波々と注がれたワインを飲みながら、エヴァンジェリンは半壊した窓枠から外を眺めていた。その先にはこれまた半壊した白い円形の広場が見える訳だが、中央には大の字になったままの天宮瑞樹が居る。
エヴァンジェリンの持つこの別荘は、人工的にではあるが普通に朝昼晩が存在しており、瑞樹があぁして大の字になってから既に数刻の時間が経っている今はすっかりと夜の時間となっていた。
辺りは静かで大した音もなく、魔法で作られた月明かりだけが寂しく瑞樹を照らしている。
「まだ起き上がってこないのか、アイツ」
瑞樹へと向けた視線を細めながら、エヴァンジェリンは心配そうな視線を向けた。ソレは本来の彼女らしからぬ言葉と態度だったが、もしかしたら『人間ではない者同士』の親近感が働いたのかもしれない。
彼女、エヴァンジェリン・AK・マクダウェルは人間ではない生き物、つまりは俗にいう妖怪に分類される種族。闇夜を歩き、人の生き血を啜る吸血鬼の真祖(ハイ・デイライト ウォーカー)なのである。
闇の福音などという二つ名まで持っており、一部地域では『悪いことすると闇の福音が来るぞ』といった、子供への脅し文句にも使われる有名人(?)である。
その為、こんな幼女姿をしていても、その年齢は決して見た目通りではなく、なんと御年600歳ほどにもなる。
ある意味では酸いも甘いも知り尽くした老獪なのだろうが、しかしだからこそ瑞樹のような、自分自身を解っていない同類のことが心配になってしまうのだろう。
横に控えている給餌用自動人形にワインを注ぎ足させ、エヴァンジェリンは視線を瑞樹へと向けたままクイッと煽るのだが――
「オイ御主人、ソンナニ心配ナラ見ニ行ケバ良イジャネーカ」
「ブッ!」
ソレを思い切り吹き出した。
理由はやはり、サラッと言葉を挟んできたチャチャゼロが原因であろう。
「ゲホッ! ゴホッ! ケフッ!! おま――何を言ってる!」
「オーオー、何時ニ無ク動揺シテルジャネーカヨ」
「していない! 怒っているんだ私は!」
噎せて咳き込みながら、エヴァンジェリンはガーッと一吠えする。
チャチャゼロはそんなエヴァンジェリンに表情一つ変えることはなく、何処から出したのか大きな鉈を研ぎ始める。
「良いかチャチャゼロ! 私はな、自分の正体が解った程度のことでオタオタとするような奴の心配など、全くしていない! 私はむしろ、ソレに対して何時までもグジグジしていることが腹立たしいんだ!」
「ナルホド。……御主人ハ暫クノ間、ズット女々シクシテタカラナ。昔ノ自分ヲ見テルミタイデ良イ気ハシナ――」
「チャチャゼロ~っ!」
「モゲルモゲル。繋ガッタバッカリノ腕ガモゲチマウ」
チャチャゼロの肩に指が食い込むほど、ギリギリと力を込めて握るエヴァンジェリン。
もっともそれに対するチャチャゼロの言葉は、やはり抑揚のない、表情の無い物であった。
エヴァンジェリンはチャチャゼロを掴んでいた手を離すと、もう一度だけチラッと窓の外に目を向ける。そして
「フンっ! ……例え知らなかったとしても、こんな時代に生まれたのはそれだけで運が良いではないか」
表情を曇らせ、何処か寂しげに呟くエヴァンジェリン。
チャチャゼロはそんな自身の主人の胸の内を理解してか、今度は茶々を入れることはしなかった。しかしそんなチャチャゼロの気遣いに気づいてか、エヴァンジェリンは表情を正す。そして再び「フン」と鼻を鳴らすと、その場から立ち上がって移動する。
行き先は
「何処行クンダ御主人? ……便所カ?」
「違うわ!」
外なのだが、当然チャチャゼロの言ったような理由ではない。
エヴァンジェリンは眉間に皺を寄せて、
「良いか! 妙な勘違いだけはするなよ!」
と念押しをすると、そのまま外に居る瑞樹の元へと行くのであった。
エヴァンジェリンがその場所に着くと、瑞樹はいつの間にか大の字ではなく、横向きになって縮こまっていた。しかしその姿はとても小さく、そして弱々しい印象をエヴァンジェリンは感じてしまう。
そして柄にもなく、
(もう少し、配慮してやるべきだったか)
なんて考えが浮かび、無理矢理に瑞樹に妖怪と言う現実を突きつけたことへの罪悪感と後悔を感じてしまう。
