胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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06話

 霊力が圧倒的に少ないらしい。

 それは即ち、俺自身がつい先日まで何年という年月寝たきりだった事に原因が有るらしいのだが、正直こちらにそんな覚

 えは無いのだから困ったものだった。

 

 ――とりあえず習ったのは呼吸法だけ。

 

 だが、霊力と体力には綿密な関係が有るらしく、呼吸法だけでも随分と違うらしい。

 場所は美影さんの部屋。

 呼び出すだけ呼び出して、その本人が来ていなかった。

 8畳という意外な広さの美影さんの部屋は、床の間といい、掛け軸といい、とにかく"和"をいっぱいいっぱい主張している。

 畳は小まめに変えられているようで畳特有の匂いが部屋に薫る。

 

 ここなら、集中することが出来るかもしれない。

 呼吸法に慣れるのに必要な、集中力が――。

 

 一度息を止める。

 そして、その瞬間に生じる思考の停止に相まるようにして、呼吸法について教えられたことを実践する。

 

 吸う。吐く。吸う、吐く。

 大きく吸って……体の中を整えるよう意識する。

 ただそれの繰り返し。

 

 無駄な雑念は禅や盆栽で――――

 

「何か忘れてると思ったら盆栽だ!!」

 

 ぐぁ……雑念だらけだ……。

 

「盆栽がどうかしたのかい?」

 

 また気配を消して直ぐ傍にまで潜んでいたのかと思ったが、そんな事は無かった。

 そもそも壁を背にして座っていたため、隠し扉でも使わない事には障子を開けないといけない。

 ただ、“障子を開ける”というハンデさえも、美影ばあさんにはまだ生ぬるい気がして。

 それ故に、普通に外から声を掛けたのが少し不自然に感じた。

 すっ、と障子が開く。

 ――その奥に見える、一つの“ボロ雑巾”。

 

「っ――!?」

 

 ボロ雑巾は血に濡れていた。そして、丁度人くらいの大きさ。

 質感も皮膚と服に見えなくも無い。

 馬鹿な息子を持つと疲れるねえ、なんて美影さんは独り言を呟いたけど、きっと気のせいだろう。

 父さんは今日も翠屋に行っている筈だ。

 

 ――それに仕事をサボるくらいなら死んでも構わないだろう。

 うん、何も問題は無い。あれは『父さん』じゃなかった。

 そして、『不破士郎』がそこまでのなまくら者なら誰も必要としないだろう。

 うん、考えにほころびは無い。

 

「さて、と。待たせちゃったね。話をする前にお茶でも飲もう」

「頂きます」

 

 どうせ長くなるからね、と美影ばあさんは笑った。

 ポットがあるらしく、急須(きゅうす)にお湯が注がれていく。

 どうやら、味には少々うるさいらしく、温度は熱湯という程でも無さそうなのが、立ち上がる湯気の少なさから判る。

 ほらよ、と湯呑みを渡された。

 随分と分厚くて、外装も凝っていて、それが高級品だと分かる。

 

「落とすんじゃないよ。それ一つで5万もするんだから」

「ぶっ――!」

 

 口に含む寸前だったから良かったものの、もう少しで吹き出す所だった。

 まじまじと湯呑みを見つめる。

 ……これが、5万? 

 

 丸い湯呑みは、だが円柱形なだけでは無かった。

 丁度、持ち手になる所はX型になっていて滑りにくく、

 さらに分厚い焼きは、お茶の熱さを手に感じさせないし、冷えにくい。

 さらに、蓋までついている。

 

 だが、これが5万……。

 最高級ので今度呑んでみるかい、なんて、空恐ろしい事をこの人は言う。

 もちろん大きく首を振って断った。冗談じゃない。

 ……まあ、興味が無いかと言われればそうじゃないんだが…………。

 

 ずずず……と音を立ててお茶を飲む。

 少し行儀が悪いが、最初の一杯は音を立てた方が美味しく感じられる。

 湯呑みにこれだけお金を出すのだから茶葉も玉露なのだろう。

 素直に美味しかった。

 

 

 

 美影ばあさんは湯呑みをガラステーブルの上に置いた。

 そこら辺は和洋折衷なのか、明治を思わせる。

 着物を着こなしながら、ピシリとした背筋で正座する姿は、凛とした美しさがある。

 視線は真っ直ぐとこちらを見る。

 

