仮面ライダードライブ with W   作:日吉舞

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仲間とは何なのか -1-

 ドライブピットで照井が風都でのロイミュード事件を全て語り終えてから、未来がぽつりと呟いた。

 

「風都でそんなことが……あったんだ」

「ロイミュードが久留間や府中以外に出ても、別におかしな話じゃないからな。それに風都に出たロイミュードも、ナンバーにアルファベットが混ざってたんだよな?FBIが追ってるのと同じタイプってことか」

 

 進ノ介がフォローを入れるものの、未来は半ば心ここにあらず、の状態で考えに耽っている。

 照井の説明には皆からの質問を交えながら一時間程度は要しており、一同は立ち話から作業スペースに腰を落ち着けて会話するミーティング方式に移っていた。

 

 進ノ介が言う通り、久留間以外の場所にロイミュードが出現しても不自然ではない。ロイミュードの一斉蜂起であるグローバルフリーズは世界中で発生し、現にアメリカでも未来たちFBIが対処に当たった事実もある。

 しかし、通常のナンバー以外の識別番号が振られているロイミュードが海を越えたのは初の事例だ。

 

 もし彼等がもっと強力な個体であるハート、ブレン、魔進チェイサーやメディックたちに接触したらどうなるのだろうか。

 未来や照井たちは幹部ロイミュードの存在を知らないが、これから控えているであろう戦いに向けて知識を持ってもらうには、いい機会だと言えるだろう。

 

「ふむ……もし彼等がメディックと接触したなら、バグミュードも完全な個体となる可能性も否定はできない。彼女はロイミュードを癒す能力を持つが、プログラムそのものを書き換えることもできる。デバッグ程度なら簡単にやってのけるだろう」

 

 今まで沈黙を守っていたベルトが、クレイドルから発言した。

 まるで自分の思考を読んでいたかのような的を射た内容に進ノ介が驚く傍らで、未来も驚愕の声を洩らす。

 

「そんな能力があるロイミュードまでいるんですか!」

「彼女……いや、メディックらと行動を共にしている数名のロイミュードは、ナンバーが一桁台の最も強力な個体だ。あのグローバルフリーズも、彼等が数多のロイミュードたちを率いて起こしたものだ」

 

 返すベルトの口調が、やや緊張を帯びたものとなる。

 ベルトの姿となる前、人間だった頃のクリム・スタインベルトを殺害した張本人こそ、今彼が口にした一桁台ナンバーのロイミュードであるハート・ロイミュードだ。ベルトがその時恐怖を何とか克服したのもつい最近のことであり、ハートのことを話題に出すだけでも未だ心理的な負担があるのであろう。

 

 そのハートは、目下のところドライブにとっても最大の敵だ。ロイミュードの仲間を増やして人間の支配を目論むハートが今回の騒ぎに気がつけば、必ずまた戦うこととなる。

 ハート自らが好敵手として認めた仮面ライダードライブである進ノ介もまた、気づかないうちに厳しい表情になっていた。

 

「俺たちが風都で戦った怪人のドーパントも、金色のガイアメモリで能力の高い個体に変身する者たちがいた。ロイミュードにも彼等のような幹部がいるということか」

 

 そして、自分の守った街のことに言及した照井もまた同じであった。

 この先に待ち受けている戦闘に意識が向いている戦士たちの間で、りんなが細い顎を撫でて宙を睨む。

 

「バグのあるロイミュード、通称バグミュード。普通のロイミュードとどんな違いがあるかは未知数だから、もっとよく調べてみなきゃ」

「各署で、もっと情報の連携を図る必要がありますね」

 

 霧子も同調して、車座となって各々の椅子に座っている一同の顔を見渡す。

 

「それにしても、同じタイミングで同じタイプのロイミュードが日本にも現れるなんて……」

 

 しかしまだ何か思うところがあるらしい未来は、まだ自らの思考に沈んでいた。

 

「裏で何かあるのかもな。一応調べてみるか」

「うん……」

 

 と、独り言に真後ろから応えた男の声に、彼女が何気なく同調した時であった。

 未来は一呼吸も置かずにはっと我に返り、ぎょっとして後ろを振り向いた。

 あまりにも自然な相槌が上がったその場所には、つい今しがたまで誰もいなかった筈なのだ!