しかし、だからと言ってエヴァンジェリンには慈母のように瑞樹を慰めることなど出来ない。自分らしく、自分にできる方法で、エヴァンジェリンは瑞樹を立ち直らせようと思うのであった。
「オイ、瑞樹」
「……」
背中越しに声を掛けるエヴァンジェリンであるが、瑞樹からの返答は無い。
怒っているのか? との考えが浮かぶが、直ぐにそれも仕方が無いことだろうと納得をする。少なくともエヴァンジェリンが何もしなければ、この後の何年かは普通に過ごすことができただろうから。
「なぁ、瑞樹。ショックだったのは解るが、良い加減に起きて来い」
怒ったような口調ではなく、ただ諭すような口調で口にしたエヴァンジェリンに、一瞬瑞樹の肩が『ピク』っと動く。
エヴァンジェリンはその瑞樹の出してきた、ほんの僅かな反応を頼りに言葉を続けていく。
「私にも似たような経験があるが、今こうして居ても何も変わりはしないぞ? ……言っただろ? 私達はそういうモノだということを、受け入れていかなくてはいけないんだ。そうしなければ、何も先には進めなくなる」
言いながら、エヴァンジェリンはユックリと瑞樹に近づいていった。
そして瑞樹の直ぐ真後ろへと来ると、そこで腰を下ろして座り込む。
「私がこんな姿形をしているのは、私が人間で無くなったのが10歳の子供の時だったからだ。意味も解らず、訳も解らずに人間以外の生き物に変えられた。そしてその結果、今まで優しかった世界が一変して私の生命を狙う敵へと変わってしまったんだ」
体育座りのようにしながら、エヴァンジェリンはその当時のことを思い出したのか顔を俯かせた。そしてほんの少しだけ身体を震わせる。
その時に何が有ったのか? どれ程の苦痛が有ったのだろうか?
「……辛かったよ。味方が一人も存在せず、親や家族も失って縋るものを一遍に失ってしまったんだ。チャチャゼロが誕生するまでの私は、文字通り本当に一人だった」
当時のことを語るエヴァンジェリンだが、その辛そうな表情とは裏腹に内心では別のことを考えていた。それは
(私は、何を言っているんだろうか?)
自身の口にしている事への疑念であった。
いや、口にしている内容についてではない。それは何故、自分がこんなにも弱いところを他人に見せているのだろうか? といった意味だ。
エヴァンジェリンは600歳にも成ろうかという人物だ。
当然その分だけ、色々な経験を積んできているし精神的にも人間を超えている部分があるだろう。そんなエヴァンジェリンが、どうして昨日今日出会ったばかりの瑞樹にこんな身の上話をしてしまっているのか?
それが、こうやって話をしているエヴァンジェリン自身にも解らずにいるのだ。
「瑞樹、お前は幸せな方だぞ? 少なくとも私が生まれた時代に比べれば、今はそういった人間以外のモノにも寛容な部分もある。まぁ、それでも『妖魔は打ち倒すべき』なんていった馬鹿な連中は多いが、それも随分少ない。もっとも――」
と、その後にも言葉を続けようとしたのだろうが、余りにも瑞樹からの反応の薄さにエヴァンジェリンは口を閉じる。
自分の言葉は届かなかったのだろうか? と、そう思うと少しばかりやるせない。
「……瑞樹?」
エヴァンジェリンは横を向いている瑞樹に手を伸ばし、グッと力を込めてみると
コテン
瑞樹の身体はアッサリと仰向けに戻る。
しかも
「なっ!?」
「くかー……すぴー」
静かな寝息を立てる瑞樹がそこにいる。
なんてことはない。瑞樹がコテージへ来なかったのは、何かに悩んで落ち込んでいたからではない。ただ単に、疲れて寝ているだけであったのだ。
「お、おま、お前! 寝て――」
それを理解すると、途端に恥ずかしさで爆発してしまいそうになるエヴァンジェリン。顔中を真っ赤に染めて、ワタワタと慌てるようにしている。だがそれが良くなかったのか? 今まで静かに寝ていた瑞樹が、徐々に覚醒し始めたのだ。
眉間に皺を寄せるようにして目を開けようとする瑞樹だが
「ん、うん?」
「な、ぬ、ね……」
「なんだ? エヴァンジェリ――」
「寝てろ!」
ドギャゴォンッ!!