 俺も同じ様に視線を返した。

 目を見ればその人の性格などがある程度分かるという。

 だが、美影ばあさんの瞳には、吸い込まれそうな程の広さしか、感じ取ることが出来なかった。

 

「さて、呼び出した理由は他でもない。恭也、あんた、薫ちゃんに剣を教えるのは止めときな」

「っ! ……何故ですか?」

「問う前に少しは考えた方が良い。もし間違ってたら、その都度訂正してやるから」

「…………」

 

 剣を教えるのを止めなければ"いけない"理由。

 最初に思い浮かぶのは、御神や不破の抱えてきた闇について。

 誰かを護る為と、何かを護る為と常に人を殺めてきた剣。

 

 それが御神であり、不破の姿だ。

 悪と戦っていれば正義という訳じゃない。

 悪と戦っていても、人を殺す限り如何なる言い訳も通用しない。

 人を殺すのは――――確かな悪だ。

 

「そうだね。御神や不破について考えるとすれば先ず其処が出てくる。じゃあ他には? 他には無いのかい? この我らが一族の持つ異常はどうなる? 

 ――異質で、異常で、異様で。

 ――異色で、異形で、異端な一族」

 

 瞳は真っ直ぐに俺を射抜く。

 それが怖い。

 真っ直ぐと、そんな自らの異常性全てを言えるこの人が恐い。

 狂っている。

 狂(ま)がっている。

 

 この人は、明らかに犯しい。

 平然と、整然と、どうしてこんな事を言えるのか。

 本能がかき鳴らす警笛。

 先程まで感じた広い海のような瞳には、同時に、海らしく、深い闇が在る事に気付いた…………。

 

 

 

 冷えだしてきた茶の残りを一気に飲み干す。

 多めに入れてくれたのは幸いだった。

 喉は酷くカラカラで、唇も湿りが丸っきり無かった。

 目の前の化け物は、

 人すら逸脱したような、俺の血の繋がる祖母は、

 何故か寂しそうに微笑(わら)って、お茶を一口飲んだ。

 

「それだけかい?」

「え――?」

「私が教えるなと言ったのは、そんな事じゃない。彼女はそんな汚さを知っていても、誰かを守るために力を求める子だよ?」

 

 ……なるほど。

 それなら確かに、先程の応えは、答えになり得ない。

 ならば、一体何が、教えることを止める理由となるのか。

 御神や不破の持つ危険性じゃないとすれば――――薫さんの危険性? 

 

「分かったかい?」

「いえ。薫さんに直接影響が与えられるという事かなと」

「分かっているじゃないか。うちや御神はね、とても敵が多い。あんたが倒れたように。でも、それはずっと以前から有ったし、あんたが寝たきりになってからも幾度か有った」

 

 一息。

 そこには先程までの恐ろしさを感じさせない。

 一体、どちらがこの人の本当の姿なのだろう? 

 

「御神や不破の存在を知っているというだけで、その情報欲しさに襲われることも或る。御神や不破の技を使うというだけで、殺されるなんて事もありえるんだ」

 

「――恭也、あんたはその責任が取れるのかい?」

 

 果たして俺は、どうすれば良いのだろう? 

 本当に薫さんに剣を教えない方が、彼女に対して幸せなのだろうか。

 彼女は力が欲しいと叫んだ。

 誰かを守るための力を。

 その為に、俺が剣を教えることは果たして悪いのか。

 だが、そうすれば彼女自身に命の危険が迫る可能性が出てくる。

 

 ――その問いは直ぐには答えられない。

 

 少なくとも、本人に聞くまでは。

 

 

 

『それとね、恭也。薫ちゃん達は訳あってうちら不破が擁護してるんだ。理由は本人が話すまで待っといた方が良いねえ』

 

 はぁ……とため息を吐きながら、障子を閉めた。

 手には5万もする湯呑みを持たされ、廊下に出れば微かに肌寒い風が吹く。

 空は薄暗く、分厚い雲に覆われたせいで、夕陽を窺うことも出来ない。

 一度自分の部屋に戻り、メニューを書いた紙を持ってから、そのまま屋敷の裏側へと回る。

 まだ、薫さんは来ていなかった。

 今は、来なければ来ないで良かった。

 その間に考えることが出来るのだから。

 

 

 

