特状課が時間の遅い自発的なミーティングで盛り上がっていた頃、深夜帯の気温は急速に下がりつつあった。乾いた空気が音を立てて冷え込み、僅かな水分さえも凍りつかせていくかのようだ。
一年のうちで最も人を拒む時期の闇には、わざわざ紛れようとする者は少ない。
容赦ない寒風が強く吹きつけるビルの屋上に佇む二つの人影は、その一部であった。
そのうちの片方に当たるスキンヘッドの大柄な白人男は、薄手のブルゾンにジーンズを纏い、開いた胸元からはドッグ・タグと金色の胸毛を覗かせている。もう一人は白人男と対照的な細身の日本人で、かっちりと着込んだスーツ姿は帰宅途中のサラリーマンだと言われれば納得する、言ってみれば印象に残らないタイプの男であった。
ちぐはぐな組み合わせの男二人に共通するのは、コートもマフラーも身につけていないのに、身震い一つ起こしていないところだろう。
が、彼らには外見に決して表れることのない共通点がもう一つあった。
造形こそ人間そのもののではあるが、姿も記憶もコピーされた別人格の「誰か」もので、暑さ寒さのような環境に左右される脆弱さを持たず、生き物であれば決して存在しない筈である機械仕掛けの核ーーつまりコア・ドライビアがある。
白人男の連続殺人鬼を模したファイアアームズ・ロイミュード、地味で神経質そうな日本人をコピーしたカタナ・ロイミュードの二人は、揃ってビルの階下に広がる久留間の街を眺めていた。
「日本の能なし警察が、やっと本腰を入れ出したみてえだな」
「アルファ、奴等をあまり甘く見るな。これまでに、何件ものロイミュード犯罪を解決してきた連中だぞ」
アルファと呼んだ白人男をたしなめようとしたのか、スーツ姿の男が素っ気ない口調で返す。
この二人のロイミュードにはもう一つ、基幹プログラムにバグがある不完全な状態で覚醒したという共通点があった。故にナンバーも十六進数の桁が混ざっており、そのアルファベットを取った「アルファ」「エコー」という渾名で名を呼び合っていた。
感情を極力見せようとしないエコーはアルファに意識を向けながらも、静かに煌めく冬の夜景をじっと見据えたまま視線を動かさない。そこに彼の頑なさを見つけたアルファは、全く正反対の意見を吐いた。
「しかしそれも、あの仮面ライダーって奴の助けがあっての話じゃねえか。なら、恐れるに足りるようなもんじゃねえよ。軍隊並みの武装で追い回してくるFBIより弱えんだからな」
「俺たちは日本警察の貧相な武器でも、ダメージを受ければ進化体でいられなくなるかも知れないんだぞ。慎重に行動して損はない」
「やれやれ。日本男児ってヤツぁ、どいつもこいつもお前みたいに頭が硬ぇのばっかりなのかよ?」
一向に同意してこない仲間に、アルファはやれやれとスキンヘッドの頭を振った。
「仲間だからこその意見だ。聞いておけ」
「へいへい」
逆に真面目に聞こうとしないアルファの方へ、エコーが初めて顔を向けたが、今度はアルファの方がエコーから気を逸らしている。
彼はスーツ姿の男から離れると、手近な手摺に腰を乗せた。
錆びだらけの古びた鉄が、ロイミュードの重量に僅かな軋みを上げる。
「だがよ。お前も、気に入らなかったかった奴をブチのめしたかったんだろ?渡りに船って奴だな」
「奴等は別に急がなくとも、そのうち俺が斬ることに変わりはなかった。それとこれとは関係ない」
話題を変えてきた白人の大男に、エコーが変わらず抑揚のない声を返す。
しかしアルファは、そこに密やかな動揺が滲んだことに気づいていた。わざとあげつらうような笑顔を作り、無感情を貫こうとしている仲間を煽っていく。
「最初は偶然だったぽいけどな。獲物の中に必ず一人はお前の刀を見てブルってる奴がいたが、それも関係ねえってか?」
二人で組んで襲った人間の中で明らかにエコーの持つ刀を知っていた者がいたことを、アルファは指摘した。
エコーが襲う相手を選び始めたのはそれからだが、彼はその理由を未だ口にしようとしないのだ。
「俺も、最初はただの偶然だと思っていた……今は余計な詮索をするな。時期が来れば話す。俺とて、まだ全てを思い出したわけではない」
