胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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03話

 ……いい加減昼飯の時間か。

 一度母屋に戻るのも良いかもしれない。

 ゆっくりと車椅子を走らせる。

 少々外を走りすぎたせいか、躰がほんの少し重くなっている。

 今の躰にはその小さな差異がキツイ。

 ……早く元の躰にまで戻したい。

 一日の休みを取り返すのに三日掛かる、というのが通説だと言うのに。

 このままでは治すのに半年、治してから一年半掛かってしまう。

 ……良い方法は無いだろうか? 

 例えば霊的治癒。

 それも人からして貰うのではなく、自らが呼吸法などを習得してしまえば完治の日も近くなる筈だ。

 これは俺の霊力自体があまり無いらしいが、運が良ければ成功するかもしれない。

 例えば美影さんの怪しい薬。

 その種類は媚薬といったものから細胞分裂抑制剤および分裂回数異常増幅(すなわち不老)まで。

 もしかしたらの話だが、体重増加剤のようなものが有ってもおかしくは無い。

 ……いや、副作用が怖すぎるな。

 止めておこう。

 母屋に着いたら流石に車椅子は使えない。

 廊下は硬い板張りだからまだ何とか可能だが、和室ばかりの部屋では流石に畳が駄目になる。

 

「恭也、昼食の準備が出来たよ?」

「あ、琴絵さん。……すみません、お待たせしました」

「いや、今から探しに行く所だった。肩を貸そう」

 

 そう言って琴絵さんは俺の脇に肩を掛けると、ゆっくりと先導してくれる。

 二日目だと言うのに、既に慣れ始めてしまっている自分が恨めしい。

 心に有るのは申し訳なさだけで、恥ずかしさは消えかけていた。

 琴絵さんは外廊下の中ほどにまで来ると一旦立ち止まり、こちらをじっと見つめる。

 なんだろうか、と思う間もなく、琴絵さんは口を開く。

 落ち着いて、少し言葉少なげだった。

 

「君の負傷を申し訳なく思いながらも、私は、君の行動に感謝している。

 ありがとう。そして済まない」

「……いえ。俺たちは家族です。護りたいと思ったのは当然の考えでしょ? 

 それに……こちらこそ、これから迷惑をかけると思います」

「それこそ、家族だろ?」

 

 琴絵さんは笑う。

 俺は歓迎されているのか。

 俺はここに居ていいのか。

 すこし、嬉しい気分だった。

 再び琴絵さんは俺を引っ張って廊下を進む。

 昨日夕餉を取った場所ではない。

 

「ここは?」

「食堂だ。昼は大抵一度に作るから食堂の方が良いんだ」

「なるほど」

 

 がらりと戸を開けば、中華特有の匂いが漂ってきて、

 これは、麻婆豆腐か? 

 流石に昼食時にはマナーどうたらこうたら言うつもりもないのか、食堂はざわめいている。

 学校の食堂を思わせる広さに対し、利用者は少ないのだからそれだけ広々と使えるようになっている。

 

「さあ、恭也。頂くとしよう」

「はい」

 

 こうして俺は最近とみに長い一日の半分を終えた。

 匂いだけが麻婆で、俺の食事はお粥だった。世界はどこか間違っている。

 

 

 

 昼食後、一人縁側でゆっくりする。

 なんと言うか、心が落ち着くのだ。

 これでお茶でも飲めば最高なのだが……んー、何か大切なものを忘れている気もするが、やはり今一番必要なのはお茶だろう。

 食堂まで戻ってお茶を取るか、と迷う俺の前を、いかにも怪しげな(わざとだろう)静馬さんがいた。

 

「あれ? 静馬さんじゃないですか」

「どうかしたのかい?」

 

 こんな所まで妙にさりげなく怪しさ一杯だ。

 一体何をしたいのか理解が出来ない。

 

「いえ、朝から美沙斗さんとはっちゃけてましたし、俺を美影ばあさんに売り渡したりして、今頃保身のために宗家の方に戻っているのかと」

「恭也くん……きみは結構辛辣だね」

 

 静馬さんはどこか悲しそうだ。

 いじいじとしゃがみこんで、土に“の”の字を書いている。

 はて……何か悪い事を言っただろうか? 

