胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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05話

 いつも通りという、少々げんなりとする程のけたたましい朝食を終えて、自分の部屋へと戻った。

 禅をするなどというなら兎も角、ただぼーとしているのは苦痛だったので、不破流の技について書かれた書物を一冊持ってきた。

 畳にごろりと横になる。

 どうせ文字は一々解析しなければ行けないほど古いものだった。

 新たな技を覚えるのに深い興味があった。

 きっと、難しくても退屈することだけは無いだろう。

 

 

 

「なるほどな」

 

 そう呟いて、俺は下半身に比べて遥かに早い回復を見せている腕を振るった。

 まだまだ腕は細かったし、また関節も強く力を篭めただけで痛みを訴えるが、

 それでも意思の半分ほどには動いてくれる。

 それで充分だった。

 書物のタイトルだけを目通ししていた時、鋼糸についての欄が有った。

 後々なら小太刀の技について知りたかったが、今の躰なら非力でも効果がある鋼糸術を知りたかった。

 ゆっくりと読んでいく内に、絡めて斬る、捕縛する、という以外にも使い道が有る事が判る。

 銃を相手にした時、絡めた鋼糸を引っ張って照準を外す、という事なら恭也も考えたことがあった。

 だが、上には上が居るらしい。

 それによって同士討ちをさせる方法が。

 普通なら障害物になる筈の木々の枝を使い、多角からの攻撃を可能にする方法。

 同時に片手で五本操りながら、更に小太刀を振るう方法が、少々ぼやかして書かれてあった。

 事細かく書かないのは、きっと感覚は自分で掴めという事と、説明のしようのない感覚があるからだろう。

 ……などと考えることは出来ても、

 実際にやってみなければ分からない物だ。

 身体を動かしたいなあ……なんて考えて古い古書、不破の鍛錬書を閉じた時。

 視界の端に有り得ない物が映った。

 ふわふわと浮かんでいるそこは二階の高さだ。

 そんな所に人が居ていい訳がない。

 …………『人』? 

 

「十六夜さんっ!!」

「あらあらまあまあ」

 

 十六夜さんは驚いたように口に手を当てていたが、正直口調からはそんな様子は受け取れなかった。

 宙に浮く体と同じ様に、こちらの感情もふわりと受け流してしまう。

 少し照れたような表情をすると、そのままこちらへとやって来て隣に座った。

 きちりと正座をすると、そのまま頭を下げた。

 

「こうしてお会いするのは初めての事ですね。神咲一刀流至宝、霊剣十六夜と申します」

「不破真刀流、小太刀二刀術不破恭也です」

 

 お互い暫く頭を下げて、ゆっくりと上げる。

 そして十六夜さんが笑った。

 俺も同じ様に笑った。

 なんでこんな普通に相手できてるんだろうかという、疑問が混じった笑みだった。

 多分、きっと、恐らく────十六夜さんは自分の特異性を誰よりも理解しているだろう。

 そして、その特異性が他人にとってどう取られるのか、という事も。

 正直、俺も初対面のときは驚いた。いや、驚愕と言ったほうが正しかったかもしれない。

 現にあれほど、現実離れした話を好んでいた美由希でさえ、開いた口が塞がらなかったのだ。

 いや……あいつはどちらかと言えば「優しさ」の或る物語が好きだったか。

 少しだけ意識をここでない遠い世界へと移していると、見守る様にして十六夜さんはこちらを見ていた。

 そう、優しく、微笑(え)みを浮かべて。

 少し恥ずかしかった。

 そして心が優しくなっていくのを自覚した。

 

「……恭也様」

「はい?」

「何も理由を聞かず────薫を宜しくお願いします」

 

 そう言って、十六夜さんは挨拶の時よりも長く頭を下げた。

 宜しく? 一体何の事を言っているのか。

 十六夜さんの瞳には光が宿っていない。

 だが、その双眸には意志の強さを感じさせられた。

 ──俺に一体何が出来るというのか。

 ──十六夜さんは何を望んでいるのか。

 分からない。

 一体何の事を言っているのか、まるで分からない。

 だが、最初から返事は決まっていた。

 

「俺に出来ることなら」

 

 十六夜さんは、俺がこれまで知る中で、最も綺麗な笑みを浮かべた。

 ……頬が何故か熱かった。

 

 

 

「あー…………駄目だ。何だか調子が戻らん」

 

 とりあえずそう呟いてみたが原因は判っている。

 全て十六夜さんが原因だ。

 なんと言うかあの人は空気みたいにふわふわしているのに、その癖どこか存在感があって全てを包み込んでしまう。

 これはだが恋愛感情とは全く違うものだ。

 全てを包む優しさ……俺は実の母こそ知らないが、こんな感じを母性愛と言うのだろうか? 