 どうやら『たち』という言葉から推測するに、神咲家は何らかの問題を抱えているらしい。

 ……と言っても、分かるのはそれ位の話で、原因となるとまるで分からない。

 ただ、前の世界との関係が何らかの形である以上、自分の知っている部分が有るかも知れない。

 

 神咲一灯流本家当代――神咲薫。

 神咲楓月流本家当代――神咲楓。

 神咲真鳴流本家当代――神咲葉弓

 

 神咲家は主に表と裏に分かれ、裏では日本最高峰の退魔組織を樹立。

 組織力維持のために当代の移り変わりは極早く、それぞれが特徴となる武器を持つ。

 三人は従姉妹、はとこの関係にもあり、年の順だと葉弓さん、薫さん、楓さん。

 本参家は関係も良いが、傍流となると一枚岩では行かない……といった所か。

 考えられるのは今の所、御家同士の騒動が有力な訳だが、こればかりは本人たちに聞くしかあるまい。

 結局、そこに行き着くと、この考えには余り意味が無いことに気付いた。

 全く、お笑い種だな……。

 少し、美影ばあさんとの話で心が疲れているのかもしれない。

 それとも体が疲れているからそんな気がするのか。

 体も心も重たかった。

 すこし、横になる。

 眠りは直ぐに訪れた――――。

 

 

 

 …………。

 ……さわさわと、頭を撫でられている。

 剣士特有の少し節ばった関節と、女性特有の手のひらの柔らかさ。

 病院で寝たきりだったせいで、随分と長くなった髪がもてあそばれている。

 散髪屋なんかで感じる、頭を触られる心地よさ。

 ひたすら後ろへと手を流して撫でられている。

 その触り方が優しくて、少しだけ、心がほぐれる。

 不破の家にいるようになって気が緩んでいるのか。

 昔は……頭を撫でられるような余裕すら無かった。

 自らを刃物のように研ぎ澄まして、近寄る物を警戒し続ける。

 それが常だった。

 目を開く。

 雪のように白い肌。

 日本人形を彷彿とさせる整った顔と墨のように黒い髪。

 薄暗い空の下、ぼんやりと浮かび上がる一人の顔。

 顔は真横を向いていた。

 

「おはようございます、恭也兄さん」

「……おはよう、美由希」

 

 後頭部に感じる弾力は……膝枕をされていたらしい。

 漢のマロンだ。

 よく見れば、視線の先には服を持ち上げる結構豊かな胸が――

 ガバリ! と跳ね起きる。

 女性ばかりと住んでいたのだから、それがどれだけ失礼な行為か分かっている。

 こちらの思惑に気付いていない美由希は、急に起き上がった事に不服そうな顔をしていた。

 堪ったものではない。

 気付かれたが最後、尊厳が傷つけられることこの上ないだろう。

 

「…………恭也くん……」

「薫さん!?」

「っ――。少し、型でも見た貰おうかと思ったけど、後にすることに……しよう。それじゃあ美由希ちゃん、また」

 

 気付かなかった。

 薫さんは少し悲しそうにとぼとぼと歩いて行った。

 きっと、強さを求める今、この時間が薫さんに取ってとても大切な物だったに違いない。

 後を追おうかと思ったが、美由希に止められる。

 

「折角時間を作って頂いたのですから、無碍にするのは憚(はばか)れます。

「いや、しかし……渡しておくべき物が有ってだな…………」

「兄さんは、私と一緒ではつまらないのでしょうか?」

「いや……分かった。また、後で良いだろう、それは」

 

 目を潤ませて、上目遣いに言われては断ることが出来なかった。

 ええい、優柔不断な俺め! 

 全く、前までの美由希とは性格が違っているからやりにくい。

 もしかしたら、美沙斗さんや静馬さんだけでなく美影ばあさんの影響も受けているのだろうか。

 あ、想像したら貧血が…………

 美由希ががしりと抱きしめてくれる。少し恥ずかしい。

 

「兄さん、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ……」

「それと、私は私です。誰かに強要された訳でもなく、こう在りたい、と思った結果ですので」

 

 ……だから人の考えを読むなよ。

 

「桜……綺麗ですね」

 

 美由希は俺の視線を流して一本の桜に視線を向ける。

 ソメイヨシノの大木。

 既に満開にまで花開いていた。

 どうやら、今日、明日が見納めらしい。

 ただ一瞬のため咲き誇る桜の華は、その桜色の花びらは、ハッとさせられる。

 これも見納めかと思うと、少し残念だ。

 だがきっと――

 

