ヴァルゼライドの邯鄲英雄譚   作:ヘルシーテツオ

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後編①

 

 邯鄲の夢とは、夢を通じて無数の人生を経験し、阿頼耶に触れ得る魂を磨く行である。

 

 資格を持つ者、盧生が一人で臨めば、我が身一つで覚りに至るだけの人生を体感する事になる。

 資格を与えられた者、眷族を伴えば、彼らの人生にも補完されながら覚りに近づく事ができる。

 邯鄲の攻略は、眷族を伴えば伴うほどに難易度を下げていく。独力での攻略など、最終的には万を越える年月を己だけで重ねる事になり、その難易度は不可能と呼んでも過言ではない。

 だが、ならば眷族さえ伴えば誰にでも至れるのかと言えば、そのような事はあり得ない。阿頼耶へと通じる道、邯鄲の行は決して甘くはない。

 

 他者の人生に補完されながらの悟り、よって最後には補完分の統合が行われる。

 眷族らが受け持っていた歴史分の総決算。その膨大な年月の負荷を盧生は一身に受ける。

 そして最期に待ち構えるのは、その盧生にとって乗り越えなければならない試練。普遍無意識を担う器として、目を反らしてきたものを直視させられるのだ。

 時に、それは父。時に、それは愛。時に、己では勝てない何者かと、それぞれの盧生によって試練は異なる。

 ただ言えるのは、引き連れた眷族の数が膨大であればあるほど、越えなければならない試練も難易度が跳ね上がるということ。最後に帳尻合わせが待っている以上、邯鄲の法に甘い抜け道は一つもない。

 

 都合四度の周回を越えて、第八層に到った柊四四八もまた、それに挑んでいる。

 特科生の仲間たち、神祇省、辰宮、そして初期の段階で繋がっていた鋼牙構成員三千名、それら引き連れた眷族分の降り戻しを味わっている最中だ。

 この試練を越えれば、いよいよ本命の展開が訪れる。甘粕正彦、世にタタリを顕す魔人。夢を現実へと持ち帰り、あの男との決戦の刻を迎えるのだ。

 

 もはや大詰め、邯鄲の夢も終わりは近い。

 ならばこそ、英雄たる男が動き出すのも必然だった。

 

 クリストファー・ヴァルゼライド。

 彼は盧生を追う者。完成に至らんとする盧生の元を目指す。

 己もまたその座に至るため。理屈の無理など踏み越えて、真なる勝利をその手に掴むために。

 鋼の英雄たる身が征くべき道を見い出すために、彼は新たな盧生に対峙せんと歩んでいた。

 

「――そうか。やはり立ちはだかるか」

 

 そんな歩みの先、英雄の行く先を阻むように、少年少女たちの姿があった。

 

 真奈瀬晶。

 龍辺歩美。

 我堂鈴子。

 大杉栄光。

 世良水希。

 鳴滝淳士。

 千信館――否、戦真館。柊四四八の眷族の中でも、最も縁深き者たち。

 共に『信頼(トラスト)』の未来を生きた仲間。柊四四八の掲げた千の信の象徴たる六名が、ヴァルゼライドの前に立っていた。

 

「柊のところに行くつもりなんですね」

 

「その通りだ。真理へと至った信念、甘粕とも異なる答えを確かめる。俺もまた、そこに至るために」

 

 無茶な道理を臆面もなく言い放つ。

 既にそれが不可能な事であると、ここに集った面々は承知している。

 ならばその発言は、道理の分からぬ愚か者の言葉でしかないはず。呆れと共に受け取るべきであり、何かの意味など見出だせるものではないはずだ。

 

 だというのに、何なのだろう、この気持ちは。

 妄言の類いであるはずの言葉が、無視できない。

 絶対に不可能だと分かっているはずなのに、心の方はその言葉を信じかけている。

 この男ならばあるいは、と。そんな考えが捨てきれなかった。

 

 鋼の英雄。光を奉じる善性の強者。

 彼の発する言霊は、道理も越えて他者を信じさせる凄みがある。

 問答無用の説得力。英雄は英雄であるが故に、如何なる奇跡をも成し遂げてみせると。そんな理屈をこうして向き合うだけで信じかかっているのだ。

 

「あなたの言う事には何も言いません。でもこれだけは教えてもらいます。

 柊に会って、あなたは何をするつもりなんですか? それを答えてもらわない限り、ここは通せない」

 

 皆の意思を代表し、我堂鈴子が強い口調でそれを問う。

 

 彼らはヴァルゼライドを敵視しているわけではない。

 むしろ敬意さえあるだろう。邯鄲でも助力を受けた事があった。

 他の勢力の者たちとは違う。そう信頼させるだけの潔癖さが、この英雄にはあった。

 

 けれども、同時に感じているのだ。

 英雄が掲げる正義の光。それは強く、清廉であり、同時に血で塗れている。

 あらゆる悪を滅殺し、大義のためなら善良なる者らの犠牲さえも厭わない。

 鋼の覚悟で歩む鉄血の道。その無慈悲さが、いずれ自分たちにも向けられるのではないかと。

 

 盧生である四四八が阿頼耶に触れた事で、眷族たる彼らにもここまでの記憶が戻り始めている。

 御国のため、流す血を怖れるなかれ。かつての己、大正時代の常識のみを弁えていた時分。

 目的のためには仲間の命だとて手に掛ける。その非情、戦の真こそ道理として、実際にそれをやってもみせた。

 かつて確かにあった仲間内での死闘、その記憶も既に彼らは思い出していた。

 

 だからこそ分かるのだ。

 その道の極致にある英雄の剣。それは善に対しても躊躇がない。

 目的に、勝利のために必要であるなら、外道の手段にさえ手を染める。迷いなく決断できる鉄心を、クリストファー・ヴァルゼライドは持っていると確信していたから。

 

「俺が知ろうとするのは盧生の資格の何たるか。そこに至れた男を吟味し、通じる道を見出だすために。その如何によっては、剣を取らずに済ます事も……いや」

 

 そしてヴァルゼライドの答えもまた、彼らの懸念を肯定するものだった。

 

「楽観は止そう。恐らくは戦う事となるだろう。俺が求める理解とは、言葉だけで得られるものではなかろうからな。

 この邯鄲にて、各々が会得してきた夢の使い道とは、即ち暴力。戦いに用いる手段として優れたものに他ならん。闘争こそが人間の本質であると、嘆かわしいが事実ではあるのだろう。

 ならば是非もあるまい。描いた夢を体現する最も適切な方法が戦いであるなら、死線の中の極限で求める理解を悟るのみ。ああ、これもまた真理だよ。

 人は、命の懸かった死地においてこそ、最大の価値を発揮するのだと。あの男の言い分も決して間違いではない」

 

 阿頼耶のある第八層を除くにせよ、七層にも及ぶ邯鄲の攻略。

 そのどれもが命を賭したまぎれもない死地。その凄絶な経験が、彼らの精神を錬磨した。

 そこにあったのは常に闘争。尋常ならざる敵手の存在があってこそ、それは試練となり得たのだ。

 

 ならば英雄の言も、やはり真実ではあるのだろう。

 闘争。人と人との意志と力のぶつかり合い。真理に至る道筋をそこに求めるのも必然である。

 

 そしてだからこそ、彼らは英雄の前に立たねばならないのだ。

 

「ああ、構わん。元より露払いはするつもりだった」

 

 対峙する者たちの気配の変化を、ヴァルゼライドは鋭敏に感じ取った。

 

 今まさに、柊四四八は最後の試練に挑んでいる。

 彼らの盧生。互いの信頼で結ばれた絆の仲間。柊四四八は戦っているのだ。

 ならば自分たちも、ただ座して待っているわけにはいかない。四四八に最大の危機をもたらすかもしれない、この英雄を止めるのは自分たちだ。

 

「気兼ねする事なく来るがいい。この戦いにはそもそもの道義もある。

 そうだろう? 国が違えば利害も変わるのだ。極東の帝国に仕える若き護国の闘士たちよ。お前たちもまた己の大義に懸けて、全霊で挑んでこい」

 

 そんな少年少女らの奮起を、ヴァルゼライドは受け入れた。

 

 民を愛し、国を奉じる鋼の英雄。

 立場は違えど、共に奉じるべき何かを持つ者同士。

 共通する在り方から、その姿勢を心より認め、敬意と共に打ち倒すのだと告げている。

 

 宣戦は果たされる。

 刀剣が引き抜かれ、それぞれの武器が創形される。

 英雄と戦真館、両者はここに対峙した。

 

 

 *

 

 

 開かれた戦端を察知して、面々は一斉に動き出す。

 その動きに澱みはない。仲間たちは各々の役割を十全に理解している。

 元々の戦真館特科生として、何より幾度も巡った邯鄲での激戦を経て、連携の練度は極みの域に達している。

 盧生が根源に近づいた事で、かつて周回の中で得た夢の力もほぼ取り戻している。その回転率は過去最高、不足しているものは何もない。

 

 得られた経験と絆は確かなもの。それがあるから、少年少女らは一心同体となって一人の大敵とも向き合える。

 

「六名、か」

 

 そして対峙する英雄は改めて一同を見渡す。

 彼は単騎。一切の仲間を引き連れず、己一人のみで何処の勢力にも属していない。

 図式で見れば一対六。ただ一人を相手にして六人が包囲する。必然として、そのようなカタチとなった。

 

「卑怯だって思いますか? 一人を相手に、寄って集って情けないって」

 

 鈴子が訊く。無論、今さらそんな図式どうこうで尻窄みするほど未熟ではない。

 ないが、しかし、多少なりとも負い目のような感情は避けられない。壇狩摩のような無道の盲打ちではなく、彼らはあらゆる意味で真っ当なのだ。

 まして相手は、正義を奉じる英雄たる男。どうしようもない悪魔の類いならばいざ知らず、敬意にも値する相手にそうする事には、思うところがないわけではなく、

 