「俺たちに特有の、記憶の混乱か。まあ、特にお前は最近起きたばっかりらしいからな。ま、そうカリカリしなくたって問題ねえだろ」
あっさりと追求を止め、アルファがエコーの視線を追う。
神経質そうな日本人男性の姿をした仲間の黒い瞳は、未だ久留間の夜の姿を映し続けている。精神の弱さが透けて見えるこのタイプは、アルファにとって与しやすい相手だ。揺さぶりをかけ続けるだけですぐに依存してくるパターンが手に取るようにわかり、使いやすいと言えるであろう。
自分たちのバグは進化体の姿と能力が不安定であることが一番の特徴だが、コピーした人間の記憶や一般的な知識が不完全になっているのも、つい最近わかったことだった。バグミュードが仲間同士にならなければ、気づかないままだったかも知れない。
アルファにとって、コピー元の人間の昔や常識などどうでもいい。
ただやりたいように、突き上げてくる衝動に従うのが快いだけだ。
その一方、エコーは自らの過去にどうしてもこだわるらしい。
恐らく進化体の姿がコピーした人間に強く影響されたせいもあるのだろうが、それなら気の済むまでやらせてやるのがいいだろう。どうせ人間相手に暴れられるのは変わらないのだから。
アルファがそこまで考えを巡らせたところで、ひゅう、と寒風が高い音を立てながら吹き抜けていった。無意識に髪がない頭に手をやって見えない帽子を押さえる仕種を見せたアルファに、エコーがふと疑問を投げかける。
「だが、こんなことをやってるだけで本当に仲間を見つけられるのか?」
「ああ。こっちに着いてすぐ、弱っちいのを締め上げて吐かせた情報だ、間違いねえよ。こうやって派手に暴れてりゃあ、そのうちあっちから……」
アルファが鼻で笑って見せた時であった。
不意に、二人の男たちの背後から抑えた声が発せられた。
「成程。こちらとしては、貴殿方の思惑通りに動くつもりはなかったのだが……結果としてそうなってしまった、というわけか」
警戒して振り返ったアルファとエコーの視線の先に、浮かび上がっている複数の人影がある。
頼りなげな屋上灯の光に照らされている彼らは、一見すると四人の若い男女であった。そのうちの一人、金髪に眼鏡をかけて緑色のジャケットを着込んだ男が、一旦口をつぐんで鋭い眼光を投げかけてくる。
男の傍には紅い革コートの背が高い男と、紫色のライダースジャケットを纏った男が佇み、黒っぽいノースリーブドレス姿の女も控えていた。この四名の装いには季節感が全くない上に白い息を吐き散らすこともなく、強烈な風を受けても身じろぐ様子はない。
しかしアルファは、そんなことに気づく前に本能的な感覚でこの男女の正体を掴み取っていた。
「おっ……?」
一言と同時に愉しげな笑いが漏れる。
白人の大男は、ブルゾンの襟を整えながら四人を眺め回していた。
「早速お出ましか。話が早くて助かるぜ」
「君たちが最近この街に来たという、バグのあるロイミュード……バグミュードか。何にしても、俺は君たちを友人として歓迎しよう」
挑発的とも取れるアルファの挨拶に悠然と返した紅い革コートの男、ハートも口許に笑みを浮かべている。アルファとは違い、彼は本心から新たな同胞たちの存在を喜んでいる印象がある。一目見て好戦的とわかる相手の前に進み出てきたハートは隙だらけで、逆に毒気を抜かれてしまう気さえした。
この男が心底からバグミュードたちを仲間と思っているのだとしたら、愚鈍で純粋か途方もない大物か、そのどちらかであろう。
「ふん……てめえらが、この国のトップってわけか」
アルファはあくまで相手を値踏みする姿勢を崩さず、煽り口調を続ける。僅かな間の立ち振舞いや気配からハートが中心的な位置にいると目星をつけ、わざと下卑た態度で一戦を吹っ掛けた。
「なあ。てめえらの中で一番強えのはどいつだ?俺は手応えのない腰抜けとお友達ごっこをする気も、従う気もないんでな。お前たちが強いとわかったら、仲間になってやるよ」
「噂に違わぬ無法者だな。こっぴどく痛い目を見て貰わねば……」
人間社会の中でも低い地位にある者たち特有の品性がない物言いに、ブレンが眉間に皺を寄せながら半歩前に出ようとする。