 

「……って、うわぁ!」

 

 素っ頓狂な声を上げて黒いスーツ姿の小柄な身体が跳ね上がったかと思うと、床を踏み抜かんばかりの勢いで立ち上がる。

 未来が転がるように離れていった椅子の後ろに進ノ介と霧子、剛やりんなの全く知らない若い男が佇んでいた。

 

 歳は二十歳台半ば程度に見える男はカラーシャツにベストとネクタイ、細身のデニムという洒落っ気溢れるカジュアルなファッションに身を包んでおり、無理をしたハードボイルド気取りという印象であった。端正な顔で外跳ねの明るい髪に中折れ帽を合わせているのもまた、彼の伊達男っぷりを強調している。しかしながら、すらりとした体躯には活力が溢れており、俊敏な身のこなしを連想させた。

 誰にも気取られることなくドライブピットに忍び込んできた男が、軽く右手を挙げて未来へ挨拶を送ってくる。

 

「よっ未来、久しぶりだな。あんまり変わってなくて安心したぜ」

「ななななななな、何であんたがここに、久留間にいるわけ!」

 

 ロイミュードの襲撃にすら呼吸の乱れも全く見せなかった未来が、動揺の極みもいいところの口調の乱れを皆に見せる。どもりまくりつつ男を指差す彼女は、すっかり素に戻ってしまっているらしい。自らが酷く狼狽していることを気にする余裕もないようだった。

 

「お前……誰だ!」

「いつの間に……!」

 

 そして驚いたのは、進ノ介と霧子もまた同じだ。

 二人は未来が取り乱している姿を意外に思ったが、極秘の場所へやすやすと侵入してきた不審者には更に驚愕させられていた。刑事と婦人警官が発した声は、警戒と相手への威圧を込めたそれである。

 

 男が未来へ気安く話しかけたところを見るとどうやら二人は知り合いらしいが、だからと言って無条件に信用できるわけがない。とにかく確保するのが先決であろう。

 進ノ介と霧子はどちらからともなく目配せし、同じ考えに至ったことを確かめて頷き合う。

 が、椅子から腰を浮かせていた男女は悠然とした声に引き留められた。

 

「風都からの捜査協力者として俺が呼んだ。彼がさっきの話でも出た、私立探偵の……」

 

 あくまで落ち着き払った態度を崩さない照井が、伊達男を指し示す。

 

「左翔太郎だ。俺は……あらゆる事件をハードボイルドに解決へと導いて見せるぜ」

 

 途中で自ら名乗り、続けられた自己紹介らしき文句の内容に一同が静まり返る。

 驚きの声のひとつすら誰の口からも漏れない空間というのは、却って寒々しい。

 気取って帽子の縁に指先を滑らせる仕草が一層の寒さを誘っていることに、果たして彼は気づいているのだろうか。

 

「……私立探偵、の……左翔太郎……さん?」

 

 たっぷり十秒は数え、改めて椅子に腰をどんと下ろしてから、進ノ介が不法侵入者にしか見えない男の名を反芻する。

 先まで平常心を失っていた未来ですら呆れている一方、照井は慣れっこになっているのだろうか。「失敗ハードボイルド」男の作った微妙な空気を華麗に流しているだけだ。

 

 ただ、巧妙に隠されている筈の警察設備にまんまと忍び込む伊達男の手腕は、見事だと認めざるを得ない。

 今のところわかっているのは、この左翔太郎という人物が仮面ライダーということだけだ。他にどんな人物と繋がりがあるか定かでなく、はっきりとした素性も知れない。警視である照井と懇意にしている人物だからという理由だけで、警戒を解くわけにはいかなかった。