「構わん。ここに至ってそのような惰弱を吐き出すならば、そんな輩は去ればいい。

 これは戦争なのだ。自陣営の戦力確保などはそれこそ当然の責務。果たせなかったとすれば、それは己の至らなさを恥じるだけだろう。

 単騎である事を選択したのは、他ならぬ俺自身。お前たちが仲間との結びを重んじたように、俺もまた覚悟をもってこの道を選んだ。ならばこの図式は至極当然。

 むしろ、仲間内の六名のみで現れた潔さを評価しよう。たとえば辰宮や神祇省、奴らを巻き込んだとしても、俺は一向に構わなかった」

 

 そんな彼らの負い目は、あまりにも雄々しき英雄の言葉にて打ち払われる。

 

 何処までも王道、揺るがぬ信念で臨む鋼の英雄。

 何もかもが承知の上。その上で彼は決意と共に突き進む。

 言い訳は無用。弱音など、それこそとうに打ち捨てた。そのような覚悟の言葉で、ヴァルゼライドは鈴子の雑念を切って捨てた。

 

「……流石ですね。ええ、本当に感心してます。でも、だからこそ解らない事がある」

 

 気圧されそうになる心を叱咤して、重ねて鈴子は問い返す。

 

「どうして、あなたは一人なの?」

 

 単騎である事を選択したという英雄。

 だが普通に考えるなら、それはおかしな事だろう。

 

「あなたは他の連中とは違う。他人から支持される大義があるなら、ちゃんとした勢力だって集められたはずでしょう。

 なのに誰の助けも借りないで、そうまで一人でやろうとするのは何故なんですか?」

 

 一人だけではやれる事も限りがある。

 どんな人間だって、全ての事をやれるわけではない。仲間の支えがあるからこそ、崩れ落ちそうな時も人は立ち上がることが出来るのだ。

 邯鄲の試練を踏破していく中で、彼らはそれを実感してきた。決してそれを疑っていないからこそ、単騎で在る英雄の姿には違和感を覚えた。

 

「仕方あるまい。数が増えれば初志は曇る。鋼の決意を貫くには、独力こそが最も良い」

 

 しかし、英雄たる男が下した判断とは、彼らとは真逆の結論。

 

「因は三つ。数の肥大化、上部の腐敗。そして何より、優しき善意によって。

 二つについてはどうともなろう。選りすぐり、栄え抜かせた麾下によって大事に臨めば、そうそう脆弱になる事もあるまい。この邯鄲とはそういう場所だからな。

 だがそれとても、最後の一つは否応なしに枷となる。俺が苦難を背負うのを、友誼を結んだ朋友であればこそ見過ごせん。認めさせるか、否か、その判断を問う時点で足を取られているのは

明白だ」

 

 膿の有る無しではない。

 時に労わり、親切、忠誠や友情など。

 人として何も間違っていない、尊ぶべき感情が軋轢を生むのだと英雄は告げた。

 

 たとえば、彼の息災を願う者ならば、如何に正しくともその無茶を制止するだろう。

 それは当然の行動だが、果敢に邁進する英雄の歩みを阻むものであるのも間違いないのだ。

 

「友が俺の身を案じれば、その分だけ勝利からは遠ざかる。元よりこの邯鄲、正気の内で踏破できるほど甘くはあるまい。ならばこその単騎。仲間も、同盟も、初めから慮外のものとして、己一人で事を成す。狂気愚行と言われようとも構わん。正気ならざるその意志でこそ、絶無の可能性に一縷の光を掴めるのだと信じている」

 

 それはなんと狂おしく、そして英雄らしい強き結論だろう。

 つまるところ、その結論の前提には英雄がいる。クリストファー・ヴァルゼライド、覇者の栄冠を担うに相応しい破格の英傑。

 通常ならば愚策に過ぎないものを、彼の存在こそが唯一無二の至上策に変えている。厳然たる事実として、彼が単騎でここまで勝利し続けていることが、結論への否定を許さなかった。

 

 その理屈に納得しかけた自分自身を叱咤して、鈴子は歯噛みした。

 確かに道理としては通るのだろう。だが感情ではとても認める事は出来なかった。

 仲間との絆を尊び、結束が生み出す力でここまでの苦難を乗り越えてきた。その価値を否定するような英雄の道理には、彼らだからこそ頷くことは出来なくて、

 

「もういいだろう。ここに至って、平行線を論じるつもりはない。

 俺のやり方を否定したくば示してみろ。邯鄲を巡る道のりの中で、磨き抜かれたお前たちの力を」

 

 論議を打ち切って、英雄が告げる。

 宣戦は既になされた。戦いは始まっている。和解の道は断たれたのだ。

 ならば後は各々の信念を貫くのみだと、剣を振り上げて英雄は示してみせた。

 

 刀剣に集束していく黄金光。

 其は破滅をもたらす光。総てを灼き滅ぼす放射性分裂光(ガンマ・レイ)

 あらゆる邪悪の断罪のため、そして何より勝利のために、英雄が得た破壊の夢が放たれる。

 

 先制したのはヴァルゼライド。

 英雄は侮らない。戦真館特科生の面々、若人たちの強さ、正しさを高く評価している。

 故に、初撃から光は最高出力。かつて鋼牙の狂獣をも滅殺した殲滅光、ただの一撃とて勢力の全滅さえも覚悟しなければならない破壊力を、慈悲も容赦もなく解放させた。

 

 その黄金の光を目にする者は、誰もが息を呑むだろう。

 あまりにも荘厳、あまりにも強大、その輝きには畏敬の念さえ抱いてしまう。

 それは例え、敵であっても変わらない。絶対の崩壊をもたらす光は無慈悲だが、一瞬の内に苦痛さえなく灼き尽くすならば、そこには一抹の救いがあるだろう。

 そんな結末さえ受け入れてしまうような、一種の神聖さとも呼べる何かが、英雄の光には宿っていた。

 

「――ふざけんじゃねえぞ」

 

 その黄金の光の前に、誰よりも早く飛び出す者があった。

 

「アンタなら、アンタみたいな人だからこそッ! 助けになりたいって友達(ダチ)がいたはずなんだ!」

 

 大杉栄光。

 蹴り出した脚の輪。そこに込められた解法の夢が、英雄の光と拮抗していた。

 

「なのに、そんな奴でも弱くて雑魚けりゃ用はないってか? 舐めるんじゃねえ!

 どんなに弱くても、雑魚くても、そいつにだって意地があるんだぁッ!」

 

 栄光は弱い。他の仲間と比べても、決して彼は強くない。

 何よりもまず、その精神性が闘争に向いていない。それこそ致命的なまでに。

 殺される事は恐ろしい。だがそれにも勝るほどに、大杉栄光にとっては相手を殺すという行為そのものが恐ろしいのだ。

 

 "こいつにだって何か事情があるかもしれない"。少しでもその手の思考に触れてしまうと、もう駄目だ。

 殺せない。殺意なんてとても抱けない。攻撃のキレは鈍り、たとえ格下相手でも無様を晒す。

 それは断じて歪みではない。大杉栄光がそう在る理由とは、ただ彼が優しすぎるから。才覚に恵まれず、己の弱さを自覚してるからこそ、弱者の気持ちが分かってしまう。

 他者を傷つけ、その存在を侵害するという行為。それに対する禁忌の念が人一倍強い。どんな大義を持ち出そうとも、その忌諱感が拭えないのだ。

 強き英雄の有り様とは真逆の、迷い惑ってばかりいる軟弱さ。鉄血の覚悟を決められない、いつまでも弱いままの男なのだ。

 

 だからこそ、大杉栄光は誰よりも勇気ある男である。

 彼は恐怖を知っている。戦場に徹底的にそぐわない性根は臆病とさえ言っていい。

 それでも、彼は前へと踏み出せるのだ。己のためではなく、仲間のために。恐怖に慄える心身を抑えて、精一杯の気持ちを振り絞って。

 格好を付けたいから。格好悪い自分を知っているからこそ、意地を張る。たとえ弱くて、情けなくても、役立たずの卑怯者になる事だけは耐えられないから。

 

 大杉栄光こそが、戦真館の中で最も、本当の勇気を知る男なのだ。

 

「舐められたくねえんだよ、『弱者(オレタチ)』はッ! 何よりも、助けになりたい奴らから、そんな風に見られるのが許せねえ!

 理想やら、大義やらなんて分かんねえよ! ただ、そんなすごい友達だからこそ、そいつに認めてもらいたくて、弱っちくて情けない自分に蹴り入れて足掻いてんだ!

 知らないってんなら見せてやる! オレみたいな奴の足掻きだって、役立たずじゃない。アンタの強さに届くって事をなあァァァァッ!!」

 

 気迫の怒号。

 がむしゃらな感情の叫びには、切なる思いが込められている。

 高尚な理想などではない。それは小さくとも純なる意志。それこそが彼の夢を加速させる。

 

 大杉栄光の夢とは、夢そのものを解く夢。

 夢界という領域にあって、根底の法則をも崩壊させる危険を秘めた諸刃の剣。

 その力を手にした者が、最も力の危険を恐れる少年であったのは、あるいは必然であったのだろうか。

 光を、破壊を、法則さえも打ち消して、少年の夢は輝きを増し、黄金の光を解いていく。

 

 そしてついに、何者をも粉砕してきた英雄の黄金光は、か弱き少年の勇気によって霧散した。

 

「ぐ、が、ごぼぉ……っ!?」

 

 同時に、喪失した内蔵の分、逆流した血が栄光の口から零れ落ちる。

 

 栄光の破段。

 それは己の何かと引き換えに何かを打ち消す、等価交換の夢。

 己にとって重要であればあるほど、その威力は増していく。己自身の身体の幾つか、自ら傷つき失う事で彼は仲間を守りきったのだ。

 

 目の前で起きた事実を、英雄はただ静謐に受け止める。

 先の光は全力だった。手抜かりなどない、偽りなく今出せる最大威力。

 それを打ち消された以上、ヴァルゼライドの夢は封じられたといっても良い。その身が完全に朽ち果てるまで、彼は破壊の光を打ち消し続けるだろう。

 ならばそれで良い。少年の克己と吼えた思いも合わせ、内心で寿ぎながら、英雄は正面から打ち破らんと二撃目の光を充填して、

 

「大杉ぃッ! てめえ、この馬鹿野郎が!」

 

 ああつまり、そういう理屈ではないのだなと、次の行動で納得した。

 

「なんでてめえはいつもそうなんだよ。てめえ自身を軽く扱いやがって!」

 

 代わるように飛び出す巨漢の影。

 鳴滝淳士。孤高なりし無頼漢は、栄光の見せた矜持を迷わずに否定した。

 

「簡単に差し出そうとしてんじゃねえよ。自分の重ささえ分からねえ奴が、他人を守れるなんて思ってるんじゃねえ!

