胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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07話

「それじゃあまずは一杯……」

「いや、俺は……」

「一杯は呑むのが作法という物だよ、恭也……」

「俺は未成年ですよ? ……わかりました」

 

 三月も後半が半ば。

 明かりの少ない都会からは少し離れた場所、夜空には満天の星空が浮かぶ。

 所々にある雲は月光に照らされて姿を魅せ、それもまた風流。

 そして何よりも――

 頭上にそびえる桜はあまりに美しかった。

 

 

 

 風は静かに、優しく静かに吹き付けて髪の毛と桜の木を揺らす。

 柔らかく。

 桜の華は月光に照らされ、その妖艶な桜色を魅せてくれる。

 浮き上がる花弁。その中心でひっそり息づく花粉。

 全てが病的で、それ故に儚さを感じて止まない。

 夜桜の小さな宴に集まったのは美由希、美沙斗さん、一臣さんの三人。

 父さんと静馬さん達は部屋の中で酒を楽しむらしい。

 俺自身も、夜桜を見るのには静かな方が好ましかった為、あまり大勢は要らないと思っていた。

 ……だが、酒はどうかと思う。

 御神や不破の人間は決まって酒豪が多い。遺伝的な物なのだろう。

 俺もまた例に漏れることは無く、酔う事の無い人間だった。試した事は無いが、正体を失くすには多量のアルコールが必要になるだろう。

 だが、味が分からない。

 アルコール独特の臭いと味は口の中に含むと咽そうになる。

 お猪口に並々と注がれた日本酒を見て、大仰に顔を顰めてみるのだが、美由希を初めとしたメンバーに気にした様子は無い。

 観念して口に含んでみた。

 

「…………美味い」

 

 さっとした口あたり。喉ごしも良く、安物特有の臭さなど微塵も感じられない。

 耳ざとく俺の言葉を聞いていたのか、一臣さんがにこやかに笑う。

 

「だろ? 東北の方の名酒らしいよ。俺はあんまり知らないけどね」

「確か……『静海』だったと記憶している。綺麗な水と空気、最高の素材が揃って作られているんだろう」

 

 なるほど。ざるの父さんには勿体無く、そして味の分からない俺にも勿体無い一品だ。

 視線を手元から桜に戻す。と、その前に美由希の姿が目に映った。

 

「……? 兄さん、どうかしましたか?」

 

 右手には透明に、そしてカットがされたグラス。中にはこぼれかねない量の『静海』が入っている。

 愕然とした。何故美由希が酒を呑んでいるのだ。

 ――が、それ以上に憤慨なのが、実の娘が大酒食らっている姿を咎めようともしない美沙斗さんに対してだ。

 

「美沙斗さん、どうして止めさせないんですか。まだ美由希は16の未成年ですよっ!?」

「私もその年には酒を嗜んでいたが、何とも言われなかったよ? なあ、一臣」

「まあ、姉さんは法律ギリギリで結婚しちゃう人だしね」

 

 驚きというか、呆れというか。

 規律には煩そうだと予想していた美沙斗さんの、まさかの言葉。

 美沙斗さん自身もイケる口なのか、グラスを傾ける。

 

「そうだった……そもそも本当に結婚まで何も無かったのか実に怪しいですしね」

「なっ、何を言うかっ! 私たちがそんなふしだらな……ゴニョゴニョ……」

「母さん……」

「美由希っ! 違うんだ、そんな目で見ないでくれ、私は、私はっ――――!」

 

 美沙斗さんには損な役回りになってもらって悪いが、やっぱりこういう優しい人だと分かって心から安心する。

 人を殺すなんて似合わない、修羅に生きるなんて不釣合いな性格。

 だからこうして御神が、不破が生き残って、その為に会えない人も出来てしまったが、許して貰うとしよう。

 月村忍という少女、ノエルという女性。嘗ては秘密を打ち明けてくれた彼女達。

 城島晶という一人の少女。一度は心荒み暴力に明け暮れたというアイツは美由希との出会いが無い今、果たしてどんな成長をしているのか。

 もし、この躰が今よりも動くようになって、もう少し時間に余裕が出来たら、一度海鳴に行ってみるのも良いだろう。

 

「さあさ、美味しかったんならもう一杯」

「いえ、それは遠慮――っ!?」

「兄さんには口移しの方が良いんじゃありませんか?」

「そうか、それは失念していたな」

「ちょっ、ちょっと待ったー!」

 

