美沙斗さんとの死闘を制したのは、俺ではなかった。
美由希の『閃』。
数多の剣士たちの理想の果て。
あらゆる技術の到達点とも言える境地。
そこに辿り着いた美由希の一撃で、長年に渡る因果の決着がついたのだ。
その直後に現れた黒服の男、おそらくは龍の構成員。
置かれた爆弾を前に、助けよう、助かろうと廊下に出た。
完全に壊れてしまった膝は、美沙斗さんとの戦闘直後ということもあって、思うように動かない。
容赦なく時間が進む。
この爆弾をどのように処理すべきか。
放り投げるべき?
それとも抱えて少しでも周囲への影響を減らすべきだろうか。
今、俺が扉を開けて、部屋に入リ扉を締める、その永遠にも等しい瞬間に爆発すれば、おそらくは誰も助からない。
入らなければ犠牲は俺一人ですむだろう。
しっかりと考えていたわけではない。
だが、その場の咄嗟の判断を下した俺は……。
自ら助かる可能性を放棄した。
そして爆発。
閃光、爆音、そして迫り来る爆炎。
意識が無理やり切り替わったのだろうか。
神速の世界は、自身の死を確実に予感させた。
だがこれで良い。
これで誰も死にはしない。
死ぬのは俺だけで充分だ。
俺の意識は途絶えた。
天井がある。
目を覚ました俺が最初に見たものは、壁から天井まで真っ白な部屋と、体中に巻きつけられたチューブ。
点滴の針が二の腕に深々と突き刺さっていた。
部屋の大部分が機械で満たされている。
どうやら、と言うよりどう見てもここは病院のようだ。
――だが何故?
疑問に思う。
俺はあの爆発によって死んだのではなかったか。
それだけの爆発はあったはずだ。
それとも命からがら助かったのか?
とりあえず考えることよりも、どんな薬品が入っているのかも分からないチューブの元栓を締め、注射針を取っていく。
いや、おそらくは適切な判断なのだろうが、どうにもこう医学というものは性に合わない。
膝の手術といい、これまで恩恵を受けてきた上で、非常に身勝手な印象だとは自覚している。
フィリス先生に聞かれたら泣かれるな、この感想は。
縛られる物の無くなった身体で、まず此処が何処なのかと疑問に思い、ベッドから降りようとした瞬間に、膝がガクッと崩れ落ちた。
そして痛み。
鈍く、全身から。
慌てて足を見ると、ヒョロっと言った形容が相応しい、肉が少しも無い"それ"が目に付いた。
愕然とする。
これではまるで、八十の年寄りの脚だ。あるいは老鶏か。
足腰は剣士として、いや、人としての全ての動きの要だ。
そして、その前に、俺は一体どれだけ寝ていたというのだろうか。
この衰え具合では、少なくとも一月や二月ではないだろう。
あまりの衝撃に愕然とする。
くらくらする頭を振り、筋力の全く無くなった震える足を必死に叱咤し、ドアを開けて廊下に出る。
見たことのない病院だった。
少なくとも普段世話になっている海鳴総合病院ではないだろう。
こんな時でも錯乱しない自分に苦笑し、同時に自らの行ってきた鍛錬の正しさが実証された様で少しだけ誇らしかった。
肉体はともかく、精神では効力が持続しているらしい。
歩くこと約一分。
距離にして二十メートルだろうか。
兎にも角にも壁づたいに歩くと、廊下を医師達が慌てて走っている。
一体何があったのだろう。
もしかしたら植物状態のような重病患者が目でも覚ましたのかもしれない。
そう思って医師達が通り過ぎるのを待っていると彼らは俺の前に立った。
「“不破”恭也君!大丈夫かね!」
第一声がそれだった。
何が大丈夫か尋ねる前にとりあえず、"大丈夫だ"、と言う間も無く、ナースさんたちに肩と足を支点に担がれ、病室へ戻されてしまった。
どうやら……重病人とは俺のことだったらしい。
俺は抵抗する力も無くかつがれ、病室へと向かいながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
