ヴァルゼライドの邯鄲英雄譚   作:ヘルシーテツオ

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番外編 VS甘粕正彦

 

 思えばこの結末は、始まりの刻から決まっていたものなのだろう。

 

 あまりに稚拙な衝動から引き合わされた邂逅。

 本来ならば何の縁もない地球の裏側、そんな地の果てまで手を伸ばして、幾億もの中からたった一つの意志だけを引き摺り出した。

 それがあまりに光輝いていたから。億数もの人の海で尚、異彩を放つ破格の信念。

 その強さが、雄々しさが、魔王の好みにあまりにも適合していたから、あり得ないはずの邂逅は実現した。

 

 英雄と魔王。

 共に人間を逸脱した異常者同士。

 ならばこそ、生じる結果も明白だ。条理を超えた彼らだから、方向性も突き抜けすぎて譲らない。

 

 夢界に君臨する最強の二角、甘粕正彦とクリストファー・ヴァルゼライドが闘志をみなぎらせて対峙していた。

 

「よくぞ来た。待ち遠しかったぞ、この瞬間が」

 

 迎えた英雄に対し表すのは、惜しみの無い称賛だ。

 世界に災禍をもたらす魔王として、あるいは試練を課す主神の如く、甘粕正彦は己に挑んでくる者を歓迎している。

 

「どれだけ夢見た事だろうな。お前を見出だした時より、こうなる事は分かっていたのだから。お前の勇気を受け止めてやれる、全霊を懸けた対峙の刻を俺は常に熱望していたぞ。

 改めて、聞こうか。在るべき答えは見つかったのかね?」

 

「いいや。未だ我が身は盧生に至らず、悟りの何たるかさえ見つけられてはいない」

 

 クリストファー・ヴァルゼライドは盧生ではない。

 その身は未だ眷族である。真に盧生である甘粕には到底及ばない。

 それはヴァルゼライド自身とて理解していたこと。しかしここに、その道理を放り出してヴァルゼライドは甘粕の前に現れていた。

 

「思えば、それさえも言い訳だった。元より俺のやり方とは決意で挑んで凌駕するのみ。踏破するべき難関を乗り越えてこそ、高みに至る目覚めがある。

 そして俺が踏破しなければならん最難関は、考えるまでもなく決まっているのだから」

 

 甘粕正彦こそ邯鄲の頂点。最初の盧生にして最強の魔王である。

 その意志の強さには敬意を表する。だが混沌をもたらす彼の存在は断じて許容できない。

 英雄が望むのは民草の安寧と繁栄。それを脅かす悪ならば、如何に強大だとて挑む事に躊躇いはない。

 

「貴様の悟りが試練だというのなら、俺にもその審判を下すがいい。俺は必ずやそれを凌駕して、貴様の高みへと上ってみせよう」

 

 雄々しい宣戦を聞き入れて、甘粕の胸に沸き上がるのは抑えきれない歓喜の念だ。

 

 彼らの関係は盧生と眷族。

 力を与える者と受け取る者であり、故に即座に力を返還させる事も可能だ。

 常識的に考えれば、それでは勝負の土俵自体が成り立たない。力の強度に意味はなく、生殺与奪権を握られてるにも等しい状態で、反逆など正気の沙汰ではないだろう。

 

 だが、常識ではあり得ない事でさえ、甘粕正彦に躊躇はない。

 何故なら、そんなものはつまらないから。これほどの勇者を前にして、試練に手を抜くなどあってはならない。

 彼の得た悟りとは『試練』。打破すべき災厄があってこそ、人の魂とは輝きを放つ。安寧の堕落に染まっていこうとする人々を救う唯一の手段だと信じて疑わない。

 ならばこの挑戦、逃げるわけにはいかない。災禍をもたらす魔王として、己の前に立った英雄には、その強さに相応しい試練を与えねばならないだろう。

 

「その意気や、実に良し。磨き上げた夢の力、存分に振るうがいい。お前が魅せる意志の輝きを、砕いてしまうほどに愛させてくれ」

 

 彼らという存在は、そのどちらもが光である。

 灼熱に燃え盛る、触れることの叶わない太陽の如く、触れ得ざる輝きの焔。

 万人を照らし出す光ではない。その道は何処までも雄々しく厳しく、常人はただ見上げることしか出来ない絶対強者の在り方だ。

 

 対峙するのは、まともに向かい合えるのは、お互いの存在のみ。

 初撃を繰り出すのはほぼ同時に、ただ全霊の力を込めて、英雄と魔王は激突した。

 

 

 *

 

 

 互いの刃を交わらせて、凄絶なる剣戟の応酬が繰り広げられる。

 

 指し示したように、自然と近接の間合いへと踏み込んだ両者。

 抜刀し、目の前の相手に向けて微塵も容赦なく刀剣を振るう。

 ただの剣戟といえども、侮るなかれ。ここに対峙するのは夢界の頂点。音速を遥か彼方に置き去りとした剣閃は大気さえも粉砕し、生じる威力の衝突は天変地異の如き破壊を呼んでいる。

 

 そして、彼らの強さは同じ領域には留まらない。

 一方の剣が押し込めば、もう一方も更なる力で押し返す。一方の技が冴え渡るなら、もう一方も応じて己の技を改善させる。

 互いが互いを高め合う。負けじと意気を吐き出す毎に、破格の意志力は際限なく飛躍を果たす。

 故に二人の剣の威力は加速度的に上がり続ける。周囲の環境の一切を蹂躙しながら、その応酬は停滞など知らずに勢いを増していった。

 

「見事。やはりお前は素晴らしい。よくぞここまで高めてくれた。

 お前のような輝きで世界を満たす事こそ我が『楽園(ぱらいぞ)』。こうして目の当たりにして確信できた。俺の至った悟りに間違いはないと!」

 

「笑止。こんな壊れた男を例にあげ、真理などと片腹痛い」

 

 甘粕の賛辞に対し、ヴァルゼライドが返すのは明確な拒絶の意思。

 如何にその強さに敬意を持とうとも、世に混沌をもたらす魔王など、英雄にとって断罪すべき悪に過ぎない。

 称賛など不要。成すべき打倒のため、闘志だけを極限まで燃え上がらせる。

 

「所詮、俺などは破綻者だ。人から外れた者と自覚している。貴様、いつまで俺如きに期待をかけるつもりだ?」

 

「無論、お前が英雄で在り続ける限りだよ。クリス、不遇の身の上から成り上がり、届かぬ天にまで手を伸ばす漢。まさしく俺が愛する人の勇気の象徴ではないか。

 人には無限の可能性がある。諦めなければ夢は必ず叶うのだ。どんな人間でも成せば成ると信じている」

 

 過剰が過ぎる人への期待。それこそ甘粕正彦が歌う人間讃歌だ。

 甘粕は偽りなく人類を愛している。だがその愛の表し方が問題なのだ。

 溢れんばかりの愛の熱情は歯止めが利かない。たとえ世界を滅ぼしても、喉が枯れ果てるまで勇気の讃歌を歌い続ける。

 

「お前の求めにも応じたい。高みを目指して、あえて試練に挑んだその覚悟、応えてやらずにいられようか。

 だからなあ、どうか壊れてくれるなよ。始めてしまえば俺自身でも止められん。やり過ぎたなどと、あの時と同じ後悔をさせないでくれ」

 

 それは捉えようによっては傲慢とも聞こえる。対峙する相手に向けて倒れるなとは、力に傲った発言とも受け取れるだろう。

 だが違うのだ。この男は本当にやり過ぎる。何もかもをご破算にして、勢い任せで滅茶苦茶にしてしまいかねない危うさを持っているのだ。

 全ては己が愛する勇気の輝きを見たいがために。試練に対して雄々しく立ち上がる勇者を求めて、破滅的な災禍を躊躇いもせずに顕現させる。

 

 更なる威力でもって振り下ろされる黒色の軍刀。

 繰り広げた剣戟の中でも一際鋭い一閃に、ヴァルゼライドも僅かに押し負け退がる。

 そのまま攻めきる事は出来ずとも、間合いからの離脱の隙としてはそれで十分。解法で空間の繋がりを解き解し、間の距離をゼロとした空間転移。

 地の英雄を見下ろして、遥かな上空へと出現した魔王は、その絶大なる夢の力を解放させた。

 

 掲げられる両の腕。伸ばした先の天の果てに、描いた夢が形を成していく。

 彼が最も適性を持つ創法の形、そこに併せる咒法の射。重ね合わせた二つの夢は、まさしく常軌を逸した規模まで膨れ上がっている。

 衛星軌道上にて展開される魔王の軍勢。神の杖と名を与えられたそれらは、既存の常識では計り知ることの出来ない兵器だった。

 

「神鳴る裁きよ、降れい(イカズチ)ィ――ロッズ・フロム・ゴオオオォォッド!」

 

 遥かな天空の宙より射出される衛星砲。

 これぞ最強、究極にして絶対の兵器なり。

 かつてその一撃により、柊四四八は敗れたのだ。未完であったとはいえ、夢の奥義を極めていた盧生の器を、文字通りに一蹴して粉砕したのである。

 

 そして甘粕正彦、あろうことかそんな代物を、数にして数十万にも及ぶ規模で一気に創り出していた。

 過剰威力、オーバーキル、そんな意識は魔王の心に一片もない。もはや馬鹿げているとしか言い様がない規格外の数量すら当然のものと思っている。

 甘粕正彦は人を信じているから。これほどの破滅でも乗り越えてくれると信頼して願っている。

 常識ではどんなに無理だと思えても、そんなもので審判の盧生は止められない。愛が深まれば深まるほど、振り上げる拳にも力を込めるのだ。

 

 圧倒的が過ぎる物量と火力。

 まさしく空前絶後としか呼び様がない鉄槌の群を前にしても、しかし魔王が愛する英雄は挫けない。

 黄金の輝きを纏っていく両の刀剣。英雄の夢が、対峙する難関に応じて光を得るのだ。

 遥かな天の先、己へと向けられる神の杖を見据えて、その心が放つのは勝利への気迫のみ。

 膝折る気持ちなど微塵も持たない。魔王の暴威がどれだけ強大であろうと、必ずや勝利を掴むと覚悟していた。

 

 雨粒の如く飛来する超音速の質量群。

 一撃でも大地を穿つ威力が数十万と降り注ぐ光景は、世界を破滅させる隕石群を思わせる。

 人の身に防ぐことは不可能。仮に一発二発を凌いだとしても、これはまさしく桁が違う。あり得ない超兵器の大豪雨に晒されて、塵の一つでも残れば称賛に値しよう。

 

 そのような数十万の絶望に対し、挑む英雄にあるのは携えた計七本の刀剣のみ。

 元より彼はそういうものだ。天性という要素に恵まれない身の上は、多様な選択肢を英雄の道に許さなかった。

 英雄が手にするのは唯一つの夢。どのような災禍に直面しようと、掴み取った唯一無二なる光であらゆる無理を押し通すのだ。

 