瞬間、顔面を鷲掴みにされて地面に頭を叩きつけられた。
周囲一帯にヒビが入るほどの衝撃が走り、
「グ、グゴァ……」
瑞樹は再び夢の世界の住人と成るのであった。
ピヨピヨと目を回す瑞樹を見下ろして、エヴァンジェリンは荒い息を整えるように深呼吸をする。
「はぁ、はぁ、はぁ――な、慣れないことはするものではないな。うむ」
なんとか平静さを取り戻したエヴァンジェリンは、無理矢理なことを言って無かったことにしようとする。しかし
「クク」
何やら声が耳に聞こえ、嫌な予感が急速に膨れ上がっていく。エヴァンジェリンが声に引かれてチラッとコテージの方を見てみれば、窓枠から自身の従者であるはずのチャチャゼロがコチラを見ていて
「御主人……クっ、クク」
と、まるで笑いを堪えるかのような言い方で口を噤んでいた。
「チャ、チャチャゼロー!」
思わず大きな声を出して、顔を赤くするエヴァンジェリンであった。
さて、ちょうどその頃。
エヴァンジェリンの別荘の『外の世界』での話。
麻帆良という土地の管理をしている関東魔法教会の長、近衛近衛門の職場(学園長室)において。
「学園長! これは由々しき事態ではないですか!」
肩を怒らせ、怒気を込めたような声を挙げる一人の男性が居た。
彼の名前はガンドルフィーニ。
この学園で英語の授業を担当している、正義感溢れる魔法先生だ。
名前や褐色の肌からも解る通り日本人ではないのだが、それを感じさせないほどに流暢な日本語を使っている。
「……エヴァが、前触れもなく一般人に魔法を使った? それは本当なのかね?」
「少なくとも、目撃証言があります」
「しかし、現在の彼女は魔力を封じられておる。そう安々とは」
「月齢が満月に近い事と、そして魔法媒介薬を用いれば可能でしょう?」
ガンドルフィーニの言葉に、学園長は口ごもる。
麻帆良学園都市を覆う、通称学園結界。それは魔性の者の力を抑えこむ効果がある。エヴァンジェリンは現在掛けられている『登校地獄』の呪い効果も相まって、普段は魔法を使うことが出来ない。
しかし、真祖の吸血鬼である彼女の力は月齢に左右されやすく、満月が近づけば徐々に力を増すし、ガンドルフィーニが言ったように『魔法媒介薬』と言う魔力の補助をする薬品を使えば簡単な魔法の使用は可能なのだ。
「学園長! やはり彼女を野放しにしておくのは危険ですよ!」
ガンドルフィーニは強く強く語気を荒げていうが、彼の名誉のために言うのならば、彼は正義の魔法使いであるだけなのだ。
魔法という力の危険性を理解しているし、その力に晒された時の一般人が余りにも無力だということを理解しているにすぎないのである。
そのため学園長も
(面倒じゃなぁ)
なんて、ガンドルフィーニの言葉に思いもするが、それも自身らの受け持つ生徒達のことを思えばこそだと解ると言い難い。
学園長は顎髭を撫でるようにしながら考える素振り見せるが、ふと何かに気がついたように動きを止めた。
「時にガンドルフィーニ君。その目撃情報は誰が君に?」
「え? マルクト神父ですが」
「マルクト君が?」
甘いマスクをしているが、時折何を考えているのか解らない――との評価を受けるマルクト神父。
普段の彼の職場は教会で、学区内ではないはず。何故その彼が学区内で起きた事件に報告をしてくるのか?