 てめえが無理するまでもねえんだよ。俺が、これぐらいでなぁッ! 」

 

 男は無手。彼が頼る武器は己の拳、即ち我が身のみ。

 射出された第二撃の黄金光を、その屈強な巨躯で鳴滝淳士は真っ向から受け止めた。

 

「ぐ、あ、ガアアアアアアアアアアッッ!!!!??」

 

 言うまでもなく、それは愚行だ。

 英雄の光はただの熱とは訳が違う。残留し、連鎖し続ける崩壊によって確実に敵を灼き尽くす殲滅の光。

 その激痛たるや、かつて受けた逆十字の死病の苦痛さえも上回る。単純な破壊力だけではない、僅かな接触だけでも致命に繋がるからこそ、その光は恐ろしい。

 そして無論の事、純粋な威力の面でも最強の輝きである。あらゆる障害を諸共に粉砕して突き進む黄金の波濤。それに対抗する時点で不可能に等しい。

 それを、あろうことか我が身で、しかも単なる意地で受け止めるなど。知に長け理に聡い者ならば、その行動を嗤うだろう。

 

 英雄は、嗤わなかった。

 

「ぐうぅぅッ! ウオオオオオオオオオオッッ!!!!」

 

 ただ愚直に、ひたすら前へ。

 圧倒的な光の威力にも、全身を蹂躙する激痛にも、断固として屈さずに。

 それを成し遂げるのは男の意地。己とは重いものであるのだから、この意地は譲れないと吼えている。

 

 鳴滝淳士の掴んだ夢。

 自らを重くする。あまりにもシンプルな、男の無骨さを表した夢のカタチ。

 己の重さを拳に乗せて、ただ真っ直ぐに振り抜くのみ。不器用な自分にはそれしかないと、理解しているからこそその一点だけは曲げられない。

 黄金の光を前にしてもそれは同じ。元より横に逸れる利口さとは無縁の身だ。どんなものが立ちはだかろうが己の重さと密度で押し返すと覚悟していた。

 

「あなたが私を疑っても、私は何も隠さない――――あなたが大切な人だから」

 

 そして、そんな彼を支えるのは、決して彼一人の意地だけではなかった。

 

 真奈瀬晶。

 誰よりも尊き慈愛を持つ少女。義の徳を司る犬士。

 彼女が掲げるのは癒しの光。何人をも慈しむその心が、傷つき苦しむ人に手を差し伸べる。

 

 鳴滝。ああ、アタシにもよく分かるよ。

 そうだよな。あいつ、放っておけないから。

 普段はあんななくせに、いざとなるとびっくりするくらい突っ走って。

 自分が怪我するのも構わないで、ほんとに危なっかしいんだよ。

 でもな、それはお前だって大概なんだぞ。今だってほら、とんでもない無茶やって。

 やっぱり男って馬鹿ばっかりだ。四四八の奴だって、そうやって前に出て無茶ばっかりして。

 まったくさ、本当に、最高にかっこいい奴らだよ、お前らは。

 

 だから、アタシはそんなお前らを癒したい。

 傷ついて、苦しんでるその身体を支えてやりたい。

 助けたいんだよ。なあ、いいだろう? アンタの意地を、アタシにも手伝わせてくれ。

 アタシたちは独りじゃない。支え合える仲間がいるんだから。

 

「急段・顕象――――犬川荘助義任(いぬかわそうすけよしとう)

 

 ここに協力強制が成立する。

 相手を癒したいと願い、相手もまた滅びに抗うための癒しを欲した、害意を持たない急段。

 互いにとっての望むところ、抵抗などあるはずがなく、その夢は最大効率で駆動した。

 

 黄金の光を重さで受ける。

 身体を蝕む崩壊を、それ以上の癒しでもって上書きする。

 その意地は、その慈愛は、英雄の輝きにだって決して敗けないと示すように。鳴滝は退かず、 晶もまたそんな彼を癒し続けた。

 

 そして――

 

「へ、へへ、どうだ見たかよ、耐えたぜ。こんなもん屁でもねえ」

 

 健在。

 殲滅の光、浄化の焔、何人も存続を許されない破滅をその身に受けて、鳴滝淳士は健在だった。

 それも半死半生といった状態でもない。全身を侵したはずの放射能も、既にほとんどが癒えて、その身は次の行動へと移れるまでに修復を終えていた。

 

 その結果を見届けた英雄に驚きはない。

 ただ見事なり、と。掛け値ない称賛の念を相手に向ける。

 男の矜持が見せた力、少女の慈愛がもたらした癒し。どれも正しき善性による強さである。よって認める事に否はなく、ヴァルゼライドは内心での評価と警戒を引き上げた。

 

「でもって大杉が言うことにも同感だ。アンタ、他の連中を舐めてるよな?

 こうして見てるだけで嫌でも伝わってくるぜ。俺らなんざ眼中にもねえってな」

 

 不遜を貫く英雄を睨み据えて、鳴滝はそう告げた。

 

「軽く見てるんじゃねえよ。俺たちは柊の野郎の端でうろつく脇役じゃねえ。本命に熱を上げんのは結構だがな、見下すのも大概にしとけよ。

 俺も、俺らにも、アンタが守ろうって息巻く民草って奴にしたって、そいつら自身の重さがあるだろ。勝手にてめえで背負った気になってんな。どいつもアンタに面倒みてもらわなきゃ立ち上がれもしねえような、情けない奴ばかりじゃねえだろうが」

 

 国のため、民のため、涙を明日に変えるために。

 英雄が掲げる大義。その雄々しく輝かしい信条に、しかし個人の重みはない。

 

 鳴滝敦士には、そこがどうにも我慢ならない。

 方法の是非ではない。そこで論じられるほど、彼は己が偉いとは思っていない。

 ただ無性に腹が立つのだ。鳴滝淳士は誰よりも己を重んずる男であるから、他の誰とも知れない有象無象と自分を等しく扱われる事が、それを万人に対して行う英雄の姿が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

「軽んじてはおらんとも。俺が守り、時に切り捨てる民草の概念。その全体多数の中にある個人としての価値、それは決して軽くはないのだと自戒している。

 人々を数のみで論ずるのは惰弱な意志だ。大を取って小を捨てる、そんな理論のみを骨子とした信条など張りぼてに過ぎん。重くのしかかるその宿業、背負えずして一体何を成せようか。

 重くあるからこそ、折れずに進まねばならない。余さず承知して、俺は征く」

 

 しかして返答する英雄もまた、それしきで揺らぐ信念など有してはいない。

 時に守るべき民に血を流させても、英雄は勝利へと邁進する。むしろ築き上げた屍の数が多ければ多いほど、その決意は重く強固となる。

 全ては勝利の果てに、流血に見合う報いを与えるために。国という全体多数の幸福を追求して、英雄の歩みは決して止まらない。

 

「そして指摘についても否定はしない。真に恐れるべきは甘粕正彦のみ。それこそが純然たる事実であり、この認識を曲げるつもりはない。

 決して侮りはしないが、所詮眷族ごときに躍起になっているようでは、盧生には到底届き得ないのも事実。認めはしよう、だがそれでも俺が勝つ。それだけの話だ。

 これに否と唱えたくば、見合うだけのものを示すがいい。生半可な覚悟であれば、この俺は小揺るぎもしないと心得ろ」

 

 その様は不遜にして不動。決して己の威風を崩さない英雄の姿には、憤りよりも先に奇妙な納得の感情があった。

 

 敵対する相手、倒すべき存在でありながら敬意を呼び起こす雄々しき在り方。

 努力、正義、勝利、と。この英雄には無数の光がある。真っ当な人間であれば必ずや感じ入るものがある煌めきに、まともであればこそ理屈抜きの感動が生まれてしまう。

 それが無意識の内に心を掴み、知らぬ間に闘志の方が萎えてしまう。その言葉、その一挙手一投足に宿る意志力と存在強度が、闘う相手の戦意そのものを折りに掛かるのだ。

 

「……へっ、そうかよ。まあ俺も口が達者な方じゃねえからな。似合わねえんだよ、そういうのは。自分でも分かってんだ」

 

 そんな心の萎縮を実感している。だからこそ、鳴滝敦士は内へと深く意識を落とす。

 口から出てくる言葉に大したものはない。例えばあの英雄の言葉に真っ向から反論してみせるような真似は出来ない。そんなのは別に相応しい奴がいるだろう。

 不器用なのだ。よく誤解もされるし、上手く意図を伝える事が出来ない。そんな自分の性質は、今まで生きてきてよく分かっている。

 

 だから、己に出来る事なんてそれこそ一つだけ。

 重く、ひたすらに重く、自分という存在を巌の拳に乗せて。

 決して疾くはない。巧くもない。されど一撃に込める重さ、自身に許された唯一の光にかけては断じて譲らないと覚悟する。

 

「だから、見せてみろっつうなら見せてやるぜ。この"俺"の重さをなぁぁッ!!」

 

 横道など見向きもしない。小細工抜きの正面突貫、隠す意図など微塵もない意気の喝破と共に、鳴滝敦士は駆け出した。

 

 迫り来る巨漢の剛拳を目に映し、英雄もまた二刀を構える。

 愚直に、一切の雑念を排して行われる突撃は、断じて侮って良いものではない。

 直撃を受けようものなら絶命は必至。防御性に際立ったものを持たない英雄なればこそ、その結末は必定であるだろう。

 だがそれでも、それのみであれば英雄にとっての脅威ではなかっただろう。クリストファー・ヴァルゼライドこそは夢界に君臨する最強の武。無謬の修練の果てに会得した技量は、もはや何人をも隔絶した高みに在る。

 無頼の男の一撃を躱し、その後に絶殺の斬撃を叩き込む。破壊に振り切った英雄の夢とはそういうもので、両者のみではその結末は避けられない。

 

 故にそれを補うべく、空間を飛び越えた四方からの十字砲火が英雄を包み込んだ。

 

「盛り上がってるなあ、男子は。四四八くんも結構だけど、色々言っても何だかんだで似てるんだよね、男の主張って」

 

 それは直接場に響かせた声ではない。

 遥かな彼方、戦場を俯瞰する狙撃地点で、龍辺歩美は誰に対してでもなく独り言ちた。

 

「単純っていうか、馬鹿っていうか。無茶する俺はかっこいいみたいな?

