胡蝶の夢   作:CHAOS(1)

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12話

 午後四時五分 ・イングランド便。

 電車の駅でお馴染みの掲示板がパタパタと回転するのを眺めながら、フィアッセの搭乗手続きを待つ。

 空港に共に来たのは父さんと美由希だ。

 父さんは空港に来るのも久しぶりだと、さっさとエレベーターに乗って飲食店の方に向かう。

 どうせ美味くないのだから、ムッツリした顔で帰ってくるのだろう。

 流れ続けるテレビをぼんやりと眺める美由希。

 他にも何人かが、同じようにして到着ロビーで暇を潰している。

 辺りをうろうろとする者、出口をひたすらに凝視する者。

 俺の場合は後者だったりする。

 電話越しだけでしか知らない「現在」のフィアッセ。

 果たして、「今」のフィアッセと記憶のフィアッセとの違いは何処まであるのか。

 容姿は、性格は、はたまたもっと大きな、根本的な違いはあるのか。

 土壇場にきて緊張しているらしい。

 心臓が鳴り響き、少々やかましい。

 もし叶うならば――――

 

 俺の知るフィアッセよりも尚明るく、尚悩み少なく在って欲しい。 

 ガー、と扉が開いた。

 息を呑んで集中する。

 最初に、続々と日本人観光客の帰りが出てくる。

 扉が閉まり、停滞。

 周りに立っていた何人もが出てきた観光客の相手をしているのを横目に見ながら溜息を吐く。

 入国手続きにでも手間取っているのだろうか?

 いや、歌手として世界を飛び回っているのだから、随分と手馴れているだろうし。

 何より、彼女は日本語が話せるのだから意思疎通に問題はない筈だ。

 再び扉が開く。

 

「きょーやー!」

 

 『フィアッセの声』が俺の名を呼んだ。

 しかしその実、目に見えるのは初老の身体、フィアッセよりも低い身長――

 頭が痛くなってくる。

 

「親子だからって、声真似が巧すぎます、ティオレさん」

「あら、もう少し反応が有った方が嬉しいんだけれど……。随分と冷めてるわねえ、恭也」

「…………」

 

 無理やりに思考を切り替える。

 ティオレさんのおふざけには限がない。

 今はそれよりもするべき事を、最善を選択するとしよう。

 

「お久しぶりです、ティオレさん」

「ええ、久しぶり。病院で見た時よりも随分と背が高くなって……少し士郎と似てきたわね」

「あまり嬉しくありません。それで、フィアッセは?」

「ええ……あの子はねぇ……」

 

 何故そこで一旦切る。

 目を伏せて言いにくそうにする態度は、まるでフィアッセの身に何かが起こった様で――――

 

 出口を逆走して、安否を確認しようかと思って、止める。

 代わりに、全力でフィアッセの気配を探る。

 空港という人の多い場所。

 だが、それが何の障害になると云うのか。

 探す。

 フィアッセの気配を、一欠けらさえ見落とさないように。

 

「検査官の人にサインねだられて……有名になるのも困ったものね?」

「―――はい?」

 

 ティオレさんはのん気に、やっぱり若い娘の方が目に付きやすいのかしら、なんてぬかして……

 それは、ティオレさんの擬態が並々ならないからだろう、と突っ込んでやりたくなった。

 ともかく、無事なのが判り、ストンと力が抜ける。

 俺もまだまだ精神鍛錬が足らない。真逆、この程度で心を乱すとは。

 フフフ、と底意地の悪い笑みをこぼすティオレさんだった。

 そうだった。何より問題があれば、実の親であるティオレさんがここまで平然としているわけが無かったのだ。

 

「兄さんも、まだまだね」

 

 美由希にまで言われる始末。

 早く。

 フィアッセよ、早く来てくれ。

 

 

 

「校長先生……。もう少し規律に則った行動を――――!!」

 

 未だに入国手続きで四苦八苦しているだろうフィアッセを待つ俺の前。

 ティオレさんを叱責する一人の女性がいる。

 黄色が強い金髪。鋭い少々吊りあがった瞳と、理知的そうなフォルムの眼鏡。

 甲高くなりそうな声を無理やり、強烈極まりない理性で抑えていそうな女性。

 クリステラソングスクールの教頭、イリア・ライソンさん。

 ティオレさん個人のマネージャーや、生徒の管理なんかも一手に引き受けている敏腕マネージャー。

 だが、ティオレさんの勝手気ままな行動には苦心しているらしい。

 薄くひかれた化粧の下には、疲れた顔がある。

 疲れるのも仕方がない、と同情する。

 ティオレさんのような人を相手にするには、イリアさんは少々真面目に過ぎるのだ。

 学園全体に見れば嫌な仕事を一手に引き受けている、なくてはならない存在だろうが……出来れば別に、ティオレさん専属の相手が必要な気がする。

 労働基準法なんて言葉を知らないであろうイリアさんを少し憐れに思うのは、一時の間違いでは無いだろう。

 のらりくらりと逃げるティオレさんを前に、いい加減イリアさんも限度を越えかけている様だ。

 ギリッ、と似つかわしくない、歯軋りの音が聞こえた。

 ティオレさんを見る。

 瞳はこう語っている。

 

 ――少し、やり過ぎたかしら?