 と、進ノ介が呆気に取られた間抜け面を引き締めた時、隣に座っている霧子が言いにくそうに口を開いた。

 

「あの……失礼ですが、捜査に直接民間人の方を巻き込む訳には……」

「何言ってんだよ、ねーちゃん。そんなら俺はどうなるんだっての」

 

 もっともな理由で怪しい私立探偵を退散させようとしたらしい姉に、弟の剛が突っ込みを入れた。

 剛はと言うと、興味津々な目で翔太郎を観察している。

 もともとあまり細かいことにこだわらない彼は、直感で翔太郎が悪い人間でないことを見抜いたのであろう。未来のように大仰な肩書きを持たず単身で乗り込んでくる度胸や、自分を偽りなく出すある意味馬鹿正直なストレートさも、剛にとって好感が持てる点となっているのだ。

 

「貴方は私の弟だし、その……特別な許可が出てるから」

 

 弟に比べてしっかり者、言い換えれば頑固で頭が硬い姉が主張しようとしたところで、またも翔太郎が割り込んでくる。

 

「ああ、あんたたち二人も仮面ライダーなんだろ?照井から話は聞いてる。俺も照井と同じ仮面ライダーで、このガイアメモリを使って変身できるんだ。ま、仲良くやっていこうぜ」

 

 翔太郎は警戒し続けている進ノ介と旺盛な好奇心を隠し切れていない剛とを交互に見やり、平然と言ってのけた。

 加えてこちらを信用させるためなのか、ベストの裏を探っていた指には緑と黒、二本のメモリが挟まれている。確かにそれは照井が先に見せてくれた「アクセル」のメモリと瓜二つで、照井本人も特に伊達男の言動を咎めたりしていない。

 

「おっ!んなら、話は早えじゃん。俺は詩島剛、仮面ライダーマッハだ。よろしく!」

 

 新たな仲間が増えたことが嬉しいのだろう、剛が笑顔で右手を差し出す。翔太郎も軽い笑顔とともにその手を握り返すと、流れで隣にいる進ノ介にも握手を求めてきた。

 

「……泊進ノ介巡査です」

 

 進ノ介が一瞬だけ躊躇ったのちに握手に応じ、翔太郎の顔を見返す。

 

 --こいつが照井さんと一緒に戦っていた、仮面ライダーWか。

 

 決して唇には上らせない呟きとともに、進ノ介の視線がもう一度翔太郎の全身に飛ぶ。剛よりやや高い位置にある顔を見下ろす位置関係となったところで、翔太郎が小さく息をついて軽く進ノ介の腕に触れた。

 

「そんな顔すんなよ。まあ……信用しろって言ってもすぐには無理だってことは、俺もわかってるがな」

「え?い、いえ!そんなことは……」

 

 胸の裡をそっくり読まれて慌てた進ノ介が慌てて弁解しようとするが、翔太郎は特に気にした様子を見せずに今度は女性陣へ挨拶に回っている。

 どうやらこの私立探偵の腕が悪くないことを、進ノ介は身を以て知らされる羽目となったのだ。

 故に余計に警戒心を煽られた進ノ介の視線の先には、霧子やりんなと握手を終えた翔太郎の姿がある。彼は、勿論未来にも手を差し出していた。

 

「未来も、改めてよろしくな」

 

 未来は何も言わずにただ頷いて、翔太郎の手を握り返すのみだ。

 更に彼女はどこか硬さを感じさせる翔太郎の微笑みから目を逸らしており、両者の間にはよそよそしい空気が漂っている。一方で、この二人がただの友人同士ではなかったという過去を匂わせる結果にもなっていた。

 

「お二人は知り合いなんですか?」

 

 気まずそうな翔太郎と未来の雰囲気を和らげようとしたのか、それとも探りを入れるつもりなのか、霧子が二人の顔を見比べつつ言葉をかける。

 

「まあな。去年の春くらいに……」

「風都で一緒に戦ったの。その時の仲間だよ」

 