 振るわれる剣閃、射出される黄金の破壊光。

 対抗する術などそれのみだ。飛来する神の杖を真っ向から迎撃するだけ。

 夢界最強を誇るヴァルゼライドの黄金光。収束したその威力ならば、未来の超兵器を撃ち落とすことも不可能ではないだろう。

 音速の十倍近い速度で落ちる質量であろうとも、人生さえ跨いだ修練によって磨き上げられたヴァルゼライドの技量ならば対応できる。

 それでもせいぜい三つか四つ、限界を越えても十に届くか、あるいは覚醒を成し遂げて百を過ぎて撃墜することも可能かもしれない。

 だがそこまでだ。此度はいくらなんでも数が違いすぎる。降り注ぐ数十万規模の絨毯爆撃を全て撃ち落とすなど不可能で、唯一つでも落ちれば英雄を滅ぼすのに十分過ぎる。

 

 それでも尚、絶無の可能性に光明を見出してこそ英雄である。

 天より飛来する流星の杖。規格外の天災を相手に、刀剣如きで何が出来るかと思うところだが、英雄の振るう双剣技は僅かも怯まずに速度と威力を増していく。

 速く、ただ疾く。より大きく高密度に強大化されていく黄金の光波。進化、覚醒は光の勇者の十八番であるが、此度のそれは常に比べても尋常でなさすぎる。

 同時に落ちてくる万単位の超音速の質量にも追い付き、放たれる光は一閃だけで十や二十という数を呑み込み粉砕している。

 小細工無用、正々堂々真っ向から、その手に携えた黄金の剣のみで、ヴァルゼライドは落とし、落とし、落として、その超絶規模の衛星弾幕を落とし尽くした。

 

「見事、ああ見事だ! よくぞ凌いだ、いやこれしきでは膝を折らせる事すら敵わなかったか。流石だ、英雄。お前が打ち勝つ様を、俺は心から信じていたぞ!」

 

 己の攻撃を潰されたにも関わらず、甘粕正彦が謳い上げるのは称賛ばかり。

 それも当然。彼は審判の魔王である。もたらす災禍は試練であり、遍く子羊らを立ち上がらせる愛の鞭に他ならない。

 覚醒し、与えた試練を打ち砕いた英雄の姿は、まさしく魔王が求めてやまなかったもの。その感情こそがこの結果をもたらしたと知りながら、まるで頓着せずに勇者への賛歌を歌っていた。

 

 そう、甘粕は打ち勝ってくれる事を願っていたのだ。過剰が過ぎる災禍を降らせながら、相手の生存と奮起を求めるという矛盾した心象。

 そして英雄が持つ夢とは、己に向けられる期待、畏敬といった寿ぎを力に変えるもの。奇跡の勝利を望まれれば望まれるほど、英雄は実現のために強くなる。

 よってその結果も明白だ。甘粕正彦は英雄の夢に嵌り過ぎている。どれだけ絶大な夢の力を振るおうとも、同時にそれを打破するための力を与えているに等しいのだ。

 その相関を当然ながら甘粕も理解している。その上で、彼はまるで構おうとしていない。戦術云々の話ではなく、単純にそちらの方が気分に適しているために。

 

 苛烈な期待と感情任せな試練の釣瓶打ち。理性が蒸発したような所業の根底にあるのは、己の心に忠実な子供の如き素直さだ。

 たとえそれが敵に優位を与えるとしても、性に合っているのならそれでいい。裡より生じる魂の躍動を、あるがままに解放させたいと猛っている。

 幼稚であり向こう見ず、損得勘定など端から考慮せず、ノリと勢いのままに何処までも突き抜けてしまう。夢に嵌っていようがお構いなしに、甘粕正彦は生の感情だけを表している。

 

「だが困ったな。こんなにも素晴らしい英雄(おまえ)であるというのに、俺としたことが、相応しい試練が思いつかん。

 なあ、俺はどうすればいいと思う? 素晴らしいお前の輝きを引き出すため、俺はどんな試練を与えればいいのだろう?」

 

 よって投げかける言葉にしても、まるで慮外の代物となる。

 今まさに敵対している間柄で、そんなものは戯れ言としか受け取れないだろう。

 しかし甘粕正彦は本気なのだ。正真正銘、心の底から、己はどうすればいいかと問いかけている。矛盾など微塵も感じさせない澄んだ思いで。

 

 まるで理屈が通じない。それこそが馬鹿たる者の恐ろしさ。

 如何なる枷にも縛られない自由な心。故にその意志は天井知らずに燃え上がって止まらない。

 これほどに奔放で、傍迷惑で、強大な自我は存在すまい。何かを貫き成し遂げる強さにおいて、どんな正義も悪党も、馬鹿には到底敵わないのだから。

 

「知れたこと。むしろそのような気遣いこそ度し難い。手心を加えぬと口にしながら、こんな片手落ちの手段こそ侮辱だと知るがいい」

 

 よってそんな馬鹿に対抗できるのは、同じく途方もない馬鹿さを持った者以外にあり得ない。

 

終段(かみ)を使え。有象無象では届かない、盧生のみが至れる境地。その領域を目指す俺にとって、それを乗り越えねば何にもならん。

 勝利を望むなら見せてやろう。奇跡を求めるなら示してやろう。貴様の意図など関係ない。どんな災禍を持ち出してこようが、決まっている。"勝つ"のは俺だッ!」

 

 放言された言葉は、やはり負けず劣らずの馬鹿げた代物。

 戦いのセオリーなど、彼らの間では何の価値もない。ただ意志の赴くままに進むのみ。

 クリストファー・ヴァルゼライドは勝利に憑かれた異常者(えいゆう)だ。求める"勝利"に辿り着けるというのなら、どんな難関辛苦とて望むところ。

 

 魔王が試練を与える者だというのなら、勇者とはそれを踏破する者を指す。その矮小な人の身さえ巨大に見せる覇気を乗せて、地に在る英雄は輝ける勇者の姿勢を示していた。

 

「……ああ。まったくお前という男は、どこまで俺を滾らせれば気が済むのだァッ!!」

 

 だからこそ、高みに君臨する魔王もまた、燃え盛る業火の如くその覇気を迸らせるのだ。

 

 なんと素晴らしい勇気だろう。なんと雄々しい信念だろう。

 告げられた指摘には、まったく返す言葉もない。確かに俺の選択は侮辱だった。

 どんなに夢の力を高めようと、その上に在る手段がある以上、手抜き以外の何物でもない。

 真にこの英雄を信じるのなら、最初からそちらを使っていれば良かったのだ。それを勝手に遠慮して、勝てないと見限るなど愚弄でしかないだろう。

 

「そうとも、お前の言う通りだ、クリス。俺とお前は対峙する敵同士。慢心も遠慮もいらん。ただ全霊の力を賭して、意志の限りにぶつかり合えば良い。それで倒れたならそれまでの話だと、そんな単純なことで良かったのだな。

 全てを覚悟して挑んだお前に、まったくとんだ侮辱だった。眷族の身では神格(ついだん)に太刀打ち出来ない? 知らんな忘れた、どうか奇跡を、輝ける意志の可能性を見せてくれ。

 俺はいつだって、ただそれだけを求めて、走り続けているのだからァッ!!」

 

 際限なく増大していく意志の波動。

 整然とした審判者の公平性を持ち、同時に裁きの破滅をもたらす容赦の無さ。

 並の者ならば、目にしただけで砕け散っているだろう。これよりその裡より喚び出すモノ、本物の神威の行使者として、甘粕正彦は奮える魂を止められない。

 

 もはや余計な気遣いは要らない。

 真の意味での全身全霊、盧生にのみ許された絶対の暴威を解放する。

 人であれば抗うことは不可能。他ならぬ人類自身が、決して届かぬ絶対存在として設定したが故に、神の権能はあらゆる条件を素通りして発揮される。

 

「集え魔性、海原に住まう巨人の軍よ。深淵より来りて、人界を犯す災厄とならん!」

 

 第一盧生、甘粕正彦。掲げる夢の属性は『審判』。

 古今東西、裁きの概念とは上位者によって下されるもの。

 故に彼が使役する神格も、その属性を持っている。最高神、破壊神といった人類種に試練を与える高位の神々と高い親和性を有している。

 怪物、魔神の類いさえ、愛故に遣わす使者となる。甘粕正彦こそ魔王、群れなす魔性の軍勢を従える王者であるのだ。

 

「終段・顕象――――海原に住まう者(フォーモリア)血塗れの三日月(クロウ・クルワッハ)!!」

 

 ここに人界の常識を侵略して、あらゆる善性を陵辱する魔界の穴が開かれた。

 

 現れ出でる怪物たち。どれも人間の価値観からはかけ離れた醜悪さ。

 それも必然。彼らは人より異形と見做されて、光より放逐されたもの。

 彼らはそのような存在であるが故に、おぞましき悪性でもって強大な力を行使する。

 

 召喚されたフォモールの軍勢は、まさしく世界を犯す災厄そのもの。

 だがそれさえも尖兵に過ぎないのだ。深淵より出でる魔性の真価とは、それら雑多な怪物らの更なる奥底より現れる。

 深淵より来たる暗黒竜。一説には太陽の神性を持つとも言われるが、現した血塗れの三日月(クロウ・クルワッハ)の姿に、そのような光の属性は見受けられない。

 ここに在るは悪性の側面としての神格だ。世界を滅ぼす邪神の軍団、そう定義された終段(かみがみ)は、己の存在意義に従って侵攻を開始した。

 

 遍く人々の信仰によって彩られた災厄の絵図。

 その神威より人が逃れる手段はない。他ならぬ人類(じぶん)たちが合意して成り立つ神話なのだから。か弱き人の子は膝折り絶望するのが定めである。

 人間と怪物の相関とはそういうものだ。邪悪なる怪物に、餌食とされる無力な人々。普遍的に根ざしている印象は、具現化した真実となって襲いかかる。

 

 心胆が震える。生命の本能が理性に死を訴えかける。

 真なる魔性とはこういうものだ。向かい合った醜悪さは、ただそれだけで拭えない恐怖と死の諦観を植え付ける。

 未来など見えず、心を染め上げる絶望の色。逃れる術はなく、先にあるものは抗いようのない己自身の死、死、死――!

