見事に不貞腐れた剛を最後にして、進ノ介たちはドライブピットへと再び足を踏み入れていく。
彼らが檻の側まで来た気配を察し、未来が顔を上げてから耳を塞いでいた指を離した。
「あ、終わった?」
一同の表情から、悪い結論が出たのではないと判断したのだろう。女捜査官の声は明るい。
「ああ。ミッ……間捜査官、改めてよろしくな」
「私は武器とかも作ってるし、未来ちゃんの身体もある程度は見られると思うの。何かあったら、いつでも言ってね」
檻越しに進ノ介が挨拶を送ると、りんなが笑いかけた。
「はい!誤解が解けて何よりです。あ、このことは他の人達には秘密でお願いしますね。それと……そろそろ、自由になってもいいかな」
未来が立ち上がって答え、檻の中をぐるりと見渡す。彼女はまだジャスティスハンターの作った檻に閉じ込められたままで、留置場にいる誤認逮捕された真面目な市民さながらだ。
言われてみて初めて意識した進ノ介が、はっと気づき急いで謝った。
「あ、悪い悪い!ちょっと待ってな。霧子、手錠の鍵貸してくれ」
「大丈夫だよ。自分でやるから」
慌てて制服のポケットを探る霧子と申し訳なさそうな進ノ介を尻目に、未来は胸の前で手錠の嵌まった両手首を引っ張った。
「ほっ!」
軽い掛け声とともに、手首を繋いでいた鎖があっさりと弾け飛ぶ。警察で使う手錠の鎖は鋼鉄で作られており、力自慢の成人男性であっても引きちぎる芸当など不可能だ。が、未来は更に手首にしつこく残っている手錠を二本の指で押し広げ、ひしゃげて広がった隙間から難なく手を引き抜いている。
手首に嵌める部品はアルミ製のため工具を使えば破壊も可能ではあるが、これも素手、しかも指で開いて無理矢理広げるなど前代未聞である。
そして唖然としている一同の目の前で、未来は檻を掴んで外側へ引っ張った。対して力を込めたようにも見えないのにかかかわらず、檻を作っている金属棒が彼女の腕力に負けて隙間が一気に広げられる。
いとも簡単に手錠を壊し、まるで引き戸を開けるかのようにして檻から出てきた未来に、進ノ介が思わずこぼした。
「素手……」
手錠つきで冷たい床にじっと座っていたのが流石に疲れたのか、未来は両手首を軽く振ってうーんと伸びをしている。途中、進ノ介たちの視線に気づいたらしく、小首を傾げて見せた。
「ん?」
「い、いや……こんなのに閉じ込めて悪かったな」
破壊された檻を確認した進ノ介の笑顔が引きつっている。
黒いパンツスーツ姿の幼馴染みは、外見こそ小柄な女性だが中身は戦闘用の改造人間なのだ。彼女を決してつまらないことで怒らせるような真似はするまいと、彼はひっそりと心に誓っていた。
「あー……いいよ。私がロイミュードかどうかはっきりしなかったんだから、当然かと思うしね。改めて、よろしくね」
進ノ介の視線が檻の残骸に向いていることに気づいた未来は、今更彼らが何に驚いているのかを悟ったらしい。困った笑顔を浮かべながらも、右手を皆に差し出してくる。
進ノ介とりんなは笑顔で、霧子が礼儀を守って握手に応えた後に、未来は小さな手を剛にも向けた。
「剛くんも、よろしく」
「気安く剛くんとか、呼んでんじゃねえよ」
やはりと言うべきであろうか、フレンドリーな未来の挨拶に剛は応えない。彼は未来を一睨みしてから、パーカーのポケットに突っ込んだ手を出そうともしないで背を向けた。
「剛!」
失礼極まりない弟の態度を霧子がたしなめようとするが、その尖った背にわざと皮肉っぽい口調に乗せた言葉を未来が投げつける。
「あーそう……んじゃあ、詩島」
「って、呼び捨てかよ!それもムカつくな」
「あんただって、私のことロイミュード呼ばわりしたでしょ。だから、おあいこじゃないの?」
流石にかちんときた剛が不快そうに振り返ると、憎たらしく見える笑顔をわざわざ作った未来が煽り立てる。
