胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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13話

 場所を喫茶店に移り、俺とフィアッセ、美由希にイリアさんが向かい合わせに座る。

 なんと言うか、とてつもなく女性比が高いな。

 まあ、家に帰っても、これまで男は俺一人だったのだ。

 問題は別に無いだろう。

 しかし、だ。

 

 ソファを始めとした家具の重厚さは評価できる。

 それは机に然り、コーヒーの入ったカップに然りだ。

 店員の態度は親切で丁寧。広い店内は開放感がある。

 ここまでは文句の付けようが無い。

 しかし、だ。

 

「何故」

「アイス宇治茶がある訳無いでしょうに」

「しかし翠屋にはだな」

「兄さんが来るまでありませんでした」

「くっ――――!」

 

 隣に座った美由希が一々人の文句に口を挟む。

 元々茶々を入れるのが好きだったが、こんなに性格は悪くなかった。

 やはり長い間師事していたというのも関係があるのだろうか……。

 少しずつで良いから性格改善の余地がある。

 俺が密かに決心していると、楽しそうにフィアッセが笑う。

 俺としては嬉しくない事だったのだが、傍から見ていて面白いのだろう。

 見ればイリアさんも小さく笑みを作っている。

 

「恭也と美由希、仲いいんだね」

「これを見て、そう思うか?」

「うん。だって、息がぴったり合ってるし」

「そうですね。私の目に見ていても仲の良いように思えます」

「……気のせいだ」

 

 わざとらしく溜息を吐いて、コーヒーを一口含む。

 ……不味くは無いが、決して上手くもない。

 むしろ値から考慮すると家具代としての割合が高い気がしてくる。

 流石はコーヒーの青山といった所か。

 砂糖とミルクを少しずつ入れて、好みの味に変える。

 本当に美味いと思えるもの以外の飲み方は、一貫していた。

 

「歌の方は美味く行ってるのか?」

「うん! 最近はアイリーンとか、ゆうひとかと一緒に唄ったりしてるんだけど、今度紹介するね」

「ああ……フィアッセと共演するんだから、歌の方は上手いのか、二人とも」

「巧いよー、アイリーンは“若き天才”とか、ゆうひは“天使のソプラノ”とか呼ばれてるし。私も負けてられない」

 

 ゆうひさんと、アイリーンさん、か。

 どうやら友好関係は変わっていないらしいが、歌に対しての自信はついているらしい。 記憶にある引っ込み思案な性格は見受けられない。

 きっといい歌い手になっているのだろう。

 

「士郎、これで王手ね。ふふふ、楽しかったわ」

「…………いや、俺は諦めない」

「諦めなさい」

「真逆。それこそ冗談はよし子ちゃんだ」

「時代を感じさせる物言いね」

「隙あり!」

「悪いのだけれど、見せただけよ」

 

 後ろで何やら言い争っている。

 王手なんて言ってるが、将棋じゃない。チェスでも無い。

 むしろ会話の応酬なのだが、父さんの方が分は悪そうだ。

 まあ何にしろ、騒がしい二人と無関係の人間を装って眺める。

 

 耳を澄ませていれば分かるが、どうやら不破家での待遇を話しているらしい。

 二階建てで屋敷と言うに相応しい敷地内、果たして何処で寝るのか、という事について。

 ティオレさんは一階の案を強硬に主張。

 逆に父さんは二階に寝てくれと譲るつもりは無いらしい。

 しかし、それほどに議論するほどの内容だとは思えないのだが――――

 

「二人とも今年もやってる……」

「フィアッセ、今年もってどういう事だ?」

「例年同じ事をしているという事です、兄さん」

「またどうして?」

「ママと美影って仲良くて……それで……」

 

『そこ』で言いよどむのか。

 まあ大方の予想は出来た。

 つまり、父さんの考えに支持した方が得策だという事だ。

 

「父さ」

「私はティオレさんの考えに賛同します」

 

 美由希だ。

 絶妙なタイミングで、出鼻を挫く瞬間に、美由希がはっきりと言う。

 発声練習でもしてきたかのように澄んだ声はティオレさんの口元に勝利の笑みを浮かばせる。

 同時に父さんの絶望的な表情。

 理解できる。というよりも、予想してしまったのだ。

 美影(ババア)さんと、ティオレさんの最強タッグ。

 きっと、不破御神の両家で被害が収まる事は無いだろう。

 さっと、顔から熱が引いて行き、同時に冷や汗が滲むのを認める。

 叫んでいた。

 

