――――真逆。
それが最初の感慨だ。
いや、神咲家が何かしらの問題を抱えていたのは理解していた。
そうでもなければ繋がりを、言って良いほど親身で無かった不破家に、神咲家の当主が住む筈が無いのだから。
だが、と思う。
神咲家が滅んだ。
それが一体どれだけ大それた事か、そちら側に疎い俺でも理解できる。
日本最大の退魔組織。
九洲を拠点とした三大流派。
傍流亜流を含めれば、日本の三分の一は神咲家が占めている筈だ。
それが―――滅びた。
もしや、と思ったのだ。
御神、不破を襲う筈だった結婚式場に設けられた爆弾。
その主犯である龍の企みを、この俺が破った時点から、全ての歯車は狂っていたのだから。
だから思った。だから考えた。
神咲家が滅亡したのは、龍の仕業ではないのか、と。
「本当に醜い……うちにはとても信じられん事実」
その語る表情の痛み。
辛酸を舐め尽した痛みと辛さ。
「だけど、美影さんに調べ尽くして貰った事実は一向に変わりが無い」
瞳に浮かぶ復讐にも似た冷たい怒り。
「事実なのじゃろう。うちは、心当たりが有るから……それだけに赦せん」
侮蔑と、嘲りを、混沌と混ぜ合わせて凝縮したような、絞り出された声。
幾度かの瞬きの後、薫さんは俺の方を向きながら、その後ろに在る何かを見据えて言い放つ。
「下らん出世欲に狂った神咲のヒヒ爺どもめ……。何時か、うちが制裁を加える」
それは、考えていた予想とは違う言葉だった。
だが薫さんは真剣に、神咲家の老害に対して怒りを抱いている。
握り締められた拳が抑えきれない激情を表す様に、ブルブルと震えている。
それだというのに、俺は心のどこかでホッとしている。
龍でなくて良かった。
俺が八門両家を救ったせいで、神咲家の人たちが死んだ等、到底許せそうに無かったから。
そして大部分を占める辛酸を舐めるような胸のしこり。
一つの悲劇が無くなったと云うのに。
御神と不破が残っていると云うのに。
世界のどこかでは悲しみに暮れる場所がある。
その事実が鬱々と胸の中で残っていた…………。
道場の中に湿っぽい空気が流れている。
いつものしんとした張り詰めた物とは違う、どこか遣り切れない感触。
薫さんが参ったなという顔で苦笑し、頭を掻いた。
「うん……そういう事で、うち等はそれまで下宿していたさざなみ寮から、不破家にお世話になっとる」
「そうですか……。難しい事は、何も言えませんね……」
こう云う時は話す側も、話される側も、どうしても対応が難しい。
父さんが死んでから何度か言う側に回った筈だが、その時どんな答えられ方が良かっただろうか?