 恐怖は枷、諦観は泥、あらゆる負の感情がその闘志を萎えさせて、戦いへの気迫を損耗させてしまう。どのような戦士とて、そこに高揚を見出すことは不可能だろう。

 

 ならば人とは絶望に屈するだけのものなのか? いいや、否。

 人は、無残にも喰われるばかりではない。恐るべき怪物にだって抗える。

 たとえ力弱く、撫でれば砕けてしまう脆さであろうと、勇気という名の剣を手にして立ち上がることが出来る。

 それは恐怖に打ち勝つだけではない。時に、怪物そのものを討ち果たす奇跡とて成し遂げられる。そんな奇跡に手が届く人間のことを、人々は英雄と呼び讃えるのだ。

 

 縛る怖れを振り払い、絶望を踏み越えて、黄金纏いし光の剣を携えた英雄が征く。

 鋼の英雄の意志は不撓不屈。どんな魔性が立ちはだかろうと、屈することはあり得ない。

 むしろ断罪すべき悪を前に、その信念はいつも以上に燃焼し、滅却の光は出力を増していく。

 無茶と呼ばれるが止まらない。気合いと根性で成し遂げる覚醒の連続。そんな光景に感動する魔王からの協力強制も加わって、その快進撃はもはや魔性の軍勢とて阻めない。

 

 迫るフォモールの大群に、ヴァルゼライドはたった一人で立ち向かう。

 万軍さえも凌駕する個。所詮は有限のものであると、その身一つで斬り伏せようとする気概に迷いはない。

 幾度となく繰り返した覚醒と、甘粕より受け取る力も合わさり、その強さはもはや半神の領域にさえ踏み込んでいるだろう。

 異常極まる光景は、しかし英雄が放つ光によって塗り潰される。その雄々しさが、荘厳にして高潔な輝きが、人外じみた異端ささえ忘れさせて、彼を至高の光へと押し上げている。

 彼こそ英雄、喝采を上げるべき人類の至宝。遥かな天に君臨するその星に、見上げる人々は憧憬を抱くだろう。

 もはや如何なる魔性も恐れるに足らず。鋼の英雄は決して敗けない。必ずや人々に勝利をもたらしてくれるのだと確信する。

 

 その証拠に見るがいい。遂に魔の首魁たる暗黒竜も、英雄の手で討伐された。

 大いなる竜の息吹さえもはね返し、破壊の正義を謳う黄金光。その光だけを武器に、巨大なる竜へと挑む様は、まさしく英雄の呼び名に相応しい。

 それは正しく神話時代の再現だ。その獰猛なる牙も、強靭なる爪も恐れず、小さき身を振り絞って剣を掲げる。果てに掴み取る勝利の奇跡は、英雄にだけ許された祝福だ。

 怪物は英雄によって斃される。ならばこの結果も必然、クリストファー・ヴァルゼライドは真に英雄足り得る益荒男である。起こされる奇跡とて、彼という本物の手によれば予定調和にも等しい。

 

 大丈夫だ、英雄(カレ)は勝つ。

 どれだけ怪物が恐ろしくとも、やがて勝利に至るのが必然だ。

 そんな光の思いを証明するように、ヴァルゼライドは魔性の撃破を続けていった。

 

「其は死に等しきもの。強撃の長、刺し射抜く者、悪しき眼を持つ暴虐なり」

 

 しかしだ、人の子よ。どうか忘れてはならない。

 怪物とは壮大さの象徴。その本質とは理不尽の権化である。

 都合の良い勝利の余地など無い。絶対たる絶望もまた存在するのだと理解せよ。

 

「遍く命に死の終末を――魔眼の王(バロール)ゥッ!」

 

 不遜なる小さき者よ、いざ絶望を知るがいい。

 終わりの神格、真なる魔性の主。生命ならば抗えない死の化身。

 

 その眼光は総てを殺す。開かれた瞼の奥、魔神の死の瞳が英雄を捉えていた。

 

 

 *

 

 

 そして、英雄と呼ばれた男は思い知る。

 己の宣言の愚かしさ、盧生と眷族という覆せない格差、終段(かみ)という絶対の何たるかを。

 

「ガ、ア、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!??」 

 

 身体が失せる、感覚が途絶える、魂が燃え尽きていく。

 それはあらゆる生命を無価値とするもの。先までの魔性など比べようもない死の密度。

 あの瞳を目にした瞬間、勇気も信念も、正の尊厳は何もかも無意味になったのだと理解した。

 

 消え失せるのみだ、何もかも。

 どんな信条も意味をなくす。如何に名を馳せる勇者であろうと、終わりは平等に訪れる。

 それこそが死というもの。武勇の価値など塵に変えて、何人も逃れることは叶わない。

 

 たとえそれが、クリストファー・ヴァルゼライドであろうとも。

 どれだけ勝利を息巻こうとも関係なく、終焉とは残酷に、理不尽に訪れるものだ。

 むしろ彼のような男こそ死に近い。その輝きに目を奪われようと、無理に無理を重ねてきたのが彼という英雄の道だから。

 無茶の代償は存在する。それは苦痛であり、寿命であり、どうあれ確実に命を削るものだ。

 勝利の覇道を進み続けようと、いつか必ず限界は訪れる。どれだけ意志が否を叫び、奇跡と共に敗北を覆そうとも、死という終わりは存在するのだ。

 

 魔眼の王(バロール)の死の魔眼。それは命の終焉を具現させる。

 その視線に晒されれば死に絶える。有形無形の区別なく、存在としての終わりを叩きつけられるのだ。

 故に防ぐことは不可能。瞼を開かせればそこで終わり。有史以来、不変の信仰たる死への祈りは、たとえ神であっても逃れられないのだから。

 

 それを防ぐ術とは、神話をなぞること。

 彼ら神格は普遍無意識より現れ出でる。神話とは祈りの有り様を記したもの。だからこそ神は己の神話から逃れられない。

 魔神の敗北は記されている。光神ルーの槍に貫かれて、魔神は反転させた魔眼でもって己の血族を皆殺しにしてしまった。

 ならばその神話をなぞれば良い。かつて魔神を滅ぼした槍と同じものを用意出来れば、魔神の軍勢は成す術なく二度目の敗北を喫するだろう。

 

 しかし無論のこと、それは用意出来ればの話だ。

 単騎たる英雄に、光しか持たぬ男に、そんな用意に当てなどない。

 結末は覆せない。英雄も遍く人の一人として、普遍にして不変の死により散り果てるのみだ。

 

「お、れ、はァ……ッ!?」

 

 もはや肉体の何もかもが死に絶えている。

 それでも残った命の灯火は、意気を絞りだそうと足掻いているが、それも無駄でしかない。

 身体は無い。光は無い。勝利に繋がる要素の全てが消え失せた。

 無駄な足掻きを続けたところで、勝利の目処など何も無いのだ。ならばこれは敗北を認められない意地の類いであり、いずれ尽きる往生際の悪さである。

 何処にも向かっていないのだから、それも当然だろう。何処にも進まないその足掻きは、たとえ長く続こうとも成せる意義は一つもない。

 結局は同じこと。何にも繋がらない所業であり、ただ苦痛の生を長引かせるばかり。その無意味さを思い知れば、誰であれ膝を折るのが必然だろう。

 

「――まだ、まだ、だァッ!! 俺はまだァ、終わっていない!!」

 

 ならばこそ、この男の足掻き様はどういうことなのか。

 重ねて言うが、その足掻きに意味はない。勝利に繋がるものはなく、無為に苦痛を長引かせるだけである。

 ヴァルゼライド自身も気付いているはずだ。どれだけ意志の不屈を叫ぼうとも、もはやどうすることも出来ないことは。

 確定した死に抗う苦痛は想像を絶するだろう。並ならば即座に生を手放しているところ、それでも足掻きを止めない執念とは何だというのか。

 

 改めて思い返せばいい。クリストファー・ヴァルゼライドという男の原点を。

 不遇の出生。劣悪な環境。恵まれない才覚。英雄の始点とは、常に持たざる所から始まっている。

 それら全てを、常軌を逸した意志力で覆してきた。目に焼き付けてきた悪辣、不条理、正しい事が罷り通らない醜さへの怒りを源泉として。

 ならばそれは、勝算があっての事だったのか。未来には勝利の絵図が見えていたからこそ立ち上がったのか。

 否、である。彼の始まりは最底辺、勝算などという贅沢とは無縁の身の上だ。

 ただ生き残るだけならば、他に楽な道が幾らでもあっただろう。それをあえて、最も困難な道を選び、その上で勝ち上がってきた。勝算など見えずとも、内より沸き上がる激情に従って駆け抜けてきたのだ。

 未来を求めたわけではない。正義を成せると信じたわけではない。ただそうせずにはいられないから、彼という意志は不屈の燃焼を続けている。

 

 それは今も何一つとして変わらない。

 苦痛も、無意味も、取るに足らない。真に耐え難いのは、そんなものに屈してしまう己自身だ。

 死とは命の終わり。そこに例外はなく、自身も同様だというのは百も承知。

 いずれ終わりは来るのだろう。しかしそれは今では無い。たとえ一秒先の未来だとて、猶予が存在するのなら抗うことを止めはしない。

 まだ成していない事がある。報いていない過去がある。背負った祈りがあるのなら、この脚は軽々と膝折ることは許されない。

 そう己に言い聞かせて、断固として止まる事を許容しない。あらゆるものが死に絶える魔神の眼光に晒されながら、その執念だけは手放さずに足掻いている。

 

 その様は勇敢というよりも、むしろ狂って見えるだろう。

 まるで停止する機能がそもそも備わってないかのように、性質の善悪よりもクリストファー・ヴァルゼライドは人として壊れている。

 徹底して己に不純を混じらせない。その醜さは耐え難いものだから、どんな苦行と引き換えにしてでも潔癖な己を保ち続ける。

 無茶でも無為でも、それは彼にとって止まる理由とはならないのだ。故にその執念も途切れることなく、抗う意気と共に踏み留まっている。

 

 そう、不撓不屈の意志を貫く鋼の英雄。その在り方は狂っている。

 芯より狂っているから、決して道を逸れない。一つの意志のみを完徹するから、常人には想像もつかない密度で執念を燃やし続ける。

 だからこそ、その手は奇跡へと届くのだろう。僅かな光明さえ届かない闇の中でも、命の限り諦めない信念は必ずや光を掴むのだ。

 

 狂っていても、壊れていても、彼が光を奉じた英雄であるのは間違いない。

 その姿は人を魅せる。愚かであろうと雄々しい様は、事の無意味さなど関係なしに、見る者に抗い難い熱の衝動を与えるのだ。

 望む望まざるとに関わらず、他者を魅了し狂奔させる才能。覇道の資質とも呼ぶべきそれは、英雄であればこその輝きであった。

 

「よくぞ耐える。仮にも神威を相手にしながら。その意志の不屈、感嘆の吐息しか出てこんよ」

 

 そしてそのような輝きを最も愛するのが、甘粕正彦という男である。

 死の魔眼に耐えられる要因は、気合いと根性だけではない。

 こうなった今でも、甘粕は疑わず信じているのだ。英雄の再起、起こされるであろう奇跡の到来を。

 無論、それは英雄の夢に嵌まる好感情。協力強制はより強くなり、今も力を与えている。

 己で試練を課しながら、乗り越えられる事を望む魔王の気性。甘粕正彦こそが、光輝く英雄を奉じる最大の典型だ。

 誰よりも深く嵌まった急段が、盧生の力と相まって莫大な恩恵となっている。それがヴァルゼライドを死に絶える寸前の所で留めていた。

 