学園長は再び数瞬程間を開けるが、ガンドルフィーニにはその間の意味が解らないらしい。
「解った。では儂の方で何かしらの手を講じよう。少し気になることもあるしノォ」
「は、はい」
普段と同じように好々爺然とした口調の学園長であるが、その瞬間に発していた雰囲気はそれとはかけ離れたものだった。
ガンドルフィーニは学園長の底光りするような視線にブルっと身体を震わせると
「宜しく、お願いします」
と、その部屋を後にするのであった。
バタン、とドアが閉じられると、そこに居残ることになった学園長は
「……ふぅ、管理職というのは疲れるわい」
肩を大きく落として、そんな事を言うのであった。
しかし、だからといって自分の職務を放棄する――なんてことはしないらしい。
学園長は軽く首を左右に振ると
手元の機械を操作して外線を呼び出す。
相手側の方は数度のコール音の後にそれに応え
「はい。高畑です」
温和な声で返事をしてきた。
高畑――タカミチのことだが、タカミチは現在麻帆良の街中をパトロール中であった。
そしてこの当時、未だ高級品である携帯電話で受け答え中なのである。
もっともパトロールといっても平和なもので、精々が時々発生する一般人同士の喧嘩を仲裁する程度のことだが。
「高畑君、仕事中にすまんな」
「いえ。そういう時のために、わざわざ僕に携帯電話なんて持たせているのでしょう? ……なにがあったんです?」
「今はまだ何も起きては居ないが、少し妙なことがあっての」
「妙なこと?」
「スマンが、直ぐに学園長室に来てくれんかね?」
タカミチは電話越しに、学園長が何かしら悩んでいるのを感じ取った。
普段は大抵、どんな時でも飄々としている学園長である。そんな学園長がこのような雰囲気を見せる理由を、タカミチは1つだけ思いつく。
「学園長、それはもしかして先々週の金曜日の?」
「もしかしたら、其処に行き着くのかも知れん」
「成る程」
言葉少なく口篭ってしまう二人。
未だ全てが『もしかして』でしかないが、もし予想が当たれば後味の悪いことに成ってしまう。
「解りました。話の内容はその時にお聞きします。今からですと――ッ!?」
「どうしたんじゃ? 高畑君!」
会話途中で、突如タカミチからの通信は途絶えてしまった。
その後『バギィ!』といった衝撃音が響くと、学園長側のスピーカーからは終話音が聞こえるだけに成ってしまう。
「先手を打たれたか……ッ!」
学園長は口惜しそうに言うと、ドン! と強く机を叩いた。
※
エヴァンジェリンの別荘
既に辺りは明るくなり、感覚で言うと朝の7時といったところだろうか? まぁ、それも瑞樹の感覚でということなので、余り定かではない。
結局、瑞樹はエヴァンジェリンに潰された後、空が白みだして明るくなるまで目を覚ますことは無かった。
それがエヴァンジェリンに潰されたことが原因なのか、それとも奇妙な光を発したことが原因なのかは定かではないが、異常なまでの空腹で目が覚めたということだけは確かである。
瑞樹が目覚めてコテージへと行くと、其処には黒いネグリジェを着て薄いシーツを一枚羽織っただけのエヴァンジェリンがベッドで寝ていた。
まぁ勝手に寝室まで侵入したということなのだが、瑞樹はエヴァンジェリンの寝姿に興奮――することは勿論無くい。
無言でそのままエヴァンジェリンに近づくと
「おーい、起きろ―。朝だぞー」
ペシペシペシ!
