二月の荒れ地には強い風が吹きすさび、建ち並ぶ無機質な鉄塊の間では高い音が頻繁に響いてくる。体感温度も、街中にいるより遥かに低いだろう。月が美しいよく晴れた夜に大気は一層冷たさを増し、翌朝に満ちてくる冬の太陽の光では、寒さを完全に和らげることはままならない。
普段から人気の少ない郊外のヤードでは、冬にもっとも空気が荒むのではないかと錯覚する。
なのに、そこに真っ昼間からうろついている一人の男がいた。
浅い皺が刻まれた顔から歳は四十代と思えるが、服装は革ジャケットに細身のジーンズと、不相応に若い。彼は山と積まれた瓦礫や半壊した車体の間を落ち着きなく歩き回っており、誰かを探しているかのように視線があちこちをさまよっている。
数分のうちに業を煮やしたのか、男は苦い表情で軽く舌打ちしてから携帯電話を取り出してある番号を呼び出した。今日ここで待ち合わせしている、娘の携帯電話の番号だ。彼女が持参してきてくれているであろう現金を何よりも求めている彼は、苛立ちを押さえながら携帯電話を耳に押し当て、呼び出し音の機械的な音を聞いていた。
「やはり現れたな。狩谷徹……いや、偽者だからこう呼ぶのはおかしいか」
彼が背にしている廃車の陰からかけられてきた声。
ただしそれは期待していた娘のものではなく、若い男のそれであった。
いや、コート姿にソフト帽という風貌の若造と一緒に、姿を現した若い女がいるにはいた。背が低く幼い顔の彼女は額にお札を手拭いで巻き、幾つものお守りを首から下げ、玉櫛と巨大な数珠を握りしめるという奇妙ないでたちで、記憶の中の娘とは全く合致していなかったのだ。
そしてこの二人連れには、全く覚えがない。
それに、狩谷徹の偽者呼ばわりされる謂れもない。
何故なら自分はベースとなる人間の外見は勿論のこと、記憶も、体臭も、細かな癖まで完全に再現することができるからだ。故に、不審者を見る怪訝な顔を作って悠然と問い返すことができていた。
「偽者?君こそ誰だ。私は娘に会いに来ただけだが?美幸は……娘はどこだ?」
「み……美幸さんは、ここに来てないわよ!さっさと成仏しいや!悪・霊・退・散!きぃえぇぇええー!」
ソフト帽の男を盾にできる位置にいた若い女が、奇声を上げて両手の数珠と玉櫛を突き出してくる。彼女の恐怖と戦っているいかにも必死そうな表情は、幽霊か何かを相手にしていると本気で思っていることを感じさせるほどだった。
だが、傍らの帽子の男は仲間らしい女の振る舞いは殆ど気に留めていない。
彼女は好きにさせておき、若い男は揺るぎのない視線とともに言い放った。
「もちろん、金もな。あんたに渡す金はビタ一文ねえ」
「何?」
金のことまで直球で言われ、つい反応してしまう。
今日ここで現金を受け渡すことを知っているのは、狩谷徹である自分とその娘、美幸だけの筈だ。自分が連絡し具体的なことを伝えたのは、美幸の携帯電話だったのは間違いない。なのに何故、この若造がそんなことまで知っているのか?