 夜は更け、空は闇の濃さを増す。

 それでも星々の明かりは変わること無く、そして二人から逃げる俺の足が止まる事も無かった。

 

 

 

 三日が経った。

 鍛錬と修練と練磨の日々。

 新たに身につけた一つの呼吸法。

 剣を振るい戦場を駆けながら息を整える不破のそれと違い、神咲の呼吸法は実にゆったりとしている。

 共通点は無心になること。

 だが、それに目を瞑る必要はない。

 スポーツをして身体を動かしている時でも人は雑念を捨て無心になる事が出来る。

 目を瞑るのはあくまでイメージを持たせる為。それによって開始が容易になる。

 指のつま先。そこに至る血液と神経を探り脳に刻み付ける。

 親指をゆっくりと曲げながら、新しい血液を送りつけるイメージ。呼吸を吸う。

 人差し指をゆっくりと曲げる。酸素と霊力を消費した古い血液を心臓へと戻すイメージ。呼吸を吐く。

 午前過ぎの陽射し。その温もりを躰に取り込めて行く。

 線の細さで目を開きながら、外部からの情報も同時に取り入れる。

 雑念を捨て、自身の内部へと意識を注ぐ。

 肺と心臓を始点にゆっくりと熱が広がっていく。

 それはじわじわと。それはゆらゆらと。

 人肌に温めた湯で、身体を温めていくように。

 

「いい調子だね」

「……、……ありがとうございます」

 

 目を開く。

 呼吸は"不破のそれ"に戻して、声の方へと顔を向ける。

 青みがかった髪。肩を少し越えた辺りまで伸びた長さ。

 闘う者に特有の鋭さを持った瞳。

 何よりも空気が凛と張り詰めていて、慣れた者にとっては心地好い。

 

「どうかした?」

「いえ、回復が目に見えて早くなってきたんで、これも薫さんのお蔭だなと」

「うちの力と違うよ。恭也くんの精神統一が凄いから……うちは、本当に触りを教えただけ」

 

 薫さんが顔を伏せた。

 何故そんな辛そうな表情をするのか、俺には解らないし、軽々しく口にしてはいけない。はばかれる雰囲気があった。

 そして、そういう薫さんこそ、驚くべき速さで剣術の腕を上げていっている。

 踏み込みの確かさ。振り腕の確かさ。

 意図的に集中しなければ直らない部分が少しずつ修正――いや、矯正されて行っている。

 それらは主に、御神の技量が有るからこそだ。

 御神、不破に伝わる斬という基本形、徹という応用形。

 徹一つ取っても多くの者が完全な位に立っているが、それを一族以外の者が体得するには巻島館長で三十年掛かる。

 徹というのは云わば"剛"の境地なのだ。

 西洋科学的に、最も力の伝達が理想的に伝わらせる技法。それが徹に当たる。

 一点より波状に衝撃を浸透させる。

 剣道の達人が、老人が扱う技は"柔"。

 およそ、普通に鍛錬を続けていれば一生涯繰り出すことの出来ない一撃。

 御神・不破の本当の凄さは、そこに至る技量を意図的に教える事が出来たその一点に尽きるのだ。

 

「……薫さん」

「ん? どげんしたとね、恭也くん」

「そろそろ、薫さんの鍛錬に移るとしましょう。今日は有り難う御座いました」

「いや、有り難う。それじゃあ次はうちの番だね」

 

 ――――宜しくお願いします。

 

 お互いが頭を下げて、再び空気は張り詰めた。

 例えるならは引き絞った弓の弦。

 たゆまず、揺らぎもせず、引き締められている。

 

「……始めっ!」

「疾っ――――!」

 

 歯の隙間から漏れ出た呼気。

 小さな砂利を踏む音と共に、円い軌跡を腕に、剣先に、足捌きに描きながら、舞う様にしてその剣舞が始まった。

 

 

 

 一撃一撃はあくまで軽やかに、踏み込みは柔らかく。

 だが、受けてみれば分かるだろう。

 その一撃がいかに重く、いかに危険か。

 常に円を描きながら往なし、かわし、避ける。

 柔の防禦法……それが空手における流水の役割だろうか。

 更に一歩改良を重ねてみた。

 あくまで踏み込みの多くを善しとせず、重力に従って加速をつける。

 膝の柔軟さ、周りに必要な靭帯及び筋肉の強度。

 薫さんが完全にマスターし、実戦に使える様になるには後一年、といった所。

 