「んだと!言っとくけどな、俺は身体にコアを埋め込んでる奴なんか信用しちゃいねえよ。あくまで、姉ちゃんと進兄さんの顔を立ててのことだ!」
「別に私は気にしないよ。詩島が私をどう思おうが、ロイミュードの対策を調査しにきた捜査官っていう私の立場は変わらないんだからね。組織の中で一人や二人、ソリが合わない奴が出てくるのも仕方ないことだしさ。ま、ほどほどによろしく。し・じ・ま」
にやにや笑っているFBI女性捜査官の大人とも思えない憎まれ口には、相手の本音を引き出す意図がある。無視するよりも反応を示した方が、彼女のペースに巻き込まれてしまう流れを作るのだ。
剛はすぐそのことに気づきはしたものの、姉や兄貴分の進ノ介の手前、あからさまにこの女を無視するわけにはいかなかった。彼女はコアこそ持っているが、仮面ライダー並みの戦闘能力を持つ味方であり、法を守る立場にいる。
だからこそ、剛には面白くなかったのだ。
この人物は人間でも、ロイミュードでもない。
その曖昧さが彼の感情を乱し、平常心でいられなくさせられる。
彼は持て余している感情の波を自覚しており、飲まれてしまうほどに子供ではない。ために、未来に対してこれ以上余計な言葉を返すことなく収めるしかなかった。
「……ふん!」
気にくわない者に対して漫画のように典型的な、鼻息も荒くそっぽを向くという態度を取った剛を見ながら、進ノ介がぼやいた。
「何か、高校のクラスで仲が悪い男子と女子みたいだな」
「それは言い得て妙だね」
進ノ介が手にしたベルトも、呆れ顔をディスプレイに表示させて同調する。
一方、波乱しか予感させない弟の様子に、数歩離れた場所に佇んでいた姉の霧子はすっきりしない気分であった。ロイミュードを極端に敵視している剛の気持ちも察せないわけではないものの、いささか感情的過ぎるのではと言う気がしてならないのだ。
とにかく今は誤解が何とか解けたのだから、後は時間が解決してくれるのを待つ他にないのであろう。
霧子はやや強引に自身を納得させると、先の捜査で気になっていたことを口にした。
「ところで、今日現れたロイミュードは?貴女のことを知ってるみたいでしたけど」
未だからかうような笑みを浮かべていた未来の持つ空気が、女性警察官の質問で瞬時に変わった気がした。瞬く間に仕事の顔に戻った未来が緊張を帯びた視線を上げ、新たな仲間たちを見回しながら話を始める。
「あいつは……今朝の捜査会議で話したロイミュードの、コードネーム・アルファ。アメリカ全土で指名手配されてるし、射殺許可も出てる。何だって、日本になんか来たんだか」
先の戦闘を思い出した未来は、言葉の最後にはっきりとした苛立ちを滲ませていた。
コードネーム・アルファ、つまりファイアアームズ・ロイミュードは、アメリカの元死刑囚だった殺人鬼をコピーしたロイミュードだったはずだ。未来たちFBIや警察、果ては軍までもが手を焼いている敵であり、ハートやブレン、チェイスのような幹部ロイミュード並みに手強いと思って差し支えはないのかも知れない。
それにしても、ロイミュードが海を越えて別の国に移動するのは極めて珍しいと言える。
敵の行動に興味を持った霧子が、質問を重ねた。
「間捜査官を追って日本に来たんじゃないんですか?」
「多分違うかな。むしろあいつは全米の保安機構が探し回ってる凶悪犯なんだから、逃げてきたのかも知れないけど。それに、私が日本に来てることは一部の関係者しか知らないはずだし」
しかし相手がどこにいようと倒すまでだ、と未来は表情で語っている。
皆が彼女とともにミーティングの資料で確認したのは、スキンヘッドに囚人服という凄味がある姿である。典型的な悪役面の人間態を描きつつ、進ノ介も自らの見解を出して見せた。
「日本に知り合いがいたりするんじゃないのか?在日米軍の基地だってあるんだし。あいつ、元軍人なんだろ?」
「でもあのFu……野郎が退役してから何年も経ってるし、知り合いだからって基地にそう易々と入れるわけでもないから」