 翔太郎に先んじて未来が言葉を被せた。

 若きFBI女性捜査官の大きな黒い瞳には、微妙に険しさが増している。まるで、翔太郎に余計なことを言わせまいとしているかのようだ。

 これまでの行動では常にプロフェッショナルとしての顔を守り続けていた未来が、ここまで動揺を見せているのだ。余程、触れて欲しくない何かがあるのだろう。それが一年ほど前の戦いにあったであろうことはぼんやりと伝わってくるが、今ここで追及すべきことではない。

 

「……そうか」

 

 二人の男女の間にある過去からは注意を意識的に逸らし、進ノ介は一言だけ言って頷いた。

 

「じゃあ早速だけど、これからの捜査方針について意識合わせをしなきゃね。お互いに持ってる情報も出し合わなきゃならないし」

 

 幼馴染みの無難な態度を合図として、未来が一同の顔をぐるりと見渡してから具体的な話題を持ち出してきた。

 ここに集まった本来の目的を思い出し、皆の顔が目に見えて引き締まる。

 

「お前が仕切んなよ!日本のロイミュード犯罪の担当は、あくまで進兄さんやねーちゃんたち、特状課なんだからな」

 

 しかし剛だけは急に仕事の話題に変えた未来の事務的な態度が癪に障ったらしく、姉よりも小柄な彼女に食ってかかった。

 一番の若輩者である剛が未来に対してだけ刺々しいことに、翔太郎が眉をひそめる。一言言いたそうにしている帽子の探偵を尻目に、未来は幼馴染みの刑事へと話の続きを振った。

 

「それは私も心得てる。じゃあ進ちゃ……泊刑事、ここから先は頼むよ」

「あ、ああ。ええと……それじゃあまず、今現在捜査が進んでる連続傷害事件についてだけど……」

 

 話の中心にポジションを変えさせられた進ノ介が、新しい顔が増えた仲間全員に対して事件を振り返るための言葉を口にする。

 照井には現在の捜査情報を漏らさず伝えるべきだろうが、警察関係者ではない左翔太郎に対して全てが筒抜けになることは問題にならないのだろうか?

 進ノ介は心に燻っている疑問と警戒を払えないまま、言葉を選んで説明していくしかなかった。

 

 ドライブピットでの非公式な捜査会議が終わったのは、夜も十時半を過ぎた頃であった。

 まだ素性の読めない相手に対しての話をしなければならなかったこともあり、メインで話をしていた進ノ介の疲労は特に濃い。しかし、徹夜の張り込みが何日も続くことがあったグローバルフリーズ以前にいた現場よりは遥かにましだった。

 

「……今日としてはこんなところだな」

「そうですね。もう遅いことですし、今日は解散しましょう。皆さん、お疲れ様でした」

 

 彼の隣でサポートを続けていた霧子が、流石に少し疲れを滲ませた声で皆を労う。

 

「俺は風都署に一度戻る。所長には伝えておいてくれ」

 

 パイプ椅子から立ち上がった照井が翔太郎に言付けを頼むと、半熟探偵は感心と呆れがない交ぜになった顔で言った。

 

「わかった。しかし、お前は相変わらず仕事熱心だな。俺も事務所に戻るとするか」

「あんたはあそこに住んでるんでしょ」

 

 すかさず、しかし素っ気ない口調で未来が突っ込みを入れる。

 見るからに重たげな空気を漂わせていたのに絡みに行った未来が一同にとっては意外であったが、ただ一人そんなことには興味を持っていない剛が大あくびをしながら伸びをした。

 

「ふわあ……俺、先に帰ってもう寝るわ」

 

 ただ座って話をするだけの場は、行動的な彼にとってかなり退屈だったのだろう。剛は眠そうな目を擦りつつ、さっさとドライブピットを後にしてしまった。

 マイペースを崩さない剛の背中を見送ってから、未来が一同を振り返る。

 

「じゃあ……私もまだ荷物が片付いてないから、申し訳ないけどお先に失礼するね。お疲れ様」

「ああ。また明日な」

 