「消えゆく定めゆえ美しい……」

「今夜、見ような」

「はいっ♪」

 

 

 

 9時前。

 そろそろ風呂に入ろうかと準備をして廊下に出ると、電話が鳴った。

 昔ながらの黒電話。リンリンとけたたましい鐘の音が響く。

 近くには誰も居ない。仕方ないと受話器を上げる。

 

「はい、もしもし」

「――恭也!? ねえ恭也なの!?」

 

 一拍息を呑んだ後、酷く興奮した声。本人は気付いてないのだろうが、甲高さに顔を顰める。

 だが、その声色には忘れられない優しい響きがあった。

 

「フィアッセ……か?」

 

 その名前を、俺は忘れるわけが無い。

 いつだって傍にいた。いつだって頼れる人としていた。

 歌を唄って、想いを紡いで。

 真っ直ぐ前を向いて、どれだけ悲しくても前に進める。

 

「恭也!」

 

 ――――だからこそ、俺は彼女を助けたいと、心から思ったのだ。

 

 

 

 その一言を後に、フィアッセの口から零れたのは、言葉じゃなかった。

 不明瞭で、不鮮明で。

 ただ心を訴えてくる、凄絶な音。

 胸を打たれた。想いを伝えるのに多くの言葉は要らないと、そう教えられた気分だった。

 受話器の奥から、今はしゃくりあげた声が聞こえる。

 良かったと、繰り返し、繰り返し…………

 

「フィアッセ……」

「なに?」

 

 堪らず、声をかけた。

 だというのに、言うべき言葉が見つからない。

 何を言ってやるべきか、なんと言ってやれるのか。

 胸の中にあるのは、懐かしい声への安堵。

 そして、泣かしたくないという焦燥。

 感情は一つも言葉になってくれない。

 掛けたい幾百の言葉は、喉にまで競りあがって、それでも口から出てくれない。

 想いを伝えるのに言葉は必要ないと、フィアッセに教えられたばかり。

 万感の想いを籠めて、一つの言葉に集約させた。

 

「ただいま」

「ッ――――! ……おか、え、り。おかえり!」

 

 まだ涙声で。

 それでもはっきりとフィアッセは、俺に言葉を返してくれた。

 

 

 

 それから一時間ほど、俺たちは互いの現状を報告しあった。

 涙は収まり、今は明るい笑い声が聞こえてくる。

 

「そうか……。来週の終わりに帰ってくるんだな?」

「うん、今はツアーの途中だから。それが終わったら、直ぐ行くからね」

「じゃあ、お休み」

「おやすみ」

 

 チン、と受話器を置く。

 急に廊下は静かになって、独り溜息を吐いた。

 ……良かった。

 御神の歴史が変わったように、不破の歴史が変わったように、

 フィアッセの在りえた歴史もまた変わっていた。

 父さんが生きていた時から薄々考えていた事。

 度重なるフィアッセの事件でも、最も大きなショックになったアルバートさんへのテロ。

 父さんが死ぬはずだった事故は、しかし未然に回避されたらしい。

 御神と龍との関係。だが今は、それ以上にフィアッセの無事が嬉しかった。

 世界中を忙しく回るクリステラソングスクールの面々。

 楽しい想いと歌声を、フィアッセもまた贈っているらしい。

 

「本当に、良かった……」

 

 そう遠くない過去の記憶。

 不運な事故の連続を、自分のせいだと思い込んだフィアッセ。

 黒く鴉羽のように濡れた背に生える羽。

 忌わしいルシファーを冠する羽の名が、フィアッセの心を蝕んでいた。

 いつも楽しそうに、だというのに少し遠慮した様子で唄うフィアッセの歌は傷ましい程に優しかった。

 何故そこまで気に病むのか。

 父さんが死んだのはフィアッセのせいじゃないのに。

 決してフィアッセのせいじゃないのに――――! 

 ……そんな想いはもう過去として消え去った。

 在りえた一つの可能性。新しく拓かれた一つの現在。

 その中心に俺は立ち、そしてこの現状に感謝している。

 

「にいさーん、早く花見を始めましょう?」

「分かった、今行く!」

 

 だから今だけは。

 胸に残る一抹の不安を忘れて。

 精一杯に楽しむ事にしよう。


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