 後ろで見てる人たちの気持ちも考えてほしいよね。こっちはこんなに怖いんだからさ」

 

 手にして構える狙撃施条銃(スナイパーライフル)。その照準(スコープ)越しに映る世界は、無論のこと画面先のファンタジーではあり得ない。

 対峙する英雄も、それと戦う仲間たちも、どれも己自身で向き合わねばならない真実。取り返しのつかない事であるからこそ、忘れてはならない恐怖があった。

 

 かつての龍辺歩美は、それさえも分かっていなかった。

 あらゆる物事が他人事。まるでゲームをしているような感覚で、己も当事者だという実感が持てない。

 だからどんな時でも心の一部は冷静沈着。所詮、俯瞰の視点でしか物を見てはいないから、そこに恐怖の感情なんて伴うわけがない。

 我も人、彼も人。仲間たちが自らに戒める戦の真、それさえも傍から眺め見ている有り様だ。そんな事で仲間だなどと胸を張って言えるのかと、随分悩まされた事もあった。

 

 そう、それでは駄目なのだ。

 そんな様では、臆病で醜い道化の如き在り方では、本当の意味での立脚なんて出来はしない。

 物事を俯瞰する己がいる。その事実をまず受け止め、その上で恐怖の気持ちを思い知る。己の命、そして仲間の命、どれも虚構の産物などでは無いのだから。

 

 龍辺歩美が掴んだ真。我も人、彼も人。その意識から決して目を背けない、引き金の重みを確かなものだと感じて離さないように。

 

「私だって、もう後ろで見てるだけじゃない。ちゃんと、ここに居るんだから!」

 

 様式を無視して吐き出される銃弾は、距離や遮蔽物の一切を跳び越えて標的を狙い射つ。

 龍辺歩美の破段。それは空間の跳躍。たった一人の狙撃手(スナイパー)によってもたらされる弾幕の包囲網。確たる術理による銃撃の詰め将棋が、英雄へと降り注いだ。

 

 通常ならば認識さえ敵わない、空間を超越した無数の狙撃に英雄は対応する。

 それを成すのは歴戦を重ねて磨かれた直感と経験則を合一する戦闘感覚。英雄は純粋な技量によって、迫る銃弾の尽くを真っ向から切り払った。

 この時点で英雄は無傷。自身に迫る敦士へと改めて向き直り、そして退いた。

 

 不退転の英雄にとっても、その判断はおかしなものではない。

 晒された銃撃への迎撃分、英雄の態勢は十全とは言い難い。

 ならばこその判断だ。英雄は目の前の無頼漢を微塵も侮っていない。万全でないままでこの男を迎え撃つのは危ういと、その強さを認めていたから後退した。

 

 それはある種の信頼と呼べるだろう。

 己と同じく善性、正しき強さを持つからこそ、その真価を見誤らない。

 そうした意志が生み出す力、その不条理とも呼べる力を、他ならぬ英雄が知らないわけがないのだから。

 

 そして、英雄が退いたその先を読み切って、迷いなく世良水希が斬り込んだ。

 

 信頼は、英雄だけのものではない。

 むしろ仲間である彼ら自身の信頼こそが、何よりも強固であるのは自明の理。

 鳴滝淳士ならばやってくれる。必ずやそうなると信じたからこそ、この連携は成立した。

 

 水希が得物とするのは太刀。

 流れ舞うような斬撃と、付随して放たれる無数の火線。十分な密度で繰り出される太刀と創法その他を合わせた複合戦技は、完成された質と鋭さを有している。

 それでも英雄を追い詰めるには至らないが、決して通じないわけではない。事実それらは一蹴されず、鋼の英雄にこうして追い縋っているのだから。

 

 彼らの歯車は噛み合って、既に回り始めている。

 通じ合った絆の信頼と経験が、何も言わずとも各々が成すべき事を教えてくれる。

 それでも足りないものがあるとすれば、それは指揮官の存在。彼らという一群を一個の生命として機能させる頭脳の役割を担う者が欠けていた。

 

 それは本来ならば柊四四八の役割。その彼が動けない以上、代行を務める者は決まっていた。

 

「ああもう、どいつもこいつも! こっちの気も知らないで、鈍い奴ばっかりなんだから!」

 

 苛立たしげに我堂鈴子が吠える。

 その苛立ちは仲間に向けたものではない。情けなくも縮こまった、不甲斐ない己自身に向けた怒りだ。

 

 彼女、我堂鈴子は、整ったものが好きだ。

 世にある倫理道徳仕来りその他、有り体に決まりを尊ぶ気質である。

 それは法の絶対視や社会主義といった思想的な意味ではない。もっと人としての根源的な、普遍的に存在し続ける善性への敬意。

 己がその境界に立つ者だと自覚するから、線の内で正しく在る者こそを尊重し、逆に線の外へと傾倒する無法者を認めない。

 その線引きこそが彼女の夢。人間と怪物の境を間引く厳粛な線が我堂鈴子の真である。

 

 だから彼女は整然として筋が通り、尚且つに高い完成度を持つ者に弱いのだ。

 英雄は正しい。自分のように何処か人としての欠陥を抱えているのではなく、偽りない人の正しさを備えた上で、彼はああして雄々しく在る。

 それがどうしようもなく眩しくて、不覚にも圧倒されてしまっていた。まるで正しさの炎に灼かれ続けているような高潔さに、心が先に屈しかけたのだ。

 英雄が英雄たる気質。その輝かしい王道は、善を尊ぶ常人こそを魅了して膝を折らせる。

 

 そうやって自分が立ち止まっている内に、あの馬鹿どもがやってくれた。

 馬鹿、ほんとに馬鹿。特に男子。大杉もだけど、やっぱり敦士。あいつ、何それ、悩んでる私が馬鹿みたいじゃない。いや、馬鹿なのは絶対にあいつらだけど。

 おまけにコレ、柊にも知られちゃうんでしょう。もう、本当に自分が情けない。こんな姿を、これ以上あいつにだけは見せられないわよ。

 

 この人の、英雄の道が受け入れ難い事なんて、もうとっくに分かってたじゃない。

 

「……犠牲を前提に話してるんじゃないわよ」

 

 そう、英雄が掲げる道は、血の犠牲を容認して語っている。

 屍の山で築かれた道の果てでこそ栄光は掴めるのだと諦めているのだ。

 

 それが正しい道で、現実的なものだとは分かっている。

 理性では認めていた。道理は英雄のやり方にこそあると。

 だが、感情はどうしても否定を叫ぶのだ。当たり前のように屍を積み上げて、それを容認したまま突き進む英雄の姿が納得し難いと吠えている。

 

「大切だって言うんなら、犠牲なんて出してるんじゃないわよ。血反吐を吐くくらいの後悔があるはずでしょう。それを個人の情熱一つで、簡単に受け入れてるんじゃない!」

 

 彼女の胸の内には、今も拭えない悔恨がある。

 邯鄲の第七層。狂える龍に対峙する前哨戦。いずれ来たる本震に備えての、神の捧げるべき礼を理解するための試練の周回。

 そこで鈴子は仲間を犠牲にした。他ならない、彼女自身の采配によって。求められたから、自分から言い出したからと、そんなのは言い訳にすらならない。

 だって、彼女自身もそれを理解していたから。あの場を突破するにはそれしかないと分かっていて、事実それを止めようとはしなかった。

 ならばそれは彼女自身の判断と同義だろう。むしろ迷ったままで何も出来ず、仲間の方から言い出した体で乗りかかったあの時こそ、最も恥ずべき姿だと戒めている。

 あの時の後悔を忘れない。たとえ他の仲間が違うと言ってくれても、この悔いの重さこそが、何より手放してはならないものだと思えるから。

 

 だからこそ、鈴子は英雄の道に否定を叫ぶ。

 感情論だとは分かっている。犠牲はどうあっても出るものだし、激動の時代ならばそれは特に顕著だろう。

 それでも、それを容認するか否かは話が別だ。その後悔を手放さず、次こそは必ずやと意識を持たなければ、きっと犠牲には何の意味もなくなる。

 成果と犠牲。その二つを天秤にかけて、迷いもせずに一つを取る。それで栄光に繋がるからと、雄々しく熱い気概でも下す判断はどこまでも冷徹だ。

 それでは駄目だし、何より嫌だ。迷って迷って、どんなに無様でも迷い抜いて、本当に正しい道を目指そうとする意志こそが、真の光だと信じている。

 

 我堂鈴子が奉じるべき礼とは、英雄の下す冷たい線引きなどではないのだから。

 

「誰かに頼る事も分からない、たった一人の英雄なんか、認めてやるもんですか!」

 

 舞うように振るわれる薙刀の軌跡。

 それは単なる一閃の足跡にあらず、確かなカタチとなって英雄を囲い込む檻となる。

 己の中にある歪み。周囲の環境にはまったく由来しない、純粋に先天的な素養とも言うべき性。それは一歩間違えれば、容易く怪物にも堕ちるもの。

 人の生き死にに対する忌諱感の欠如。嫌悪でも高揚でもなく、ただ何も感じない。作業の如く冷静に務められる自身の性質に、鈴子は悩まされてきた。

 だからこその破段である。人と怪物、二つの境界に立つ者として、外から内には入らせないし、また内から外へも向かわせない。

 残される斬痕は敵のみならず自身にとっての檻でもある。自由には消せないし、触れれば自身も斬られる。そのようなルールを己に課すからこそ、効果もまた高まっていた。

 