 まあ、悪くは無かった。

 その十六夜さんは薫さんが探していることを知って、「あらあらまあまあ」とどこかへ飛んで行った。

 きっと、"かくれんぼ"でもするのだろう。

 …………多分。

 

 

 

 梁に釘で掛けられている掛け時計を見る。

 時刻は10時ちょっと。

 美影ばあさんとの約束までは、まだ時間もある。

 さて、どうしようか、という段になって、ばたばたと走る足音を聞いた。

 

「こら──!! くおーん、芝で遊んできたんならお風呂入りなさーい!!」

「くぅ──ん!!」

 

 ドタドタドタ……バタバタバタ……ドタドタ……ドテッ! 

 

「きゃっ! ……も~~~~っ、くお────ん!!」

 

 恨めしそうな声を上げたかと思うと、突如として烈火と怒りの炎を滾らせる那美さん。

 何だか般若みたいな顔が想像できて、思わず身震いしてしまった。

 ガラッ! と障子が開かれる。

 

「久遠! 逃げたって駄目だからね!」

 

 仁王立ちで、想像通り般若の顔をしていた那美さんと目が合う。

 ……酷く気まずい。

 むしろ俺が逆の立場だったら自殺しかねない。

 とりあえず、なんと答えれば言いか分からないので、無言で通す。

 

「…………」

「あっ、はれっ!? 恭也さん?」

 

 どうやら、久遠が部屋に入って来たものと思ったらしい。

 だが、狐の久遠に障子を閉めるという事が出来たかどうか、那美さんは判別が着かなかったのだろうか? 

 冷静に思考する俺の前で那美さんは顔を真っ赤にして照れ、とうとう顔を俯かせてしまった。

 指をもじもじと合わせている姿などを見ると、思わず意識して抑えてきた「いじめっ子」の嗜好が出てきてしまう。

 

「那美さんどうかしたんですか? 俺に何か用でも?」

「いえ、そういう訳じゃないんですよけど……」

 

 ちらちらと上目遣いに見上げてくる姿は、いじらしいほどに可愛い。

 頬がぴくぴくと痙攣しそうになるのを抑えつけながら続ける。

 

「そうですか? それにしては、障子を開ける時の速さは普通じゃ無かったですよ?」

「うう……ち、ちょっと力が入ってしまって」

「そうですか。じゃあ力が入るほどの急用だったと。どうぞ、心を楽にしてお話下さい」

「ううう……」

 

 那美さんは唸ったまま身動きをしなくなった。

 もしかして言いすぎたか? 

 そう心配になった時、コソコソと部屋に入ってくる久遠を見つけた。

 どうやら逃げ通せたと思っていたらしいが、入ってきた瞬間毛を逆立てると、そのまま後ずさりを始める。

 瞬間! 

 那美さんの首が、いや、"首だけ"がそのまま180度曲がった。

 

「きしゃ────!!」

「く、くぅ~ん!?」

 

 ドタドタドタドタ……

 バタバタバタバタ……べちゃっ

 

 ………………

 放って置こう。

 一瞬だけ止めようかと考えたが、結局俺はため息を一つついて、お茶を飲むために部屋を出た。

 

 

 

 お茶を入れてもらうと、そのまま裏手へと廊下を歩く。

 ぐるりと家を回って真裏へと来れば、美由希と夜桜を楽しもうと行った桜と、薫さんが普段鍛錬に使っている場所が見える。

 空はよく晴れていて、青空と真っ白な雲との調和が綺麗だった。

 直ぐ傍には枇杷の木があった。

 まだ季節には早く、代わりに薄緑の葉っぱが春を感じさせてくれる。

 ひさしのお蔭で太陽の光が直接目に入る事もなく、真っ黒なシャツが吸い込む陽気はぽかぽかと気持ちよかった。

 ああ……春だ……。

 4日も前には既に夏が近づいていた。

 だと言うのに俺は今、春を満喫している。

 ……不思議な話だった。

 正に珍現象。未だにこうしてくつろぎながらも、心のどこかは信じられないでいる。

 前の暮らしも楽じゃなかったが、それでも思い出と温かみがある。

 

「……それはここも同じか」

 

 一体何の因果か、俺の良く知る人の多くはこの屋敷内だけで事足りている。

 後は……そうだな、レン、晶、フィアッセと言った所か。

 忍たちは海鳴にいるんだろうな。晶も親御さんの元を離れないだろうから、海鳴だろう。

 レンはもしかしたらこちら側と思っていたんだが、アメリカに渡ったのか──

 

「恭也くん?」

「薫さん。こんにちは」

「こんにちは……で良いのかな?」

 

 確か、日本じゃ10時を越えたらそれで良かったかと。

 へえ、それは知らなかった。

 薫さんは十六夜を手にして、道場の方からやって来た。

 固められた土の上に足を適度に開くと、

 そしてキン、と綺麗な音を立てて鞘から抜き放つ。

 

「見てて……くれるかな」

「どうぞ」

 

