場所を移って一階の物置。
鍛錬は結局三本目に成功する事も無く終わった。こういうのは感覚的な物だから、一度コツさえ覚えれば早いのだが、早々上手く行かないのが常だ。
少し鍛錬の事からは離れようと、物置に収められている小説に目を通してみる。
時代小説から始まりミステリーへと続く。これで本棚が一つ。
SFが暫く続くと知識系の雑誌などに変わってくる。主には料理だろうか。
「ふむ……やはり剣客商売などは一度読んで置くべきか……」
「きょうや」
「む、久遠か……。久しぶりだな、その姿は」
「かおるがあんまりなっちゃいけないって」
「そうか。薫さんが言うのだから何か意味があるんだろう」
「うん、くおんもおもう。みんな言うから」
小さな久遠は素直に頷いている。
動く度に尻尾が右に左にと揺れて、本棚の埃を払っているが…………
「久遠、あまり汚れるとまた風呂に入る必要が有るぞ」
「うー。お風呂きらい」
「そうか、じゃあ出来るだけ汚れないように気を付けろ、な?」
「うん」
パタパタと喜びを表すかのように尻尾が揺れる。
右に左に。その度に本棚に詰まった埃へとぶつかり、毛並みを汚していく。
「……久遠、一緒に表に出ようか」
「うん!」
物置から出て廊下。
最近特に暖かくなってきた空気を感じながら歩く。
久遠は付かず離れず、短い足で一生懸命に後へと続く。
……微笑ましい。
つっかけを履いて盆栽の様子を見に行く。
命名『春風』。
愛しの盆栽。だと云うのに未だに手をつけられない……。
じっくりと眺める俺に、
「きょうや、木がすき?」
久遠が聞いた。
「む……そうだな。好きと言えば好きだ。こうして見ていると心が落ち着く」
「くおんも好き」
久遠の好きは意味が違うだろうに。
そう思ったが口には出さない。
何より、純粋にそう云える久遠の考えは、共に居て心が和む。
「きょうや……」
「どうかしたか?」
「れいりょくが……ちょっとおかしい」
「む…………久遠には判るのか」
「うん、きょうやのは、いっしょじゃない」
「――――?」
いつも通り椅子に座る俺の膝、久遠が飛び乗る。
手でペタペタと腹を触ると、ん、と云って目を閉じる。
ピリッ、と肌に電気が通った。
外的要因による腹部の急収縮で身体を丸まりながら、苦悶の声を出さないよう自制する。
油断していたから、少し痛かった。
息を止めて、痺れをやり過ごす。
「だいじょうぶ?」
「……あ、ああ。次からは前に言ってくれると嬉しい」
「それじゃあだめだって、いざよいがいってた」
「何故?」
「みがまえると、こうかがないって」
「そ、そうか……それじゃあ仕方が無い。ありがとな、久遠」
「うんっ!」
ビリビリビリ……。
次こそ手加減無しに雷を撃たれて、俺は意識を手放した。
呼ぶ声が聞こえる。
暗い視界。気絶していたのだと気付くのに少し時間が掛かった。
全身の隅々まで神経を通して、体調を調べると、腹部が痛かった。
「痛っ、うぅ」
「恭也君っ、気付いたと!?」
「あ……ええ」
頭を振って意識を確りとさせる。
目を開けば、覗き込むようにして薫さんの顔がある。
明らかにホッと息を吐くと、何だか申し訳無さそうに視線を逸らされた。
「久遠が悪い事した。ただあいつは嬉しかっただけで、悪意は無かったんやと思う。ほれ久遠、お前も謝らんとね」
「……ごめんなさい」
横から聞こえる久遠の声。
落ち込んでいて、普段の明るさが形(なり)を潜めている。
片腕をついて身を起こし、
「構わないから。謝ったのなら、問題は無い」
「すまんね、恭也君……」
「いえ、薫さんもそう気にしないで下さい」
伏せられた顔が酷く落ち込んでいるように思えてならない。
目元を隠す長い髪のせいで表情が見えないが、真面目な性格だから本気で気にしているのだろう。
腹をさすって疼痛を堪えながら起き上がる。
足の先にまで注意深く神経を張り巡らせるが、後遺症は感じられなかった。
むしろ、気だるさの様なものが消えている。
他の人に見られた訳でも無いし、恥をかいた訳じゃない。
問題は無かったという事にしておこう。
「で、久遠。なしてこげな事を?」
「きょうや、からだおかしい。いざよいもいってた」
「十六夜が?」
薫さんの顔が訝しげに歪む。
目を瞑り、暫く唸るようにして思案する。
体がおかしいという言葉と、久遠の行動を、自分の知識と照らし合わせているのだろう。
俺は久遠の頭を撫でながら、薫さんの言葉を待つ。
久遠は気持ち良さそうに頭を腕にこすり付けてきた。
すっ、と薫さんの目が開く。
いまだ迷いを抱えながらも、真っ直ぐとこちらを見る。
どこか奥深くまで見通されそうで、躰が勝手に身構えた。
すまない、と謝罪が一言。
「十六夜に聞くのが一番なんじゃろうけど、少し恭也君、調べさせて貰えんか?」
「え、ええ。構いませんが……」
「服はそのままで良いから、後ろを向いてくれると嬉しい」
「はい」
言われた通り後ろを向く。
机と膳と、二枚重ねの座布団に座りながら、物置にあった本が目に付く。
倒れたとき一緒に持って来てくれたのかと嬉しく思っていると、両肩に感触を感じる。
身動きをすると止められた。
事情が飲み込めないが、随分と真剣らしい。
久遠の言葉といい、自分の躰には気付いていないだけで、何処か問題が在るのだろうか?
「落ち着いてくれるのが一番良いから」
「はい」
「ふ――――」
呼吸音。
調息とも取れる長い息吹をしてから、薫さんが集中していくのが解る。
手のひらが僅かに熱を持つ。背中の空気がどこか温かくなった気がする。
ドクン、ドクンと聞こえてくる自分の心音。
薫さんの霊力が、俺の霊力に触れるていくのが感じられた。
触れられた手がゆっくりと場所を移動していく。
まるで聴診器を当てた医者の手探り。
「……うん、多分だけど、間違いないと思う」
「分かりましたか?」
「ああ。でも説明する前に、十六夜に詳しい事を聞いてみる」
「そうですか」
「ちょっと待ってて」
言って、薫さんは俺の部屋を出て行く。
ちらりと見えた横顔は、どこかこわばって見えた。