIの管轄となるんです」
「えっと……するってぇと、アメリカでは鬼入道が複数の州で現れてるってことなんですかね?」
説明の後半は軽く流した現八郎が問い返すと、未来は再びタブレットの画面に指先を滑らせながら返した。彼女もまた、現八郎が「ロイミュード」という単語をきちんと発していないことは流している。
「はい。ただ、私が所属しているのはもともとテロや大規模組織犯罪、ロボット犯罪に特化した部隊なんです。故に機械生命体であるロイミュード犯罪にも、主戦力として対応しています。無論、防犯対策も急ぐ必要がありまして」
「ロイミュードがアメリカで現れた場合は、全米の各地へ急行しなきゃならないってこと?大変なのねぇ」
「もう慣れました。それに、これまでに民間人や警察関係者にも大勢の死者が出ているんです。これ以上の犠牲を出さないためにも、必ずこの研修で成果を上げて帰らなければ……」
嘗てアメリカで学生時代を過ごしていたりんなには、活動範囲が全米に渡る大変さがわかるのだろう。彼女がしみじみと情感を込めて同調すると、未来もまた深く頷き返していた。
タブレットの準備が終わったらしい若きFBI捜査官が顔を上げたところで、彼女の返事に聞き流すことのできない内容を見つけていた進ノ介が言葉を挟んでくる。
「アメリカのロイミュードは、そんなに簡単に人を殺すのか?」
「ロイミュードは人間の姿形だけじゃなく、内面もコピーするでしょう?アメリカには、他の国では考えられないような酷い殺人事件も多くて。そんな危険な凶悪犯を一度ロイミュードがコピーしたら、大変なことになってしまうんです」
未来はその場にいる皆も顔に視線を巡らせて、進ノ介個人にというよりは全体に対して話を進めていく。警察関係者に何人もの死者が出ているという想像より悲惨な状況に、オフィスの空気が深刻さを増した。
空間を沈黙が支配しかけるが、重苦しい空白が続くのを阻止したのは、今まで口を閉ざしていた本願寺課長であった。
「アメリカでは、国民が武装することが許されていますからね。人間に化けたロイミュードが武器を手にしたら、日本よりも酷いことになるのはおかしくありませんよ」
「……仰る通りです。しかも現在のアメリカには、ロイミュードの息の根を完全に止める手段がない。何度彼らを破壊しても、すぐまた同じ姿で社会に出て同じ犯罪を繰り返すんです。ほんの数人のロイミュードのために、社会全体が被る損害は計り知れません」
タブレットに展開している資料の一覧を見つめ、未来が机の上で組んだ手にぎゅっと力を込める。
恐らく彼女と知り合いの警察関係者も、ロイミュードと戦った末に殉職した者がいるのであろう。堪えるように唇を噛み締めている未来を気遣わしげに見やる本願寺の視線は、父親のそれを思わせた。
「未来ちゃんは、ロイミュードと直接戦ったことはあるの?」
「ええ。私が持っていたカメラで市街戦の様子を収めた動画がありますから、ご覧に入れますよ」
未来ちゃん、とりんなが呼んだことで、僅かながら気持ちがほぐれたのであろう。それまで瞳に滲ませていた悔しさを薄くし、未来がタブレットの画面が全員に見えるよう机の端に立てて置いた。