 司令塔の復帰と共に、彼らはその回転率を上げていく。

 鳴滝敦士が、受け止める盾となり打ち砕く矛となる。

 如何に強大な光だとて、大杉栄光がその夢を崩す。

 射程外より龍辺歩美がカバーして、傷ついた者も真奈瀬晶が即座に癒す。

 我堂鈴子の斬檻が動きを狭めて、生じた隙を遊撃の世良水希が狙い撃つ。

 

 数多の夢を巡ってきた。挫折や敗北も幾度とあった。

 それらは決して無駄ではない。打ち勝った試練、その果てに得た未来。どれも欠け代えのない真となって、今もこの胸に宿っている。

 大正ではなく平成、あの平穏な時代で産まれ、各々の人生を全うした事で、彼らは新たな光を得た。平穏の中で得たそれは青く、純粋な軍学生であった頃より弱くなったとも言えるだろう。

 それでも彼らはそれを捨てない。自分たちが掲げるべき真とはその光だと、誇りを持ってそう言える。決して英雄の光にも劣らない素晴らしいものだと信じているから。

 

 顕したのは千の信。互いを繋いだ仁義の絆こそ、第二盧生が至った悟りである。

 

「……強いな」

 

 六人の夢との交錯の中、肌で感じる手応えに、英雄は感嘆の呟きを漏らす。

 それは素直な感想であり、偽りなき思いだ。彼ら戦真館の少年少女らにこそ、英雄は手強さを感じている。

 

 決して軽んじていたわけではない。

 しかし、しかしだ。これはあくまで前哨戦。第二盧生柊四四八に至るまでの露払いである。

 侮りはしない。だが何処かでそういう認識があった事は否めない。所詮は前座、盧生と矛を交える事になるやもと考えれば、如何程の事があろうと。

 それがどうだ。彼らはこうして己とも互角に渡り合えている。盧生の存在がなくとも、この若者たちは立派な強さを持っているではないか。

 

 神祇省でも、鋼牙でも、逆十字でも、辰宮でもない。

 彼らこそが強い。正しき力、正しき思い、そうした信念の果てに錬磨された戦真館こそが、英雄の魂は真の強者であると認めている。

 同じく善性の者として尊重せずにはいられない。彼らのような者を寿ぐ世界こそ、英雄が熱望して止まないものだから。

 

「だからこそ実に惜しい。このような運命にさえ巻き込まれなければ――――」

 

 交錯の果て、一時的な対峙の形となり、思わず言いかけた言葉を英雄は止めた。

 彼らは巻き込まれた被害者ではない。覚悟を持って戦場へと赴いた戦士である。

 かつての邯鄲、己を二十一世紀の人間だと信じ込んでいた時とは違う。確固たる信念を宿した戦士に対し、このような同情は不要であろう。

 

 戦闘の渦中、英雄は目を閉じて僅かな時を黙想する。

 それは敵ながら、称賛に値する若者たちへと向けたせめてもの誠意か。

 その短い時間の中に、深く、それこそ万感の思いを込めるように。

 抱くのは礼讃の念。本来ならば慈しむべきその光、これより己が為す所業の重みと共に、英雄はしかと自分自身に戒めた。

 

「……いいだろう」

 

 そして開かれたその眼には、荘厳にして厳然たる決意が宿っていた。

 

「お前たちを難敵だと認めよう。我が道を阻むものであると。寿ぐべき善良であると知るからこそ、俺もまた全霊を尽くすと誓う。それだけがお前たちに示せる唯一の敬意だと信じよう。

 さらばだ、強く正しい若者たちよ。俺が愛する善意たち、その業を背負って俺は征こう!」

 

 少年少女らの奮闘を英雄は認めた。

 彼らこそは正義の志士。善を担う英雄が愛すべき光であると認識する。

 ならばこそ手にする剣には覚悟を乗せる。この血を決して無駄にしてはならないと、尊ぶ重さを噛み締めながら。

 手落ちは断じて許されない。やると決めたならば雑念は刃から削ぎ落とす。彼らを真の勇者と認めるならば、手を抜く事こそ侮辱だろう。

 

 そして決断した英雄は、盧生以外に抜くつもりはなかった己の"急段(つるぎ)"を開帳した。

 

 

 *

 

 

【推奨BGM『天神の雷霆』】

 

 その変化を戦真館の誰もが感じ取っていた。

 空気が変わる。気配が変わる。存在が変わる。英雄の変革が、その爆発的な輝きの増大が、世界そのものに震えをもたらしているのだと錯覚した。

 

「巨神が担う覇者の王冠。太古の秩序が暴虐ならば、その圧制を我らは認めず是正しよう。

 勝利の光で天地を照らせ。清浄たる王位と共に、新たな希望が訪れる」

 

 それは、至高。

 それは、最強。

 それは、究極。

 それ以外に、形容すべき言葉なし。

 

「百の腕持つ万人よ、汝の鎖を解き放とう。鍛冶司る独眼よ、我が手に炎を宿すが良い。

 大地を、宇宙を、混沌を――偉大な雷火で焼き尽くさん」

 

 謳い上げるは全能の証明。

 我に敵う者なしと、傲岸不遜にただ単騎(ひとり)

 約束されし絶滅闘争(ティタノマキア)の覇者が、勝利の王道を歩むべく起き上がる。

 

「聖戦は此処に有り。さあ、人々よ。この足跡へと続くのだ。約束された繁栄を新世界にて齎そう」

 

 光が溢れる。

 男が纏った黄金が、属性は変えずにただひたすら強く大きく。

 その輝きこそ断罪の焔。世の絶望と悪を、己の敵を、余さず総て灼き尽くす破滅の光子。

 クリストファー・ヴァルゼライドの夢を象徴する黄金光が、もはや解法の透視など不要なほどの圧倒的な輝きと化して英雄の身に映っている。

 

 ここに戦真館の面々は悟る。悟らざるを得ない。

 今までの英雄は刃落ちだった。剣を鞘に収めたままの状態に過ぎなかったのだと。

 それが今、解き放たれる。まぎれもない英雄の全身全霊が、この瞬間に顕象されるのだ。

 

「急段・顕象――――天霆の轟く地平に、闇は無く(Gamma-ray Keraunos)

 

 鋼の英雄。光の断罪者。夢界に新たな伝説を築く輝きの担い手が、ここに降臨した。

 

 英雄の変革を前に、戦真館は僅かに攻め倦ねる。

 微塵も隠そうとしていない覚醒。ここまでと同じに考えるのはそれこそあり得ない。

 何が、どのように変わったのか。未だ見えないがしかし、弱くなる事はないだろう。英雄の変革、感じ取った力の増大は、決して錯覚などではないだろうから。

 

 それでも、足を止めていたのはやはり僅かだった。

 彼らは実戦を知らないヒヨコではない。幾度もの邯鄲を巡った歴戦の勇士である。

 相手の強さを警戒すればこそ、攻め手の主導権を渡すべきではない。これまでを考えても、英雄の性能は攻撃特化。そこが大きく変わるとは思えなかったから。

 

 斬り込み役は水希。

 オールラウンダーな性能を持つ水希なら、およそどんな状況にも対応できる。

 それは一種の威力偵察だ。無論、仲間たちも援護の備えは忘れない。何かが起これば即座に動き出せるよう身構えている。

 

 対し、英雄も動き出す。

 その動きは緩やかに。されど緩慢ではなく、ただ静粛に。

 刀剣が振り上げられる。それは構え、闘争へと向かう姿勢。それだけで何かを起こすわけではなく、故に止まる理由にはならずに水希は踏み込んだ。

 

「……え?」

 

 思わず漏れたのはそんな声。

 困惑、そして不明。何が起きたのか分からない。

 いや、それは正確ではない。何が起きたのかは分かっている。あまりにも明確に、だからこそ起きたそれが信じられなかったというだけである。

 

 構えは見えていた。軌跡も予測していた。

 それは素直な構えだ。基本に忠実、故に読みやすい太刀筋。

 脳裏に描いた戦闘予測(シミュレート)は完璧で、やられるつもりは毛頭ない。たとえどれほど強靭であったとしても捌いてみせる自信が水希にはあった。

 

 だというのに、この結果。水希は斬り捨てられていた。

 特殊な何かでは無い。ただ英雄の剣が迅すぎて、巧すぎて、強すぎたから反応できなかった。

 

「――水希ぃ!?」

 

 叫んだ声は誰のものか。

 関係あるまい。気持ちは全員が同じだったから。

 

 真っ先に動き出したのは淳士。

 動揺する仲間たちに渇を入れるように、あるいは純粋に倒れた水希を案じてか。

 拳を振り上げ、突貫する無頼漢。その勢い、決して先のそれに劣るものではない。

 

 だというのに、放たれた黄金の波濤に対し、今度は一瞬だとて抗えなかった。

 

「がああああああッ!!??」

 

 晶の急段は今も変わらず発動している。

 癒しの光は淳士の背中を確かに支えていた。ただそれごとに、英雄の光は捻じ伏せる。

 少女の慈悲も、漢の意地も、全てが無意味だと言わんばかりに。絶対の破壊は何者をも灰にする。

 

「りんちゃん。これって……」

 

「ええ。どう考えても嵌まっているわね」

 

 五常楽・急ノ段。

 五常・顕象の段位の四段階。盧生のみが扱える第六法・終ノ段を除けば、邯鄲における最終奥義と呼んでも差し支えない。

 この段位が他と一線を画するのは、己だけの力では成り立たないこと。無意識下での合意を果たす協力強制、それを通した相手からの力も乗せて発動する。

 相手の力を利用するという性質上、たとえ格上相手でも効果を発揮する。そして他ならぬ相手からの合意を得たその効果は、非常に高い必殺性を有しているのだ。

 