「反対だ! 断固として拒否!」

「――へぇ、そう。恭也は私に味方してくれないのね」

 

 ティオレさんに見つめられただけでゾクゾクと背筋が暴れるが、無視する。

 明日の為に今日を犠牲にする生き方をしてきた。

 家の平穏を護る為に、貴重な時間を喰い潰して力を得た。

 今更過去を捨てる訳にも行かず、今更後には退けず。

 じっと目線を合わす。

 

「ふぅ……仕方が無いわね。士郎もいい息子を持ったものねぇ」

 

 ティオレさんが溜息を吐いてそう言ってくれる。

 平静を保った表情のまま、心の中で安堵する。

 …………助かった。

 あと十秒遅かったら、こちらが目を逸らしていたかも知れない。

 

 ウォォォォォオオオン! なんてエンジンが咆哮を上げながら道路を疾走していたのが三十分前。

 法定速度を三倍ほどに超越した運転手の名をティオレ・クリステラという。

 何故こんなスピード狂になったのかと問うと、不破士郎のせいだと言う答えが返ってきた。

 ふらふらと車から降りて深呼吸を数度。

 山の麓でバスを下りた心境に近い。

 後から降りた人間は、運転手を除いてほぼ全滅状態と言えるだろう。

 助手席からふらふらと降りたのがイリアさん。

 どことなく目の焦点が合っていない。危険な状態だった。

 

「校長先生……次からは私が運転を……うぅ!」

 

 吐き気を抑えようとしているのか、息を止めて顔を背ける。

 真っ青な顔色は病的なまでに酷い。

 

「ふー、酷い目に会ったぜ……」

 

 そういう父さんの表情から窺えるのは、疲労の色くらいの物だ。

 元々精神力はタフだし、慣れがあるのかもしれない。

 何より、ティオレさんの言う通りなら、あの乱暴な運転を教えたのは父さんという事になる。

 

「父さんのせいだろ?」

「違う! 騙されるな、俺の目を見ろ、嘘を吐いているように見えるか?」

「……………………、見えるな」

「莫迦息子め!」

 

 地団駄を踏むのはガキの証拠だ。

 父さんは父さんらしいが故に、俺から信頼を得る事は無いだろう。

 多分死ぬその時まで。

 次に下りてきたのはフィアッセだ。

 空港では綺麗に櫛梳かれてきた髪が、よれよれになっている。

 溜息のように一言。

 

「ママの運転は、上手なんだけどね」

「フィアッセ、レーシングに転向するよう進めてくれ」

「無理だよ。ママは趣味でしか運転しないし」

 

 趣味とは、悪戯という事だろうか? 

 それなら頷ける。同乗者に地獄を見せるのだ、最高の冗句だろう。

 ……嫌な思考だ。忘れよう。

 最後に下りてきたのが美由希。

 一人だけ平気な顔で下りてくる。

 バン、とドアを閉める姿は、悔しいが様になっている。

 

「さあ、行きましょう」

「分かってる」

 

 本当に、どうやって、あの空間で平静としていられるのだろう。

 美影さん、一体どういう訓練をさせたんですか? 

 ――溜飲一つ。

 現実逃避に浸りたい心境で門を潜る。

 静かな門内。

 まるで、門一つを隔てて別世界だ。

 出来ればこの静かな空間で在って欲しい。

 

「恭也君」

「薫さん……」

 

 静かで落ち着いた人に出会えた。

 背後でがやがや言っているのと対比されて、少し感動する。

 素晴らしい。

 美由希も口数は少ないが反抗的で困る。

 うん、ありがたやありがたや。

 

「きょ、恭也君、いきなり人を拝むのは一寸……」

「ああ、すみません。少々気が滅入ってしまった様でして」

「ああ、ティオレさんの事か……うん、確かにあれは疲れる」

 

 納得したとばかりに頷かれる事三度。

 どうやら薫さんも苦労しているらしい。

 よくよく考えてみれば、人をからかうならば真面目な性格の人の方が面白い。

 薫さんはティオレさん達からすれば絶好の獲物だっただろう。

 目と目が合うと、それだけでお互いの苦労が通じ合うような気がした。

 

「はぁ……」

「ふぅ……お互い、苦労してるなあ」

「恭也ー。あれ、薫? 久しぶりー」

「フィアッセ! 久しぶり。変わりはなか?」

「うん。元気にやってるよ。薫は?」

「うちも問題なか」

「そっか」

 