相手の考えを見透かして、若い男ーー鳴海探偵事務所の左翔太郎が皮肉そうに唇を歪めた。
「娘の携帯だと思って油断したな。あんたが連絡したのは、俺の番号だよ」
翔太郎が右掌を差し出すと、その上に飛び乗ってきた小さな影があった。
樹脂と金属を組み合わせてギジメモリを組み込み、蛙をかたどったメモリガジェットの一つ。音声の録音と再生機能を持つフロッグポットは、翔太郎の手の上で跳び跳ねながらある人物の声を振り撒いていた。
そこから「はい」「うん」「お父さん」「美幸だよ」と繰り返される美幸の声は、予め録音してあった声を再生しているだけである。
美幸に連絡した翔太郎は、次に徹らしき人物から連絡があったら翔太郎の番号を彼女の携帯番号として伝えるよう指示し、合間に彼女の声のサンプルをフロッグポットに収録した。そしてまんまと騙された徹から翔太郎の携帯電話に着信が入ったところで、フロッグポットに録音した美幸の声で無難に会話をやり過ごし、最終的な接触に成功したのである。
単純な手ではあったが、娘の美幸に頼る他のない徹の心理を突いた作戦が当たった結果となった。
自らが相手の策にはめられたことを覚ったのであろう、徹の表情が驚きから嘲笑へと変わる。ただしそれは決して自嘲ではなく、十歩ばかり離れて立つ若者たちに向けたものであった。
だが彼はどうも腑に落ちないと言いたげに、疑問を唇に上らせた。
「……何故、俺のことがわかった?」
「簡単だ。あんた、徹さんが死んだ時の姿そのままだ。十四年も経ってるのに、外見が全く同じな訳がねえだろ?少なくとも、普通の人間だったらな」
徹そっくりの何者かが効かせてくる睨みを跳ね返し、翔太郎が答えを投げつける。
彼の姿は美幸から託された十五年は前の写真と、つい最近詐欺被害者が撮影した写真に写る姿が全く変わっていない。
そのことに、亜樹子を除く鳴海探偵事務所のメンバーはとっくに気がついていた。どんなに若く見えて印象が変わらない者がいるとは言っても、必ず加齢に伴う変化は少なからずある筈なのだ。
勿論普通の人間であれば、の話ではあるが。
今や徹本人と呼べなくなった男は意外そうに目を見開いたがそれも一瞬のことで、不敵な笑みを横切らせていた。
「……ふん。老いないことがことが不自然だとは、人間は不便なものだな」
まるで自身が人間以外の存在であるかのように、彼はいまいましげに言い放つ。
この男が本当の美幸の父ではないことが判明した今、もう遠慮する必要はない。が、まずは不必要な戦闘を避けるべく、翔太郎は先手を打つことにした。
「その人間を利用してるお前も、人間だろうが。痛い目に遭いたくなけりゃ、さっさとガイアメモリを渡すんだな」
「そそそそそ、そうよ。今のうちに、さっさと騙し取ったお金を返して、あの世に行った方が身のためよ。翔太郎くん、すっごく強いんだから!」
風に煽られた帽子の縁を指で押し上げながら相手を睨む翔太郎の背後から、亜樹子もやや的がずれた説得を試みていた。
死んだ人間が再び現れるという怪現象は、風都で今までなかったわけではない。しかしいずれのケースも幽霊が本当に確認されたことはなく、擬態か模倣の能力を持つドーパントが絡む事件であった。
故に今回も同様で、翔太郎の判断は当然と言えるであろう。ドーパントは仮面ライダーにメモリブレイクされれば人間に戻るが、その際に基礎となった人間が被るダメージは深刻で、下手をすれば廃人になりかねない。可能であれば、無要な戦闘はしないに限る。
だが、徹そっくりの男は鼻で笑うだけだった。
「俺が、人間?……ふん」
一言こぼしてから、男は翔太郎に一瞥をくれる。
「それに、その青二才が俺より強いだと?」
「そ、そうよ!そりゃあちょっと情けないとこはあるし、女好きだし、かっこつけで何よりも半熟だけど……」
「おい、言い過ぎだろ!」
男の蔑みと亜樹子のあんまりと言えばあんまりな表現に、かちんと来た翔太郎が思わず声を荒げた。
同時に、翔太郎は自然と臨戦態勢に入っていた。相手が説得に応じる気なしと見るや、膝を緩めて僅かに身体を沈ませ、浮かせた踵に余計な力が入らないようにする。
「面白い。なら、腕試しをさせてもらおうか。もし死んだとしても、それは弱かったお前が悪いことになるからな!」