「だが足りん。それだけでは勝ちの目はないぞ」

 

 しかし期待をかける一方で、俯瞰する冷静な視点では勝算の無さも見て取っていた。

 

 どれだけ深く嵌まろうが、単に急段の力だけでは不足である。

 終段(かみ)はそれほど甘くない。百鬼空亡を思い出してみるがいい。

 龍神に忠の心を示した大杉栄光のように、人が神を退けるためには理屈をなぞる必要がある。単に力を上げていくだけでは絶対に敵わない。

 

 甘粕の判断から見ても、ヴァルゼライドの勝機は皆無である。

 仮にここから逆転があるとすれば、それは甘粕にとっても未知の手段となる。

 甘粕はそれこそを期待している。夢界を制した絶対者でありながら、その予測さえも覆す人の意志の可能性を。

 

 魔王は無為を嗤わない。

 魅せる足掻きには敬意を表する。だからこそ未知の輝きを信じるのだ。

 

 遥かな天の頂きより見下ろして、まだかまだかと期待の念を向け続けていた。

 

 

 *

 

 

 そして、当然の結末が訪れた。

 

「か、は……――――!」

 

 ついに訪れた限界点。

 抗い続けた英雄の執念も底をついた。

 

 その意志が崩れていく。

 如何なる時も不撓不屈、決して折れなかった信念が潰えていく。

 それも必定。神威とは人々によって約束された絶対なのだから。

 死ぬと決められたなら死ぬが定め。それが合意であり、神格たる存在の何たるか。人の身で覆すことは許されない。

 

 どれだけ足掻こうと、不屈の正義を貫こうと、やはり無駄なこと。

 奇跡は起こらず。当たり前の結末として、クリストファー・ヴァルゼライドは敗北した。

 

 

「――――立て、立つのだ英雄よッ! お前は、ここで斃れるべきではない……!」

 

 

 声が、聞こえた。

 今まさに潰えんとする意識の中で、誰かの呼びかけを確かに耳にする。

 

「このようなところで終わってどうする? お前こそ紛れもなく史上最強の人類意志。天稟無き身から天の頂きにまで届かせる、遍く者らが焦がれる至宝であろうが」

 

 それは、聞き覚えのないような、よく知るものであるような。

 どちらなのか判然としない。しかしこの胸に熱い何かを感じさせる、声。

 

「その気概、その情熱、自らの愚を恥じながら尚進まんとする覚悟――諦める事を知らん熱き眼差しが、"我ら"の胸を強く疼かせて止まぬのだ。

 そんな男の結末が、こんな当たり前であってよいはずがない。"我ら"が求める、お前が紡ぐべき英雄譚は、もっと遥かな先を求めているのだ!」

 

 そうして理解する。声の主、己の裡より熱き思いを向けてくる意思の正体を。

 それは本来、決して聞くことが叶わなかったはずのもの。資格無き身では心を交わすことが出来ない、求め続けた総体の意思。

 

 あり得ない事態、その因果は存在する。

 まずは英雄の夢による強化。盧生である甘粕正彦を対象に嵌った協力強制。

 かつてない深度で成り立った合意により、夢の力の強まりは過去にも類を見ない規模となっている。

 それこそ盧生すらも凌駕しかねない勢いで。眷族という枠組みの中で見れば、ヴァルゼライドは今、最も大元の根源へと近い場所に立っている。

 そして盧生である甘粕はその大元と繋がっている。甘粕との間で成り立った相関が、夢の高まりと合わせて、ヴァルゼライドを大元の意思へと繋げることを可能とした。

 

 ヴァルゼライドが聞いているのは、阿頼耶の声。

 盧生にのみしか聞き届ける事の叶わない、人類の普遍無意識が発する意思だった。

 

「故に立て、クリストファー・ヴァルゼライド! 我らが英雄、我らと同一にして異なる、唯一つの珠玉たる光よ!

 ここで終わることなど許さない。それは我らの、煌く価値を求める者らの総意であると知れ!」

 

 されど、同じ阿頼耶でありながら、その声は盧生たちが聞くものとは趣きが異なっている。

 それは全にして一の意思。人類という多種多様な有り様の総体であるから、感情の波の搖れ幅は平均化され小さくなるのが通常だった。

 掲げた悟りの支持者が多くいるなら、その逆もまた然り。柊四四八も、甘粕正彦も、絶対無二の真理など掲げてはいないのだから。肯定と否定が混じった意思は、どこか俯瞰した立ち位置から己の盧生と向き合っていた。

 

 だが、ヴァルゼライドが受ける阿頼耶の意思には、盧生の阿頼耶には無い感情の熱があった。

 求めるのは純粋に、ヴァルゼライドの勝利のみ。勝てよ英雄、どうか奇跡を起こしてくれと、総体の意思としては考えられない真っ直ぐさだ。

 それも不思議な事ではない。英雄の夢とは己を奉じる祈りを力と変えるもの。唯一つの光を高みへと至らせる英雄賛歌である。

 元より盧生の資格を持たない身の上。こうして成し遂げた接続も、盧生のそれと比べて非常に特殊なものとなっていた。

 

 即ち、ヴァルゼライドが受けたものは己に対する賛歌の意思。

 その意思だけを拾い上げた。むしろ熱く激しく昂ったそれらの意思であったからこそ、盧生ならざる身で受け取れたとも言える。

 驚嘆すべきはその規模だ。唯一人の男を奉じる意思、それが一つの阿頼耶として見られるまでの広がりを見せている。

 

 きっと、誰もこんな結末は望んでいない。

 こんなにも輝かしい英雄が、ここで無為に終わってしまう結末など。

 誰もが奇跡を、物語にあるような逆転劇を望んでいる。彼は正義を担う英雄であるのだから、それに相応しい舞台へと上がらなければならないのだと。

 英雄を奉じるという普遍的な価値観。小賢しい知略でも、誰かに縋った女々しい思いでもない、ただ真っ直ぐに王道を進み続ける勇者の在り方。

 たとえ本当の意味での理解はなく、熱に浮かされているような感情なのだとしても、格好良い英雄(ヒーロー)を奉じたいと願う気持ちに嘘偽りなど無いのだから。

 

「――ならば」

 

 己を認めてくれる意思に応えて、鋼の英雄は再起する。

 同時に、阿頼耶に通じたことで見い出した唯一つの光明を、躊躇いもせず決断した。

 

「是非もない。手段は一つだ。()()()()()()

 俺を終段(かみ)へと押し上げろ。勝利を求めるというのなら、これしかない!」

 

 如何に阿頼耶の声を聞けても、ヴァルゼライドは盧生ではない。

 彼に終段を使うことは出来ない。邯鄲という世界の法則は、ここでも英雄に不遇を与えている。

 

 しかし、たった一つ、例外的な抜け道が存在する。

 ヴァルゼライドからでは届かない。ならば阿頼耶の側から繋がれば良い。

 これが他の阿頼耶ならば頷くことはないだろう。阿頼耶とは人類の総体としての意識を統合した機関、その立ち位置は究極の中立だ。

 たとえ盧生が相手であっても、心の底から味方になることはない。あくまで一つの真理の代表者として、傍観者の立場から支援するまでである。

 だがここに在る阿頼耶は例外中の例外。唯一人の英雄を奉じるという祈りの形だ。全体から見ればあくまでも一部分、だからこそ惜しみない恩恵を授けようとするだろう。

 

「いや、しかし、それをすればお前という存在は……」

 

 故に、逡巡するのは別の問題からだった。

 

 阿頼耶が直接、術者を神格へと繋げる。言葉にすれば簡単だ。

 だが実際は容易なものではない。そもそも通常の運用法にしたところで、神格の召喚使役とは多大な負担を強いるものなのだ。

 何せ神威である。その権能たるや、この世の如何なるものさえ覆して余りあるだろう。そんなものを一人の人間が自由に使って、何もないという事はあり得ない。

 通常ならば己と親和性の高い神格を見繕っても、せいぜいが数柱。少なくとも連続で使用するとなれば、その辺りが限界となるだろう。

 まして己と親和性の低い、まったく真逆の属性を持った神格を無理に召喚しようとすれば、その負荷のほどは計り知れない。良くて廃人か、普通に考えれば絶命必至といった話である。

 

 それを、盧生でもない者が、阿頼耶の後押しとはいえ強引に至ろうなど。

 前例など一つもない。そもそも盧生からして甘粕正彦が最初の一人なのだから、このような無茶の結果など阿頼耶でさえまったく予測がつかない。

 一体どうなってしまうのか。分からないが、しかし無事で済まない事だけは確かだろう。恐らくは先に上げた例以上に、その難易度は想像を絶するに違いない。

 神のみぞ知る、どころか神ですら分からない。有り体に言って正気の沙汰ではなく、召喚に成功したとしても、その後に健在とは限らない。提示する手段としては無謀が過ぎる。

 

「抜かせ。俺を侮るなよ。お前たちが奉じる英雄(オトコ)とはそれしきのものか?」

 

 そんな躊躇いを、英雄を認められた男は一言で切って捨てる。

 俺の阿頼耶でありながらそんな事も分からんのかと、矜持と共に言い放った。

 

「俺は勝つ。必ず勝つ。たとえ身体を失い、魂まで砕け散ろうと、この意志だけは繋いでみせる。

 どんな神にも喰われはしない。光ある未来をこの手に掴むため、永劫駆け抜けるのみだ!」

 

「――ああ」

 

 轟いた宣言に、奉じる意思たちは身震いするような感覚を味わう。

 そうだ。それでこそだ。そんな"英雄(オトコ)"であるからこそ、どうしようもなく惹かれるのだ。

 その在り方は愚かなのだろう。人として破綻しているに違いない。それでも一途に王道を貫き通す雄々しさには、熱き血潮の滾りを感じずにはいられないのだから。

 

 故に、気遣いなど元より不要。

 追い詰められたこの現状、悩みの余地など最初から無かった。

 その信念の強度を信じて、真っ向より押し通すのみ。それこそが英雄たる男が征くべき王道なれば。

 

「ならばここに謳うがいい。お前が求める神格(ユメ)とは何か、阿頼耶(われら)に対し告げてみろ。

 至るべきお前の悟り、人類(ヒト)に報いる光とは如何なるものか、ここで高らかに宣してみせろ!」

 

「俺は……、俺が求める悟り、勝利の形とは――」

 

 英雄の道は独り。そこに後進となって続く者はない。

 断罪の正義をもたらす光。それは穢れなき純粋さで、故に孤高でしか在れないもの。

 人々に謳うべき人間賛歌など持ち合わせない。所詮、己だけしか信じられない男。盧生足り得ない凡愚の器に過ぎない。

 