「とにかく、アルファ?あいつが日本に来た目的はわからないってことなんだろ。ま、俺たちがぶっ潰すことには変わらないけどな」
剛が自信たっぷりにロイミュード打倒を宣言したところで、霧子はふと戦闘中のアルファに気がかりな特徴があったことを思い出した。
「そう言えば……あのアルファというロイミュード、見たことのないナンバーでしたね」
「そうだ。末尾が数字じゃなくて、アルファベットのAになってたな。あれは何なんだ?」
「え、ロイミュードって全部がそうなんじゃないの?今アメリカにいるってわかってるのは全部、末尾が全部アルファベットだよ」
未来に驚かれ、今度は彼女以外の仲間が顔を見合わせることになる。
「何だって?」
思わずこぼした進ノ介の頭に浮かんだのは、これまでに戦ってきたロイミュードたちのナンバーだった。
幹部であるハートたちは、基本形態に戻った姿を見たことがないためわからないが、通常のロイミュードは全て三桁の数字で表されるナンバーを胸のプレートに刻んでいる。どこか一桁がアルファベットになっているなど、見たことも聞いたこともない。それはベルトも同じらしく、彼も言葉を発しようとはしていなかった。
ロイミュードの亜種とも言うべき敵が存在していたことに驚愕し、次いで焦りにも似た危機感を覚えた一同の中で、真っ先に更なる情報を求めたのは霧子であった。
「他は、どんなのがいるんですか?」
「他にはBのブラヴォー、Cのチャーリー、Dのデルタが確認されてる。他にもまだいるかも知れないけど……」
背が高い霧子に詰め寄られた未来が、困惑して半歩後ろに下がる。
未来自身も、アメリカと日本のロイミュードの明らかな違いを知って混乱していたのであった。
「ああ、そりゃ十六進数だね」
「十六進数?」
特上課のオフィスで、進ノ介たちの話を耳に挟んでいた究がパソコン越しにしらっと言ってのけた。
皆が鸚鵡返しに繰り返したところで、りんながホワイトボードのペンを取り上げる。
「プログラミング言語ではよく出てくるわよ。例えばね……」
特徴ある白衣姿の女性は、すらすらと三桁の英数字の列をボードの半分ほどに書き連ねていった。
009の次は00A、00B、00Cと続き、00Fの次が010となっている。そして019の次が01A、01B、01Cとなっており、彼女は020番台まで書いたところで進ノ介たちの方を振り向いた。
「普通の整数だとこう、桁上がりになる9から10の間には何も数字がないでしょう?だけど十六進数の概念だと、その間にAからFの数が存在するの。例えば9から10の間にはA、B、C……Fまであって、Fの次が10になるのよ。一六個の数字でひとつの区切りって考えれば、わかりやすいかしらね」
彼女はホワイトボードの三桁英数字を指しながら噛み砕いて説明してくれている。
進ノ介たちは、未来の正体が明らかになり彼女をドライブピットに迎え入れた後、全員でオフィスに戻ってきていた。課長は既に接待へ、現八郎は本庁からの呼び出しで外出した後であり、オフィスには客員の究しか残っていない状態だったのだ。
彼は進ノ介たちが話すロイミュードのナンバーの話を聞くとはなしに聞いて助言し、話の輪に入ってきたのである。
究の一言を補足したりんなの説明内容を何となくではあるが掴んだ進ノ介が、早々と現実的な結論を持ってきた。
「ええと……それはともかくとして、俺たちが今まで知らなかったナンバーのロイミュードが、まだ大勢いるってことだよな?」
顎に指を当てながらホワイトボードを熱心に見つめている相棒男性を尻目に、こちらは説明を正確に理解した霧子が素早く計算した。
「そうですね。今までに現れたロイミュードのナンバー全ての間に十六進数のナンバーがあるとしたら、単純計算で六十体のロイミュードがいるということになります」