 ――――やはり、基礎体力が急務か。

 

 以前の美由希ならば聞いただけで躰が云う事に従っただろう。

 それだけの密度日々走り、日々小太刀を振らせてきた。

 薫さんにはまだ少し早い。だが、無理に鍛えすぎても疲労だけが溜まる。

 いつだって思う。

 

 ――人を鍛えるというのは、本当に難しい。

 

 

 

 三十分ほどが過ぎた。

 昼食までは後三十分ほど。

 薫さんの動きは少しずつ疲労の蓄積と共に無駄が多くなってくる。

 思考は胡乱になりながらも、雑念が芽生え、無心という最高の状態から離れていく。

 本当に目指したいのはこの更に一歩先、疲弊のし過ぎで無駄が省かれた動き。

 

「凄――っ!」

 

 ではあるのだが、流石にそれは高望みと言える。

 やはり筋力。柔軟で、濃密で、可動性に優れ同時に強度が高い。

 体が出来上がる前にそんな事をさせては身体を痛めるだけだ。

 あの時の、俺の右膝のように。

 

 目を膝へと向ける。鈍い痛み。

 幻痛という奴だ。

 長い間共に在り続けたが為に、その怪我自体無かった事になった今でも脳は誤解している。

 ならばこれは――例えるなら魂が痛んでいるのか? 

 

「さて、そろそろ終わりましょうか」

「そうかい? ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 ふー、と大きく息を吐く薫さん。

 肉体面よりも細かやかな注意が必要だった精神面で疲れているのか、余り汗を掻いている様には見えない。

 一応、とタオルは投げ渡す。

 

「どうぞ」

「ありがと。しっかし、恭也くんに見て貰ってから、十六夜に言われたよ」

「……何と?」

「剣筋が定まってきたって。それと計算されて鍛錬項目が組まれているから無茶をしない様にだって。ほんと、十六夜ももうちょっとうちを信頼してくれても良いと思うんだけど」

 

 怒ったように、僅かに口の先を尖らせる。

 普段の真面目さとのギャップが反則的に可愛らしい。

 

「……オホン」

「――――?」

 

 気を取り直して。

 過去に幾代もの先達の業を見てきた十六夜さんに褒められたのは嬉しい。

 小太刀と比べれば不慣れな長刀の鍛錬。

 基本は同じとはいえ、一抹の不安があった。

 

「薫さんは真面目ですから。逸る心を諌めようと思ったんじゃないんですか?」

「そうなのかな……確かにうちは、少し焦っちょる。少しでも早く一人前の退魔師になりたい。寝る時だってそんな事を考えてる自分がいる。でも、もう大丈夫だと思っちょるよ」

「それは何故?」

「うちには恭也くんみたいな立派なお師匠さんがついたからね」

 

 にっこりと、笑顔に連れて長い髪が揺れる。

 むー、あー。

 こういうのは反則じゃないだろうか? 

 顔が熱い。照れる。こういうのは、凄く困る。

 こう、見栄もはったりも何も無しに信頼されているというのは、とてつもなく恥ずかしい。

 

「こちらこそ、霊関係について、全面的に信頼させてもらってます。ありがとう御座います」

「あ、あはははは……」

 

 どうやら薫さんも解ってくれたらしい。

 言っている方は本心だからどうっていう事は無いが、言われている方は堪ったものではない。

 気恥ずかしくて顔を直視していられないのだ。

 

「それでは、今日はこの辺りで終わるとしましょうか」

「そ、そうだね。うちも良いと思う」

 

 互いに一礼。

 頭を上げて、気を抜いたように顔の力が抜ける。

 

「それじゃあうちはクールダウンを兼ねて軽く一周してくる」

「はい、くれぐれもお気をつけて」

「うん」

 

 薫さんは軽い足取りで館の裏へと向かって行った。

 

「ふう……」

 

 溜息を吐(つ)いて立ち上がる。

 躰に視線を向けて手を握ったり開いたり。

 かなり、調子が戻ってきた。

 体重は一気に跳ね上がり、平均を少し至らぬ程度。

 筋肉こそ無いが、普通に歩くだけなら支障はない。

 そろそろ、極々軽い運動を初めて良い頃だろう。

 

 

 

 

――君は知れ――

――真 か 嘘か――

――嘘 が 真か――

――それらは大して変わらぬが――

――ならばこそして意味を知れ――




原作のとらハって……今考えるとめちゃくちゃ……三点リーダ……の多い作品でしたね……

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