 全て事実のはずなんだが……

 

「くぅーん?」

「お、久遠じゃないか」

 

 静馬さんが一瞬で立ち直って、嬉しそうに言う。

 なんと言うかタフな人だ。

 昔は自分の事を「俺」と言っていたが、最近は当主としての貫禄が出てきたようだ。

 剣腕だけじゃなく、身に纏う雰囲気もそれっぽいものだ。

 

「久遠、おいで」

「……久遠、俺のところに来ないか? 静馬さんは腹黒いからやめておいた方がイイ」

 

 俺と静馬さんの二人に呼ばれて久遠は困ったように俺達の顔を見回す。

 そして結局──

 

「久遠……何故僕のところには……」

「すみませんね、静馬さん」

「う、ううう……」

「くぅ~ん♪」

 

 久遠はご満悦のようだし問題はないだろう。

 

 

 

「それでだね、恭也くん」

「はい?」

「くぅん?」

 

 静馬さんは一瞬で立ち直った。

 …………なんと言うか本当にタフな人だ。

 

「これから翠屋に行かないかい?」

「遠くないんですか? 遠かったら車椅子だし、結構問題あるんですが」

「くぅ~ん、くん」

 

 慣れない車椅子の移動は人が思っているよりもはるかに重労働だ。

 それに悪いのは足だけじゃなく全身の体重が、筋肉が無いというのも問題がある。

 だがまあ、今の翠屋に興味があるのも事実だ。

 

「その心配は要らないよ。車も通らない安全な道があるしね」

「それじゃ……お願いします」

「くぅーん♪」

 

 ……どうでも良いが、何故久遠が俺の後に続いて返事をする……。

 いや忘れよう。

 それより、父さんは本当に働いているんだろうか? 

 実は一日中客のようにうろついていたりしていないだろうか? 

 いや、あれでも結構真面目に──そんな訳がない──心配だ……。

 客とのいざこざで喧嘩をしたりしないだろうか? 

 いや、そもそも客に出すシュークリームを食べてしまうかもしれない。

 いや、作りかけのクリームを食べつくして廃業に……

 俺は車椅子に乗ってするすると走らせる。

 

「さあ、直ぐそこだよ」

 

 そう言われて、ここに来てから初めて外に出ることになった。

 

「急ぎましょう!」

 

 

 

 車椅子で走ること10分ほど。

 駅から近めの商店街の端に「洋風喫茶・翠屋」はあった。

 名前の通りの緑色のテントは変わらない。

 少々大きくなっただろうか? 

 それでも記憶にある「翠屋」とその外装は酷似していた。

 

 カラーン♪ 

 

 カウベルが一度大きく、柔らかい音を鳴らした。

 

「いらっしゃいませー」

 

 中から元気な母さんの声。

 

「あれ、恭也くん」

「家族なら、呼び捨てで良い、かあさん」

「そう? じゃあこれからはそうするね?」

「ああ」

 

 いつまでも他人行儀だと調子が出ない。

 今は父さんの存在もあるし、そうそう真雪さんみたいに羽目を外すこともないだろう。

 

「さて、恭也くん、流石に店内で車椅子は厳しいから、外にチェーンかけておくよ」

「あ、はい。お願いします」

 

 静馬さんはそう言ってちょちょっと車椅子を持ち上げて運んでいく。

 ……結構重たいはずなんだが、まるでコンビニで買った帰りのビニール袋並みの持ち方だったな。

 気にせずどんどん行こう。

 御神の剣士はいろいろ非常識なものだ。

 

「じゃあ恭也くん……、カウンターで良い?」

「はい」

 

 壁に手をつけばゆっくりでも歩くことが出来た。

 しかし、と店内を見回す。

 外見もさほど変わっていないという印象だったが、中はそれ以上に変わらない。

 一部だけ宴会用に使える大きな場所の面積が増えたという感じだろうか? 

 立案者及び店長が同じなのだから、そうなるのも自然なのかもしれない。

 椅子に座ると冷たい水が出される。

 

「なに飲む?」

「……アイス宇治茶大盛で」

「バカヤロウ、ここは洋風喫茶だぞ?」

「……父さん、貴方に言われたくないですね。第一どうやってこんな綺麗な人をたらしこんだ?」

「嫌だ、恭也ったら♪」

 

 バシィッ!! 