 しかし、だからこそ、貫く思いの強さでは何人にも譲らない。

 未来に求める理想がある。穢れた悪辣さが駆逐された、真に美しいと思える世界。

 そのためならばどんな苦行とて躊躇うまい。如何なる咎をも背負い、他者の希望を轍と変えてでも、目指した理想のためにひた走る。

 

 それこそが己に出来る唯一の報い。世の人々に贈れるたった一つの答えであるのだから。

 

「――"創世"。あらゆる悪法が照らし出され、善なる価値が築かれた新たな地平。それを目指すべき正しさであると信じ、故にこそ突き進む!」

 

 届き得ない夢想だと知っている。

 血と屍の山に築かれた道の果て、そこに本当の理想は有り得まい。

 己が歪んでいると自覚はある。独りきりで謳った理想など、悪党どもが語る欲望(エゴ)と大差ない。純なる正義だなどとは口が裂けても言えはしない。

 

 しかしそれでも、脚を止める理由にはならない。

 理想と欲望に大差が無いというのなら、それで良い。

 重要なのは正しいと信じた大義を掲げ、一心不乱に駆け抜けること。

 一念を押し通す信念の純潔。どのような道理があろうとも、己にとってそれだけは曲げてはならない真理であるとここに悟った。

 

「如何に否定され、己の矛盾を突きつけられようとも構わん。決めたからこそ、果てなく征くのだ。他の理由など必要ない。進み続ける事こそが、俺にとっての"勝利"なのだから!」

 

「ならば善し! 心に定めた生き様があるならば、只管に駆け抜けるのみ。

 いざ、到達すべき彼方の光を目指して――」

 

 さあ、英雄譚を書き綴ろう。  

 新天地を目指す光の物語を、輝ける意志を胸に抱いて。

 

 

「「――――すべては、"勝利"をこの手に掴むためッ!!」」

 

 

 重なり合った光と光。

 類を見ない善性(プラス)同士の掛け合わせが、ここに前人未到の新生を顕現させた。

 

「おお、輝かしきかな天孫よ。葦原の中国を治めるがため、高天原より邇邇藝命を眼下の星へ遣わせたまえ。

 日向の高千穂、久士布流多気へと五伴緒を従えて。禍津に穢れし我らが大地を、どうか光で照らしたまえと恐み恐み申すのだ」

 

 それは、天津の果てから響き渡る光を讃えて祝う詠唱(こえ)

 極限まで凝縮された歓喜、喝采、正の賛歌。

 爽快に地を太陽の輝きが、一つの未来だけを見据えて輝く決意を撒き散らす。

 

「鏡と剣と勾玉は、三徳示す三種宝物。とりわけ猛き叢雲よ、いざや此の頸刎ねるがよい――天之尾羽張がした如く。

 我は炎産霊、身を捧げ、天津の血筋を満たそうぞ。国津神より受け継いで焔の系譜が栄華を齎す」

 

 あり得なかった終段は、通じ合った光の結びによって実現する。

 苦痛、代償、勝算の有無――全て女々しき言い訳と断じて、当然のように常識を塗り替える。

 存在するあらゆる法則を、()()()()()()()()()()という、あまりにも馬鹿らしい理由で超越するのだ。

 

「天駆けよ、光の翼――炎熱の象徴とは不死なれば。

 絢爛たる輝きにて照らし導き慈しもう。

 遍く闇を、偉大な雷火で焼き尽くせ」

 

 人に説くべき悟りは持たず。この身は覇道の邁進を続けるのみ。

 ならば拓かれた先でこそ、光となるべき成果の報いがあるだろう。

 破壊の果てに創造される栄光の天地。英雄たる者が至るべき"勝利"とはそれなのだと確信する。

 

「ならばこそ、来たれ迦具土神。新生の時は訪れた。

 煌く誇りよ、天へ轟け。尊き銀河を目指すのだ」

 

 即ち、迦具土神(カグツチ)。天地に法則を齎せし創世の神格。

 邯鄲の舞台たる日本帝国、古の大和の地の記憶より招来した焔の神が、英雄の元へと降り立つ。

 

 されど、英雄の身は既に死に体。

 魔神の視線は彼の生命を蹂躙し、もはや余力は微塵もない。

 繋ぎ留めるのは意志のみで、神格の使役などやはり不可能。至った奇跡もそこまでであり、勝利には届かない。

 

「――これが、我らの英雄譚」

 

 故に、英雄は更なる前代未聞の常識破りを敢行する。

 

 残された魂の火と、喚び出された神の火とで、新たな炎を新生させる。

 理論理屈など知ったことではない。ただ貫く意志(おのれ)と、奉じる(ユメ)があるのなら、出来ぬことなど何も無い。

 信じ抜いた執念の熱量が、融け合い消えるのみだった魂を、新たに誕生した恒星の如く燃え上がらせた。

 

 それはもはや、神威召喚の第六法にあらず。

 正しく言霊を表すならば神卸し。神威を身の内に宿し、己の存在自体を変貌させる。

 盧生ならざる身が成し遂げた異質の終段。ならばそれは、召喚された神格の名すら、呼び称するものとして適切ではなく、

 

「終段・顕象――――大和創世 日はまた昇る 希望の光は不滅なり(Shining Sphere Riser)

 

 その名は、星を掲げる者(スフィアライザー)

 照星の如き灼熱をその背に負い、威風堂々たる現人神がここに降り立った。

 

 

 *

 

 

 磨き抜かれた長身の痩躯、たなびかせる漆黒の長髪。

 姿格好はもはや別人。成し遂げられた覚醒、神格概念との完全融合は、存在自体を別物に変貌させている。

 面貌に浮かぶ快活な笑みは、ヴァルゼライドだった頃には見られなかったもの。さながら絶対の王者が如く、傲慢なまでに己の正道を踏みしめる陽の属性。

 されど無論、英雄の意志は失われていない。神星の存在にも屈さず、内界にて劣らぬ覇気を今も絶えず吐き出す続けている。

 その熱情を噛み締めるたび、心に湧き上がるのは歓喜と高揚。尚も英雄の伝説は続投していくのだと、それを思うだけで権能たる炎は際限のない高まりを見せるのだ。

 

 故に、己が為すべき事にも迷いはない。

 敵対する魔王に、その前に立ちはだかる魔神に対し、神星は改めて闘志を向けた。

 

 交錯する光の視線と死の視線。

 神星より迸る焔の陽光が、魔神の持つ直死の眼光に拮抗している。

 瞼に移せば死を確定させる魔眼の視界さえ覆い尽くして、己へと届く前に相殺しているのだ。

 それはまさに正と負のぶつかり合い。生命の創造を司る灯火と、死の奈落へと誘う暗黒とで織り成される喰い合いだった。

 

 互角に見える勝負だが、相性の差で問えば分は魔神にこそあるだろう。

 魔神の視線は光さえも殺す。死の魔眼に対抗するために、神星は矢継ぎ早に焔を創造し続けなければならない。

 対し、魔眼は視界に映しただけでその効果を確定させるのだ。ただ目を見開いていれば鏖殺していける現状、どちらの消耗が激しいかは比べようもない。

 考えるまでもない。両者の相関を見れば結果は明らか。やがて燃え尽きた神星は魔神の前に屈するだろうと、それが当然の帰結であったはずだ。

 

 されど、そのような常識を打ち破ってこその英雄の道。

 相性の相関も、神話に当て嵌めた攻略も、どれも総じてつまらない。

 何故なら、それらは所詮既存の手段に過ぎないからだ。弱者が強者に対抗するため、過去に倣って手段を模索しているに他ならない。

 光は常に未来を照らすためにある。過去に振り返った既存の法ではなく、真っ向より前を見据えた正面突破こそ万人を頷かせる栄光足り得る。

 

 さあ、真の王道を知るがいい。

 光さえも殺される? ならば殺し切れぬ熱量を叩き込むまで。

 正道の強者にのみ許された王者の技。増大していく神威を取り込んだ極大の焔が炸裂した。

 

創生(フュージョン)――純粋水爆星辰光(ハイドロリアクター)!」

 

 それは天体の生命を生み出す法則。

 人が未だその手に負えぬもの。無限規模のエネルギーさえ創造する核融合。

 創世の神格として揮われる権能は、常道の法則など塗り潰して清潔なる業火を顕現させる。

 

 解き放たれた大熱量は圧倒的なまでに巨大。

 魔神の視界を呑み込んで、魔性の軍勢総てを覆い尽くして余りある。

 王道を目指して膨れ上がった炎の波濤。その火炎流に押し潰されて、魔神とその眷族たちは塵の一片さえ残らずに焼失した。

 

「ふっ、ふふふふはははは、はっはっはっは、アハハハハハハハハハハッ!!!!

 フッハッハッハッハ、ハハハハ、アハハハハハハ、あーっはっはっはっは!!!!

 クハッ、カッハハハハハハハハ、わぁはははははははは、ハッハッハッハァ――――!!」

 

 快笑。豪笑。大爆笑。

 もはや笑うしかない。期待した通り、否、期待の遥か上だ。

 己が召喚した魔神を潰されながら、甘粕正彦にあるのは歓喜と激賛。対峙する英雄を寿ぐ賛美の念しか無かった。

 

 繋がりが断たれた事に気付いている。

 盧生と眷族、力を与える者と与えられる者、その関係を証明する接合(ライン)が途絶えていると。

 即ち、英雄は今や完全に独立した存在になったのだ。宣言の通り、あらゆる道理を踏み越えて邯鄲の夢の力を自らの手に掴み取った。

 

 その存在は、普遍の阿頼耶を背負う盧生ではないのだろう。

 身に卸せた神格も一柱のみ。強引に押し上げられた存在は、他にも様々な制約が掛かるだろう。

 しかし、強い。少なくともその強さにおいて、英雄はもはや魔王に一歩も譲らない。打倒の宣誓を果たすべく、両者は既に同じ地平に立っている。

 

 その事実が、甘粕には嬉しくてたまらない。

 己が与える試練によって、遍く人々が立ち上がる事を願う。

 それこそが盧生として彼が得た悟り。試練という名の人間賛歌に偽りはなく、素晴らしい輝きを見せた英雄には心からの賛辞を贈るのだ。

 

「ああ、ならば、俺も負けてはいられんよなぁ?」

 

 そして、だからこそ、甘粕正彦という男はその魂を滾らせる。

 殊勝に敗北を認める様子など微塵もない。それどころか今までより遥かに強大な夢の波動を迸らせて、愛にも似た戦意の熱を向けていた

 

「そうだ。お前は素晴らしい。だからこそ、その強さに相応しい舞台が要る。さもなくば輝きは意義を失い、惰性の軟弱へと陥ってしまう。

 これほどに身を削り、魂を振り絞って相対するのが、ただ物珍しい力を持っただけの軟弱者では甲斐があるまい。勇者の覚醒一つで折れてしまう小人如きのために、それでは犠牲にしてきたものと釣り合いが取れんだろう。