 これまでの邯鄲で戦ってきた六勢力。

 その首領格はほぼ全員が急段の域に至っていた。

 文字通り身をもって思い知らされたその威力は、今も苦い記憶として焼き付いている。

 容易く攻略できるものでは断じてない。ならばこそやるべきは、速やかに英雄の急段の効果を見極めて、その効果を躱すか利用するかだ。せめて如何なる不条理が働いているのかだけでも見抜かなければ対応さえ覚束ない。

 

「考える必要はない。これは至極単純な自己強化だ」

 

 そんな彼らの焦燥を他所に、対峙する英雄はどうということもないように己の手の内を明かしてみせた。

 

「協力強制の度合いに応じて、己の夢を強くする。俺の急段とは、それだけのものに過ぎん」

 

「ッ! だったら――」

 

 語ったそれが本当なら、決して勝機は潰えていない。

 要はキーラの夢と同じだ。総じて暴力に類する力を無尽蔵に増幅させる怪物の異能。

 単純明快、だからこその強さとも言えるが、嵌めれば勝てると断言できる能力でもない。

 

 純粋な力であるからこそ、力で対処する事が可能となる。勝算はあるのだと折れかけた戦意を克己させようとして、

 

「そうだ。これはひとたび発動すれば勝利を確定させる類の異能ではない。お前たちにも十分な勝算が残されている。だから気負いなく、惑いなく、全力で掛かってくるがいい」

 

 鋼の宣誓。英雄は不動にして揺るがず。

 そも、彼が自らの手の内を明かしてみせたのは何故か。

 急段は敵側からの合意を必要とする。ならばこそ意識の裏を取り、協力強制の条件を悟らせずに相手を誘導する事が肝要となる。

 効果、条件のいずれも、本来ならば明かすのは下策。内容が知れれば意識は条件への理解と否定を持ち、協力強制に嵌めるのは著しく困難となる。

 

 ならば何故、英雄は明かしたのか。これも悩むまでもなく明確だった。

 関係ないのだ。裏を取るだの嵌めるだの、英雄の辞書にそのような言葉はない。

 その光が照らすのは王道。裏道になど逸れない決意の鉄心こそが力となる。

 雄々しくも輝かしい信念を、隠す事なく晒している。ならばその条件も、恐らくは――

 

「我も人、彼も人なり。お前たちが掲げる戦の真とやらに、俺も倣おう。ここに有るは己とは異なる正道。その事実を厳に受け止め、それでも俺はこの剣を振り下ろそう」

 

 刀剣に黄金の光が収束する。

 目にするも絢爛にして、そして無慈悲な破壊の夢。猛威を奮う英雄の光が、少年少女たちを呑み込まんと放たれた。

 

 その光の前に飛び出すのは、大杉栄光。

 淳士という盾の存在が欠けた以上、光に対抗できるのは彼の夢しかない。

 たとえこの身が削れ落ちようが構わない。仲間がどれだけ否と叫ぼうが、それでも前に出るのが栄光という少年なのだ。大切な誰かを守るため、彼は我が身など惜しまない。

 

 儚くも尊い少年の意志が紡ぐ解の夢は、ある意味でおぞましいほど理不尽だ。

 栄光の破段。何かを失いながら何かを消し去る等価交換。この夢の凶悪性とは、成立される価値観が完全に栄光側の感性によって左右される事だ。

 端から見ればどれだけ不平等な条件でも、栄光の中で矛盾がなければ等価交換は成立する。例えば仲間を相手にしたなら、大切なその仲間を対価にして仲間を消すという出鱈目さえも通るのだ。

 そしてその威力は、栄光が対価を大切に思えば思うほどに増していく。それこそ神格たる邪龍の魔震にさえも対抗できるまでに。

 邯鄲という夢そのものを解き崩す解法使い。人の道理からも反したその力は、彼らの異端さ、不条理さの証明でもあるだろう。

 

 しかし――

 

「改めて言うが、第七層(ハツォル)での奮闘は見事だった。百鬼空亡さえも鎮めてみせたその夢は、俺には紡げないものだろう」

 

 そう、しかし、だからこそなのだ。

 

「だが同時に、己の存在を軽く扱うが故の夢でもある。ああ、仲間にも指摘されていたな」

 

 射抜いてくる眼光が意志の挫く。

 英雄の宿す意志、その狂気にも似た正義への信奉は、視線一つでも常人を圧倒する凶器となり得る。

 

「勝利は重い。重い、重いのだ。重ねれば重ねた分だけ、その重責は我が身にのし掛かり、軽々に放棄する事は許されない。

 ひとたび覇道を歩み始めたならば、もはや己だけで事は済まんのだ。この身は既に多くの血の咎を、そしてそれに代わるべき数多の希望を背負っている。

 たとえ俺自身が塵屑でも、この四肢の一本とて容易くは差し出せん」

 

 それは自負。英雄の身とは一人のものにあらず。

 その双肩に掛かった重責を、英雄は確かな重みとして受け止めている。その上で押し潰されず、鋼の雄士は使命に向けて雄々しく立つのだ。

 重ねた犠牲、この手で犯した罪の数、そして報いるべき民の命運が、道を外れる事を許さない。むしろ背負った宿業が増すほどに、英雄の決意もより強くなっていく。

 

 命を惜しむわけではない。だが軽く扱えるものでは断じてない。

 尊いものだと思えばこそ、無駄にしてはならないのだと。揺るぎない合金の如き覚悟を抱えて、殺戮の果ての栄光の道を英雄はひた走る。

 

「ならばこそ問おう、大杉栄光。本当に、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「あ……――!」

 

 膨れ上がる黄金光。先には打ち消せたそれが、今は押し止める事すら敵わない。

 栄光の破段は等価交換。その価値基準は栄光自身によって決められる。

 気圧されてしまえば、他ならぬ彼の心が劣等を認めてしまえば、等価交換は成り立たない。

 

「あ、うわああああああああああッ!!??」

 

 解き崩す夢さえも呑み込んで、黄金の芳流が大杉栄光を粉砕した。

 

「栄光ぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 仲間の消滅を目の当たりにして、真奈瀬晶は絶叫した。

 

 彼女、晶は優しい。

 粗暴に見える振るまいや言動とは対称的に、その内面には慈しみに溢れている。

 どのような人間であれ、傷つき病める姿に心を痛める。そんな者たちの助けになりたいと願うからこその癒しの夢であり、称賛されるべき彼女の性だ。

 決して欠点ではない。それは彼女にとって美徳である。仲間の散り様を前にして、平静でいられる心を彼女は持っていない。仁義の徒であればこその必然でもあるだろう。

 

 そう、悪徳ではないし、むしろ尊ばれるべきものだが、戦場ではどうしようもなく隙だった。

 

「あ――――!」

 

 その隙を英雄は見逃さない。

 信奉するべきは勝利。そこに至るまでの過程で、その心に情け容赦はあり得ない。

 少女が見せた慈愛の間隙を狙い放たれた黄金光が、晶に向けて一直線に伸びてきた。

 

 とはいえ無論、彼女とてこれまでの修羅場を伊達で潜ってきたわけではない。

 反応し、咄嗟に編まれた防御陣。得物である白い帯を螺旋状に展開し、ありったけの楯法によって強固な壁へと変える。

 それは彼女に出せる最良の防御策。練度を増した今であれば、首領格の攻撃だとて十分に防ぎ切れるものだと自認しており、

 

 英雄の光を前に、それは一瞬とて保たなかった。

 

「あ、ああああああああああ――――!!!!」

 

 其は絶対なる破壊の輝き。

 一度降り下ろされた処断の刃からは逃れられない。

 少年と同じ光に呑み込まれ、真奈瀬晶は消滅した。

 

「大杉! 晶ぁ!? このォ、くそったれぇッ!」

 

 悲痛と焦燥を滲ませて、鈴子は叫んだ。

 

 単に仲間を失った事を悲しんでの事ではない。

 打ち消し役と回復役。英雄に対抗するため、集団の要とも呼べる二人を一気に失った。この損失はあまりにも大きい。

 何より士気が不味い。気力が萎えている。自分たちは勝てないと、ここで戦意が折れてしまえば瓦解する。

 

 個人ではなく司令塔として、あくまでも冷静にそう判断した上で、鈴子は自ら英雄へと斬り結んだ。

 

 英雄が振るうのを剛の剣とすれば、鈴子のそれは柔の刃。

 力に依らず遠心力を利用した薙刀術の技巧。決して正面から受け止めず、受け流して剛剣の威力を逸らしていく。

 更に振るわれた刃の軌跡は斬檻となって残り続ける。互いを等しく傷つける刃の戒めは、しかし互いにとっての同条件だとは限らない。

 己が振るった刃の軌跡を認識し、斬檻内での戦闘を習熟している鈴子とでは、その熟練度に大きな開きがある。ならばその内での鈴子の有利は動かない。

 防御性に特出したものを持たないヴァルゼライドにとって、斬檻の脅威は決して無視できるものではない。鈴子の刃が振るわれる毎に、その動きは制限されていく。

 このように、鈴子にとって英雄との相性は悪くないのだ。むしろ純粋な戦闘スタイルの観点で言えば、鈴子の戦技は英雄に対しても優位を取れているだろう。

 

「くぅ、あぁ、ああああ!?」

 

 だがそれでも、鋼の英雄には遠く及ばない。

 極限まで磨き抜かれた剣技が、破格の意志と共に込められた夢の力が、そもそも受け流す事を許さない。

 斬檻も見破られ、粉砕されて、英雄の剛剣が真っ向から柔の刃を打ち破っていく。

 優劣は明らか。むしろ今に至るまで即殺されず、こうして善戦できている事自体が、互いにある相性差を証明していた。

 

 それも既に限界は見えている。

 人外排斥の夢も英雄には通じない。切り札は最初から封じられている。

 鈴子は敗れる。まもなく英雄の剣は彼女の身を捉えるだろう。

 