何とも無造作にエヴァンジェリンのオデコを叩いていく。
「う、あぅ、は、んぅ」
一撃を加えるごとに反応を返し、異様なまでに艶めかしい声をあげるエヴァンジェリン。しかし瑞樹はそんなこと気にもしないのか、むしろ起きない事に不機嫌になっていく。
「起きろってば。昨日の夕飯抜いてるせいか、今日の俺は朝からスゲー腹が減ってんだよ」
「うぅ、にゅ」
叩くことをやめ、今度はベッドに腰を下ろしてから頬を両側から挟みこむようにする瑞樹。エヴァンジェリンは尚もなすが儘で、口から声は漏れるものの一向に目覚める気配はない。
優しくしすぎたか? なんて事を思った瑞樹は、頬を挟む力を強めてグイグイとおちょぼ口に成るまで力を込めていく。
「起ーきーろー。起きろっての!」
「うににゅにゅにゅ――うゆ?」
「あ、起きた?」
「起き……何をしてるんだ、貴様は?」
「寝坊助を優しく起こしてる。気分はちょっとしたオカンな感じだ」
眼を覚ました途端、視界に入ってきた瑞樹の姿に眉を釣り上げるエヴァンジェリン。しかしそれとは対照的に、瑞樹はあっけらかんとしている。
まぁ、腹が減ったから起こしているという時点で、とてもではないがオカンの称号は剥奪されるだろう。
しばしジッと見つめ合い、固まるように止まっている二人だったが、不意に
グ~~~っと、瑞樹の腹が騒ぎ出す。
瑞樹はその音に、少しだけ気恥ずかしそうにしながら口を開いた。
「さっきも言ったけど、昨日は夕飯食べてないから腹が減ってんだ。何か食わせてくれよ」
「お前、図々しくも飯の要求か?」
「昨日、『無理やりに招待したんだ、それくらいは面倒見るさ』なんて、格好いい台詞を言ってたじゃないか。俺として夕飯を食べられなかったことを鑑みて、最低2食は要求したいところだぞ」
ビシッとVの字を作ってエヴァンジェリンに言ってくる瑞樹。
エヴァンジェリンはそんな瑞樹に対して「はー……」と大きな溜息を吐いた。
「すぐに用意させるから、少しだけ待ってろ」
エヴァンジェリンはそう言うと、ベッドの上に立って軽く腕を振るった。
すると今まで着ていたネグリジェが解け始め、形を変えて全身を覆うマントやピッチリとしたアンダースーツへとへと変わる。瑞樹はその光景を、余すところなく一部始終眺めていた。
「……」
「うん? どうした?」
急に無言になり、口を閉じてしまった瑞樹。エヴァンジェリンは何事かと首を傾げてくる。その頃にはエヴァンジェリンの着替え(?)も終了しており、マントの下には趣味的な黒い水着のような姿になっている。
「いや、その着替え方さ、随分と便利だなぁって思ったんだけど、全部脱げちまうのな?」
「ん? まぁそういう魔法だしな。なんだ? まさか私の姿に欲情でもしたか?」
フフフ――と、数百年を生きた彼女ならではの、妖艶な雰囲気を持った笑みを浮かべてくる。しかし瑞樹は、相変わらず変わらない様子で首を左右に振った。
「いや全然。ただ、お前が気にしてないなら良いんだけどさ。人の目の前で、堂々と魅せつけるのはどうかと思うよ?」
「は? 魅せつけ?」
「いや、この距離をよく考えろよ。俺はいま、ベッドに腰掛けてるんだぞ? それだってのにベッドの上にたって生着替えとか――ベブっ!」
瑞樹の説明で何を言っていたのかを事細かに理解したエヴァンジェリンは、勢い良く瑞樹の顔面に拳を叩きつける。
その時のエヴァンジェリンは、顔中を真っ赤にして表情を引き攣らせていた。
「おま! 何すんだよ!」
「五月蝿い! お前が余計なこと言うからだ! 変に意識してしまったじゃないか!」
「わざわざ指摘してやったんじゃないか! 何だって俺が殴られなきゃならんのだ!」
「ぃ喧しい!」
「あ――」
バチバチと迸るような発光現象を起こしているエヴァの腕。瑞樹はその瞬間、表情を引き攣らせる。
「もう一度、寝ていろ!!」
「ヘベッ!」
ドガァアアン!!