「そ……そんなにいるのか!」
普段使っている手帳に整った字でメモを取る霧子が落ち着いている一方で、具体的な数字を聞かされた進ノ介は新たな敵勢力の数がずっしりと肩にのしかかってくる思いだった。
ロイミュードのナンバーが108までしかないことは、ベルトに直接聞かされた話のため間違いはない筈だった。しかしこのようなイレギュラーな存在を含めたら、一体どれだけのロイミュードが存在するのか。見当もつかないというのが、正直に感じるところだ。
「う~ん……日本では、そんなのが出てきたことはなかったからなあ。何らかの理由があって、今まで出てこられなかっただけなのかも知れないよ。例えば、バグがあって起動が極端に遅かったとかで」
「あいつらは機械生命体だ。ありえない話じゃないよな」
「マーマーマンション」のぬいぐるみを片手にした究の推測を耳にした剛が、指先を顎に当てながら真剣な表情で頷く。警察のオフィスで繰り広げられる何ともシュールな光景の中で、進ノ介は今現在の特状課が追っているロイミュードの正体に思い至った。
「バグのあるロイミュード……言いづらいから、バグミュードでいいか。もしかすると霧子が見た連続傷害事件の犯人も、バグミュードなのかも知れないぞ」
「そうですね……ナンバーを見た訳ではありませんから断言はできませんが、可能性はあると思います」
霧子も進ノ介の指摘を受けて、深く頷く。
未来がアメリカで追っているアルファという個体について話を簡単に聞いたところでは、能力の差もなければ進化態における大きな外見の差もなく、違いは今のところナンバーしかないようだった。故に、基本形態を確認できない状態では可能性を排除すべきではないだろう。
「ナンバー以外に見分けが全くつかないんだから、困ったものよねえ。あ、そう言えば……最近久留間や府中以外にも現れてるロイミュードも、もしかしたらバグミュードかも知れないわね」
りんなも眉間に皺を寄せて厳しい表情を作ったが、彼女の話の後半は驚くべき内容であった。
「え?」
「別の街にもロイミュードが?」
特状課には管轄内で起こったロイミュード絡みと思われる事件がほぼ全て回されてくるが、それ以外の場所でも同じような事件があったことは仲間たちも初耳だった。まして警察の正規職員でないりんなだけがそんな情報を掴んでいたことなど、通常ならばありえない。
「そうなのよぉ。あ、私も小耳に挟んだだけだから、何とも言えないんだけどね」
まずいことを口走ってしまった自覚はあるのだろう。が、りんなの口調は乱れていない一方で、彼女の話が噂レベルでしかないことを皆に強調しているような節はある。
「よし!調べてみよう」
俄然興味が出てきたらしい究が自席の個人端末に向かい、キーボードを叩き始めた。
もう一人の客員の視線が自分から離れたのを合図にして、りんなが進ノ介たちドライブチームに目配せする。やはり先の「別の街」云々は、あまり細かく詮索されると面倒な話だったのだろう。
「これだ!」
一同がりんなのサインに黙って頷いてからほどなくして、究の高らかな勝利宣言がエンターキーを弾いた音と共にオフィスに響いた。あれから三十秒も経過していないのに、流石にその情報収集能力を買われて警察に来ただけのことはある。驚きを瞳に浮かべた一同がデスクについている究の後ろに集まると、大きめの液晶ディスプレイに地方紙サイトの一記事が表示されていることがわかった。
「風力発電がメインのエコの街で、十四年前の失踪事件が発覚!被害者は当時四十代男性か」という週刊誌風のチープな見出しの下には、男性の顔写真とともに詳細記事が掲載されている。
「被害者と思われる男性はおよそ十四年前に失踪したものと思われるが、最近この男性を名乗る人物が現れて金銭詐欺を繰り返す事件が発生。警察は以前よりこの街で発生している怪現象に関係しているという見方を強めており、独自の捜査を……」