胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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幕裏の物語
幕裏01話「語り部は美沙斗」


語られる事なき幕裏の話

 

「語り部は美沙斗」

 

 

 

 

 その日、医師からの電話があった。

 長い間世話になりながらも、あまり話すことの無かった初老の男の医師だ。

 男は電話越しにくぐもった声で言う。

 

 

――不破恭也が目覚めた、と。

 

 

 

 

 

 駆けつける自分の足が遅い。

 速く、もっと速く。

 制限速度の倍は出して走った車もあまりにも遅かった。

 

 静岡県、御神宗家から車で30分ほどの場所にその病棟はある。

 治る見込みの無い患者、感染の恐れのある者。

 そして眠りの王子。

 

 そんな、一般病棟では既に対処が出来なかったりベットの問題で空きがなかったりする

 患者がそこには集まる。

 走る。

 院内であろうとはやる気持ちはなお早い。

 後ろをついて来る静馬さんと一臣が泣き言を言った。

 

「早く会いたいと少しでも思わないんですか!?」

 

 返事を期待しない。

 いや、その必要すらない。

 結局後に続く者がいてもいなくても、私は一秒一瞬でも早く再会を果たしたいと思ったのだから――。

 

 

 

 

 

 病室に辿り着けば直ぐ後ろには静馬さんと一臣がいた。

 それでこそ私の夫と弟だ。

 ガチャ、とノブが大きな音を立てた。

 

「美沙斗さん……」

 

 彼は呆然と呟いた。

 口を開き、目を見開く表情からは、信じられない――それだけが伝わってくる。

 きっと月日の流れが、そして自分の状況が解っていないからだろう。

 私は恭也の目覚めが現実であった事を素直に喜んだ。

 思わずも、目が潤み始めた。

 

「恭也……大丈夫かい?」

 

 自分の声は震えていないだろうか?

 恭也を安心させる事が出来ているだろうか?

 恭也は頷く。今驚いていたというのに直ぐに平静さを取り戻したらしい。

 信じられない胆力だ。

 

「ええ、起きたときこそ驚きましたが、今は落ち着いてます。……ところでそちらの方は? とても懐かしい人に似ていますが」

「おいおい恭也君……、とまあ仕方がないか。ずっと寝たきりだったのだからね。似ていると思われただけでもマシか。僕だよ、御神静馬だ、思い出してくれたかな?」

 

 

 静馬さんが苦笑して答えた。

 当然だ。

 私は覚えていて、静馬さんを覚えていないなどと言うのは在り得ない筈なのだから。

 だが、私の考えとは裏腹に恭也はその顔に不審の色を翳らせていく。

 

 暫くの沈黙の後、恭也は一臣さんですか、と問うた。

 なるほど。

 一時的なタイムトリップにより、記憶にある顔と、今の顔とがすぐに結びつかなかったのだろう。

 それなら理解できる。

 

 考える私の隣では、一臣が涙ぐみながら頭を下げた。

 恐らく、あの時最も恭也の不幸を悲しみながらも喜んだのは弟の一臣だろう。

 あの日以来、当主となった弟の頑張りぶりは目を見張るものがあった。

 

「全く……何がなんだか」

 

 恭也の呆然として声が、何故かいつまでもリフレインして耳に残った。

 

 

 

 

 それは忘れることすら出来ない、十年以上前の話だ。

 忘れるにはあまりに辛く、悔やむにはあまりに身勝手。

 狂った桜、サクラさくら…………。

 空を舞う桜の華と、地に滴るおびただしい血液。

 俺はその光景を、一生忘れることなど出来ないだろう。

 そう、絶対に――――

 

 

 その日は護れなかった日だ。

 その日は俺が護りたかった奴が、逆に俺を護って目の前から消えた日だ。

 

 狂ったサクラと、壁に突き刺さる折れた小太刀だけがやけに印象深かった。

 俺は様々な思いを篭めて、その日を悔恨の日と呼ぶことにした。

 

 

 