 俺には分からない、霊力を練っているのだろう。

 少々大げさに、独特な呼吸法をしながら黙想している。

 かっ、と目を開いたと思うと、裂帛の気合で十六夜を抜き放った。

 

「──はっ! つぇい!」

 

 ……木刀の素振りよりも随分と安定している。

 だが、薫さん自体にはまだ変わった所が見えなかった。

 ランニングも昨日の今日の話だ。そう変わるものじゃない。

 じゃあ一体何が……。

 なるほど。昨日と違う物が確かにあった。

 “十六夜”だ。

 恐らくは、真剣を持つが故に。

 そして霊力を込めるが故に。

 何よりも、“十六夜”の中にいる十六夜さんの存在が大きいのだろう。

 気合と共に繰り出す斬撃は中々なものだった。

 

 ── 一際鋭い一撃と共に残心。

 

 きっと、“十六夜”を手放せば昨日とさほど変わらないだろうが、それでも拍手をするだけの物は見せてもらった。

 必要なのは“真剣を持つ本番”にどれだけ力を出せるかなのだから。

 薫さんは十六夜を鞘に収めると、こちらの左に座った。

 恐らくは無意識なのだろうけど、それは戦いに身を置いている人間にしか分からないものだ。

 まあ、二刀を遣う不破には対して差が無いわけだが。

 

「や、ありがと。ちょっと気恥ずかしいな」

「いえ、昨日より格段に良くなっています」

「そっか……やっぱり気持ちの問題かな……」

「どうかしたんですか?」

 

 そう訊ねると、薫さんは少し顔を朱に染めると、何でもない、と首を振った。

 どうやら余り聞かれたくないらしい。

 まあ、俺に女性を全く理解できないのはわかっている。

 これ以上考えることに意味は無いのだろう。

 十六夜さんはどうやら出てくるつもりは無いらしい。

 ただ、その霊剣がくつくつと笑っているような気がするのは、気のせいだろうか? 

 と、昨夜考えたトレーニングメニューを渡していないことに気付く。

 ポケットを探ってみるが見当たらない。

 元々会う予定も無かったから、持ち歩くのを忘れたらしい。

 

「恭也くん、どげんしたとね?」

「いえ、昨夜約束のメニューを考えて書き留めたはずなんですが、どうやら忘れたみたいです。

 夕食前にでも、もう一度会えますかね?」

「うちは構わんよ」

 

 即答だった。

 息をつかせる暇も無かった。

 それほどまでに早く上達したかったのだろうか? 

 それを考えると流石に悪い気がしてくる。

 

「お急ぎなら今から取ってきましょうか?」

「いや、構わない! また夕刻に会おう」

 

 やっぱり即答だった。

 しかも何か焦っている。

 本当に、何がなんだか……。

 

 

 

 太陽が昇り、同時に風が強くなってきた。

 夕方か夜には雨が降るかもしれないが、お蔭で暑い思いをしなくて済む。

 俺は右脇に置いていた急須を取ると茶を一口。

 少しだけ、薫さんも心を開いてくれるようになった(その理由は判らないが)。

 聞いておくなら、今かも知れない。

 

「……薫さん」

「ん?」

 

 どうかしたのかい? と瞳が語っていた。

 気遅れしないように深呼吸を一つ。

 一息に言い切ってしまう。

 

「自己治癒のために、霊力の使い方を教えてくれませんか?」

「──っ!」

 

 予想外の事だったためか、薫さんは大きく目を見開いた。

 

「俺も、心は薫さんにそう変わらないんです。強くないたい。

 昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも誰かを守れる力が欲しい」

「そうやとしても…………」

 

 やはり無理か……。

 吐きそうになったため息を慌てて抑え、そのまま空を見る。

 頭上では風が強い。雲が忙しく流れていくのが見えた。

 元々、自己治癒以外に殆んど霊力について望んではいなかったのだが。

 霊力というのは門外不出の秘伝のような物なのだろう。

 素直に諦めよう。

 そう思った時、薫さんがこちらを見る。

 瞳は、真っ直ぐと──

 

「──恭也くんはうちに剣を教えてくれる。それやったら、うちも何かお返しせんとな」

「じゃあ……」

「うん、うちこそ、宜しく」

「宜しくお願いします」

 

 これで少しは目指す場所に早く辿り着けるかもしれない。

 そう思うと、自然と笑みが浮かんでいた。

 

「あ…………」

「──? どうかしましたか?」

「いやいや! 何でんなか。何でんなかよ……。恭也くんは気にせんでいい」

 

 こうなったら絶対に譲らない。

 過去に、家族が取った行動と同じ物であった為に、その事が分かった。

 きっと聞いても無駄なんだろう。

 はぁ。

 そうため息を心の中だけでついて、俺は"講義"をお願いすることにした。

 

 

 

 ──其は薄き刃────其は脆き心──

 ──薄く脆くそして斬れる──

 ──合わせ三本の心の刃──




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神咲家ルートがさらに4話分ぐらいの過去ストックがあります。

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