「ねえ、教えて。あなたはそれで、一体何を掴もうというの?」

 

 数秒先、己が斬り捨てられる未来を幻視しながら、鈴子は英雄に問うた。

 

「無論、未来を。無数に積み上げた勝利の果てに、俺は真なる栄光をこの手に掴む」

 

 堂々たる答えが返る。英雄は欠片ほども己の道を迷っていない。

 それこそが彼の覇道だ。如何なる犠牲を払おうとも、勝利の果ての栄光を目指し続ける。

 脇目も振らず、悔いる時間すら無駄だと切り捨てて。英雄たる男が見据えるのはいつだって未来。涙を明日に変えると誓って、鉄血の道を邁進するのだ。

 

 これもまた、英雄の覇道に築かれる屍の一つとして、黄金を纏った剣が鈴子を斬り裂いた。

 

 激痛は一瞬、介錯の慈悲が込められた刃に、鈴子の意識が刈り取られる。

 それでもその瞳には、最後の瞬間まで諦めの色はない。刃は折れ、その身が潰えようとも、彼女は一人ではない。託すべき仲間がいる。

 せめてもの布石は打った。中途で脱落するのは無念だし、本当にすまないと思う。誰より犠牲の重みを知る鈴子だから、残される方の気持ち思えば謝意を抱かずにはいられない。

 それでも信じると決めたのならば、疑い無く信じられる。司令塔として、この局面で最も有効な一手を打てる者が誰であるか、彼女は理解していたから。

 

「我、ここにあり。倶に天を戴かざる智の銃先を受けてみよ」

 

 託された者もまた、そんな己の役割を理解している。

 英雄に対する起死回生。輝ける絶対強者に対抗できる手段が、彼女にはまだ残されていた。

 

「急段・顕象――――犬坂毛野胤智(いぬさかけのたねとも)

 

 そうしてここに、龍辺歩美の急段が発動した。

 

 その急段とは、空間を跳躍する弾丸の更なる上。

 時間の跳躍。過去から未来へと到達する射撃がその効果。

 因果律さえも歪ませる夢を成立させる協力強制とは、両者が未来を望むこと。

 英雄は未来を求めた。故にその未来へと届かせる。成り立った合意によって、一度は防がれた弾丸が再び英雄を狙って飛来した。

 

 会心の一射を決めた歩美だが、その表情は重い。

 噛み締めた口元から血が零れる。狙撃のために表面こそ押し殺していたが、内心は激情に支配されていた。

 みんなやられた。やられてしまった。仲間たちが次々と斃れていくその光景を、スコープ越しに歩美はずっと見せられ続けていたのだ。

 彼女のポジションは狙撃手(スナイパー)。直接の戦場から距離を置き、仲間たちとも肩を並べる事はない。自身の役割の必要性も十分に理解している。

 だがそれでも、受ける心の痛みは変わらない。大切に思う人たちを直接守れる場所に自分はいない。仲間が斃れていくのを黙って見ているしかないという立ち位置は、彼女の心に重い痛みを与えていた。

 

 現実は重い。重いし、痛いのだ。

 眷族の不死性、盧生たる柊四四八さえいれば復活可能という事実も、言い訳にはならない。

 命とは、そんな計算のように無機質に扱っていいものではない。ましてや絆を結んだ仲間であるなら尚更だ。それを割り切るような非情さで、自分たちはここまで来たんじゃない。

 ゲームとは決定的に異なるリアルの重み。だからこそ今の彼女の夢には重さがある。恐怖も痛みも重く受け止められる今だから、そこには強い意志の力が生まれるのだ。

 

「届けぇぇ――――!!」

 

 無駄には出来ない。執念を懸けて成立させた急段の弾丸が英雄へ向かう。

 異なる時間軸より飛来する銃弾は、英雄の掲げる黄金光でも迎撃不可能。

 キーラのような超抜の再生力を持たない英雄にとって、この一射は致命打へと至り得る。

 事実上、これが歩美にとっての最後の手段だ。ここを逃せば勝機はなく、故にこその覚悟を込められて、今という時間に届いた銃弾が英雄に迫った。

 

「ああ無論、忘れてはおらんとも。龍辺歩美。鎧を持たぬ俺にとっては、お前のような者こそを最も警戒して当たらねばならんとはな」

 

 されどそれでも、英雄の不敗神話は破れない。

 時間を越えて、信念を乗せて、飛来してくるその弾丸を、あろうことか掴み取ってみせた。

 

「俺はお前たちを認めている。正しき歩みによって得た強さを、何より尊く価値あるものと。

 故に、俺は断じて侮らん。認めればこそ最大限の警戒をもって臨み、ただの一人だとて見くびらず確実に、紛れもない強敵だと覚悟して打ち砕く」

 

 英雄の心に慢心はない。

 圧倒的な実力を見せつけながらも、一瞬の油断さえなく戦い抜いている。

 戦真館。善き若人たち。彼らを認めればこそ、英雄もまた全力を尽くして臨むと決めている。

 

 急段とは、両者の協力強制によって発動する夢の力。

 相手の力までも利用している以上、それは例外なく必殺の型となる。

 それも必然、無意識とはいえ自身で同意した上で受ける効果である。ひとたび合意したならば逃れる事は不可能であり、如何なる相手でも有効な効力を発揮する。

 それでもやはり、防ぐ術が皆無であるわけではない。至難であるのは間違いないが、理屈の上では手段がある事も確かなのだ。

 

 一言に急段といっても、そこには大きく二つの種類がある。

 一つは、協力強制の条件が永続的に作用するタイプ。

 柊聖十郎などがこれに該当する。発動条件である相手からの悪感情、その感情の度合いに応じて常時効果が左右され続けるのだ。

 聖十郎を憎み、あるいは憐れむほどに、病魔の威力も深刻なものとなる。故に逆を言えば、それらの感情が薄まれば急段の威力も減衰する。

 たとえ一度は協力強制に嵌まろうとも、その後に条件から外れれば脱出は可能。無意識で合意した条件より抜け出すのは困難だが、決して不可能ではない。

 

 もう一つは、協力強制が成立した瞬間を基点として効果を発動するタイプ。

 歩美の急段はこれに当てはまる。利用する相手の力は、条件に嵌った瞬間の力となる。

 発動してしまえば止める事は不可能。たとえ条件から外れようとも威力は変わらずに発揮される。要は後出しにも強いという事だが、それ故の攻略法も存在する。

 即ち、その瞬間に成立した己と相手の二人分の力、急段の出力をも凌駕する夢の力を引き出せれば、それは破れるのだということ。

 あまりにも力技。そもそも急段には互いの力が乗って発動するのだから、求められる力は軽く見積もっても倍は必要。力量が近しい相手であれば用いる力も強くなり、そこから更に倍もの力を引き出さねばならないというのは、もはや不可能にも等しいだろう。

 

 だがそれでも、理屈としては成り立っている。

 ならば目指さない理由はない。力技大いに結構、真っ向勝負こそ英雄たる男の望むところ。

 加速し続ければいい。かつての時よりも大きく強く、未来に向かうその意志は燃焼を続けている。先の栄光こそ英雄の求めるものならば、一切曲げずに勇進の信念を貫くのみ。

 一度嵌った急段を、真っ向から力で捻じ伏せる。不可能と思えるそれを成し遂げてしまう意志力、信念の高潔さこそが英雄たる証、そして彼の夢であった。

 

 ならばその後の対処も、やはり英雄の道理に則ったもの。

 掴み取った急段の銃弾。両者の合意により成立したそれは、両者を繋ぐ(パス)とも成り得る。

 探知系を不得手とする英雄であっても、その位置を掴めるほどに。常に遠く離れた間合いから戦場を俯瞰していた狙撃手(スナイパー)も、ついにその存在を補足された。

 

 それだけであれば、まだ致命的とまではいかないだろう。

 戦闘の開始より、すでに歩美は戦域外での位置取りを終えている。

 彼女の狙撃は空間を跳び越える。射線からの位置予測は不可能であり、用意周到な彼女であれば探査から逃れるための策も備えているだろう。

 英雄の夢は攻撃特化。その選択肢はあまりにも少ない。例えば、(パス)を通じて相手をテレポートのように引きずり出すなど、そういう器用な真似は出来ないのだ。

 

 如何に最強の破壊力といえど、英雄は単騎。

 やれる事には限りがある。特化型であればこそ嵌った状況には格別に強いが、同時に適さない状況では脆弱性を露わにする。

 だからこそ仲間の存在が重要になる。たった一人では手が届かない事でも、それを補う仲間がいればきっとその手は届くのだと。

 それこそが戦真館の七名が学んできた事だ。奉じる絆、それ故に重きを置く信。戦の真は千の信に顕現する。戦真館(トゥルース)千信館(トラスト)が繋いだ仁義の真。

 

 それは清く正しく、人として真っ当な誇るべきものであるだろう。

 だが同時に、こうとも言える。真っ当であるという事は、即ち常人の発想であるのだと。

 クリストファー・ヴァルゼライド。彼は断じて真っ当な人間などではない。不撓不屈の熱量を維持したまま、まったく曲がらず前進を続けられる"異常者(えいゆう)"なのだ。

 己の才の無さ、一人である事の不利、全てを承知して彼は今ここに居る。ならば迷いはない。英雄は英雄だけのやり方で、自らの道理を切り開く。

 

 英雄の剣に黄金光が充填される。

 強く、より強く、輝きは内へ内へと溜め込まれる。

 急速に高められていく収束率。高密度のエネルギーが凝縮されていく刀剣の光は、さながら臨界寸前の炉心のようだ。

 限界か、いいやまだだと、瀬戸際にて収束された破壊力が、ついに両刀の振り抜きと共に解放された。

 

 ヴァルゼライドに探査系の素養はない。

 掴めた位置とて大まかなもので、正確な補足とは言い難い。

 故に捉えられないと、そのような道理こそ英雄は突き破る。そしてそれを成すのもまた、彼が掴んだ唯一の光であった。

 

「なぁ――――!?」

 

 その光景に、歩美は今度こそ度肝を抜かれた。

 