真っ直ぐに振りぬかれるエヴァンジェリンの拳。
それをどうすることも出来ず、瑞樹は空を飛ぶことに成るのであった。
一時間後
「お客様、起きて下さい」
「……今度は何?」
表情のやたらと少ない人型に起こされるまで、瑞樹は気を失っていた。
この表情の少ない人型――彼女はエヴァンジェリンの魔力によって動く、自動人形である。どうやら主であるエヴァンジェリンの命により、瑞樹を連れに来たらしい。
とは言え、瑞樹にはそんな知識もないため、少し変わった人だな? くらいに思っている。
「起こしますか?」
「いや、自分で起きられるから良いよ」
手をパタパタと動かして立ち上がる瑞樹。昨日と今朝の騒ぎのせいか、着ていた体操服はかなりズタボロに成ってしまっている。
瑞樹は自身の格好を見てから、そう言えば――と、チャチャゼロに斬り付けられた腕や脚を見てみる。
「傷跡が無くなってる……妖怪だからか?」
元々それ程に深く斬られた訳ではないが、それでも跡形もなく消えてしまっているのは普通では有り得ない。そもそも服はボロボロで身体はなんとも無いと言うのも十分に可怪しい。
瑞樹は「成る程、化物か」と思いながら腕を回すと、迎えに来た自動人形に従って再びコテージ(?)へと戻るのであった。
まぁ、どうしてコテージ(?)といった表記なのかというと、昨日の瑞樹が放った光と、そしてエヴァンジェリンが振るった拳の威力によって、もはや廃屋とでも言ったほうがいい状態に成ってしまったからだ。
それでもなんとか無事な部屋も在るのだろう。
其処ではエヴァンジェリン? だと思われる大人の女性が席に座っていて、ちょうど反対側の席に瑞樹は案内をされる。
「ふん、やっと来たか」
「お前、エヴァだろ? なんでいきなり見た目が変わってるの?」
「五月蝿い。余計なことを言うな」
どうやらエヴァンジェリンで間違いないようである。
瑞樹は『吸血鬼ならではの不思議パワーか?』と考えて、深く突っ込むのを止めた。
「さて瑞樹、貴様の要望通り朝食を――」
「ん? 美味いよこれ」
「少しは遠慮しろ! 私が話し終わる前に食べ始めるな!」
勝手にカチャカチャと音を鳴らしながらガッツき始める瑞樹に、エヴァンジェリンのツッコミが入る。昨日はまだ可愛げが有ったというのに、順応しすぎだ――と、内心でボヤく。
二人の周囲にいる自動人形が給仕係の如く次々と料理を運んでくるが、優雅に食事を楽しむようなエヴァンジェリンと違って、瑞樹は出された物を只管に詰め込むように口にしていく。
「良く食うな、お前」
「ん? ほうはな?」
もしゃもしゃと口動かしながら返事を還す瑞樹。
当然かのように、その間も手の動きは止まらない。
「まぁ、時間も時間だからだと思うけど。なんだか最近、やたらと腹減っちゃってさ。あ、おかわり頂戴」
「畏まりました」
瑞樹の注文に深々と頭を下げてくる自動人形。
エヴァンジェリンは瑞樹の食事スピードに驚いていたが、次第にその食欲の方に興味を持ち始めたらしい。
「なんだよ? そんなにジッと見てきて」
「少し興味がな。もしかしたら、その食欲も三只眼として目覚め始めたからかもしれんな」
「……妖怪になると、食事量が増えるのか?」
「お前の場合、力を使うことに慣れていないんだろう。その所為で、一時的に身体がエネルギーを欲してるんだよ」
「あぁ、今はエネルギー切れみたいなものか? さっきエヴァに殴られた時には反撃が出なかったし」
「アレは、どっちかというと生命の危険を、お前が感じなかったからだろうな」
エヴァンジェリンの説明を聞きながら、瑞樹はそう言えば――と思い立った。確かに最初に例の現象が起きたときは本棚直撃の瞬間だったし、二回目もチャチャゼロのナイフが当たる瞬間だった。
どちらも『もうダメだ』と思えるような瞬間だったのである。
そういう意味では、確かにエヴァンジェリンにぶっ飛ばされたときは危険だと思う暇もなかったのだ。
「へぇ。ま、体重が増えてる訳でも無さそうだから良いけどね」
「ず、随分とあっさりした奴だな、お前は」
「悩んでも仕方ないだろ? 俺がその三只眼とか言うのだとしてもさ。昨日のうちに、気持ちの切り替えも終わったよ」