 

「ゲハァッ!」

 

 母さんの照れ隠しの一撃が父さんの背中を強打した。

 父さん……不破随一の剣士が死に掛けるなんて情けないぞ。

 まあそんな一撃を受け止めるところも凄いが、かあさん何気に神速でも見切れない一撃だ。

 

「ゴメンね、次は一応用意しとくわ。今日のところは別ので」

「じゃあアイスティーで」

「了解」

「……ヒュー……ヒュー」

 

 父さん、うるさい。

 

 カラーン

 

「し、士郎さんどうしたんだ!?」

 

 車椅子を駐車──だろうか? ──してくれた静馬さんは店に入るなり慌てて父さんの身体を抱き上げた。

 そして父さんの拳。

 

「ぐおっ」

「男に抱き上げられるのは性じゃない」

「士郎さんっ! 助けてくれた人にそんな事をするのは私許せませんよ」

 

 うん、父さんがいてもいなくても、我が家は女性に頭が上がらないのは変わらないらしい。

 ぺこぺことかあさんに頭を下げる父さんの姿は滑稽に見えた。

 その横で殴られた恨みか、静馬さんは父さんを憤然と見下ろしている。

 その気持ちは分からないでもない。

 

 

 

「はい、どうぞ。おかわり欲しかったら言ってね」

「いただきます」

 

 琥珀色の液体を透過する厚めのグラスには結露した水滴が雫となってテーブルを濡らす。

 店内は昼食後という、昼休み中な為か結構な人が入っている。

 ランチタイムなのか、盆を持ったアルバイトさんと思わしき女の子が

 忙しく歩き──走るのはご法度──回る。

 

「翠屋スペシャル一つでーす」

「歌うたいご用達ノド潤おしセット入りまーす」

「漫画家ご用達・スタミナ馬車馬セット大盛です!」

 

 ……良く分からないメニューが威勢良く店の中に響き渡る。

 そして父さんはというと──

 

「スペシャルシューお持ち帰りと翠屋ランチで1580円になります。

 ありがとうございました」

 

 信じられないことに仕事を真面目にこなしていた。

 これは幻視か? 

 それとも幻術か? 

 ヤバイ……体が震えてきた……ありえない……

 

「おい静馬、そろそろ代わってくれ」

「士郎さん、前回もそう言ってさっさと終わっただろ? 桃子さんのためにも頑張らなきゃ」

「あぁ……愛する桃子、弱く儚き俺を許してくれ……」

 

 そう、それでこそ俺の知る不破士郎の姿に一致する。

 この情けなき仕事の姿。

 父さんに合う仕事はまさに護衛位のものだろう。

 

 バリバリッ!! 

 

 なにやら強力なスタンガンに似た電気系の音が聞こえた。

 

「…………」

「く……お……ん……ぐふっ…………」

「くぅん」

 

 なぜ、その鳴き声だけで仕事をしろ、と言っているように感じるのか。

 父さんは真っ黒になって倒れ伏した。

 ……? 

 客が気付いていない。

 いや、気付いているが何もおかしな事はないと食事なりお茶なりを楽しんでいる。

 つまり、これは日常茶飯事だという事か。

 

「士郎さん、だから、仕事をしようって言ったのに……」

 

 静馬さんの言葉が虚しく店内に響いた。

 

 

 

「さて、じゃあ帰ろうか」

 

 静馬さんがそう言って、散った父さんの灰を集める。

 そして、

 

「桃子さん、お湯もらえます?」

「はーい。はい、どうぞ♪」

 

 湯気噴き出るヤカンを持ち出してきて、静馬さんが受け取る。

 ヤカンを傾けると、空気の温度が上がるほどの熱湯が灰にかかった。

 待つこと十秒ほど。

 シュワシュワと出来上がるソレ。

 

「ふー、酷い目にあった。まったく久遠め、手加減を知らない」

「まだ封印中だそうですから、手加減が利かないんでしょう」

 

 ま、手加減するなといって置いてあるんですが。

 そう静馬さんは父さんに聞こえないよう、口だけを動かしたのを見てしまった。

 

「恭也くん? さあ、帰ろう」

「は、はい」

 

 天使のように嗤う静馬さんに対して、俺が頷きしか返せなかったのは、果たして俺が悪いのだろうか? 