更に重ねられた男の笑いは、明らかに目の前の若者たちを見下すそれであった。
あらゆる他者を凌駕し、自分が絶対であると信じて疑わない自信。
彼の尊大な態度の礎は、物理的な変化を伴って翔太郎たちに晒されることとなった。
無機質な金属の塊が乱立する冬のヤードに響く哄笑から一瞬遅れ、男の身体を不気味な光が包み込む。機械的な臭いを感じさせる硬質な光は男の内側から膨らみ、頭から爪先の全てを覆った。
そして不吉さしか予感させない光が去った後には、美幸の父親を模した姿の男はもういなかった。
腕や脚、胴体に至っても、壊れた車のドアの一部やタイヤ、切れた電線が集まってその体を成している。頭は辛うじてそれらしい形と目鼻らしいパーツの位置を保っており、人ならぬ者の頭部と判別はできるが、逆に頭以外の全てがゴミとしか言えない屑鉄の寄せ集めになっていた。
まるで、壊れて朽ちかけたロボットの骨組みが立ち上がってきたかと錯覚する姿。
ほんの数秒で、人間がガラクタを固めたような怪物に変貌を遂げたのだ。
「わぁぁあ!ガガガガガ、ガイアメモリがないのに変身したぁ!」
「おかしい……こいつ、変身のしかたがドーパントとは全く違う!」
徹の偽者から変身した怪人に出現に、流石に相手が幽霊ではないことを覚った亜樹子が絶叫を上げ、翔太郎が驚愕に目を見開いた。
翔太郎が変身した仮面ライダーWは、ガイアメモリを使用した人間であるドーパントを数多く相手取ってきた。だが、ガイアメモリを使わずに変身できる者など今までに遭遇したことがない。ということは、この怪人はドーパントではない可能性が極めて高い。
嫌な予感が背筋を駆け抜け、翔太郎が無意識のうちに半歩下がろうとする。吹きつけてきた一陣の強風が砂塵と枯れ草を舞い上げ、緊張が嫌が応にも高まった。
その時、足が不意に固まった。
いや、動かせなくなったのは足だけではなかった。全身の筋肉全てが一度に強張り、全く言うことを聞かなくなったのだ。
「うおっ!」
「きゃ!」
これまでの人生で感じたことのない異様な感覚に、翔太郎が思わず声を上げる。
隣の亜樹子も同じ強烈な違和感に襲われたようだったが、視線すら動かすこともままならない身では、彼女を気遣うことができなかった。
そして、全てが空間に絡め取られているのは自分たちだけではないことに気づかされた。
視界で舞っていた砂埃も、枯れた草も、細かいゴミも、物理的に存在するあらゆるものの時が重さを増し、鈍重な流れの中にいた。まともな状態なら一瞬にしか感じられないであろう時間が何十倍にも引き伸ばされ、意識だけが鮮明なまま置いていかれたのだ。
--なな、何なのコレ!
--身体が……動かねえ!
驚愕したまま表情筋の一つも自由にできない亜樹子と翔太郎は、僅かな時間の流れに永遠に取り残されるかのような恐怖を感じていた。彼らのすぐ眼前にまで、ガラクタの身体を持つ怪人が平然と歩み寄ってきたのだから、至極当然の感覚と言えるであろう。
自分たちは動けないのに何故なのか?
やはりこの現象は、このドーパントではない何者かが引き起こしたと言うのか!
翔太郎の中に幾つもの疑問が浮かぶが、「どんより」の最中にある彼はどれ一つとして唇に上らせることもできないでいた。
「大口を叩いていた割に無様だな。まあ、重加速の中では何もできんだろうが」
がしゃがしゃと金属がぶつかる音を立てつつ近寄ってきた怪人が、表情の動かない機械の顔に愉悦の色を乗せて嘲った。
しかし視線だけを必死に巡らせようとする翔太郎と亜樹子の頭は、嘲りなど一片も入ってこない。彼らの視界には、怪人の右手にあるチェーンソーの刃と鉄片を組み合わせた歪な灰色の剣が捉えられており、そこから意識を逸らすことができなかったのだ。
「お前もこの男のように、強い怨みを残して死ぬがいい。そうすれば、我々の仲間がお前の遺志を引き継ぐだろうからな!」
その不吉な武器が、予想通り敵の勝利宣言とともに掲げられる。
これが振り下ろされれば、翔太郎と亜樹子が積み上げてきた人生があっけなく終わる。
勿論二人にそんなつもりなど毛頭なく、今この瞬間でさえ何とか逃れようとして全身に力を込めていたが、皮肉なことに筋の一つも生きようとする意思に応えてはくれないのだ。
--くそっ!