 俺にそんな"悲劇"は見過ごせん。勇者たちの思うがまま、輝きの真価を存分に発揮するための敵対者が必要だ。そのためにも、俺は"魔王"になりたいのだと声を大に謳い上げよう」

 

 甘粕正彦は人間を愛している。愛するが故に、力を込めて殴るのだ。

 そうしなければ惰性に堕ちると知っている。人は堕落の悪性を宿した者だから、どんな熱さも喉元を通り過ぎれば忘れ去ってしまうのだ。

 それは極論ながら、しかし真理でもあるだろう。少なくとも完全否定は難しく、故に甘粕は迷わない。そこに彼の愛する輝きがあると信じるから、苛烈なまでの試練を課す。その果てに人々が輝きと共に立ち上がってほしいのだと、心の底から祈っている。

 

 それこそが魔王の夢。災禍の中に人の真価を見出す裁定者の在り方。

 与えた脅威に立ち向かおうとする意志があるのなら、それは魔王の思想に同意する祈りに他ならない。

 覚醒を果たした英雄の有り様は、まさしく魔王が夢見た人の型に嵌っている。よってそんな敬愛すべき英雄のために、強大無比なる難敵として魔王も己の力を増大させる。

 

「人間讃歌を歌わせてくれよ、喉が枯れ果てるまで。お前の勇気の輝きを、壊れるほどに愛させてくれ。

 英雄なのだろう? 人々の幸福な明日を願っているのだろう? ならば当然、魔王(オレ)と戦う覚悟もあるのだろうが」

 

「無論。その度し難さ、なればこその強大さ、元より委細承知済み。闘争の覚悟など、初見の時より出来ている。

 誰にものを言っている。未来に光をもたらすため、決まっている。"勝つ"のは(オレ)だ!」

 

 光の英雄と光の魔王。共に光を奉じた者同士。

 愛し、認め、立ち上がろうとする意志でもって、彼らは強くなる。

 互いに相手への惜しみ無い賛辞を贈り、そんな正の感情でもって力へと変えるのだ。

 

 常識も限界も、そんなものが何だと超越してしまう破格の魂。

 どちらも相手の強さを知っている。故に、全霊の力を絞り出すのに迷いは無かった。

 

「地の化身。四神の長よ。御身、穢れなき玉でもって、その神威を示さん――参れ、黄龍!!」

 

 現状にて存在する最強の札。

 夢界を震撼させた大地の龍神を、甘粕は惜しむ事なく投入した。

 

 神格の名を、黄龍。

 金色に輝く長大な龍の総体。人の視界でその全容は計り知れず、頭頂までの長さだけでも成層圏に達し、とぐろを巻けば地表の果てまでも覆い尽くす。

 神々しき姿は紛れもない古代の守護龍。皇帝権威の象徴とされ、王都を守護する神獣として人々より敬いの信仰を受けた最高神格が降臨した。

 

 そこに百鬼空亡と呼ばれた邪龍の面影は何処にもない。

 忘れられ、地の底へと追いやられた怒れる荒御魂の側面、人々に災禍の試練をもたらすため、関東大震災を引き起こす最適解として喚ばれた廃神の属性が外されていた。

 反転し、元の清らかな龍神に戻っている。本来の神格へと還した以上、如何に召喚者といえど容易くは戻せない。

 それはつまり、苦労して見繕ったはずの兵器を放り捨て、兼ねてよりの計画を白紙に戻すということ。積み上げてきた成果を引っ繰り返す暴挙に他ならなかった。

 

 そのような代償を求める判断さえも、まるで頓着せずに実行へ移せる。

 それも深謀な損得計算など混じえず、その場のノリと勢いで盛大にやらかしてしまうのだ。

 これほどの強壮な神星に対し、女々しく狂った邪龍では相応しくない。正攻法、真っ向勝負、余計な穢れなど持たない黄金龍こそ相応しいと、そう思ったからその通りに事を為した。

 

 そして、穢れを祓った龍神は、それ故に十全の神威を発揮する。

 星の血流ともいうべき地脈、その具現化と呼べる龍の咆哮は、地球という大地が上げる雄叫びに等しい。

 粉砕、灰燼、発せられた震動波はあらゆるものを消滅させる。指向性という概念を持たず、龍神(しんげん)より全方位に伝わっていく超震動からは逃れる術など有りはしない。

 

 かつては鱗のさざめきだけで、相対したあらゆる者が打ち砕かれた。

 人では決して及ばない、神という存在の何たるか。その暴虐なる強さは否応なく、厳然たる事実を人々に突きつけた。

 それは英雄でさえ例外では無かっただろう。如何にその雄々しい様で人々を魅せようと、そんなもの大自然からすれば何の価値もない。

 百鬼空亡こそ英雄にとっての鬼門。人の身である限り、不屈の信念も無意味となる最悪であった。

 

 されどここに在る神星は、もはや人の領分に留まる存在ではない。

 ここから先は同格による純粋な力の勝負。即ちそれは英雄の土俵に他ならなかった。

 

集圧(ベクター)――流星群爆縮燃焼(レーザーインプロージョン)!」

 

 発揮されるのは拡散性と干渉性。

 空間を埋め尽くすように増殖して拡がっていく無数の劫火。

 それはさながら天空に浮かぶ星々の如く。しかしその一つ一つに込められた熱量は、星空のような美しさからは想像もつかない凶悪性を有していた。

 

 正面より迫り来る壁ではなく、球状に包み込むように押し寄せる熱波の濁流。

 逃れられる間隙など絶無。全方位に展開された灼熱の弾幕群は、龍神の総体を完全に包囲した。

 中心に在る獲物に向けて、一斉に牙を剥く膨大な火球群。夥しい数で行われる燃焼反応が大気さえも変動させて、龍をその空間ごと押し潰しに掛かっている。

 

 それはまさしく焦熱地獄。人であれば生存の望みなど有り得まい。

 されど大地の化身たる龍にとって、それは存在を揺るがす脅威とも成り得ない。逃げる事など考慮するにも値しない、その身を震わすだけでも対処として十分すぎる。

 殺到する灼熱を、圧迫する空間を、あらゆるものを震わせて破壊する震動波。拡散する波動は接触と同時に連鎖して、殺到する一切に等しい崩壊をもたらした。

 千や万では到底及ばず、億や兆でも鱗一枚さえ剥がせない。伝わり拡がる震動の性質上、どれだけの数を揃えようとも意味は薄い。最善手と呼べないのは確かである。

 

 それを承知で、しかし尚も神星はその手を緩めない。

 横道には逸れない。真っ向からの正面突破。王道の覚悟こそ勝利に至る道と信じるが故に。

 膨れ上がっていく火種の数。砕かれていく量をも超えて、加速していく増殖速度は留まる事を知らない。

 その総数はやがて阿僧祇を突破して、那由他をも超え、不可思議の領域へ突入していた。

 

 どれだけ数を揃えようと、伝導する龍神の震動は全てを砕くだろう。

 しかし、此度のこれはあまりに数が膨大すぎる。それは本来あった理屈の相性すら覆して、龍神の震動と拮抗してみせた。

 圧していく熱と震。人の認識など遥かに超えた神の総体による激突は、あたかも世界そのものがぶつかり合う光景を思わせる。

 始めは龍神の方へと傾いていた天秤は、徐々に釣り合いを逆転させていく。更に更にと膨れ上がっていく劫火の総数が、龍神の総体を圧倒しつつあった。

 

 地脈の化身、星の神威たる龍神は、ただそのように在るもの。

 そこに善悪の意識は介在しない。天使や悪魔のような属性があるわけではなく、大地はただ大地として信仰するべき存在なのだ。

 その神威は強大であれ、決して変動するものではない。自己を高め、強くなるという概念は、向上心という欲望を持つ人間だけの特権なのだ。

 

「地の底へと還るがいい。もはや人の世は、お前を必要とはしていない!」

 

 強くなり続ける神星の圧が、龍神を押し込んで元在る場所へと還していく。

 黄龍とは地球自然を具現化した神格。敵といえども完全に殺してしまうわけにはいかない。そんな真似をすれば、この地球そのものが死に絶えてしまう。

 点ではなく面での勝負に持ち込んだのもこのためだ。指向性の一撃ではそのまま命まで貫いてしまう恐れがある。数で押した手段だからこそ、殺し切らずに制圧するという選択が取れたのだ。

 

 そこには忠の心など微塵も無い。

 大地への敬意を忘れ、鷲掴んで無理矢理に頭を垂れさせるが如き横暴である。

 それこそが覇道の本質。声高に大義を謳おうが、他の価値を侵害しその尊厳を踏み躙る所業だと、誰よりも英雄自身が知っている。

 それは紛れもない邪悪の一端。故に英雄は決して己自身を賛美しない。こんな男は許されざる罪人だと、弾劾の気持ちは変わらずに有り続ける。

 

 その潔さもまた、英雄の美徳であり強さ。

 自戒を強く思えばこそ、背負った覚悟もまた強くなる。

 そうして磨かれる芯の強さ。不可能を踏破する意志の骨子はそこにある。

 故に、英雄の脚は止まらない。迷いに引き摺られる事はなく、未来へ向かうためならば神であろうと怯まない。

 

 かつては夢界最強に君臨した龍神も、神星と化した英雄は上回った。

 もはや阻めるものは無い。母なる星をも乗り越えて、輝ける魂は更なる高みへと昇っていく。

 

 故に、輝きを愛する魔王もまた、相応しい試練のために更なる天頂へと至るのだ。

 

「大いなる暗黒よ。いずれ来たる終焉の刻にて、破壊と創造による救済をもたらせ」

 

 魂の猛りが止められない。見せられる奮起に思うのは感激ばかり。

 英雄が気合いと根性で無理を突き破るのなら、魔王はノリと勢いで無茶をやらかす。

 誰より己の心に素直な男だから、自罰はあっても迷いは持たない。性質は違えども、意志の限り進み続けるという方向性は両者共に同じであった。

 

「唵・摩訶迦羅耶娑婆訶――大黒天摩訶迦羅(マハーカーラ)ァッ!!」

 

 破壊の龍の次は、最上位の破壊神。

 愛する輝きを見るために、魔王は極大の破滅を喚び込んだ。

 

 曰く、恐怖すべき者(バイラヴァ)

 終末に来たる者。世を新たに築き直すべく、創造のための破壊を為す。

 ある宗教観における頂点の一柱。世界を破壊するという役割を負った神格である。

 

 だが、それは本来なら喚び出してはならない神格だ。

 何故なら前提として、その神話には『世界の破壊』という設定がある。

 神格の召喚自体が滅亡に繋がっている。その神は終焉に現れるものであり、故に降臨させる事は世界が終わるという筋道に同意するに等しい。

 人類自身が定義した(ユメ)を、人は決して覆せない。自らが生み出した破滅のスイッチを押し込むようなものだ。

 