 

 

 

 店を出て、ゆっくりと空を見ながら帰ると、時間は既に4時半。

 水平線に近い空は既に赤く染まり始めている。

 母屋の縁側に座布団を敷いてもらって、ぼんやりとお茶を飲みながら座り続ける。

 時折柔らかく吹く風を感じたり、ゆっくりと姿を変える空を見たりして暇を潰す。

 元々、暇は嫌いではなかった。

 毎日が息も詰まるような鍛錬尽くしの日々。

 いつしか慌ただしい日々の中に潜むゆったりとした時間が好きになっていた。

 そしてそれは此処に在り、今の状況はそれを楽しむ事を許してくれている。

 

「ああ……幸せだ……」

 

 どうせ数日が経てば動けない事に苛立たしさを感じるようになるのだ。

 今の内に楽しむということは後々のストレスを考えると必要だろう。

 重ねてあった座布団を移動させ寝転ぶ。

 ひさしの裏と空とが丁度半分ずつ視界に見えている格好だ。

 心は穏やかで、耳は風で動く木の葉の音さえ聞き漏らさずに捉えている。

 

 ……ォン!

 

 何だ? 

 風の切る音。

 不破や御神の家ならば慣れ親しんだ、素振りの音だろうか? 

 本当ならもう少しごろりとしているのだが、どうやら早くも退屈してきているらしい。

 車椅子に乗り移って音のする場所へと向かう。

 そこには薫さんがいた。

 ランニングを終えた後の素振りなのか、肌からは湯気が立つほどに汗が噴き出て、それでも動きを止めることは無い。

 思わず、頭に血が昇った。

 

「──薫さん!」

「恭也くん?」

 

 喉が痛んだ。肺と心臓が暴れだす。

 大丈夫だ、大丈夫だ、直ぐに収まる──っ! 

 

「! ……ふぅ。良いですか、焦って怪我をすれば元も子もありません」

「そげな事はわかっちょる!」

「いいえ! 薫さんは解っていません。それは知ってるだけです。……そう、剣を握りたくても握れない苦しさ……、高みを望めないと知った時の絶望。貴女は何一つ解ってはいない……」

「恭也……くん…………」

 

 薫さんは素振りをやめた。

 だらりと腕をおろして、木刀がカラリと音を立てて倒れる。

 その顔に浮かぶ驚愕は、一体何を思っての事なんだろうか? 

 薫さんは動く。

 ゆっくりと、幽鬼のように力なく。

 こちらに近づき、何故か抱きしめられた。

 

「……薫さん、どうかしたんですか?」

「すまない……うちは──、うちは軽率な事を言うた」

 

 抱きしめられる腕が痛い。

 震える体が心に痛い。

 そう、薫さんだって、あれだけの無茶をしていたらどうなるか知っている。

 知っていても、やってしまいたく、やらなくてはいけないと思うようになる理由があるんだ。

 

 

 それはかつて父さんを失った時の俺のように────

 

 

 薫さんは来たときと同じ様に、ゆっくりと腕を離した。

 そして力なく笑った。

 

「うちは強くなりたい」

「…………」

 

 俺は何も返すことが出来ない。

 

「誰よりも! 何よりも!」

「…………」

 

 かつての俺と同じ事をこの人は想っているのに。

 

「守れるだけの力が欲しい! 

 自分だけじゃなく、誰かを守れる力をうちは────」

「…………」

 

 俺は、俺は────

 

 

「うちは欲しい────ッ!」

 

 

 

 

 

 ──其は鏡か其は幻か──

 ──其は合わせれば二つにして一つ──

 ──其はコインの表と裏のように──

 

 ──昏き獣が叫ぶ──

 ──力が欲しい──

 

 ──昏き獣の王が叫ぶ──

 ──力が欲しい──




更新
手直しがしたいけど、見なかったことにします。

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