 それは津波だった。黄金に輝く津波だった。

 広く、高く、拡がりながら迫り来る巨大な壁。向かう先に在る者にはそのようにしか形容できない。

 英雄を中心に、扇状に放射された黄金光。光の波濤は尽きる事なく、無限の如く溢れ出て世界をも覆い尽くしていく。

 夢界の法則をも解き崩す解法の崩とも異なる。障害を、地形を、距離を、空間を、世界そのものを、一切合切諸共に巻き込んで粉砕する超規模破壊。

 進路上を破滅の地獄絵図に変えながら、天災規模の光波が龍辺歩美へと迫っていく。

 

 英雄は裏など取らない。

 取れないのではない。取らないのだと自ら誓った。

 それは単なる潔さとは別種の覚悟。己に許された唯一無二、それのみを掲げて進むと決めた。無茶を理由に立ち止まるなら、彼はここに立ってはいない。

 そうすると決めたから、それのみで事を成す。大事なのはその決意を何が何でも貫くこと。己の意志でもってあらゆる無理を覆すのだ。

 

 理屈(ロジック)も、策略(ギミック)も、戦法(マジック)さえも何もない。

 読み合いを放棄して、英雄が選ぶのは純粋なる出力勝負。敵がそこにいるのならばと、世界ごと灼き滅ぼす究極の力押しだ。

 あまりにも馬鹿げた結論だろう。力技にも程と限度があるだろうに。それでももし、現実にそれをやられてしまえば対処法など存在しない。

 防ぐ事など不可能。逃げる事さえ出来はしない。世界さえ覆って迫る光波の巨壁を躱す事がどうやって出来ようか。

 

 何一つの抵抗さえ果たせずに、龍辺歩美は光に呑まれて消滅した。

 

「おおおおおおおおてめええええええ!!!!」

 

 咆哮を上げて立ち上がったのは鳴滝敦士。

 彼はまだ倒れていない。彼もまた不屈の雄として、限界を超えて英雄へと挑む。

 

 とはいえ無論、その身は無傷ではあり得ない。

 英雄の黄金光をまともに浴びたのだ。放射線の毒は今も残留して蝕んでいる。

 回復役の晶がいない以上、それを癒す術はない。このまま何もしなくとも、遠くない内に崩れ落ちるだろう。

 

 それでも、今はまだ肉体は動く。発狂ものの激痛を意地で無理矢理抑え込み、がむしゃらに繰り出すその突進には並ならぬ重量が宿っている。

 たとえ再び光を受けようとも、塵と燃え尽きるその前に、必ずやこの一撃だけは届けてみせる。玉砕覚悟、散り逝く最後の意地として、執念は先程までを遥かに上回る。

 

 そのような奇跡の実現を、英雄は当然のように信じた。

 あり得ない事だと、そんな侮りや疑いは一切ない。今一度黄金光を放とうと、あの男を止められるかは危ういと。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。己に出来る事を、相手が出来ないとどうして言い切れる。認めるという事はそういう事だ。

 

 痛みでも、威力でも、捨て身の覚悟を決めたあの男は止められない。

 生半可な迎撃を行えば、最悪相討ちにまで持っていかれる。何よりあの意志を挫かなければと、英雄の戦術眼は判断を下した。

 

 だからこそ、ヴァルゼライドは自ら刀剣を手放した。

 

「な、にぃ!?」

 

 玉砕覚悟だった敦士だが、その行動には流石に動揺した。

 優位は完全に向こうにあったはずなのに、自らそれを放棄するなど正気とは思えない。

 それどころか、徒手空拳となった英雄は自ら踏み込んで、互いの掌を組み合わせる形に持ち込んでみせた。

 言うまでもなく、それは敦士にとって最も得意とする形。彼の誇る力と重さで押し潰せる体勢だ。

 純然たる力勝負であれば誰にも敗けない。例え四四八や、他の勢力の頭領たち、そして目の前の英雄が相手でも。それだけの自負が敦士にはあった。

 

 そう、自負していたその自信は、しかし目の前の現実によって打ち砕かれた。

 

「どうした? 軽いぞ」

 

 沈む、沈む、沈む。

 巨漢の身体が、確固たる重量に支えられた剛力が、英雄の腕力一つで押し潰されていく。

 頭を垂れろ。地に這うべき敗者はお前だと、言葉以上に鋭く明確に突き付けるように。

 等しかったはずの長身同士が、いつの間にか上下の差がはっきりと示されている。膝を着きかけて、身の芯を曲げられながらも耐え偲ぶ敦士が受けるのは、ただただ信じがたいという衝撃だった。

 

「オ、オオ、オオオオオオオオオオッ!?」

 

 そう、敦士のような無骨で頑強な男の意志を挫くのは、痛みでも破壊でもましてや言葉でもない。

 相手の土俵で行う、疑いの余地さえない完全な真っ向勝負。その勝負で完膚なきまでに叩きのめしてやる事こそ、何より無頼漢への打撃となる。

 元より言葉で語るのを良しとしない男である。どんな言葉の理屈よりも明確な、組んだ掌を通して伝わる英雄の力の凄まじさ。それが問答無用に敦士の意志を砕きかけていた。

 

「フゥ――ッ!」

 

 手四つに組み合った形から切り替えされ、放たれたのは英雄の拳打。

 何の小細工もない拳の一撃。故にその意志力を何よりも映し出した一打が、敦士の重量を軽々と打ち上げた。

 

「ぐあっ、はぁ、ぐ……ッ!?」

 

 心身に受ける衝撃、それでも敦士は倒れる事なく着地した身体を支える。

 それは意地。男として、仲間として、背負った重さがあるから無様は晒せない。

 それでも、今の彼が対峙するのは慈悲なき鋼の英雄である。男の様に敬意は覚えても、そこに手心を差し込む事は決してない。

 敦士が向き直った時には、英雄は既に刀剣を構えていた。収束される黄金光、如何に意地を張ろうとも、夢界最強の光はヒビ割れた信念で抗えるものでは断じてなく、

 

「オ゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――!!??!?」

 

 押し寄せる黄金光に呑み込まれ、鳴滝敦士もまた粉砕された。

 

 もはやこの場に君臨するのは、鋼の英雄が唯一人。

 仁義の光を掲げた戦真館の少年少女らは、英雄の威光を前に敗れ去った。

 彼らが悪であったわけではなく、また弱かったわけでも決してない。ただ、英雄は強すぎた。抜き放たれた全霊の"急段(つるぎ)"は、邯鄲を越えた先でも桁を超えていたのだ。

 

 その協力強制の条件とは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人の悪意を吊り上げる逆十字とは真逆の急段。

 ヴァルゼライドに対し正感情を抱けば、彼の急段に嵌るのだ。

 その雄々しき輝きに、強き生き様に敬意や憧憬、羨望といった心を向けたなら、それは即ち認めることに他ならない。ヴァルゼライドこそ英傑、この世に二つとない破格の器であると。

 善性を持つ者であればこそ、協力強制からは逃れられない。努力、正義、勝利を志して、一点の曇りさえなく勇進する姿には、たとえ敵対しようとも心を揺さぶる情熱がある。

 反論を告げながらも心からの否定が出来なかった。義を重んじ人を愛する戦真館の面々だからこそ、その真っ当な感性には英雄に対する抑えられない敬意があった。

 

 ならば、柊聖十郎のような人を人とも思わぬ八虐無道であれば嵌らないのかと問えば、そんな事はまったく無いのだ。

 何故なら、如何に他人を道具と見做して憚らない柊聖十郎といえども、クリストファー・ヴァルゼライドという傑物を前に、有象無象と同列に見做す事は不可能だ。

 そこには必然、警戒が生まれる。どんな悪人でも、いや悪人だからこそ、無慈悲なる断罪者、悪の敵たるヴァルゼライドを無視など出来ない。

 正義への反発、英雄への怖れ、強敵への高揚と、類はあれどもそれはヴァルゼライドという個人を特別視している事に他ならない。

 特別視とは、即ち英雄視である。こいつは他とは違う、容易くはいかない心せねばと、そう感じてしまった時点で条件に嵌ってしまう。

 

 善性は思うだろう。この人ならば必ずや奇跡を起こしてくれるに違いない、と。

 悪性は思うだろう。この男ならば忌々しくも立ち上がってくるに違いない、と。

 それら向けられた祈りに対し、英雄たる彼は答えるのだ。応とも、お前たちがそう望むというのなら、俺はその通りに在り続けてみせよう、と。

 よってそこに両者の合意が成立する。英雄の再起を相手が願い、英雄もまたそれに応えるが故に成り立つ協力強制。

 不撓不屈の英雄は、如何なる絶望にも屈しない。たとえ剣折れ矢尽きようとも、鋼の意志がある限り何度だって立ち上がってみせるだろう。

 その姿を前にして心に感じ入るものがあるのなら、善性悪性を問わず、英雄を寿ぐ祈りとなる。それらの祈りを力と変えて、一身に背負いて覇道を征くのがヴァルゼライドの夢の形。

 

 人々が英雄の輝きを求める限り、クリストファー・ヴァルゼライドは無敵である。

 

 

 




 量的な意味と、盛り上がり所が結構変わるので後編は複数回に分けることにしました。

 さて、ようやく公開となりましたヴァルゼライドのオリジナル急段。
 詠唱は原作のものですが、効果の方は捏造設定です。
 それ自体は単純明快、単なるパワーアップで特殊なものは何もなし。
 王道をいく英雄にはややこしい効果なんて相応しくないと思い、こうなりました。

 協力強制は、ある意味で逆十字以上に広い範囲で掛かる感じ。
 善意、悪意に関わらず、英雄の姿に特別を感じてしまえば嵌るという。
 攻略法は憎むでも許すでもなく、ヴァルゼライドという人間を特別視しないこと。
 つまり原作のOPを見て「ああ、この人モブキャラだ」と思えるような精神性が必要。
 正直、まともにやって嵌らないのは空亡か、万仙陣の阿片おじさんくらいなもんだと思います。

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