 それを承知しながら、しかし甘粕正彦は躊躇わない。

 下手をすれば自身まで滅びる結果になりかねなくても構わない。

 あるのは輝きへと向けた愛と信頼。この試練にも立ち向かい、乗り越えてくれると信じている。

 ならばこその全力である。これほどの漢、本気の限りを尽くして向き合わねば無礼であるし、また手抜かりなど許される実力ではもはや無い。

 破壊神はこれまでの甘粕の終段において最強のもの。龍神さえも超えた英雄にはこれこそが相応しいと思うから、どれだけ馬鹿な選択肢でも実行に移してしまう。

 

 破壊神が動き出す。

 構えるのは三叉に分かれた矛先。そこに破壊の神威が集約されていく。

 それこそは三又戟(トリシューラ)。金と銀と鉄、三つの悪魔の都市を焼き払ったとされる神の武具。

 大いなる暗黒たる恐怖の姿は、目に映しただけで存在までもが砕かれよう。破壊を為す者として招来された神格には、新生の際に見せるという慈悲の側面は僅かも見受けられない。

 抗う事など不可能。それは約束された絶対の破滅である。天地さえ打ち砕く神威の投擲が、神星へと向けて放たれた。

 

「ぬ、ぐぅ……オォォ――――!」

 

 再び、戦況は一方への傾きを見せ始める。

 神星への開闢以来、甘粕が揮う神威に対し互角以上に立ち回ってきた英雄が、今度は明確に劣勢へと追い込まれていた。

 

 理由は単純。摩訶迦羅の破壊に、迦具土神の創世は及ばない。

 異なる神話体系の神格同士を一概に比較は出来ないが、ここでは両者の位置付けに着目する。

 始祖の神と、その子息。力関係は明確で、下克上の伝承も持たない。まして迦具土神にはその親に殺されるという記述まである。親神に及ばないのは明白だろう。

 摩訶迦羅は最高神。その上は存在しない。破壊の役割を受け持つ一側面であり、その純粋性は弱点の無い強さを表している。

 甘粕の審判との親和性も強く、英雄の結び付きにも決して劣らない。その神格に綻びは無く、見出だせる隙など何処にも無かった。

 その結論は、勝算の絶無。神は(ユメ)であるが故に、その神話(せってい)から逃れられない。両者の神格としての差は明らかで、成す術なく打ち砕かれるのが定めである。

 

「――まだ、まだァァッ!」

 

 されど、それは神星が単なる迦具土神であった場合の話だ。

 ここに在るは人と神の融合体。その信念と情熱で未到の夢に挑む新しい神話である。

 既存の理屈になど囚われない。己の神格が足らぬというのなら、そのような己自身の限界こそ乗り越えるのみ。

 

創生(フュージョン)収縮(フュージョン)融合(フュージョン)装填(フュージョン)――――」

 

 出力上昇、出力上昇、出力上昇――大熱暴走(オーバーヒート)

 その数値の上昇速度は紛れもない暴走状態。無理を押し通す重ね掛けは、神星の身にも許容できない多大な過負荷をかけている。

 果てに訪れる限界、神格という器の自壊は目に見えていたが、そのような条理を不条理で覆すのが英雄である。

 自滅の定めを打ち破り、破格の意志で成し遂げる限界突破。ここに神格の定義は覆され、これまでを遥かに超えた規格外の大熱量が創造される。

 

「灰燼滅却――極・超新星(ハイパーノヴァ)ッ!」

 

 胎動する星産みの焔によって創り出されたのは、まさしく擬似的な恒星そのもの。

 それだけでは終わらない。創造されたその後でも、注ぎ込まれ続ける生命の灯火。与えられる過剰な熱量に、恒星の核融合反応が暴走を開始する。

 如何に生命を回復させる活力とて、過ぎて与えれば崩壊を招く。供給過多な正の方向への活性化によって、恒星の生命は急速に終わりへと近づいていた。

 暴走した反応は瞬く間に臨界を突破。ここに恒星の終末は決定づけられ、引き起こされるのは溜め込まれた熱量の解放による星の散華。

 

 即ち、その現象の名を超新星爆発。

 世界の終わりと星の終わり。二つの終焉の超エネルギーが、真っ向から激突した。

 

 

 *

 

 

 それは予測されていなかった現象だった。

 

 一つきりでも世界を滅ぼす事が可能な超絶のエネルギー。

 そんなものが、二つ。局所の内でぶつかり合うなど、前例があるはずも無かった。

 果てに何が起こるかも予測不可能。超常の力で引き起こされた法則は、もはや通常の観点からの計算を不可能なものとしている。

 たとえそれが、阿頼耶(かみ)であっても。英雄と魔王の戦いは、既に阿頼耶にすら測り切れない領域にまで至ろうとしていた。

 

 よって、それは真実、両者にとって慮外の事であったのだ。

 

 あえて形容するのなら、『孔』だろうか。

 空間に走った亀裂。二人の超常存在の激突により、世界そのものに生じた陥穽。

 激突の中心である英雄と魔王は、成す術なくそこに落ちた。

 

 落ちた先にあったのは、果たして何と形容するべきか。

 世界から外れた場所。謂わば特異点とも呼ぶべき、既存法則から解放された例外中の例外。

 落ちるという表現も適切ではないのかもしれない。条理を超えて覚醒していく両存在。ならば昇華と呼ぶべきなのか。もはや盧生といった定義さえ超えて、二人の意識は遥かな高みへと昇ろうとしているのかもしれず――

 

 そして対峙する二人にとって、そのような事はどうでもよかった。

 

 重要なのは、ここが元居た世界から遠い次元を隔てた場所であること。

 両者共、実感として理解していた。これより先、更なる力を尽くして戦っていけば、それはやがて世界の許容限界さえも超えてしまうと。

 如何に現実でない夢界といえども、そこは人々の普遍無意識と繋がった場所だ。もしそれを定義された概念ごと吹き飛ばしてしまえばどうなるのか。

 悪くすれば全人類が死に絶えるか、更に言えば常軌を逸した夢の波動が現実にまで溢れ出て、あらゆる生命を滅却する破壊をもたらすかもしれない。

 

 二人は共に馬鹿と呼ばれる類いの人間だが、世界の滅びを喜ぶ者ではない。

 むしろ心から救いたいと願っている。やり方こそ違えど、救済の気持ちに偽りはない。そこにある愛は紛れもない本物なのだ。

 救済のための戦いで救うべき存在を滅ぼすなど本末転倒。何かしらの根拠も無しに、そのような暴挙に出るほど考え無しではない。

 

 つまり、これでとうとう最後の枷が外れたのだ。

 もはや躊躇う理由は何処にもない。正真正銘、全身全霊の力と意志の限りを尽くしてぶつかり合う事が許される。

 始まった光の意志の大放流。際限が無い気力の高まりは、二人を未知の頂きへと押し上げていく。

 

 互いが、倒さねばならない相手だと知るが故に。

 互いが、死力を尽くすべき強敵だと識るが故に。

 譲らぬのはどちらも同じ。日和った選択などあり得ない。凄絶な激突の果ての決着以外、自分たちは選べないのだと承知していた。

 

666の獣(アンチキリスト)地を揺らす狼(フェンリル)煙吐く黒曜石(テスカトリポカ)怪物の王(テュポーン)!」

 

 矢継ぎ早、果断なく行われる神威召喚(ダウンロード)

 これまでも最高格の神威を召喚し、もはや限界も近いはずの身でありながら、甘粕正彦の終段に衰えた様子は微塵も見えない。

 それどころか力の波動は尚も増すばかり。愛すべき英雄に応えるため、無理という名の言い訳を打ち捨てて、甘粕は規格外の神威召喚を断行した。

 

 顕れる神格は、どれも最高神に比肩するか、あるいは凌駕するものばかりだ。

 盧生という超常の存在に照らし合わせても、それは異常というより他に無い。

 本来ならば一柱のみの制御でも至難の技だろう。それを連続で召喚し、且つ同時に制御しようなど、その所行もまた正気の沙汰ではない。

 それを実行し、成し遂げてしまうのが甘粕正彦という男。始まりにして最強の盧生。夢界という荒唐無稽の領域を開拓し、遂にその深淵へと至った勇者である。

 ならばこそ、その全身全霊とは既存の神話では表せない、過去の何時にも味わった者の無い大災厄の試練に違いなかった。

 

 世界中、数多と語られた終末論。

 その中でも、恐らくは代表格と呼べるもの。聖典の最期に記された終焉の預言。

 世の悪性を誅し、善き者たちを楽土へと誘う最期の審判。神の愛よりもたらされる塵殺の裁きである。

 大神を呑み、光を落とし、雷霆を降した。主神の滅びに伴う世界の終焉。終わりの伝説を持った数多の魔神たちの混沌によって引き起こされるのは、聖典にすら記されていない"黙示録"であった。

 

「終末を告げろ――最終審判(アポカリプス)ゥゥッ!!」

 

 複数の神格、各々の神話の終末論を合一させて出来上がった極大の混沌。

 相乗的に膨れ上がったその威力は、もはや一つの世界のみならず、その境界さえも越えて焼却させる終焉だった。

 

 無論、それに応じる神星の手段も尋常ではあり得ない。

 限界の先での限界突破。超新星さえも創造した神星の権能は、ここにきて更なる領域へと至っていた。

 

 膨張し、収縮し、繰り返される創造と破壊の連鎖。

 中点へ向けて圧縮されていく、高密度にして大出力の核融合エネルギー。

 それは超新星さえも上回る。限界の言葉さえ置き去りとした、突き抜けたプラスが三次元に亀裂を刻み虚無へと反転する。

 

 即ち、その現象の名をブラックホール。

 ある上限を超えた先、高密度と大質量の崩壊に伴い生じる重力渦。

 極限の創造の果てに現れたのは、万象総てを呑み込む暗黒天体。有形無形を問わず、星を呑んでも止まらない宇宙現象である。

 たった一つの道を貫き、貫いて貫き通した先で手にした滅びの力。星という生命の極致に在る無明の闇が、差し迫る混沌さえも呑み込まんと放たれた。

 

「虚空の彼方に落ちるがいい。崩界(コラプサー)――事象暗黒境界面(イベントホライズン)ッ!!」

 

 ぶつかり合う混沌と暗黒。二つの異形の法則が、互いを侵食しながら膨れ上がっていく。

 共に正の力を極めた果てに掴んだ負の力。もはや力の是非など関係なく、ひたすらに勝ちへと向かう意志だけが両者の間で交錯していた。

 

 これぞ全身全霊。無限大の意志で織り成す全力全開。

 既存の法則をも塗り替えて、彼方の地平へと向かった意志力の大暴走。

 果てに至った頂きこそが両者の立つ場所。夢界という意志の世界が生み出した破格の申し子たちだ。

 

 もはや賽は投げられた。

 共に死力を尽くした一撃を放ち合い、後に待つのは決着の瞬間のみ。

 考慮の余地は無いだろう。これ以上はあり得ない。彼らこそ最強、至ったその場所こそ強さという概念の最極点。ならばこそ後は、唯一の頂点を決める結論を待つばかり――

 