……分からないな。いつでも割り切っていたから、気にした事も無かった。
ああ、でも父さんが死んで最初の頃。
一つ二つそういう言葉があった。
「そうですね、一つだけ」
「ん?」
「…………だからって薫さんが責任を感じる事は無いんですよ?」
言ったのは誰だったか、今はもう、覚えていないけれど――――
「本当かい?」
「はい。今はそう思えないかもしれないけれど、薫さんが自分の道を決める方が、絶対に大切ですから。きっと皆、そう言います」
確かにあの時、俺はこの言葉に救われたんだ。
剣を持つと言った美由希を鍛えようと思った。
自分の膝の分まで、美由希が望むならば強くしてみせようと思った。
それはもう叶わないけれど。
今は新たな可能性が見えてきたけれど。
……それでも、こうして胸に残っている。
祖母ちゃんと、掻き消える様な声で薫さんが呟いた。
茫然とした様子で家族の顔を思い浮かべているらしい薫さんを置いて、その場を立つ。
当然薫さんが気付いていないわけも無く。
それでも今は一人の方が良いと判断したのだろう。
お互いに軽く頭を伏せて、その場を後にする。
「……ふぅ、知ったのは良いが、軽くない」
そう、決して軽い事じゃない。
本当なら俺が口出しするのもおこがましい事だ。
見ていられなかった、と言うのが現実の所なのだが。
道場を出て母屋に。
その途中で、命の姿を見かける。
良い頃合だし、特別朝が弱いって事も無い命だから、朝の鍛錬をしに来たのだろう。
「兄さん」
「ああ、命か。おはよう」
「おはようございます。今日の鍛錬は終わりましたか?」
「ああ。命はこれからか?」
「いえ、兄さんを朝食にお呼びしようと思いまして」
「そうか、感謝する。……薫さんだが、今は呼ばなくていいだろう。お腹が空いたら来るだろうし、来なかったら一人前置いといたら良い」
「そうですか」
命は何やら急に機嫌が良くなった。
一体何が嬉しいのか理解できないが、恐らくは食事を早く食べれる事が嬉しいのだろう。
腰を少し越えた辺りしかない命に引っ張られて歩く。
すっ、と障子を開けるといつもの面々で食事を取った。
自室で鋼糸の鍛錬に励む。
一本を操る事は容易く、二本までは普通。
三本を越す鋼糸を自在に操るとなると、既に御神流の中でも抜きん出ているだろう。
「しっ!」
呼気と共に繰り出す両腕。
先端についた錘に沿って鋼糸が蛇のように疾る。
一本、二本……三本は無理か。
意識を集中していても、同時に全ての動きを把握するのにはまだ慣れが足りない。
何よりも、指一本で細かい動きを与える頭の回転がまだまだ鈍い。
反復練習を繰り返すことによって無駄な思考が削ぎ落とされて行くだろうから、問題は無いが。
こうか……?
こうだろうか。
試行錯誤を繰り返すも、そう簡単に巧く行く訳もなく。
十の指で操れた著者は、家事能力の達人だろうと邪推する。
何せ同時並列思考が必要だからな、あれは。
「しっ、せっ、やっ!」
「精が出るねぇ」
「美影さん?」
「ああ、邪魔するよ。鋼糸の練習か……私も幼い頃はやったもんだ。三日少しで一本くらい増やして、結局一月で八本使えたかな」
「早いですね」
「まあね。女は地の力じゃどうやっても男連中に勝てないから、細かな業に長けるって訳だ」
なるほど。
無理に筋力をつけるよりも、業を伸ばして対抗する方法を選んでいるわけか。
美影さんは懐から鋼糸を取り出すと瞬時に手を振る。
風を斬る僅かな音がしたかと思うと、練習用に持ってきていた木の枝が絡め取られ、斬り放たれた。
…………凄い。
今更ながらにゆっくりと枝が畳に落ちる。
切断面は糸特有の滑らかさがある。
ごくりと飲み込んだ嚥下音が、随分と大きく耳に聞こえる。
「一番苦労するのは意外にも薬指でね。柔らかくしておかないと他の指まで曲がってコントロールが利かなくなる」
「なるほど」
「後は指毎に使う号数を変えたり。――まっ、創意工夫の余地は幾らでも有るって事だね」
「………………」
脱帽する。
簡単に言ってくれるが、口ほど簡単に出来る物じゃない。
こうして三本操るのにさえ苦心するのだ。雲の上の話に聞こえてくる。
「俺に……出来るでしょうかね」
「さあねぇ。結局の所努力次第だよ、才能は二の次。邪魔したね、精々頑張りな?」
言いたい事だけを言って、美影さんは来た時と同じ様に、気ままに部屋を後にした。
残された俺は、視界から消えたのを確認すると、枝を観察してみる。
高摩擦高強度である鋼糸は、のこぎりの様にどうしても切り口が荒くなるのだが……そんな風には見えない。
やはり技術。
持っている鋼糸の材質は同じもの。
美影さんの言う通り、鉛のつけ方一つにしても工夫が行われているのだろう。
努力努力。
三月を前提に俺も頑張ってみるか……。
精神と時の部屋を使いたい