 言葉を交わすフィアッセと薫さん。

 俺が昏睡している間に交流があったのだろう。

 傍目にも実に仲が良さそうだ。

 

「ところで薫」

「ん、どげんしたと?」

 

 フィアッセが薫さんに近づいてぼそぼそとやり取りを始める。

 次第に剣呑な空気を纏い始める。

 一体何を話しているのか。

 時折、うちは負けん! や薫には、だのという言葉が聞こえてくる。

 もしかして仲が良いと思ったのは勘違いで、本当の所ふたりは険悪なのだろうか。

 

「お、お二人は仲が悪いんですか?」

「そげな事なかよ!」

「そうそう、恭也は心配し過ぎ!」

「…………そうか、俺の勘違い……」

 

 …………似てる。

 なのはを前にしたレンと晶。

 この二人の姿がダブって見える。

 まだ断定は出来ないが、二人の仲は余り良くないのだろう。うん、多分だが。

 

「兄さん」

「ん、美由希か、どうかしたのか?」

 

 気配が無いのには好い加減慣れた。

 要は相手が間合いに入らなければ良いのだから。

 美由希が如何に気配を殺そうとも、飛び道具以外で殺される事は無いだろう。

 訊ねた俺に、美由希は上品に頷く。

 

「ええ、お婆さまとティオレさんがもう直ぐ会われるみたいだから、念の為に報告に」

「そうか……分かった。見に行ってくる」

 

 気の滅入る報告だった。

 出来る事ならば、目を背けたまま仮初の平穏に浸っていたかったというのに。

 最近特に溜息が多くなった。

 気苦労が絶えないからなあ、などと愚痴りながら、母屋へと足を運ぶ。

 フィアッセと薫さんの話し合う気配が背中へと届いていた。

 

 

 玄関を上がって客間に。

 と云っても対談していたらこちらの胃が持たない。

 遠巻きに様子を眺めるだけなのだが見つかれば呼ばれるだろう事は確実だ。

 他にも気配を絶って、という考えもあるが、相手は一騎当千の美影さんがいるのだ。

 気配を消す事が神業なら、探る方も神がかっているだろう。

 

「無理、かな?」

 

 諦めた方が良い気がしてきた。

 想像するだけで背筋に薄ら寒い感覚が這い登るのだ。

 実際に行動する時には胃に穴が開いてるかもしれない。

 止めよう。

 踵を返す。来た道をそのまま帰り、玄関へ。

 その時、ガララ、と扉が開いた。

 

「あ……」

「恭也、私のテクニックはどうだったかしら?」

 

 向こう側にいたのはティオレさんと美影さん。

 二人して楽しそうに笑いながら玄関へと入ってきた。

 ティオレさんのわくわくと期待した眼差しを受けて、生きた心地がしない。

 この場合お世辞を言うべきか……いや! 天狗になって今後も乗せられたら困る! 

 しかし機嫌を損ねると――――ああ、どうすれば良いんだ。

 

「ティオレの運転じゃあ、辛かっただろうさ。私はもう二度と乗りたくないね」

「美影……貴女は昔からそう言って私の運転をけなすんだから」

「あの……」

「真実だよ。全く、わたしやぁあんたの車に乗ってから運転手雇う事にしたんだ」

「あの……」

「運転手って、玄さんのこと? 美影は人使いが荒いから」

 

 黙ってこっそり退散できないだろうか? 

 気配を殺さず、だが揺るがさずに一歩引く。

 …………、気付いていない。

 会話に熱中する余り、周りに対して意識が飛ばない様だ。

 助かった。

 そう気を緩めた瞬間、

 

「恭也?」

「どこいくんだい?」

「いや、そんな事言わせないでください」

「なんだ、お手洗いかい。行ってきな」

「もっと堂々と、ね? 恭也も男の子なんだし」

 

 冗談じゃない。

 会話に熱中する所か、一杯食わされた気分だ。

 そそくさと厠へと歩きながら、一心に願う。

 神仏を問わず、善悪を問わず。

 二人の悪さだけは何とかして下さい、と。

 

 無理。

 

 ――そんな無慈悲な幻聴を聴いた気がした。

 

 

