胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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神咲編 03話

 場所を移って一階の物置。

 鍛錬は結局三本目に成功する事も無く終わった。こういうのは感覚的な物だから、一度コツさえ覚えれば早いのだが、早々上手く行かないのが常だ。

 少し鍛錬の事からは離れようと、物置に収められている小説に目を通してみる。

 時代小説から始まりミステリーへと続く。これで本棚が一つ。

 SFが暫く続くと知識系の雑誌などに変わってくる。主には料理だろうか。

 

「ふむ……やはり剣客商売などは一度読んで置くべきか……」

「きょうや」

「む、久遠か……。久しぶりだな、その姿は」

「かおるがあんまりなっちゃいけないって」

「そうか。薫さんが言うのだから何か意味があるんだろう」

「うん、くおんもおもう。みんな言うから」

 

 小さな久遠は素直に頷いている。

 動く度に尻尾が右に左にと揺れて、本棚の埃を払っているが…………

 

「久遠、あまり汚れるとまた風呂に入る必要が有るぞ」

「うー。お風呂きらい」

「そうか、じゃあ出来るだけ汚れないように気を付けろ、な?」

「うん」

 

 パタパタと喜びを表すかのように尻尾が揺れる。

 右に左に。その度に本棚に詰まった埃へとぶつかり、毛並みを汚していく。

 

「……久遠、一緒に表に出ようか」

「うん!」

 

 物置から出て廊下。

 最近特に暖かくなってきた空気を感じながら歩く。

 久遠は付かず離れず、短い足で一生懸命に後へと続く。

 ……微笑ましい。

 つっかけを履いて盆栽の様子を見に行く。

 命名『春風』。

 愛しの盆栽。だと云うのに未だに手をつけられない……。

 じっくりと眺める俺に、

 

「きょうや、木がすき?」

 

 久遠が聞いた。

 

「む……そうだな。好きと言えば好きだ。こうして見ていると心が落ち着く」

「くおんも好き」

 

 久遠の好きは意味が違うだろうに。

 そう思ったが口には出さない。

 何より、純粋にそう云える久遠の考えは、共に居て心が和む。

 

「きょうや……」

「どうかしたか?」

「れいりょくが……ちょっとおかしい」

「む…………久遠には判るのか」

「うん、きょうやのは、いっしょじゃない」

「――――?」

 

 いつも通り椅子に座る俺の膝、久遠が飛び乗る。

 手でペタペタと腹を触ると、ん、と云って目を閉じる。

 ピリッ、と肌に電気が通った。

 外的要因による腹部の急収縮で身体を丸まりながら、苦悶の声を出さないよう自制する。

 油断していたから、少し痛かった。

 息を止めて、痺れをやり過ごす。

 

「だいじょうぶ?」

「……あ、ああ。次からは前に言ってくれると嬉しい」

「それじゃあだめだって、いざよいがいってた」

「何故?」

「みがまえると、こうかがないって」

「そ、そうか……それじゃあ仕方が無い。ありがとな、久遠」

「うんっ!」

 

 ビリビリビリ……。

 次こそ手加減無しに雷を撃たれて、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 呼ぶ声が聞こえる。

 暗い視界。気絶していたのだと気付くのに少し時間が掛かった。

 全身の隅々まで神経を通して、体調を調べると、腹部が痛かった。

 

「痛っ、うぅ」

「恭也君っ、気付いたと!?」

「あ……ええ」

 

 頭を振って意識を確りとさせる。

 目を開けば、覗き込むようにして薫さんの顔がある。

 明らかにホッと息を吐くと、何だか申し訳無さそうに視線を逸らされた。

 

「久遠が悪い事した。ただあいつは嬉しかっただけで、悪意は無かったんやと思う。ほれ久遠、お前も謝らんとね」

「……ごめんなさい」

 

 横から聞こえる久遠の声。

 落ち込んでいて、普段の明るさが形(なり)を潜めている。

 片腕をついて身を起こし、

 

「構わないから。謝ったのなら、問題は無い」

「すまんね、恭也君……」

「いえ、薫さんもそう気にしないで下さい」

 

 伏せられた顔が酷く落ち込んでいるように思えてならない。

 目元を隠す長い髪のせいで表情が見えないが、真面目な性格だから本気で気にしているのだろう。

 腹をさすって疼痛を堪えながら起き上がる。

 足の先にまで注意深く神経を張り巡らせるが、後遺症は感じられなかった。

 むしろ、気だるさの様なものが消えている。

 他の人に見られた訳でも無いし、恥をかいた訳じゃない。

 問題は無かったという事にしておこう。

 

「で、久遠。なしてこげな事を?」

「きょうや、からだおかしい。いざよいもいってた」

「十六夜が?」

 

 薫さんの顔が訝しげに歪む。

 目を瞑り、暫く唸るようにして思案する。

 体がおかしいという言葉と、久遠の行動を、自分の知識と照らし合わせているのだろう。

 俺は久遠の頭を撫でながら、薫さんの言葉を待つ。

 久遠は気持ち良さそうに頭を腕にこすり付けてきた。

 すっ、と薫さんの目が開く。

 いまだ迷いを抱えながらも、真っ直ぐとこちらを見る。

 どこか奥深くまで見通されそうで、躰が勝手に身構えた。

 すまない、と謝罪が一言。

 

「十六夜に聞くのが一番なんじゃろうけど、少し恭也君、調べさせて貰えんか?」

「え、ええ。構いませんが……」

「服はそのままで良いから、後ろを向いてくれると嬉しい」

「はい」

 

 言われた通り後ろを向く。

 机と膳と、二枚重ねの座布団に座りながら、物置にあった本が目に付く。

 倒れたとき一緒に持って来てくれたのかと嬉しく思っていると、両肩に感触を感じる。

 身動きをすると止められた。

 事情が飲み込めないが、随分と真剣らしい。

 久遠の言葉といい、自分の躰には気付いていないだけで、何処か問題が在るのだろうか?

 

「落ち着いてくれるのが一番良いから」

「はい」

「ふ――――」

 

 呼吸音。

 調息とも取れる長い息吹をしてから、薫さんが集中していくのが解る。

 手のひらが僅かに熱を持つ。背中の空気がどこか温かくなった気がする。

 ドクン、ドクンと聞こえてくる自分の心音。

 薫さんの霊力が、俺の霊力に触れるていくのが感じられた。

 触れられた手がゆっくりと場所を移動していく。

 まるで聴診器を当てた医者の手探り。

 

「……うん、多分だけど、間違いないと思う」

「分かりましたか?」

「ああ。でも説明する前に、十六夜に詳しい事を聞いてみる」

「そうですか」

「ちょっと待ってて」

 

 言って、薫さんは俺の部屋を出て行く。

 ちらりと見えた横顔は、どこかこわばって見えた。


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