しかし翔太郎は頭鈍い輝きを放つ剣が迫り来ても諦めず、心で力一杯の咆哮を上げた。
その時であった。
凍りついていた時が唐突に流れ出し、若き探偵を懐から解放したのは。
「うおっ?」
宙に浮いていた足が乱暴に地面に落ちた衝撃で体勢を崩しながらも、辛うじて転倒を免れた翔太郎が敵の正面から逃れていく。
「ちいっ!貴様、何故動ける!」
たたらを踏んで逃げた男をいまいましげに睨んだ怪人が吐き捨て、怒りを孕んだ刃を握り直す。
その声に小さなクラクションのような音が紛れたのを、翔太郎は聞き逃さなかった。しかしごく小さな音がベストのポケットから届いていたのは、流石に驚かされた。
敵から離れながら慌ててポケットを探ってみると、一台のミニカーが引っ張り出されてくる。
こんなものを入れておいた覚えはない。
驚きと怪訝さをない交ぜにした翔太郎が握ったミニカーに意識を向けると、再度クラクションが響いてくる。その調子は、どことなく得意気に感じられた。
「こいつは……」
このポケットにどこからともなく飛び込んでいた小さな車は、明らかに自律型で高機能なマシンだ。
まさか、これが自分を助けてくれたと言うのだろうか?
「おのれ!」
翔太郎が再度勝手にポケットへ滑り込んだ小さな味方らしきミニカーを確認しつつ距離を取ると、ガラクタの怪人が怒声を上げた。絶妙のタイミングで危機から脱した男を消さなければ気が済まないのか、亜樹子には完全に背を向けている。
都合がいいことに、目標は完全に翔太郎一人に絞られたのだ。
「こいつ、ドーパントじゃねえってのか!」
慎重に敵との距離を保ち続ける翔太郎が悪態をついて、ダブルドライバーを取り出した。
身体が自由に動くのなら、もう後は戦う道しか残されていない。
彼は腹に当てたドライバーから伸びた光の束が腰に巻きつき、ドライバー自体が腰にが装着されたのを感じながら、その場にいない相棒へと呼びかけた。
「何にしても、このままじゃまずい。フィリップ、行くぞ!」
『わかったよ、翔太郎』
赤く輝くダブルドライバーを通し、事務所で待機していたフィリップがすぐさま応えてくれたことが伝わってくる。そして天才青年が離れた場所で叩いたガイアメモリの起動音までが、はっきりと聞こえてきた。
『CYCRON(サイクロン)!』
『JOKER(ジョーカー)!』
すかさず翔太郎が「切り札」の力を秘めた黒きガイアメモリを起動し、二人が同じタイミングでメモリを振り翳して叫ぶ。
「変身!」
刹那、翔太郎のドライバーの右スロットに緑色に輝く「疾風」を象徴するサイクロンメモリが転送されてくる。すかさず彼はジョーカーメモリを左スロットへと装填し、両腕を交差させてダブルドライバーを左右へと倒した。
『CYCRON(サイクロン)!』
『JOKER(ジョーカー)!』
人間を超人へと変身させるダブルドライバーが吼え、地球の力が溢れ出す。
強い流れとなったガイアエネルギーが翔太郎を中心にして渦を巻き、彼の肉体を護る鎧となってその身を覆った。二人の青年が一人の超人、仮面ライダーWへと変貌した瞬間である。
「貴様……まさか、仮面ライダーか!この街にまでいたとは……」
ガラクタの怪人が、表情のない顔から驚愕に揺れる声を発して身体ごと向き直ってくる。
硬質な外殻を晒した右半身が陽光に輝くメタリックグリーン、左半身が漆黒という、一見すると奇妙な姿を持つ左右非対称の仮面ライダーW。
それは左翔太郎とフィリップとが身体を二人で共有する、「二人で一人」のヒーローであった。
「お前が風都のドーパントでないことはわかった。けど、そんなことは大した問題じゃない」
「ああ。街を泣かせる奴は、誰であろうと容赦しねえ」
銀色のマフラーをなびかせる一人の超人の中でフィリップが、翔太郎が、各々の言葉を整理しつつ軽く拳を握る。
そして徐に黒い腕を上げて目の前の敵を指し、声を揃えて言い放った。
「さあ--お前の罪を数えろ!」