 

「―――― ま だ だ ァ ァ ッ!!!!」

 

 

 されど、そこでやり過ぎてこそ、甘粕正彦。

 

 クリストファー・ヴァルゼライド。

 なんと素晴らしい男だろう。

 お前こそ我が理想、斯く在れかしと夢見る人の姿そのものではないか。

 確信するぞ。今、この時こそ、俺が求めてきた"楽園(ぱらいぞ)"なのだと。

 我が試練にて立ち上がり、磨かれ輝いたその意志を受け止められる事の、なんたる幸福か。

 故に、譲らんぞ見るがいい。これしきでは終わらせん。歓喜に奮える我が魂の本領を教えてやる。

 

 道理を越えて神を卸し、完全なる一体化を実現させた英雄。

 まさしく存在そのものが奇跡と呼べる。神格の条理でさえ語ることは出来ないだろう。

 よって理解していた。もはや一柱同士の激突で神星には及ばないと。

 神格を召喚し、使役してこその盧生の技。数多の選択肢こそ武器であり、故にこその敗因である。

 英雄の光とは、己にとっての唯一無二。唯一つのそれを極限まで鍛え上げたもの。

 英雄自身でもある神星の焔は、それとまったく同じなのだ。己に許された無二の輝きであればこそ、一つを貫き通す力では決して負けない。

 何を持ち出そうとも無駄なこと。たとえ格上でも英雄は必ずや凌駕する。もはや理屈すら不要で、英雄(アレ)はそういうものなのだから。

 

 だからこその、複数神格の連続召喚と同時使役。

 数多ある手数こそが己の武器。ならばそれを使った規格外を実現させる。

 では、それは三、四柱にて為すべきか? それとも十を越えてもあり得るのか? ああ、せせこましいな、小賢しい。そんな女々しい理屈に用はない。

 

 理想の人だと見定めた英雄。出し惜しみは一切ない。お前の勇気に応えるために、持ち選る総てを出し尽くして応じると誓おうぞ。

 

「お前の勇気を見せてみろォ――――神々の黄昏(ラグナロォォォク)ッッッ!!!!」

 

 先の黙示録すら呼び水の贄と変えて、発動される大戦争。

 猛る魔王の意志によって狂わされた、原典神話の繋がりも無視して喚ばれた()()()()()()()に導かれ、森羅万象の一切を無に還す黄昏が流出した。

 

 まさしくそれは一人の人間が神話さえも超えた瞬間だ。

 盧生だからと、そんな理屈は通じない。甘粕正彦だから、そうとしか言えないものだ。

 人類全体の意思を合わせても尚勝る、たった一個の規格外。もはや代表者の名は相応しくなく、人という種からも外れた異端、脅威となった外敵と呼ぶべきだろう。

 人も神も、魔王を止められる者は無い。拡がっていく黄昏を目の当たりとすれば、そこに抱くのは終焉への諦観より他にあり得るはずもなく――

 

 

「―――― ま だ だ ァ ァ ッ!!!!」

 

 

 されど、それを乗り越えてこそ、クリストファー・ヴァルゼライド。

 

 甘粕正彦。

 なんと凄まじい男だろう。

 その強さに敬服する。先も知れぬ未知の内より踏み出して、ただ独りの邯鄲制覇を成し遂げた人物。

 理念の度し難さを置いても、貴様という開拓者の存在なくば、今日の全てはあり得なかったのだと認める事に否はない。

 確信したぞ。貴様こそ、我が生涯における最大の宿敵、総てを懸けて臨むべき"聖戦"であると。

 我が戦いは続いていく。勝利とは進み続けるものだから、この生命がある限り終わりはない。

 ならばこれも、所詮は紡がれていく闘争の一つに過ぎない。勝利したなら、また次の勝利を。その宿業より逃れられる類いのものではないだろう。

 しかし、断言しよう。後にも先にもこれ以上は無い。甘粕正彦こそが最難関。未来に如何なる敵が現れたとしても、光の魔王を超える難敵はあり得まい。

 故に、敗けはせんぞ己は勝つ。これしきで挫けるものか。勝利を叫ぶ我が魂の本領を教えてやる。

 

 複数神格の連続召喚と同時使役。

 盧生という枠組みにおいてすら規格外。甘粕だからこそ成し遂げられた奇跡だろう。

 とうに理解している。どれだけ意志を燃やそうと、己に同じ真似は出来ないと。

 極論であり賛同は出来ず、しかしそれ故の普遍性を持ち完全否定が難しい試練の悟り。

 度し難くとも、一定の理解は示さざるを得ない。遍く人々に自立の奮起を促そうとする偽りなき信条は、なるほど盧生を名乗るに足る器なのだろう。

 善き処と己で定め、決意と覚悟で覇道を進み続ける。言ってしまえば独善であり、極論、求められているかどうかさえ問題ではない。

 他者に委ねるなど言語道断、あるのは独りで駆け抜ける異端の意志。盧生になれなかった事にも得心がいく。普遍の人類意識を背負うなど、何者も信じられない英雄に出来るはずもなかった。

 

 そうだ、自覚している。理解して、それで止められるほど簡単な性分ではないと。

 この道を進む以外に人生の処方を知らない。だからこそ不屈の意志をもって貫くのだ。

 それが正しいものだと信じている。物事の強弱や善悪に左右されず、不変の鋼と化して揺るがない。そんな決意に殉じる生き方こそを己のものとし、疑った事は一度も無い。

 破綻しながらも雄々しい英雄の生き様。それを光だと感じ入る思いは、ここにこうして確かにあるのだから。

 

 通常ならば一柱でも困難な神格を、数千もの数を同時に使役する。

 なるほど、大したものだと畏れ入る。盧生の枠さえ超えるその強さ、敬服の念は確かにある。

 だが挫けん。屈するものかよ見るがいい。元より己に出来る事など決まっている。

 己に許された光。ただ一柱の神火だけが我が力。ならばそれを貫き通すのみ。

 

 貴様が数千柱の神威でもって対するのなら、我が一柱の力を数千倍に高めれば済む話よ。

 

「唯一無二なる光を見よ。縮退星・創造(ディジェネレイトスター)――大解放(バースト)ォォッ!!!!」

 

 先の暗黒天球を核として、上昇と縮退の果てに創造される星の爆弾。

 重力崩壊を起こしながら数十光年の彼方まで塵殺する核融合の大暴走。神星の焔が到達した究極進化の輝光が放たれた。

 

 極限の先の極限さえも超えた力の行使。

 奇跡に掛かった代償は、当然ながら存在している。

 甘粕も、ヴァルゼライドも、無理に次いだ無理により心身はとうに燃え尽きている。己に有るあらゆるものを犠牲にして、彼らの飛躍は成り立っていた。

 身を削り骨を砕き、その魂までもが朽ちていく感覚。引き裂かれるような痛みがあり、心という際限なく湧き出るはずのそれまでも枯れ果てていく実感がある。

 それは死をも上回る苦痛。手放して楽になりたいと、そう思う事は真っ当な反応でしかないだろう。

 力を絞り尽くした後には、自滅という当然の結果が待つばかり。終わりを代価にしてでも無茶を通すのは、ある意味で勇者だけの特権だった。

 

 しかし、彼らは並の勇者程度では留まらない。

 感情の赴くままに無茶をやらかす光の魔王と、信念の不屈に懸けて無理を貫く鋼の英雄。

 どちらも同じ、燃え上がる意志のままに何処までも突き進んでしまえる怪物なのだ。

 終わる事が必然であり真っ当と思える事態でも、ただ諦めないと意気を吐き出す事で己の結末までも覆してしまう。

 前へ前へ、進むためにも終われない。不屈の意志に妥協はなく、故に微塵も迷わない。

 心が燃え尽きかけたのならば再び燃やせ。手段が無いのならば自ら作れ。朽ちた心身を再構築しながら、あらゆる苦悶や絶望も振り切って、可能性という未知へと向けて進んでいく。

 

 自滅必至の自爆技? 気休めは止めるがいい。

 そんなもの、死地での閃きと覚醒によって生存し、必殺の奥義に変えてしまうくらい、この男たちにとっては意外でも何でもない。

 光の属性を持った勇者たち、彼らはそういう存在なのだ。窮地も難敵も起爆剤として、望んだ地平へとなにがなんでも駆け上っていく。

 真なる決意の前には世の道理など紙屑同然、蹴散らして捩じ伏せ突破できると知っている。諦めなければ夢は必ず叶うと信じているのだ。

 

 光と光。奇跡をも起こせる破格の輝き同士。

 難関が高ければ高いほど、彼らはその上限を超えていく。

 相手の強さに応じて強くなる気質。互いが同じ気質の時、それは相乗するように高め合う。

 止められる者はいない。彼らは強く、正しい姿なのだから。勝つべくして勝つべき正義に相応しい意志であるから。

 まるで二つの光に織り成される二重螺旋。認め合い、敬意を持ちつつ、それでも衰えない闘志は、あらゆる感情を糧にしながら、誰にも届かない領域まで天元突破を果たしていく。

 

 その進化に限界が訪れるのは何時か、それは本人たちにも分からない事だった。

 

「「いくぞおおおおおおぉぉぉぉッッ!!!!」」

 

 昂る闘志に、猛り狂う魂に任せて、何処までも快活に放たれる漢たちの大喝破。

 不撓不屈の意志力と、譲らない勝利への思いを込めて、魔王と英雄はその力をぶつけていった。

 

 




 盧生になれた理由:人気投票ぶっちぎり1位の貫禄。

 まあ、正確には盧生ではなく、盧生に匹敵する別の何かって感じですが。
 四四八が言ったように、盧生より強くはなれても盧生になれないって設定は崩さないつもりだったのでこんな形になりました。
 阿頼耶の役でカグツチ登場。あくまで口調だけですけどね。

 甘粕戦は、まあ皆さんの予測の通りに覚醒合戦。
 最後の激突は夢界でも現実でもなく、神座世界みたいな特異点で。でないと世界がどう考えても吹き飛んでしまいますし。
 ぶっちゃげそのためだけに出した設定なので、あまり詳しくは考えてません。馬鹿の勝負は大雑把でお願いします。
 ちょっと甘粕用の新技なども考えたりして、神野が出なかったのは時系列的に反転させると色々アレだし、いまいち場面が思いつかなかったので。

 最終的にどちらが勝つか、それはお好みでいいような気がします(笑)

 この話にて『ヴァルゼライドの邯鄲英雄譚』は完結となります。
 評価、感想をくださった皆様は、本当にありがとうございました。
 クロスオーバー作品なので、色々と賛否両論もあるかと思われますが、両作品が大好きだったからこそ書き始めたものだという事はご理解ください。
 もしもこのSSで、原作の魅力に少しでも+αが加えられたなら、二次創作として幸いな限りです。

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