 

 殺気が迸る。

 今にも地団駄を踏みそうなイリアさんは、しかしそれでもギリギリ踏み止まっている。

 何ていうか、凄い人だ。

 ギロリ、とこちらを睨まれた。

 お前もこの騒ぎの一翼を担っているのか、という凶眼だ。血走ってて正気の瀬戸際か。

 精神力を総動員させて、平然とした表情を作り、流す。

 このまま見て見ぬ振りも出来ないので、眼前まで行って、真っ直ぐに目を見つめる。

 

「イリアさん、お疲れ様です」

「あ――――いえっ! こちらこそ取り乱しまして失礼しました」

「改めて自己紹介を、不破恭也と申します」

「……イリア・ライソンです。以後、どうかお見知り置きを」

 

 随分と日本語が流暢な人だ。

 ティオレさんと云い、アイリーンさんと云い、クリステラソングの面々と接していると、外国人に日本語が通じる物なのだと誤解しそうになる。

 イリアさんがツイっとメガネの位置を調整すると、そこには既に辣腕マネージャーの顔があった。

 

 

 

 ティオレさんが今度は美由希を相手に話し掛けているのを良い事に、イリアさんに今後の予定について教えて貰う。

 イリアさんはハンドバッグの中から電子手帳を取り出すと、軽く一度頷いて、

 

「校長先生共々、不破さんのお宅に訪問させて頂きます。後のコンサートなどによる予定は一切が未定……」

「未定、ですか?」

「未定です」

 

 はあ、と溜息が一つ。

 イリアさん自身は満足していないのだろう。

 だが、俺としては嬉しい事だ。

 元より家族同然にこの数年過ごしてきた。

 いつかはツアーに出る事も覚悟していたが、それでも、物寂しい事に変わりはないのだから。

 

「まあまあ、良いじゃない。残り少ない命、最後くらいはゆっくりと、ね?」

 

 ティオレさんの言葉にハッとなる。

 海鳴を中心に開く事が決まったチャリティコンサート。

 それが、ティオレさんの最後の舞台になると、聞かされていた。

 皆の前で見せる姿とは違う、本当に疲れきった表情。

 時間軸的な違いはほとんど無い。

 つまり、ティオレさんはあと一年ほどで――――

 

「何を言ってるんですか! 先日医師から百歳まで生きる健康体だって言われたばかりでしょうに!」

「やっぱり、私も孫の姿が見たいから……それじゃあ恭也、私は士郎と会ってくるわね」

 ――は?

 ティオレさんは手を振って歩き始める。

 好々爺然とした姿は、注意深く見ないと何処にでもいるおばさんに思えるだろう。

 俺は手を振り返し、その姿を見送り……記憶の差異と向き合った。

 イリアさんの方へと振り向く。

 いささか困ったように目を逸らされた。

 

「病気、治ったんですか?」

「はい……。コンサートを終えるに連れて本来なら疲労が蓄積されるはずなのですが、校長先生の場合は例外らしく、益々盛んに……」

「信じられん……」

「私は、校長先生なら在りえるかと、最近思うようになりました」

 

 はぁ、と溜息を二人して吐く。

 ――ティオレさんには、敵わないな。

 

 

 

「――少し、失礼」

 

 イリアさんとの会話を中断して、扉の方へと意識を向ける。

 既に、前回の搭乗者が出てきてから五分が経過している。

 そしてその一枚の向こう側から、一人の気配を感じたのだ。

 フィアッセだと思う。

 記憶にある物よりも、確りとした感じの気配。

 それでも、感じられる優しさは変わってない。

 扉が開く。

 雪のような、白のポスターカラーを流したような、真っ白い服。

 柔らかな光を見せる金髪。

 

「恭也ー!」

 

 聞きたかった声で、聞きたかった相手に、そう呼ばれた。

 

「フィアッセ!」

 

 呼び返す。

 力強く、自分はここに居るのだと、教えるように。

 ドン、と飛んで来たフィアッセを受け止めて衝撃。

 倒れないよう踏ん張って、柔らかく抱き締める。

 大きくなったねと、耳元に声。

 柔らかく包み込むような、安心させる声。

 フィアッセも記憶にある姿よりも更に大きく、成長している。

 頼りなかった精神に、一つ壁を乗り越えた強さが出来ている。

 

「ただいま、恭也。……帰って来たよ」

「お帰り、フィアッセ。……また会えて、本当に良かった」

 

 目を瞑る。

 今、少しだけ。

 こうしてフィアッセがいるのだと実感したかった。

 ギュッと抱き締められる。

 俺の腕に、フィアッセの感触が返り、そこに紛れもなく居るのだと感じる。

 本当に―――

 

「ゴホンッ! お二人とも、一体いつまで抱き合ってるつもりですか?」

「イリア――――っ!」

「ッ――――!」

 

 弾けるようにして離れる。

 顔が熱い。鏡を見なくても解る、きっと真っ赤だ。

 フィアッセの顔を見れば、同じ様に赤かった。

 深呼吸をして、一気に跳ね上がった心拍を整える。

 全く、イリアさんにも困った物だ。

 もう少し優しい気付かせ方も有っただろうに。

 ジロリと睨んでみるのだが、イリアさんには効いた様子も無い。

 どうして俺の周りの女性はこうも強いのだろう。

 ―――ああ、イリアさんはティオレさんに鍛えられてるからか…………




過去作品の投稿で、「永全」という作品も掲載を開始しました。
永遠のアセリアというゲームとのクロスオーバーになります。

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