だが、嫌悪感をストレートに表情に出したブレンをハートが片手で制した。
「面白い、新しい友人たちの強さを量るには丁度いい機会だ。本来ならチェイス、お前の出番だが……生憎、俺も少しばかり楽しみたい」
大人しくしばかりていては身体が鈍ってしまって仕方がないと、ハートの表情が語っている。ロイミュード全体の中心的存在であるハートが宿敵と認めるのは仮面ライダードライブだが、いつも同じ相手ばかりでは流石に飽きるのだろう。
戦闘という刺激を愛するハートらしい考え方と言えるが、ブレンにとってのハートはかけがえのない存在であり、もっと大きく構え、些末なことは仲間たちに任せてくれるくらいの信頼を抱いて欲しい相手だ。
故にブレンは、簡単に退くつもりはない。
「いいえ、ハート。こんな礼儀知らずで、無謀で、腹立たしい奴の相手を貴方がする必要はありませんよ。ここは……」
「では、ここは私に任せて頂きますわ」
ハートの腕を押し退けようとしたブレンの更に前へ進み出た、黒いドレスの人影があった。
横合いからするりと割り込んできたのは、幹部の中で唯一の女性型ロイミュードたるメディックであった。
「メディック?何を勝手な--」
「彼らは基幹プログラムにバグのある存在。ならば、戦いながら相手の身体を効率良く分析できるこの私が最も適任ですのよ?」
当然ブレンは猛然と彼女に食って掛かったが、妖しい微笑を湛えて淀みなく返すメディックに勢いを逸らされてしまう。
一方で、この少女の言うことが最も理にかなっていることは認めざるを得なかった。
確かにバグミュードは根幹にバグという自己治癒不可能な欠陥を抱えた存在であり、治癒の特異能力を有するメディックだけが、戦いを通して彼らの特性を分析できるのだ。ここで彼女がバグミュードたちの弱点を掴んでしまえば、今後有利に事を運べる可能性は高くなる。
理屈で考えたブレンが咄嗟に反論できずにいると、ハートが最終的な判断を下した。
「わかった。では頼むぞ、メディック」
「はい。ハート様のために……」
ハートからの寵愛を奪い合うメディックとブレンの間の戦いで、今回はメディックに軍配が上がったらしい。彼女は嬉しそうに頷くと、改めてバグミュードたちへと向き直った。
ハートやメディックの後ろで、敗者となったブレンは悔しさに歯噛みするしかない。彼は愚痴をこぼす代わりに、無言で佇んでいるもう一人の仲間へと目配せした。
「チェイス。癪に障るが、メディックが危なくなったら支援を」
「心得ている」
胸ポケットから出したチェック柄のハンカチで顔を拭っているブレンの方は見ず、機械的とも言える口調でチェイスが言葉を返す。
以前は目に余る行動を繰り返すロイミュードの肉体を破壊する「死神」と恐れられた魔神チェイサーことチェイスであったが、今は「ロイミュードを守る」命令にひたすら忠実な個体だ。これもメディックが本来の自分を取り戻しそうになっていたチェイスのプログラムを改竄した結果で、その実績がある故、彼女にこの場を任せる理由にもなっている。ロイミュード同士が戦う今回の戦闘においてチェイスがどう判断するのか、ある意味見物と言える。
が、恐らく問題など最初から存在しないのかも知れない。
メディックならば当然そんなケースも想定して自分たちを、いや、ハートと自分を優先するよう細工していることは目に見えている。
進み出ていくメディックと構えるバグミュードたちを腕組みしつつじっと見つめるチェイスは、ブレンの胸の裡など意に介さない鉄面皮を保ったままだった。
そして、一枚岩でない幹部ロイミュードたちのことなど察しないのはバグミュードたちとて同じであった。黒いハイヒールの音を響かせて歩いてきた少女型ロイミュードをあからさまに小馬鹿にし、アルファが鼻白んで見せる。
「ふうん、こんな娘っ子が相手とはな。俺たちも舐められたもんだ。おいエコー、やるぞ」
侮蔑の笑みを浮かべたアルファの巨体が不規則な光に包まれ、人間の姿から無数の砲身を生やした進化態のシルエットへと変貌を遂げた。
「言われなくてもわかっている」
薄い唇を歪めながらも答えたエコーも、スーツを纏った人間の青年から本来の姿である刀を携えたロイミュードへと戻った。