「そ、そうか。……なんだったら、此処を出てから両親に聞いてみたらどうだ?」
「え? 俺を生んだお二人は妖怪ですかって? ――そりゃ無理だよ。だって、俺の親父は数年前に病気で死んじゃったし、御袋は俺が子供の時に出てったっきりだもん」
「その若さで独り身か……最近では珍しいな」
「そうかな? まぁそういう訳だから、親父やお袋が妖怪かもって言われてもさ、そんなこと無いって言えないんだよな、俺は」
何でもない風に言う、余りにアッサリとしすぎる性格。
エヴァンジェリンからすると、昨日今日知った相手だ。そのため、こんな性格の奴だったのか? といった反応であるが、それは違う。
瑞樹自身は気づいていないが、本来の彼はもっと落ち込みやすく自己主張の少ない性格である。勿論、良くしった相手には多少の気安さを見せはするが、それでも馴れ馴れしくなるまでは時間がかかる。
そのため、本来なら今頃はエヴァンジェリンの顔色を伺うような態度であって良いはずなのだ。だがどういう訳か、今では相方のポンに接するような気安さである。
その後、自動人形が持ってきたおかわりを数回ほど平らげた瑞樹は、ようやっと満足したのか腹をさすって満足気に頷くのだった。
「ところでさぁ、エヴァ」
「昨日と打って変わって馴れ馴れし過ぎる態度だな」
「コレが素の俺なんだよ。――それより、今って何時なんだ? 学校は大丈夫なのかよ?」
窓の外を指さしながら瑞樹は言うと、外の明かりは随分と高く上がっている。
時計がないため正確ではないが、もうとっくに登校時間を過ぎていても可笑しくはないだろう。
「コノ場所は、外の世界とは時間の流れが違う。此処での一日は、外での1時間にしかならんのだ」
「え? じゃあ何? 外じゃまだ明日にもなってないってことか?」
「それどころか、いいところ日が暮れたくらいだろうな」
「へぇー、便利というか何というか。でも、そんな所にズット居たら、他の連中よりも早く老けちゃわないか?」
「お前は三只眼だから、基本的には不老だ。私のほうも言っただろ? 普通の人間じゃないとな。この姿から歳をとったりはしないんだよ」
「エターナルなんたらってやつ――おわっ!?」
パリーン!
瑞樹が言い切る前に、エヴァンジェリンから皿が飛来してくる。咄嗟は危なげにそれを避けたが、瑞樹を睨むエヴァンジェリンの表情は笑ってない笑みとなっていて非常に恐ろしい。
「何か、言ったか?」
「いや、何も。時間を気にしないで良いっていうのは有り難いことだよな?」
「ふん!」
「悪かったよ、謝る。……エヴァ、教えてくれるか? 三只眼についてさ」
「ん、うん?」
ニコッと笑みを浮かべるようにして言う瑞樹。エヴァは瑞樹の瞳を覗いた瞬間、背筋にゾクリとしたものを感じた。
何事だろうか? と思いはするが、しかし直ぐに悩むのを止めてしまう。
そして不思議と素直に、瑞樹の問いかけに答えるのであった。
「私が知っていることも、そう多くはない。三只眼というのは、成人する程度までは普通の人間と同じく成長するが、それ以後は肉体的に老化することはなく、凡そ5000年以上を生きると言われている妖怪だ。とは言え私も、本物を視るのはお前が初めてだから、実際どうなのかは知らないがな」
「5000年? 西暦超えてるじゃないかよ。……それじゃあ、昨日言ってた聖地ってのは?」
「元々連中が住んでいた場所の名前だ。人間どもの神話に出てくる理想郷、黄金郷、シャンバラなどとも呼ばれる、この世界とは違った場所にある空間のことだよ。まぁ、似たような物に『魔法世界』なんてのもあるが、そっち方はどうでも良いだろう」
エヴァンジェリンの説明を聞きながら、」瑞樹は口元に手をやって何かを考えるような素振りをみせていた。
そして何度か頷くようにすると、エヴァンジェリンに向かってズイッと乗り出すようにする。
「なぁ、エヴァ。三只眼っていうのは、色々な術を使う妖怪なんだよな?」
「うん? あぁ、そう聞いている」
「三只眼の住んでいた聖地、理想郷か……。そこになら、人間になる方法とかってないかな?」
「は? 人間に?」
突如瑞樹の言い出した言葉に、 ポカンとするような呆けたような返事を返すエヴァンジェリンであった。