 俺がその全てを見届けたのは、その全てが終わった後だった。

 その日の俺は、不破の家で行われる弟の一臣と、御神で長い間世話になって、だというのに何の恩も返せなかった御神琴絵の結婚式の準備に追われていた。

 仕方ねえなあ、なんて文句を言いながら、それでも俺は笑っていた。

 正直な所、御神や不破の家は年寄り連中が嫌いだったが、それ以上に二人のことは大切だった。

 不破の長男に生まれた。

 人を殺すことでしか役に立たない技術で天才と呼ばれた。

 人から距離を置く技術。人の内心を見透かす技術。

 精神干渉法、情報操作法。

 そんな事ばかりを覚えていく俺にとって、全ての心を赦せるのは、本当にごく僅かだった。

 だからだ、俺は文句を言いながら、そのくせ誰よりも浮かれていた。

 自分でもその日の大半は笑ってた記憶ばっかりだし、一つ50キロはあろうかって段ボール箱も軽々と二つ三つ持って移動していた。

 

 不意にだ、金属同士が打ち合う音が聞こえてきた。

 そんな事は本来在り得ない。

 めでたい日に真剣でやりあうなんて、素振りならともかく、それも道場外で。

 

 かっと頭に血が昇るのと同時、背筋は逆に冷えた。

 その時初めて、俺は自分自身の浮かれと、迂闊さを呪った。

 走る。早く、速く、疾く!

 

 門を潜るなんて事はしない。

 不破という一門ゆえに、非常用の脱出路は幾つか有った。

 その内で最も最短距離を選び走る。

 

 急いだ筈だった。だというのに戦闘は既に終わっていて、早くもざわめきが有った。

 先に着いていた静馬が振り返る。

 その顔は真っ青だった。

 

 静かに首を横に振る。

 今度こそ俺は体という体が冷えきった。

 力の入らない身体を叱咤して、俺はその惨状を目の当たりにする。

 

「恭也ァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!」

 

 ――――自分の声はどこか遠かった。

 

 

 

 

 

 聞きなれたカウベルの音色が店に響く。

 それは来客か、はたまたお勘定を済ませたお客さんが鳴らす音だ。

 私は厨房から僅かに覗ける穴へと目を向ける。

 レジでは私の夫である士郎さんが接客をしている。どうやら来客のようだった。

 

「…………?」

 

 違和感。

 何がおかしいのか解らないというのに、頭に引っかかったそれはいつまでも残る。

 士郎さんの様子が、どこかぎこちない様に見えるのは気のせいだろうか?

 自問して、そんな筈は無いと首を振る。

 私が――結婚して以来常に傍に居続けた私が、違和感を気のせいだ等と片付ける訳には行かない。

 

「松っちゃん、ちょっと厨房お願いね? すぐ戻ってこれると思うから」

「ちょっ、店長!? ランチメニューでこの忙しい時にっ――――!」

 

 ベイサイドホテル以来の付き合いの松っちゃんが悲鳴を上げるけど、心の中で詫びいてカウンターへと向かう。今はそれ所じゃないから。ゴメンね?

 

「……士郎さん」

「ん? 桃子、どうした?」

 

 何気ない様子で士郎さんがこちらを振り返る。

 だけど、その表情にはいつもみたいな飄々とした様子が失われている。

 何か有ったんだ……さっきの電話?

 

 ついさっき、士郎さんの携帯電話で何かを話していた。

 仕事中だけど、不破家という特殊な家庭の事情でマナーモードにしていれば問題ないと言っている。

 士郎さんの様子が変わったのは、多分それから。

 

「士郎さんこそ、何かあったんじゃないんですか?」

 

 士郎さんは少しも顔色を変えないで、逆にまじまじと私の顔を見回した。

 きっと、傍目から見ていれば私が杞憂だったと、信じ込んでしまう様な反応。

 でも士郎さん。

 本当に何も無いのなら、どうしてあなたはそんなにも泣きそうに、不安な顔をしているんですか?

 

「…………」

「――――」

「…………はぁ、桃子には、敵わないなあ」

「それは、士郎さんが選んだ妻ですから」

 

 私は空気を軽くする為に、少しだけ茶化して笑う。

 士郎さんは、ふっと疲れたように息を吐くと、次にはあけっぴろな笑みを向けてくれた。


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