胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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神咲編
神咲編 01話


 目覚めと共に鍛錬が始まる。

 呼吸を始めとした、主に霊力を交えた鍛錬が普段するもの。

 

 だが、今日は少し別のメニューを始める。

 静かな道場の中で、俺と薫さんは対峙する。

 

 瞳は真っ直ぐ、一瞬の隙さえ許さないと相手の目を見る。

 気迫は上々。揺るがない剣先は並々ならぬ精神力を窺わせる。

 俺は無手で手を出さず、殺気だけを放つ。

 

 じわりと噴出す粘り気のある汗が、額をゆっくりと流れる。

 腕を動かす訳でもなく、身体を動かす訳でもなく。

 ただ気配だけの戦闘。

 イメージトレーニングという言葉は正しくない。

 

 気配で人を殺す事は出来ないが、ある程度精神を揺り動かす事は出来るのだから。

 疲弊し、磨耗していく精神を無理やり立たせ、戦闘可能な状態へと組み立てる事は非常に困難な物だ。

 それを考えると、薫さんの気配は荒く、だけど骨組みの確りとした物だった。

 

 基本を押さえ、何度も反復してきた物だけが得れる剣気。

 殺気ではなく、薫さんは何処までも純粋な闘気に溢れている。

 恐らくは幼い頃からの賜物であり、十六夜さんのお蔭なのだろう。

 

「くっ……」

「…………」

 

 声を上げたのは薫さん。

 主に霊を相手にしているだろう彼女にとって、俺の様な人間の殺気は辛いだろう。

 だが止めない。

 

 俺には神咲一灯流について教える事は出来ないのだから。

 忌まわしき血に濡れた剣か、刀の使い方を教える、それ位しか出来る事は無い。

 そして、今の薫さんが求めているのは純粋な力だ。

 如何にすれば鋭く斬れるのか、速く動けるのか、気で圧されないのか。

 それだけならば、今の俺でも充分に教えられる事だ。

 

「…………」

 

 相手の剣気に対して威嚇、陽動。

 そして気を収め、相手の注意が散漫になった瞬間に、これまでで最大の殺気を叩きつける。

 

「あ……」

「大丈夫ですか? お疲れ様です」

「……うちは大丈夫。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 フー、とお互いが息を吐く。

 張り詰めていた心が恐々と元に戻っていくような感覚。

 そして鍛錬の終わりに安堵して、二人して笑みを浮かべた。

 

 


 

知り得た事実と 知り得ぬ事実

真逆と マコトは紙一重

震え奮える ココロとカラダ

帰り戻らぬ 過去への想い

ただ一つ

願わずには イラレズ

 


 

 

 用意していたタオルで汗を拭き、クールダウンに柔軟体操を終える。

 早朝訓練の性質上、食事にはまだ随分と余裕がある。

 それぞれ一旦着替えて、お茶でも飲みながら話をしようという事になった。

 

 道場を離れて自室に戻り着替える。

 姿見に映った自分の線の細さに顔を顰めるが、それでもまだマシになった。

 軽い運動なら行えるようになったのだから、随分と好調な回復なのだろう。

 

 だが、と思う。

 嘗ての俺ならば、膝を壊していても多くの動きをカバーできるだけの筋力があった。

 血を吐くような、嗚咽するような鍛錬を重ねて造り上げた躰が、確かに在ったのだ。

 

 ……今日は四月一日。新学期までは後六日。

 記憶の中では山籠りをしている筈だった。

 

 一日三千本の打ち込みと合間の筋力トレーニング。

 美由希と二人でこなした逃げ出したくなるような山篭り。

 その想い出が架空の物になると逆に、俺は御神不破存続という物を手にした。

 未だに戻れるような気がして仕方が無く、しかし戻りたいのかと言われればそうでもなく。

 

 ……中々に気難しい自分の感情を制御できないでいる。

 溜息。考えても仕方がないことだと気付き、少し気分が暗鬱となる。

 窓でも開けて、部屋の空気と共に感情も入れ替えようと窓際に寄り――――

 

 空に浮かぶ十六夜さんに目があった。

 

「あらあら、まあまあ」

「…………おはようございます」

「おはようございます。恭也様は朝が早いのですね」

「薫さんには負けますよ」

「ふふふ、薫は起きた時、実に眠そうにしているのですよ? それでも、朝の鍛錬があるって、熱心な事です」

「それは……知りませんでした。道場に行くときにはいつも気を引き締めていましたから」

「あらあら。また薫に怒られるような事を言ってしまったかもしれません。この事は内密に」

「……了解です」

 

 確信犯じゃないだろうか。

 楽しげに笑う口元を押さえて、ふわふわと十六夜さんが漂う。

 

「それじゃあ失礼します」

「はい。それでは」

 

 薫さんが待っているだろう。

 この事が顔に出ないよう、少し気を引き締めて、再び道場へと戻る。

 背後では未だに、ふわふわと質量を感じさせず宙を舞う、十六夜さんの気配があった。

 

 

 

 開け放たれた道場の横、足を放り出しながら並ぶ。

 分厚い湯呑みは、茶の温度を手にまで伝えない。

 少々軽さに欠け、また剣以外では金銭感覚の庶民的な俺でも、良い買い物かも知れないと思った。

 

 傾け、口に入った茶の味と香りを楽しむ。

 渋味と甘味の混じった味に満足しながら湯呑みを置く。

 口を開くのは今後の事。

 

 本来なら高校を卒業している年である俺。

 大学を卒業して社会人として動く筈の薫さん。

 よくよく考えてみれば俺は小学校すら出ていない事になる。

 

 もちろん、この年になって小学校からやり直すつもりは毛頭ない。

 経歴詐称になろうとも、高校までは卒業した事にして貰う。

 その事を話すと、薫さんが苦笑した。

 

「正直な所、勉強の方は大丈夫かい?」

「英語は書けなくても話せますし、日常生活に必要な情報は持ち合わせてると思いますので」

「そうか……ううん、益々……」

 

 そこで言葉を切られる。

 言いたい事は分かっている。

 一体どうやってその知識を得たのか、と云う物だ。

 

 だが、俺には説明のしようが無い。

 訊かれたなら兎も角、そうでない限り口外するのは避けたかった。

 何かが、決定的に決まってしまうだろうから。

 

「どげんしたとね?」

「いえ……自分が何故こうして此処に居るのか。それについて考えてました」

「そうか。うちも考える事がある」

 

 そこで一息。何かを覚悟したように顔を上げる。

 

「……そろそろ、話すべきかも知れんな」

「何を、ですか?」

 

 空気が急激に凛と張り詰める。

 静かで、重く。真面目な話なのだろう。

 薫さんは持っていた湯呑みを置く。

 

「うちが此処に来たのは今から六年前の事じゃ」

 

 それは知りえなかった過去。

 美影さんに聞こうにも、本人の口から聞くべきだと言われた、一つの謎。

 

 何故神咲家の当代である薫さんが此処に居るのか。

 那美さんは、久遠は関係が有るのか。

 十六夜さんが意志を込めて“宜しく”と言った意味は何なのか。

 

 力を求めた訳。

 記憶にある姿よりも遥かに弱かった剣技。

 それはこんな言葉で語られ始めた。

 

「その年、神咲家は滅亡した」

 

 




現在ありがたいことにライトノベル作家として生活できております。
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