――其は現実か幻か――
――其は夢か現なのか――
――二つは近く、余りに遠く――
――コインの表と裏のように――
――人は其を胡蝶の夢と言ふ――
Triangle Heart the third Second story
胡蝶の夢
written by CHAOS in 2004.08.19-22
ガチャリ! と大きな音を立ててドアノブが回された。
俺の個室に入る三人の人。
一般人よりも遥かに濃密な気配を弛緩なく抑えている事からも、一流の武術家であることが分かった。
何よりもその顔には見覚えがあった。
「美沙斗さん……」
声を掛ければ、美沙斗さんは息を呑んだ。
確かに、俺たちは殺しあった仲だ。
あの爆発の中、二人とも良く生き残った物だと、心底思う。
「恭也……大丈夫かい?」
「ええ、起きたときこそ驚きましたが、今は落ち着いてます。
……ところでそちらの方は? とても懐かしい人に似ていますが」
「おいおい恭也君……、美沙斗は覚えていて僕は忘れてるとは……。まあ仕方がないか。ずっと寝たきりだったんだからね。似ていると思われただけでもマシか。御神静馬だよ。思い出してくれたかな?」
御神静馬……。
もし本気で言っているなら何という性質の悪い冗談だろうか。
そんな事はありえないのに。
あの思い出すのも忌わしき爆弾テロによって、御神と不破は僅か四人を残して絶えたはずだ。
もしこれが本当だというのなら、これほど嬉しいことはないのに……。
はっ、と苦笑する。
馬鹿な夢を見るのは止めよう。
「では、そちらの方は一臣さんですか?」
「おお、良く分かったね。まあ静馬さんの次と来れば俺なのかな」
――――全く以って、酷く馬鹿げている。
「……美沙斗さん、これは一体どう云う訳ですか?」
「ん、どうかしたのか? ああ、まだ事態が呑みこめていない訳だね。それも仕方がない。あんなことがあったんだから。それじゃあ私が話すとするよ」
美沙斗さんは、一旦言葉を切ると、どうか心を強く持って聞いて欲しい、と注意した。
この体だ。今更どんな話があっても驚かない自信はある。
「恭也君、君は今から10年以上も前に、身を呈して私たちを救ってくれた」
十年以上前――いったい何のことだ?
自分の身体を見ると、まだチャリティーコンサートからそう年月が経っているとは思えない。
勿論、筋肉が削げ落ちているから、一年ほど寝たきりだったかもしれない。
だが鏡に映る自分の顔は普段見ていたものと大して変化はなかった。
極端に痩せている位だ。
だとすれば明らかに十年以上前というのは可笑しな話だろう。
俺は笑おうとした。
だが、笑みの表情を作る前に、止まってしまう。
自称一臣さんが静かに頭を下げた。
記憶に残る特徴的なまでの太い足が、ビッチリとズボンに巻きついている。
――待て、一体この人はどこまでソックリさんなのだろうか?
身に纏う気配といい、外見的特徴といい、これが冗談だとすれば手が込み過ぎている。
そもそも御神不破流の独特な気配を、真似できるようなことが本当に出来るのだろうか。
「ありがとう、恭也君。キミのお蔭で俺は琴絵と無事に結婚を迎えることが出来た。君には感謝してもし足りない」
良く見れば――
頭を上げたその顔は、確かに笑っていて、そしてその頬は濡れていた。
一体何が本当なのだろうか?
一体何が嘘だというのか?
信じたいと本能は言い、
ありえないと理性は叫ぶ。
視界は目の前の事実を受け止め、
記憶はそれを拒んだ。
もし目の前に居るのが本物だというなら。
あの辛くも楽しい日々は何だったと言うのか。
――――分からない。
考える事を放棄する。
全ては情報を手に入れてから。
こちらは今、一切のカードを持たない状態なのだ。
ダウンも、ベッドも、コールも。全てはそれからだろう。
「全く……何が何だか…………」
ふと見た窓の外には溢れかえらんまでの桜の花…………。