 パイプ椅子を片付けているメンバーがいる中で、皆を代表し進ノ介が頷いた。

 未来の日本滞在中の住まいは久留間運転試験場近隣のウィークリーマンションで、警察の独身寮とは全く別方向だ。実家に一時帰宅しないのは、万一の場合に家族の安全を配慮した上でのことなのだろう。

 そしてコートを抱えた小さな背が小さないそいそとドライブピットの外へ消えたのを追いかけるように、翔太郎がその後へと続いていく。

 

 そう言えばあの左翔太郎は、りんなや霧子たち他の女性らに挨拶をしたときも、妙に馴れ馴れしかった覚えがある。それに今も、この場に残って事件のことを話し合うより女の尻を追いかけることに重きを置いたようにしか見えない。

 二人の様子を怪訝そうに見送っていた進ノ介の不信感は、椅子を片付け終わった照井へと向くことになった。

 

「あの、照井さん」

 

 他人から質問されることを嫌う照井であったが、進ノ介が何を言いたいのか察したのだろう。彼は黙ったまま後輩へと視線を送り、言葉を待った。

 

「あの探偵の左さんって、本当に信用が置けるんですか?いくら仮面ライダーだからと言っても、あまり……その、警察関係者以外の人間をここへ入れるわけには……」

 

 不満をありありと浮かべている進ノ介が思った通りのことを言ってきたなと言いたげに、照井が頷く。若き警視は、穏やかな光を瞳に浮かべて軽く微笑んだ。

 

「左は、俺の所轄で既に協力者として数多くの実績を挙げている。それに風都でロイミュードを最初に倒したのは、間違いなく彼だ。探偵としては半人前だが、戦力としては一人前以上であることは俺が保証しよう」

「……そうですか。わかりました」

 

 警察組織の中である程度の地位を築いている照井が、あの胡散臭い私立探偵にお墨付きをくれている。驚くべきことではあるものの、やはりそれだけではまだモヤモヤとしたわだかまりは拭い切れない。

 進ノ介は言いたい言葉を飲み込んで、説明のため特状課オフィスから持ち出してきた書類に手を伸ばした。

 

「へっくし!」

 

 同じ頃、翔太郎が久留間運転試験場の駐車場で盛大なくしゃみに襲われていた。

 二月の深夜近くになった屋外は恐ろしいほどに寒く、通して冷たい空気がコートを通して肌を刺してくるのがわかるほどだ。

 

「風邪?もうとっとと帰って寝た方がいいよ。それじゃあね」

 

 自分の後方を歩いていた翔太郎に素っ気なく一瞥をくれ、未来は日本滞在中の足となるレンタカーの白いプリウスを探し出そうとする。

 

「未来、待てよ!」

 

 白い息を散らして今にもこの場を立ち去りそうになっている未来の名を、翔太郎がやや強く呼んだ。

 

「……何?もう業務は終わりなんだから、明日にしてもらえる?」

「いや、どうしてもお前に言いたいことがある」

 

 やれやれと言った体で彼女が視線を向け直すが、半熟探偵の顔は暗い街灯の下でも真剣さが伝わってくるそれだ。

 久し振りに顔を合わせた男のまっすぐな姿勢に驚かされ、未来の口調がやや硬くなる。

 

「どうしても?今じゃないとだめなわけ?」

「ああ」

 

 警戒する未来に対し、翔太郎の返事は短い。

 彼女が改めて振り返ったところで、半熟探偵は不意に緊張を帯びていた表情を和らげる。

 口許に温かみのある微笑みを浮かべ、彼は低く声を響かせた。

 

「未来……お帰り」

 

 翔太郎が未来に伝えたかった一言。

 互いの背中を守り、風都が彼女にとっても大切な場所となった、十ヶ月前のあの戦い。

 二人は間違いなく、かけがえのない仲間同士だったはずだ。

 なのに翔太郎へ別れの言葉すら残すことなく、未来はアメリカへと去ってしまった。

 故にドライブピットで再会したときは気まずいことこの上なく、口をきくことさえ憚られた。

 