 ……結局、二人の魔の手から逃れる事は不可能だった。

 根掘り葉掘り、有る事無い事言わされて聞かされて、精神が夥しく疲弊した。

 夕食という事で開放されたのも束の間。

 日常に穏やかな時間が流れる事は無いらしい。

 恭也、茶。自分で入れたらどうだ。うるせえ! 煩いのは父さんだ。

 といった会話を続けること一分ほど、かあさんにじろりと睨まれた俺はとりあえず大人しく。

「今夜はふふふ……」なんてかあさんの言葉を聞いた途端、父さんは哀れに思えるほど震えだした。

 今夜、何か恐ろしい事が起こるのかも知れないが、触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。

 聞かなかった事にしておくのが一番だろう。

 結論付けると、和解の証として茶を淹れる。

 

「……んー、てめえ、一人だけ上等な茶葉使ってるんじゃないだろうな」

「莫迦を言うな。同じお茶缶から違う茶葉が出るわけ無かろうに」

「分からん。なんせ俺の息子だからな」

「俺の父親は魔術師か?」

「いや、剣士だな」

 

 ……堂々と剣士を名乗るのは父さんらしいと言うか。

 これ以上の会話は水掛け論になりそうだったので、こちらから譲ってやる事にする。

 そこらにして置きなさい、とかあさんに視線を送られたことだしな。

 

「臆したか」

「――――」

 

 ギリ、と歯が鳴るが、我慢だ、我慢。

 当然のように、こちらに注目が集まっている。

 大人気ないのは一人で充分だ。

 

「桃子ー、見たか俺のつ――」

「久遠ちゃん」

「くぅん♪」

「ぎゃぁぁああぁぁぇぃぁあああああぁぁぉぁぁぁあああぁぁぁ!」

 

 …………充分だ。

 

 

 夕食を終えて。

 薫さんが型の練習をするのを見届けてから裏庭へと回る。

 薄暗い、母屋の光だけに照らされた裏庭の中、浮かび上がるようにしてフィアッセが立っている。

 ぼんやりと空を眺めていた。

 視線の先を追うが、星空が見える訳でもなく、特別何か際立つような物は見当たらない。

 

「フィアッセ」

「恭也……? どうしたの、こんな時間に」

「散歩だ」

「そっか……」

 

 フィアッセはもう一度、空を眺める。

 そして気が済んだのか、こちらを向く。

 何かを言いたいのか深呼吸して、ゆっくりと口が開いた。

 

「恭也にね、知っていて欲しい事が有るの」

「む、何だ?」

「うん。私の翼……恭也には昔、見せたよね?」

「ああ……」

 

 HGS……正式名称『高機能性遺伝子障害者』。

 能力者には特有のリアーフィンというものが現れる。

 フィアッセ自身は無理をして語った事は無いが、ルシファーと呼ばれるそれは、躰に対して良くないらしい。

 フィアッセはこちらを不安そうに見上げてくる。

 

 ――――そして、光と共に漆黒の翼が背中に生えた。

 

 出現と共に、幾枚かの羽が空を舞う。

 ふわりふわりと舞う羽は、本当に質量を持っているようで。

 余りにも幻想的な、数回しか見たことが無い光景に、俺は、目を奪われている。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

 フィアッセは、俺の答えを待っている。

 拒絶か、許容か。

 何気ない日常を愛する者にとって、HGSの存在は排他的な扱いを受けてきていた。

 だからこそこんなにも不安そうに、真っ直ぐとこちらを見つめてくるのだろう。

 

 それは本当に、本当に――――

 

 苦笑を漏らす。

 どうして俺の身近な人間はこうも容易く俺を信用するのだろうか。

 裏切られた傷は決して癒えないと云うのに。

 存在すら認められない辛さを、誰よりも知っている筈だと云うのに。

 小さな頃に親ぐるみで会った、それだけの筈の俺に、どうして――――

 レンにしても、フィアッセにしても。

 買いかぶり過ぎなんだと、自嘲する。

 だがまあ、期待されるのは嬉しいし、そもそも、答えはいつかと変わらない。

 

「綺麗だ。何度見ても、フィアッセのそれは、綺麗だな」

「ッ――――! うん、うん! ありがとぉ……」

 

 皿のように目を見開いて。

 フィアッセは次の瞬間、

 にこりと綺麗に笑う。

 嬉しくて、信じられなくて。

 それでも期待していたと云う様な。

 それは、

 その笑顔は―――




次回更新は幕裏(いわゆる外伝)を挟んで、神咲ルートを更新していきます。

切りが良いので、感想とか評価とかありましたらお願いいたします。

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