 --何を話せばいいのかわからない。

 

 照井から予め未来が来日していることを知っていた翔太郎がそう思ったのだから、未来は突然の再会にその数倍は驚き、戸惑ったに違いない。

 だから翔太郎は敢えて皆の前では軽く振る舞い、彼女と二人だけになった時に正直な想いを伝えたのだ。

 未来が、大切な人が戻ってきたのが、純粋に嬉しい。

 また共に在る時間が確かに流れ行くことを、何よりも大事にしたい。

 その気持ちの全てを短い言葉に、彼は詰め込んでいた。

 ひゅう、と冬の夜風が枯れた木々を揺らし、乾いた口笛を思わせる高い音を立てて通り過ぎる。

 

「……うん」

 

 俯き加減の未来がぽつりと呟き、視線を下へ向けたままで翔太郎の側へと歩み寄ってくる。

 そして帽子とコートを纏った姿の隣に並ぶなり、彼の引き締まった腹へ小さな拳を軽く当てた。

 

「ただいま!」

 

 十センチ以上は上に在る顔を見上げた未来から笑顔が弾け、心地よい響きの声が翔太郎の耳に届いた。

 渡米前に皆で撮った写真ーー事務所に飾られた、鳴海探偵事務所の面々と写った写真の中にいるはにかんだ微笑みとは、また違う。芯の強さと優しさ、その裏に知性の閃きを感じさせる笑顔。

 翔太郎の知る、いつも未来が見せていた素顔を見つけられた気がした。

 ポニーテールにまとめられた髪がふわりと揺れ、小さな背中が翔太郎の背後へとすり抜けていく。その向こう側に自分のレンタカーを見つけていた未来が、不意にまた立ち止まった。

 

「明日……」

 

 言いかけたところで、改めて振り返る。

 

「明日、午前中に捜査会議があるんだ。結果は後で伝えるから」

「ああ。また明日な」

 

 もう戸惑いが見えず、明るさを取り戻している女性捜査官の口ぶりに、翔太郎もいつもと変わらない調子で挨拶を返す。頷いた未来は足早に白いプリウスに乗り込むと、そのまま久留間運転試験場を後にした。

 心なしか、彼女の運転する車まで角が取れているような気がする。軽く息をついて肩の力を抜き、プリウスを見送っていた翔太郎がこぼした。

 

「……何だ、これで良かったんじゃねえか」

「痩せ我慢だね、翔太郎」

 

 何の前触れもなく後ろから上がった声に、半熟探偵は十センチは飛び上がるくらいに驚いた。

 いつの間にか、フィリップと亜樹子がにやにやとした笑いを湛えながらすぐ後ろに控えていたのだ。

 

「な……何だお前ら、来てたのかよ!」

「暫く仕事を一緒にする人が増えるんだ。僕としても興味深くてね」

 

 思いがけず翔太郎は大声を上げていたが、フィリップは特に未来とのことをいじってくる様子はない。どうやら、先の「第三者の立場から見ると、恥ずかし過ぎる青春ドラマのような茶番劇」はぎりぎりのところで目撃されずに済んでいたらしい。

 翔太郎が人知れず内心で胸を撫で下ろしたところで、亜樹子が好奇心いっぱいの笑顔を浮かべた。

 

「まあ、未来さんと無事にまた合流できたわけだし!竜くんたちも、まだ中にいるんでしょ?是非、挨拶してこなきゃ!」

「僕も、ドライブピットとやらを是非見ておきたい」

 

 早くも久留間試験場内へと続く廊下へ爪先を向けている亜樹子の後を、フィリップが嬉しそうに追っていく。

 

「あっ、おい!ちょっと待てよ!」

 

 足取りも軽やかに駆け出した二人を追いかける翔太郎の声は、いつになく明るい響きがあった。

 冬の寒い夜はもう深くなってきていたが、鳴海探偵事務所一同の活動時間はまだまだこれからであった。

 


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